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本島北部の沖縄戦
2018/10/23(Tue)
 10月23日 (金)

「第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む24万人余りが死亡した沖縄戦。
 第32軍・牛島満司令官が降伏する1945年6月23日までが 『表の戦争』 なら、北部ではゲリラ戦やスパイ戦など 『裏の戦争』 が続いた。作戦に動員され、故郷の山に籠って米兵たちを翻弄したのは、まだ10代半ばの少年たち。彼らを 『護郷隊』 として組織し、『秘密戦』 のスキルを仕込んだのが日本軍の特務機関、あの 『陸軍中野学校』 出身のエリート青年将校たちだった。
 1944年の晩夏、大本営が下した遊撃隊の編成命令を受け、42名の 『陸軍中野学校』 出身者が沖縄に渡った。ある者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは、そして彼らがもたらした惨劇とは・・・」
 今年製作され、今各地で上映されている映画 『沖縄スパイ戦史』 のチラシです。取材を続けながらカメラを回したのは2人のジャーナリストです。


 沖縄戦については、本島南部の惨禍は語られてきましたが、本島北部については調査や聞き取りもあまり行われてきていませんでした。やっと戦後70年を経て始まっています。
 本島北部。辺野古基地建設反対運動が続いている名護、オスプレー基地建設反対闘争が展開された東村・・・。大宜味村役場敷地内には沖縄戦を風化させないために17年12月 「九条の碑」 が建立されました。


 「裏の戦争」 について、この4月に川満彰著 『陸軍中野学校と沖縄戦 -知られざる少年兵 「護郷隊」』 (吉川弘文館) が刊行されました。
 10月19日、ある旅行会社が企画した川満さんの講演会がありました。その報告です。

 陸軍中野学校は、1938年に設立された大本営陸軍部 (のち参謀本部) 直轄で特殊任務を実践するための要員養成機関です。特殊任務とは、秘密戦、防諜・諜報・策略・宣伝等を主な任務とし、敵国のなかに潜伏。情報を大本営に知らせ、内部からかく乱・崩壊させることを目的としています。
 創立当時の入校対象者は幹部候補生出身の将校とされていましたが、40年頃は陸軍士官学校出身将校、下士官候補者等へと広がりました。
 1941年10月、つまりは日本がアメリカに宣戦布告する前からマレーシア半島工作のためバンコクに潜入させています。そして12月8日 (実際は7日)、マレーシア・コタバルの石油を奪うため、コタバル上陸を開始します。

 44年、日本軍の後退が続くなか参謀本部は沖縄に、離島をふくめて遊撃戦闘員29名、特務隊13名の中野学校出身者を向かわせます。「第32軍の作戦は本土決戦のための時間稼ぎで、玉砕を前提にしたもの聞かされていた」。
 第32軍は、米軍は一部を除き北 (読谷村) ・中 (嘉手納) 飛行場を奪うため沖縄本島中部西海岸から上陸、第32軍司令部のある南に進攻するとにらんでいました。その米軍の背後から襲うことを目的に、遊撃隊を沖縄本島北部に配置することを決定します。
 44年9月13日、中野学校卒業と同時に村上らは沖縄本島北部の遊撃戦闘員として派遣されます。沖縄本島北部とは、恩納村、金武村から最北の国頭村までを指します。
 第32軍司令官牛島満省中将と長勇参謀長に着任のあいさつを済ませると長勇から 「沖縄が玉砕した後も生き残り、遊撃戦をつづけろ」 と指示され、遊撃隊の編成が命じられます。

 遊撃隊大隊長、実務部隊の基幹である分隊長小隊長は現地で召集された在郷軍人らで、分隊メンバーは集落ごとに集められた少年たちです。少年たちを招集したのは兵士不足のためです。当時の兵役法では満17歳未満については招集できません。15歳から16歳の少年たちは志願という形で召集されます。
 集落単位としたのは 「故郷を自らの手で護る」 という意識を根付かせるためです。遊撃隊の本当の任務は隠されています。

 44年10月23日、名護国民学校に恩納村、金武村、国頭村から700人の少年が集まってきます。教育係は主に同郷の在郷軍人などの分隊長です。「少年兵」 と呼ばれ、軍服をきて帯剣や銃が与えられ、猛特訓続きます。「靴を脱ぎ、足の親指を引き金にあて、銃口を口に加える自決訓練もあった」。自決の選択肢もありました。

 10月26日、第32軍は独立混成第44旅団を2つに分け、主力部隊を南部に移動させ、北部に残った部隊を国頭支隊と位置づけ、第一・第二護郷隊をその指揮下に置きます。
 さらに第32軍は、護郷隊配置を、第一護郷隊を多野岳・名護岳から本部半島タナンガ山302高地へ移動させ、北部三村 (国頭・大宜見・東) の山中に配置予定だった第二護郷隊を多野岳へ配置するよう命じました。北部三村の少年たちにとっては知らない土地でした。そのため戦闘が始まると多くの犠牲者を出します。
 12月10日、第二次招集が本部町、今帰仁村の少年たち150人が本部町の謝花国民学校に集まってきます。45年1月14日、第三次招集として国民学校に集まってきます。


 45年3月26日、米軍は慶良間諸島に上陸、4月1日には本島・読谷村沿岸に上陸します。
 4月7日、名護湾に上陸した米軍は、読谷村沿岸から陸路を北上してきた部隊と合流、沖縄本島から本部半島を切り離すかのように南北ラインで遮断します。そして多野岳に焦点を当てます。
 攻防戦が始まり、犠牲者が続出します。
 その時の状況を1人の護郷隊が語っています。
「真喜屋、稲峰 (集落) はアメリカが上陸した後、民家や小学校も建物が残っていた。村上隊長の 『焼き払え』 という命令で、我々は夜、多野岳から下りてきて、部落近くで待機、夜明け頃、村上隊長が日本刀を抜いて、『出撃、前へ進め』 の合図で火をつけた」 「私が一番悔しかったのは自分の家を焼かなければいけなかったこと。焼かなければ戦後苦労はしなかった・・・。しかし、命令だからどうしようもない。」

 4月21日、八重岳にいた国頭支隊が撤退して多野岳になだれ込みました。「なかには兵器とか弾薬とか食糧、強引に番をしていた青年 (少年) 兵らを引っ叩いて持ち去って行った。・・・こっちは長期作戦で貯めていた食糧。それを無理やり盗ったり・・・」
 敗残兵となった宇土部隊はいくつかのグループに分かれて北部山中に潜伏しました。その一部の敗残兵グループは。大宜味村渡野喜屋で食糧強奪を目的に、米軍の捕虜となった住人らをスパイ容疑にかけ、男性数名を木に縛りつけたまま虐殺。80名とも90名ともいわれる女子や子供たちは砂浜に並べられて手榴弾を投げられました。生き残った人は15人ほどだったといいます。


