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小池知事の表明はサイレンスのヘイトスピーチ
2017/08/29(Tue)
 8月29日 (火)

 毎年10月下旬から11月上旬に秩父困民党蜂起の足跡を追う旅・ツアーに車で出かけます。
 東京から秩父に向かうには関越高速道路に乗りますが、このルートは旧中山道・JR高崎線に沿っています。1923年9月1日に発生した関東大震災の時に朝鮮人が避難したルートでもあります。
 関東大震災の時、流言飛語が飛び交い、たくさんの朝鮮人が虐殺されました。中国人、沖縄人も殺されました。虐殺は横浜から始まり、東京、千葉、埼玉へと広がっていきます。同時に住民のなかに自警団が結成されます。東京で大杉栄は自警団に加わっていましたがのちに警察に殺されます。

 中山道にそった関東大震災の時の朝鮮人虐殺の状況です。
 流言のなかで、埼玉県警は県南に住んでいたり、荒川の河川工事に従事していた朝鮮人、東京から県南方向に避難してくる朝鮮人をまとめて群馬方面に護送することにします。最初は警察や自警団が付き添って徒歩や自動車で中山道を下ったりしました。しかし県北まできた時に自警団の一部と群集が朝鮮虐殺に走ります。9月4日、県内3か所で虐殺事件が起きます。熊谷約60人、神保原42人、本庄88人です。
 寄居でも1人虐殺されます。朝鮮アメを売り歩いていた具学永 (クハクヨン) は寄居警察署に保護されましたが群衆に襲われ虐殺されます。虐殺の時、具学永は血で 「無罪 日本 責任」 と書きました。お墓は寄居駅近くの正樹院に建っています。戒名は 「感天愁雨信士」。毎年9月1日が近づくと寄居署の警察官は保護できなかった責任を感じてお参りに訪れるといいます。いつもきれいに掃除されています。何度か訪れ、持参したお線香を焚きました。

 児玉でも1人虐殺されました。浄眼寺 (本庄市児玉町八幡山375) の無縁仏のなかに 「鮮覚悟道信士」 があります。後に 「児玉警察署員一同」 で供養塔が建てられました。持参したお線香を焚きました。
 現在の本庄市歴史民俗博物館 (本庄市中央1丁目2-3) は旧本庄警察署です。署員は避難してきた朝鮮人を保護していました。群衆が押し寄せたので玄関に阻止戦を張って守ろうとしましたが多勢に無勢でかないませんでした。日本刀、竹槍、木刀、棍棒、丸太等で朝鮮人88人が虐殺されました。遺骨は共同墓地・長峰墓地 (本庄市東台5丁目) に埋葬されました。翌年に日本人によって 『鮮人之碑』 の慰霊碑が建てられましたがのちに 『関東震災朝鮮人犠牲者慰霊碑』 に建て替えられました。碑には88人の名前が刻まれています。博物館を訪れ、当時の様子を想像しました。
 熊谷では避難を続けていた60人が路上で虐殺されます。この時から埼玉での虐殺が始まります。大原共同墓地には供養塔が建っています。
 妻沼町では、足尾銅山で働いていた秋田県生まれの青年労働者が、東京に出て仕事をしようとたまたま山を下りてきて、利根川を渡って妻沼町に入ったところ、利根川の橋を警備していた自警団によって東北訛りの発音から朝鮮人と間違えられ、虐殺されました。


 神奈川警察署鶴見分署長の大川常吉は、自警団や群衆から殺害されるおそれのあった朝鮮人・中国人らを署に保護しました。1000人以上の自警団らが署を囲み朝鮮人を殺せと叫びます。大川は群衆を説得するが、群衆は朝鮮人に味方する警察を叩き潰せと騒ぎ立てはじめます。大川は群衆の前に立ちはだかり叫びます。
「鮮人に手を下すなら下してみよ、憚 (はばか) り乍ら大川常吉が引き受ける、この大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、1人だって君たちの手に渡さないぞ」
 群衆は警察が管理できずに朝鮮人が逃げた場合、どう責任をとるのかと問います。大川は、その場合は切腹して詫びると答えると、そこまで言うならと群衆は引き下がりました。
 横浜市鶴見区潮田町3-144-2にある東漸寺に大川を顕彰する石碑が1953年に在日朝鮮統一民主戦線により建立されました。

 東京の各警察署も朝鮮人を保護し、警察官は身体を張って群衆の暴行や虐殺を止めさせようとしました。
 もし、このような警察官の行動がなかったら虐殺者数は今公表されている6000人ではなく万を超えたでしょう。
 民間人としては、弁護士の布施辰治は自宅に大勢の朝鮮人をかくまいました。


 8月24日、東京都の小池都知事は、歴代の都知事が市民団体などの主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが明らかになりました。その理由を担当する都建設局は 「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」 と説明しました。
 虐殺された人朝鮮人、中国人は関東大震災で亡くなったのではありません。デマに煽られた警察官や自警団などによって虐殺されたのです。自然災害と虐殺を一緒に捉えることはできません。虐殺された人たちへの追悼は、同じ歴史をくり返さないという自戒の誓いを込めたものです。小池都知事はそれを拒否したのです。
 行政の長としては、群衆の暴挙を防いだ警察官の活動も忘れずに顕彰をする続けることも大切です。

 今年は秋が早いです。

   幽霊の 正体みたり 枯れ尾花

 小池都知事はそもそも隠しようのないタカ派の人物です。知事に就任してからは、他者を批判はするが自分としては必要な判断をあいまいにしたまま先延ばしをします。しかし今回はさすが判断が早いです。
 あいまいさに期待を持たせてポピュリスムをふりまく幽霊の正体を露呈させたのが今回の判断でした。このような知事の進める都政は、富まない都民にとっては恐怖と枯れ尾花の廃墟しかもたらしません。

 小池知事は虐殺された人たちを自然災害の犠牲者と同じにしか見ていません。そもそも、なぜ当時多くの朝鮮人が日本にいたのかと検証することもしません。
「無視、もしくは無言の拒否というやりかたで、人は途方もなく恐ろしい差別をする。侮蔑的な発言をしたとか、侮蔑的な文章を配ったり貼ったりしたとか、そうしたわかりやすい差別行為とは別次元の、底なしの沼のような差別である。」 (高山文彦著 『生き抜け、長崎の被差別部落とキリシタン その日のために』 解放出版)
 あったことを無視することでないと言いくるめる手法です。小池知事の表明は間接的、サイレンスのヘイトスピーチです。

