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失業率が低い時は、労働者が要求を獲得するチャンス
2017/03/31(Fri)
 3月31日 (金)

 3月31日、総務省が発表した労働力調査によると、2月の完全失業率 (季節調整値) は2.8%と1994年6月 (2.8%) 以来22年8カ月ぶりの低水準となりました。
 就業者数は50カ月連続増加で6427万人、雇用者数も50カ月連続増加の5754万人でした。内訳は正規労働者3397万人で、非正規労働者は2005万人です。
 完全失業者81カ月連続減少で188万人です。完全失業率を年代別にみると15歳から24歳が4.4%、25歳から34歳が4.0%、35歳から44歳2.7%でそれ以上は平均を下回ります。年齢が低いほど高くなっています。男女別にみると、男性が3.0%と95年6月以来の低水準となり、女性は2.7%と横ばいでした。
 94年とは、いわゆるバブル景気がピークを越えたころです。その後上昇し、90年代後半に4%後半を続け、2000年代になると5%をこえます。03年頃に4%台に下がり、減り続けて07年には3%台になりますが08年のリーマンショックでまた5%台に突入しますがそのあと下降を続けていました。

 完全失業率とは労働力調査における労働力人口に占める完全失業者の割合 (公表失業率) です。完全失業者とは、15歳以上で、仕事がなくて調査期間中に少しも仕事をしなかった (就業者ではない)、仕事があればすぐ就くことができる、調査期間中に仕事を探す活動や事業を始める準備をしていた (過去の求職活動の結果を待っている場合を含む) という人です。調査期間に1時間でもアルバイトなどで賃金が得られる仕事をしたのであれば、統計上、「就業者」 となってしまいます。
 完全失業者のうち失業期間が1年以上の者を長期失業者と呼びます。1%後半から2%くらい存在します。
 また、契約期間満了などによる退職をふくむ非自発的失業者も存在します。非自発的失業率は完全失業率とほぼ同じような動向を示し、1%後半から2%半ばくらい存在します。

 しかし実際の失業者はこれだけではありません。潜在失業者がいます。就業を希望していて、仕事があればすぐにつくことが可能であり、過去1年間に求職活動を行ったことがある者で、現在は今の景気や季節では適当な仕事がありそうにない近くに仕事がありそうにない、自分の知識・能力に合う仕事がありそうにない、勤務時間・賃金などが希望に合う仕事がありそうにない等の理由で求職活動を行っていない者です。潜在失業率はほぼ1%存在します。
 そうすると潜在失業をふくむ失業率は、完全失業率に約1%加算されます。この失業率の算出は他の国とは違います。調査期間に1時間でも仕事をしたら 「就業者」 ということも含めて日本の失業率は低いということではありません。


 雇用労働者数を雇用形態別にみてみると、非正規労働者の占める割合は、90年にはじめて20%を超えます。95年に日本経団連は報告書 「新時代の 『日本的経営』」 を発表すると増え続け、03年に30%を超えます。「雇用の流動化」 がいわれ始めます。
 もう少し細かく見ると、97年11月、北海道拓殖銀行と山一証券が倒産しています。97年の正規労働者は3812万人でしたがその後3300万人から3400万人の間を続け17年2月は3397万人です。非正規労働者を見ると、97年は1152万人 (23.2%) でその後増え続け、17年2月は2005万人です。


 15年6月9日の 「活動報告」 で松下電器について書きました。その部分転載です。
 89年、幸之助は亡くなります。
 90年代半ば、経営企画室はあと数年で3万人が余るとはじき出します。余剰人員は明らかです。しかし 「赤字でもないと、世間がリストラを許さなかった」
 雇用維持のため、さまざまな手が打たれました。総務の年配社員を工場にもどし、パートを切ります。すると 「社員の雇用を優先した。不良品が増え、速度が落ちた」 状況が生まれます。
 2001年度は大幅な赤字に転落します。大幅な早期退職募集が行われ、約1万3千人が退職しました。
 「あの松下が」 と衝撃的なニュースが流れました。そして松下が早期退職募集するのならと日立製作所、東芝、富士通などでも開始されます。「日本型雇用」 の転換でした。
 その結果失業率が5%台に跳ね上がりました。

 松下は、その後も早期退職募集を行います。
 雇用を大事にしていたといっても、労働者はみな正規社員や直接雇用者だったわけではありません。ご多分にもれず請負労働者、派遣労働者が製造現場を支えていました。
 雇用問題は、正規社員の問題がクローズアップされているときに、実は非正規労働者の問題が深刻化を増します。非正規労働者でもパート労働者の問題が論議されているときに派遣労働者の処遇が悪化します。非正規労働者の問題がクローズアップされている時、請負労働者、個人事業主・偽装雇用の問題が深刻化します。
 この連鎖も見過ごすことができません。


