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職場のいじめ防止対策の検討会で                                    委員が“職場の暴力”の議論を要請
2017/09/29(Fri)
 9月29日 (金)

 9月15日、全国労働安全衛生連絡会議は厚労省と交渉・意見交換を行いました。春に開催した交渉において時間の関係で深入りできなかった項目が中心です。
 交渉に向け事前に要求書を提出していました。いじめとメンタルヘルスに関する部分です。

 B.安全衛生について
1.職場のいじめ・嫌がらせパワーハラスメント対策
 【再質問事項】
 1.職場のいじめ・嫌がらせパワーハラスメント対策
 (1) 昨年8月26日の当センターとの交渉で厚労省は第三者からの被害について 「厚労省実態調査の
  調査項目は、……第三者からということでは、誰から被害を受けたかということについても回答できる
  ようになっています。その中から第三者のものについても掌握できると思います。」 と回答した。
   今回発表された実態調査のなかで、「行為者と被害者の関係」のなかの第三者・いわゆる行為者が
  職場外の者は「その他」に該当し77人いる。77人について関係性、内容、またその分析結果を明ら
  かにすること。
 (2) 現在、世界的に職場外の者からの暴力について法律や通達、指針で対処していないのは先進国
  では日本くらいである。
   各職場において、いわゆる行為者が職場外の者からの暴力が頻発している。しかし 「職場のパワー
  ハラスメントの予防・解決に向けた提言」 には職場外の者からの暴力は適用外になっている。
   実態調査などの具体的事例を 「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」 の議題とし
  で検討し、職場外の者からの暴力についても 「提言」 に盛り込むこと。
 (3) 現在、職場外の者からの暴力について、鉄道における暴力にたいする対応は国交相、地方公務員
  に対しては総務省、医療機関については厚労省など別々に対応している。
   労働者の職場の安全衛生、人格・尊厳という視点から、厚労省がイニシアティブをとって各省に働き
  かけ、問題意識を共有し、予防・解決を諮ることを視野に入れた調査を実施すること。
 (4) 2016年4月より設置された雇用環境・均等部の相談対応実施状況について報告すること。
 (5) 「提言」 に実効性を持たせるために職場のパワーハラスメント防止法制定にむけて取り組むこと。

 厚労省からの回答です。
 1、については、実態調査のなかに職場以外からの被害は77人いました。経営者、取引先または客からなどからの回答が含まれています。しかし、回答数が少なすぎるということと、詳細は自由記載になっていていろいろな表現があり分析するのが困難です。
 2、につきましては、「働きかた改革実行計画」 をふまえてこの5月に 「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」 を立ち上げ、現在、検討しているところです。すでに3回開催されています。第一回の検討会では委員から顧客からのハラスメントから労働者を守ることは無視できないという発言がありました。そういったことを踏まえて検討会で引き続き実効性のある防止対策について検討していくことになります。

 センター側からの意見です。
 1、外部からの暴力に関しては2012年に 「提言」 が出る前から関心を持っていました。なんで検討会の討論から外れるのか疑問があります。今回は委員の中からも大事だという意見が出たということですが、是非検討会で議論できるように資料提供をしてください。鉄道、病院、自治体職員などでは相当それぞれの管轄官庁が状況を把握されていますし、労働政策研修研究機構 (JILP) が出した個別紛争を分析した資料のなかでも相当具体的な事例が出てきていますので、あの中にどれだけ第三者の暴力が入っているかわかりませんが、そういう資料をきちんと取りまとめて委員の方々に提供してほしい。それがないと一般論で大変ですねで終わってしまいます。たしかに事業主が取引先や顧客に対して法的に対応できるかというと難しい面があると思いますが、なるだけ実効性を持つような資料を提供してほしい。

 厚労省からの回答です。
 検討会に資料を提出するかについては、その時々に合わせたものを出していきますので必ず出すという約束はできませんが実効ある防止対策にしていきたいと思います。

 センター側からの意見です。
 新聞で職場におけるいじめや嫌がらせなどに対し、政府が罰則を含めた法規制の検討に着手したと報道されましたがどうなっているのでしょうか。

 厚労省からの回答です。
 検討会では決まっていません。引き続き検討を重ねている段階です。

 センター側からの質問です。
 1、についてです。昨年の交渉の時に、この後この問題についても実態調査をするので、そこから分析ができる回答だったのでこの要求にしました。しかし今この議論をこれ以上しようありませんのでやめます。
 ただ被害を受けたのが77人ですが、見たり聞いたりしたというのが40数人います。それを合わせても少なくて分析は無理ということなのでしょうか。個人情報の問題もありますが、どういう立場の者から、そういう立場の者が受けたか、客からか、親会社からかの調査は出来るのではないかと思います。
 何故この問題をしつこく言うかというと、6年前の 「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」 の第1回検討会で、どういうことを議論していきたいかと委員1人にとりが発言した時に、使用者側代表の委員から客からの嫌がらせについては是非検討してほしいという要望が出されました。しかし 「提言」 には盛り込まれませんでした。
 今回5月19日から 「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」 が開催されています。第1回検討会は委員全員が意見を述べました。
 UAゼンセン日本介護クラフトユニオンの浜田委員です。
「介護の現場の、ヘルパーさんであるとかケアマネさんの労働組合です。……
また、概念とか定義からすると少し外れてはしまうのですが、現場ではパワハラだろうがセクハラだろうが、嫌なこと、困ったことなどいろいろな相談がくるのですが、その中には実は、特に流通とか介護の現場では多いのですが、顧客であるとか、利用者家族からのハラスメントも実は無視できない状態です。例えば、しばらく前に有名になりました、土下座をさせられるであるとか、大声で長時間叱責されることもあったり、介護現場では、家族の方からの叱責があったりであるとか、いろいろな問題があるのです。実は、相談を受ける側としては、やはり労働者を守るという意味では無視できない実態が実はあるのだということです。この一定程度進まないという部分を、これまでの取組の延長線上で現状を変えられるかということを考えますと、一定程度存在するパワハラ防止対策が進まない企業を、もう少しこの検討会では、今後の法整備に向けた、これまでよりもステップアップした対応についての議論が必要ではないかと考えております。」
 この思いをどう汲み取るのかが検討会の課題になると思います。
 6年前は使用者側から、今回は労働者側から同じ課題が出されたということは無視できないと思います。厚労省としてももう少し積極的な対応が必要ではないでしょうか。

 厚労省からの回答です。
 77名以外からもありましたが、自由記載で、どういうことなのか受け止め方が難しいものもあります。多かったのは経営者からで、取引先からは77人中10人程度だったと思います。それを分析するのはプライバシーの問題を含めて困難があります。
 検討会では、今後、様々な発言を踏まえて検討していきます。

 センター側からの要請です。
 日本では対策が遅れていますが、韓国ではかなり進んでいます。研究所だけでなく、労働組合、使用者側、さらに政府をあげて取り組んでいます。ソウル市では防止のための条例を制定しています。
 日本でもこれらをどう真似るか、取り入れるかを検討した方がいいと思います。


 6年前の 「円卓会議」 が開催された頃は、厚労省も職場のいじめ問題に取り組む姿勢は積極的なものがありました。しかし現在は、職場での深刻、切実な問題が指摘されているのもかかわたず熱が冷めてしまっていて片手間の課題になっています。そのことをあらわにした対応でした。
 しかし、だからこそ、今後も粘り強く要請・提案行動を続けて行く必要性を実感させられました。