 
 なぜ朝鮮人の虐殺が起こったのでしょうか。虐殺者の数は6000人にのぼると言われています。
 関東大震災が発生すると1日の午後には 「不逞鮮人」 への流言飛語が飛び交い始めます。
 2日、山本内閣は戒厳令を出します。
 3日、内務省警保局長が各地方長官あて、「朝鮮人暴動に対する厳重な警戒を要する」 と指示します。各地に自警団が結成されます。

 10年の日韓併合は日本による朝鮮の植民地化です。土地調査により所有者が不明な土地は没収すると称して土地を奪い、人びとを路頭に惑わせました。その人たちが日本に渡って各地に住み着いていました。
 18年、全国で米騒動が起きます。シベリア出兵という国策が打ち出されていた時に、全国規模で群衆が国策に異議を打ち出した行動でした。
 19年3月1日、日韓併合に反対して朝鮮全土で独立運動が起きました。運動を鎮圧するために日本政府は残虐な行為を繰り返しました。当時の朝鮮総督府政務総監が水野錬太郎、朝鮮の警務総監が赤池濃、朝鮮の一九師団の師団長が石光真臣でした。
大震災の時、内務大臣が水野、警視総監が赤池、第一師団長が石光でした。
 だから震災が起きると、この機を利用して日韓併合に不満を持ち、3、1の鎮圧に抗議する朝鮮人が暴動をおこすだろうと勝手に連想したのです。政府も軍隊も自分らが行った行為が反撃を受けると恐怖に襲われていたのです。そのため異分子を先に抹殺することでしか自分らの安心を保障できないのです。
 そして民衆の政府に対する不満と不安のはけ口を朝鮮の人たちに向けさせたのです。
 20年、民心の動向を把握するため日本ではじめて国勢調査が実施されました。米騒動の後、検察は警察と一体となるべき民間組織を作り上げていきます。この頃から互助組織の社会が破壊され、縦型の組織に再編されていきます。自警団はまさにそのような組織です。


 9月6日、千葉県東葛郡福田村 (現野田市) では、香川県三富郡の被差別部落から行商に来ていた一行15人が船で利根川を渡って茨城県に行くため渡し船に乗ろうとしていて船頭と言い合いになりました。船頭が 「どうもお前たちの言葉づかいが日本人でないように思うが、朝鮮人と違うか」 と言い出しました。半鐘が鳴らされ、自警団が押し寄せると 「君が代を歌え」 「15銭50銭と言ってみろ」 と迫ったりします。このような中で9人が虐殺されます。「福田村事件」 です。
 襲った側は8人が逮捕されました。田中村では各戸から弁護費用のための金を集めます。結局は昭和天皇の即位で恩赦になります。その後、中心人物は後に村長に。
 この事件は隠され続けました。事件現場近くの円福寺・大利根霊園内に慰霊碑が建立されたのは2003年9月6日です。
 そして甘粕事件、亀戸事件と続きます。


 まだまだ隠されている事件があると思われます。追悼は忘れることなく過ちを繰り返さないという未来への誓いです。事実の発掘は未来への警鐘です。

   「活動報告」 2013.9.3
   「活動報告」 2011.9.6
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トヨタという会社
2017/08/25(Fri)
 8月25日 (金)

 トヨタ自動車は現在、企画・専門業務の係長クラス(主任級)約1700人に裁量労働制を導入していますが、“自由な働き方” を認める裁量労働の対象を拡大すると発表しました。事務職や研究開発に携わる主に30代の係長クラスの総合職約7800人のうち一定以上の自己管理・業務遂行能力を持ち、本人が希望し、所属長、人事部門の承認がある者が対象です。非管理職全体の半数を占めることになります。
 残業時間に関係なく毎月17万円 (45時間分の残業代に相当) を支給し、さらに一般的に残業代を追加支給しない裁量労働制とは違い、勤務実績を把握して月45時間を超えた分の残業代も支払います。これまでの残業代支給額は月10万円程度でした。そのための原資は、以前すすめた人事・賃金制度の改革で浮いた分を充てるといいます。16年1月から、全社員約6万8000人のうち生産現場で働く約4万人の労働者の賃金体系を見しました。
 対象者には年末年始や夏休みのほかに平日で連続5日の年休取得を義務付けます。20日間の年休を消化できなかった場合、制度の対象から外します。
 新制度導入の理由を、自動車産業では自動運転分野などで米グーグルなど異業種との競争が激しくなっていて、仕事のメリハリをつけて創造性と生産性を高める必要があると判断したと説明しています。専門性の高い技術者の間では一律の時間管理の弊害を指摘する声が出ていたといいます。
 現在は、繁忙期の超過を認める労特別条項付きの36協定を結んでいますが、新制度はこの範囲で運用します。新制度では繁忙期に備え残業の上限時間を月80時間、年540時間にします。(ちなみに、2009年の協定は月80時間、年720時間)
 上司が対象者に時間の使い方の権限を移します。
 新制度案を7月末に労働組合に提示し、12月の実施を目指します。

 政府は今秋の臨時国会に高収入の専門職を労働時間規制の対象から外す 「高度プロフェッショナル制度」 (高プロ) の法案を提出しますが、新制度は 「脱時間給」 の要素を現行法の枠内で、製造業の現場で独自の制度で先行導入します。
 「脱時間給」 は、ネスレ日本が4月に工場以外の社員を対象に労働時間で評価する仕組みを原則撤廃、住友電気工業は4月に研究開発部門で裁量労働制を導入しています。


 トヨタの新制度は、現在の労働時間削減に向けたうごきを嘲笑しています。時間外労働は例外であるということを無視し、いわゆる “働きかた改革” における時間外労働の上限規制等について労政審が6月5日に厚生労働大臣におこなった建議の 「上限は原則として月45時間、かつ、年360時間」 を “通常” と設定しています。この段階ですでに長時間労働です。そのうえで 「仕事のメリハリをつけて創造性と生産性を高める必要がある」 特別な事情や、臨時的な特別の事情がある場合として年540時間が設定されます。
 日本における残業は “周囲の雰囲気” が強制します。それも含めて 「新制度では上司が対象者に時間の使い方の権限を移します。」 本気で実行する社員はいません。中間層の社員にも長時間労働が強制され、恒常化が合法化されます。
 いわゆる “働きかた改革” のもう1つの柱である 「高度プロフェッショナル制度」 の年収制限のハードルを下げた導入でもあります。「高度プロフェッショナル制度」 が導入されたら他社でトヨタの新制度を変形させたものが登場してくることは明らかです。

