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チビチリガマ  死者は3度殺された
2017/09/15(Fri)
 9月15日 (金)

 沖縄・読谷村波平のチビチリガマが何者かに荒らされました。
 1945年3月26日、米軍は沖縄・慶良間諸島に上陸、4月1日に本島の北谷・読谷に上陸します。住民140人はチビチリガマに避難します。そのうち82人が2日に 「集団自決」 します。47人が子どもたちです。

 1980年代半ば、チビチリガマを初めて訪れました。
 道路から急な階段を降りた谷間の草むらを歩いた先に入口がありました。
 その後に訪れた時はコンクリートで階段が作られていました。入口手前の右わきに彫刻家金城実さんと住民の合作 「世代を結ぶ平和の像」 が設置されていました。87年4月に完成しました。2階造りになっている像には82人の姿が盛り込まれていました。
 上の段に腰を掛けて頭を抱えている姿があります。このモデルになった人がいます。
 戦時中徴兵にとられて読谷を離れていましたが無事に戻ってきます。しかし残っていた妻子4人はチビチリガマでて 「自決」 していました。
 その方は、いつもは気丈夫なのですが集落の催し物などで酒が入ると暴れ出し、みんなから嫌われ、早く帰ることを促されます。あるとき、集落のひとが後をつけていくとチビチリガマに降り、 「なんで自決なんかしたんだ」 と泣きながら語りかけていました。
 遺族は口を閉ざしていましたが、このことを機会にチビチリガマと集団自決が明らかになりました。
 青年団を中心に村で戦時中におきた出来事の掘り起こしが始まります。戦後38年後のことでした。

 沖縄は戦後米軍の支配になります。「復帰」 闘争が続けられますが、72年の 「復帰」 は期待したものにはなりませんでした。そのような中で、人びとはもう一度現実を見つめ直し、米軍基地撤去の闘いと合わせて沖縄戦の捉えかえしを始めます。各地で戦跡の発掘や証言の収録が開始されます。
 チビチリガマと集団自決問題の掘り起こしが始まったのもこのころです。

 像が87年11月に壊されました。壊したのは地元の右翼でした。右翼は戦争の犠牲者を追悼しているものには手をかけることはしません。この右翼は本土の右翼から叱られ解散させられました。ですから今回も、右翼が壊したということは想定できません。
 壊された像は、しばらくはシートで覆われていました。しかし壊されたのも事実といういうことでシートははがされました。3回目に訪れた時見ました。無残としかいい表せません。82人については姿が消えたり、金網や針金の祖型があらわになったものもありました。
 95年、新しい像が設置されました。それが今回壊されました。

 頭を少し屈めながらチビチリガマに入るとすぐに、ベニヤ板に書かれた金城実さんの詩が立てかけてあります。

   チビチリガマの歌
  1、戦世ぬ哀り 物語てたぼり
    イクサユヌアワリ ムヌガタテタボリ
    童御孫世に 語てたぼり
    ワラビンマガユニ カタリテタボリ
  2、波平チビチリや 私達沖縄世ぬ
    ハンザチビチリヤ ワンタウチナユヌ
    心肝痛ち 泣くさ沖縄
    ククルチムヤマム ナチュサウチナ
  3、泣くなチビチリよ 平和世願て
    ナチヌサチビチリヨ ミクルユニガテ
    物知らし所 チビチリよ
    ムヌシラシドコロ チビチリヨ

 今回、荒らした者たちはこれを見ながら奥に入っていきました。
 「戦世ぬ哀り・・・」 とはどういうことかと思いは巡らなかったのでしょうか。

 チビチリガマは大きくありません。
 今は自由に中にはいれませんが、かつてはできました。少し行くと屈まないと奥には進めません。端の方に当時の遺品が集められています。ビン、茶碗、包丁、入れ歯、メガネ・・・。茶色になった骨もあります。地面の土は湿っぽいというよりは油っぽいです。
 鎌を手に取ってみました。この鎌で避難していた住民は家族を殺しました。
 案内してくれた人が語ります。
「集団自決といわれますが1歳や2歳の子供が自分の意思で死ぬことができますか。殺されたのです」

 米軍は住民に出てくることを呼びかけます。しかし聞き入れません。
 竹槍をもって突っ込んでいった2人が銃で虐殺されます。
 家族はなぜ手をかけたのでしょうか。愛するゆえです。
 愛する者が米兵によって辱めを受けないために、虐待されないためにそうしたのです。
 そして教育がありました。「生きて虜囚の辱を受けず」 の戦陣訓がたたき込まれていました。
 看護師がいました。彼女は毒薬注射をそこにいた人たちにうちに打ち始めます。
 石油ランプに火を放って身体の近くで倒したり、近くにある布団などに延焼させます。煙に巻かれて窒息した者もいました。

 中国に派遣されていた従軍看護師がいました、南方から帰って来た兵士がいました。その人たちが自分の体験を話します。日本軍も現地住民にひどいことをした、ましてや米軍は何をするかわからない、死ぬ方が楽だ、と。
 死にきれない人たちがいました。傷つけた身体でガマを出ていきました。

 1995年6月、沖縄・摩文仁の丘に 「平和の礎」 が除幕されました。「平和の礎」 には沖縄戦で亡くなった1人ひとりの名前が刻まれています。
 名前を刻むに際して市町村でもう一度亡くなった方がたの確認をしました。そうしたらチビチリガマでもう1人亡くなっていたことがわかりました。
 今、谷間に建てられている碑には83名と刻まれ、裏側に21世帯、85人の名前が刻まれています。


 毎年4月1日、チビチリガマで遺族会主催の慰霊祭が行われています。
 今年の4月2日の沖縄タイムスの記事です。見出しは 「『うその教育で…』 沖縄戦 『集団自決』 遺族が語る危機感 読谷・チビチリガマで慰霊祭」。
「母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長 (62) は 『生き残った人は 「あの時、本当のことが分かっていれば」 「 うその教育を押しつけられなければ」 と口々に叫んでいた』 と指摘。『もう一度しっかり足元を見つめ、二度とチビチリガマの悲劇を起こさせてはいけない』 と語った。」
 もう1本の見出しは 「『痛い痛い』 暗闇に響く声、毒の注射器に行列… 8才の少女が目撃したチビチリガマの 『集団自決』」。
「『ここは毒が入った注射を打つための列』 『あそこでは、お母さんに背中を包丁で刺された子どもが痛い痛いと泣いていた』 -。8歳の時にチビチリガマで 『集団自決 (強制集団死)』 を目の当たりにした上原豊子さん (80)。当時のガマの中の状況を語ってくれた。
 避難していた家族は艦砲射撃で負傷した祖父と母、4人きょうだいの計6人。うち祖父が亡くなった。
 4月2日の朝。上半身裸の米兵が投降の呼び掛けに現れた。水も食料もあると言う。だが、周囲からは 『だまされるな』 との声が上がった。その後、次々と自ら命を絶つ惨状が始まった。『痛いよ』 とうめく子どもの声が今も耳にこびり付く。
 子どもに布団をかぶせて火をつける母親、毒が入った注射器を看護師に打ってもらおうと列をつくる住民…。煙が充満する中で、上原さんの母は子ども4人を引き連れて出口に向かった。『真っ暗な中から家族が出たら、光が素晴らしく感じた』 と振り返る。
 ガマの中に設けられた祭壇に、丁寧に手を合わせた上原さん。『天国にいる魂が慰められるよう、平和な世の中になるよう願いました』 と話した。」

