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団結ってなに?
2017/04/25(Tue)
 4月25日 (火)

 国会では共謀罪の審議が進んでいます。賛成の声は聞こえてきませんが、かといって反対の世論はなかなか盛り上がりません。沖縄では辺野古基地建設が強行されようとしていますが、本土ではなかなか抗議の声が大きくなりません。
 危険だ、止めさせなければならないと思っている者にとっては歯がゆい思いです。
 さらに自衛隊が我が物顔でマスコミに登場しています。過労死問題が社会問題となっても、労働組合は関心を示しません。・・・
 ある会合で居合わせた人たちに愚痴をこぼすと話がもりあがりました。しかし 「昔はこんなときは・・・」 などといっていても解決のは至りません。なぜなのかを真剣に検討すてみる必要があります。

 その時、浮かんできたのが、少し古くなりますが、生瀬克己著 『近世日本の障害者と民衆』 (三一書房 1989年) でした。著者は第一章で終戦から1980年代までの歴史学における民衆史のとらえ方を差別問題を中心に整理し、検討しています。その間には、被差別部落の解放運動をめぐる論争もありました。
 民衆史を労働運動に重ねて検討すると浮かび上がってくるものがあります。


「人権意識の問題に関しては、〈敗戦〉 後における 〈民主改革〉 なるものが、
 ①専制権力としての天皇制の解体
 ②ファシズムの基盤であった軍国主義思想と軍部への打撃
 ③労働者階級を中心とする人民階級の政治的地位の向上 
といった役割を果たしたため、〈労働者階級の権利〉 といった形での、いわば 〈層としての人権意識〉 は成立しえても、個別の問題、個別の個人に対する確固とした人権意識は成立しにくかったのではないかという疑いも残る。
 人権理論に関する世界史の流れは、1948年の 〈世界人権宣言〉 以降、それまでの自由権的基本権に加えて、人間の生活の基本的必要物を積極的に国家に要求しうることを内容とする社会権的基本権が、基本的人権の内容のなかに追加されるようになっていたとはいえ、人権理論の上でのこうした変化が、少なくとも1960年代までは、歴史研究者に大きな影響を与えなかったと考えた方がよさそうである。」 (『近世日本の障害者と民衆』)

 世界的には第二次世界大戦後すぐに 「基本的人権」 が独立して登場します。しかし日本では 〈民主改革〉 のなかで 「基本的人権」 は 〈層としての人権意識〉 に包摂されると捉えられます。〈民主改革〉 が進めば 「基本的人権」 はおのずと獲得・保障されるという解釈です。それは憲法解釈においてもそうです。「基本的人権」 が独立して取り上げられることはほとんどありませんでした。
「人権保護法案」 が議論にのぼるのは21世紀に入ってからです。

 人びとの生活のとらえ返し、歴史の掘り起こしが進むと民衆史が脚光を浴びます。
 歴史学者の林屋辰三郎は、これまでの歴史研究が 「貴族の歴史」 であったと指摘し、民衆史を追求するためには3つの 「よりどころ」 があるといいます。
「天皇や貴族が京都のような中央を拠点としていたことに対し、民衆は各地に分散して生活していたがゆえに、『地方』 史の究明が必要となる。第二に、民衆の歴史を縦に深く掘り下げていくこには、社会の最底辺にいた被差別部落の存在を忘れることはできない。そして、最後に、いやしくも民衆史を標榜するかぎりは、民衆の半数をしめる女性への考慮なしには成立しない。」

 歴史は過去のものではなく現在につながるものとして、やっと民衆の活動に光があてられていきます。

「いわば 〈部落史研究〉 の先駆者的な役割を担っていた部落史が、それ自体としての学問的市民権を得た、ちょうどその頃 〈1960年代後半〉、いわゆる 〈民衆史研究〉 の側でも、大きな変化の兆候が見え始めていた。
 すでに述べたところであるが、いわゆるマルクス主義歴史学においては、〈生産力〉 〈生産関係〉 といったことに目がいくあまり、〈民衆〉 というカテゴリーについては、ともすれば、一体化された 〈層〉 と認識されているかに思うしかない場合も少なくなかった。こうした 〈方法〉 のもとでは、歴史のなかに埋没させられていた 〈個人〉 を対象とし、この 〈個人〉 を掘り下げ、そうした 〈個人〉 を浮きぼりにするといったことはなされにくい。
 1960年代後半の 〈高度経済成長〉 を背景にした 〈管理社会〉 の進行が、従来のマルクス主義の 〈弱点〉 を認識させ、失われていく 〈個人〉 を取り戻すことに、より大きな必要性を自覚させたのであった。」 (『近世日本の障害者と民衆』)