 これらの他に、センターは以下のような項目を要請書に盛り込みました。

 2.過重労働による健康障害の防止対策
 (1) 「働き方改革」 で、特別条項に月60時間の上限、繁忙期は月100時間、前後の2カ月平均80時
  間までとすることはこれまでの 「通達」 より改善したものと評価するが、繁忙期は月100時間、前後
  の2カ月平均80時間までとすることは月60時間の常態化 を作り出す。特別条項そのものを撤廃す
  ること。
 (2) 「働き方改革」 の労働時間の上限規制は、①自動車の運転の業務、②建設事業、③新技術、
  新商品等の研究開発の業務、  ④厚生労働省労働基準局長が指定する業務、⑤医師 が適用除
  外とされている。
   過労死を推進する適用除外を廃止すること。
 (3) 休日労働については規制があいまいである。労働者の健康問題の視点から、休日労働は、2週
  間に1回までとし、さらに振替休日や代休を直後に保障することを法律で義務づけること。
 (4) 現在、労働基準監督署は36協定の協定書の提出を義務付けてはいるが締結に至る経緯は問
  題にされない。そのため会社が指名する従業員が従業員代表になっていることもかなり多い。従業
  員代表の選出においてきちんとした民主的手続きを踏んで選出することを義務付け、36協定の協
  定書の提出においては選出方法も記載することを義務付けること。
 (5) 1月20日に 「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン」 が
  新たに策定された。これまでの 「基準」 より改善したものと評価する。
   しかし出退勤についてまだ労働者に自己申告させる会社がある。出退勤について労働者からの
  自己申告を禁止し、会社が客観的に掌握する方法を義務付けること。
   そのうえで、業種等により働き方が多様化する中、一律の基準では対応できない例も多いので、
  業種ごとに働き方の特性を踏まえた 「ガイドライン」 や対策を作成すること。
 (6) 「ガイドライン」 には、業務時間外のメールや電話対応については記載されていない。これらを明
  確に禁止している国や企業もあること、また賃金不払い残業の温床となることを踏まえて、業務時間
  外のメールや電話対応を禁止するとともに、行われた場合には労働時間とするような包括的 「ガイ
  ドライン」 を作成すること。
 (7) 深夜の残業禁止が導入された企業で、業務量が削減されていないために持ち帰り残業が増加
  する等の問題がでている。労働時間の規制だけではなく、長時間残業が発生する原因に即した改
  善策の推進に取り組むこと。
   「働き方・休み方改善ポータルサイト」 はどのような方法で周知しているのか、どのくらい活用され
  ているのか活用件数を教えてほしい。
 (8) 有給休暇の取得率を公開するように法改正すること。
 (9) 勤務間11時間のインターバル制度の導入を義務づけるよう安全衛生法の改正をすること。
 (10) 「過労死」 の労災認定事業場名や 「特別な出来事」 とされるような長時間労働が原因で精神障
  害の労災認定された事業場名を公開すること。
   5月30日の労働基準関係法令違反に係る公表事案がHP掲載されたが、今後、法で規制される月
  に80時間以上の時間外残業などがあった労災認定事例についても企業名を公表すること。
 (11) 政府が推し進めようとしている長時間労働規制を除外して過労死を推進する 「高度プロフェッシ
  ョナル制度」 の労働基準法改正を中止すること。

 3.ストレスチェック制度について
 (1) 事業場に混乱をもたらし、EAPをはじめとする委託業者の利益にしかならないストレスチェック制
  度は、労働者のメンタル不調防止のための一次予防対策になりえないことから義務化を廃止するこ
  と。面接指導を希望する人は、高ストレス者で具合が悪いというより 「会社にものが言いたい」 ない
  しは 「前から言っているのに会社が意見をきいてくれない」 という実態がある。ストレスチェック制度
  そのものを抜本的に見直すべきである。
 (2) ストレスチェック制度の集団分析と職場改善を義務化すること。
 (3) 労働安全衛生法を改正し化学物質のリスクアセスメントの実施を義務化したように、労働者個人
  のストレスの程度ではなく、職場環境のストレスの程度を調査し、評価するリスクアセスメントの実施
  を事業者に義務付けること。
 (4) ストレスチェック制度導入後1年となったが、実施状況・実施率、受検率等を公表すること。

 4.精神障害の労災認定について
 (1) 愛知労働局や大阪労働局のように一貫して請求件数に対して支給決定件数が少ない
  局に対して、復命書の分析などを行ったうえで改善対策を指導すること。
 (2) 精神障害の労災認定実務要領は改訂で事例が少し増えたが、それとは別に事例集を作成し、専
  門部会を開く労災医員も含めて参考できるように配布し、研修を実施するとともに、事例集を公表す
  ること。
 (3) 請求人からいじめ等の状況を録音したもの、録画したものを資料として提出する事案が増えている
  と思われが、各署において検討する段階で、主に反訳で内容を調査されていることから、いじめ等発
  生状況を正確につかめていないと思われる。録音データの再生環境が整っていないケースまである。
  ついては、必ず音声を聞いて検討すること。
 (4) 精神障害の障害等級の決定件数等、詳細について、前回公表する予定はないということであった
  が、集計し公表すること。
 (5) 精神障害事案の 「症状固定」 については、「急性症状がなくなった」 (京都労働局) などと非医学
  的な一方的な打ち切りがしばしば行われてきた。本人の意思を尊重しつつ、職場復帰について給付
  担当者が責任を持って主治医や事業場との調整・指導を行い、リハビリ就労などを実施して業務によ
  る疾病の増悪などがないことを確認してから、症状固定の判断を行うこと。
 (6) 「過労死」 の労災認定事業場名や 「特別な出来事」 とされるような長時間労働が原因で精神障害
  の労災認定された事業場名を公開すること。
 (7) 労災補償状況について以下の点を公表すること。
  ①特別な出来事の出来事別の件数
  ②決定件数の内、専門部会で判断したもの、専門医の意見で判断したもの、主治医の意見で判断し
   たものの各件数と、支給・不支給件数
  ③精神事案で出来事が複数あった場合で、心理的負荷評価「強」の出来事がなく、「中」 が複数あ
   って総合評価を 「強」 と判断して支給決定した件数とその出来事の内容
  ④精神障害事案の発症から症状固定までの療養期間ごとの件数

   「活動報告」 2017.7.14
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原子力は人類と共存できない
2017/09/26(Tue)
 9月26日 (火)

 昨年、『ほうしゃの雨はもういらない-原水禁署名運動と虚像の原子力平和利用』 (凱風社) が出版されました。先日、著者の丸浜江里子さんの講演会がありました。

 配布されたレジュメの冒頭です。
「ビキニ事件がおこり、核実験 『ノー』 の声が上がり、署名運動が始まり、全国で3200万筆の署名が集まり、翌年、原水禁世界大会が開かれたことは、日本発の輝かしい反核運動の嚆矢である。しかし、この時期、コインの裏側のように核の 『平和利用』 が始まった。なぜ、『禁止』 を求める運動と 『利用』 が同時期に始まったのか。その疑問は3.11を経て実感をもって迫って来た。……
 その答えを出すには、米国の核戦略と日本の核開発の歴史をたどり、広島、長崎、ビキニから福島につながるカラクリを暴く必要がある。」