 遺族らの願いはかないませんでした。ガマは荒らされました。死者は3度殺されました。


  泣くなチビチリよ 平和世願て
  ナチヌサチビチリヨ ミクルユニガテ

 それでもチビチリガマは語りつづけます。語りつづけなければならないのです。
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米軍は米兵を殺し、傷つけている
2017/09/12(Tue)
 9月12日 (火)

 9月11日で、東日本大震災から6年半を迎えました。
 被災地の復興は道半ばです。

 そして、9月11日は、2001年の米国同時多発テロから16年目です。
 9.11以降、米軍はアフガニスタンやイラクで対テロ戦を展開しましたが6900人以上の米兵側死者を出しています。
 2016年8月、米退役軍人省は、元兵士たちの自殺に関する調査結果を発表しました。2014年は一日平均で20人で、自殺率は一般市民より21%高い数字です。そのうち65%が50歳以上で、大半はベトナム戦争に従軍していました。若い時には何とか心の傷を抑え込んでいても、高齢化によって友だちを亡くしたり、仕事を失ったりすると、精神的にも肉体的にも耐えきれなくなるといいます。死に至らずとも、心に深刻な傷を負った元兵士がたくさん出ています。

 9月6日のYahooニュースはフリージャーナリストの大矢英代さんの 「『対テロ戦』 に参加の元米兵 “心の戦争” 終わらず」 を掲載しました。9.11以降、精神を破壊された元兵士たちの 「心の戦争」 を追っています。

 元海兵隊員マット・ホーさん (44) は、イラクに2004年と2006年の2回、アフガニスタンに1回、計3回派遣されました。その頃は想像もしていなかった悪夢が現実になります。最後のアフガンから帰国して8年、今も心から戦争を追い出せないでいます。
 戦場ではホーさんは何百人もの “敵” を殺しました。「考えるとおかしくなりそうだと」 といいます。
 そして今、夢にうなされ、夜中に大声をあげて飛び起きます。睡眠不足が続き、まともな日常生活も送れず、治療薬を手放せません。
「誰かが殺されるのを止められない。僕の体が動かない。ライフルを持っているのに、発射できない。引き金を引こうとしても動かないんだ。そしてもう一つ。僕が誰かを殺している。素手で殺す。時々は、僕が知っている人を、だ」
 「戦争は、精神も感情も魂も粉々に破壊する」 といいます。

 ホーさんは24歳の1998年、国の役に立つことをしたいと海兵隊士官学校に入隊、軍人としてエリートも道を歩みます。
「(士官学校では) 上官への返事が 『イエッサー (Yes,sir)』 じゃないんだ。『食堂に行け』 と命令されると、僕らは 『Kill! (殺せ!)』 と叫ぶ。『食べろ』 と命令された時も 『Kill!』、食事が終わって 『片付けろ』 にも 『Kill!』。人を殺す訓練を徹底的に受けるんだ」
 13週間の初年兵訓練を終えて尉官になり、その後、海外任地につきます。2000年から3年間、沖縄県名護市辺野古の海兵隊基地キャンプ・シュワブに所属します。そのころは 「米軍は世界一だ」 と思っていました。
「あの頃は毎日忙しく仕事して、毎日忙しく遊んでいた。それでうまくいっていた。ただ命令に従っていたんだ。物事を深く考えなかった。まだ何も失っていなかったし、まだ何も見ていなかったんだよ」

 9.11が起きます。
 ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機2機が突っ込み、超高層ビル2棟が崩壊されました。国防総省 (ペンタゴン) にも旅客機が突っ込みました。国内は急速に 「報復」 「対テロ戦争」 に包まれていきます。
 当時のブッシュ政権は国際テロ組織 「アルカイダ」 によるテロと断定し、テロ組織の温床になっているとして、イスラム組織 「タリバン」 が政権を握るアフガニスタンに侵攻します。2003年には 「大量破壊兵器を保持している」 としてイラクにも侵攻します。
 ホーさんは振り返ります。
「悪のタリバンを倒して、民主的な政治を築く。(イスラムの) 女の子たちが教育を受けられる……すばらしい、単純な筋書きだった。多くの米国市民は、9.11にイラク人が関わっている、と信じていたしね。当時の米国はとにかく、興奮していた。恐怖とリベンジと興奮だよ」

 イラク戦争が始まった2003年3月、ホーさんはペンタゴンで内勤でした。戦死した兵士たちの遺族に 「お悔やみ」 の手紙を書く仕事をしていました。オフィスのテレビが戦場を映しています。彼はその時、焦った、といいます。フセイン像が倒れる様子も見ました。
「(その場にいなかったことが) 悔しくて、失望して、イライラして。このままじゃ戦場に行けない、って。焦って。他の同僚たちも同じさ。だからすぐ、戦闘部隊の交代要員に応募したんだ」
 希望が通り、彼は2004年と2006年の2回、イラクへ行きます。「本当の戦争」 を知ったのは、2回目のイラク行きでした。所属はエンジニア部隊です。任務は道路や建物などに仕掛けられ爆弾の発見と処理でした。
「道路や建物などに仕掛けられたIED (手作り小型爆弾) や爆発物、それらの処理が僕の任務だった。何しろ、IEDに引っ掛かったら一瞬だ。大爆発。閃光、爆音、粉塵。周囲の全員に衝撃が走って、しばらくすると、やっと、誰が殺されたのかが分かるんだよ。戦友が死んでいるんだ、血を流して。ヘマをすれば仲間が死ぬ、自分も殺される」
「自分がしくじれば、友達が死ぬ、自分が死ぬかもしれないという恐怖、それ以上に怖いのは自分のせいで誰かが死ぬことだった