 著者は、マルクス主義歴史学においては 〈民衆〉 は 〈層〉 (=同一性を持つ) と認識されていたと認識します。しかしここではマルクス主義の理解がヨーロッパと違っています。ヨーロッパでは 〈民衆〉 は権力者の対抗勢力のことですが 〈層〉 とは捉えません。
 マルクス主義歴史学とは、日本独特の 「講座派」 や 「労農派」 を指しますがこれをマルクス主義ととらえると間違いが生じます。マルクス主義歴史学は 「貴族の歴史」 研究だったのです。
 
 この頃の労働運動はどうだったでしょうか。〈民衆〉 を労働組合に置き換えて検討してみます。
 〈敗戦〉 後における労働組合の結成は、多くは戦時中の 「産業報国会」 のつくりかえです。産業報国会の基盤になったのは、「家族主義」、「温情主義」 の “縦の組合” (企業組合) です。
 企業組合はその後、「年功序列」、「終身雇用」、「企業内組合」 といわれる強固な “絆” の日本の労使関係を作り上げていきます。そこで 「企業戦士」 が活躍します。現在 “絆” は従属になっています。
 産業報国会とは違う労働組合もありました。しかしそのイデオロギー的基礎は日本的マルクス主義です。
 これがいわゆる 〈民主改革〉 の一翼を占めた労働運動でした。
 労働者はまさしく 〈層〉 でした。その統一が “団結” です。そこでは 〈個〉 の存在は認められませんでした。それを基盤にした運動の集大成が1958年から始まった 「春闘」 です。要求は企業を越えて産別ごとに中央で交渉します。社会的に盛り上がる時には下からの押し上げなどで成果もありますが、景気が後退すると個別組合の要求は無視され、産業保護・維持のために労使のトップが合意します。個別企業は形骸化していきます。
 確かに労働者は生産手段を行使している労働現場の主人公です。だからといって 〈生産力〉 〈生産関係〉 と一体とみるならば人間としての労働者が欠落します。
 〈生産力〉 〈生産関係〉 に視点が向き過ぎると技術改革や高度経済成長を客観視できなくなり取り込まれていきます。実際には60円代中ばに労使協調の IMF-JC (International Metalworkers' Federation-Japan Council 全日本金属産業労働組合協議会) 派労働運動が登場します。
 〈層〉 のなかから、1960年の安保反対闘争の時から 「市民」 が登場します。(2015年1月23日の 「活動報告」 参照)


 歴史学者の芳賀登は著書 『民衆史の創造』 (1974年) で民衆史研究の目的について 「あるがままの民衆の生態に即しつつ、これを歴史変革の主体に成長させるための手だてを、民衆史を創造・確立する過程のなかで果たしたい」 と告白しながら、戦後のマルクス主義の方法的弱点について述べています。
「戦後の日本の歴史学会は、(中略) もっぱら客観的な法則性を追求し、いわゆる基底還元主義的な歴史のとりあつかいを基本的な学問であるといいつづけてきた。(中略) 何らかの資料に依拠してのみ歴史学が成立するとするならば、史料なき史料、あるいは、記録を残さざる人びとの歴史を復元し、今日に生かすことはできない。そして、民衆の内面を喪失した歴史学は、現実の生活を支える力、生きた人間の心や魂を支える力を持ちえないのは当然であろう。
 〈層〉 として把握された民衆から、〈個〉 としての民衆の復権を願っていました。そして続けます。
「歴史は、死者の叫びや死者ののこした言葉の、生きた人間の問いかけである。虚空をつかんで、無念の涙をこらえつつ死んでいった者の求めにこたえることは歴史学や歴史家の使命である」

 〈層〉 としての民衆から 〈個〉 が取り上げられていきます。
 しかし当時は、学説に少しでも異論をはさもうとすると覚悟がいりました。マルクス主義歴史学と整合性を持たない民衆史研究者は異端児扱いされます。ましてやマルクス主義歴史学を批判すると学会からの “追放” にも至ります。
 1960年代後半から70年代にかけての部落解放同盟の路線をめぐる論争と運動の対立は、この “民主主義” 対、水平社運動の歴史に裏づけられた “人権” 運動の継承と捉えること理解が早まります。
 マルクス主義歴史学が崩壊していくのは昭和天皇の死去のときの情勢をめぐってです。


