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「ハラスメント」は組織全体を健全に維持するための重要な着眼点
2019/03/26(Tue)
 3月26日 (火)

 3月23日から4月3日まで選抜高等学校野球大会が開催されています。長い日程です。決勝戦に進む高校の選手はその間、会場の甲子園付近に滞在することになります。
 いつも思うのですが、地元校以外は選手の移動費、滞在費の工面が大変です。ベンチ入りする選手以外にも顧問、コーチ、マネージャーなどが同行しますが本人負担ではありません。地元では学校の奨学会、PTA、同窓会、後援会などが資金作りに奔走します。
 さらに試合当日は大勢の応援団が駆けつけます。生徒の応援団は学校負担になりますが、保護者等は自己負担です。応援団は経費削減のため、遠路からでもバスでの移動、睡眠になります。勝ち続いた時はいったん帰省しまた出かけてきます。体力維持は大変です。
 選手たちが頑張っているときに金のことをつべこべいうなという反論が出ます。そういう人たちはお金を出しません。


 内田良著 『学校ハラスメント 暴力・セクハラ・部活動―なぜ教育は 「行き過ぎる」』 (朝日新書) が刊行されました。
 学校ハラスメントとは、学校管理下で生じるハラスメントの総称で、3つの点で特徴づけられるといいます。
 第一は、学校という場、あるいは学校における人間関係に関連づけられます。第二は、教師から子どもに対するハラスメント以外にも、子どもや保護者から教師に対する暴言、教師間の嫌がらせ、さらには他の学校関係者 (例:部活動の外部指導者) から子どもに対する恫喝などを包括しています。第三は、つねに 「教育」 という要素が絡んでいます。

 本は 「伝えたいのは、ハラスメントそのものに向き合うことの重要性である。最初から加害者あるいは被害者を決めてかかるのではなく、まずはハラスメントを直視する。学校はさまざまな主体がかかわっている。暴力・暴言の加害者がそのなかのだれであっても、ハラスメントそのものを問題にしていく」 ことに視点を置いています。
 そして 「『ハラスメント』 とは単に誰かを告発するためにあるのではなく、組織全体を健全に維持するための重要な着眼点なのだ」 と位置付けます。
 そうしないと 「問題の所在に蓋がされたままに、すなわち事故の発生源が何ら問われないままに、皆で苦難を乗り越えたところで、発生源が追及されない限りは、またどこかで (場合によっては同じ学校で) 同じ事故がくり返されることになる。美辞麗句でもって、現実から目をそらすことがあってはならない」 と指摘します。


 著者は 「保護者や地域住民からの圧力」 について、けが人を出し、文科省が改善を指導した運動会での巨大組み体操をとおして検討します。5段組みの塔は7メートルから8メートルになります。下段を担う者は100キロの重さになります。
「巨大組み体操の実施主体は学校であり、教師である。だが、教師が巨大組み体操の実施を決断するその背景には、一部の保護者や地域住民からの圧力がかかっていることがある。
 世の大人たちによる圧力は、巨大な組み体操からの脱却の可能性が高まったときに、顕在化する。組み体操の高さを2段までに制限した小学校の校長は、子どもの保護者から罵声を浴びせられたという。
 以前よりその保護者からは、巨大組み体操を存続させるよう強い要望があったようで、それがついに爆発したのであった。『子どもの思いを無視している』 『それでも教育者か』 と非難の言葉がとんだ。・・・
 保護者から校長へのハラスメントが、結果として、教育の名のもとに多大なリスクを強制的に子どもに負わせるというハラスメントにもつながっていく。」
 一部からの 「子どもの思いを無視している」 「それでも教育者か」 が全体を支配していきます。


 著者は、このことを踏まえて遠慮しながらですが甲子園大会に “疑問” を投げかけています。
「『体罰』 問題の検討に入る前にまず、指導者を含む大人全体が、スポーツ活動時の生徒の身体を侵害しうるというところから出発したい。具体的には、高校野球の甲子園大会を例にとって考えていきたい。
  夏の甲子園 暑いからこそ感動する?!
 ・・・
 夏の甲子園大会は、日本のアマチュアスポーツ最大のイベントである。都道府県を代表する高校球児が、『深紅の大優勝旗』 を目指して闘いを繰り広げる。
 その姿を見て、例年のように話題になるのが、甲子園球場の 『暑さ』 である。『そこまで暑い中でやらなくても・・・』 と心配しる声も聞かれる。
 しかし高校野球においては、『青い空、白い雲。照りつける夏の日差し。日本の夏は甲子園が似合う』 と言われるほどに、『「暑い夏」 と 「甲子園」 は欠かせぬ “舞台装置” である』。『暑い夏』 に、選手が必死にプレイする姿に、私たち観客や視聴者は、甲子園固有の魅力を感じる。
 熱中症に気をつけねばならないほど暑いからこそ、甲子園は盛り上がる。高校野球を、空調の利いたドーム型球場で開催するなど、ありえないというわけだ。
 暑さが高校野球を盛り上げる重要な装置だとしても、それはつねに熱中症という負の側面と紙一重である。暑さは、甲子園大会を引き立たせる魅力であると同時に、選手においては健康面での重大なリスクファクターでもある。
 現時点では、球場としてもまたチームとしても諸々の熱中症対策がなされているものの、『なぜあの炎天下でスポーツをしなければならないのか』 という根本的な訴えは、ほとんど放置されている。」