 1950年3月、平和擁護世界大会委員会がストックホルムで開催され、大会は核兵器廃絶に向けた「ストックホルム・アピール」 を採択します。そこには 「原子爆弾を使用する政府は人類に対する犯罪人として取り扱う」 などの項目がありました。呼びかけに世界から4億8200万人の署名が集まりました。
 日本においてもGHQの支配下、朝鮮戦争のさなかに署名運動が展開されます。645万筆が集まりました。
 中央気象台の気象研究所労組も取り組みました。すると執行部は総務課長から呼び出されて署名は燃やされ、中止せざるを得ませんでした。研究院だった増田義信さんはこのことを機会に、不条理を止めさせようと組合活動に本格的に取り組みます。(16.4.15の 「活動報告」)
 署名を集めていると警察の尾行がつづき、署名するにも決意が必要でした。署名した人が後から消してほしいと申し出てくることもありました。
 しかし、特に在日朝鮮人の人たちは各地で朝鮮戦争に対する抵抗を続けながら必死に集めました。そのことが朝鮮戦争でアメリカが原子爆弾を使用することを阻止しました。

 1951年9月、トルーマン政権の国務省顧問ジョン・フォスター・ダレスの主導で朝鮮戦争の最中にサンフランシスコ講和条約が調印されます。中国は招かれず、インド、ビルマは参加しません。ソ連、チェコスロバキアは調印しません。沖縄、小笠原、奄美が米軍の支配になります。
 条約交渉のため1月に来日したダレスが語ります。
「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるだろうか」
 条約締結日の夕方、吉田茂首相が日米安保条約を調印し、全土基地方式を受け入れます。そして53年に行政協定を結びます。
 53年7月23日、アメリカが初めて勝てなかった戦争・朝鮮戦争が休戦協定を締結します。アメリカの覇権が揺らぎます。

 8月、ソ連は水爆を開発します。
 ダレスはソ連に対抗する巻き返し戦略としてニュールック戦略 (大量報復戦略) を提案します。内外の米軍基地に大規模な核兵器配備 (8年間で20倍)、同盟国に対して通常兵器の増強を要求しました。日本に対してはMSA協定 (Mutual Security Act 日米相互防衛援助協定) と再軍備、そして米基地に核配備を要求します。MSA協定は54年3月に締結され7月、防衛庁を設け、その統轄下に陸・海・空の三自衛隊が設置されます。

 53年12月8日、イギリス・フランスの合意をえてアメリカ大統領アイゼンハワーは国連総会で 「アトムズ・フォー・ピース演説」 を行います。内容は前半で、「米国の報復能力は侵略者の国土が荒廃するほど大きなものである」 と核戦力を誇示し、後半で 「核の平和利用」 を述べます。「核の平和利用」 の部分は全体の5分の1に満たないものです。
「米国は軍事目的の核物質の単なる削減や廃絶以上のものを求めていく。
 核兵器を兵士たちの手からとり上げることだけでは十分とは言えない。そうした兵器は、核の軍事用の包装を剥ぎ取り、平和のために利用する術を知る人々に託されなければならない。米国は、核による軍備増強という恐るべき流れを全く逆の方向に向かわせることができるならば、この最も破壊的な力が、すべての人類に恩恵をもたらす偉大な恵みとなり得ることを認識している。米国は、核エネルギーの平和利用は、将来の夢ではないと考えている。
 ……原子力の脅威が、人々の、そして東西の国々の政府の脳裏から消え始める日を早くもたらすために、現時点で講ずることができる措置がいくつかある。そこで私は以下の提案を行う。
 主要関係国政府は、慎重な考慮に基づき、許容される範囲内で、標準ウランならびに核分裂物質の各国の備蓄から国際的な原子力機関に対して、それぞれ供出を行い、今後も供出を継続する。そうした国際機関は、国連の支援の下で設立されることが望ましい。」
 心理戦略を駆使し、核の軍事利用と 「平和利用」 の両方を進める宣言でした。
 演説の真の狙いは守勢を後世に転ずるための巻き返しにありました。「核の平和利用」 を打ち出すことで原子爆弾投下国というマイナスイメージを消去し、平和のイメージを広げること、国際的核管理における主導権を獲得すること、西側同盟国に余剰核物質を供給することを通じて米国の覇権を回復するとともに経済的利益を得ることなどでした。
 54年3月初旬、国会に保守三党の共同修正予算案に原子炉築造補助費2億5000万円がもりこまれます。アイゼンハワーの国連演説を受けて “バスに乗り遅れるな” とばかりに中曽根康弘 (改進党) らが中心となり核開発の着手を提案したのもで、ほとんど議論もなく成立します。


 54年3月から5月にかけて、アメリカはソ連に先行された水爆技術開発を目的にビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁で6回の連続核実験 「キャッスル作戦」 が実施されます。
 その第一回目が3月1日にビキニ環礁で行なわれた 「水爆ブラボー」 実験です。マーシャル諸島や第五福竜丸をはじめとする、今わかっているだけで1000隻以上の漁船。商船が放射能被害を受けます。
 6回の実験の威力は、広島型原爆の3200発分以上だといわれます。

 第五福竜丸の乗組員は 「ひょっとしたら原爆実験を見たのかもしれない。無線で知らせれば米国に傍受され、福竜丸の存在を知られてしまう。そうなれば攻撃を受けるかもしれない」 という恐れと闘いながら、3月14日に静岡県焼津に帰港します。
 3月16日の読売新聞は 「法人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇」 「23名が原子病」 のみだしでスクープします。他社も追います。これらの報道で、乗組員の被爆問題は一挙に魚の放射能汚染問題・食糧問題、さらに広島・長崎につぐ第三の被爆として広がります。占領下、規制されていた原爆や放射能の報道を取り返すような大報道でした。

 3月17日、築地市場で本マグロが半値に下がり、18日は買い手が付きませんでした。築地市場関係者は東京都・厚生省などに積極的に働きかけ、その結果全国18の魚市場でマグロの放射能検査が始まります。港での検査によって全国で856隻の漁船に積まれた12万9532.5貫の魚が廃棄処分になります。
 4月2日、築地中央市場で魚商530人が集まって原水爆反対の集会がもたれました。
 全国各地でも署名運動、声明、決議が始まります。

 4月16日、杉並区立公民館で杉並婦人団体協議会の例会が開催されていました。講演が終わると1人の女性が立ち上がって発言をします。
「第五福竜丸の事件でマグロが放射能に含まれているということで、魚が売れなくなり、魚屋は困っています。このままでは明日から店を閉めなければなりません。私たち杉並魚商組合で原水爆禁止の署名を取り組んでいます。1人でも多くの方に署名していただきたいのです。」
 講師だった安井郁東大教授は 「この問題は魚屋さんだけの問題ではない、全人類の問題です」 と言葉をそえ、その場で全員が署名に協力します。
 ここから杉並の原水爆禁止署名運動が始まります。そして5月、「全日本国民の署名運動で水爆禁止を全世界に訴えましょう」 の 「杉並アピール」 が発せられます。

 5月15日、ビキニ海域の総合調査のため水産庁が調査船俊鶴丸を出港させます。調査結果は、放射能汚染がビキニ周辺だけでなく太平洋全域に広がっている実態を明らかにし、新聞は大々的に報道しました。その情報は署名運動の追い風になります。
8月8日、原水禁署名運動全国協議会が発足し、さらに高まりを見せていきます。
 9月23日、第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんが亡くなります。医師団は死因を 「放射線被ばくによる続発症による死亡」 と発表します。署名運動は沸騰します。署名運動は世界へと広まっていきます。12月13日には2000万筆に達します。
 55年1月、全国協議会全国会議は8月6日から広島で原水爆禁止世界大会を開くことを決定します。