 「一定以上の自己管理・業務遂行能力を持ち、本人が希望し、所属長、人事部門の承認がある者が対象」 はトヨタの社員選別に際しての常套文句です。
 16年1月からの賃金体系変更の1つに、団塊世代の大量退職による技術力の低下を防ぐため、「スキルド・パートナー」 と呼ばれる60歳定年後の再雇用制度も見直しがありました。それまの再雇用制度では60歳の定年後65歳まで賃金が半減しました。
 制度見直しでは作業レベルや指導力など技能伝承に向けて極めて高い能力を持つ「余人を持って代えがたいような卓越した技能を有する人材」の優秀な人材は囲み込み、処遇を変えずに65歳まで再雇用し、若手の指導や高度な技術の伝承が円滑に継承できるようにしました。定年に際して峻別がおこなわれました。一定の評価基準に到達しないと評価された多くの労働者については従来の制度が継承されるといいますが、期待しないから早期に辞めろという位置づけです。峻別をするのは所属長、人事部門です。
 60歳間際になっても競争が煽られ、「会社人間 」 としての忠誠が試され、再雇用になっても処遇に差が付けられます。長年の労働者の貢献は簡単に切り捨てられます。後期高齢者制度が法制化されても形式になっています。「違法ではない」 がトヨタの人事制度です。
 このような危険な、無慈悲な制度を労働組合は了承するのでしょか。こう問いかけること自体が無駄のようです。


 8月21日の日刊工業新聞は 「トヨタ、部品価格引き下げ要請。原価低減で減益回避狙う 下期は上期と同水準に。サプライヤーの協力がカギに」 の見出し記事が載りました。
 トヨタは取引先部品メーカーと毎年2回、部品価格改定の交渉を実施しています。
 14年3月期決算から3年連続で2兆円を超える営業利益をあげました。14年度下期 (10月―3月) と15年度上期 (4月―9月) は利益の社会への還元を優先する形で部品価格の引き下げを見送りました。15年度下期に再開し、16年度下期からは引き下げ幅を拡大していました。
 16年3月4日の中日新聞の社説は、トヨタが16春闘のさなかに部品価格引き下げ要請を再開したことについて、「下請け企業から賃上げへの余力をも奪う」 と痛烈に批判しました。全トヨタ労連内の小企業約80社の平均獲得額は861円にすぎませんでした。
17年度下期の部品価格引き下げ幅について、17年度上期と同等水準にする方針を固め取引先部品メーカーへの正式要請を前に、内々に示し始めています。大半が1%未満の要求になる見込みですが、赤字の会社などは値下げが免除される場合もあります。
 18年3月期連結決算で2期連続の減益を予想しており、原価低減を継続します。18年3月期に設備投資が1兆3200億円 (前期比8.9%増)、研究開発費が1兆600億円 (同2.1%増) と高水準の投資を計画します。
 トヨタは例年、3000億―5000億円規模で製造原価を低減し、営業利益の押し上げ要因としてきました。ただ、17年度の原価低減は原材料費の高騰などもあり、期初時点の予想で900億円にとどまっています。原価改善効果は営業利益段階で前期比1000億円の増益要因としています。2期連続の減益を回避したいトヨタは、利益改善策の1つとして引き続き原価低減を推進します。
 部品価格の引き下げ以外にも18年度から新たな原価低減活動を始めます。主要部品メーカーに 「RRCI」 (良品・廉価・コスト・イノベーション) と呼ぶ活動の第3期目の取り組みを始めると伝えました。コスト目標などは個別に定めるが、20年代前半に市場投入する車種に活動成果を反映する考えだ。

 簡単にいうとトヨタの取引先は、本体の利益確保の調整弁になっています。利益が低い時は “製造原価を低減” するということで納品価格の引き下げをおこないます。これが本体としては “原価改善効果” となって利益をつくります。
 このことが本体の労働者の賃金を保障させています。
 トヨタ労組は今春の春闘まで4年連続でベアを獲得し、子育て支援や非正規従業員の処遇改善など勝ち取ってきましたが、ベアを保障させたのは “原価改善効果” でもありました。


 2月2日の聯合通信は 「付加価値の循環運動」 は本物か/トヨタの2017春闘」 の見出し記事を載せました。
 トヨタ自動車が、その突出した利益から日本の賃上げ水準を決めるようになって20年ほどになります。
 トヨタ労組の17春闘の方針案にはこれまでにない「表」が掲載されました。全トヨタ労連 (315労組、約34万人) の賃上げ比較表です。14、15、16春闘で、トヨタ労組以上の回答を獲得した組合数などが示されています。たとえば16春闘 (製造部門) では、トヨタ労組が1500円を獲得しましたが、それ以上獲得した組合は前年までのゼロから一気に32労組になりました。豊田鉄工の1600円をはじめ、デンソー、アイシンがトヨタと並ぶ1500円でした。こんなことはこれまでにありませんでした。トヨタ労組の獲得額は14年2700円、15年4000円、16年1500円でした。
 しかしこれはトヨタが関連会社の労働者のことを考えているということなのでしょうか。
 労働力不足はトヨタだけでなく関連会社にも押し寄せ、そこでの事故も多発して、トヨタ全体に大きな影響を与えました。処遇改善をおこなわないと再発します。トヨタにおいても非正規労働者の労働条件を改善せざるを得ませんでした。

 自動車総連は、16春闘から自動車産業全体の底上げをめざす 「付加価値のWIN‐WIN最適循環運動」 を3年がかりで始めました。リーフレットには現状分析から3つの課題をあげています。「企業収益のバラつき二極化」 「労働条件の格差拡大」 「人材不足」 です。これに対して 「裾野の広い自動車産業の基盤を支えている中堅・中小企業の底上げがなされてこそ、真の意味で経済や産業の持続的な発展が可能となる!」 と呼びかけ 「労働条件の改善」 と 「現場力の底上げ」 の両面からの取り組みが必要だと訴えています。
 自動車は、約3万点の部品からなる裾野の広い産業であり、トヨタだけでも関連・下請け・取引先は2万9315社 (帝国データバンク調査) になります。
 「付加価値のWIN‐WIN最適循環運動」 は労働組合主導の生産性向上運動です。「表」 は “頑張ればなんとでもなる” とj説得する手法です。そして “自力更生” “自己責任” の通告です。労使協調の窮極です。

