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沖縄で米軍からの被害をなくす方法は
2017/12/15(Fri)
 12月15日 (金)

 1960年代末にベトナム戦争反対、日米安保条約に反対する運動が各地で展開されていた時は戦争に反対する歌もたくさん歌われました。

  栄ちゃんの家に ジェット機が落ちたら
  栄ちゃんはきっと 死んでしまうだろう
  栄ちゃんはきっと 後悔するだろう
  安保条約 やめときゃよかったと

 コミカルな曲想の 「栄ちゃんのバラード」 です。栄ちゃんは、当時の総理大臣佐藤栄作です。

 当時、沖縄では米軍支配下で “本土復帰” 運動が展開されていました。沖縄の人たちにとって “復帰” は 「憲法9条のもとへの復帰」 でした。佐藤は 「沖縄の復帰なくして戦後は終わらない」 と発言していました。
 しかし実際の “復帰” は本土の米軍基地と自衛隊基地の沖縄への移転・強化でした。まさに核廃棄物の青森・六ケ所への集中ににています。他の地域の人びとは知らんふりです。
 沖縄は、ベトナム戦争の基地でした。その動向をみているとベトナム戦争の進展がわかるといわれました。

「西側の盟主たる米国は欧州のみならず、アジア太平洋地域においても、米軍占領下にあった沖縄を起点に1954年末から核兵器の実戦配備をひそかに進めた。……
 グアムを含むアジア太平洋地域に持ち込まれた核兵器の総数は最大3200発をこえた。沖縄にはその多くが配備・貯蔵されることになり、ベトナム戦争ピーク時の1967年、沖縄でその数は約1300発に上った。沖縄はベトな区への重要な米軍の出撃拠点であると同時に、アジア最大の 『核弾薬庫』 だったのだ。」 (太田昌克著 『偽装の被爆国 核を捨てられない日本』 岩波書店)
 沖縄には “復帰” 後も核配備が続きます。了承の密約をしたのは 「栄ちゃん」 です。佐藤はこの功績として1974年、ノーベル平和賞を受賞します。
 ベトナム戦争でアメリカが敗北しても、沖縄の基地は縮小されませんでした。


 沖縄にある宜野湾市・普天間基地以外の米軍基地は、戦時中日本軍が建設した基地を日本軍が逃亡した後に占領して居座ったものです。
 普天間基地は、1950年代に米軍がそこに住んでいた住民を銃剣とブルドーザーで追い出して建設しました。反対運動のなかで歌い続けられた 「一坪たりとも渡すまい」 です。

  東シナ海 前に見て
  わし等が生きた 土地がある
  この土地こそ わしらが命
  祖先譲りの 宝物

  わしらはもはや 騙されぬ
  老いたる固き 掌は
  野良の仕事の 傷の痕
  一坪たりとも 渡すまい

  黒い殺人機が今日も
  ベトナムの友を 撃ちに行く
  世界を結ぶ この空を
  ふたたび戦で 汚すまい


 普天間基地は今も居座っています。
 宜野湾市のど真ん中に居座る普天間基地に接した北東に佐喜眞美術館があります。かつては普天間基地でしたが、1994年に粘り強い交渉で返還させた用地に建設されました。
 美術館の外の階段で2階にあがり、さらに階段を6段のぼり、つづけて23段のぼると壁に丸い穴が開いています。沖縄慰霊の日の6月23日にはこの穴の正面に東シナ海に沈む夕日を眺めることができます。
 美術館の中には大きな空間に、丸木位里・俊さんの 「沖縄戦の図」 が展示されています。
 「沖縄戦の図」 には、海を埋め尽くす米軍艦、座間味島、渡嘉敷島での集団自決、激戦地の本島南部での住民虐殺などが画面いっぱいに描かれています。これ以外の作品としては、今年9月に壕が荒らされた読谷村のチビチリガマを描いのもあります。チビチリガマの光景は母親が子供を抱き、もう一方の手には竹槍を持っています。しかしまもなく集団自殺をします。その人たちと同じ数の頭蓋骨が描かれています。
 戦争後の光景の作品もあります。読谷村・残波岬にある巨大なシーサーが描かれています。その近くで若者たちが竹槍をバチに持ち替えて残波太鼓を叩いています。