 イラクで米軍は各所にチェックポイントを設けました。街との出入り口にあり、車は一定の低速で走らなければなりません。敵の移動や武器輸送、不正な資金移動などを阻止するためで疑わしい車両は捜索対象になります。
「僕らは……(そこで) 何百人も何百人も殺したんだ。何百人も、何百人も、何百人も殺した。考えただけでおかしくなりそうだ……。家族と一緒に自宅に帰ろうとしていた人、友だちのところに行こうとしていた人が (米兵によって) 命を奪われたんだ。なぜ、あんなことが起きたのか? ただただ単純な理由だった。なぜなら……止まるべき地点で止まらなかったり、ゆっくり走っていなかったり、と。(彼らが攻撃してくるんじゃないかと) 米兵自身が怖くなったんだ。あるいは、単なる誤解だった。海兵隊員はアラビア語が分からない。イラク人は英語が分からない……そして戦争だ。僕らが2003年イラクに攻め込んでいた」

 2007年9月、ホーさんは2度目のイラク派兵から帰国します。変調はここから始まったといいます。海を見た時、突然、イラクで溺れ死んだ友人の映像がフラッシュバックして現れたといいます。「彼を助けられなかった。ひどい罪悪感があるんだ。それが蘇ったんだ」
 それから心の中の戦争が始まります。自分の中には悪魔がいるといいます。ふさがっていたはずの傷口が一気に開いたのかもしれません。
 殺されたイラク人、殺されるかもしれない、仲間が死ぬかもしれないという恐怖。次から次に 「死」 が出てきます。「あれから元に戻れない。人生が変わったんだ。酒、自殺願望。状況は良くならず、もう 『戦争と縁を切るしかない』 と」

 軍隊を辞めても、心の中での戦いは終わりませんでした。常に周囲を警戒し、人と目を合わすことができません。室内では 「入り口から武装した人が入ってくるのではないか」 という恐怖を感じ、脱出用の出口をいつも探します。
 アルコール中毒になり、自殺を図ったこともある。その後、専門的なセラピーを受け、投薬治療が始まりました。今も中枢神経への注射を定期的に続けています。


 ホーさんのような苦しみは、実は多くの元兵士たちに共通しています。
 今年8月中旬、元兵士たちでつくる 「ベテランズ・フォー・ピース (VFP)」 (平和のための元軍人の会) の年次総会がシカゴで開催されました。団体は1985年に設立され30年以上の歴史を持ちます。今年は国内外の120支部からメンバーが集まり、過去の経験に苦しむ男性も参加していました。
 シカゴ出身で、9.11をきっかけに入隊したという元陸軍兵、ローリー・ファニングさん (40) は 「僕は次の911を止めたくて入隊したのに、実際には戦場で一般人を犠牲にしてしまった。その結果、次のテロリストを生み出したんだ」 と訴えました。
 元米海軍士官のファビアン・ビオチレッテさん (36) は 「全ての元兵士たちはPTSD (心的外傷後ストレス障害) を抱えている。簡単には治らない」 と語ります。2003年から第7艦隊の横須賀海軍基地に所属し、2004年にイラク戦争に参戦。しかしこの戦争に正義はない、ビジネスのための戦争だと感じ、自ら除隊したといいます。
「僕も未だに軍艦の夢を見る。再入隊させられる夢も見ます。時に強烈なものもある。自分だけじゃない。みんな、幻覚や妄想に苦しんでいるんだ。いつも周りを警戒してきょろきょろしたり、危険なものはないかを確かめたり。リラックスなんか、できません。いつも緊張状態にある。あの戦争を経験した元兵士たちは、背後が怖い。だから椅子に座るときには、壁に背中をくっつける。そうしないと安心できないんです」

 VFPのPTSD専門チーム、サム・コールマン主任によると、これら戦争のトラウマ体験に基づくPTSDに加えて、元兵士たちは 「モラル・インジャリー (良心の傷)」 に苦しんでいるといいます。
「間違いを犯したという罪悪感。人間は、互いに信頼し合い、互いに守り合う社会的な動物です。共感、同情、協力という能力があります。戦場にはそれがないから本能で苦しむ。また、『この家に敵がいる、襲撃しろ』 と命令されたのに、実際には一般家庭だったとか、そういう状態が続くと、絶望感が生まれます」

 ビオチレッテさんは社会の無関心も元兵士を追い込んでいくといいます。
「軍隊を辞めて、リアル・ワールドに帰ってきたら、もう誰も戦争になど関心を持っていませんでした。多くの税金は軍事に使われるのに、誰も気にしていない。だから、多くの元兵士が胸に秘めているのは、怒り。怒りだと思います」


 米当局によると、9.11の実行犯の大半はサウジアラビア出身者で、アフガンとは無関係でした。イラク戦争の開戦理由だった 「大量破壊兵器」 は見つかりませんでした。後になって知ったそれらの事実に、ホーさんは苦しんできまし。いったい、何のためにイラクの市民、米軍の仲間は殺されたのか。何のための戦争だったのか。
 2007年PTSDを発症し、アルコール中毒になり、自殺未遂をします。
 2016年2月、彼はトラウマ性の脳障害と診断され現在も投薬治療を続けています。
「正義の戦争は全て嘘だった。僕は豊かな道徳心があると思っていたし、自分でいい人間だとも思っていた。けれど、僕は間違ったことをしたんだ。道徳的な人間になろうとしても、いい人間になろうとしても、もうなれないんだ」
「死んでから何日も放置されている子どもも見たよ。海兵隊員が撃たれるのも見た。うめき声、白目……。ある時、イラクの街中を歩いていると、女性が僕を見ているんだ。その目に映っていたのは……憎しみだ。あんな憎しみの顔、僕は見たことがなかった。心から僕を憎んでいた。たぶん、僕らが彼女の子どもを殺したんだと思う。それが戦争なんだ。でも、それを支え続けることは間違っている」

 テロとの闘いの開戦から16年、戦争の終わりはまだ見えていません。
 アーリントンの国立墓地には40万人の兵士が眠っているといわれますが、緑の墓地の用地がまだまだ広く広がっています。米国はさらに自国の兵士を殺し続けるつもりなのでしょうか。


 平和のための元軍人の会は2015年12月に沖縄を訪れました。辺野古を訪れ、新基地に反対する座り込みにも参加しました。現役米軍兵士たちに向けてプラカードを掲げました。
君たち米軍はぼくの民主主義を殺している (Your Military is Killing My Democracy)


