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共同体・海・山を壊す防潮堤
2017/10/11(Wed)
 10月11日 (水)

 東日本大震災から6年7カ月がたちました。復興はどれくらい進んだといえるのでしょうか。仮設住宅にはまだ1万8000人が住んでいます。やむを得ないことなのでしょうか。
 時間が経過するとともに、被災地では当初とは違う問題が発生しています。
 震災直後の2011年6月に政府の中央防災会議がまとめた津波対策に基づいて防潮堤計画が発表されます。数十年から百数十年に1度起きる津波を 「L1」、1000年に1度とされる最大クラスを 「L2」 に分類し、L1を防潮堤で守ることを基本とします。これを基に国交省や農水省などが高さについての通知を出し、シミュレーションをしたうえで各県が地域ごとにL1を防げるよう、高さを決めました。
 防潮堤事業は青森県から千葉県までの太平洋沿岸の計677カ所です。591カ所が岩手、宮城、福島の3県に集中し、高さ5メートル以上の防潮堤は約300キロです。土地の用途によって所管が国土交通省、農林水産省などに分かれ、総事業費は約1・4兆円です。
 工事は住民の意見を聞いて合意が必要ですが、行政が見切り発車の形で着工した例もあります。
 全677カ所のうち、約200カ所は当初計画より高さを下げたり、位置が変更されたりしました。

 15年12月11日の 「活動報告」 の再録です。
 震災後の状況について語る時、「そこ退け、そこ退け防災が通る」 といういい方があるのだそうです。防災という名のもとに住民の意見は無視され、上からの計画が押し付けられます。東日本大震災の場合には防潮堤がそうです。箱モノ、公共事業で建設・土建業界は好景気です。
 防潮堤は、高さの3倍の幅の土地が利用不能となります。例えば、高さが20メートルの防潮堤では、両側で60メートルの範囲内の土地は使用不可となります。高い防潮堤は海の様子が見えなくなり、遮断されてしまうといわれています。さらに海に行くには回り道をしなければならなくなります。生活上だけでなく、精神的にも物理的にも遠くなります。
 宮城県女川町では、国土交通省と県が高さ30メートルの防潮堤を築こうとしました。地元で頑張る被災者と町民は止めさせました。そして海から逃げないで共存しようと 「津波に弱い町づくり」 を続けています。危険と思ったらすぐ避難できる防災対策を進めています。津波の大きさは予測できません。
 中学生たちは、東日本大震災の時に津波が到達した高さに碑を建てました。今度津波が予想されるときはこれ以上高いところに避難しようという標識です。

