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相模原殺傷事件における 「真の被害者は誰なのだろうか」
2016/10/13(Thu)
 10月13日 (木)

 今年は障碍者問題において、これまでは取り上げられることがなかったさまざまな問題の議論が起きています。後で振り返った時に大きな転換の年だったということになるのではないでしょうか。

 その1つに 「相模原殺傷事件」 をめぐる議論があります。
 加害者の残酷な行為や措置入院制度、被害者の無念さ、居合わせた在所者や職員のの恐怖や後遺症などとともに、警察による被害者の名簿非公開対応にも賛否両論が起きています。
 事件が報じられると、すぐに加害者の措置入院制度が問題になりました。施設で起きた問題での対策に別の制度・施設で対応する議論です。施設は問題を隔離してしまいます。事件の本質にふたがされます。
 その一方で、全国の障碍者のなかからは、「その前に、そもそも障碍者を閉じ込めておく施設は何のためにあるのか」 というような問題提起がおこなわれています。現在の施設は、入れる側の論理と、入れられる側の人格が乖離します。


 10月12日の毎日新聞 「記者の目」 は相模原殺傷事件についてです。「どうにも腑 (ふ) に落ちない。いったい真の被害者は誰なのだろうか。」 の書き出しの記事のタイトルは 「真の被害者は誰なのか」 です。
 「その前に、・・・」 に関連すると思われる部分を紹介します。
「しかし、植松聖容疑者は 『通り魔』 ではない。事件の5カ月前まで 『やまゆり園』 で働いていた元職員である。勤務中には障害者に対する虐待行為や暴言もあった。なぜこんな人物を雇ったのか、どうして指導や改善ができなかったのか、なぜ犯行予告をされながら守れなかったのか……。被害者の家族がそう思ったとしても不思議ではない。もしも保育所で同じ事件が起きたら、施設は管理責任を追及されるはずだ。なぜ知的障害者施設ではそうならないのか。

 それは、親たちが望んで、あるいはやむにやまれずにわが子を 『やまゆり園』 に預けているからであろう。親は冷たい視線にさらされながら、何もかも背負って生きなければならなかった。私自身も重度の自閉症の子の親である。あわれみや、やっかいなものを見るような視線を容赦なく浴びてきた。ストレスで心身を病んで仕事を失い、家族が崩壊するのを嫌というほど見てきた。そんな親たちを救ってくれたのが入所施設だった。
 しかし、入所施設では自由やプライバシーが制限された集団生活を強いられる。『どうしてこんな山奥の施設に閉じ込められなければいけないのですか』 『僕はお父さんにだまされて連れてこられた』。1997年に白河育成園 (福島県) という入所施設で虐待事件が発覚したとき、被害にあった障害者たちからそう言われた。
 『やまゆり園』 の障害者はそんなことは言わないだろう。それは 『やまゆり園』 が良い施設だからか、障害が重くて話すことができないからなのか。楽しそうな顔をしているように見えても、それは他の選択肢を知らないからではないのか。ハプニングに富んだ自由な地域生活では、さまざまな人との出会いや心の交流がある。挑戦や冒険をして感動したり、悔し涙を流したりすることもある。そうした体験をした上で、それでも彼らは入所施設を選ぶだろうか。
 親も同じだと思う。わが子のためにと思っていろんなことをやるが、わが子のためではなく、親が自分の安心感を手に入れたくてやっていることが多い。自分を振り返っていつもそう思う。孤独と疎外感に苦しんだ経験をすると、わが子を預かってくれる相手が神様みたいに見える瞬間がある。認めたくはないが、親の安心と子の幸せは時に背中合わせになることがある。
 『保護者の疲れ切った表情』 を見て容疑者は 『障害者は不幸を作ることしかできない』 と考え 『安楽死させる』 という考えに至る。あきれた倒錯ぶりだが、保護者への同情が着想の根幹の一つには違いない。県警が被害者を匿名発表した理由も保護者への配慮である。マスコミの報道も保護者への共感である。

 しかし、被害にあったのは保護者ではない。障害のある子の存在を社会的に覆い隠すことが、本質的な保護者の救済になるとも思えない。保護者に同情するのであれば、そのベクトルは差別や偏見をなくし、保護者の負担を軽減し、障害のある子に幸せな地域生活を実現していくことへ向けなければならない。
 ……
 障害者福祉の現場は着実に変わっているのに、<障害者=不幸> というステレオタイプの磁場の中に彼らを封じ込めようとしているように思えてならない。
 真の被害者が何も言わないから、許されているだけだ。」


 外部から施設を見たら、障碍者が不安から解放され、支援を受けながら安心して生活できるところと受け取るかもしれません。しかし入所者のなかには 「入所施設では自由やプライバシーが制限された集団生活を強いられる」 という不安や不満を抱きながらも我慢したり、「他の選択肢を知らない」 ことから従順になってしまっているいる者もいるかもしれません。
 施設の職員がそのような入所者の思いを受け止めてしまったら、介護の仕事は支配であること、職員は入所者の監視・監督者であることに気が付かされます。自分が希望した介護の仕事とは違うと受け止める者も出てきます。仕事に楽しさややりがいが薄れていき、ストレスの解消に迷います。
 もちろん違う思いで献身的に仕事に邁進している職員もいます。
 その双方の職員からの介護を必要としている入所者がいる現実があります。
 相模原殺傷事件の加害者は、最初から障碍者に嫌悪感を持っていたわけではないと思われますが、間違った出口しが探せませんでした。