 しかし、付加価値=利益はトヨタなどメーカーが独り占めしてきました。下請けは、「賃上げの余力があるのなら単価を切り下げよと言われる」 (JAM元幹部) というのが実態でした。部品など自動車関連のメーカー労組も多いJAMは、16春闘で517労組が平均1346円の賃上げ獲得でした。
 親会社より子会社の方が労働条件がいいということでは子会社の意味がありません。トヨタの子会社はトヨタよりも “当然” 低い賃金で、時間外労働月80時間、年540時間の長時間労働を強制されます。

 トヨタ労組はトヨタと一体です。トヨタ労組は全トヨタ労連を支配します。
 そして全トヨタ労組は自動車総連を主導し、自動車総連は連合で大きな発言力を持っています。その連合が “働きかた改革” を勝手に推し進めます。
 経済界で発言力が大きいトヨタは政府進める “働きかた改革” に違法にならない範囲の現状維持を提示してけん制します。

 労働者と労働組合は、政府と使用者のごまかし・居直りの “働かせかた改革” ではなく本当の “働きかた改革” の議論をすすめ法案に活かしていく必要があります。

   「活動報告」 2017.7.25
   「活動報告」 2016.7.15
   「活動報告」 2015.2.3
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マイナンバー制度 情報を利用するのは自分以外
2017/08/22(Tue)
 8月22日 (火)

 テレビのコマーシャルでマイナンバー制度に関するものが流れています。忘れかけていた話題です。
 政府は7月18日から情報連携の試行運用を開始し、3カ月程度の試行を経て本格運用を予定していました。7月26の毎日新聞によれば、会計検査院はマイナンバーを活用して12~16年度にシステムを整備した官庁や医療保険者など計170機関を対象に個人情報をやり取りする情報連携システムの準備状況を抽出調査しました。その結果、システム設計の不備などから保険給付や保険料徴収といった一部の業務で情報連携ができず、少なくとも全国145機関で今年秋の本格運用開始が遅れる見通しであることが分かったといいます。
 情報連携とは、マイナンバー法に基づき、児童手当や公営住宅の入居、介護保険料の減免など1000以上の行政手続きで、住民側が提出する必要があった住民票の写しや課税証明書などの書類を省略することができるよう専用のネットワークシステムを用いて異なる行政機関の間で情報をやり取りすることです。マイナンバー制度の総合調整役は内閣官房です。

 不備が最も多く見つかったのは、厚生労働省所管の126機関 (90の国民健康保険組合、35の後期高齢者医療広域連合など) で各機関は、厚労省がまとめた設計図に基づきシステムを構築したが、保険給付などの手続きに必要な個人の所得を市区町村に照会しても、不動産譲渡や株式売却益などに関する一部の情報が提供されないことがテスト段階で判明しました。改修作業が必要となっており、18年7月まで連携開始が延期されました。不備の原因は、厚労省が業務を担う現場の意見を十分考慮しなかったなどといわれます。
 文部科学省所管の日本学生支援機構の奨学金貸与手続きでも連携開始は18年7月に先送りされました。
 年金機構の情報連携の開始時期は流出問題の影響で現時点で決まっておらず、農業者年金基金など計16機関が年金機構に対し、照会ができない状態です。年金機構と同時に情報連携を始める予定の国家公務員共済組合連合会も開始のめどが立っていません。


 マイナンバーのシステムは2002年に開始された 「住民基本台帳ネットワーク」 のシステムに “増築” したものだといいます。国民全員に11ケタの番号が与えられ住所、氏名、生年月日、性別の情報を自治体間で共有するために作られました。当時、1人分の情報は新聞の1面分を盛り込むことができるといわれました。
 マイナンバーは民間サービスの場でも使うため、情報が拡大します。


 住民側はさまざまな手続きに際し提出する必要があった住民票の写しや課税証明書などの書類を省略することができると便利さがあると説明されています。では逆に住民は集約されている自分の情報がどのような内容か知ることができるのでしょうか。出来ません。マイナンバー制度はさまざまな情報が集約される制度ですが、自分の知らないところで独自 (勝手) に管理されます。つまり情報を利用するのは自分以外です。一方通行のシステムです。
 ですから行政窓口で使用するマイナンバーカードを紛失したり盗難被害に遭っても実際の被害は限定的ですみます。しかし、マイナンバーの情報が流出されるとすべての個人情報が1人歩きをしてしまいます。


 マイナンバー制度は何のために必要なのでしょうか。所得をガラス張りにして公平な税制をめざすといわれています。国民財産の番号による管理です。
 預金者は18年から国に自分の銀行口座情報を告知することの義務化が検討されていました。政府は預貯金のナンバーリングを狙っていたといわれます。しかし18年からは任意で提出を求めることにかわり、21年以降に義務化を再検討することになっています。

 5月28日の日経新聞は 「マイナンバー、証券顧客の乱 『資産把握に?』 提出拒む」 の見出し記事が載りました。
 少額投資非課税制度 (NISA) の証券口座では18年9月までにマイナンバーの登録が求められ、提出がなければ18年から非課税の恩恵が受けられなくなります。しかしNISA口座は野村証券で5割、大和証券は2割しか集まっていません。資産状況を税務当局などに把握されると考え提出を拒む顧客が想定以上に多いといいます。公平な税務を目指すマイナンバー制度が政府の経済成長政策の 「貯蓄から投資」 の流れに水を差す事態となっているといわれています。
 証券口座は18年12月までにマイナンバーが必要で、登録しなければ19年から取引できなくなる可能性があります。日本証券業協会によると個人の証券口座は約2300万あります。
 投資家の証券口座がターゲットになりました。しかし、本丸の銀行口座は義務付けが決まっていません。
 日本における個人金融資産は1500兆円もあります。1人当たりの金融資産は1千万円を超え、アメリカに次いで世界第2位です。しかも、この個人金融資産はこの20年で急増しているのです。この個人金融資産の大半は一部の富裕層が握っていると見られています。
 マイナンバー制度を導入し、預金口座の紐づけが進めば、富裕層のそういう 「隠し資産」 が明るみになりますがそこには手をつけません。
 マイナンバー制度は公平な税務のためでもないようです。


 8月2日の毎日新聞に 「法務省 戸籍、マイナンバー導入へ 結婚や年金、謄本不要」 の見出し記事が載りました。
 法務省は、省内に設置された有識者らによる研究会が14年10月から戸籍事務でのマイナンバー導入を検討していましたが8月1日に法制審で議論のたたき台となる最終報告書をまとめました。マイナンバー制度の利用範囲を戸籍に拡大する方針を固め9月中旬の法制審議会総会で戸籍法改正について諮問し、19年の通常国会での戸籍法改正案の提出を目指すといいます。
 戸籍には親族関係や夫婦関係などプライバシー性の高い情報が記載されていることから、個人情報の流出や不正利用への対策が法制審での議論のポイントの1つとなるといいます。