 6月23日、南部の摩文仁で牛島司令官と長参謀長が自決、沖縄戦の組織的戦闘は終了します。
 その知らせは北部の護郷隊にも無線で知らされます。そのうえで大本営からは 「全滅してもあと1年、後方かく乱せよ」 の命令を受けます。
 村上は、7月1日をもって米軍への全員決死の総攻撃血行を決断し各隊に準備を命じます。しかし6月30日に至って副官や小隊長らは 「それは護郷隊の任務ではないはず、いま死んでは元も子もない、やめましょう」 と説得し中止させます。
 村上は、「隊本部並に各中隊の一部は指揮連絡の中枢となる為山中に残留潜伏、地元出身隊員は各出身町村に帰り秘密遊撃戦の基盤を作るべし」 と命令を出します。しかし護郷隊に二度と招集されることはありませんでした。
 8月15日に残っていた隊員は8人でした。

 米軍は、村上らに捕虜となった日本兵を使って下山勧告を続けます。
 46年1月、村上らは条件を出し、米軍が了承したので下山します。


 護郷隊のなかにはスパイ容疑をかけられて殺された少年がいました。分隊長の集合命令に遅れてやってきた少年は、分隊長からスパイと決めつけられ、周りの少年たちにカズラで手を縛られ、目かくしをされて山中につれていかれ、分隊長の命令で3、4人の仲間から撃たれます。

 恩納村の三角山の戦闘で重傷を負った少年は野戦病院に運ばれましたが置き去りにされます。撤退で置き去りにされる夜、中隊長から両足に重傷を負ったもう1人と 「2人ここに残ってくれ」 と自決をうながされ手榴弾が渡されます。
 その後、どうにか歩くまで体力が回復したので同行することを許されます。野戦病院を100メートルくらい離れたところであちこちでパンパンと手榴弾が爆発する音がしました。

 第一護郷隊は、名護岳の戦況が悪化すると後退します。しかし同郷の1人が右足を負傷して野戦病院に入っていました。友人たちは連れて逃げようと毛布で作った担架に乗せて下ります。途中小屋につくと食事を作ったりして看病します。
 しかし、友人たちは少年をおいて隠していた食糧をとりに行ってそのまま帰りませんでした。「(あの時は) みんな助からないと思って、どこにどうして埋めようかという話までしていた。」
 置き去りにされた少年は意識を取り戻し、民家や拝所で寝泊まりしながら米軍病院に辿り着き、その後回復して故郷に帰還しました。
 友人たちの1人は後に少年にあったときのことを語ります。
「今、思うと大変なことをやったという思いがあるが、あの時分は・・・。彼が故郷へ帰って来た時はびっくりした。彼とは、その後の細かいことを話したことはないんだ。顔見るのも恥ずかしくてね。・・・戦争をやっていけないというのはそこなんだ。」


 「少年護郷隊之碑」 が名護小学校の隣の旭が丘に建立されています。碑には100人近くの名前が刻まれています。
 恩納村安富祖地区のクガチャ山に 「第二護郷隊之碑」 が建立されています。
 辺野古基地建設反対の抗議行動・座り込みに参加する途中、これらの碑に立ち寄り思いをはせると、地元住民の反対する思いがさらに深く伝わってきます。

 「活動報告」 2017.12.15
 「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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「国際水準に合わせたハラスメントの包括的な禁止規定を」
2018/10/16(Tue)
 10月16日 (火)

 9月25日から、労働政策審議の雇用環境・均等分科会で 「パワーハラスメント及びセクシュアルハラスメントの防止対策等について」 の議論が開始されました。年末までに具体案をまとめられます。

 経過です。
 2012年3月15日に厚生労働省から発表された 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 (「提言」) ではじめて職場のいじめ・パワーハラスメントの概念規定・定義が行われました。
「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう」
 ただし、第三者暴力と差別問題は排除されています。
 「提言」 は、いじめは構造的に起きるという捉え方です。予防のための取り組みは順序が大切です。①企業トップからのメッセージ発信、②社内ルールの作成、③労働者へのアンケートで実態調査、➃研修、➄会社の方針の周知・啓蒙、です。解決のためには、⑥相談窓口の設置、⑦再発防止の取り組み、が必要です。そして⑧メッセージ、があります。
 
 17年3月28日に政府の働き方改革実現会議が決定した 「働き方改革実行計画」 に 「職場のパワーハラスメント防止を強化するため、政府は労使関係者を交えた場で対策の検討を行う」 と盛り込まれていました。それをふまえ厚生労働省は 「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」 を開催し、「報告書」 が発表されました。
 「報告書」 の本音は 「提言」 を認めないという “巻き返し” です。
 検討会でしばしば出た発言は、「『提言』 を大きくいじると定着が進んでいる中で混乱が生じるのでそれはしないで・・」。「報告書」 は出された意見が列記されています。
 報告書は 「必ずしもパワーハラスメントとは言えない事案もある」 としたり、発生の要因については、行為者及び被害者となる労働者個人の問題によるものと、職場環境の問題によるものがあるとの意見が示されます。
 「提言」 の職場のパワーハラスメントは構造的に発生するという捉え方が消え、労働者の 「自己責任」 が大きく登場してきました。企業の対応が免罪されます。労働者が声をあげにくくなります。発生の要因に労働者個人の問題とされるのは日本だけです。
「日本では、モラルハラスメントおよびセクシャル・ハラスメントは、しばしば、個人的な問題と見なされ、公然と批判される恐れもあって、話題にすること自体が難しかった。社会心理的な障害の重大性への認識は、ここ10数年以来、過労死(職場での働き過ぎによる死亡、karosi)や仕事に関連した自殺の事件に増加に対応して、徐々に増えてきた」 (マリー=フランス・イリゴイエンヌ著 『モラル・ハラスメント 職場における見えない暴力』 2017)
 さらに 「提言」 の 「定義」 を厳密に検討するということで分解解釈がおこなわれ、定義の枠の縮小、解釈等の幅を解消して “整理” されました。

 5月28日から6月8日まで第107回ILO総会が開催されました。今年のテーマは 「暴力及びハラスメント」 で、条約批准が呼びかけられました。すでに60カ国で防止等の法律制定などの取り組みがおこなわれています。しかし日本は、法律も制定されていません。批准にも反対の立場です。来年のILO総会は、第二回目の討論が行われます。

