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小池知事の表明はサイレンスのヘイトスピーチ
2017/08/29(Tue)
 8月29日 (火)

 毎年10月下旬から11月上旬に秩父困民党蜂起の足跡を追う旅・ツアーに車で出かけます。
 東京から秩父に向かうには関越高速道路に乗りますが、このルートは旧中山道・JR高崎線に沿っています。1923年9月1日に発生した関東大震災の時に朝鮮人が避難したルートでもあります。
 関東大震災の時、流言飛語が飛び交い、たくさんの朝鮮人が虐殺されました。中国人、沖縄人も殺されました。虐殺は横浜から始まり、東京、千葉、埼玉へと広がっていきます。同時に住民のなかに自警団が結成されます。東京で大杉栄は自警団に加わっていましたがのちに警察に殺されます。

 中山道にそった関東大震災の時の朝鮮人虐殺の状況です。
 流言のなかで、埼玉県警は県南に住んでいたり、荒川の河川工事に従事していた朝鮮人、東京から県南方向に避難してくる朝鮮人をまとめて群馬方面に護送することにします。最初は警察や自警団が付き添って徒歩や自動車で中山道を下ったりしました。しかし県北まできた時に自警団の一部と群集が朝鮮虐殺に走ります。9月4日、県内3か所で虐殺事件が起きます。熊谷約60人、神保原42人、本庄88人です。
 寄居でも1人虐殺されます。朝鮮アメを売り歩いていた具学永 (クハクヨン) は寄居警察署に保護されましたが群衆に襲われ虐殺されます。虐殺の時、具学永は血で 「無罪 日本 責任」 と書きました。お墓は寄居駅近くの正樹院に建っています。戒名は 「感天愁雨信士」。毎年9月1日が近づくと寄居署の警察官は保護できなかった責任を感じてお参りに訪れるといいます。いつもきれいに掃除されています。何度か訪れ、持参したお線香を焚きました。

 児玉でも1人虐殺されました。浄眼寺 (本庄市児玉町八幡山375) の無縁仏のなかに 「鮮覚悟道信士」 があります。後に 「児玉警察署員一同」 で供養塔が建てられました。持参したお線香を焚きました。
 現在の本庄市歴史民俗博物館 (本庄市中央1丁目2-3) は旧本庄警察署です。署員は避難してきた朝鮮人を保護していました。群衆が押し寄せたので玄関に阻止戦を張って守ろうとしましたが多勢に無勢でかないませんでした。日本刀、竹槍、木刀、棍棒、丸太等で朝鮮人88人が虐殺されました。遺骨は共同墓地・長峰墓地 (本庄市東台5丁目) に埋葬されました。翌年に日本人によって 『鮮人之碑』 の慰霊碑が建てられましたがのちに 『関東震災朝鮮人犠牲者慰霊碑』 に建て替えられました。碑には88人の名前が刻まれています。博物館を訪れ、当時の様子を想像しました。
 熊谷では避難を続けていた60人が路上で虐殺されます。この時から埼玉での虐殺が始まります。大原共同墓地には供養塔が建っています。
 妻沼町では、足尾銅山で働いていた秋田県生まれの青年労働者が、東京に出て仕事をしようとたまたま山を下りてきて、利根川を渡って妻沼町に入ったところ、利根川の橋を警備していた自警団によって東北訛りの発音から朝鮮人と間違えられ、虐殺されました。


 神奈川警察署鶴見分署長の大川常吉は、自警団や群衆から殺害されるおそれのあった朝鮮人・中国人らを署に保護しました。1000人以上の自警団らが署を囲み朝鮮人を殺せと叫びます。大川は群衆を説得するが、群衆は朝鮮人に味方する警察を叩き潰せと騒ぎ立てはじめます。大川は群衆の前に立ちはだかり叫びます。
「鮮人に手を下すなら下してみよ、憚 (はばか) り乍ら大川常吉が引き受ける、この大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、1人だって君たちの手に渡さないぞ」
 群衆は警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのかと問います。大川は、その場合は切腹して詫びると答えると、そこまで言うならと群衆は引き下がりました。
 横浜市鶴見区潮田町3-144-2にある東漸寺に大川を顕彰する石碑が1953年に在日朝鮮統一民主戦線により建立されました。

 東京の各警察署も朝鮮人を保護し、警察官は身体を張って群衆の暴行や虐殺を止めさせようとしました。
 もし、このような警察官の行動がなかったら虐殺者数は今公表されている6000人ではなく万を超えたでしょう。
 民間人としては、弁護士の布施辰治は自宅に大勢の朝鮮人をかくまいました。