 戸籍に関する個人情報は慎重で当然ですがマイナンバーに集約されている情報に入っていませんでした。しかしプライバシーが性の高いものがあるといわれると難癖をつけたくなります。
 難癖は、政府が他の情報を勝手に低いプライバシーと決めつけて流出の危機に曝すのを止めろという意味においてです。すべてのプライバシーを、現在の戸籍と同じように厳重な管理をしてほしいと思います。そのためにはマイナンバー制度の廃止です。


 政府は、大規模災害においては身元判明に役立つといいます。そのためには、DNAの登録が必要です。大震災後においては説得力をもちます。しかし何から何までの情報を集約しようとしているのを見ると恐怖を感じます。これが犯罪捜査に使われることはないのでしょうか。


 ではマイナンバー制についてどこが積極的なのでしょうか。
 15年10月30日の 「活動報告」 に書きましたがマイナンバー制度のシステム設計の契約に絡んで厚労省の情報政策担当参事官室室長補佐で収賄がいわれるときは社会保障担当参事官室長補佐が収賄容疑で逮捕されたという事件がありました。開発内容は病院が持つ情報と連携させるシステム作りなどです。患者の病名、通院・入院の頻度の情報がマイカードに蓄積されるのです。システム設計が厚労省です。
 注意しなければならないのは、健康保険法、船員保険法、国民健康保険法、高齢者の医療に関する法律による保険給付の支給、保険外の徴収に関する事務も含まれます。保険給付の支給は、人びとの健康状態の掌握が可能になります。

 これまで何度かかきましたが、マイナンバーとストレスチェックがリンクしたらどうなるでしょうか。漏れない情報などありません。
 15年12月から開始されたストレスチェック制度のチェック票には 「心身のストレス反応」 が導入されました。事業者によって労働者1人ひとりの精神状態に関する検査とデータ作成が合法的行えるようになりました。世界で初めてです。労働者は、第三者から 「心の管理」 が行われるのです。残念ながら法案作成から成立までの間に人権・人格、基本的人権、個人情報保護というような問題は議論に上がりませんでした。
 今後、「心身のストレス反応」 検査の合法化は前例となり、他のところでも第三者によって 「心の問題」 への干渉が悪用されていきかねません。
 世界的には人格権侵害、人権無視の行為であり得ないことです。

 ストレスチェック制度が開始された12月1日は、特定秘密保護法が完全施行された日です。
 20年オリンピックの会場に入るにはマイナンバーが必要だといわれています。何ためなのでしょうか。テロリストだけでなく精神疾患患者の排除だといわれます。そのために警察等が警備においてせっかく実施したストレスチェック票の 「心身のストレス反応」 を流用したいという考えが浮かんでくるのは必然です。これがいつからかストレスチェック制度導入の目的になっているのではないでしょうか。
 防衛省は、人びとの健康に関する情報は喉から手が出るほど欲しいです
 厚労省は、ストレスチェック制度では事業者でも労働者個人の情報を勝手に取得できないと説明します。しかし昨今のパソコンからの情報の流出状況を見ていると、完全に保護されている情報はありません。

 そして16年1月1日からマイナンバー制度がスタートしたのです。
 ストレスチェック制度もマイナンバー制度も必要ありません。
 「ただちに廃止!」 です。

   「活動報告」 2017.4.7
   「活動報告」 2016.11.18
   「活動報告」 2016.12.15
   「活動報告」 2015.12.8
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「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」
2017/08/04(Fri)
 8月4日 (金)

 毎年この季節になると、井上ひさしが書いた朗読劇 「少年口伝隊1945」 の上演がおこなわれます。
 案内チラシです。
「昭和20年8月6日、一発の原子爆弾が広島の上空で炸裂した。
一瞬にして広島は壊滅。このときから、漢字の広島は、カタカナのヒロシマになった。
かろうじて生き延びた英彦・正夫・勝利の3人の少年は、やはり運よく助かった花江の口利きでヒロシマ新聞社に口伝隊として雇われる。
新聞社も原爆で何もかも失ったため、ニュースは口頭で伝えるほかなかったからだ。
3人の少年は、人びとにニュースを伝えながら、大人たちの身勝手な論理とこの世界の矛盾に気がついていく。
やがて敗戦。・・・そこへ戦後最大級の台風が広島を襲う。」

 3人の少年は国民学校6年生で孤児になります。口伝隊の仕事は8月10日から新聞社の臨時雇いとしてです。県知事の 「最後まで戦え」 という布告を伝えます。長崎への新型爆弾投下を伝えます。15日には 「正午にはラジオのあるうちに集まってください」 と伝えます。この日をさかいに大人の態度がガラッと変わります。GHQとアメリカの原爆効果調査団がくることを伝えます。大人の世界はガラガラと変わっていきます。
 9月17日の枕崎台風では戦争で荒れた山が崩壊し、街を高潮が襲います。広島で2012人が亡くなりました。そのとき勝利は水害で命を落とします。そのあと正夫が原爆症で死去。15年後に英彦も原爆症のため亡くなります。


 新聞社の口伝隊については、大佐古一郎著 『広島昭和20年』 (中央公論社) や御田重宝著 『もう一つのヒロシマ』 (中国新聞社) にも出てきます。
 当時、中国新聞は当時38万部を発行していました。輪転機1台と付属設備を郊外の温品に疎開させましたが動力線を引く工事はまだでした。本社は全滅です。6日のうちに軍を経由して他社に相互援助契約による代行印刷を依頼しました。しかし、代行印刷は1か月の期限です。