 前国会の 「働きかた方改革法案」 の審議においては、当時の民進党と希望の党からは議員立法として 「パワハラ規制法案」 (「労働安全衛生法の一部を改正する法律案」) か提出されましたが少数否決となりました。
 「働きかた方改革法案」 を成立させるために与党は国民民主党を抱き込む方策として47項目にも及ぶ付帯決議を了解しました。その三十八項目は職場のパワハラに関するものです。
「本委員会における審査を踏まえ、職場におけるパワーハラスメント等によって多くの労働者の健康被害が生じており、その規制・防止を行うことが喫緊の課題であるとの共通の認識に基づき、国際労働機関 (ILO) において 『労働の世界における暴力とハラスメント』 の禁止に向けた新たな国際労働基準の策定が行われることや、既に国連人権機関等からセクシュアルハラスメント等の禁止の法制度化を要請されていることも念頭に、実効性ある規制を担保するための法整備やパワーハラスメント等の防止に関するガイドラインの策定に向けた検討を、労働政策審議会において早急に開始すること。また、厚生労働省の『職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会』 報告書を踏まえ、顧客や取引先からの著しい迷惑行為について、関係者の協力の下で更なる実態把握を行うとともに、その対応策について具体的に検討すること。」

 議論のための資料としては 「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」 の 「報告書」 が整理されて提出されています。
 労働側はILO総会での議論をふまえ 「国際水準に合わせたハラスメントの包括的な禁止規定」 を主張しています。使用者側は 「セクハラ・パワハラを分けて議論し、規制ではなくガイドラインにとどめるべき」 と主張しています。
 9月25日の政策審議会に出された主な意見です。
 パワーハラスメント防止対策について
 ①パワーハラスメントの定義について
・定義を修正してあらゆるハラスメントを対象に含むようにすべき。・「パワー」 や 「優位性」 という単語があると、上司や先輩等からに限 られると受け止められるおそれがある。・2012年の円卓会議のパワーハラスメントの定義は 「同じ職場で働く 者に対して」 となっているが、同じ職場で働く者に限定すべきでない。・典型例として示されている6類型について、セクシュアルハラスメントやモラルハラスメント、経済的なハラスメント等も加えてハラスメ ント全般をカバーできるようにすべき。

②パワーハラスメントの防止対策について
・来年、ILO条約が採択されるかもしれないことを考えると、ハラスメントを一体的に防ぐ一般法があれば、条約に批准できるのではないか。・セクシュアルハラスメントや妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメントがそれぞれの法律で規定されていることに意味がある。ハラス メントを一緒にまとめると、その意味を弱めてしまうのではないか。・ILOの議論は労働分野の議論と認識。労働政策審議会で議論すべき。・ILOの条約案や国際人権規約、女性差別撤廃条約の勧告を踏まえて、職場のハラスメント全般に関する禁止規定が必要。・ハラスメント行為の禁止と措置義務が必要。被害者、行為者が第三者の場合も含めるべき。通報制度や二次被害の防止等も実施すべき。企業 内のハラスメント防止対策は、労働者が参加した場で議論すべきであり、安全衛生委員会等の活用を検討すべき。

 ③顧客等からの迷惑行為について
・セクシュアルハラスメントと同様、ハラスメントについても、顧客や 取引先から受けるものも含めるべき。ILO条約案は、加害者と被害者に顧客や取引先も含んでいる。・悪質クレームについて、介護労働者の7割がハラスメントを受けているなどデータがある。業種、業態の差について実態把握すべき。

 セクシュアルハラスメント防止対策
 ①行為の禁止について
・被害者が労働局に相談しても、企業が措置義務を問われるのみで、セクシュアルハラスメントかどうか判定されない。民法の規定で判断することはハードルが高い。セクシュアルハラスメントを明確に禁止すべき。・行政指導を徹底するためにはセクシュアルハラスメントの禁止規定が必要。現状は、企業が措置義務をしていればそれ以上の指導ができな い。・ILO条約の批准に向けて、セクシュアルハラスメントも行為者や被害者に第三者を含めるべき。また、職場の定義に寄宿舎も含めるべき。

 ②被害者の救済について
・職場の窓口に相談しても対応されないことが多いのではないか。被害 者が更なる被害を受けることにないようにすべき。・企業の相談窓口で不十分な場合は労働局が対応すべき。・措置義務に第三者向けの通報窓口の設置を追加すべき。企業が相談窓口の設置や方針の明確化等を行っているかどうか、労働者がチェックできる場が必要。・相談窓口における二次被害防止に関してはノウハウが不足していることから、ガイドライン等の作成も検討すべき。・ハラスメント被害者の休業、復職の権利を確保すべき。

 さまざまな意見が出されています。労政審は労働現場の切実な声を受け止め、発生する問題を事前に予防・防止する規制、現実に起きている問題を解決するためのルール作りを議論し、パワハラ予防・防止の法制化を建議すべきです。「提言」 におけるパワーハラスメントの概念規定・定義は労働者の人権、人格権・尊厳の問題は認識が希薄です。これは日本の現状でもあります。労働者が働きやすい環境を作り上げるため、労働者の人権、人格権・尊厳を保護する取り組みが必要です。

 労働政策審議会、そして来年6月のILO総会での第二回目の討論において、日本政府の “独自路線” の政策を転換させ、条約批准に賛成させるための監視と世論形成の運動を進めていく必要があります。

 「活動報告」 2018.9.27
 「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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被災地でボランティアへのボランティア
2018/10/11(Thu)
 10月11日 (木)

 10月6日、7日と盛岡で、「第30回コミュニティ・ユニオン全国交流集会 〈東北いわて集会〉 『ユニオンの30年を振り返り新たな一歩を!』」 が開催されました。
 2日目は11の分科会がもたれました。第11分科会のテーマは 『東日本大震災を働く者の立場から検証する』 です。
 岩手・北上市にある共生ユニオンいわての組合員は、遠野ユニオンボランティアセンターの活動報告をしました。その報告です。

 東日本大震災は、地震、津波、地盤沈下、津波火災で太平洋沿岸は壊滅状態でした。そのため、救援、支援活動も困難をきわめました。ボランティアは被災地に辿り着くだけでも大変で、長期に滞在することは困難です。
 そのような中で共生ユニオンいわては遠野市に全国から駆け付けたボランティアのためのボランティアセンターを設立し、寝床・食事の提供などの支援を続けました。ボランティアは自己責任で自己完結といわれますが実際は難しいです。全国からのボランティアはそこを拠点に活動をつづけます。
 遠野市は岩手県南の内陸部に位置し、南北、東西の交通網が交差している要所です。釜石まで20数キロ、大船渡に30数キロ、宮古に40数キロです。消防、警察、自衛隊も市内の学校の校庭や市営グラウンドなどに拠点を設置していました。

