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「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」
2019/04/23(Tue)
 4月23日 (火)

 4月12日の東京大学の学部入学式で上野千鶴子名誉教授が祝辞を述べました。最初はざわめきもありましたが徐々にみな聞き入っていたといいます。
 しかしあまり議論が起きないのは、時代も変わり、上野名誉教授の問題提起がセンセーションを起こすほどの珍しいものでもなくなりつつあるということでしょうか。
 とはいいながらまだまだ奇異なことがたくさんあります。抜粋して紹介します。


「ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
 その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。 
 が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大どの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。」


 4月19日の 「活動報告」 に書きましたが韓国でベストセラーになっている小説 『82年生まれ、キム・ジヨン』 の最後に 「解説」 を担当した方が書いています。
「ちょうどこの解説を書きはじめた頃、東京医大での入試差別事件 (男子学生だけ一律加点したというもの) が発覚し、日本の女性たちの多くが足元が崩れ落ちるようなショックを受けた。怒りと情けなさの中で思ったのは、韓国なら即時に2万人の集会が開かれているだろうということだ。」
 「ME TOO」 運動においても日本ではほかの国ほど盛り上がっていません。差別、差別構造にならされているということもありますが、その構造から抜け出すことが難しい現実があります。


「これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
 学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。」

 古い話ですが 「女子学生亡国論」 が世間をにぎわしたことがありました。
 1960年代前半に女子大生が急激に増えたことにたいして有名大学の有名教授たちが、「女子学生は国をダメにする」 とか、「滅ぼす」 という主張を展開しました。特に文学部では典型でした。そもそも高校卒業して大学への進学率がまだ20%前後の頃です。女子大生は選ばれた人たちでした。

 では卒業したらどうしたのでしょうか。
 わかりやすく今流で、放送局のアナウンサーを例にとります。
 担当させられる番組は、時刻の告知、MCのとなりで出演者を紹介するだけの飾り物、独立したコーナーとして天気予報など。ニュースを読むなどということはとんでもないことでした。さらに男女で定年差別があります。なんと女子アナウンサーは30歳です。
 卒業して就職するに際しても専門的知識は期待されていません。そもそも求人がありません。理由は 「使いにくい」。そのため就職しない者も大勢いました。その一方で、「学歴は花嫁道具の1つ」 ととらえられていたこともあります。
 自立できる職業を探そうとしたときに学校の教師がありました。ただし、教頭・校長に辿り着くことはできません。

 日本においては、1960年代末から70年代にかけて学生運動が活発になりました。「大学解放」 「帝国主義打倒」 などのスローガンを掲げます。主体は “男の闘争” で、無意識のうちに男女の役割分担がありました。
 大学闘争が下降線をたどった頃、このような“体制”への反撃、突き上げとしてフェミニズム、ウーマンリブ運動が登場したように思われます。男性社会への反感もふくめてさまざまな主張がおこなわれましたが、根底にあるのは「女性の能力をちゃんと認めろ」ということでした。

 同じ頃に、3月5日の 「活動報告」 に書きましたが、女性労働者は、定年差別、昇格差別、賃金差別などに対して裁判闘争をたたかって歴史を変えてきました。


「こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。
 4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの? 日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。
 今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
 学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。」
 

 東大で最初に女性で教授になったのは文化人類学者で、『タテ社会の人間関係』 (講談社現代新書) の著者でもある中根千枝さんです。
 その中から抜粋します。
「日本人が外に向かって (他人に対して) 自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S社のものということである。他人がしりたいことも、A社、S社ということがまず第一であり、それから記者であるか・・・ということである。・・・
 ここで、はっきりいえることは、場、すなわち会社とか大学とかいう枠が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっているということであって、個人のもつ資格事態は第二の問題となってくるということである。・・・
 『会社』 は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。」
 このような社会に慣らされてきました。
 ただしこのような社会に存在できるのは自分の努力等だけではありません。

 60年末に学生運動が激しく戦われていた頃、「東大生の親からの仕送り額が慶大生を上まわった」 ことがニュースになりました。慶大は “お坊ちゃん大学” の典型でした。
 笑い話ですが本当にあった話です。その慶大における授業料値上げ反対闘争の最中、大学側が 「反対といっていると、慶大の授業料は早大に追い越されますよ」 いうと学生の反対の声は衰退していったといいます。
 親の側にもゆとりが生まれてきていました。親の財力がそのまま若者たちの社会の格差にもつながっていきました。そのなかで若者たちは 「頑張ればなんとかなる」 と自分の夢を実現するためにふんとうしました。


「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
 あなたたちが今日 『がんばったら報われる』 と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』 『どうせわたしなんて』 とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。」


 女性労働者は、様々な差別とたたかって女性の地位を向上させてきました。
 しかしその先にあったのは、一方で相変わらず家事、育児を一方的に押し付けながら、男性と同じように頑張れば昇進できるという主張です。女性労働者は納得できないと声を挙げます。
 1998年の労働基準法改正で、限定されていた女性の深夜労働が解禁されました。これで “男並み” の活・昇進ができることを保障されたといわれました。
 しかし本来労働者が要求すべきは 「女性の深夜労働禁止」 の条文を男性労働者にも適用させることでした。そのつけが80年代頃から過労死・過労自殺が増えていきます。
 “男並み” に働けない労働者は、退職し、短時間の非正規労働者になります。
 息苦しい時代になっています。


「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」


 大学進学率が50%をこえ頃になると、自分のポジションはおのずから指定されたものになります。なおかつどこにいても不安定です。格差社会であり、不確実性の自大です。

 フェミニズムだけでなく 「弱者が弱者のままで尊重される」 社会は生きやすい社会です。
 新しい門出にたむけられた素晴らしい祝辞です。

 「活動報告」 2019.4.19
 「活動報告」 2019.3.5
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