 東宝映画のプロデューサー田中友幸は本多猪四郎監督を起用し、特撮怪獣映画『ゴジラ』を制作します。南海の海底に眠っていた恐竜が水爆実験で目を覚まし、口から放射能を吐き出しながら日本を襲うというストーリーです。


 アメリカも黙っていません。54年10月19日秘密のメモを作成します。
「①日本の政府と科学者は、敏感な世論が許す範囲で、核問題での日米協力を望んでおり、米国も協力を望んでいる。
 ②原子力・核エネルギーが根本から破壊的だとする日本人の根強い観念を取り除くことは重要だ。原子力の平和利用を進展させる二国間、多国間の取り組みに日本を早期に参画させるよう努めるべきだ。」
 具体的にどのようなことがおこなわれたのでしょうか。
 1つは、政府の意向に副う科学者を選別した名簿が在日米大使館を通じて国務省に提供され、米国の資金を通じた働きかけが始まります。
 2つ目は、11月15日から19日に 「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」 が開催され、マグロの安全基準が100カウントから500カウントに緩和されます。魚市場で行なわれていたマグロの放射能検査は1954年末で終了になります
 3つ目は、54年9月26日におきた青函連絡船洞爺丸遭難事故、久保山さんの死去の3日以降、ビキニ事件関連の記事は急減します。かわって原子力の平和利用報道が増えます。
 4つ目は、財界人や科学者による原子力調査団の訪米が行なわれます。
 5つ目は、本土に予定していた核配備を比較コンポネーション配備にかえ、54年12月末に、核兵器配備を強行します。

 55年1月4日、ビキニ事件に関して以下のような日米交換公文書が取り交わされます。
 ①米国が日本に見舞金200万ドル (7億2000万円) を支払う。
 ②それを最終的解決とし、すべての請求権を放棄する。
 ③今後一切の補償要求・責任追及をしない。
 ④太平洋での米国の核実験の制約をしない。
 見舞金の配分は日本政府に任され、政府は被災漁民を第五福竜丸にだけ限定し、乗組員に1人平均200万円、久保山さんに550万円を支払います。第五福竜丸以外の被災漁民には見舞金を含めて一切の補償。支払いは行なわれませんでした。
 米国のマーシャル諸島での核実験は58年まで継続されます。
 ビキニ事件の 「決着」 を通じて、日本は 「原子力の平和利用」 政策へと大きく踏み出します。米国の核戦略を丸ごと受け入れ、米国の太平洋地域での核実験に協力し、沖縄への核兵器の配備と本土への核コンポーネント配備を了承し、米国の目下の同盟国として核の 「平和利用」 に追随加担します。
 秘密のメモの 「②原子力・核エネルギーが根本から破壊的だとする日本人の根強い観念を取り除く」 ためのプログラムが開始されます。その旗振りは読売新聞社主の正力松太郎です。53年に日本テレビを開局し、日本テレビジョン放送網株式会社の社長になっていました。裏で後押ししていたのはCIA (米中央情報局) です。
 反共主義を煽り、プロレス中継で力道山がアメリカの選手を降伏させるのは原水爆禁止運動から目をそらさせ、高揚するのを抑えるための手段の1つだったといわれています。
 その姿勢は今も読売新聞と日本テレビでは引き継がれています。
 45年11月から1年半、「原子力平和利用博覧会」 が全国を巡回しキャンペーンを繰り広げます。費用はすべて米大使館もちです。

 55年2月、正力は政界に進出し、4月に主要企業を集めて 「原子力平和利用懇談会」 をつくり、6月に日米原子力協定を仮調印し、11月には原子力担当大臣になります。
 12月に原子力基本法など原子力三法が公布され、56年1月1日に 「原子力委員会」 が発足すると委員長に就任し、1月4日には 「5年以内に実用的な原子力発電を行う」 という声明を発表します。正力は、“アメリカ的平和政策” のため奔走します。原動力は 「現在の冷戦における我々の崇高な使命」 だったのです。

 原子力を容認するためにはさまざまな手法が行使されます。
 1951年から17年間、手塚治虫の長編漫画 「鉄腕アトム」 (当初は 「アトム大使」) が雑誌 「少年」 に連載されます。主人公アトムは、原子融合システムによる10万馬力と七つの威力を使って正義の味方として、代行主義で 「悪」 に立ち向かっていくストーリーです。
 原子融合と正義の味方が合わさった世論が形成されていきます。
 そして冷戦構造の中で、革新と呼ばれる勢力のなかから中ソの核兵器とアメリカの核兵器の 「違い」 が主張され、核兵器が容認されていきます。そこでは 「原子力の平和利用」 も高らかに叫ばれたりします。そして原水爆禁止運動の分裂へと突き進んでいきます。その動きとアメリカの戦略がからみ合います。

「原子力の平和利用」 の捉え返しをさせたのが、東日本大震災における福島原発事故でした。「原子力は人類と共存できない」 ということを再確認させました。
 しかし政府はその後も再稼働をおこない、原子力産業を輸出産業にしようとしています。

 広島、長崎、ビキニ珊礁の第五福竜丸等の被爆、福島原発事故は歴史的負の教訓です。「過ちをくり返さない」 ため、騙されない運動を進めていくことが必要です。

   「活動報告」 2017.8.4
   「活動報告」 2016.4.15
   「活動報告」 2013.9.25
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労働政策審議会が有識者だけで構成される
2017/09/19(Tue)
 9月19日 (火)

 7月31日、労働政策審議会 「労働政策基本部会」 が初会合を開きました。「労働政策基本部会」 は、昨年12月14日に 「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」 が提出した報告書を受けて新設されました。
 目的は、「現在行われている労働政策についての議論が分科会及び部会単位で行われており、分科会及び部会を横断するような課題については議論されにくい環境にある」 「研究会等や労政審での議論は法改正の具体的な内容が中心となり、中長期的な課題についての議論が不足している」 のでこのような問題に対応するといいます。
 具体的には、「各分科会及び部会を横断する中長期的課題、就業構造に関する課題、旧来の労使の枠組に当てはまらないような課題について審議を行う」 といいます。例えば・技術革新 (AI等) の動向と労働への影響等 ・生産性向上、円滑な労働移動、職業能力開発・時間・空間・企業に縛られない働き方等のような事項について審議します。

 構成員は 「基本部会運営規程」 に 「委員は公益を代表するもののみ」 とあり15人以内です。
 7月31日に開催された部会の委員は12人でした。学者5人、経営者4人、弁護士1人、エコノミスト1人、そして連合の元会長の古賀信明氏です。15人を予定していて残りの3人の枠は企業代表者と労働組合関係者だといいます。公益を代表するものだけでは労使自治が否定されているという意見に対応するため、実態としては労働者代表も含まれているという言い訳も準備されています。しかし決まらないままで止まっていました。8月に内閣改造がおこなわれることになると、改造前にとにかく開催の既成事実をつくっておくということになりました。
 安部政権が推し進めている 「働きかた改革」 は経産省の主導だといわれていますが、8月の内閣改造では、それまで官邸で 「仕掛け人」 として 「働き方改革実行計画」 をまとめてきた加藤勝信内閣府担当相が、厚生労働相に横滑りしています。