 センターの活動についてはテレビなどでも何度も取り上げられました。
 ボランティアが朝センターから出発し、夕方疲れて帰って来ると、地元の方たちは 「ご苦労様でした。お召し上がりください」 という置手紙を添えて食事が準備してありました。翌朝ボランティアは感謝をこめて 「心遣いありがとうございます。おいしかったです」 と置手紙をして出発しました。顔が見えない関係がしばらく続きました。
 また、センター運営・支援のために全国の全労協 (全国労働組合協議会) の仲間が駆けつけました。ボランティアのためのボランティアセンター、またそのためのボランティアが結集しました。このようにして、11年4月18日から延べ260日余、受け入れボランティア1,700名超、スタッフ250名が地域のひとたちと一緒に活動を続けました。


 この活動は、2014年3月の 『一橋大学機関リポジトリ』 掲載の論文 「東日本大震災における支援活動と地域社会:岩手県大船 渡市を中心に」 の 「第4章 『後方支援』 の空間とユニオニズム -遠野ボランティアセンターの事例から-」 で取り上げられています。
 分科会では、これを資料をもとに報告が行われました。抜粋して紹介します。


 センター設立までの経緯です。
「共生ユニオンいわてのメンバーは、3月17日に事務所へ集まり、第1回震災対策会議を開催し対応を協議する。翌18日には、北上市へ被災者のための避難先確保の要請を開始する。こうした対行政交渉を行いながら、メンバー同士では『自分たちに何ができるか』と議論を重ねていった。
 (インタビュー) 『俺たちでボランティアができるか。何をやったらいいか。やれることを
 みんなで言い合って、という風な格好だった んです。ですがね、けっきょく、そう若くもな
 いしね。うーん、ガレキ出しに行ったって、半人前しかやれねえかなあ (笑)、なんて話に
 なりまして。
  それで、 むしろ必要なのはね、ボランティアに来る人たちを支援した方がいいんじゃねえ
 か、っていう話になったんですよ』」

「3月27日の第2回震災対策会議で、三陸沿岸部への利便性から、独自のボランティアセンターを遠野市に設置する方針を確認し、翌3月28日には、遠野市災害対策本部と同市社会福祉協議会を訪問し、ボランティアセンターの場所確保を要請する。
 (インタビュー) 『・・・組合員、友人・知人の安否確認を終わって、それで被災はしてるん
 ですけど、その安否確認が終わった時点で、被災労働者から支援労働者に変わるっていう
 のが、4月2日の時ですよね。』」

「4月9日に、全国の協力団体からのカンパ金が届き、センター開設・運営資金のメドが立ったところで、最終的な遠野ユニオンボランティアセンター開設の決断に至る。4月12日、遠野市松崎町七区自治会に自治会館借用を申込、15日には自治会長から同意の回答があり、17日に物資を搬入する。そして、2011年4月18日、災害ボランティアを支援するための拠点空間として、遠野ユニオンボラセンが開設された。」


 運営開始です。
「遠野ユニオンボラセンは、2011年には4月18日から10月31日までの197日間にわたって開設された (第1次遠野ユニオンボラセン)。主に東京、京都、大阪などの都市部から来訪するボランティアに対し、3食および寝具、ボランティア作業用具の一部を無償で提供する活動を継続した。来訪者は、共生ユニオンいわても構成団体である 『遠野まごころネット』 を通じて、大船渡、 大槌、釜石、陸前高田など被災地への支援活動に従事した。
 2011年の受け入れボランティア延べ650名強 (同時期の遠野まごころネット・ボランティア総数の約1.5%)、センタースタッフ延べ250名強。2012年は5月25日から、8月11日まで開設 (第2次遠野ユニオンボラセン)。90名のボランティア、スタッフ延べ60名である。」

「センターの運営は、2人の組合員中心にして、女性スタッフが2〜3名加わって行われ た。この女性スタッフは組合員ではなく、『街づくり市民の会』 の活動で知り合ったメンバーであり、組合組織の動員ではなく 『伝手』 で集められたものだった。また、併行して行われていた 『宮沢賢治が愛した山に登る会』 で形成されていた 『仲間』 も、センターの設立・運営へと協力していった。」

「組合の活動を基盤としながら、狭義の労働組合以外の活動によって形成されたネットワークによる人的・物的資源が、遠野ユニオンボラセンの設立・運営に大きく寄与したことが指摘できるだろう。ここには、中心市街地の空洞化に対する対応や、北上・花巻の文化圏に形成されてきた文化サークルのつながりなど、多層的な活動のなかで形成されてきたヒト・モノの連関が、遠野ユニオンボラセンという空間へと結びつけられていったのである。」


 各地からのボランティア派遣開始です。
「遠野ユニオンボラセン開設と災害ボラ ンティア受け入れの連絡は、全労協のネットワークを通じて全国の労働組合へともたらされた。
 3月15日における東北全労協の対策本部立ち上げ以降、被災地とそこでの組合の状況 について、東京で活動する労働組合にも直接に現地の労働組合から少しずつ『現実的な情報』が届き始めていた。
 (インタビュー) 『地震が起きた時は、東北にいる私たちの安否確認ですよね。全国一般は、
 は、東北地方に組合員がいま すから、仙台を中心にした宮城の人たち、その人たちの安否も
 心配だったし、いろんな面で、その後、 時間を追えば追うほどに被害の全容が見えてきて、
 これは何かしなくていけない、居ても立ってもいられなくなった・・・。
 ・・・地方の組合との連携があって、その意味で現実的な情報が入ってくるようになった。
  メディアで入ってくるような情報ではなく、生活の情報が入ってくるようになった。そこは労
 働組合が出ていかなくていけないと。とくに被災後の職場がなくなったとか、失業の 問題、
 それと解雇されたり、 いろんな問題が徐々に出てくるんですよね。そういう時に労働組合と
 しての支援ですよね。同じ組合としての支援していく、そういう流れだったんです』」

 参加した組合員の思いです。
「組合員であるM氏は、テレビやインターネットを通じて被災地の状況などを見聞きしていたが、『何ができるかと悶々としていた』 ところだった。そこに、宿泊先もあって受け入れてくれる場所があることを知って、ボランティアに行くことを決める。
 (インタビュー) 『ただそういう機会があったから行った。あまり組合がっていう感じがなか
 った。宿泊先があるし、条件がよかった。』
 『ほんとのボランティアですよね。自費で行く。何かあるからとか、報酬があるからとかじゃな
 くて、 やっぱり行きたいからっていう。ほんとの意味でのボランティア』
 『いいタイミングじゃんって思って。気になってのは気になってたんで。いい機会だなって迷っ
 ていたら、彼 (O氏) が行くっていうんで、じゃあ行ってみようかなって。で、行った先が共
 生ユニオンの宿舎だったんですよね』」

