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「忘れまじ6.15」
2017/06/16(Fri)
 6月16日 (金)

 6月15日、参議院で 「共謀罪」 が可決・成立しました。採決に至る経過がおかしいのは今更いうまでもありません。連日、多くの市民が反対して国会周辺におしかけ、各地でも反対の集会やデモがおこなわれました。
 政府はオリンピックを前にしたテロ対策といいます。しかし国連からも批判の声が上がりました。
 国連人権理事会の特別報告者ケナタッチ氏は日本政府に、法案にある 「計画」 や 「準備行為」 の定義があいまいで、恣意的に適用される可能性があると指摘し、「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」 と記した書簡を送りました。反対する人たちが危惧していることと同じです。
 これに対して日本政府は抗議したといいます。国連と日本は人格の尊厳や人権の概念がちがいます。そして日本は歴史の教訓を活かそうとしません。逆に繰り返そうとしています。
 共謀罪は誰が対象になるのでしょうか。何もしていない人は関係ないのでしょうか。対象を決めるのは警察権力であって自分ではありません。しかも行為ではなく 「心の中まで監視」 されてです。つまりは相手のやりたい放題です。

 13年12月成立の特定秘密保護法、15年7月成立の安保関連法、そして共謀罪とi立て続けです。軍事力強化から治安管理に移っています。これらに合わせてマイナンバー制度の開始、個人情報保護法の改正、ストレスチェック制度の導入がありました。現在の政府が目指す国家像が見えてきます。
 共謀罪を反対する意見に 「心の中まで監視される」 というのがありましたが、ストレスチェック制度もそうです。基本的人権が脅かされます。世界では他に存在しない治安法です。
 さまざまに監視され情報が集中して集められた中で、20年のオリンピックの観戦はマイナンバーカードを提示しないと会場に入れなくされるとささやかれています。マイナンバーに収められた情報の中には個人情報保護法の緩和で集めた情報や “どこからか流出した” ストレスチェックの情報も含まれています。これもテロ対策です。


 特定秘密保護法、安保関連法、そして共謀罪・・・。戦後の日本が大きく変えられていきます。
 その助走となったのが憲法違反の自衛隊を海外に派遣することを “合法” にしたPKO (国際連合の国連平和維持活動 Peace Keeping Operation) 法だという意見があります。
 PKO法は1992年6月15日に成立しました。
 PKO法案阻止に向けて、社会党などは採決に際して連日 「牛歩戦術」 を行使し、会期期限切れ廃案を目指しました。採決中は議場閉鎖です。トイレにも行けません。女性議員は紙おむつをはいていたといわれます。水をひかえていた男性議員は脱水症状になってしまい棄権せざるを得ませんでした。国会周辺にはデモ隊が押し寄せ、国会内と外がひとつになって頑張りました。
 徹夜でテレビ中継がおこなわれていました。国会前に駆けつけられなかった人たちはテレビにくぎ付けでした。ある人は、採決を遅らせ、廃案に追い込もうとしている牛歩は、次にいつの日か登場させてくるであろう徴兵令を1秒、1分遅らせることになると確信していたといいます。
 しかし可決されました。
 数日後、日比谷野外音楽堂でPKO法案を認めない集会が開催されました。当時、社民連代表だった江田五月議員 (前参議院議長) は壇上で 『忘れまじ6.15』 の歌を涙ながらに歌い決意を語りました。『忘れまじ6.15』 は60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんを弔う歌です。
 PKO法は憲法9条をないがしろにしました。法案が成立すると政治再編が加速しました。


 60年安保闘争の時の首相は岸信介、安倍晋三の御祖父です。岸は安保条約締結に反対する人たちを気にしながら 「声なき声は私を支持している」 と豪語しました。しかし 「声なき声も安保条約に反対している」 という声があがり、反対運動はさらに盛り上がりました。これが日本における市民運動の登場になりました。そして政権は倒れます。
 「共謀罪」 が成立したのは6月15日です。首相は安倍晋三です。くり返される 「忘れまじ6.15」 です。
 「共謀罪」 は安倍政権を揺さぶっています。