 08年9月のリーマンショックを見て見ます。08年第Ⅱ期は正規労働者3418万人でしたが、第Ⅳ期は3390万人でその後も変化は大きくありません。一方、非正規労働者は第Ⅱ期が1732万人で第Ⅳは1796万人ですが、09年第Ⅱ期は1684万人に減少します。労働者派遣事業所の社員等だけをもっと細かく見ると、08年第Ⅱ期576万人、第Ⅲ期643万人、第Ⅳ期643万人、09年第Ⅰ期567万人、第Ⅱ期557万人です。いわゆる派遣切りで年越し派遣村が開設された時です。
 景気の後退を非正規労働者にとってかえて乗り切ろうとしますがそれが無理だとなると解雇を通告してきます。非正規労働者は雇用の調整弁で、合わせて労働法制も改正されます。


 派遣切りに際して正規の労働者の労働組合はほとんど行動を起こしませんでした。
 派遣切りを可視化した年越し派遣村の開設・運営は、いわゆる個人でも加入できる小さな労働組合・ユニオン等と市民運動団体によって担われました。
 そのなかで全造船関東地協いすゞ分会は地域闘争で派遣労働者を守ります。そのときの状況を最近発行されたパンフレット 「半世紀の闘い 工場と地域と世界のなかで」 から抜粋して紹介します。

 08年のリーマンショックの後の12月に、契約期間の途中であっても非正規労働者1400人全員の雇止めがおこなわれました。「日比谷派遣村」 が開設された時のことです。
 とんでもない! こんなことが許されてたまるか! と、不当なやり方にたいして年末から全造船関東地協で取り組みます。直接雇用の期間工労働者はいすゞ分会に、派遣労働者は湘南ユニオンにと連名で組合加入を呼びかけました。いすゞ分会に11人、湘南ユニオンに22人が加入しました。
 藤沢で全造船関東地協、いすゞ分会、湘南ユニオンは団体交渉を開催しました。まずは社宅や寮への居住の保証を約束させました。そして解雇撤回、契約期間中の雇止めはふざけんじゃないという要求です。会社はリーマンショックだからしょうがないじゃないかと主張します。だめだ!
 さらに外国人労働者の問題もありましたが神奈川シティユニオンが取り組んでいました。
 同時にいすゞ本社への抗議行動も展開しました。新聞やテレビも闘いを取材し報道しました。
 派遣会社にも派遣社員の雇用を保障にさせるためにいすゞに要求しろと要求しました。派遣会社は要求しました。
 こうした集中的な闘いの取り組みを展開し、本社抗議行動を予定していた日の早朝に会社からファクスが届きます。すぐに石川議長に連絡し、資料を作り、本社前にいったら、マスコミの方が会社に問い合わせをしました。契約期間中の解雇は撤回し、その後は自宅待機扱いにして賃金保障はするというものですが希望退職をにおわす内容でした。阿部知子衆議院議員が国会で質問したり、抗議闘争が拡大する状況のなかで自動車工業会や経団連からも注意されたようです。
 いすゞと交渉を続けて2か月もしないうちに、組合員から 「まだどうにかならないのか。お金がない! 飯が食えない」 との声が上がりました。交渉経過を説明してもなかには 「そんなことを言われて帰ってきたのか」 と不満をぶつける方もいました。つまり派遣社員の労働条件ではたくわえをすることができなくて余裕がないのが実態です。今でもそうです。1か月でも雇用が途切れると生活ができません。びっくりしました。この時に私はそれまで最低賃金ということに関心が薄かったことに気付かされました。
 10年、組合の闘う方針を守って切り捨てを認めないで継続雇用を求めて闘いきった1人の期間工の労働者が新しい仕事に就き、この時の闘争は解決して終了しました。


 非正規労働者を雇用の調整弁とすることは許されません。
 完全失業者のなかには、いじめ・おどし・だましなどによる退職強要も含まれます。正規の労働者も景気の調整弁になっています。また長時間労働による体調不良で退職した労働者もいます。労働者は経営者のいいなりになる必要はありません。
 働き方改革、「同一労働同一賃金」 は、政府や経済界に委ねるのではなく、労働者・労働組合からの働きやすさ、安心できる雇用の要求を獲得して監視していく必要があります。

 人員不足は、労働者が要求をかかげて獲得するチャンスです。

   「活動報告」 2015.6.9
   「活動報告」 2011.12.26
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南スーダンの自衛隊員20人がPTSD発症
2017/03/28(Tue)
 3月28日 (火)

