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フォーククルセダーズと時代
2017/12/08(Fri)
 12月8日 (金)

 フォークシンガーのはしだのりひこが12月2日に亡くなりました。
 1967年、加藤和彦、きたやまおさむとグループ・フォーククルセダーズを組み、レコードを早回しさせた曲 「帰って来たヨッパライ」 をアングラソングとして発表し、テレビにも登場しました。大ヒットすると、次に発表した曲が 「イムジン河」 です。加藤和彦が、友人が歌っていたのを採譜しました。元歌は一番だけですが、フォークルが二番・三番の歌詞を書き加えました。

  イムジン河 水清く とうとうと流る
  水鳥自由に むらがり飛びかうよ
  我が祖国 南の地 思いははるか
  イムジン河 水清く とうとうと流る

  北の大地から 南の空へ
  飛び立つ鳥よ 自由の使者よ
  誰が祖国を 二つに分けてしまったの
  誰が祖国を 分けてしまったの

  イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
  河よ 思いを伝えておくれ
  ふるさとはいつまでも 忘れはしない
  イムジン河 水清く とうとうと流る

 しかしラジオで流れ、レコードが発売されるとまもなく中止になります。
 政治的圧力、自主規制等と噂されましたが、朝鮮総連から作詞・作曲者は実在するので著作権を無視して勝手に歌うなというクレームが寄せられたのが実情のようです。


 加藤和彦の友人は映画 『パッチギ』 (井筒和幸監督) の主人公です。
 映画のストーリーです。
 舞台は68年の京都。主人公は朝鮮人家族が花見をしている公園に行って 『イムジン河』 を歌います。それを近くでラジオ局のディレクターが聞いていて、生番組のオーディションに参加するよう勧めます。本番中プロヂューサーはディレクターに 「危ない歌」 だから止めるよう指示します。しかしディレクターは聞き入れず強行し 「イムジン河」 がラジオから流れます。

 西村秀樹著 『大阪で闘った朝鮮戦争 “吹田枚方事件の青春群像”』 (岩波書店刊) によれば、実はこのディレクターは、吹田・枚方事件の被告でした。
 52年6月25日、大阪・吹田で朝鮮戦争に反対する労働者・学生・朝鮮人約3.000人は 「伊丹基地粉砕・反戦・独立の夕べ」 を開催します。その後参加者は吹田操車場に向い、軍需列車運行を阻止し、さらに大阪駅に向かって御堂筋でデモ行進を予定していました。
 当時伊丹基地にはアメリカ軍が進駐し、連夜朝鮮半島に向けて爆撃機が飛んでいました。また吹田操車場からも軍事物資を載せた列車が走り、神戸港から朝鮮半島に送られていました。
 途中で警官隊と衝突、火炎瓶が投げられ、騒擾罪と威力業務妨害が適用されて250人近くが検挙され、111人が騒擾罪で起訴されます。
 裁判で、被告団長はずっと沈黙をまもってきましたが 「転向」 します。その内心は、自分1人ですべての罪をかぶり他の被告を無罪にするためでした。
 しかし裁判闘争は、そのような方法でではなくて、一部の被告人は威力業務妨害罪で有罪となりましたが、一審から三審まで騒擾罪の成立を認めさせませんでした。

 朝鮮半島は、45年8月15日の解放もつかの間、内乱状態になり、連合軍にかこつけたアメリカ軍が上陸します。
 1950年6月25日、勃発した朝鮮戦争は、日本が後方基地となります。レッドパージ、破防法制定が行なわれた。8月、自衛隊の前身警察予備隊が発足しました。

 朝鮮戦争は戦後社会を大きく変えました。
 戦争関連産業の金ヘン・糸ヘン景気が起き、失業者は基地関連施設に雇用されていきます。
 朝鮮問題研究家の平林久枝さんは、朝鮮戦争中の『神 奈川新聞』 から県内の相模原基地や横須賀港の記事を調べて 『在日朝鮮人研究』 (84.11号) で報告しました。
「(50年) 7月8日・日本の企業は敗戦後慢性的に続いていた不況から一気に米軍の軍需好景気にみまわれ息をふき返した。……先日の初旬までは毎日職業安定所に 『職よこせ』 のデモがひっきりなしだったのに昨今は好景気であぶれるものがいない。……
 一方朝鮮人は 『はじめはそんなに故国のことを考えなかったが、こんな状態がつづけば国はめちゃくちゃになってしまう。戦争は断じてやめるべきだ』 と故国を心配している。……
 『神奈川新聞』 には連日のように 『連合軍要員緊急募集』 の広告が掲載されている。例えば横浜公共職業安定所渉外職業課では 『化学建築電機造船関係原価計算担当降級顧問・生産検査能率顧問・検査技師・BM電気計算機操作係・海務工・電気計器・電池各修理工・フォークリフト各運転手・ボイラーマン (要免許2級以上)』また、横須賀公共職業安定所では 『通訳・クラークタイピスト・ (男女40ワード以上) 各種研磨工・精密中グリ工・鍛冶工・ターレット工・ブローチ工・ミーリング工・プレス工・機械修理工・車体修理工 (電気熔接可能) 板金工・冷間機打工・鋳型工・グレンカー運転手・材料検査工 (専卒以上英解) 以上50歳迄経験5年以上』 あるいは川崎職安や相模原職安でも同様な広告がしばしば掲載されている。」

