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戦争と平和はいつも押しくらまんじゅう
2017/04/11(Tue)
 4月11日(火)

 3月4日の毎日新聞・ 「時の在りか」 の冒頭です。

 訪米から帰国した週の金曜日、報道発表によると、安倍晋三首相は午後7時4分に公邸に引っ込んだきり、終夜 「来客なし」 となっている。実際は公邸に 「安倍応援団」 のジャーナリストらがひそかに招かれ、「訪米大成功祝勝会だ」 と盛り上がった (私は招かれていません、念のため)。
 関係者によると、今やトランプ米、プーチン露両大統領とも 「互角に渡り合う世界のアベ」 をたたえて意気上がる面々が、一転してまゆを曇らせたのは、話題が草の根右翼組織 「日本会議」 に移ってからだという。元々は安倍政治の確信的な支持層だったはずが、どうも最近は足を引っ張ることが多い。……
 国有地払い下げ疑惑を追及され、学校法人経営にアベ夫妻を利用していた 「森友学園」 理事長は、日本会議大阪の幹部だった。

 「安倍応援団」 のジャーナリストが政府に招かれていますなどということをきくと、戦中の大政翼賛会を連想させます。
 以前、政府の官房機密費が政治評論家に配られているということが明らかになりました。マスコミが政府のふところに入って世論を 「誘導」 しています。権力を監視する役割を持つ彼らに恥というものがないのでしょうか。
 「森友学園」 問題での疑惑追及は教育勅語にまで及びましたが、政府は 「憲法や教育基本法に反しないような形でなら教材使用を否定しない」 と閣議決定をおこないました。以前なら即閣僚辞任になるような発言が、逆に市民権を付与する契機に代わっていきます。
 親を大切にすることを学校でわざわざ教えなければならないなどということは国として恥ずかしいことです。郷土を愛することを強いるということは社会が乱れている証拠です。


 今、政府の思うとおりの政治がすすめられています。
 その一方で、機密保護法、マイカード制度、「共謀罪」 がさまざまな口実をもとに推し進められています。
 じわじわと人びとの監視がすすみ、抵抗が弱められています。
 共謀罪は、治安維持法を連想させて語られます。治安維持法で死刑になった日本人はいません。朝鮮で1人います。容疑の段階での取り調べで拷問・虐殺がおこなわれたのは周知のことです。その効力は分断と監視を強め、人びとの間に疑心暗鬼を持ち込み、行動を委縮させるだけでも大きいものがありました。
 歴史として習ったことと似たような状況がひたひたと押し寄せているような気がしてきます。


 4月6日の朝日新聞・オピニオン&フォーラムにドイツの現代史研究所副所長マグヌス・ブレヒトケンさん (専門はドイツ近現代史。比較政治論) へのインタビュー 「ポピュリズムの行方」 が載りました。
 インタビューの意図は、「欧州各国で、排外主義を掲げ、欧州統合にも批判的な右派ポピュリスト政党が伸長している。トランプ米大統領を生んだ米国を含め、世界の民主主義はどこに向かおうとしているのか。ナチスが台頭した戦前との違いは何か。」 です。その中のナチスの台頭についての箇所を抜粋します。

 ――英国のログイン前の続き欧州連合 (EU) 離脱、米大統領選など直接的な投票で、世界が大きく動いています。ナチスドイツも1930年代、4度の国民投票で台頭しました。
「30年代の国民投票と現代を比較することは非常に慎重であるべきだと思います。ヒトラーが権力を掌握した33年 (1月) 以降、特に2月の国会議事堂放火事件 (共産主義者の犯行と断定して共産党を弾圧) を経て、法の支配は事実上廃止されました。ワイマール憲法の48条が発動され、同憲法が保障していたほぼすべての基本的な権利は完全に廃止されたのです」
 ――48条は 「憲法停止の非常大権」 を定めた緊急条項ですね。
「憲法に何が書かれていても権力者のやりたいことができる。憲法に憲法を棚に上げる規定があったのです。それをヒトラーが利用した。(憲法という) 法的側面だけでなく、政治的、社会的な弾圧も強まりました。突撃隊 (ナチスの準軍事組織、SA) を使って社会民主主義者や共産主義者などあらゆる政敵に対する暴力が行使されるようになる。そうなると、普通の政治状況や自由選挙といった選択肢はもうありません。33年3月の総選挙は暴力と脅しが広がるなかで実施されたのです」
 ――その総選挙を経て、議会制民主主義を否定する勢力が議会で多数派を握りました。
「ナチスの国家社会主義ドイツ労働者党は44%の得票でしたが、民主主義を否定する右派政党DNVP (ドイツ国家人民党) も8%を得た。つまり右側だけで議会を否定する勢力が過半数を占めた。一方、共産党の選挙前の支持は17% (選挙では12%) あった。彼らも議会を否定する勢力だった。つまり当時は左右合わせて約3分の2の議会勢力が反民主主義的、議会否定派の政党だったのです」