 共謀罪は2020年の東京オリンピックを口実にされます。
 では、この前の東京オリンピックはどのような状況下で開催されたのでしょうか。
「1960年代は、日本の高度経済成長期にあたり、また一方では日本が大きく変貌していった時期でもあった。そしてこの歴史や戦争についての見方のも、微妙な変化がみられるようになった。毎年8月15日には政府主催の 「全国戦没者追悼式」 がおこなわれるが、それが始まったのは、1963年のことである。それまでは、戦争の性格もあってか、戦没者を政府が公式に追悼することは控えていたと考えられる。
 また、千円札の肖像が 『聖徳太子』 から 『伊藤博文』 に代わったのも、1963年11月のことである。日本では、特に話題にもならなかったが、たとえば、あるソウル特派員は韓国の大学生から、つぎのような疑問をぶつけられている。
 『・・・あなたは、その人物が何をした人か知っていますか。初代の朝鮮総督です。日本の植民地侵略の原動力となった人です。・・・』 ・・・
 『戦没者叙勲』 が再開されたのは、1964年4月29日 (天皇誕生日) である。時の池田勇人首相は、戦没者に対する叙勲は 『国として感謝の誠を捧げ、その生前の功績を顕彰する趣旨のもの』 と談話を発表した。
 1964年の 『東京オリンピック』 や70年の大阪 『万国博覧会』 は、この時期を象徴するイベントである。東海道新幹線の開通が64年10月、名神高速道路の全通が65年7月、東名高速道路の全通が69年5月などもこの時期に重なり、さらに64年4月からは一般海外渡航が自由化される。」 (田中伸尚他 『遺族と戦後』 岩波新書)

 1963年の 「全国戦没者追悼式」 の後の10月に 「第18回全国戦没者遺族大会」 が開催されます。そこで靖国神社の国家護持の要望が決議されます。その後、「靖国神社法案」 は5回国会上程されましたがその都度廃案になりました。
 「戦没者に対する叙勲は今次の戦において、祖国のために尊い命を捧げた方々に対して国として感謝の誠を捧げ、その生前の功績を顕彰する」 もので、『生前の功績』 は、「よく戦ったことであり、それを国家が評価するわけである。たんに 『国のために死んだ』 というだけが叙勲の対象ではないのである。・・・勲章の授与者は天皇だった」 のです。
 戦没者のなかに差別が持ち込まれました。
 そしてこの頃に各地でせんぶとしゃの慰霊碑 (塔) の建立が始まります。
 沖縄には都道府県の慰霊碑が建立されていますが多くがこの頃のものです。
 終戦後、人びとの意識に強くあった戦争反対の意識は少しづつ崩されていきます。
 その一方で 「教育勅語」 の評価が変えられようとしています。

 1965年に 「日韓条約」 が締結されます。韓国との戦後補償は終了したことになります。
「政府は、毎年15日に、東京の日本武道館で 『全国戦没者追悼式』 を開催し、天皇・皇后も出席する。
 1990年からその 『政府広報』 が一般紙に載るが、そこには 『内外地を通じて死没された300余万の方々』 とある。この 『300余万』 とは日本側の死者のみを意味することはいうまでもない。」
 同追悼式における歴代首相の 『式辞』 にも、この 『300余万』 が登場する。ちなみに、1992年の宮沢首相、93年の細川首相、94年の村山首相のそれぞれを読みくらべてみた。
 あとの2人は 『300万余』 のほかに、宮沢首相と違って、『アジア近隣諸国をはじめ全世界すべての戦争犠牲者とその遺族に対し、国境を越えて謹んで哀悼の意を表する』 (細川首相)、または 『アジアをはじめとする世界の多くの人びとに、筆舌に尽くし難い悲惨なぎせいをもたらし』 (村山首相) と述べ、若干の変化が見られた、なお、土井たか子衆議院議長は、『300余万』 を使わず、『痛ましい犠牲となられた彼我幾千万の人びと』 (1993年) という表現を使っている」
 「彼我幾千万の人びと」 はまた強制的に忘れさせられようとしています。


 20年の東京オリンピックは世界に何を誇示し、国内の人びとをどのように誘導しようとするのでしょうか。
 誇示する前に、戦争被害にあわせたアジアの人たちにたいしてそれを認めて謝罪が必要です。政府は従軍慰安婦問題を、まもなく当事者がいなくなったらすべて解決するととらえています。しかし歴史を力でくつがえすことはできません。
 政府は、強固に完備した軍事力のもとで経済力を誇示します。そしてそれに反対したり、格差社会を拡大する経済政策優先に抵抗・抵抗しようとする人びとを監視し管理する体制を作り上げようとしています。それが 「強い国家」 づくりだと思い込ませられています。
 「強い国家」 は権力を握る少数の者が人びとを巻き込んだときに成立します。その手段にオリンピックが利用されています。強い国家と、オリンピックに選ばれる強い選手・チームの発想は繋がります。あらゆるスポーツがそこに向けて 「日の丸」 「君が代」 を掲げて動員されます。
 オリンピックに踊らされることは危険です。浮かれてはいられません。

 軍事力を背景に経済格差を拡大し、人びとを監視・支配する社会はけっして 「強い国家」 ではありません。そこから取り残された人たちのなかからテロが生まれます。
 本気でテロ対策をおこなうのならその逆を追究する必要があります。
 誰をも弾圧、強迫しない、差別しない 「弱い国」 のほうが人びとは生きやすいです。

   「活動報告」 2017.5.12
   「活動報告」 2017.4.11
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