 このような中で朝鮮戦争に反対する闘いが各地で展開されます。強制連行され、戦後帰国できなかった・しなかった朝鮮・韓国出身の人たちにとっては他人事ではなく積極的に朝鮮戦争反対の闘争に参加していきます。大量にビラが撒かれました。逮捕されると軍事裁判でスピード判決が出されました。外国人登録令違反の一斉検挙なども行なわれました。

 50年3月、平和擁護世界大会委員会がスウェーデンのストックホルムで開催され、大会は核兵器廃絶に向けた 「ストックホルム・アピール」 を採択します。呼びかけに呼応して8月6日から署名運動が開始されます。
 一方、50年11月、トルーマン大統領は、朝鮮戦争で原爆使用を示唆します。
 署名は世界から4億8200万人分集まりました。日本においても645万筆が集まりました。在日朝鮮・韓国人の人たちは必至で署名を呼びかけて回りました。
 反対の世界的世論のなかでアメリカは使用できませんでした。


 さて、『イムジン河』 が歌われ始めた頃の日本の状況はどうだったでしょう。
 68年2月20日、在日二世の韓国人金嬉老が、静岡県・清水市で暴力団員を殺し、寸又峡に立て篭もる事件が発生しました。裁判では著名な文化人が支援運動の呼びかけ人になり、特別弁護人になります。
 70年10月6日、父親が帰化をした早稲田大学の学生・梁政明 (山村政明) が、「被植民地支配下の異民族の末えいとして、この国の社会の最底辺で25年間うごめき続けてきた者の、現代日本に対するささやかな抗議でもあります。」 という 「抗議・嘆願書」 を残して焼身自殺をしました。そこには 「一、金嬉老同胞の法廷闘争断固支持!」 も書かれています。

 彼の日記が 『いのち燃えつきるとも』 (大和書房 1971年) と題して出版されました。
「日本人の友へ 日本には現在、約60万人の在日朝鮮人が居住している。どうか彼らに理解と友情の心を向けて欲しい。
 彼らは何も好きこのんで異郷の地で、みじめな生活をすることを選んだのではない。多くの日本人は簡単に言う。馬鹿にされるのがいやならば自分の国に帰ればいいじゃないかと。けれども彼らは日本にのみ生活の基盤を持ち、純粋な民族性をも剥奪されてしまっているのだ。さらに日帝の植民地支配の後、祖国は東西の対立ために分断と同民族相撃つ戦乱の憂き目をみた。祖国の政情は未だ不穏であり、生活の条件はきびしい。……
 私は敢えて言おう。あなたたち日本人の多くは、戦争をただ過去のものとし、経済的な繁栄を謳歌しているが、アジアの多くの国では、あなたたちの残虐な侵略による傷痕の故に、今もなお多くの人が苦しんでいることを思い起して欲しい。」

「民族の宿命 ぼくはこんな国で生まれたくはなかった。どんなに貧しくとも祖国朝鮮で生きたかった。……
 父母は苦心の末、この国の市民権を取得した。ぼくたちは法的には日本人になったのである。しかし、本質的平等はたんに法によって保障されはしないのだ。
 ぼくが9歳の少年でなかったら、国籍帰化を拒んだろう。父母はぼくたち子供の将来、進学、就職等の不利を免れるためにというが、ただそれのみで、自らの祖国を棄てることができたのか?」
 金嬉老の暴力という手段での訴え、梁政明の抗議自殺という手段での訴え。その訴えは、在日朝鮮・韓国人問題が未処理のままあることを明らかにしました。

 「パッチギ」 の最後は、鴨川のなかでの日本人高校生と朝鮮人高校生の乱闘です。映画を観ながら監督はどちらに勝たせるのかなと考えていました。結局は中止されます。
 双方から流された血は混じり合いながら流れていきます。監督の期待と受けとめました。

 朝鮮戦争から70年近く、フォーククルセダーズが 「イムジン河」 を発表してから50年、日本と朝鮮半島の政治情勢、日本社会における在日韓国・朝鮮の人たちがおかれている状況は、本質的にどこまで変わったといえるのでしょうか。いわゆる “戦後処理” はちゃんと済んだといえるのでしょうか。
 乱闘では血は混じり合いましたが、一方では分離したまま流れています。


 フォーククルセダーズの 「イムジン河」 が発売禁止、放送中止になった次に発表したのが 「悲しくてやりきれない」 です。聞き方によっては抗議の歌にも聞こえました。

   胸にしみる 空のかがやき
   今日も遠くながめ 涙をながす
   悲しくて 悲しくて 
   とれもやりきれない
   このやるせない モヤモヤを
   だれかに告げようか

 映画 『この世界の片隅に』 の冒頭で、主人公が歌います。
 モヤモヤした今の人びとの心境を歌っているようにも聞こえてきます。

 あらためて、フォーククルセダーズが存在した意義とその音楽家としての偉大さを実感させられます。

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