 1965年に沖縄からベトナム戦争に出兵し、PTSDにり患して帰国したアレン・ネルソンは、その後反戦運動を続けます。(2014年1月7日の 「活動報告」)
 日本にもなんどもきて平和活動への参加、講演を行っています。
 1998年2月、大分・日出生台での海兵隊の実弾演習に対して、早朝、地元のメンバーとゲート前で抗議行動をおこないました。その時、ハンドマイクを握り、自衛隊演習場内にいる若い海兵隊員に向かって、アレンさんは、静かに呼びかけました。
あなた方は人を殺してはならない。そして、あなた方も死んではならない。武器を置いて家族のいる祖国へ帰ろう」。

   「軍隊の惨事ストレス」
   「活動報告」 2016.7.5
   「活動報告」 2015.10.9
   「活動報告」 2015.7.3
   「活動報告」 2014.1.7
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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過労死防止対策  課題ははっきりしている
2017/09/05(Tue)
 9月5日 (火)

 過労死問題は長時間労働や医学的知見からだけでは説明できません。長時間労働はその原因やその中で発生す精神状態の分析も必要です。
 8月10日、厚生労働省は2016年度 「過労死等に関する実態把握のための労働・社会面の調査研究事業報告書」 を公表しました。

 調査の目的は、「過労死等の実態を把握するためには、『過労死等の防止のための対策に関する大綱』 にも記載されているとおり、医学面の調査研究だけではなく、長時間労働の実態、企業の取組等、労働・社会面の調査研究も必要である。とりわけ、過重労働が多く発生し、重点的な調査を行う必要のある職種、業種等を検討し、さらに詳細な調査、分析を行うことが必要である」 ことを踏まえ、「過労死等の実態を労働・社会的側面から明らかにすることを目的として」 います。

 報告書の 「第2章 既存の統計資料等の整理」 の集計対象データは 「平成27年度調査における労働者調査において、『正社員 (フルタイム)』 であり、かつ 『通常の 勤務時間制度』 で働いていると回答のあった者のうち、『最終学歴』、『平均的な1週間当たりの残業時間』、『残業が最長の週の残業時間』、『労働時間の把握方法』、『残業を行う場合の手続き』 についてそれぞれ有効回答 (回答が 『その他』 を除く。) があり、かつ、『労働時間の把握方法』 が 『特に把握されていない』 と回答した者を除いた7.242件」 についてです。

 平均的な1週間当たりの残業時間に影響を及ぼす要因についてです。
 「労働者の特性が及ぼす影響」としては、「残業時間が長くなる要因として、男性であること、年齢が低いこと、主たる家計の維持 (支持) 者であることが挙げられた。また、最終学歴においては、『中学校卒・高校卒』 の場合に比べて、『短期大学・高等専門学校卒』 の場合に残業時間が短くなる傾向が見られた」といいます。

 労働環境が及ぼす影響としては、「『職階』 では、『一般社員』 に比べて何らかの役職者の方が、残業時間が長くなる傾向が見られた。
 『従事している仕事の種類』 では、『事務職』 に比べて 『管理職』、『専門職・技術職』、『生産工程職』、『輸送・機械運転職』、『建設・採掘職』 において残業時間が長くなる傾向が見られた。特に 『輸送・機械運転職』 では、『事務職』に 比べて1週間当たり約1.8時間長くなる傾向が見られた。
 『従業員規模別』 では、『10人未満』 に比べて 『30人以上50人未満』 以上の企業において、残業時間が長い傾向が見られた」 といいます。

 企業の管理・対応等が及ぼす影響においては、「『残業手当の支給の有無』 では、残業手当が『支給されていない』 (サービス残業の者等含む) 者に比べて、『全額支給されている』 者の方が残業時間は短くなる傾向が見られた。
 『把握されている労働時間の正確性』 では、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』、『概ね正確に把握されている』、『あまり正確に把握されていない』 場合の方が残業時間は短くなる傾向が見られた。特に 『正確に把握されている』 場合では1週間当たり6時間近い残業時間の短縮が見られた。 『残業を行う場合の手続き』 では、『本人の意思や所属長の指示に関わらず残業が恒常的にある』 場合に比べて、『事前に本人が申請し、所属長が承認する』 場合や 『所属長が指示した場合のみ残業を認める』 場合において、残業時間は短くなる傾向が見られた」といいます。

 企業の経営環境が及ぼす影響については、「企業の経営環境 (ただし、労働者による評価に基づくもの) が 『平均的な1週間当たりの残業時間』 に及ぼす影響についてみると、『この会社の経営はうまくいっている』と感じている方が、残業時間は短くなる傾向が見られた」 といいます。


 年次有給休暇の取得日数に影響を及ぼす要因についてです。
 労働者の特性が及ぼす影響については、「男性であること、年齢が低いこと、配偶者がいないこと、『こころの耳』 を知らない場合において、取得日数が短くなる傾向が見られた」 といいます。

 労働環境が及ぼす影響については、「『従業員規模別』 では、『10人未満』 に比べて従業員規模が大きい方が、取得日数が多くなる傾向が見られた(ただし、『500人以上1000人未満』 の規模は有意な違いは見られなかった)。
 『労働組合の有無』 別では、『労働組合がない、もしくは分からない場合』 に比べて、加入・未加入に関わらず、『労働組合がある』 場合において取得日数が多くなる傾向が見られた。
 また、『年次有給休暇の年間新規付与日数』 が多いほど取得日数が多くなる傾向が見られた。『平均的な1週間当たりの残業時間』 では、『0時間』 に比べて 『5時間以上』 の場合に、取得日数は少なくなる傾向が見られた。平均的な1週間当たりの残業時間が長くなるほど取得日数が短くなり、休みがとりづらい状況が伺えた。特に平均的な1週間当たりの残業時間が 『20時間以上』 の場合には 『0時間』 に比べて約3日、取得日数が少なくなることが分かった」といいます。

 企業の管理・対応等が及ぼす影響については、「『残業手当の支給の有無』 では、残業手当が 『支給されていない』 者 (サービス残業の者等含む) に比べて、『全額支給されている』 者の方が取得日数は多くなる傾向が見られた。
 『把握されている労働時間の正確性』 では、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』、『概ね正確に把握されている』 場合の方が取得日数が多くなる傾向が見られた」 といいます。

 企業の経営環境が及ぼす影響については、「企業の経営環境 (ただし、労働者による評価に基づくもの) が 『年次有給休暇の取得日数』 に及ぼす影響についてみると、有意な関連性はみられなかった」 といいます。