 8月24日、東京都の小池都知事は、歴代の都知事が市民団体などの主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが明らかになりました。その理由を担当する都建設局は 「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」 と説明しました。
 虐殺された人朝鮮人、中国人は関東大震災で亡くなったのではありません。デマに煽られた警察官や自警団などによって虐殺されたのです。自然災害と虐殺を一緒に捉えることはできません。虐殺された人たちへの追悼は、同じ歴史をくり返さないという自戒の誓いを込めたものです。小池都知事はそれを拒否したのです。
 行政の長としては、群衆の暴挙を防いだ警察官の活動も忘れずに顕彰をする続けることも大切です。

 今年は秋が早いです。

   幽霊の 正体みたり 枯れ尾花

 小池都知事はそもそも隠しようのないタカ派の人物です。知事に就任してからは、他者を批判はするが自分としては必要な判断をあいまいにしたまま先延ばしをします。しかし今回はさすが判断が早いです。
 あいまいさに期待を持たせてポピュリスムをふりまく幽霊の正体を露呈させたのが今回の判断でした。このような知事の進める都政は、富まない都民にとっては恐怖と枯れ尾花の廃墟しかもたらしません。

 小池知事は虐殺された人たちを自然災害の犠牲者と同じにしか見ていません。そもそも、なぜ当時多くの朝鮮人が日本にいたのかと検証することもしません。
「無視、もしくは無言の拒否というやりかたで、人は途方もなく恐ろしい差別をする。侮蔑的な発言をしたとか、侮蔑的な文章を配ったり貼ったりしたとか、そうしたわかりやすい差別行為とは別次元の、底なしの沼のような差別である。」 (高山文彦著 『生き抜け、長崎の被差別部落とキリシタン その日のために』 解放出版)
 あったことを無視することでないと言いくるめる手法です。小池知事の表明は間接的、サイレンスのヘイトスピーチです。

 
 なぜ朝鮮人の虐殺が起こったのでしょうか。虐殺者の数は6000人にのぼると言われています。
 関東大震災が発生すると1日の午後には 「不逞鮮人」 への流言飛語が飛び交い始めます。
 2日、山本内閣は戒厳令を出します。
 3日、内務省警保局長が各地方長官あて、「朝鮮人暴動に対する厳重な警戒を要する」 と指示します。各地に自警団が結成されます。

 10年の日韓併合は日本による朝鮮の植民地化です。土地調査により所有者が不明な土地は没収すると称して土地を奪い、人びとを路頭に惑わせました。その人たちが日本に渡って各地に住み着いていました。
 18年、全国で米騒動が起きます。シベリア出兵という国策が打ち出されていた時に、全国規模で群衆が国策に異議を打ち出した行動でした。
 19年3月1日、日韓併合に反対して朝鮮全土で独立運動が起きました。運動を鎮圧するために日本政府は残虐な行為を繰り返しました。当時の朝鮮総督府政務総監が水野錬太郎、朝鮮の警務総監が赤池濃、朝鮮の一九師団の師団長が石光真臣でした。
大震災の時、内務大臣が水野、警視総監が赤池、第一師団長が石光でした。
 だから震災が起きると、この機を利用して日韓併合に不満を持ち、3、1の鎮圧に抗議する朝鮮人が暴動をおこすだろうと勝手に連想したのです。政府も軍隊も自分らが行った行為が反撃を受けると恐怖に襲われていたのです。そのため異分子を先に抹殺することでしか自分らの安心を保障できないのです。
 そして民衆の政府に対する不満と不安のはけ口を朝鮮の人たちに向けさせたのです。
 20年、民心の動向を把握するため日本ではじめて国勢調査が実施されました。米騒動の後、検察は警察と一体となるべき民間組織を作り上げていきます。この頃から互助組織の社会が破壊され、縦型の組織に再編されていきます。自警団はまさにそのような組織です。


 9月6日、千葉県東葛郡福田村 (現野田市) では、香川県三富郡の被差別部落から行商に来ていた一行15人が船で利根川を渡って茨城県に行くため渡し船に乗ろうとしていて船頭と言い合いになりました。船頭が 「どうもお前たちの言葉づかいが日本人でないように思うが、朝鮮人と違うか」 と言い出しました。半鐘が鳴らされ、自警団が押し寄せると 「君が代を歌え」 「15銭50銭と言ってみろ」 と迫ったりします。このような中で9人が虐殺されます。「福田村事件」 です。
 襲った側は8人が逮捕されました。田中村では各戸から弁護費用のための金を集めます。結局は昭和天皇の即位で恩赦になります。その後、中心人物は後に村長に。
 この事件は隠され続けました。事件現場近くの円福寺・大利根霊園内に慰霊碑が建立されたのは2003年9月6日です。
 そして甘粕事件、亀戸事件と続きます。


 まだまだ隠されている事件があると思われます。追悼は忘れることなく過ちを繰り返さないという未来への誓いです。事実の発掘は未来への警鐘です。

   「活動報告」 2013.9.3
   「活動報告」 2011.9.6
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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