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時間と成果は正比例しない
2018/01/12(Fri)
 1月11日 (木)

 1月6日の朝日新聞スポーツ欄は、大リーグのダルビッシュ有選手が高校野球への思い出を語っています。見出しは 「球児よ 頑張り過ぎないで」 です。抜粋します。

 頑張り過ぎなくていいんです。日本の球児は、何百球の投げ込みとか、何千本の素振りとか、そんなのを頑張っちゃダメなんです。
 母校の東北校では、いわゆる強豪校の練習をみんながしていたけど、僕はしなかった。納得がいかない練習は絶対にしたくないと強く思っていたので、うさぎ跳びとかそういう類の練習は一切しなかった。主将になるまで、ほぼ全体練習にも参加しませんでした。
 小さい頃から日本人じゃないような考え方を持っていて、そういうのが当たり前というみんなの常識が、僕の中では常識ではなかった。日本ハム入団1年目のキャンプで、2軍監督と面談した時も、「君は何が一番大事なんだ」 と聞かれ、「納得がいかない練習だけはしたくない」 と答えたくらいです。

 ほとんどの強豪校では、基本的に監督という絶対的な存在がいて、監督が右と言えば右です。そういう社会では言われた通り、怒られないようにするのが一番になってしまい、考える力が付かない。僕は高校時代、そういう固定観念に縛られなかったので、誰の色にも染まらなかったし、考えて行動する力が身についたと思っています。
 日本の高校野球では、正しい知識を持たない監督やコーチが、自分の成功体験だけに基づいて無理を強いている。そういう側面があると感じます。改善されてきているのでしょうが、壊れてしまう選手、苦しむ選手は後を絶ちません。

 指導者には正しい知識を身につけて欲しい。例えば、休養の重要性がちゃんと理解されていない。筋力トレーニングは、ほぼ毎日頑張るよりも、週に3日程度は休みながら行う方が結果は上になったりするのです。
 いまだに冬に10日、夏に5日の15日程度しか休まないような野球部が珍しくないでしょう。僕が監督なら週2回は休むし、全体練習も3時間で十分。それくらいの方が成長するのです。
 だから、日本の高校生は 「頑張らない!」 でちょうどいい。もちろん、頑張るところと頑張らないところを自分で見分けられる、情報や知識を得る努力は必要ですが。
 球児を取り巻く環境を変えるには、指導者が変わらないと。


 スポーツ界では強くなるためには誰かの成功体験が普遍性を持つかのように金科玉条として採用されてきました。指導者の根性哲学が植え付けられてきました。しかしそれらは成功の一例でしかありません。
 20世紀末頃から、アメリカから導入されてコーチング論が語られるようになりました。コーチが選手の潜在的能力を発見し、どのようにして一緒に延ばしていくかが期待されました。

 同じことは “働き方” でもいえます。
 今、働き方改革が叫ばれていますが、そのなかの議論は、ダルビッシュの 「日本の高校生は 『頑張らない!』 でちょうどいい」 の高校生を労働者に、「球児を取り巻く環境を変えるには、指導者が変わらないと」 を労働者を取り巻く環境を変えるには使用者が変わらないと、にいい換える方向で検討する必要があります。「壊れてしまう選手、苦しむ選手は後を絶ちません」 は労働者の過労死と同じです。みんなの常識を変えなければなりません。「指導者には正しい知識を身につけて欲しい」 はまったくその通りです。

 しかし、使用者は今進められている働き方改革においても、そこにある二面性を使い分けをしようとしています。労働時間については時間外労働の上限 (それでもすでに長時間労働) を守る素振りを示しながら、長時間労働を制限しない 「高度プロフェッショナル制度」 と実際の労働時間が隠される裁量労働制の導入です。
 そこにある労働者に対する姿勢は、もはや徳川吉宗のおこなった享保の改革の時に忠臣・神尾春央が語った 「百姓とゴマの油は搾れば絞るほど出るものなり」 と似ています。


 年末の12月27日、マスコミは一斉に野村不動産が社員に企画業務型裁量労働制を適用していたのは違法ということで、東京労働局が本社など全国4拠点に是正勧告をしたことを報道しました。企画業務型裁量労働制は、企業の中枢部門で企画立案などの業務を自律的に行っているホワイトカラー労働者について、みなし制による労働時間の計算を認めるものです。
 野村不動産は全社員1900人のうち、課長代理級のリーダー職と課長級のマネジメント職の社員系600人に適用していました。社員はマンションの個人向け営業などの業務に就いています。営業で売り込み、“ねばり”の戦術を、企画立案を自律的におこなうと解釈します。
 しかし労働局は 「個別営業などの業務に就かせていた実態が全社的に認められた」 と指摘し対象業務に該当しないと判断しました。
 “ねばり” は長時間労働につながります。しかしその分の時間外手当を支払わないのが裁量労働制です。

 同じような解釈で営業職に企画業務型裁量労働制を導入していた会社はこれまでもありました。しかし違法性を指摘されると廃止しました。その報道を知って自主的に廃止した会社もありました。
 しかし違法と知りながら続けていた野村不動産は悪質としかいえません。それでも続けていたのは 「みんなで渡れば怖くない」 の同じような会社が他にも多くあるからです。
 企業が本当に社員に営業活動で業績を上げさせようとするならば、頑張り過ぎないで、自分で考えて行動する力が身につけさせる方向に転換する必要があります。