 労働政策についてはILOで労使の協議によって決定するということになっています。
 日本でも厚労大臣の諮問機関である労働政策審議会 (労政審) において 「労働者代表」 「使用者代表」 「公益代表」 三者の10人ずつで構成され、合意で決定することになっています。審議会の下にある7つの分科会や部会でも 「三者合意」 が徹底されています。
 「労働政策基本部会」 はそれが覆されています。このようなことを許してしまうと、労働現場の労使関係にも影響が出てきます。

 「有識者会議」 の報告書には 「法制度上は、我が国が批准しているILO条約で要請されているものを除き、法律の制定・改正を行う際に労政審での議論を必ず行わなければならないこととはなっていない」 とし、「働き方やそれに伴う課題が多様化する中、旧来の労使の枠組に当てはまらないような課題や就業構造に関する課題などの基本的課題については、必ずしも公労使同数の三者構成にとらわれない体制で議論を行った方がよいと考えられる」 としています。政府と自民党、財界は、条約の隙間を拡大解釈し、労働政策における労使自治の原則・政策決定のプロセスを否定し、解体しようとしています。
 具体的例として挙げられたのが 「・時間・空間・企業に縛られない働き方等のような事項」 は 「高度プロフェッショナル制度」 を見据えています。


 2015年6月30日に閣議決定された規制改革実施計画に 「多様な働き手のニーズに応えていくため、従来の主要関係者のみならず、様々な立場の声を吸収し、それらを政策に反映させていくための検討を行う」 ことが盛り込まれました。
 これを受け、2016年5月公表の 「規制改革実施計画のフォローアップ結果」 では 「働き方の多様化等により的確に対応した政策作りのため、労働政策審議会等の在り方について検討を行う」 とされました。
 また2016年2月23日、自民党の 「多様な働き方を支援する勉強会」 (会長:川崎二郎、事務局長:穴見陽一) からも 「労働政策審議会に関する提言」 を受けました。そこには 「ILOの政労使三者構成の原則を踏まえ、政策を議論する場面においては、厚生労働省の政務三役が会議に参加するなど、『政』 の役割を強化すべき」 とあります。
 2016年12月14日、これらの意見をうけて設置された 「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」 は 「労働政策基本部会」 の設置を決定しました。
 当初は、「労働政策基本部会」 を労政審本審議会の下に置くことは想定していませんでした。しかし抵抗にあい、本審議会の下に部会として置くことになりました。
 安倍政権の規制改革、働き方改革実現会議が労政審にも進出してきました。


 なぜこのような動きが登場したのでしょうか。
 2015年2月13日、労政審から 「高度プロフェッショナル制度」 に関する建議 「今後の労働時間法制等の在り方について (報告)」 が提出されました。そこには、使用者代表委員と労働者代表委員からの対立する意見が併記されています。「三者合意」 が成立しませんでした。
 規制改革実施計画が閣議決定されたのはその後の2015年6月30日です。


 2015年6月に閣議決定した 「日本再興戦略」 を踏まえて、「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」 が設置され、20回の検討会の議論をへて2017年5月に報告書が提出されました。そのなかにいわゆる 「解雇自由法制」 がありました。
 報告書には 「・解決されていない法技術的論点が多く、現時点で新制度を設けるのは時期尚早等の意見もあった。」 「・解決されていない法技術的論点が多く、現時点で新制度を設けるのは時期尚早等の意見もあった。」 「現行の労働審判制度が有効に機能しており、こうした現行の労 働紛争解決システムに悪影響を及ぼす可能性があることのほか、労使の合意による解決でなければ納得感を得られないので、合意による解決を大事にすべきということや、企業のリストラの手段として使われる可能性があること等の理由から、金銭救済制度を創設する必要はないとの意見があったことを、今後の議論において、十分に考慮することが適当である。」 と記載されています。

 これまでは労政審を経たならば、労働者代表の同意も得たということで法改正の作業に進めたのですがそうは進みません。検討会や審議会からも期待するブーメランの報告が返ってきません。急ぐはずの 「高度プロフェッショナル制度」 の法改正は2年経過しても成立していません。全国過労死を考える家族の会などは必死に反対運動を展開しました。
 安倍政権と経産省は、「働き方改革」・「働かせ方改革」 を強引に推し進めようとしています。そのためさまざまなところで異論が出ています。逆に反対運動が盛り上がっていきます。

 「労働政策基本部会」 はその教訓を踏まえての制度改革です。反対の世論をまき起こさないで決定していく方策がとられます。安部政権は 「働き方改革実現会議」 を設置し今年3月末には 「働き方改革実行計画」 をまとめています。


 では 「高度プロフェッショナル制度」 を巡る状況は、今、どうなっているでしょうか。
 7月13日、連合の神津会長は安倍首相と会談し、これまで反対の姿勢を表明してきた 「高度プロフェッショナル制度」 の創設を 「年104日以上の休日確保の義務化」 などの条件付きで容認する姿勢を表明したことを明らかにしました。安倍首相は 「しっかり受け止めて検討する。経団連とも調整する」 と応じたといいます。神津会長は3月頃から水面下で政府と交渉をつづけてきていたことも明らかにしました。
 労政審を無視し、重要法案を労・公の “ボス交” で決定しようとしました。なおかつ裏交渉を公表してはばかりませんでした。しかし傘下単産などから反対意見に遭遇し、あらためて反対を表明せざるを得なくなりました。

 8月30日、厚労省は残業時間の上限規制と 「高度プロフェッショナル制度」 を労基法改正として一本化した方針を固めて労政審労働条件分科会で概要説明の資料を提出し説明しました。分科会は9月4日にも開催されます。
 一本化のヒントを与えたのは連合です。相反する2つの政策を一緒にすれば連合は反対の意思を表明していてもいつかは折れるとよみ、揺さぶりをかけています。連合は安倍政権に助け舟を出したのです。
 それをふまえて9月8日には 「働きかた改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」 が諮問されました。「法律案要綱」 は8種類の労働法規の改正を一まとめにした一括法案で48ページにおよびます。
 (1)労働基準法 残業時間の上限規制 ▽裁量労働制の対象拡大 ▽高プロ ▽年休取得促進
 (2)じん肺法 産業医・産業保健機能の強化
 (3)雇用対策法 「労働施策総合推進法」 に改称。働き方改革の理念を定めた基本法
 (4)労働安全衛生法 研究開発職と高プロ社員への医師の面接指導
 (5)労働者派遣法  同一労働同一賃金
 (6)労働時間等設定 勤務間インターバルの努力義務改善
 (7)短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律 (パートタイム労働法) 「パート有期法」 に改称。
   不合理な待遇の禁止 (同一労働同一賃金)。
 (8)労働契約法 期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止に関する規定を削除。期間の
   定めのある労働者は (7) に移す。

 これらの内容がこのスピードで審議し、答申されたのです。15日、労働者側は 「高プロと裁量労働制拡大は必要なく、これらを含む答申は遺憾であり、残念」 と意見表明しました。しかし答申には要綱を 「おおむね妥当」 としました。「高度プロフェッショナル制度」 の導入と裁量労働制の対象拡大に対しては、労働者代表委員からの 「長時間労働を助長するおそれがなお払拭されておらず、実施すべきではない」 の反対意見が付記されました。
 政府は原則2019年4月の施行を目指します。