 メンタルヘルスの状況に影響を及ぼす要因についてです。
 調査には 「GHQ精神健康調査票」 を使用しています。主として神経症者の症状把握、評価および発見に有効なスクリーニング調査であり、「日本版GHQ12」 は12問からなる調査で、各問の回答に応じて0点または1点を付与し、0~12点の合計得点を算出します。スコアが高いほど精神的には不健康 (メンタルヘルスの状態が悪化している) といえます。

 労働者の特性が及ぼす影響については、「『年齢が高い』、『配偶者がいる』、『勤務日1日の睡眠時間が長い』 場合において、GHQ-12のスコアが低くなる、即ち、メンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた。また、 最終学歴においては、『中学校卒・高校卒』 の場合に比べて、『大学卒・大学院修了』 の場合にメンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた。
 一方、『介護をしている』、『業務以外にストレスや悩みを感じた経験がある』 場合において、GHQ-12のスコアが高くなる、即ち、メンタルヘルスの状態が悪化する傾向が見られた」といいます。

 労働環境が及ぼす影響については、「『平均的な1週間当たりの残業時間』 では、『0時間』 の場合に比べて 『10時間以上』 の場合に、メンタルヘルスの状態が悪化する傾向が見られた。また、『残業が最長の週の残業時間』 では、『0時間』 の場合に比べて 『30時間以上』 の場合に、メンタルヘルスの状態が悪化する傾向が見られた。
 『ハラスメントの有無』 別では、『ハラスメントはない』 場合に比べて、『ハラスメントを受けている』 または 『自分以外がハラスメントを受けている』 場合において、メンタルヘルスの状態が悪化する傾向が見られた。
 『職場環境に対する評価』 に関しては、『自分に与えられた仕事について、裁量を持って進めることができる』場合や 『今の職場やこの仕事にやりがいや誇りを感じている』 場合及び 『全体として、仕事の量と質は適当だと思う』 場合は、そうでない場合に比べてメンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた」 といいます。

 企業の管理・対応等が及ぼす影響については、「『残業手当の支給の有無』 では、残業手当が 『支給されていない』 者 (サービス残業の者等含む。) に比べて、『全額支給されている』 者の方が、メンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた。
 『把握されている労働時間の正確性』 では、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』、『概ね正確に把握されている』、『あまり正確 に把握されていない』 場合の方が、メンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた
 『残業を行う場合の手続き』 では、『本人の意思や所属長の指示に関わらず残業が恒常的にある』 場合に比べて、『事前に本人が申請し、所属長が承認する』 方が、メンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた」とあります。


 まとめにあたる 「留意事項」 です。
「労働者の特性や労働環境、企業の管理・対応等のいずれも、『平均的な1週間当たりの残業時間』、『年次有給休暇の取得日数 (2014年度)』、『メンタルヘルスの状況』 (GHQ-12) と有意に関連している可能性が示唆されるとともに、『平均的な1週間当たりの残業時間』 に関しては、企業の経営環境とも関連している可能性が示唆された。また、労働環境としての 『週間当たりの残業時間』 は 『年次有給休暇の取得日数 (2014年度)』 や 『メンタルヘルスの状況』 (GHQ-12) と有意に関連しており、残業時間が長いほど年次有給休暇が取りづらく、また、メンタルヘルスの状態が悪化する可能性があると考えられた。
 さらに、労働者の特性や労働者が置かれている労働環境は様々であるが、そうした要因を考慮してもなお、企業の管理・対応等は、残業時間や年次有給休暇の取得日数だけでなく、メンタル ヘルスの状態にも関連している可能性が示唆された。特に、『把握されている労働時間の正確性』 に関しては、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』 方が、1週間当たりの残業時間が約6時間短縮される傾向があるほか、年次有給休暇の取得日数の増加、メンタルヘルスの状態が良くなる影響も示唆された。加えて…… 『1週間当たりの残業時間』 に対しては、『把握されている労働時間の正確性』 に関して 『正確に把握されている』 場合や、『残業を行う場合の手続き』 に関して 『事前に本人が申請し、所属長が承認する』 場合や 『所属長が指示した場合のみ残業を認める』 場合において、他の要因よりも長時間労働の抑制に特に強く関連性を有していることが伺えた。 これらの結果を踏まえると、労働者の心身の健康の確保、過労死等の防止に向けては、労働時間を正確に把握することや残業する場合の手続きを適正に行うことが、非常に重要な取組基盤となることが改めて確認された」 といいます。


 この調査結果から、今、働きかた改革において法案化がおこなわれようとしている 「残業代ゼロ法案」 ・ 「高度プロフェッショナル制度」 (高プロ) をみたらどうなるでしょうか。
「『残業を行う場合の手続き』 では、『本人の意思や所属長の指示に関わらず残業が恒常的にある』 場合に比べて、『事前に本人が申請し、所属長が承認する』 場合や 『所属長が指示した場合のみ残業を認める』 場合において、残業時間は短くなる傾向が見られた」
「『把握されている労働時間の正確性』 では、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』、『概ね正確に把握されている』、『あまり正確に把握されていない』 場合の方が残業時間は短くなる傾向が見られた。」
「『把握されている労働時間の正確性』 では、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』、『概ね正確に把握されている』、『あまり正確 に把握されていない』 場合の方が、メンタルヘルスの状態が良好になる傾向が見られた。」
 「高度プロフェッショナル制度」 はこのような実態に逆行しています。これだけでメンタル状況は不調になります。


 これらの調査結果のほとんどは日々の労働相談のなかで実感していることです。しかし行政は “素人” の意見・要求は聞き入れません。
 日本における行政の調査は、取り組みの糸口を探るのではなく、データを作成して公表することで落着してしまいます。糸口を探ろうとするなら沢山の課題が見えています。
 調査結果を公表してそれ以降は企業の良心に任せるのではなく、議論をまき起こし、行政は指導、規制、法制化へと進めていかなければなりません。
 そうでないとせっかくの過労死対策も絵に描いた餅になってしまいます。

   「活動報告」 2017.7.7
   「活動報告」 2017.6.9
   「活動報告」 2017.1.31
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オリンピックは誰のため
2017/09/01(Fri)
 9月1日 (金)

 今年の夏は異常気候が続き、東京は雨続きでしたが晴れた時はかなり暑かったです。秋が例年より早いです
 この時期に2020年は東京オリンピックが開催されます。炎天下や異常気象が想定されるなかでの競技は選手の虐待です。誰が設定したのでしょうか。そして国立競技場の建設現場では、労働者が長時間労働の犠牲者になっています。
 まだ間に合うので東京オリンピックはこれ以上犠牲者を出さないためにも中止したほうがいいいう思いに駆られます。その勇気が必要です。