 違法すれすれのことをトヨタがしようとしています。17年8月25日の 「活動報告」 の再録です。
 トヨタ自動車は現在、企画・専門業務の係長クラス(主任級)約1700人に裁量労働制を導入していますが、“自由な働き方” を認める裁量労働の対象を拡大すると発表しました。事務職や研究開発に携わる主に30代の係長クラスの総合職約7800人のうち一定以上の自己管理・業務遂行能力を持ち、本人が希望し、所属長、人事部門の承認がある者が対象です。非管理職全体の半数を占めることになります。
 残業時間に関係なく毎月17万円 (45時間分の残業代に相当) を支給し、さらに一般的に残業代を追加支給しない裁量労働制とは違い、勤務実績を把握して月45時間を超えた分の残業代も支払います。これまでの残業代支給額は月10万円程度でした。そのための原資は、以前すすめた人事・賃金制度の改革で浮いた分を充てるといいます。16年1月から、全社員約6万8000人のうち生産現場で働く約4万人の労働者の賃金体系を見しました。
 対象者には年末年始や夏休みのほかに平日で連続5日の年休取得を義務付けます。20日間の年休を消化できなかった場合、制度の対象から外します。
 新制度導入の理由を、自動車産業では自動運転分野などで米グーグルなど異業種との競争が激しくなっていて、仕事のメリハリをつけて創造性と生産性を高める必要があると判断したと説明しています。専門性の高い技術者の間では一律の時間管理の弊害を指摘する声が出ていたといいます。
 現在は、繁忙期の超過を認める労特別条項付きの36協定を結んでいますが、新制度はこの範囲で運用します。新制度では繁忙期に備え残業の上限時間を月80時間、年540時間にします。(ちなみに、2009年の協定は月80時間、年720時間)
 上司が対象者に時間の使い方の権限を移します。
 新制度案を7月末に労働組合に提示し、12月の実施を目指します。
新制度は 「脱時間給」 の要素を現行法の枠内で、製造業の現場で独自の制度で先行導入します。
 「脱時間給」 は、ネスレ日本が4月に工場以外の社員を対象に労働時間で評価する仕組みを原則撤廃、住友電気工業は4月に研究開発部門で裁量労働制を導入しています。


 会社は 「みんなで渡れば怖くない」、そして労働者はそのような会社は従順です。
 日本の労働者はどうしてダルビッシュ選手の 「固定観念に縛られなかったので、誰の色にも染まらなかったし、考えて行動する力が身についたと思っています。」 に至らないのでしょうか。
 
 中根千枝の 『タテ社会の人間関係』 (講談社現代新書) から探ってみます。11月10日の「活動報告」です。
「『会社』 は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。
 A社は株主のものではなく、われわれのものだという論法がここにあるのである。この強い素朴な論法の前には、いかなる近代法といえども現実に譲歩せざるをえないという、きわめて日本的な文化的特殊性がみられる。」
「このような枠単位の社会的集団認識のあり方は、いつの時代においても、道徳的スローガンによって強調され、そのスローガンは、伝統的な道徳的正当性と、社会集団構成における構造的な妥当性によってささえられ、実行の可能性を強く内包しているのである。」
「外部に対して、『われわれ』 というグループ意識の協調で、それは外にある同様なグループに対する対抗意識である。・・・したがって、個人の行動ばかりでなく、思想、考え方にまで、集団の力がはいり込んでくる。こうなると、どこまでが社会生活 (公の) で、どこからが私生活なのか区別がつかなくなるという事態さえ、往々にして出てくるのである。これを個人の尊厳を侵す危険性として受けとる者もある一方、徹底した仲間意識に安定感をもつ者もある。要は後者のほうが強いということであろう。」

 日本では、会社という 「場」 は、使用者も労働者も 「われわれ」 です。ここがヨーロッパの労使関係の構造とは決定的に違います。そしてそこではいわゆる “しがらみ” の関係性が大きく作用します。「みんなで渡れば怖くない」 の発想、意志一致はこのようななかから生まれます。そして扇動する者が最も強い愛社精神をもっていると評価されます。
 規律違反、違法行為にたいする不安感や恐怖感も払拭され、逆に自信となっていきます。

 しかし 「われわれ」 はリスク管理の意識を欠落させます。外部からの指摘に対してはなすすべがありません。会社にとっては世論と取引中止が一番のリスクです。
 人類学者の中根千枝は 『タテ社会の人間関係』 のなかで日本社会をインド社会と比較しています。
「日本に長く留学していたインド人が、筆者に不思議そうに質ねたことがある。
『日本人はなぜちょっとしたことをするのも、いちいち人に相談したり、寄り合ってきめなければならないのだろう。インドでは、家族構成としては (他の集団成員としても同様であるが) 必ず明確な規則があって、自分が何かしようとするときには、その規則に照らしてみれば一目瞭然にわかることであって、その規則外のことは個人の自由にできることであり、どうしてもその規則にもとるような場合だけしか相談することはないのに。』
 これによってもわかるように、ルールというものが、社会的に抽象化された明確な形をとっており (日本のように個別的、具体的なものではなく)、・・・個人は家の外につながる社会的ネットワーク (血縁につながるという同資格者の間につくられている) によっても強く結ばれているのである。」
 このインド人の思考はダルビッシュと同じです。日本・日本人が異端なのです。

 労働組合は、会社の内側から労働者を統制するのではなく、会社からも労働組合からも 「自立」 させなければなりません。お互いに個人・個性を尊重し、人権を保障し合うことから始め、その上での横のつながりをつくる必要があります。
そうしないと長時間労働・過労死は 「自己責任」 になってしまいます。

   「活動報告」17.11.10
   「活動報告」17.8.25
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