 しかし 「記者の目」 の筆者は出口のない問題ではないと提起しています。
「神奈川県は施設の建て替えを決める前に、障害者本人の意向を確かめるべきではないか。言葉を解せなくても、時間をかけてさまざまな場面を経験し、気持ちを共有していくと、言葉以外の表現手段で思いが伝わってきたりするものだ。容易ではないが、障害者本人の意思決定支援にこそ福祉職の専門性を発揮しなくてどうするのだと思う。
 横浜市には医療ケアの必要な最重度の障害者が家庭的なグループホームで暮らしている社会福祉法人 『訪問の家』 がある。どんな重い障害者も住み慣れた地域で暮らせることを実証した先駆的な取り組みから学んではどうだろう。」
 障碍者本人が本心から楽しいと思える場所かどうかということです。


 施設はどのようにして創られていったのでしょうか。フランスの歴史です。
「(フランス革命のころに活躍した精神科医の) ピネルは、患者が自分自身を解放できる空間をつくることを、まずビセートルで試み、次にさらに大規模なものをサルベトリエールにつくった。それは医者が保護的な権威を持つ家父長制社会のようであり、かつ厳重な監視が必要な空間でなければならないと、彼は考えた。……
 しかし社会秩序が徐々に優先されるようになる。つねに 〈精神病者の信頼に応える〉 ことを行なわなければならないとしても、彼によれば、それは、〈依存していることを精神病者に感じさせるため〉 であり、彼らの意思を社会での就労に向かわせるためなのである。こうした社会参加を強いる企てに、全体社会国家の予兆を見ることもできるかもしれない。つまり、この企ては経費のかからない、そして 〈権威の中枢〉 に従うよう意図された収容所の組織を当然予想させる。労働は日々の生活にリズムを与える。休息、余暇、睡眠時間など緻密な予定が組み込まれる。規則に従わなかったり違反した場合の罰則も定められ、また恣意的に罰したりしてはならないとした。」 (ジャック・オックマン著『精神医学の歴史』文庫クセジュ)

 収容所についてです。
「ピネルの弟子であるエスキロールは、・・・精神障害について注意力の障害に注目した。注意があまりに拡散してしまい、一貫した注意力が保てず思考が滅裂の常態に至ることもあれば、反対に注意が狭められ過ぎて、何かに取り憑かれてしまう状態になることもある。取り憑かれた状態から精神病者を回復させるために、かつてピネルが治療の前提条件として行っていた隔離が精神病者に必要であるとエスキロールは主張した。妄想患者と向き合わず、妄想を助長させたままにしておくと、患者は全能感に浸っていくのが観察された。さらに精神病者は自分の苦しみの原因は身近な人びとのせいだと思いがちであり、〈家庭生活の鬱慣〉 が原因だと考えているので、いっそう身近な人を信用しない。したがって、隔離は原因と結果の結びつきを断ち切る有効な方法なのである。隔離されることで、精神病者は自身の状態について考えられるようになり、家族や周囲の人びとと新たな関係を築きはじめ、他人を思うことに没頭できるようになる。この新たな関係を用い、それぞれの患者ごとに隔離の適用を考え、医師は規則によって統制された枠組みのなかで隔離を行う。患者の持つ欲望が治療の原動力であり、新たな関係が見出されたときに隔離は終わる。〈精神病者の治療のためにつくられた施設〉 の管理者には、絶対的な権威が必要であり、施設では患者が他の患者たちと一緒に暮らすこと自体が治療になると、ピネル以上にエスキロールは主張した。」 (『精神医学の歴史』)
 
 この後、エスキロールの治療的野心は別の方向に向かいます。政府と関係を持ち、初期の治療構想には影も形もなかった社会的防衛的役割を果たす収容所構想を受け入れたのです。
 1838年に精神病者の治療と彼らの自由を制限した法律が制定されます。各県が施設を独自につくります。
「ここでの収容は、それが家族の要請に基づくものであれ、あるいは第三者通報であれ、さらには当局からの命令入院であれ、強制的に行われた。無能力者と見なされた精神病者は、監督下におかれ、その財産は自分で管理できなくなる。・・・
 入院はかつての投獄を思い起こさせるものであったので、この法律については議会でも激しく議論された。長い議論の末、できあがった法律は、まっとうな治療を目指すものと、1830年代のルイ・フィリップ王政化でのブルジョワたちだけが思い描いた社会防衛との妥協のうえで出現したのである。」 (『精神医学の歴史』)

 収容所についての議論は続きますが、ピネルが危惧したような反精神医学に関するものも登場してきます。
 隔離・施設の思考はフーコの 『監獄の誕生』 などにもつながっていきます。

 そして 「社会防衛」 は現在にもつながっています。社会的支援体制のなかで 「隔離がもっとも安上がり」 という経済的思考が優先しています。労働力におけるコストに対するパフォーマンスの問題による排除、保護者の介護体制の困難、などさまざまなです。

 相模原殺傷事件における 「真の被害者は誰なのだろうか」。施設は誰のためのものか。今回の事件をふまえて議論が巻き起こることを期待します。

   「活動報告」 2016.7.29
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