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米軍は米兵を殺し、傷つけている
2017/09/12(Tue)
 9月12日 (火)

 9月11日で、東日本大震災から6年半を迎えました。
 被災地の復興は道半ばです。

 そして、9月11日は、2001年の米国同時多発テロから16年目です。
 9.11以降、米軍はアフガニスタンやイラクで対テロ戦を展開しましたが6900人以上の米兵側死者を出しています。
 2016年8月、米退役軍人省は、元兵士たちの自殺に関する調査結果を発表しました。2014年は一日平均で20人で、自殺率は一般市民より21%高い数字です。そのうち65%が50歳以上で、大半はベトナム戦争に従軍していました。若い時には何とか心の傷を抑え込んでいても、高齢化によって友だちを亡くしたり、仕事を失ったりすると、精神的にも肉体的にも耐えきれなくなるといいます。死に至らずとも、心に深刻な傷を負った元兵士がたくさん出ています。

 9月6日のYahooニュースはフリージャーナリストの大矢英代さんの 「『対テロ戦』 に参加の元米兵 “心の戦争” 終わらず」 を掲載しました。9.11以降、精神を破壊された元兵士たちの 「心の戦争」 を追っています。

 元海兵隊員マット・ホーさん (44) は、イラクに2004年と2006年の2回、アフガニスタンに1回、計3回派遣されました。その頃は想像もしていなかった悪夢が現実になります。最後のアフガンから帰国して8年、今も心から戦争を追い出せないでいます。
 戦場ではホーさんは何百人もの “敵” を殺しました。「考えるとおかしくなりそうだと」 といいます。
 そして今、夢にうなされ、夜中に大声をあげて飛び起きます。睡眠不足が続き、まともな日常生活も送れず、治療薬を手放せません。
「誰かが殺されるのを止められない。僕の体が動かない。ライフルを持っているのに、発射できない。引き金を引こうとしても動かないんだ。そしてもう一つ。僕が誰かを殺している。素手で殺す。時々は、僕が知っている人を、だ」
 「戦争は、精神も感情も魂も粉々に破壊する」 といいます。

 ホーさんは24歳の1998年、国の役に立つことをしたいと海兵隊士官学校に入隊、軍人としてエリートも道を歩みます。
「(士官学校では) 上官への返事が 『イエッサー (Yes,sir)』 じゃないんだ。『食堂に行け』 と命令されると、僕らは 『Kill! (殺せ!)』 と叫ぶ。『食べろ』 と命令された時も 『Kill!』、食事が終わって 『片付けろ』 にも 『Kill!』。人を殺す訓練を徹底的に受けるんだ」
 13週間の初年兵訓練を終えて尉官になり、その後、海外任地につきます。2000年から3年間、沖縄県名護市辺野古の海兵隊基地キャンプ・シュワブに所属します。そのころは 「米軍は世界一だ」 と思っていました。
「あの頃は毎日忙しく仕事して、毎日忙しく遊んでいた。それでうまくいっていた。ただ命令に従っていたんだ。物事を深く考えなかった。まだ何も失っていなかったし、まだ何も見ていなかったんだよ」

 9.11が起きます。
 ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機2機が突っ込み、超高層ビル2棟が崩壊されました。国防総省 (ペンタゴン) にも旅客機が突っ込みました。国内は急速に 「報復」 「対テロ戦争」 に包まれていきます。
 当時のブッシュ政権は国際テロ組織 「アルカイダ」 によるテロと断定し、テロ組織の温床になっているとして、イスラム組織 「タリバン」 が政権を握るアフガニスタンに侵攻します。2003年には 「大量破壊兵器を保持している」 としてイラクにも侵攻します。
 ホーさんは振り返ります。
「悪のタリバンを倒して、民主的な政治を築く。(イスラムの) 女の子たちが教育を受けられる……すばらしい、単純な筋書きだった。多くの米国市民は、9.11にイラク人が関わっている、と信じていたしね。当時の米国はとにかく、興奮していた。恐怖とリベンジと興奮だよ」

