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「東北でよかった」
2017/04/28(Fri)
 4月28日 (金)

 4月25日、今村復興大臣が自民党二階派の政治資金パーティーの講演で 「東北でよかった」 という趣旨の発言をして辞任に追い込まれました。
 大臣はパワーポイントを使用して20分講演しました。ということは、説明・発言内容を事前に準備をしていたということです。思ってもいないことがぽろっと漏れたのではありません。発言内容です。
「(東日本大震災は) 死者が1万5893人、行方不明者2585人、計1万8478人。この方が一瞬にして命を失ったわけで。社会資本の棄損も、いろんな勘定の仕方がございますが25兆円という数字もあります。これは、まだ東北で、あっちのほうだったからよかった。これがもっと首都圏に近かったりすると、ばく大なですね、甚大な被害があったというふうにおもっております。」
 数字にしか関心がありません。大臣の発言は 「あっちのほう」 です。ここに本心があります。


 「東北でよかった」
 どこかで聞いたことがあると思ったら、思い出しました。直木賞作家の高橋克彦が東北大震災後の2013年に出した 『東北・蝦夷 (えみし) の魂』 (現代書館) の序幕にありました。
「リーダーの条件とは何だろうか? ……
 東日本大震災を経験したことで見えてきた、新たなリーダー像もあるのではないか。頭脳とか行動力といった理由からではなく、何故か自然と和の中心にいる人――なんだか頼りない奴だけど、でも、あいつがいるといいよね――そんな人が、これからのリーダーになっていくのではと思っている。……」
 東日本大震災を経験して東北の人たちはたくさんのことを学びました。多くの人から支援を受け、本当に大切なものは何かを発見しました。「国の姿」 ・政治家の姿勢も見てきました。
 リーダーといわれるにふさわしいのは、政治家においても 「頭脳とか行動力といった理由からではなく、何故か自然と和の中心にいる人――なんだか頼りない奴だけど、でも、あいつがいるといいよね」 といわれる人です。寄り添う人です。
 「東北でよかった」 と平気で言えるような人は、「あいつがいると迷惑だよね」 の存在です。不愉快・ムカツキました。悔し涙がでてきました。

「東北は朝廷など中央政権に負け続けている。
 阿弖流為が坂上田村麻呂に、阿部貞任が源頼義に、平泉の藤原泰衡が源頼朝に、九戸政実が豊臣秀吉に、そして欧州列藩同盟は明治政府により賊軍とされた。」
「東北の民は朝廷軍など中央の権力と何度も戦い、すべて敗北した。負けた側は歴史を消されてしまう。勝った側は当然のように自分たちの正当性を主張する。自分たちは正義の戦いをした、抗った連中は野蛮で文化もなく殺したって構わない奴らだ、と決めつけたのだ。
 東北は……たびたび大規模な戦に巻き込まれたため、歴史をズダズダに書き換えられ、棄てられてしまっている。それでも東北の人たちは逞しく生きてきた。その事実を子供時代に知ることが、どれほど大切か。特に中学・高校生の頃、故郷への思いや誇りを胸に刻み込んでほしい。それが必ず心の支えになっていく。……
 阿弖流為も安倍貞任も九戸政実も、逆賊どころか故郷を守ろうとしたヒーローなのだと正当な評価が広がり、『自分は東北に生まれてよかった』 と思える子供時代を過ごせば、きっと壁を超える力を得られるだろう。」 (『東北・蝦夷 (えみし) の魂』)


 阿弖流為の戦いです。
 785年、朝廷と蝦夷は支配権の均衡が崩れます。あちこちで戦いが始まります。
 蝦夷の中心にいたのが胆沢の長・阿弖流為です。その後28年間戦いが続きます。
 しかし 『続日本紀』 などの歴史書にはほとんど記述がありません。朝廷は5万の軍を送りますが、負け続けている歴史は記録しません。
 蝦夷を 「平定」 した時の記述は蝦夷の首級200に対して朝廷の戦死者は800とあります。実際は、戦って死んだ者25人、矢にあたって死んだ者245人、川に身を投じて溺死した者1036人でした。
 799年、桓武天皇は坂上田村麿を征夷大将軍に任命します。
 802年、田村麻呂は胆沢に進出、阿弖流為は500の手勢を引き連れて本拠地を明け渡します。しかしこの間の資料もありません。
 なぜ阿弖流為は降伏したのでしょうか。蝦夷の疲弊が極に達していたからと推測されます。どうしたら蝦夷に未来が残せるかの苦闘がありました。
 高橋克彦は阿弖流為を描いた小説 『火怨』 で、「リーダーとは共に戦う兵士たちに郷土に対する思いをきちんと伝えられる人間だ」 といっています。
 やはり復興大臣とは違います。