 7日、特高課長が 「知事布告」 を出したいと要請にきました。
 特高課長の口述を編集局次長が原稿にし、印刷屋を探してタブロイド判の大きさで60枚印刷、市内各所に掲示します。布告は、「我らはあくまでも最後の戦勝を信じあらゆる艱 (かん) 苦 (く) を克服して大皇戦に挺身せん」 と結ばれています。
 この後も 「中国新聞」 と題字をつけたダブロイド版の壁新聞が発行され続けます。飛び込みニュース程度のものを2、3本書き込み、焼け跡の電柱、塀、駅前などに貼りました。
 憲兵が中国軍管区参謀長の命令をもって本社ビルに来ました。「中国新聞社で民心安定のため、口伝隊を組織し、市民に情報を知らせてくれ」 と要請します。編集局次長が断ると、憲兵は 「いや、こんな状況下では、憲兵ではだめだ。民間人でないとうまくいかない」 といいます。軍は火急の場合の広報活動は民間人でないと国民は信頼しないことを知っていたのです。
 新聞社は、生き残った社員でメガホン隊を編成し、焦土の中で市民に情報を伝達していきました。
 整理部長の回想です。
「『万難を排してニュースや諸情勢を伝達し、民心の動揺を防ぐ』 ことを新聞人としての最大任務と心得ていたのである。
 しかし7日には、まだ外部からのニュースは何も入手できないし、墨も紙もない。そこで最大の知恵は古風な口伝隊となって現れた。罹災者の応急救済方針、臨時傷病者の収容所、救援食糧、被害の状況など思いつきを口で伝えるのである」
 最後は 「決して心配はありません」 と結びました。
 比治山、饒津公園、東西練兵場、その他罹災者の集合場所や焼け残った郊外住宅地などに分散して回りました。情報に飢えている被災者には結構喜ばれました。
 しかし内務省の規制は厳しく、戦争が終わるまで原子爆弾の表現は禁止されました。

 大佐古記者の日記です。
「8月12日 (日) 快晴。
 本社焼け跡に行く。三井、佐伯、尾山、八島君らが、鉛筆と紙に代わるメガホンを持って口伝隊員として活躍している。この口伝隊はトラックの上からニュースを流すもので、軍の報道部にいた山本中尉らが、有事の際に憲兵隊を中心に編成することを予定していた。それが制服では信用がなくなったので、新聞社員や放送局員が代わって登場し、軍官の告知事項や重要なニュースを被災市民に伝達しているものである。」


 中国新聞社は疎開先で自力での発行に漕ぎつけますが枕崎台風で水害に遭い不可能になります。新聞発行は再び代行印刷となりますが、鉄道が被害を受けていた運送には困難をきたしました。
 20日から、再びこんにゃく版刷りの壁新聞 「特報第1号」 を発行します。
 大佐古記者の日記です。
「9月29日 (土) 晴れ、のち曇り。
 ここ1週間 『中国新聞特集』 の壁新聞をまた発行する。同盟や県庁だねを中心に数項目ずつをガリ版で刷り、それを販売部員が広島駅、横川、己斐、宇品、向洋など市内の要所に貼り出すほか、社員や県庁員に頼んで鉄道沿線の各駅に掲示してもらうものだが、見出しを長くした程度の内容で果たして何人の市民が見てくれるか。しかしわが社はピカドンにもめげずにまだ生きていることを宣伝するのには役立っている。」

 10月1日から本社移転に漕ぎ着けました。復員した社員、新たに採用した社員を含めて214人でのスタートです。

 8月3日、義勇隊本部から口頭で中国新聞社国民義勇隊に 「4日から8日までの5日間、主水町県庁付近一帯の疎開作業に毎日80人の隊員を出せ」 という出動命令が出ます。
 中国新聞社国民義勇隊には広島に支社をおく他の新聞社員も編入されていました。
 8月6日、中国新聞社員40人と他社員6人合わせて46人が県庁北側にあたる天神町の強制建物疎開作業に出動していました。集合を終え、作業に取り掛かろうとした時、上空で原子爆弾が炸裂しました。爆心地から西南500メートルの距離でした。
 新聞社は一瞬にして113人の社員が奪われました。当時の従業員の3分の1にあたります。助かった社員も熱線を浴び、放射能を浴びていてみな数日後には亡くなっていきました。

 中国新聞労働組合は1985年8月、被爆40周年事業として仲間が動員されて作業をしていた本川のほとりに 「不戦の碑」 を建立します。「碑」 は 「P」 のデザインです。Press、Pen、Peace の頭文字の 「P」 です。原爆で亡くなった新聞労働者を追悼し、二度と戦争のためにペンを執らない、シャッターを押さない、輪転機を回さない 誓いを込めた碑です。


 原子爆弾の被害をうけ、記者は苦闘します。
 大佐古さんの日記です。
「8月24日 (金) 晴れ、のち薄曇り。
 ……そういう新聞人はいったい何だ。反省も贖罪もなしに保身に窮々としている私を含めて……。私は名刺入れの中から日本新聞会が発行した登録記者証を取り出して破り捨てる。
 朝日が 『英霊にわびる』 というシリーズものを連載している。その中の吉川英治が書いた 『慙愧の念で胸さく』 を読み、新聞人の戦争責任についてとつおいつ考えつづけると、布団の上を三転五転して眠れない。」
「8月30日 (木) 曇り、ときどきにわか雨。
 東久邇首相が記者団との会見で 『一億国民はすべて懺悔しなければならない』 と発言したことが戦争責任を国民に分散させ、うやむやに葬り去ろうとするものだとして話題になる。……
『日本人に総懺悔するほどの余裕などあるものか。国民はそれどころか一億総餓死しようとしているのに……。とくに広島の市民は総討死に追い込まれ総ぼけしとる。指揮者が責任を霧消させようとする口実だよ』
 と歌橋君がいうと、佐伯君がそれにつづける。
『われわれを国家総動員法で身動きできないほど縛り上げたうえ、馬のように目隠しをして、一億火の玉になれと号令をかけて一直線に走らせた指揮者はだれだ。その馬に懺悔しろなど、何と虫のいいことをいう指揮者だ。それを批判しないジャーナリストは敗戦の虚脱でふ抜けになってしもうたんじゃないか。英霊にわびるくらいですむ問題じゃあない』
 私も1週間前の県議会議員の打って変った姿を思い出しながら話す。
『われわれが総懺悔論に反発するのもこの間の議員諸公が憤懣を県の理事者へぶっつけたのも、その相手は同じだよ。しかし目標がはっきりしないので、手近なところに対象を見つけて、やりようのない気持を発散させとるんじゃないのかな。ぼくはこの間から戦争責任の問題を深刻に考えとるが、どうも今度の戦争を起こした源流にまでさかのぼって反省し直す必要があるんじゃないかと思う。明治以来の軍閥やそれに加担した政治屋、財閥、官僚が上流で日本という大河を汚染させてしまっていたことをだ……』


 9月21日、GHGは 「日本に与える新聞紙法」 (プレス・コード) を指示します。同法は “自由な新聞の持つ責任とその意味を日本の新聞に教えるためのもの” で新聞以外のあらゆる刊行物にも適用されます。10カ条から成っており “連合軍にたいし破壊的な批判を加えたり同軍に不信もしくは怨恨をまねくようなことこと” “連合軍の動静” “公安を害するようなこと” などの報道を禁じています。

