2018/05 ≪  2018/06 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2018/07
命を活かす
2017/10/03(Tue)
 10月3日 (火)

 上智大学グリーフケア研究所が主催する 「悲嘆とともに生きる」 の特別講習会に参加しました。
 グリーフケアについてです。
「特に、大震災後に必要な 『心のケア』 は、災害による多重的な喪失体験をした後に残る、複雑な悲嘆をケアすることである。それは具体的には 『悲嘆ケア』 すなわち 『グリーフケア』 のことである。この度の大震災では、想像さえできないほどの重複する悲嘆体験をした人びとが多くあった。家族1人を亡くすだけで、深く強い悲嘆状態に陥るのが通常生活の中での悲嘆であるが、災害後の悲嘆は、本人にとって大切と思うものすべてを一瞬にして喪失し、明日を生きる希望さえ失わせてしまうほど恐ろしい喪失体験に基づいている。
 このような人々に寄り添うケア提供者は、限りない思いやりと、相手に対する尊敬と信念を持っている必要がある。」 (パンフレット『大震災後の悲嘆ケア (グリーフケア)』 上智大学グリーフケア研究所 発行)

 最初は、研究所の高木慶子特任所長の講演の要約です。

 すべての人びとが悲嘆者、悲しみ苦しみを持っています。
 新美南吉の 「でんでんむしのかなしみ」 です。

 いっぴきの でんでんむしが ありました。
 あるひ そのでんでんむしは たいへんなことに きがつきました。
 「わたしは いままで うっかりしていたけれど、わたしのせなかの からのなかには 
 かなしみが いっぱいつまって い るではないか」
 このかなしみは どうしたらよいでしょう。

 でんでんむしは おともだちの でんでんむしのところに やってきました。
 「わたしは もう いきて いられません」
 と そのでんでんむしは おともだちに いいました。

 「なんですか」
 と おともだちの でんでんむしは ききました。

 「わたしは なんという ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかのからのなかには
 かなしみが いっぱい つまって いるのです」
 と はじめの でんでんむしが はなしました。

 すると おともだちのでんでんむしは いいました。
 「あなたばかりでは ありません。わたしのせなかにも かなしみは いっぱいです。」

 それじゃ しかたないと おもつて、はじめのでんでんむしは、べつのおともだちのところへ いきました。

 すると、そのおともだちも いいました。
 「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです」

 そこで、はじめの でんでんむしは また べつの おともだちのところへ いきました。
 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たづねていきましたが、どのおともだちも おなじことを
 いうのでありまし た。

 とうとう はじめの でんでんむしは きがつきました。

 「かなしみは だれでも もっているのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの
 かなしみを こらえ て いきなきゃならない」
 そして、この でんでんむしは もう、なげくのを やめたので あります。


 突然の事故事件より、日常が破壊されます。天災で 「今までに経験したことのない・・・」 とのアナウンスがつづいています。新しい考えでの防災が必要な時代になっています。台風、雨、地震、津波などの天災、人災の多い時代にどのように生きて行ったらいいのでしょうか。
 人はこれまでの教育としつけにより、善行にはご褒美、悪行には罰、天災は大いなるものからの罰と考えってきました。しかしその考えは大いなるもののレベルを人間のレベルに引き下げる愚かさです。人災の中で最も大きな災害は戦争です。
 不安要因が多くなっている時期だからこそ、いつ離別があっても悔いがないようにしておくことが大切です。
 例えば、日常生活の中で優しく人びとと接しておく、共同体意識を深める、安否の確認方法を確かめておく、緊急時に持ちだすものを準備しておくなどです。
 なぜ意識して優しく人に寄り添う必要があるのでしょうか。1人ひとりは大小の悲嘆 (苦しみ、悲しみ) をかかえているから、可能な限り他の人びとのことを思いやり、親切に生きることが大切です。
 そして、人は苦しい時、他の人から優しくされることで新たな希望や勇気が生まれ元気になれます。心身が弱った時、他の人びとからの支え、励ましで元気になったことを思い出すと、人の存在やありがたさを理解できます。
 人びとの小さい思いやりや優しさが、私たちが住んでいるところを 「住みなれた町」 にし、また 「共に生きる」 ことの喜びを感じて生きることができます。

 人が優しくなれるためには、まず 「私の苦しみ、悲しみよりもほかの人びとの方が強く大きいのだ・・・」 と自覚すること、たとえ、自分にとって大きな苦しみを体験している時も、もっと他の人は苦しんでいると思うと、他の人びとに対しての思いやりと親切な心がもてます。
 しかし、自分の苦しみを乗り越えるためには、各自の力だけでは難しいことも多くあります。そのために相互に支え合い、そして優しい心で接し合うことが大切です。


 尼崎の列車事故で大学生の娘を亡くしたお母さんの体験です。
 娘の事故のことを想うと、悲しみと、怒りと、罪責感で心が引き裂かれます。愛しい娘は、もういない。会いたい。この思いをどこに、誰にぶつければいいのでしょうか。
 2つの何故を問いました。「娘を亡くしたのが、何故私なのか」 「死んだのが、何故私の娘なのか」 答えのない問い。不条理な思いです。
 愛する者の死に接した時、何故という問いとともに娘の個人的 「死の意味」 を問います。それは愛する者の死が無意味なものであってほしくないからです。自分にとって大切な人の存在が、死によって失われることに耐えがたいのです。