 佐喜眞美術館のポスターがあります。
 普天間基地を中心にすえた航空写真です。宜野湾市がどのような市なのかが一目でわかります。基地の右下に隣接して沖縄国際大学があります。2004年8月13日、米軍ヘリコプターが墜落し、校舎の一部を破壊して炎上、樹木も燃やしました。ポスターではわからないですが校舎には今も焼跡が残っています。
 滑走路の北端近くに、基地と金網を境界にした普天間第二小学校があります。12月13日午前、校庭に米軍ヘリコプターから90センチ四方ほどの金属製の窓枠が落下しました。校庭では体育の授業が行われていて、男児1人が軽いけがをしました。
 12月7日にも、基地近くの保育園の屋根の上で米軍ヘリの部品が見つかっています。
 戦闘機は毎日すぐ真上を爆音を立てて飛び交います。
 住民はずっとがまんをし続けていますがもう限界です。しかし日本政府は他人事の対応です。


 日常的に危険にさらされている住民は早期に基地を撤去して欲しいと訴え、政府が撤去を約束してから25年が過ぎています。
 何処へ撤去? 
 政府な辺野古基地建設が進まないから移転できないと説明します。
 住民の声です。
 「移転してくれるなら、移転先のことは考えない」
 「政府が移転を約束している」
 「移転して辺野古の人たちが今度は危険な目に合うなら、今のままでいい。自分たちが我慢する」
 「辺野古に移転というけれど、私たちがいらないものは、辺野古の人たちもいらない。基地はいらない」
 意見はさまざまです。

 政府は、被害が発生する危険性を予測できる危険物建設は、場所を選定するとき、人口密度が少ない地区、経済的発展が遅れているところ、反対する住民が少ないところを選びます。それでも反対する住民は札束でほほを殴ります。住民を分断し共同体を破壊して追い出します。
 しかし辺野古の人たちは、沖縄戦のときの記憶を思い出し、伝承しながら粘り強く反対の闘いを続けています。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」 です。

 普天間基地を辺野古に基地を新設して移転する計画が進んでいます。辺野古基地は日本政府が建設し米軍に提供します。漁民から海を奪おうとしています。
 宜野湾市に住む住民も、人口密度が低い地区で生活する住民も、命の重みは同じです。
 しかし政府は沖縄を差別します。それは本土による沖縄差別でもあります。アメリカの日本差別もあります。そして辺野古地区を差別します。その構造は重層的になっています。
 それに対し、沖縄住民だけでなく、本土の人たちの頭上にも、そして 「栄ちゃんの家にも」 ジェット機を落とさせてはいけない運動を続けています。危険にさらされている住民は泣き寝入りはできません。運動を止めた時はおとなしく殺される時だからです。

 沖縄の人たちは、アメリカに、そして世界に基地の理不尽さを訴えてきました。
 11月26日、ドイツ・ベルリンに本部を置く 「国際平和ビューロー」 (IPB) が平和運動に携わった人や団体に贈る 「ショーン・マクブライド平和賞」 の授賞式がスペイン・バルセロナで行なわれました。今年選ばれたのは、辺野古移設に反対する政党や団体でつくる 「オール沖縄会議」 です。IPBは、市街地に囲まれた普天間飛行場を 「世界で最も危険な軍事基地の一つだ」 と指摘しました。
 政府は、辺野古基地建設を沖縄の一地域の問題ととらえていますが、国際的にその危険性が明らかになり、基地建設に反対する世論が形成されています。
 沖縄の人たちは孤立していません。

 
 2016年12月13日夜、辺野古の海にアメリカ軍の輸送機オスプレイが不時着しました。
 これ以外にも沖縄では米軍による被害が続いています。
 戦争は、敵・味方の兵士を恐怖に落とし込めます。兵士はその恐怖・苛立った心を紛らすため酒を飲み、喧嘩をし、殺傷に及びます。逃避の精神状態は性犯罪の暴力を引き起こします。戦争という暴力が別の暴力を連鎖させます。連鎖は元から断たなければ解決しません。
 沖縄からこれ以上の戦闘機事故、被害・犠牲者を出させないための唯一の解決方法は、すべての基地をなくすことが最も手っ取り早い方法です。

   「活動報告」17.5.26
   「活動報告」17.4.18
   「活動報告」17.2.28
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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