 イラク戦争が始まった2003年3月、ホーさんはペンタゴンで内勤でした。戦死した兵士たちの遺族に 「お悔やみ」 の手紙を書く仕事をしていました。オフィスのテレビが戦場を映しています。彼はその時、焦った、といいます。フセイン像が倒れる様子も見ました。
「(その場にいなかったことが) 悔しくて、失望して、イライラして。このままじゃ戦場に行けない、って。焦って。他の同僚たちも同じさ。だからすぐ、戦闘部隊の交代要員に応募したんだ」
 希望が通り、彼は2004年と2006年の2回、イラクへ行きます。「本当の戦争」 を知ったのは、2回目のイラク行きでした。所属はエンジニア部隊です。任務は道路や建物などに仕掛けられ爆弾の発見と処理でした。
「道路や建物などに仕掛けられたIED (手作り小型爆弾) や爆発物、それらの処理が僕の任務だった。何しろ、IEDに引っ掛かったら一瞬だ。大爆発。閃光、爆音、粉塵。周囲の全員に衝撃が走って、しばらくすると、やっと、誰が殺されたのかが分かるんだよ。戦友が死んでいるんだ、血を流して。ヘマをすれば仲間が死ぬ、自分も殺される」
「自分がしくじれば、友達が死ぬ、自分が死ぬかもしれないという恐怖、それ以上に怖いのは自分のせいで誰かが死ぬことだった

 イラクで米軍は各所にチェックポイントを設けました。街との出入り口にあり、車は一定の低速で走らなければなりません。敵の移動や武器輸送、不正な資金移動などを阻止するためで疑わしい車両は捜索対象になります。
「僕らは……(そこで) 何百人も何百人も殺したんだ。何百人も、何百人も、何百人も殺した。考えただけでおかしくなりそうだ……。家族と一緒に自宅に帰ろうとしていた人、友だちのところに行こうとしていた人が (米兵によって) 命を奪われたんだ。なぜ、あんなことが起きたのか? ただただ単純な理由だった。なぜなら……止まるべき地点で止まらなかったり、ゆっくり走っていなかったり、と。(彼らが攻撃してくるんじゃないかと) 米兵自身が怖くなったんだ。あるいは、単なる誤解だった。海兵隊員はアラビア語が分からない。イラク人は英語が分からない……そして戦争だ。僕らが2003年イラクに攻め込んでいた」

 2007年9月、ホーさんは2度目のイラク派兵から帰国します。変調はここから始まったといいます。海を見た時、突然、イラクで溺れ死んだ友人の映像がフラッシュバックして現れたといいます。「彼を助けられなかった。ひどい罪悪感があるんだ。それが蘇ったんだ」
 それから心の中の戦争が始まります。自分の中には悪魔がいるといいます。ふさがっていたはずの傷口が一気に開いたのかもしれません。
 殺されたイラク人、殺されるかもしれない、仲間が死ぬかもしれないという恐怖。次から次に 「死」 が出てきます。「あれから元に戻れない。人生が変わったんだ。酒、自殺願望。状況は良くならず、もう 『戦争と縁を切るしかない』 と」

 軍隊を辞めても、心の中での戦いは終わりませんでした。常に周囲を警戒し、人と目を合わすことができません。室内では 「入り口から武装した人が入ってくるのではないか」 という恐怖を感じ、脱出用の出口をいつも探します。
 アルコール中毒になり、自殺を図ったこともある。その後、専門的なセラピーを受け、投薬治療が始まりました。今も中枢神経への注射を定期的に続けています。


 ホーさんのような苦しみは、実は多くの元兵士たちに共通しています。
 今年8月中旬、元兵士たちでつくる 「ベテランズ・フォー・ピース (VFP)」 (平和のための元軍人の会) の年次総会がシカゴで開催されました。団体は1985年に設立され30年以上の歴史を持ちます。今年は国内外の120支部からメンバーが集まり、過去の経験に苦しむ男性も参加していました。
 シカゴ出身で、9.11をきっかけに入隊したという元陸軍兵、ローリー・ファニングさん (40) は 「僕は次の911を止めたくて入隊したのに、実際には戦場で一般人を犠牲にしてしまった。その結果、次のテロリストを生み出したんだ」 と訴えました。
 元米海軍士官のファビアン・ビオチレッテさん (36) は 「全ての元兵士たちはPTSD (心的外傷後ストレス障害) を抱えている。簡単には治らない」 と語ります。2003年から第7艦隊の横須賀海軍基地に所属し、2004年にイラク戦争に参戦。しかしこの戦争に正義はない、ビジネスのための戦争だと感じ、自ら除隊したといいます。
「僕も未だに軍艦の夢を見る。再入隊させられる夢も見ます。時に強烈なものもある。自分だけじゃない。みんな、幻覚や妄想に苦しんでいるんだ。いつも周りを警戒してきょろきょろしたり、危険なものはないかを確かめたり。リラックスなんか、できません。いつも緊張状態にある。あの戦争を経験した元兵士たちは、背後が怖い。だから椅子に座るときには、壁に背中をくっつける。そうしないと安心できないんです」