 西田幾多郎は、萩原朔太郎から頼まれた 「国文学史講話序文」 に書いています。
「・・・深く我が心を動かしたのは、今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりして居た者が、忽ち消えて壺中の白骨となると云うのは、如何なる訳であろうか。もし、人生はこれまでのものであるというのならば、人生ほどつまらぬものはない。此処には深き意味が無くてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意味なものではない。死の問題を解決するというのが人生の大事である。死の事実の前には生は泡沫の如くである。死の問題を解決し得て、初めて真に生の意義を悟ることができる。」
 西田幾多郎も萩原朔太郎も娘を亡くしています。

 悲しみには様相があります。
 心に表れた悲しみ (心理的悲嘆) として、哀惜、否認、孤独、絶望、不安、混乱、苦しみ、無気力、後悔、怒りなどです。
 身体に現れた悲しみ (身体的悲嘆) として不眠、食べられない、悪夢を見る、胸の痛み、集中力の低下などです。
 日常生活への影響 (社会的悲嘆) として、仕事・家事ができない、引きこもりなどです。
 哀惜の思いとして、「只々、あの子がいないことが悲しい。会えないのが辛い」 「大学に入り、受験も終わり、これから好きなことをできたのに。やりたいこともいっぱいあっただろうに・・・」 「あの子は、社会人となり、愛する人と出会い、結婚し母親になることはできなかった。」 がありました。
 自責の念として、「あの子を守れなかった私は、母親として生きて行く資格がない」 「あの電車に乗らなかったら、事故に遭わなかったのに。あの電車に乗るために車で送っていったのは私・・」 「あの大学に入学を勧めたのは私」 がありました。何もかも自分の責任だと考えていました。
 悲しみの対象は、自分に対してです。話してもわからない、わかってもらえません。寂しさ、愛着心、孤独、二度と生きている娘に触れられないつらさがあります。故人に対して、今どうしているの? 寂しくない? 悔しいよね、もっと生きたかったよねという思いが沸きます。周りの人に対しては、誰にも気持ちを分かってもらえない、皆といる世界が違ってしまったと思いがあります。

 では怒りはどこに向いているでしょうか。
 自責の思い、後悔をいだきながら自分自身に対してです。「どうして私をおいて逝ったの」 と故人に対してです。不条理だ、傷つけないでと社会、世間に対してです。そして「娘を返して!」 「何故、事故を起こしたの?」 と加害者に対してです。
 加害者を許せるでしょうか。「許せない」 と私の心は叫んでいます。加害者が犯した罪に対して、どのように贖ってもらえば許せるのでしょうか。例え、生命で償ってもらっても、娘は私の元に帰ってきません。心は深い闇の底に落ちてしまうばかりです。企業は裁判で無罪です。だれも責任を取りません。

 どうすれば救われるのでしょうか。
 何事もなかったように許すことはできません。また、二度とそのようなことを起こさないように許してはいけないと思います。
 しかし、許せないという思いは 「負のエネルギー」 を生み出し、重く辛く私に覆いかぶさり、生きるエネルギーを奪っていきました。
 私の思いは、加害者に対しての責めだけでなく、私自身にも自責の思いがあり、その責めも許されなければならないと思いました。娘は、友のことを気遣うことができる子でした。自分の死のせいで遺された家族や友を苦しめることになるのを望まないでしょう。私は、「負のエネルギー」 に打ちのめされないで、私の人生を歩みたいと思いました。
 娘は高校時代バスケ部に入っていました。「気持ちで負けない 絶対に下を向かないプレーヤーになる」 と書いて部屋に貼っていました。この言葉が、私の気持ちを応援してくれました。下を向かないで前を向いて生きる力を私に与えてくれました。
 命を活かして生きることにしました。

 悲しみや辛さを抱えながらも、今ここに生かされている自分の 「いのち」 を知りました。
 そして、この 「いのち」 を生きることに再会の希望があると思いました。
 時の流れから捉えた再会があります。
 「過去」 との再会は、思い出の中での再会です。
 「今、ここ」 の再会は、残された者のなかに今も生き続けています。
 「未来」 での再会は、天国での再会です。
 故人とのつながりを感じながら生きると、生者と死者とを隔てているものはないのではないかと思います。
 生かされている 「いのち」 に気付くと 「いのち」 を活かす働きに気付くことができます。この 「いのち」 の働きを活かして生きることにしました。
 「いのち」 を活かすものは、Hope:希望、望みを与えるものです。望むこと、期待することです。Love:愛、慈悲です。愛すること。慈しむこと。大切にすることです。Faith:信じるもの、信念、信仰、信頼、約束、誓いです。
 「いのち」 を活かす働きは、この3つの相互作用です。

 今を生きるために、死別の悲しみを分かち合う遺族会を開催しています。そして寄り添う活動として緩和ケア病棟のボランティアと老人福祉施設のグリーフケアを担っています。
 遺族へのメッセージは、・あなたは1人ではない ・そのような思いを抱えているのはあなただけではない ・あなたは、あなたのままでいい ・あなたには力がある です。
 愛する人を亡くした悲しみはなくなることはありません。失われた 「いのち」 を想う時、今、生かされている 「いのち」 に気付きます。その 「いのち」 を活かすことが亡き人とつながり、共に生きていけるように思います。
また会う日まで、大切に 「いのち」 を紡いでいきたいと思います。

 苦しみを乗り越えるためには、相互に支え合い、優しい心で接し合うことが大切です。
 グリーフケアとは、悲嘆している人たちに寄り添うことです。
この記事のURL | 相談活動 | ▲ top
| メイン |