 実際の中国新聞の基本的な論調は 「広島の復興」 で、プレスコードが解除になっても原爆被害の実態や悲惨さを伝える記事は多くありませんでした。
 そのような状況を変えたのが54年3月1日のビキニ環礁での第5福竜丸が死の灰を浴びた事件でした。
 金井利博記者は、原爆を落とされた側の広島が人類に与えることができるのは落とされた現実の報告とそれに基づく忠告であるという視点に立ち紙面づくりを始めます。金井の指導を受けた若い記者も、在韓被爆者問題、沖縄の被爆者問題、被爆小頭症の問題など様々な問題を 「『人間』 の側から核兵器の問題見ていくという視点」 から原爆被害の記事を書き続けました。
 この取り組みはさまざまな集会で呼びかけられます。金井記者は1964年に開催された第10回原水爆禁止世界大会で呼びかけました。分裂含みの大会です。
原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」 「世界に知られているヒロシマ、ナガサキは、原爆の威力についてであり、原爆の被害の人間的悲惨についてでは」 ない。この広島での大会を主催する広島、長崎、静岡の 「三県連絡会議が単なる社会党、総評、親ソ路線に極限された平和運動でなく、もっと広く日本人の大衆的国民運動として幅広く盛り上がるためには、広島、長崎、あるいは焼津の原体験が、はたして十分に世界に知られているかどうか、どういう基礎的事実にもっと注目してよいのではないでしょうか。水爆に比べて、もはや広島型爆弾は威力ではなくなったとされ、その人間的悲惨は国際的に無視され、あるいは忘れられつつあるのではないでしょうか。平和の敵を明らかにする論争のなかで、まず被爆の原体験を国際的に告知する基礎的な努力がなおざりにされてはいないか」、そこで 「今、広島、長崎の被爆者が、その死亡者と生存者とを含めて心から願うことは、その原爆の威力についてではなく、その被災の人間的悲惨について、世界中の人に周知徹底させることである」

「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか。」
 このあくまで原爆被害を被爆者の立場に立って捉えなおそうという呼びかけは、その後の中国新聞の報道姿勢になっています。

 1995年8月6日、中国新聞労働組合は、原爆投下50年目を検証する8ページの 「ヒロシマ新聞」 を発行しました。
 題字の下には次のように書かれています。
「この新聞は、原爆投下で発行できなかった1945年8月7日付の新聞を、現在の視点で取材、編集したものです。被爆50周年に、一日も早い核兵器廃絶を願って製作、発行しました。」
 社説には訴えます。
惨状を前に、原子爆弾を投下した者に対する憎しみはわき起こる。しかし圧倒的な被害を前にして思う。憎悪による復讐は人類を滅ぼすことにつながるだけだ。この爆弾は、アメリカが日本に落としたものでなく、人類が人類に落とした兵器、そして歴史として刻まれるべきだ。
 私たちは、本日ここで起こっているできごとを多くの人に知らせなければならない。国境を越えて世界のあらゆる人々に知らせなければならない。時を超えて後の世のすべての人々にも広く知らせなければならない。
 死と破壊の惨状と、地獄の町に身を置いている者の体験を永遠に伝え続けていく。」



 日本政府は今年7月の核兵器禁止条約の採択に参加しませんでした。
 悲惨な体験はヒロシマ、ナガサキだけではまだ足りないのでしょうか。
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まず自分を守ること
2017/08/01(Tue)
 8月1日 (火)

 地球の温暖化のせいなのかはわかりませんが異常気象がつづいています。
 7月5日、福岡、大分県を襲った九州北部豪雨は土砂崩れも発生し36人の死者をだしました。追い打ちをかけるように台風が襲いました。
 6日、大分県日田市では警戒活動に従事していた消防団員が土砂崩れに遭いました。地域を回って周囲に避難を呼び掛け高齢者を避難所に運ぶなどの活動をしていました。いったんは公民館に避難しましたが被害の状況を確認しようとして出かけました。

 5月4日、横浜市で、消防団員のあり方を考えるシンポジウムが開催されました。東日本大震災のときに岩手県宮古市田老地区での救援活動で指揮をとった2人の消防団員が報告をしました。
 教訓として 「逃げることは恥ずかしくはない。生き抜くことがいかに大切か」 「津波のときにはとにかく自分の身を守るということが大前提。自分を守らなければ、人は助けられない」 と語りました。
 そして心身の疲弊を懸念し、交代で休みを取れるよう特別な部隊編成に見直すとともに、臨床心理の専門家によるストレスチェックを受けられるよう消防署と掛け合ったことも披瀝しました。
 東日本大震災では、地震が発生すると消防団員は水門を閉めに海のほうに走った、地域住民に避難をよびかけてまわった、1人では避難できない住民と一緒に避難をして波に巻き込まれたなどの話をたくさん聞きます。250人の消防団員が亡くなっています。

 東日本大震災のあと消防団のあり方の議論が進んでいます。そして消防団員だけでなく防災の議論も進んでいます。
 15年3月20日の 「活動報告」 の再録です。
「『階上中学校といえば 「防災教育」 といわれ 内外から高く評価され 十分な訓練もしていた私たちでした。』
 しかし東日本大震災で3人の卒業予定者を亡くしてしまいました。
 階上中学校では震災前は3年間の間に 『自助』 『共助』 『公助』 のサイクルで防災訓練を行ってきたといいます。
 震災を経て防災教育の見直しをしました。何よりも自分の命を確実に守ること、それが多くの人の命を守ることになるという確認をしました。その結果、『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 のサイクルで、『自助』 を基盤にした防災学習に変えました。
 「とにかく自分の身を守る。自分を守らなければ、人は助けられない」 です。

 東日本大震災のとき、消防団員は震災後も避難所の運営などにたずさわりました。
 全国から駆け付けた救援部隊による捜索活動には地元の地理と状況を知っているということで水先案内もおこないました。捜索活動は知っている方の遺体にもであいました。しかしたずさわっている任務が優先です。個人的行動は後回しです。
 このようなことは今回の災害においてもそうだったと思われます。しかし救援活動にたずさわる人たちもくれぐれも 『自助』 『自助・共助』 『自助・公助』 を心にとめてほしいと思います。


