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“焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる”
2019/08/06(Tue)
 8月6日(火)

 さまざまなことに思いがめぐらされる8月です。そして、あらためて平和について考えさせられる月です。
 4日の 「朝日歌壇」 の、馬場あき子さん選のなかの3首です。

  子供らの戦争ごっこ 何故かくも楽しさうなる 死んだふりして

  原発が 都市生活と産業を人身御供に 稼働続ける

  被害者は語り伝える 加害者は語らず伝えず 忘れてしまう


 8月6日は、アメリカが広島に原爆を投下し、一瞬ににして十数万人を殺してから74年が経つ 「原爆の日」 です。「原爆忌」 と呼ぶとだれが落としたのかが忘れられてしまうような気がします。

 74年は短くない年月です。記憶が薄れかけたり、知らない世代も増えています。しかし8月6日と9日は忘れてはいけない日です。
 そのことを歌で訴えている人たちがいます。メロディーや歌詞が部分的にでも頭の片隅にこびりついていると思い出させてくれます。歌の持つ力です。忘れさせません。そして歌い継がれていきます。


 1936年に広島市で生まれたイラストレーターの山下勇三は広島弁で 「広島の川」 の詞を書きました。それに友人のピアニスト佐藤允彦が曲をつけ、中山千夏がうたって1975年にレコードにしました。
 永六輔は生前、毎年8月になると自分のラジオ番組で流しました。

   広島の川

  広島の街ゃあね
  川だらけじゃけんねェ
  ちょっと歩いたら
  川があるんじゃァ

  一番目の川は太田川
  太い川じゃけん 庚午橋ゃァ長いんじゃァ

  二番目の川は天満川
  古い川じゃけん 溺 (おぼ) れた子も多いんじゃァ

  三番目の川は本川じゃァ
  ふたまたじゃけん 相生橋ゃァ思案橋

  四番目の川は元安川
  ピカドン川じゃけん 盆にゃ涙川

  五番目の川は京橋川
  長い川じゃけん 橋の数ァ十一本

  六番目の川は猿猴川
  けつべたァ抜かれるけん 子どもは泳がんのじゃァ

  朝の満ち潮にゃねェ
  昼の引き潮にゃねェ
  ピカドンの恨みが 流れとるんじゃ~

 大きな声で叫ばなくても、被爆者やその関係者の心情、二度と繰り返させないと誓う者たちの 「忘れてはならない」 という思いが静かに、強く伝わってきます。


 1946年生まれで、小学校の頃からときから大学まで広島で育った吉田拓郎の 「いつも見ていたヒロシマ」 です。作詞は岡本おさみ。
 吉田拓郎は、1960年代後半にストレートな歌詞でプロテストソングをうたったフォークシンガーたちの次の世代として登場しました。しかし 「いつも見ていたヒロシマ」 の歌詞とメロディーに込められている思いはプロテストソングです。そして吉田拓郎世代が共有するものです。

   いつも見ていたヒロシマ

  八月の光がオレを照らし
  コンクリートジャングル 焼けつく暑さが
  オレの心をいらつかせる
  癒せない 満たせない 慰めもない
  深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて

  オレは何処へ行こう 君は何処へ行く
  時は押し流す 幾千の悲しみを
  時は苦しめる 幾千の思い出を
  焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる

  子供らにオレ達が与えるものはあるか
  安らかに笑う家はいつまであるか
  いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ

  八月の神がオレを見つめ
  コンクリートジャングル 逆らう日々が
  オレの心を苛立たせる
  笑えない 落ち着けない 安らぎもない
  歌う敵と 歌う真実 見えない心を抱いて

  オレは何処へ行こう 君は何処へ行く
  時は忘れ去る 幾千のごまかしを
  時は汚してる 幾千のやさしさを
  焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる

  子供らにオレ達が与えるものはあるか
  安らかに笑う家はいつまであるか
  いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ

 吉田拓郎からヒロシマはいつも離れませんでした。そして焼けつきたヒロシマは、それでも多くの人に愛をささやき続けています。


 1952年に長崎で生まれたさだまさしは中学生の時上京、大学生の時。しかし身体を壊して長崎に帰り、そこで音楽活動を始めます。
 長崎に住む親族の体験を盛り込んだ、そして自分の思いを秘めた歌を作ります。広島でのコンサートでも歌われました。

   広島の空

  その日の朝が来ると 僕はまずカーテンを開き
  既に焼けつくような陽射しを 部屋に迎える
  港を行き交う船と 手前を横切る路面電車
  稲佐山の向こうの入道雲と 抜けるような青空

  In August nine 1945 この町が燃え尽きたあの日
  叔母は舞い降りる悪魔の姿をみていた
  気付いた時炎の海に独りさまよい乍ら
  やはり振り返ったら稲佐の山が見えた

  もううらんでいないと彼女は言った
  武器だけを憎んでも仕方がないと
  むしろ悪魔を産みだす自分の
  心をうらむべきだから どうか
  くり返さないで 繰り返さないで
  広島の空に向かって唄おうと
  決めたのは その時だった

  今年のその日の朝も 僕はまずカーテンを開き
  コーヒーカップ片手に 晴れた空を見上げ乍ら
  観光客に混じって 同じ傷口をみつめた
  あの日のヒロシマの蒼い蒼い空を思い出していた

  In August nine 1945 あの町が燃え尽きたその日
  彼は仲間たちと蝉を追いかけていた
  ふいに裏山の向こうが 光ったかと思うと
  すぐに生温かい風が 彼を追いかけてきた

  蝉は鳴き続けていたと彼は言った
  あんな日に蝉はまだ泣き続けていたと
  短い命 惜しむように
  惜しむように泣き続けていたと どうか
  くり返さないで くり返さないで
  広島の空に向かって唄っている
  広島の空も 晴れているだろうか

  くり返さないで くり返さないで
  広島の空に向かって唄っている
  広島の空も 晴れているだろうか

 原爆被害を受けても蝉は鳴き続けていたといいます。多くの被爆者が泣き叫びながらさまよい続けたのは人間の叫び、生へ希求です。その思いを蝉に重ねているのでしょうか。
 長崎から広島に思いを馳せます。思いを分かり合える人たちです。恨んでも憎んでも平和はこないとさとります。
 さだまさしは 「長崎の空」 も作っています。


 どれも威勢のいい曲ではありませんが、戦争を憎み、そのおもいはなにものにも屈しないという強さがあります。
 8月6日の 「朝日川柳」 です。

  原爆ドーム 言いたいことを たんと持ち

  「活動報告」 2018.10.2
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