 VFPのPTSD専門チーム、サム・コールマン主任によると、これら戦争のトラウマ体験に基づくPTSDに加えて、元兵士たちは 「モラル・インジャリー (良心の傷)」 に苦しんでいるといいます。
「間違いを犯したという罪悪感。人間は、互いに信頼し合い、互いに守り合う社会的な動物です。共感、同情、協力という能力があります。戦場にはそれがないから本能で苦しむ。また、『この家に敵がいる、襲撃しろ』 と命令されたのに、実際には一般家庭だったとか、そういう状態が続くと、絶望感が生まれます」

 ビオチレッテさんは社会の無関心も元兵士を追い込んでいくといいます。
「軍隊を辞めて、リアル・ワールドに帰ってきたら、もう誰も戦争になど関心を持っていませんでした。多くの税金は軍事に使われるのに、誰も気にしていない。だから、多くの元兵士が胸に秘めているのは、怒り。怒りだと思います」


 米当局によると、9.11の実行犯の大半はサウジアラビア出身者で、アフガンとは無関係でした。イラク戦争の開戦理由だった 「大量破壊兵器」 は見つかりませんでした。後になって知ったそれらの事実に、ホーさんは苦しんできまし。いったい、何のためにイラクの市民、米軍の仲間は殺されたのか。何のための戦争だったのか。
 2007年PTSDを発症し、アルコール中毒になり、自殺未遂をします。
 2016年2月、彼はトラウマ性の脳障害と診断され現在も投薬治療を続けています。
「正義の戦争は全て嘘だった。僕は豊かな道徳心があると思っていたし、自分でいい人間だとも思っていた。けれど、僕は間違ったことをしたんだ。道徳的な人間になろうとしても、いい人間になろうとしても、もうなれないんだ」
「死んでから何日も放置されている子どもも見たよ。海兵隊員が撃たれるのも見た。うめき声、白目……。ある時、イラクの街中を歩いていると、女性が僕を見ているんだ。その目に映っていたのは……憎しみだ。あんな憎しみの顔、僕は見たことがなかった。心から僕を憎んでいた。たぶん、僕らが彼女の子どもを殺したんだと思う。それが戦争なんだ。でも、それを支え続けることは間違っている」

 テロとの闘いの開戦から16年、戦争の終わりはまだ見えていません。
 アーリントンの国立墓地には40万人の兵士が眠っているといわれますが、緑の墓地の用地がまだまだ広く広がっています。米国はさらに自国の兵士を殺し続けるつもりなのでしょうか。


 平和のための元軍人の会は2015年12月に沖縄を訪れました。辺野古を訪れ、新基地に反対する座り込みにも参加しました。現役米軍兵士たちに向けてプラカードを掲げました。
君たち米軍はぼくの民主主義を殺している (Your Military is Killing My Democracy)


 1965年に沖縄からベトナム戦争に出兵し、PTSDにり患して帰国したアレン・ネルソンは、その後反戦運動を続けます。(2014年1月7日の 「活動報告」)
 日本にもなんどもきて平和活動への参加、講演を行っています。
 1998年2月、大分・日出生台での海兵隊の実弾演習に対して、早朝、地元のメンバーとゲート前で抗議行動をおこないました。その時、ハンドマイクを握り、自衛隊演習場内にいる若い海兵隊員に向かって、アレンさんは、静かに呼びかけました。
あなた方は人を殺してはならない。そして、あなた方も死んではならない。武器を置いて家族のいる祖国へ帰ろう」。

   「軍隊の惨事ストレス」
   「活動報告」 2016.7.5
   「活動報告」 2015.10.9
   「活動報告」 2015.7.3
   「活動報告」 2014.1.7
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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