 3月23日の毎日新聞の 「記者の目」 です。
 「陸と海を分断」 損なわれる景観
 例えば岩手県大槌町の赤浜地区。住民は高台移転を決めたものの県は高さ14.5メートルの計画にこだわった。住民には高い防潮堤によって景観が損なわれるほか、海の変化が見えずかえって危険になるとの声が根強く、県は結局震災前と同じ6.4メートルに変更した。
 震災前よりは高い防潮堤計画になったが、それでも行政が計画より高さを下げた例が宮城県塩釜市の浦戸諸島だ。高さ3.3メートルの計画に一部島民が 「海が見えず、生活にも支障が出る」 と訴えた。過去の津波の痕跡などから、部分的に2.1メートルに引き下げた。
 住民の賛否が割れる中、行政が見切り発車するような形で建設に踏み切ったのが宮城県石巻市雄勝町 (おがつちょう) の防潮堤だ。
 雄勝町の中心部約600世帯は津波に流された。約4カ月後、住民らでつくる 「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」 は、「高い堤防を築かない」 ことなどを盛り込んだ要望書を石巻市長に提出していた。高い防潮堤が 「陸と海を分断してしまう」 が理由だった。一方、市と県は12年3月までに、震災前の4.1メートルの倍以上になる高さ9.7メートルの防潮堤建設を住民に提示。中心部の高台移転は11年秋に住民に示していた。
 住民の意見は割れた。市と県の説明会では 「町に戻りたいけど、防潮堤がないと怖くて戻れない」 と泣いて訴える女性もいたし、「住宅は高台に移転する。いったい何を守るために造るのか」 「海が見えなくなったら、もう古里ではなくなってしまう」 といった反対意見も出た。
 「L1」 対策巡り、行政と識者ずれ
 高い防潮堤には一部住民の根強い反対はあったものの、市側は 「議論がまとまらないと、他の復興が遅れる」 と主張。県は14年6月に 「住民合意は取れた」 と判断し、計画を決定。昨年夏に着工した。
 宮城県の担当者は 「L1は防ぐとの方針がある以上、県民を守るために最大値を想定するのが我々の務め」 と話す。中央防災会議の決定は重いというわけだ。ところが、当の中央防災会議で地震・津波対策に関する専門調査会の座長を務めた関西大の河田恵昭教授 (防災学) は 「L1すべてを防ぐ要塞 (ようさい) を造れとは言っていない。避難路を整備することなどでリスクは軽減できる。地域に合った計画を作れる余地を残した」 と主張する。行政と専門家の間にボタンの掛け違えのようなずれがある。
 かけがえのない家族を亡くしたり、自宅を失ったりした被災者にとっては今も生活の再建こそが最優先課題で、行政も復興を急いでいることはわかる。その意味で防潮堤を巡る議論は必ずしも優先順位は高くないかもしれない。しかし、雄勝町をはじめ各地で住民の反対運動が起きたことを軽視すべきではない。
 677カ所のうち、6カ所は住民が合意しておらず、工事が始まっていない。見切り発車せず、住民と十分に協議して計画を練るよう望みたい。


 防潮堤建設は被災地住民を分断しました。
 9月13日の河北新報、見出し記事 「復興の虚実 (1) 防潮堤 [上] 隔絶された海 賛否が対立、浜を分断」 です。
 東日本大震災の被災地に、復興の理想と現実が交錯する。発生から6年半、崩壊した風景の再建は進んだが、住まいやなりわいの足元は固まっていない。宮城県知事選 (10月5日告示、22日投開票) は、復興完遂に向けた道筋が争点となる。「フッコウ」 の掛け声が響く中、沿岸には被災者の苦しい息遣いとやり場のない嘆きが漂う。
 <「誰も語らない」>
 住民の命を守るはずの防壁が地域を分断し、浜に暗い影を落とす。
 海抜14.7メートル、長さ800メートル、最大幅90メートル。既に表面の大半がコンクリートで覆われた巨大建造物の上を、ショベルカーや巨大クレーンが慌ただしく動く。
 気仙沼市本吉町小泉地区の海岸に、宮城県内で最も高い防潮堤が姿を現しつつある。県は本年度中の完成を目指し、整備を進める。
 「今、小泉で防潮堤の話をするのはタブー。もめたくないから誰も語らない」。建設反対を訴え続けた男性 (50) が打ち明ける。職場の上司から 「防潮堤の話はするな」 とくぎを刺され、男性も外部への発言を極力控えるようになった。
 <しこりは消えず>
 計画が示されたのは2012年7月。「命が大事」 と早期建設を求める賛成派と、環境などへの配慮を求める反対派が対立した。
賛成派で、地域の意見集約に奔走した地元の市議 (55) は 「生々しい津波の記憶が残る中、悩んだ末に出した結論だった」 と振り返る。約20回の説明会を経て県は 「了承を得た」 と判断したが、賛否で生じた地域のしこりは今も消えない。
 国の中央防災会議専門調査会が11年6月に示した提言に基づき、県は数十年から百数十年に1度の津波に対応できる堤防の高さを決めた。「津波から命を守る」 を旗印に建設に突き進む県の姿勢は、しばしば被災地の反発を招いた。
 県が同市本吉町の日門漁港に計画する海抜9.8メートルの防潮堤は、地域住民の反対で着工のめどが立たない。長さ280メートルの防潮堤を築くと、国道から海や港が見えなくなる。
 今年5月に地元の公民館であった説明会。県は2メートル間隔で壁に小窓を設ける修正案を示したが、住民は納得しなかった。地元の漁師 (69) は 「景観は宝。小さな窓では海の様子は分からない。県はわざと騒ぎの種をつくるのか」 と憤る。
 「選択肢がない状況で、住民に是非を迫るのは問題だ」。大谷里海づくり検討委員会事務局長の三浦友幸さん (37) は、県が一方的に計画案を示すやり方に疑問を感じている。
 <歩み寄りに時間>
 三浦さんらは大谷海岸に防潮堤を築く県の計画に反対した。砂浜を守るため、建設位置を内陸に移して国道との 「兼用堤」 とする対案を出し、粘り強い交渉で実現させた。意見集約から交渉まで5年。三浦さんは 「行政と住民が歩み寄り、信頼を築くには時間も必要だ」 と訴える。
 防潮堤に守られる住民から批判を浴び、時に浜の分断を生みながら、県は淡々と整備方針を貫く。各地の浜に出現し始めた巨大な壁が、異論をはね返す。
 気仙沼市議の今川悟さん (42) は 「県にとっては単なる土木事業の一つだが、住民にとって防潮堤は街づくりの一つ。浜ごとの思いをくみ取ってほしかった」 と批判を強める。