 安倍政権の経済政策は挫折してしまいました。経済界はそれを克服するには労働市場の改革、雇用の流動化が必要で、生産性向上とコスト削減を目指すとなりふり構わす主張し、労働者の生活や健康には関心を示しません。労働者と労働組合は 「高度プロフェッショナル制度」 の法制化を絶対に阻止しなければなりません。

 9月5日の 「活動報告」 の再録です。
 8月10日、厚生労働省は2016年度 「過労死等に関する実態把握のための労働・社会面の調査研究事業報告書」 を公表しました。
「特に、『把握されている労働時間の正確性』 に関しては、把握されている労働時間が 『全く正確に把握されていない』 場合に比べて、『正確に把握されている』 方が、1週間当たりの残業時間が約6時間短縮される傾向があるほか、年次有給休暇の取得日数の増加、メンタルヘルスの状態が良くなる影響も示唆された。加えて…… 『1週間当たりの残業時間』 に対しては、『把握されている労働時間の正確性』 に関して 『正確に把握されている』 場合や、『残業を行う場合の手続き』 に関して 『事前に本人が申請し、所属長が承認する』 場合や 『所属長が指示した場合のみ残業を認める』 場合において、他の要因よりも長時間労働の抑制に特に強く関連性を有していることが伺えた。 これらの結果を踏まえると、労働者の心身の健康の確保、過労死等の防止に向けては、労働時間を正確に把握することや残業する場合の手続きを適正に行うことが、非常に重要な取組基盤となることが改めて確認された」
 この調査結果からも、「高度プロフェッショナル制度」 は 「過労死促進法案」 です。
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チビチリガマ  死者は3度殺された
2017/09/15(Fri)
 9月15日 (金)

 沖縄・読谷村波平のチビチリガマが何者かに荒らされました。
 1945年3月26日、米軍は沖縄・慶良間諸島に上陸、4月1日に本島の北谷・読谷に上陸します。住民140人はチビチリガマに避難します。そのうち82人が2日に 「集団自決」 します。47人が子どもたちです。

 1980年代半ば、チビチリガマを初めて訪れました。
 道路から急な階段を降りた谷間の草むらを歩いた先に入口がありました。
 その後に訪れた時はコンクリートで階段が作られていました。入口手前の右わきに彫刻家金城実さんと住民の合作 「世代を結ぶ平和の像」 が設置されていました。87年4月に完成しました。2階造りになっている像には82人の姿が盛り込まれていました。
 上の段に腰を掛けて頭を抱えている姿があります。このモデルになった人がいます。
 戦時中徴兵にとられて読谷を離れていましたが無事に戻ってきます。しかし残っていた妻子4人はチビチリガマでて 「自決」 していました。
 その方は、いつもは気丈夫なのですが集落の催し物などで酒が入ると暴れ出し、みんなから嫌われ、早く帰ることを促されます。あるとき、集落のひとが後をつけていくとチビチリガマに降り、 「なんで自決なんかしたんだ」 と泣きながら語りかけていました。
 遺族は口を閉ざしていましたが、このことを機会にチビチリガマと集団自決が明らかになりました。
 青年団を中心に村で戦時中におきた出来事の掘り起こしが始まります。戦後38年後のことでした。

 沖縄は戦後米軍の支配になります。「復帰」 闘争が続けられますが、72年の 「復帰」 は期待したものにはなりませんでした。そのような中で、人びとはもう一度現実を見つめ直し、米軍基地撤去の闘いと合わせて沖縄戦の捉えかえしを始めます。各地で戦跡の発掘や証言の収録が開始されます。
 チビチリガマと集団自決問題の掘り起こしが始まったのもこのころです。

 像が87年11月に壊されました。壊したのは地元の右翼でした。右翼は戦争の犠牲者を追悼しているものには手をかけることはしません。この右翼は本土の右翼から叱られ解散させられました。ですから今回も、右翼が壊したということは想定できません。
 壊された像は、しばらくはシートで覆われていました。しかし壊されたのも事実といういうことでシートははがされました。3回目に訪れた時見ました。無残としかいい表せません。82人については姿が消えたり、金網や針金の祖型があらわになったものもありました。
 95年、新しい像が設置されました。それが今回壊されました。

 頭を少し屈めながらチビチリガマに入るとすぐに、ベニヤ板に書かれた金城実さんの詩が立てかけてあります。

   チビチリガマの歌
  1、戦世ぬ哀り 物語てたぼり
    イクサユヌアワリ ムヌガタテタボリ
    童御孫世に 語てたぼり
    ワラビンマガユニ カタリテタボリ
  2、波平チビチリや 私達沖縄世ぬ
    ハンザチビチリヤ ワンタウチナユヌ
    心肝痛ち 泣くさ沖縄
    ククルチムヤマム ナチュサウチナ
  3、泣くなチビチリよ 平和世願て
    ナチヌサチビチリヨ ミクルユニガテ
    物知らし所 チビチリよ
    ムヌシラシドコロ チビチリヨ

 今回、荒らした者たちはこれを見ながら奥に入っていきました。
 「戦世ぬ哀り・・・」 とはどういうことかと思いは巡らなかったのでしょうか。

 チビチリガマは大きくありません。
 今は自由に中にはいれませんが、かつてはできました。少し行くと屈まないと奥には進めません。端の方に当時の遺品が集められています。ビン、茶碗、包丁、入れ歯、メガネ・・・。茶色になった骨もあります。地面の土は湿っぽいというよりは油っぽいです。
 鎌を手に取ってみました。この鎌で避難していた住民は家族を殺しました。
 案内してくれた人が語ります。
「集団自決といわれますが1歳や2歳の子供が自分の意思で死ぬことができますか。殺されたのです」

 米軍は住民に出てくることを呼びかけます。しかし聞き入れません。
 竹槍をもって突っ込んでいった2人が銃で虐殺されます。
 家族はなぜ手をかけたのでしょうか。愛するゆえです。
 愛する者が米兵によって辱めを受けないために、虐待されないためにそうしたのです。
 そして教育がありました。「生きて虜囚の辱を受けず」 の戦陣訓がたたき込まれていました。
 看護師がいました。彼女は毒薬注射をそこにいた人たちにうちに打ち始めます。
 石油ランプに火を放って身体の近くで倒したり、近くにある布団などに延焼させます。煙に巻かれて窒息した者もいました。

 中国に派遣されていた従軍看護師がいました、南方から帰って来た兵士がいました。その人たちが自分の体験を話します。日本軍も現地住民にひどいことをした、ましてや米軍は何をするかわからない、死ぬ方が楽だ、と。
 死にきれない人たちがいました。傷つけた身体でガマを出ていきました。

 1995年6月、沖縄・摩文仁の丘に 「平和の礎」 が除幕されました。「平和の礎」 には沖縄戦で亡くなった1人ひとりの名前が刻まれています。
 名前を刻むに際して市町村でもう一度亡くなった方がたの確認をしました。そうしたらチビチリガマでもう1人亡くなっていたことがわかりました。
 今、谷間に建てられている碑には83名と刻まれ、裏側に21世帯、85人の名前が刻まれています。