 ――日本でも大規模な自然災害やテロなど、非常時に政府権限を強める 「緊急事態条項」 を憲法に盛り込むべきかどうかが、改憲論議の焦点の一つになっています。
「こうした条項は、民主主義の安定にとって、極めて危険です。各国とも何らかの規定はありますが、ナチスの経験から導き得るのは、権力を握ったものがそれをどう運用するかわからないということなのです。(ワイマール共和国の大統領) ヒンデンブルクは、この条項を発動したとき、どのような結果をもたらすか、理解していなかったのでしょう。権力の集中はいつでも極めて危険なのです。ドイツ新憲法でも68年に導入されていますが、極めて限定的なもので議会の同意も必要です」
 ――ただ、ナチスの台頭も、既成政治への不満が発端でした。
「その通りです。ただ、政治的な環境は全く異なります。30年代前半の有権者の多くは (第1次大戦まで続いた) 帝政ドイツの専制主義的で非民主主義的な時代に生きてきた人たちです。ワイマール共和国下での12年間の民主主義を経験していましたが、それは大戦の敗戦によってもたらされたものという意識だった。敗戦はドイツ帝国や王政のせいではなく、ドイツ革命や社会民主主義者のせいだと考えた。つまり、敗北感と民主主義とが結びついていたのです。専制主義の伝統に慣れた33年当時の有権者は、議会制民主主義が機能していないと感じた。だからこそ、既成政治を打破し、国家の安定と国力を回復し、解決策を示すと訴えたヒトラーのような人物にひかれたのです」
 ――ヒトラーは巨額の赤字国債によって軍事的な支出を増やし、人気を高めていきます。
「数年後に戦争や周辺国の占領で賄えるという前提だったのでしょう。35年の再軍備宣言 (ベルサイユ条約の破棄)、徴兵制の復活は極めて高い支持を得た。新たな体制と党による全体主義、専制主義的な圧力だけでなく、人々がそれに慣れ、そうした政治的変化を国家にとっての成功だと信じていた。仮に38年のドイツで自由選挙が実施されていたとしてもヒトラーは過半数を得ていたでしょう」

 ―― 「過去」 を美化しようとする動きにドイツではどう向き合っているのですか。
「ドイツでも40~50年代、過去に触れることを好まない時期がありました。多くの人は、ナチスの暴力や特にホロコースト (ユダヤ人大虐殺) について触れることに不快感を覚えていた。しかし自己批判的であることが常に求められるなかで、時間はかかったものの社会に変化を及ぼしたのです」
 ――歴史的にみて、政治や社会の安定を保つうえで必要なのは何なのでしょうか。
「こういう時代だからこそ、議会や法治主義といった安定的なシステムによって揺れを吸収していくことが重要です。そのために自分自身、何ができるか。何をすべきか。同僚ともよく議論しています。過激なものからの脅威に対して、社会の安定のために自分たちの持っているものを活用することは歴史家としての責務だと考えています。書斎にこもるのではなく、外に出なければなりません」
「(ドイツの反イスラム運動) ペギーダは 『我々こそが人民の声だ』 と叫びますが、そうではありません。彼らの票は抗議の票であって、有権者は極右、極左が志向する社会を望んでいるわけではない。AfDの政治家も時に人種差別的なコメントを投げかけ、社会の反応を試そうとします。そういう試みを成功させないようにするのが我々の責務です。暴力は暴力的な言葉から始まる。政治的な立場や考えが異なる相手に対して決して個人的な攻撃や人格否定をすべきではない。他人への敬意を持ち、合理的な方法で批判するのが基本原則です。この原則を超える言葉遣いを認めてはならない。ドイツで技術と社会がともに発展したのはこのためだと私は思います。少なくともドイツでは、社会の安定が必要だと確信する人の方が極右、極左の動きよりも活発だと私は信じたい」

 ナチズムは人びとの不満の中から台頭してきます。身近に敵を発見します。


 戦後40年に当る1985年5月8日 (ドイツが無条件降伏した日)、西ドイツのワイツゼッカー大統領は、連邦議会で演説を行ないました。有名な 「荒れ野の40年」 です。その抜粋です。
「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。」

 ドイツと日本では歴史への向い方が違っています。日本は過去に目を閉ざしています。従軍慰安婦問題などの戦後補償、ヘイトスピーチ、沖縄問題などはまさしくそうです。
 福島原発事故も過去にさせられつつあります。原発事故の避難者に 「自己責任」 の言葉が発せられました。
 教育勅語を発した方の最後の公的発言は 「耐えがたきをたえ、忍び難きを忍び、もって万世の為に太平を開かんと欲す」 です。いい換えるなら 「自己責任」 です。今は人びとの 「自己責任」 が太平の国家をつくるということのようです。そのような社会は、為政者にとっては太平でも人びとにとっては暗黒です。

 耐えがたきをたえない、忍び難きを忍ばないで、声をあげ、行動を起こしていく必要があります。そして対局を築くことがナチズムを防止します。
 戦争と平和は、いつも押しくらまんじゅうをしています。

   「活動報告」 2014.3.12
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