 この時期を選んだ事情は、放映権と放映時間等からきています。つまりは主催者の営業上の設定です。開催地の誘致においては主催者にかなりの裏金が動いたこと明らかになっています。運営については電通等がうごめいています。競技場建設では暴露されたように利権がうごめいています。オリンピックはどす黒い祭典です。そして政治的です。
 パラリンピックが取り上げられるようになりました。しかし昨年のリオデジャネイロ開催の時、オリンピックは深夜もテレビ中継がされましたがパラリンピックの中継はまったくありませんでした。スポンサーがつきませんでした。それでも不満の声は上がりませんでした。 
 そもそも障碍者が競技に参加することに意義はあっても、勝たせることにどんな意味があるのでしょうか。競技に参加しても勝つことを目指すことに苦痛を感じる障碍者も大勢います。パラリンピックは健常者の大会運営委員が引き回しているのではないでしょうか。

 オリンピックは政治的祭典です。それは、モスクワオリンピック等の記憶が残っている人たちは実感したことです。
 昨年のリオデジャネイロのオリンピックは開会式が8月6日でした。当初、演出を手掛けた映画監督のフェルナンド・メイレレスは広島に原爆が投下された8時15分に合わせて1分間の黙祷を提案ました。しかし、開会式にはいかなる国の扱いにも差があってはいけないというルールがあるのと、政治的行動にあたるとの判断から、IOC側から反対されたといいます。
 原爆投下は一国の問題なのでしょうか。原爆被害者への黙とうは政治的なのでしょうか。
 昨年5月27日のオバマ米国大統領の広島訪問を思い出します。
 オバマ大統領は、「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」 の慰霊碑に献花し、近くにいた被爆者の方たちに近づいて握手を交わしました。しかし記念撮影の段階になると慰霊碑から離れて、バックに原爆ドームが写る場所に異動して応じたといわれます。原爆ドームはアメリカ大統領にとっては軍の戦果です。あえてそのように演出したのです。「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」 は消えてしまいました。
 これらの流れとつなげて今年7月の国連での核兵器禁止条約採択に核保有国と日本が不参加だったことを捉えることはうがった見方でしょうか。
 政治的というのなら、ウサイン・ボルトはいつも左腕に 「グローバルな貧困根絶キャンペーン」 のホワイトバンドをはめています。これは政治的といえないのでしょうか。


 12年8月31日の 「活動報告」 の再録です。
 7月29日、オリンピックが開催されているロンドンで、元サッカー選手の中田英寿や元陸上選手の為末大らが実行委員となって、世界の人たちに東日本大震災の支援に感謝の気持ちを伝えるイベント 「ARIGATO in London」 が開催されました。日本の文化を紹介するコーナーも設けられました。そして 「ありがとう」 の文字が83か国の言葉で次々と現れる映像も流されました。
 テレビ、新聞などが連日、これでもかこれでもかとナショナリズムを煽り続ける陰での目立たないイベントでした。
 中田選手、為末選手、本当に 「ARIGATO」 「ありがとう」 ございます。

 このイベントに日本の関係者は何人が顔を出したのでしょうか。
 中田選手、為末選手は日本のスポーツ界では異端児です。本来のオリンピックはこのような精神を掲げていました。選手たちが政治的中立などのポーズをとって 「国民」 の期待に応えようとすること自体が政治的です。
 いっそのこと変なポーズを取らないでオリンピックは終了してもいいのではないでしょうか。開催に立候補する都市もなくなりつつあります。


 異端児の為末選手のブログや発言はいつも面白いです。東京オリンピック開催に反対はしていません。
 現代ビジネス (講談社) の16年1月22日のインタビュー記事 「東京五輪っていったい何のためにやるんですか?」 からの抜粋です。

 2015年は東京五輪に関してエンブレムや新国立競技場が話題となりましたが、新国立競技場の第三者委員会の経験を振り返ると、実際に会った人はみんな一生懸命にやっている印象を持っています。
 しかし、そこには 「何に向かってやるのか」 ということがありませんでした。報告書にも書かれていますが、たとえば 「上限がいくらなのか」 については全員に共有されていませんでした。みんながバラバラの数字を頭に浮かべ、お互いに慮り合い、ふわっとした空気ができあがっていました。
 だから、いまはオリンピック・パラリンピック全体が不安定というか大丈夫なのかどうかと思ってしまうんです。ぼくは、五輪開催の明確な目的が決まっていないんじゃないかと考えています。
 もちろん、「全員が自己ベスト」 「多様性と調和」 「未来への継承」 といったコンセプトは公開されていますが、具体的なアプローチは見えてきません。どうしてもすべての課題をただ盛り込んでいるだけのように感じます。

 五輪について、ぼくはパラリンピックに注力することを決めているので、選手の強化や義足の製作などを通じて応援・貢献していきたいです。パラリンピックを開催することで、高齢化社会に向けた解決の糸口が見えたらいいなと思っています。
 わかりやすいところでいえば、パラリンピアンたちが街を点検して、都市計画に反映する。そうすれば、高齢化社会でもバリアフリーになり、みんなが自由に移動できる社会ができると思っています。

 東京五輪でも、渋谷区の 「同性パートナーシップ証明書」 交付の話でも、「ダイバーシティ」 という言葉をよく聞くようになりました。
 ダイバーシティは端的に 「マイノリティを支援しよう」 ということかもしれませんが、本質論でいえば 「マイノリティのエネルギーをうまく使おう」 ということだと思います。マイノリティが困る社会ではなく、マイノリティが価値を生み出せる社会です。
 好きな話に、全盲の選手と車いすの選手が一緒に移動する、というものがあります――。
 どうやるかというと、車いすの選手が方向を指示して、全盲の選手が車いすを押すんです。とてもシンプルですが、現状の障害者の支援というと、全盲と車いすの方のどちらにも支援するとなりがちです。でも、本来は双方のもつ価値や役割を提供し合うことが大事だと思います。

 これからの少子高齢化社会、労働人口は減り、障害者や認知症をもつ人は増えるでしょう。人の障害はますます多様になり、年の取り方も多様になるため、それぞれがまんべんなく、もっているものを分配することがカギになります。そのことが、ダイバーシティの本質だと思うんです。
 現代社会では人の役割が決まりすぎている気がするので、高齢者でも働いたり、賢い人がどんどん意思決定に関わったり、障害者同士が価値を提供し合ったり……。それらの資産が東京五輪後に見えてくるといいなと思います。