 毎年4月1日、チビチリガマで遺族会主催の慰霊祭が行われています。
 今年の4月2日の沖縄タイムスの記事です。見出しは 「『うその教育で…』 沖縄戦 『集団自決』 遺族が語る危機感 読谷・チビチリガマで慰霊祭」。
「母方の祖父母ら5人を亡くした遺族会の與那覇徳雄会長 (62) は 『生き残った人は 「あの時、本当のことが分かっていれば」 「 うその教育を押しつけられなければ」 と口々に叫んでいた』 と指摘。『もう一度しっかり足元を見つめ、二度とチビチリガマの悲劇を起こさせてはいけない』 と語った。」
 もう1本の見出しは 「『痛い痛い』 暗闇に響く声、毒の注射器に行列… 8才の少女が目撃したチビチリガマの 『集団自決』」。
「『ここは毒が入った注射を打つための列』 『あそこでは、お母さんに背中を包丁で刺された子どもが痛い痛いと泣いていた』 -。8歳の時にチビチリガマで 『集団自決 (強制集団死)』 を目の当たりにした上原豊子さん (80)。当時のガマの中の状況を語ってくれた。
 避難していた家族は艦砲射撃で負傷した祖父と母、4人きょうだいの計6人。うち祖父が亡くなった。
 4月2日の朝。上半身裸の米兵が投降の呼び掛けに現れた。水も食料もあると言う。だが、周囲からは 『だまされるな』 との声が上がった。その後、次々と自ら命を絶つ惨状が始まった。『痛いよ』 とうめく子どもの声が今も耳にこびり付く。
 子どもに布団をかぶせて火をつける母親、毒が入った注射器を看護師に打ってもらおうと列をつくる住民…。煙が充満する中で、上原さんの母は子ども4人を引き連れて出口に向かった。『真っ暗な中から家族が出たら、光が素晴らしく感じた』 と振り返る。
 ガマの中に設けられた祭壇に、丁寧に手を合わせた上原さん。『天国にいる魂が慰められるよう、平和な世の中になるよう願いました』 と話した。」

 遺族らの願いはかないませんでした。ガマは荒らされました。死者は3度殺されました。


  泣くなチビチリよ 平和世願て
  ナチヌサチビチリヨ ミクルユニガテ

 それでもチビチリガマは語りつづけます。語りつづけなければならないのです。
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米軍は米兵を殺し、傷つけている
2017/09/12(Tue)
 9月12日 (火)

 9月11日で、東日本大震災から6年半を迎えました。
 被災地の復興は道半ばです。

 そして、9月11日は、2001年の米国同時多発テロから16年目です。
 9.11以降、米軍はアフガニスタンやイラクで対テロ戦を展開しましたが6900人以上の米兵側死者を出しています。
 2016年8月、米退役軍人省は、元兵士たちの自殺に関する調査結果を発表しました。2014年は一日平均で20人で、自殺率は一般市民より21%高い数字です。そのうち65%が50歳以上で、大半はベトナム戦争に従軍していました。若い時には何とか心の傷を抑え込んでいても、高齢化によって友だちを亡くしたり、仕事を失ったりすると、精神的にも肉体的にも耐えきれなくなるといいます。死に至らずとも、心に深刻な傷を負った元兵士がたくさん出ています。

 9月6日のYahooニュースはフリージャーナリストの大矢英代さんの 「『対テロ戦』 に参加の元米兵 “心の戦争” 終わらず」 を掲載しました。9.11以降、精神を破壊された元兵士たちの 「心の戦争」 を追っています。

 元海兵隊員マット・ホーさん (44) は、イラクに2004年と2006年の2回、アフガニスタンに1回、計3回派遣されました。その頃は想像もしていなかった悪夢が現実になります。最後のアフガンから帰国して8年、今も心から戦争を追い出せないでいます。
 戦場ではホーさんは何百人もの “敵” を殺しました。「考えるとおかしくなりそうだと」 といいます。
 そして今、夢にうなされ、夜中に大声をあげて飛び起きます。睡眠不足が続き、まともな日常生活も送れず、治療薬を手放せません。
「誰かが殺されるのを止められない。僕の体が動かない。ライフルを持っているのに、発射できない。引き金を引こうとしても動かないんだ。そしてもう一つ。僕が誰かを殺している。素手で殺す。時々は、僕が知っている人を、だ」
 「戦争は、精神も感情も魂も粉々に破壊する」 といいます。

 ホーさんは24歳の1998年、国の役に立つことをしたいと海兵隊士官学校に入隊、軍人としてエリートも道を歩みます。
「(士官学校では) 上官への返事が 『イエッサー (Yes,sir)』 じゃないんだ。『食堂に行け』 と命令されると、僕らは 『Kill! (殺せ!)』 と叫ぶ。『食べろ』 と命令された時も 『Kill!』、食事が終わって 『片付けろ』 にも 『Kill!』。人を殺す訓練を徹底的に受けるんだ」
 13週間の初年兵訓練を終えて尉官になり、その後、海外任地につきます。2000年から3年間、沖縄県名護市辺野古の海兵隊基地キャンプ・シュワブに所属します。そのころは 「米軍は世界一だ」 と思っていました。
「あの頃は毎日忙しく仕事して、毎日忙しく遊んでいた。それでうまくいっていた。ただ命令に従っていたんだ。物事を深く考えなかった。まだ何も失っていなかったし、まだ何も見ていなかったんだよ」

 9.11が起きます。
 ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機2機が突っ込み、超高層ビル2棟が崩壊されました。国防総省 (ペンタゴン) にも旅客機が突っ込みました。国内は急速に 「報復」 「対テロ戦争」 に包まれていきます。
 当時のブッシュ政権は国際テロ組織 「アルカイダ」 によるテロと断定し、テロ組織の温床になっているとして、イスラム組織 「タリバン」 が政権を握るアフガニスタンに侵攻します。2003年には 「大量破壊兵器を保持している」 としてイラクにも侵攻します。
 ホーさんは振り返ります。
「悪のタリバンを倒して、民主的な政治を築く。(イスラムの) 女の子たちが教育を受けられる……すばらしい、単純な筋書きだった。多くの米国市民は、9.11にイラク人が関わっている、と信じていたしね。当時の米国はとにかく、興奮していた。恐怖とリベンジと興奮だよ」

 イラク戦争が始まった2003年3月、ホーさんはペンタゴンで内勤でした。戦死した兵士たちの遺族に 「お悔やみ」 の手紙を書く仕事をしていました。オフィスのテレビが戦場を映しています。彼はその時、焦った、といいます。フセイン像が倒れる様子も見ました。
「(その場にいなかったことが) 悔しくて、失望して、イライラして。このままじゃ戦場に行けない、って。焦って。他の同僚たちも同じさ。だからすぐ、戦闘部隊の交代要員に応募したんだ」
 希望が通り、彼は2004年と2006年の2回、イラクへ行きます。「本当の戦争」 を知ったのは、2回目のイラク行きでした。所属はエンジニア部隊です。任務は道路や建物などに仕掛けられ爆弾の発見と処理でした。
「道路や建物などに仕掛けられたIED (手作り小型爆弾) や爆発物、それらの処理が僕の任務だった。何しろ、IEDに引っ掛かったら一瞬だ。大爆発。閃光、爆音、粉塵。周囲の全員に衝撃が走って、しばらくすると、やっと、誰が殺されたのかが分かるんだよ。戦友が死んでいるんだ、血を流して。ヘマをすれば仲間が死ぬ、自分も殺される」
「自分がしくじれば、友達が死ぬ、自分が死ぬかもしれないという恐怖、それ以上に怖いのは自分のせいで誰かが死ぬことだった