 1198年に平泉の藤原泰衡が、朝廷の命を受けた源頼朝によって攻撃を受け後退したことについては、11年9月1日の 「活動報告」 でふれました。
「戦わずして負けたのは、弱腰だったからではない。入り込んできた20数万の敵兵と戦えば、平泉や奧6郡が灰になってしまうのを恐れたからだ。それよりは、自分たちが立ち去ることで、国と民を守ろうという判断をしたのだろう。」 (『東北・蝦夷 (えみし) の魂』)


 九戸政実については15年8月18日の 「活動報告」 で書きました。
 1591年、豊臣秀吉の軍勢15万が屁理屈をつけて九戸政実の九戸城に攻め入ります。攻防が続きますが最終的に政実は降伏します。
 城下の住民の被害が拡大することを避けるためにも、南部藩に自分ら四兄弟の首を差し出すことを条件にした和議を申し出ます。奥州勢も秀吉の野望に気づき、奥州の共同体を守る方向に転換して和議を成立させます。双方の被害は最小限でくい止められました。そのために 「降伏」 したのです。そして秀吉の野望は頓挫しました。
 政実の思いは、「山の王国」 ・蝦夷を含めて奥州の共同体を守る、農民たちを苦しめない、鉄砲の性能を高める良質の硫黄の山は渡さない、そのためには自分の首を差し出すことも辞さないというものでした。硫黄の山は秀吉に渡ることはありませんでした。現在の松尾鉱山です。
 秀吉はすでに朝鮮への出兵を計画していました。そのため奥州からも人足を集めようとします。朝鮮出兵のためには、寒さに強い兵士が必要でした。
 福島龍太郎の小説 『冬を待つ城』 (新潮社) は秀吉の朝鮮出兵、日本でいうところの1592年からはじまった 「文禄の役」 の場面から始まります。計画通りにはいかなくて苦戦します。
 政実と奧州勢の策略は、秀吉の朝鮮出兵による朝鮮の人びとの被害を小さくしました。今でいうなら 「日朝連帯」 でした。


「中央政権が攻め込んできた時には、東北から奪い取りたいものがかならず中央の側にあった。阿弖流為との戦いでは黄金であり、前九年・後三年の役では武士勢力の源氏が、軍馬や鉄など軍事資源を狙った。源頼朝による平泉制圧はそれら軍事資源に加えて、より高度な軍事技術、すなわち軍馬の育成であり、刀や鎧などの武具製造技術であり、公家政治とは異なる平泉の政治制度をも欲しかった。」 (『東北・蝦夷 (えみし) の魂』)
 九戸城への攻撃をふくめてまさしく植民地そのものでした。


 戊辰戦争で官軍が東北に大量に入り込みます。その後に薩長土肥の新政府によっていわれ始めたのが 「白河以北一山百文 (しらかわいほくひとやまひゃくもん)」 です。「白河の関所より北の土地は、一山で百文にしかならない荒れ地ばかり」 という意味です。
 明治維新後、官軍側の役人が赴任し、急速に東北は差別され虐げられます。武士たちは北海道改開拓移民などに応じて移住します。他の者も明治政府が進めた富国強兵政策のもと軍隊に入っていきます。日露戦争の時、激戦地の203号地で最前線に立たされたのは東北の兵です。新たな差別が始まります。「新植民地」 です。
 戊辰戦争で生活の糧を荒らされ、東北での生活がむずかしくなった人たちは東京などの大都市に職を求めます。明治10年頃の東京の 「下男」 ・ 「下女」 はほとんどが東北出身者で、東北弁を話します。いまも東北弁を使うと笑われたり差別されます。「下男」 ・ 「下女」 が話す言葉だったからです。
 「新植民地」 の典型が、電力供給地、そして危険なものを押し付けた福島原発につながっていきます。沖縄に米軍基地を集注させている発想にそっくりです。


「東北の民、蝦夷と呼ばれる人々に共通しているのは、自分たちから攻めていくことは決してないという点だ。自分たちから攻めないのは、我慢ができるからだ。反対に、いざ戦うとなったら、我慢を重ねた分の重みがあるから、命を賭して立ち向かうことになる。……
 弱いのではなく、遥か遠くまで見ているような意識とでも言おうか。自分という存在は、決して中心にいるのでもなければ、自分だけで生きている世界でもないという認識を東北人の誰もが持っている気がする。」 (『東北・蝦夷 (えみし) の魂』)

 「東北でよかった」 の発言が報道されると、その晩のうちに東北の素晴らしいところを紹介したインターネット 「東北でよかった」 が次々と発信されました。大臣の発言にたいして直接的には攻めてはいませんが真正面からの戦いです。それは東日本大震災という災害に命を賭して戦っているなかで発見した自分たちの確信での対峙です。


「東北の民、蝦夷と呼ばれる人々に共通しているのは、自分たちから攻めていくことは決してない」
 長州出身の、自分たちから攻めていくことを画策する首相に、平和を希求する東北の魂で反対の意思を表明して攻めを続け、重ねて 「東北でよかった」 といえるようにしたいと思います。


   「活動報告」 2015.8.18
   「活動報告」 2011.9.1
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