 そもそも、なぜ “甲子園大会” が春、夏と2回も開催されなければならないのでしょうか。しかも真夏に。例えば夏の大会は、開催期間は夏休み中とするなら8月末にずらしたら少しは 「熱中症」 対策になるのではないでしょうか。そして1試合2時間を要する競技であることを考えるならば、開会式は甲子園でも、その後はいくつかの球場に散ることも可能です。甲子園があまりにも神聖化・神話化されています。


 高校野球はさまざまなところにひずみが表れています。しかし問題視することはタブーにされてしまいます。
 新潟県高校野球連盟は、昨年12月22日、19年の春季県大会限定で、投手の投球数を1試合につき1人100球までにする 「球数制限」 を導入することを全国で初めて明らかにしました。しかし日本高野連は了承しませんでした。対応策として続投にならないように休養日を設定するという意見もあります。しかし滞在費がさらにかさみます。
 実際、投手が1人しかいないチームでは酷使は深刻な問題です。しかしヒーローは不死身でありつづけなければなりません。身体状況や選手生命は考慮されません。愚痴をいうことは許されません。そのような世論に包囲されます。

 早稲田実業高校が優勝した2008年夏の大会で、斎藤佑樹投手は全試合を1人で投げ切りました。その時にもマスコミなどで問題になりました。決勝戦前のインタビューでお母さんは、「親としては休ませてあげたい。しかしファンとしては勝たせてあげたい」 と心境を語っていました。
 母親だけでなく体調を心配する声があがりました。ちょうど過労死が問題になっている頃です。あるところでこの問題を議論したとき、労働問題と本人が好きでしている球技・競技は違うという意見が多数を占めました。しかし現在の部活は好きでしているとだけはいい切れません。
 過労死が、亡くなって初めて労働時間が取り上げられるように、“死ぬまで” 頑張ることを強制されます。その後にプロ野球に進んでも選手寿命が短命に終わったときは 「自己管理」 が不充分ということで片付けられます。

 高校野球の “犠牲者”、ハラスメントの被害者は選手だけではありません。
「暑さの問題を考えるとき、もう一つ目を向けるべきところがある。アルプススタンドだ。高校野球では、私たちはつい、選手の活躍ばかりに見入ってしまう。だが、もしかして選手以上にしんどい思いをしているかもしれないのが、アルプススタンドの高校生たちである。
 あまり知られていないことだが、じつは甲子園のベンチには、エアコンが備え付けられている。ベンチの背面の壁とイスの間から冷風が出てくるという。したがって、選手はベンチにいるときは、日陰のもと比較的涼しい環境にいる。
 他方で、アルプススタンドにいる応援団はどうだろう。とくに、私が 『文化系運動部』 と呼んでいる吹奏楽部は、チームの攻撃中、そこで吹奏、いや運動をつづけなければならない。相手チームの攻撃時は、いちおう休みをとることができるが、そうはいっても、選手がいるベンチとはちがって、日陰もなければエアコンもない。」

 広い球場で大きな音を出すには大きな楽器が必要です。チューバは9キロ、ホルンは2・5キロの重さです。応援団員は学生服を着て指揮をします。
 これで試合中たえています。
 このようなことがなぜ問題にされないのでしょうか。選手が教育活動の一環のなかで頑張っているからです。
 応援団も吹奏楽部員も自分の意思だけではなく、選手と一緒にファンの 「感動」 を盛り上げる役割を担わせられます。地域住民と一緒に応援しているという “美しい” 関係性が登場します。
 頑張っている選手を応援する、応援されているから期待に応えるために頑張る、この関係に多くの人たちが “巻き込まれ” ています。
 炎天下でプレーして何を鍛錬するのか、安全衛生の観点から問題はないのか、教育と呼べるのかなどということ議論しようとすると排除されます。
 「教育」 という言葉にそれだけで大きな影響をもたらします。
 しかし、それぞれが担っている役割を冷静に考えたとき 「学校ハラスメント」 の典型といえないでしょうか。

 本の 「おわりに」 の章のタイトルは 「教育を語るために教育から抜け出る」 です。

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