 イラクで米軍は各所にチェックポイントを設けました。街との出入り口にあり、車は一定の低速で走らなければなりません。敵の移動や武器輸送、不正な資金移動などを阻止するためで疑わしい車両は捜索対象になります。
「僕らは……(そこで) 何百人も何百人も殺したんだ。何百人も、何百人も、何百人も殺した。考えただけでおかしくなりそうだ……。家族と一緒に自宅に帰ろうとしていた人、友だちのところに行こうとしていた人が (米兵によって) 命を奪われたんだ。なぜ、あんなことが起きたのか? ただただ単純な理由だった。なぜなら……止まるべき地点で止まらなかったり、ゆっくり走っていなかったり、と。(彼らが攻撃してくるんじゃないかと) 米兵自身が怖くなったんだ。あるいは、単なる誤解だった。海兵隊員はアラビア語が分からない。イラク人は英語が分からない……そして戦争だ。僕らが2003年イラクに攻め込んでいた」

 2007年9月、ホーさんは2度目のイラク派兵から帰国します。変調はここから始まったといいます。海を見た時、突然、イラクで溺れ死んだ友人の映像がフラッシュバックして現れたといいます。「彼を助けられなかった。ひどい罪悪感があるんだ。それが蘇ったんだ」
 それから心の中の戦争が始まります。自分の中には悪魔がいるといいます。ふさがっていたはずの傷口が一気に開いたのかもしれません。
 殺されたイラク人、殺されるかもしれない、仲間が死ぬかもしれないという恐怖。次から次に 「死」 が出てきます。「あれから元に戻れない。人生が変わったんだ。酒、自殺願望。状況は良くならず、もう 『戦争と縁を切るしかない』 と」

 軍隊を辞めても、心の中での戦いは終わりませんでした。常に周囲を警戒し、人と目を合わすことができません。室内では 「入り口から武装した人が入ってくるのではないか」 という恐怖を感じ、脱出用の出口をいつも探します。
 アルコール中毒になり、自殺を図ったこともある。その後、専門的なセラピーを受け、投薬治療が始まりました。今も中枢神経への注射を定期的に続けています。


 ホーさんのような苦しみは、実は多くの元兵士たちに共通しています。
 今年8月中旬、元兵士たちでつくる 「ベテランズ・フォー・ピース (VFP)」 (平和のための元軍人の会) の年次総会がシカゴで開催されました。団体は1985年に設立され30年以上の歴史を持ちます。今年は国内外の120支部からメンバーが集まり、過去の経験に苦しむ男性も参加していました。
 シカゴ出身で、9.11をきっかけに入隊したという元陸軍兵、ローリー・ファニングさん (40) は 「僕は次の911を止めたくて入隊したのに、実際には戦場で一般人を犠牲にしてしまった。その結果、次のテロリストを生み出したんだ」 と訴えました。
 元米海軍士官のファビアン・ビオチレッテさん (36) は 「全ての元兵士たちはPTSD (心的外傷後ストレス障害) を抱えている。簡単には治らない」 と語ります。2003年から第7艦隊の横須賀海軍基地に所属し、2004年にイラク戦争に参戦。しかしこの戦争に正義はない、ビジネスのための戦争だと感じ、自ら除隊したといいます。
「僕も未だに軍艦の夢を見る。再入隊させられる夢も見ます。時に強烈なものもある。自分だけじゃない。みんな、幻覚や妄想に苦しんでいるんだ。いつも周りを警戒してきょろきょろしたり、危険なものはないかを確かめたり。リラックスなんか、できません。いつも緊張状態にある。あの戦争を経験した元兵士たちは、背後が怖い。だから椅子に座るときには、壁に背中をくっつける。そうしないと安心できないんです」

 VFPのPTSD専門チーム、サム・コールマン主任によると、これら戦争のトラウマ体験に基づくPTSDに加えて、元兵士たちは 「モラル・インジャリー (良心の傷)」 に苦しんでいるといいます。
「間違いを犯したという罪悪感。人間は、互いに信頼し合い、互いに守り合う社会的な動物です。共感、同情、協力という能力があります。戦場にはそれがないから本能で苦しむ。また、『この家に敵がいる、襲撃しろ』 と命令されたのに、実際には一般家庭だったとか、そういう状態が続くと、絶望感が生まれます」

 ビオチレッテさんは社会の無関心も元兵士を追い込んでいくといいます。
「軍隊を辞めて、リアル・ワールドに帰ってきたら、もう誰も戦争になど関心を持っていませんでした。多くの税金は軍事に使われるのに、誰も気にしていない。だから、多くの元兵士が胸に秘めているのは、怒り。怒りだと思います」


 米当局によると、9.11の実行犯の大半はサウジアラビア出身者で、アフガンとは無関係でした。イラク戦争の開戦理由だった 「大量破壊兵器」 は見つかりませんでした。後になって知ったそれらの事実に、ホーさんは苦しんできまし。いったい、何のためにイラクの市民、米軍の仲間は殺されたのか。何のための戦争だったのか。
 2007年PTSDを発症し、アルコール中毒になり、自殺未遂をします。
 2016年2月、彼はトラウマ性の脳障害と診断され現在も投薬治療を続けています。
「正義の戦争は全て嘘だった。僕は豊かな道徳心があると思っていたし、自分でいい人間だとも思っていた。けれど、僕は間違ったことをしたんだ。道徳的な人間になろうとしても、いい人間になろうとしても、もうなれないんだ」
「死んでから何日も放置されている子どもも見たよ。海兵隊員が撃たれるのも見た。うめき声、白目……。ある時、イラクの街中を歩いていると、女性が僕を見ているんだ。その目に映っていたのは……憎しみだ。あんな憎しみの顔、僕は見たことがなかった。心から僕を憎んでいた。たぶん、僕らが彼女の子どもを殺したんだと思う。それが戦争なんだ。でも、それを支え続けることは間違っている」

 テロとの闘いの開戦から16年、戦争の終わりはまだ見えていません。
 アーリントンの国立墓地には40万人の兵士が眠っているといわれますが、緑の墓地の用地がまだまだ広く広がっています。米国はさらに自国の兵士を殺し続けるつもりなのでしょうか。


 平和のための元軍人の会は2015年12月に沖縄を訪れました。辺野古を訪れ、新基地に反対する座り込みにも参加しました。現役米軍兵士たちに向けてプラカードを掲げました。
君たち米軍はぼくの民主主義を殺している (Your Military is Killing My Democracy)


 1965年に沖縄からベトナム戦争に出兵し、PTSDにり患して帰国したアレン・ネルソンは、その後反戦運動を続けます。(2014年1月7日の 「活動報告」)
 日本にもなんどもきて平和活動への参加、講演を行っています。
 1998年2月、大分・日出生台での海兵隊の実弾演習に対して、早朝、地元のメンバーとゲート前で抗議行動をおこないました。その時、ハンドマイクを握り、自衛隊演習場内にいる若い海兵隊員に向かって、アレンさんは、静かに呼びかけました。
あなた方は人を殺してはならない。そして、あなた方も死んではならない。武器を置いて家族のいる祖国へ帰ろう」。

   「軍隊の惨事ストレス」
   「活動報告」 2016.7.5
   「活動報告」 2015.10.9
   「活動報告」 2015.7.3
   「活動報告」 2014.1.7
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