 先ほどパラリンピックに注力するといいましたが、いくつも課題はあります。たとえば、盛り上がりの違い。これを解消するには、遠慮なくいえば、おもしろくするほかありません。「パラリンピックを応援しましょう」 と言っているのは、野球でいえば 「好きな球団を応援しましょう」 と言っているようなものです。
 でも、よく考えてみると、ふつうは 「応援しましょう」 と言われて応援しているのではなくて、「応援したくてしている」 だけです。パラリンピックは社会的にすばらしいかどうかを喧伝するのではなく、おもしろくすることが先決だと考えています。
 おもしろいものを見たいのは、人間の欲求の本質だと思います。東京五輪を真面目かつ正しい路線で攻めてしまうと、その正しさは2020年で終わってしまうのではないかとやや不安です。

 スポーツ界だけを見ていれば、東京五輪の成功がゴールなのかもしれないですが、社会のほうを向くと五輪後の社会――これまで隠れていた問題の表面化とそれに対するアプローチ――を真剣に考えなければいけません。
 今年の春にはXiborgの新義足が完成予定です。実際の競技にも利用できるので、2016年リオ五輪に出場するような選手を輩出できればと思います。
 ただ、障害者スポーツの世界では、障害の種類が多いことから、競技数も多く、コーチが圧倒的に不足しているんです。善意での活動や専門ではない場合も多いので、各コーチがさまざまな情報にアクセスでき、レベルアップできるシステムが必要でしょう。
 ぼくはそもそも競技数を減らしたほうがいいと思っています。健常者よりも選手数が少ないのに、種目数が多いために多数の選手が出場できてしまう状況です。これでは競争があまりないので、スポーツとして健全ではないと考えています。2020年まであと5年、多くの人にパラリンピックはおもしろいと思ってもらえるように、さまざまなところでかかわっていきたいです。

 これからの少子高齢化の時代、いうまでもなくヘルスケアが重要になります。だからこそ、社会全体で健康になれるように、週に1回だけ一駅歩いてみるとか自転車で走りやすい道をつくるとか、そういう部分を促進できるような活動・事業をおこなっていきたいです。
 いまや健康や運動に関する有益な情報はたくさんありますが、みんなが唯一できていないのは実行・継続することです。
 だからこそ、日本陸上競技連盟や全国の陸上競技協会などスポーツに関する組織・団体はチャンピオンを生み出すよりも、健康と余暇の領域でバリューを発揮すべきだと思います。
 特に30~80歳くらいの人たちが、スポーツをはじめやすい環境をつくることが大事です。なぜなら、日本の課題はどう考えても、メダルの獲得よりも、医療費の抑制だからです。そこに対して、責任を取る協会が出てくると未来が少し明るくなると思います。

 東京五輪の招致に成功したからよかったけれど、仮に来なかったとしたら何をしなければいけなかったのか――。そのことを考えるべきです。2020年に祭典があっても、たった一瞬の気分が変わるだけで、本質的な解決は果たせないでしょう。五輪が来なかったときの気分や時代を想像しつつ、特に興味のある高齢化にアプローチしていけたらと思います。


 為末選手の提言は政治的です。このように政治的なオリンピック・パラリンピックなら国別は無視して少しは応援しようとかおもうのですが・・・。

   「活動報告」 2017.1.28
   「活動報告」 2014.2.21
   「活動報告」 2012.8.31
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小池知事の表明はサイレンスのヘイトスピーチ
2017/08/29(Tue)
 8月29日 (火)

 毎年10月下旬から11月上旬に秩父困民党蜂起の足跡を追う旅・ツアーに車で出かけます。
 東京から秩父に向かうには関越高速道路に乗りますが、このルートは旧中山道・JR高崎線に沿っています。1923年9月1日に発生した関東大震災の時に朝鮮人が避難したルートでもあります。
 関東大震災の時、流言飛語が飛び交い、たくさんの朝鮮人が虐殺されました。中国人、沖縄人も殺されました。虐殺は横浜から始まり、東京、千葉、埼玉へと広がっていきます。同時に住民のなかに自警団が結成されます。東京で大杉栄は自警団に加わっていましたがのちに警察に殺されます。

 中山道にそった関東大震災の時の朝鮮人虐殺の状況です。
 流言のなかで、埼玉県警は県南に住んでいたり、荒川の河川工事に従事していた朝鮮人、東京から県南方向に避難してくる朝鮮人をまとめて群馬方面に護送することにします。最初は警察や自警団が付き添って徒歩や自動車で中山道を下ったりしました。しかし県北まできた時に自警団の一部と群集が朝鮮虐殺に走ります。9月4日、県内3か所で虐殺事件が起きます。熊谷約60人、神保原42人、本庄88人です。
 寄居でも1人虐殺されます。朝鮮アメを売り歩いていた具学永 (クハクヨン) は寄居警察署に保護されましたが群衆に襲われ虐殺されます。虐殺の時、具学永は血で 「無罪 日本 責任」 と書きました。お墓は寄居駅近くの正樹院に建っています。戒名は 「感天愁雨信士」。毎年9月1日が近づくと寄居署の警察官は保護できなかった責任を感じてお参りに訪れるといいます。いつもきれいに掃除されています。何度か訪れ、持参したお線香を焚きました。

 児玉でも1人虐殺されました。浄眼寺 (本庄市児玉町八幡山375) の無縁仏のなかに 「鮮覚悟道信士」 があります。後に 「児玉警察署員一同」 で供養塔が建てられました。持参したお線香を焚きました。
 現在の本庄市歴史民俗博物館 (本庄市中央1丁目2-3) は旧本庄警察署です。署員は避難してきた朝鮮人を保護していました。群衆が押し寄せたので玄関に阻止戦を張って守ろうとしましたが多勢に無勢でかないませんでした。日本刀、竹槍、木刀、棍棒、丸太等で朝鮮人88人が虐殺されました。遺骨は共同墓地・長峰墓地 (本庄市東台5丁目) に埋葬されました。翌年に日本人によって 『鮮人之碑』 の慰霊碑が建てられましたがのちに 『関東震災朝鮮人犠牲者慰霊碑』 に建て替えられました。碑には88人の名前が刻まれています。博物館を訪れ、当時の様子を想像しました。
 熊谷では避難を続けていた60人が路上で虐殺されます。この時から埼玉での虐殺が始まります。大原共同墓地には供養塔が建っています。
 妻沼町では、足尾銅山で働いていた秋田県生まれの青年労働者が、東京に出て仕事をしようとたまたま山を下りてきて、利根川を渡って妻沼町に入ったところ、利根川の橋を警備していた自警団によって東北訛りの発音から朝鮮人と間違えられ、虐殺されました。