「たしかに、ボランティア派遣を支えたのは、全労協を介したネットワークであった。しかし、行為者の意味づけとしては、『ただそういう機会があったから』 であり、『やっぱり行きたいから』 『ほんとの意味でのボランティア』 という語りがあるように、組合員という行為主体とは離れたところで動機が語られている。そして、行った先が『たまたま』 『共生ユニオンの宿舎だった』 である。」
「委託されている企業で働く彼らは、『歩合』 で仕事をしボランティア休暇もない。しかし、仕事をこなしていけば月末には連休を取ることが可能 だったためボランティアに行くことができたという。そして 『現職』 である彼らにとっては、 受け入れ先となる宿舎があることによって、仕事を続けながらボランティアに行くことが可能となった。 彼らの語りからは、遠野ユニオンボラセンという場所が、非正規雇用で働く若者たちが被災地支援のボランティア活動に参加する回路として機能したことがうかがえるだろう。そして実際に2011年5月末を皮切りに、何度も遠野ユニオンボラセンを経由して三陸沿岸の津波被災地 へと足を運んでいく。」


 ボランティアセンターの1日はどのようなものでしょうか。
「遠野まごころネットが最初に拠点をかまえた遠野総合福祉センターから徒歩1分にある松崎町第7区地区会館に開設された。自治会は平屋立ての建物で、玄関を入ると、左手に台所と食堂スペースとなっている。右手の広い和室がボランティアの休憩場所となっていて、カーテンで男女別に区切られていた。北側にトイレと倉庫があり、お風呂はないので作業を終えたボランティアは近くの銭湯やコインシャワー、車で行ける温泉などで入浴を行う。」
「朝5時、センターのスタッフが起床し、朝食とボランティアにもたせる昼食の準備を開始する。朝6時、ボランティアが起床し、スタッフと一緒に朝食を食べる。7時すぎにボランティアが作業に向かうと、スタッフは掃除と洗濯し、布団を干して、食材の調達に行く。夕方から夕食の支度をはじめる。ボランティアは、帰ってくると、銭湯などで汗と汚れを落とし、各自夜の飲みものを買って、センターに戻ってくる。」

「被災地での作業を終えたボランティアは、遠野まごころネットを解散した後、遠野ユニオンボラセンへ帰ってくる。多くのボランティアが 『体育館のようなところで雑魚寝』 しているなか、温かい食事と布団がある遠野ユニオンボラセンは 『段違いに条件が良かった』 という。
 そして、ボランティアの語りからは、夕食を兼ねた 『宴会』 が何より 『魅力』 だったという。
 (インタビュー) 『ユニオンボランティアセンターは18時くらいから夕飯込みの <宴会>
 になる。それまでに風呂を済ます。夜10時くらいまで飲みながら話をする。ご飯がむちゃく
 ちゃうまかった。・・・近所の農家の人たちが、とれたての野菜や山菜など旬のものの食材
 の差し入れがあって、それを料理してくれる。・・・いろんな特技をもっている人、即興で似
 顔絵を書けるおっちゃんとかいて、おもしろかった。大阪の学校の組合など、大阪の状況など
 冗談交えながら話をした。それが魅力で何度も行った。小さい空間だけど、居心地が良かっ
 た』」


 「自己完結ボランティア」 論についてです。
「遠野ユニオンボラセンは、その場の集う行為者相互がそれぞれの 『被災地体験』 の解釈枠組みを提示・構築しうる場であった。その点が、食事や寝る場所の提供とならんで 『ボランティアのためのボランティア』、『災害ボランティアの後方支援』 として重要の意味を持っていたのである。だが、同時にその場はまた、この空間を運営する行為者の 「思想」 によっても支えられていた。まず、彼らの言葉を聞いてみよう。
 (インタビュー) 『けっきょくね、自己完結っていうのは、かっこいいんだけど、部隊で活動
 する場合に、自己完結できるのは軍隊だけなんですよね。遠野に第2師団の後方支援連
 隊っていうのが居て、飯つくって、トイレカーも行って。それが自己完結。で、個人で行って
 自己完結しろって言ったら、それこそトイレの問題どうするんだっていうのはあるわけです
 よね。自己完結なんかできないんだ。自己完結しろって言うから、2日で帰っちゃう。
 体育館とかそういうところにゴロ寝のところに居たら、身体がもたないじゃないですか。』
 『食いもの全部持っていってね、遠野まごころネットもなかったとしたらね、直接被災地に
 乗り込んでね、自己完結で何がどれだけできるっていったら、やっぱりできないですね。』

「こうした言葉の背景にあるのは、震災支援活動における 『ボランティアは自己完結が原則』 論の広がりである。・・・
 東日本大震災における、『ボランティアは自己完結が原則』 言説の浸透・拡大は、こうした文脈において、結果的にボランティアという行為を自己完結できる行為主体のみに限定させる効果を持ち (そのこと自体がある種の幻想でありイデオロギーである)、完結しない/できない行為主体を 『ボランティア』 という行為あるいはボランティア活動から排除していく作用をもっ た。・・・
 ・・・『ボランティアは自己完結が原則』 言説がもつボランティア役割の固定化の論理は、その意味で、ボランティアの否定にもつながりかねない。こうした論理を否定していく行為が、災害ボランティアに対する支援ボランティア活動であり、『ボランティアは自己完結なんかできない』 という思想によって支えられていた。
この思想に、個人加盟型労組のもつ 『相互扶助』 機能の再配置・転用を読み込むことはそう大きく飛躍があるとは思われない。地域・合同労組とは、そもそも単独の資源では問題解決できない個人――その意味で 『自己完結』 できない個人が、寄り集まって職場における問題・困難の解決に取り組むために結合する集団である。
 ここでの 『相互扶助』 機能を再配置・転用し 災害ボランティアへのボランティア活動によって、自己完結型ボランティアへと標準化する動 きから逸脱し、自己完結した個人を前提とするシステム化のなかで排除されがちな人びとによる一時的活動空間を非意図的に創発した。遠野ユニオンボラセンの特性はここにあるだろう。」


 まとめです。
「・・・新自由主義の展開と経済危機、そして大災害を経るなかで、遠野ユニオン・ボラセンという小さな空間のなかで生成された文化の萌芽を見逃してならないだろう。その意味で、2000年代初頭に非正規労働者の組合に入り、東日本大震災後に 『ためらったあとで』 何度も遠野ユニオンボラセンへ足を運んだM氏による語りには注目してみたい。
 (インタビュー) 『知り合いが一人もいなかった。被災した人が。なんかすごいこと起きて
 て。僕の家が公園の隣なんですけど、ベランダからみると、よくホームレス、野宿者の人
 が寝たりしてる。そういうのって被災しなくてもあるじゃないですか。東京にだって、災害に
 あったわけではないが路上で生活している人たちがいる。僕らだって何の保障もない生活
 ですから。』
 『支援に行ったことで、自分の心の位置が定まったという意味で、すっきりした。けっき
 ょく、身近に困っている人がいた時にやることと、本質的には同じだと思った。・・・被災
 地に限らず、困っている人っていくらでもいる。身近でもひどいことってたくさんある。・・・
 自分のタイミングでたま たま、お互いさまで、いろんな周期のなかでお互いさまの気持
 ちになっている時にやるものとして、ボランティアも労働組合も、人が物を落とした時に
 拾うとかと変わらないなって。』」