 最も強固な防災は共同体の日常的運営です。しかし防災のための防潮堤がそれを崩しています。
 防潮堤に2メートル間隔で壁に小窓を設けるとは滑稽な話です。これで漁民は日和、風向き、波の音、匂いをかいでその日の作業の判断をすることができるでしょうか。しかしすでに作っているところもあります。


 防潮堤建設はこれだけではない問題があります。
「海岸に接する森林は、漁業にとって重要な役割を果たしていた。樹影が付近の水域を暗くすることによって、小魚類には格好の休息の場となり、また敵から逃れる便を与えた。
 樹木の枝葉が落ちて植物質を水面にもたらすため、その腐蝕に伴い魚類の好む水中微生物が増殖した。また、森林中に生活する昆虫類が風雨などで常に海面に落下し、魚類の餌となった。さらに、森林の繫茂は水温を調節し、アルカリ塩類の含有量を増して、海藻類を繁茂させた。そのため、森のそばには魚が集まり、絶好の漁場となったのである (魚附林)。
 樹林に海鳥が棲息・繁殖し、群れをなして魚群の来遊を知らせるため、漁民が森林とともに海鳥を保護している所もあった。また付近の河川からの汚濁した淡水の流入が海水魚を駆逐するのを防ぐために、上流の水源地での森林育成に努めている事例は各地にみられる。このように、海岸近くの森林の存在は漁業の盛衰を左右したのである。
 海岸近くの森林の利用は林業あるいは農業も面からのみ考えるべきではなく、漁業とも深い関係をもっていた。そして、漁業のためには、むしろ農林業的な土地利用を抑制して、森林を保全することが必要なのであった。江戸時代には、漁業と漁民がそれを行なってきたのである。」 (渡辺尚志著 『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』 草思社)

 このことは東日本大震災が証明しました。
 被災地で震災後に収穫した近海ワカメは従来よりいい品質、ホタテの発育もよかったといいます。海底がかき回され海水がきれいになったのと、津波が引いた時に陸から流れ出たプランクトンや栄養素が原因ではないかといわれています。海水だけでは海藻は育ちません。
 陸と海が共存しないと豊漁にならないのです。「森は海の恋人」 です。高い防潮堤は恋人を引き裂きます。

 災害は防ぐことはできません。ですから海と共存しながら 「減災」 をみんなで考えて行く必要があります。

   「活動報告」 2017.6.13
   「活動報告」 2017.4.28
   「活動報告」 2017.4.14
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