「1960年代後半の 〈高度経済成長〉 を背景にした 〈管理社会〉 の進行が、従来のマルクス主義の 〈弱点〉 を認識させ、失われていく 〈個人〉 を取り戻すことに、より大きな必要性を自覚させたのであった。」
 1960年後半には、既成の労働組合運動に反対する潮流が青年部などを中心に登場し、独立して組合を結成したりもします。学生運動や市民運動も盛り上がります。“民主主義” の問い直しが主張されます。高度経済成長の中で発生していた公害問題などささまざまな社会問題の告発も行なわれます。〈個人〉 が登場して自己主張を開始します。

 しかし支配者層も黙っていません。高度経済成長のなかで生活向上をあおり、人びとを 〈個人〉 ごとに管理する方向に誘導していきます。労働組合の 〈層〉 としての一糸乱れぬ団結のかけ声は統制がとれなくなります。
 本来なら支配層に先んじて労働組合は 〈個人〉 を尊重し、その総和としての活動、社会と連帯した運動に挑戦されるべきでした。団結のかけ声はさらに孤立を深め、分散化を促進していきます。労働組合が孤立化していきます。
 1980年代から非正規労働者が増加します。しかし 〈層〉 としての団から抜け出せない企業内労働組合は非正規労働者に関心を示しません。体調不良者は 〈生産力〉 のとらえ方から人権や生活権は問題にされないで排除の対象になります。今に至るもそうです。


 歴史学者の鹿野政直の、『講座・日本歴史』 第13巻 (東大出版 1985年) に収められている論文 「現代人間論」 です。
「『人間』 という言葉は、見る角度によってさまざまに異なる意味を反射する。『民衆』 に対する角度からは、それは階級矛盾を消去する役割を演じ、『動物』 に対する角度からは、その “精神” 性が協調され、逆に 『神』 に対する角度からは、その “動物” 性が浮き彫りにされる。
 そういう点からいえば、昨今の 『人間』 復活への動きは、管理による疎外と荒廃を機縁とするだけに、あらゆる 『非人間的なもの』 に抗してとの意味をおびている。とするとき、それは 『非人間化』 をもたらした管理のシステムを告発するにとどまらず、みずからがどんなに 『非人間化』 されているかへの視野を培う。現代の矛盾と課題が、『差別』 と 『人権』 という枠組で急速に意識化されてきたのは、その必然の結果である」
「管理社会に生きるなかで、わたくしたちは日ごとに、万事につけて受け身になることに馴らされてきている。行動において受け身であることが日常化するにつれ、精神の能動性指標というべき想像力は衰退し、自らの周囲に意識の壁をめぐらし、そのなかに閉じこもろうとする。そういう状況下で 『差別』 と 『人間』 の視点は、その想像力を回復させ、壁の向こうがわを透視する能力を人々 (=わたくし) に獲得させることになろう。その意味でそこに、終末論を未来論に逆転させる契機が芽生えている、わたくしは観測する。」

 行動において受け身であることが日常化している 〈個人〉 の分断される単位から、想像力を回復させ、壁の向こうがわを透視する視点をもつ “連帯” の単位に変えていかなければなりません。
 そのためにはどうしたらいいのでしょうか。遠心力が働いている労働運動にどうしたら求心力を持たせることができるでしょうか。
 〈個人〉 の尊重とは、受け身であることや確かさがなければ行動しないことも認めることです。社会的に過労死問題が騒がれても労働者が沈黙を守る理由を探求しなければなりません。そこには 〈民衆〉 なるがゆえの 〈したたかさ〉 や防衛本能も存在しています。企業・労働組合だけではない社会に存在して様々な価値観を持っています。それらを含めて認め合い、違いを確認できる関係を作り上げることから 〈共感〉 や 〈仲間〉 の意識が生まれてきます。

 労働組合運動の復活は、〈民主改革〉 の時のように団結を叫ぶことではなく、団結とはなにかという問い直しから始まるように思われます。

 水平社結成のときに作られた 「解放歌」 の7番の歌詞は
  「あゝ友愛の熱き血を 結ぶ我らが団結の・・・」
です。 「友愛」 と 「団結」 がちがう者たちを対象にしています。マルクス主義歴史学が登場する前は、〈民衆〉 は 〈層〉 ではありませんでした。

   「活動報告」 2017.3.3
   「活動報告」 2017.2.17
   「活動報告」 2015.1.23
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