 総会終了の翌日、遠野に行きました。稲刈り間際の田園がひろがっていました。今年は豊作なんだそうです。

 とはいうものの、被災地の復興はまだまだです。
 10月11日、東日本大震災から8年7カ月を迎えます。

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裁量労働制の法案提出を阻止しよう
2018/10/05(Fri)
 10月5日 (金)

 前国会における 「働きかた改革」 関連法案の審議において、企画型裁量労働制の対象業務追加法案は国会に提出されたデータが改ざんされていたことが発覚して議論が中断し、結局法案から削除されました。働きかた改革法案では高度プロフェッショナル制度が焦点になっていましたが、経済界、政府が本当に成立させたかったのは裁量労働制とささやかれていました。
 法案提出においては、あいまいな個所を残す、別個の逃げ道を作るなどのしのぎ方があります。働きかた改革法案においては、時間外労働の上限規制の導入、長時間労働抑制策・年次有給休暇取得の一部義務化、高度プロフェッショナル制度とバーターの逃げ道が裁量労働制でした。
 裁量労働制の法案を削除した働きかた改革関連法は6月29日に成立しましたが、同日、経団連の中西宏明会長は 「残念ながら今回の法案から外れた裁量労働制の対象拡大については、法案の早期の再提出を期待する」 というコメントを発表しました。

 国会でデータ改ざんが指摘された資料は、厚生労働省実施の「平成25年度労働時間等総合実態調査」と厚労省の要請を受けて管轄のJILPT (労働政策研究・研修機構) が実施した「裁量労働制の労働時間制度に関する調査」。2つとも法案提出のおひざ元で改ざんされました。その資料をもとに安倍首相は 「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均な、平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」 と答弁しました。これが紛糾の発端です。
 2つのデータータ集約 "ミス” は偶然なのでしょうか。

 13年12月3日の 「活動報告」 に書きましたが、改ざんされる前の 「平成25年度労働時間等総合実態調査結果」 からもすでに裁量労働制の長時間労働の実態は見えてきます。
 調査対象事業場は都道府県労働局が無作為に選定しましたが、裁量労働制に係る事業場数を一定数確保するため、専門業務型裁量労働制導入事業場及び企画事業型裁量労働制導入事業場を優先的に選定したといいます。11,575事業場を対象に、労働基準監督官が訪問する方法で、13年4月1日時点の実態を調査しました。臨検などを任務としている監督官が全国統一した方法の調査活動でミスを犯すのでしょうか。“ミス” は統計資料作成の段階で犯されました。

 その裁量労働制についての調査結果です。データ提出は事業場、つまり使用者への調査です。何を目的とした調査かは明らかでした。調査結果はそのことを踏まえて検討する必要があります。事業場での改ざんはなかったのでしょうか。
 専門業務型裁量労働制での労働時間は、みなし労働は平均8時間32分です。実際の労働時間は1日の平均時間は9時間20分、各企業で最長の者の平均は12時間38分で、46.6%の事業所で12時間を超えていました。「法定休日労働あり」 の割合は、平均的な者は21.9%、最多の者39%、4人に1人以上が法定休日に仕事をしています。年間、最多の者で8.5日、平均的な者で4.0日労働しています。
 企画業務型裁量労働制においては、みなし労働は平均8時間19分です。実際の労働時間は1日の平均時間は9時間16分、最長のものは11時間42分で、54.8%の事業所で12時間を超えていました。「法定休日労働あり」 の割合は、最多の者29.2%、平均的な者は17.2%です。年間、最多の者で5.8日、平均的な者で3.1日労働しています。
 裁量労働制が導入される時のうたい文句からはかけ離れた、四六時中業務のことが頭から離れない状態が作り出されて裁量のゆとりがありません。
 この結果を見ても、裁量労働制の労働者が一般労働者と比べて短い、労働者は満足しているという結論は出てきません。改ざんしなくても、報告をきちんと分析すれば長時間労働の実態は浮かび上がってきていました。
 そのうえで改ざん発覚後の個票データの再検討においては、裁量労働制で働く労働者の1日の労働時間が 「1時間以下」 だった事業所が25含まれていることが明らかになったのです。最初から経済界、政府にとって都合のいい調査結果ではありませんでした。

 そして調査結果から見えてくのは裁量労働制の導入に際しての労使協定、従業員代表との労使協定の状況です。
 調査における全事業所の労使協定についてです。
 時間外労働・休日労働に関する労使協定は55.2%の事業場が締結しています。していない事業場についての理由は (複数回答)、時間外・休日出勤がない43.0%、労使協定の存在を知らなかった35.2%、締結・届け出を失念した14.0%となっています。労使協定の存在を知らなかった、締結・届け出を失念したは本当にそうなのかどうかはわかりません。
 うがった見方をすると、55.2%以外の事業場は労使協定を締結していません。おそらく多くの事業場で裁量労働制導入においてもきちんとした締結は行われてない可能性があります。労働者は自分の意思で裁量労働を行っているとはいい切れません。強制されています。


 厚労省は、経済界と政府の意向を受けて、何が何でも企画型裁量労働制の対象業務を拡大する法案を成立させようとしています。そのため9月20日から 「裁量労働制実態調査に関する専門家検討会」 が開催されています。準備が早いです。
 開催要綱の趣旨です。
「裁量労働制は、時間配分や仕事の進め方を労働者の裁量に委ね、自律的で創造的に働くことを可能とする制度であるが、制度の趣旨に適った対象業務の範囲や、労働者の裁量と健康を確保する方策等について、課題がある。これらの課題については、平成25年度労働時間等総合実態調査の公的統計としての有意性・信頼性に関わる問題を真摯に反省し、改めて、現行の専門業務型及び 企画業務型それぞれの裁量労働制の適用・運用実態を正確に把握し得る調査手法の設計を労使関係者の意見を聴きながら検討し、包括的な再調査を実施した上で、現行の裁量労働制の制度の適正化を図るための制度改革案について、検討を実施する必要がある。このため、統計学者や労働経済学者、労使関係者を含む専門家からなる検討会を開催し、裁量労働制の実態把握のための新たな調査について、調査設計等の検討を 行う。」
 調査をやり直して現行の裁量労働制の制度の適正化を図るといいます。
 しかし、長時間労働に至っているからデータが改ざんされたのです。再調査の必要はありません。