 朝日新聞は 「てんでんこ 皇室と震災」 を連載しました。その6月6日の記事です。
「陸上自衛隊東北方面総監の君塚栄治さん (15年死去) は宮城県東松島市の松島基地で両陛下を迎えた。
 かつて君塚さんに取材したとき、印象深かった話がある。『遺体の扱い』 だ。3月14日に被災地の陸海軍の統合任務部隊指揮官に任命された際、当時の北沢俊美防衛相 (79) に 『ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください』 と言われたという。
 君塚さんは大臣の言葉を部下に伝えるにあたり 『自分の家族と同じように』 と言い換えた。『被災地の現場に行くのは18歳から20歳の若者。身近に死体を見る経験もない隊員たちにもわかるように説明する必要があった』」

 防衛相の発言は間違いで危険です。
 この発言のテレビニュースを消防団員の方と一緒に見ていました。
 彼は間髪を容れずに 「この対応は間違い」 と叫びました。「ご遺体は生きている人と同じように、丁寧に扱ってください」 の対応をしていたら、救援者は持ちません。
 防衛相は背広組ですから実際の対応方法がわからないこともあります。しかし制服組の幹部も同じ発言をするとは驚きです。消防団では周知されていることを自衛隊では幹部が知りません。

 11年4月22日の 「活動報告」 の再録です。
「米軍の制服組を養成する学校には遺体を扱うときの留意事項が列挙されたマニュアルがあります。『遺体が救援者に引き起こす気持ちの変化:救援者向けパンフレット』 として防衛医科大学の医師が翻訳しています。日本でも消防庁では活用されています。(加藤寛著『消防士を救え!』 東京法令出版刊)
 しかし、自衛隊では救援活動は本来の任務でないということからかあまり活用されていないのでしょうか。軍としての 「殺す」 という任務は側面で 「殺される」 ということも覚悟していると思われますが。
 パンフレットを紹介します。
 【基本的な心構え】
 ・業務の目的を忘れないでください。そして、それを見失わないようにして下さい。
 ・業務前に「心の準備」をすることは簡単ではありません。そのため、業務内容で何が求められ
  ているのか、可能な限り事前に知ることが大切です。また、同じような経験をした同僚から話
  を聞くことも大切です。
 ・休息をこまめにとり、衛生を保ち、食事と水分をしっかり摂って下さい。
 ・業務外の時間では、心身ともに休んでください。
 【遺体への接し方】
 ・遺体に接する時間は必要最小限にして下さい。そして、ほかの人にも必要以上に見せないように、
  敷居、カーテン、パーティーション、カバー、袋などを用いて下さい。
  業務中は、防御服・手袋を着用し、二次感染の危険性を減らしてください。
 ・特定の遺体に集中しすぎないようにして下さい。自分が強い気持ちを抱きやすい遺体には、
  特に注意が必要です。
 ・遺体はあくまでの遺体であって、もう生きてはいないことを、自分の中で言い聞かせてみるのも
  一法です。これは、必要以上に気持ちが流されないためなので、業務終了後、そのような距離感を
  取ったことに対して、決して自分自身を責めないでください。
 ・遺体の近くにある遺留品は、身元確認のために重要であり、遺族にとって大切な所持品です。扱い
  には注意を払ってください。しかし遺留品への必要以上な執着は、あなたの気持ちを必要以上に
  つらくしますので、注意が必要です。
 ・臭いを消すための香水や香料は、業務体験とともに後々の記憶に (悪い形で) 残してしまうことが
  ありますので、使用にあたっては注意が必要です。」
 自衛隊では 「まず自分の身を守ること。自分を守れてはじめて他の人も助けられる」 の 「まず自分を守ること」 が組織的に行なわれていません。

 そして今回の朝日新聞の記事を見て思うのは、このような記事を何のためらいもなく載せるということは、救援活動ではなくても現場に駆けつけることがある新聞記者自身と新聞社においても 「まず自分を守ること」 の必要性が理解・周知されていないことがうかがわれることです。いつか新聞社そのものが深刻な事態に陥る危険性があります。


 雑誌 「トラウマティック・ストレス」 の13年12月号に東日本大震災の経験について防衛大学の医師らが共同で 「自衛隊における惨事ストレス対策―東日本大震災における災害派遣の経験から―」 を寄稿しています。
「東日本大震災では、自衛隊史上最大の災害派遣規模に加え、遺体関連業務や被爆関連業務が多くの隊員が関わることになったため、発災当初、『メンタルヘルスの問題を抱える隊員が大量に生じるのでは?』 と懸念されたのが正直なところである。しかし、これまでのところ、そうした事象は確認されていない。
 PTSDの症状は心的外傷性体験した多くの隊員で観察されたが、それは一時的なもので、多くは数日、残りのほとんども数週間で自然消退した。PTSDの診断基準を満たす症状を有し、それが1か月以上続き、診断に至った隊員も若干名いたが、数カ月の治療で軽快、寛解しており、精神障害として重症化した事例は現時点では認められていない。……
 長期フォローアップのスクリーニングについても、カットオフポイント以上を示した隊員は数%のみであり、そのほとんどが上司との面談、心理職によるカウンセリングにより改善もしくは経過観察となっており、医療機関に受診となった例はわずかであった。結果的に、2011年の自衛隊全体の精神科受診患者数は、例年と変わらない数に留まっている。
 今回の災害派遣では、任務の中に隊員に心的外傷をもたらす体験があったことは間違いないと思われるが、幸い私たちが懸念していたような事態には至らなかった。」

 誤った指示をうけても大きな影響が出ていません。信じられない報告です。結論先にありきの報告なのかもしれません。教訓をくんで生かそうとしていません。このような報告を信じて対処していたら次には大変な事態が発生します。
 自衛隊員の対応は正直に答えたら不利益が生まれるなどの何らかのバイアスがかかっていると思われます。それは自衛隊が持つ体質からきています。東日本大震災の直後、派遣された部隊から逃亡した自衛隊員がいました。派遣を回避するため事件を起こした自衛隊員がいました。彼はその後どうなったのでしょうか。派遣後に自殺した隊員もいます。(16年3月9日の 「活動報告」)
 「とにかく自分の身を守ること」 を周知しないで 「他の人も助けられる」 任務を遂行できません。
 自衛隊は隊員を大事にしていません。

 自衛隊にとっては自衛隊法に救援活動は任務と謳ってあるといっても本来の任務ではありません。不得手な部隊に押し付けると無理・無駄が生まれます。国としては早期に専門の 「災害救助隊」 のような組織を創設すべきです。

   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「心のケア」
   「活動報告」 2016.3.9
   「活動報告」 2015.3.20
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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