 神奈川警察署鶴見分署長の大川常吉は、自警団や群衆から殺害されるおそれのあった朝鮮人・中国人らを署に保護しました。1000人以上の自警団らが署を囲み朝鮮人を殺せと叫びます。大川は群衆を説得するが、群衆は朝鮮人に味方する警察を叩き潰せと騒ぎ立てはじめます。大川は群衆の前に立ちはだかり叫びます。
「鮮人に手を下すなら下してみよ、憚 (はばか) り乍ら大川常吉が引き受ける、この大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、1人だって君たちの手に渡さないぞ」
 群衆は警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのかと問います。大川は、その場合は切腹して詫びると答えると、そこまで言うならと群衆は引き下がりました。
 横浜市鶴見区潮田町3-144-2にある東漸寺に大川を顕彰する石碑が1953年に在日朝鮮統一民主戦線により建立されました。

 東京の各警察署も朝鮮人を保護し、警察官は身体を張って群衆の暴行や虐殺を止めさせようとしました。
 もし、このような警察官の行動がなかったら虐殺者数は今公表されている6000人ではなく万を超えたでしょう。
 民間人としては、弁護士の布施辰治は自宅に大勢の朝鮮人をかくまいました。


 8月24日、東京都の小池都知事は、歴代の都知事が市民団体などの主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが明らかになりました。その理由を担当する都建設局は 「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」 と説明しました。
 虐殺された人朝鮮人、中国人は関東大震災で亡くなったのではありません。デマに煽られた警察官や自警団などによって虐殺されたのです。自然災害と虐殺を一緒に捉えることはできません。虐殺された人たちへの追悼は、同じ歴史をくり返さないという自戒の誓いを込めたものです。小池都知事はそれを拒否したのです。
 行政の長としては、群衆の暴挙を防いだ警察官の活動も忘れずに顕彰をする続けることも大切です。

 今年は秋が早いです。

   幽霊の 正体みたり 枯れ尾花

 小池都知事はそもそも隠しようのないタカ派の人物です。知事に就任してからは、他者を批判はするが自分としては必要な判断をあいまいにしたまま先延ばしをします。しかし今回はさすが判断が早いです。
 あいまいさに期待を持たせてポピュリスムをふりまく幽霊の正体を露呈させたのが今回の判断でした。このような知事の進める都政は、富まない都民にとっては恐怖と枯れ尾花の廃墟しかもたらしません。

 小池知事は虐殺された人たちを自然災害の犠牲者と同じにしか見ていません。そもそも、なぜ当時多くの朝鮮人が日本にいたのかと検証することもしません。
「無視、もしくは無言の拒否というやりかたで、人は途方もなく恐ろしい差別をする。侮蔑的な発言をしたとか、侮蔑的な文章を配ったり貼ったりしたとか、そうしたわかりやすい差別行為とは別次元の、底なしの沼のような差別である。」 (高山文彦著 『生き抜け、長崎の被差別部落とキリシタン その日のために』 解放出版)
 あったことを無視することでないと言いくるめる手法です。小池知事の表明は間接的、サイレンスのヘイトスピーチです。

 
 なぜ朝鮮人の虐殺が起こったのでしょうか。虐殺者の数は6000人にのぼると言われています。
 関東大震災が発生すると1日の午後には 「不逞鮮人」 への流言飛語が飛び交い始めます。
 2日、山本内閣は戒厳令を出します。
 3日、内務省警保局長が各地方長官あて、「朝鮮人暴動に対する厳重な警戒を要する」 と指示します。各地に自警団が結成されます。

 10年の日韓併合は日本による朝鮮の植民地化です。土地調査により所有者が不明な土地は没収すると称して土地を奪い、人びとを路頭に惑わせました。その人たちが日本に渡って各地に住み着いていました。
 18年、全国で米騒動が起きます。シベリア出兵という国策が打ち出されていた時に、全国規模で群衆が国策に異議を打ち出した行動でした。
 19年3月1日、日韓併合に反対して朝鮮全土で独立運動が起きました。運動を鎮圧するために日本政府は残虐な行為を繰り返しました。当時の朝鮮総督府政務総監が水野錬太郎、朝鮮の警務総監が赤池濃、朝鮮の一九師団の師団長が石光真臣でした。
大震災の時、内務大臣が水野、警視総監が赤池、第一師団長が石光でした。
 だから震災が起きると、この機を利用して日韓併合に不満を持ち、3、1の鎮圧に抗議する朝鮮人が暴動をおこすだろうと勝手に連想したのです。政府も軍隊も自分らが行った行為が反撃を受けると恐怖に襲われていたのです。そのため異分子を先に抹殺することでしか自分らの安心を保障できないのです。
 そして民衆の政府に対する不満と不安のはけ口を朝鮮の人たちに向けさせたのです。
 20年、民心の動向を把握するため日本ではじめて国勢調査が実施されました。米騒動の後、検察は警察と一体となるべき民間組織を作り上げていきます。この頃から互助組織の社会が破壊され、縦型の組織に再編されていきます。自警団はまさにそのような組織です。


 9月6日、千葉県東葛郡福田村 (現野田市) では、香川県三富郡の被差別部落から行商に来ていた一行15人が船で利根川を渡って茨城県に行くため渡し船に乗ろうとしていて船頭と言い合いになりました。船頭が 「どうもお前たちの言葉づかいが日本人でないように思うが、朝鮮人と違うか」 と言い出しました。半鐘が鳴らされ、自警団が押し寄せると 「君が代を歌え」 「15銭50銭と言ってみろ」 と迫ったりします。このような中で9人が虐殺されます。「福田村事件」 です。
 襲った側は8人が逮捕されました。田中村では各戸から弁護費用のための金を集めます。結局は昭和天皇の即位で恩赦になります。その後、中心人物は後に村長に。
 この事件は隠され続けました。事件現場近くの円福寺・大利根霊園内に慰霊碑が建立されたのは2003年9月6日です。
 そして甘粕事件、亀戸事件と続きます。


 まだまだ隠されている事件があると思われます。追悼は忘れることなく過ちを繰り返さないという未来への誓いです。事実の発掘は未来への警鐘です。

   「活動報告」 2013.9.3
   「活動報告」 2011.9.6
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