 では、政府と経済界はどのような裁量労働制を狙っているのでしょうか。
 17年3月に制度が違法だと指摘された損保ジャパン日本興亜は、嘱託などを除く18.000人の職員のうち、入社4年目以上の総合系、専門系、技術調査系職員6.000人以上に企画業務型裁量労働制を導入していることが明らかになりました。対象外であるはずの一般の営業職にまで適用されています。一般の営業マンのノルマ達成のための残業を 「みなし労働制」 と扱い無償においやりました。たんなる残業代の抑制です。違法性を指摘されて廃止しました。

 昨年12月27日、マスコミは東京労働局などが野村不動産本社など全国4拠点に調査をおこない、社員に企画業務型裁量労働制を適用していたのは違法と是正勧告をしたことを報道しました。
 全社員1900人のうち、課長代理級のリーダー職と課長級のマネジメント職の社員系600人に適用していました。社員はマンションの個人向け営業などの業務に就いています。営業で売り込み、“ねばり” の戦術を、企画立案を自律的におこなう行為と解釈しています。
 しかし労働局は 「個別営業などの業務に就かせていた実態が全社的に認められた」 と指摘し対象業務に該当しないと判断しました。“ねばり” は長時間労働につながります。しかしその分の時間外手当を支払わないのが裁量労働制です。
 事実、3月4日には、裁量労働制を違法適用されていた男性が長時間労働により過労自殺し労災認定されていたことがマスコミで報道されました。

 トヨタは違法すれすれのことをしようとしています。
 企画・専門業務の係長クラス (主任級) 約1700人に裁量労働制を導入しています。事務職や研究開発に携わる主に30代の係長クラスの総合職約7800人のうち一定以上の自己管理・業務遂行能力を持ち、本人が希望し、所属長、人事部門の承認がある者が対象です。非管理職全体の半数を占めることになります。
 残業時間に関係なく毎月17万円 (45時間分の残業代に相当) を支給し、さらに一般的に残業代を追加支給しない裁量労働制とは違い、勤務実績を把握して月45時間を超えた分の残業代も支払います。
 新制度導入の理由を、自動車産業では自動運転分野などで米グーグルなど異業種との競争が激しくなっていて、仕事のメリハリをつけて創造性と生産性を高める必要があると判断したと説明しています。専門性の高い技術者の間では一律の時間管理の弊害を指摘する声が出ていたといいます。
 上司が対象者に時間の使い方の権限を移すといいます。労働者の自己責任が登場します。

 9月27日、朝日新聞は三菱電機で2014~2017年に、システム開発の技術者や研究職の男性5人が長時間労働を原因とする精神障害や脳疾患の発症により労災認定され、うち2人が過労自殺していたと報道しました。5人のうち過労自殺した1人を含む3人には専門業務型裁量労働制が適用されていました。全社員の3分の1にあたる約1万人に裁量労働制を適用されていましたが、今年3月に裁量労働制を全社的に廃止したといいます。


 政府と経済界の裁量労働制の導入の目的は、損保ジャパン日本興亜、野村不動産のようなことを合法化することです。トヨタのように長時間労働を労働者の自己責任にして常態化させます。法律で規制された時間外労働の上限規制は無視されます。
 政府、経済界が再度提出しようとしている法案はこのようなことを合法化しようとしています。その結果は、三菱電機のような事態を生み出します。

 現状において必要なのは規制強化です。例えば、裁量による労働は行われても、みなし労働は8時間を遵守し、超えた分については、ドイツのように積み立て後でまとめて休暇に振り替える 『労働時間貯蓄口座 (ワーキング・タイム・アカウント)』 のようなことも可能です。(16年11月8日の 「活動報告」 参照)
 裁量労働制実態調査に関する専門家検討会を監視し、裁量労働制の法制化反対の声を高めて行かなければなりません。

 「活動報告」 2018.1.12
 「活動報告」 2016.11.8
 「活動報告」 2013.12.3
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「たくさんの被爆者が今もつらい思いをしていることを考えてみる必要があります」 吉永小百合
2018/10/02(Tue)
 10月2日 (火)

 9月26日、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」 記念イベントとして、明治大学を会場に、核兵器廃絶日本NGO連絡会主催の 「核兵器なき世界へ向けて ~被爆国の役割を考える~」 集会が開催されました。
 核兵器の全面的廃絶のための国際デーは、2013年の国連総会で制定されました。「核兵器が人類に及ぼす脅威と核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させるために国際デーを記念し、普及させる」 ことを目的とします。毎年、国連事務総長がメッセージを発表し、記念したイベントが実施されます。
 今年の国連事務総長アントニオ・グテーレス氏のメッセージ・軍縮アジェンダのタイトルは 「共通の未来のために」 です。

 会場を提供した明治大学副学長のあいさつです。「明治大学は全国の大学に先駆けて戦争に協力する研究に関与することを拒否する宣言を発表しました。」
 多くの方が発言に立ちました。
 日本原水爆被害者団体協議会代表委員は核兵器禁止条約の批准状況を報告しました。核条約の前文には 「ヒバクシャの苦しみに留意する」 と盛り込まれています。9月26日段階で14カ国です。しかし見通しは決して暗いものではありません。

 発言で注目を浴びたのが吉永小百合さんとICAN国際運営委員の川崎哲さんによるトークです。
 吉永さんは、まず、政府は核兵器禁止条約にたいしてアプローチが違うと批准していませんが、何とか平和な社会を作っていけたらと思っていますと話しをはじめました。
 ICANのキャンペーン会議で発言したカナダ在住の被爆者のサーロー節子は 「日本にいるあなたたちはどう考えていますか」 と質問してきました。思いは 「核兵器はいらない、核の傘はいらない」 ということです。
 朗読活動をしています。聞いた子供たちも、同じことが起きないためにはどうしたらいいかと質問してきます。
 オーストリアにいきました。風車がたくさんありました。1986年にチェルノブイリ原発事故までは電力を原発に頼っていました。しかし事故後原発を続けるかどうかを国民投票にかけました。結果は 「ノー」 でした。政府はそれを実行しました。さらにその後も国民投票でどうするかを問いました。やはり 「ノー」 でした。
 ヒロシマ、ナガサキを経験し、さらにフクシマを体験した日本政府は見習うべき対応です。たくさんの被爆者が今もつらい思いをしていることを考えてみる必要があります。
 これまで原爆をテーマにした3本の映画に出演しました。
 1本は、大江健三郎の 『ヒロシマノート』 に数行出てくる若い被爆者を主人公にした66年の作品 『愛と死の記録』 です。主人公は4歳の時に被爆しますが青年になってから白血病で亡くなります。その恋人役です。これが被爆者とのかかわり、原爆を考えるきっかけとなりました。2本目は、体内被曝した女性を演じた81年の 『夢千代日記』 です。そして被爆死した医大生とその母の思いをテーマにした15年の 『母と暮らせば』 です。医大生のモデルは元長崎大学学長の土山秀夫さんです。
 今の思いは、「核兵器のことをもっと考えましょう」 ということです。

 川崎さんの発言です。
 被爆者の声は 「核兵器は非人道的」 です。
 オーストリア政府が原発を止めたとき市民は政府を応援しました。核兵器廃止は無理の声はずっとありましたが原発被害は核兵器と同じです。核兵器禁止条約にはためらうことなく批准しました。その姿勢は政府の判断ではなく、国民が政府を後押ししました。せっかく出来たのだからと政府に働きかけました。
 大事なことは発言を封じ込めることをしないで世論を作り上げることです。


 しかし発言に立った外務省の軍備管理軍縮課長は、核兵器禁止条約ではなく国連に核兵器廃絶決議案を提出し、核兵器を持つ国と持たない国の橋渡しをして核兵器廃止を働きかけていくと改めて政府の立場を表明しました。それが 「被爆国の役割」 だといいます。
 理由は、核兵器を持つ国には理由があり、核兵器禁止条約に参加できない。安全保障の問題で対応しなければならない面もあるといいます。
 結局は、日本政府はアメリカの傘に守られて安全保障を維持するということです。(2月9日の 「活動報告」 参照)


 高校生平和大使の代表が発言しました。
 今年は20人の高校生平和大使が、高校生1万人署名活動実行委員会がこの1年で集めた10万8476筆の署名を軍縮会議が開催される国連欧州本部に提出しました。
 国連欧州本部には高校生1万人署名活動実行委員会の署名を永久保存するとともに専用のスペースが設けられて展示されていたとのことでした。(8月28日の 「活動報告」 参照)


 メッセージを発表した国際連合事務総長アントニオ・グテーレス氏は、今年、長崎平和祈念式典出席しました。長崎の被爆者に寄り添っているメッセージのほうを紹介します。

 「長崎の皆様、こんにちは。」
 「皆様にお目にかかれて、光栄です。」
 本日、この平和式典において、ご参列の皆様とともに、1945年8月9日に、ここ長崎で原子爆弾の攻撃で亡くなられたすべての方々の御霊に謹んで哀悼の意を捧げられることを光栄に思います。
 今日ここにご参列の皆様、ならびに原爆のすべての犠牲者と生存者の皆様に対し、最も深い尊敬の念を表明します。
 ここ長崎を訪問できましたことは、私自身にとっても大変な喜びです。5世紀近くにわたり、私の国、ポルトガルは、この街と深い政治的、文化的、宗教的なつながりがあります。
 しかし、長崎は、長い魅力的な歴史を持つ国際都市というだけではありません。より安全で安定した世界を希求する世界のすべて人にとっての、インスピレーションでもあります。
 この皆さま方の街は、強さと希望の光であり、人々の不屈の精神の象徴です。
 爆発の直後、そしてその後何年、何十年にもわたって十数万もの人々の命を奪い、人身を傷つけてきた原爆も、あなたがたの精神を打ち砕くことはできませんでした。
 広島と長崎の原爆を生き延びた被爆者の方々は、ここ日本のみならず、世界中で、平和と軍縮の指導者となってきました。彼らが体現しているのは、破壊された都市ではなく、彼らが築こうとしている平和な世界です。
 原爆という大惨事の焼け跡から、被爆者の方は人類全体のために自らの声を上げてくれました。私たちは、その声に耳を傾けなければなりません。
 決して広島の悲劇を繰り返してはなりません。長崎の悲劇を繰り返してはなりません。一人たりとも新たな被爆者を出してはなりません。
 
 ご来賓の方々、ご列席の皆様、児童・生徒の皆さん
 悲しいことに、被爆から73年経った今も、私たちは核戦争の恐怖とともに生きています。ここ日本を含め何百万人もの人々が、想像もできない殺戮の恐怖の影の下で生きています。
 核保有国は、核兵器の近代化に巨額の資金をつぎ込んでいます。2017年には、1兆7000億ドル以上のお金が、武器や軍隊のために使われました。これは冷戦終了後、最高の水準です。世界中の人道援助に必要な金額のおよそ80倍にあたります。
 その一方で、核軍縮プロセスが失速し、ほぼ停止しています。
 多くの国が、昨年、核兵器禁止条約を採択したことで、これに対する不満を示しました。
 また、核兵器以外にも、日々、人々を執拗に殺傷する様々な兵器の危険も認識せねばなりません。
 化学兵器や生物兵器などの大量破壊兵器や、サイバー戦争のために開発されている兵器は、深刻な脅威を呈しています。
 そして、通常兵器で戦われる紛争は、ますます長期化し、一般市民への被害はより大きくなっています。
 あらゆる種類の兵器について緊急に軍縮を進める必要性がありますが、特に核兵器の軍縮はもっとも重要で緊急の課題です。
 このような背景の下、今年5月に私はグローバルな軍縮イニシアティブを発表しました。
 軍縮は、国際平和と安全保障を維持するための原動力です。国家の安全保障を確保するための手段です。軍縮は、人道的原則を堅持し、持続可能な開発を促進し、市民を保護するのを助けます。
 私の軍縮アジェンダは、核兵器による人類滅亡のリスクを減らし、あらゆる紛争を予防し、武器の拡散や使用が一般市民にもたらす苦痛を削減するために、現在の世界で実現可能な様々な具体的な行動を打ち出すものです。
 このアジェンダは、核兵器が、世界の安全保障、国家の安全保障、そして人間の安全保障の基盤を損なうことを明らかにしています。核兵器の完全廃絶は、国連の最も重要な軍縮の優先課題なのです。
 ここ長崎で、私は、すべての国に対し、核軍縮に全力でとり組み、緊急の問題として目に見える進歩を遂げるよう呼びかけます。核保有国には、核軍縮をリードする特別の責任があります。
 長崎と広島から、私たちは、日々平和を第一に考え、紛争の予防と解決、和解と対話に努力し、そして紛争と暴力の根源に取り組む必要性を、今一度思い出そうではありませんか。
 平和とは、抽象的な概念ではなく、偶然に実現するものでもありません。平和は人々が日々具体的に感じるものであり、努力と連帯、思いやりや尊敬によって築かれるものです。
 原爆の恐怖を繰り返し想起することから、私たちは、お互いの間の分かちがたい責任の絆をより深く理解することができます。
 私たちみんなで、この長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しましょう。
 その目的のため、私は、皆さま方と共に全力を尽くしてまいります。
 「ありがとうございます。」
                        国際連合事務総長 アントニオ・グテーレス


 核兵器禁止を求める声はもはや 「微力」 ではありません。核兵器禁止は 「I CAN」 です。

 「活動報告」 2018.8.28
 「活動報告」 2018.7.6
 「活動報告」 2018.2.9
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