 国会で、事実上2013年から内戦状態に突入している南スーダンの情勢をめぐって、戦闘地域である・ないの議論が続きました。戦闘と武力衝突は違うのだそうです。判断は、実態か政府の見解かの違いです。「日報」 は隠されたままです。黒を白という政府の見解は、かつての大本営のようです。
 そのような中で3月10日、突然、自衛隊施設部隊が5月末をめどに撤退することが発表されました。政府は、活動に一定の区切りがついたためで、現地の治安情勢の悪化によるものではないと説明します。これもまたかつての大本営に似ています。


 3月11日付の毎日新聞は 「自衛隊員 全隊員1割にPTSD、うつ 防衛省調査」 の見出し記事を載せました。
 防衛相が、2013~15年度の各年度に実施した全隊員へのアンケートの結果で、うつ傾向の隊員は13年度2万1223人 (回答者の10.0%)、14年度1万6478人 (同7.8%)、15年度1万3684人 (同7.1%) に達しています。PTSD傾向の隊員は13年度1976人 (1.8%)、14年度1275人 (1.4%)、15年度1013人 (1.4%)です。減少は、東日本大震災からの時間の経過と救援体験者が除隊したことなどがあると思われます。
 アンケートでは遺体に接した経験の有無や人間関係を尋ね、うつやPTSDの傾向があれば上司と面談し、症状が重い場合は精神科の受診を促されます。受診対象者は各年500人前後で推移しています。
 同省は 「うつは自衛隊で特に割合が高いとは言えず、PTSDも海外派遣で顕著な傾向はない」 といいます。だが、軍隊の精神的ケアに詳しい福浦厚子・滋賀大教授 (文化人類学) は 「自衛隊は心身の強さに最大の価値を置く特殊な世界。心の悩みを隠さず書くことで不利益を心配する隊員もいるだろう。ケア充実には本当のことを話せる仕組みが必要だ」 と話しています。

 小見出し 「『20隊員 PTSDケア必要』 防衛省関係者証言 惨状目撃で」 の記事が続きます。現在、首都ジュバに約350名の隊員が派遣されています。
 南スーダンで昨年7月、政府軍と反政府勢力の衝突が起きた。部隊の日報は 「戦闘」 と表現しました。同11日の日報に 「TK射撃含む激しい銃撃」 「宿営地南方向距離200トルコビル付近に砲撃落下」 とあります。「TK」 は戦車、「200」 は200メートルとみられます。防衛省が開示した日報は黒塗りが多いが、さらに生々しい記述がある可能性もあります。
 同省関係者によると部隊の宿営地の近くでは殺傷を伴う衝突があり、宿営地外を監視する複数の隊員が惨状を目撃しました。同省は 「派遣隊員に過度の精神的負荷がかかったとの報告はない」 とします。だが、実際には約20人がPTSD発症へのケアを必要としたといいます。

 毎日新聞は、派遣部隊に事前に実施したメンタルヘルス教育に関する内部文書を情報公開請求で入手。それによると、派遣先で疲労やストレスがたまると組織全体に影響が出るとし、「特定の人をスケープゴート (いけにえ) にすることで集団の安定を図ろうとする動き」 が内部で出ることを最も警戒すべきだ――と指摘しています。
 また、帰国前の教育に関する文書は、任務を終え帰国する隊員と留守を守った家族との間で感情の溝が生じ、ストレスになることにも注意を促しています。
 同省は2年前に隊員向けの 「メンタルヘルスケアガイドブック」 を初めて作成。「こころの問題は現場の士気や団結力に悪影響を及ぼす可能性がある」 として、対策を最重要課題の一つとする。南スーダンPKOでも、互いに思い出を語り合ったり緊張を和らげたりする取り組みや、医官らによるカウンセリングが行われてきました。
 隊員の心のケアを支援する民間組織 「海外派遣自衛官と家族の健康を考える会」 もできました。共同代表で精神科の蟻塚亮二医師は 「夜中に何度も起きたり、店のレジに並んでじっとしていられなかったりするなどの症状があったら相談してほしい」 と話します。


 防衛省・自衛隊の、南スーダンへの自衛隊の派遣についての公報です。
Q8.自衛隊員の現地での健康管理はどのように行われているのでしょうか。
A8. 南スーダンに派遣される隊員は、日本隊宿営地において、日本国内の駐屯地とほぼ変わ
 らない日課で、日々の規則正しい生活と自炊による日本食を中心とした食事を心がけ、日々
 スポーツに参加して健康的な生活を営むことで疾病を予防することに努めています。
  そして、アフリカ大陸に特有な感染症を予防するための衛生教育を受けるとともに、必要な
 予防接種やマラリア予防薬の服用を実施しています。また、派遣部隊には医師などの衛生科
 隊員も含まれており、彼らが医務室を運営し、隊員の診療を行っています。
  派遣期間の半ば頃には、医務室において臨時の健康診断を行い、隊員の健康状態をチェック
 しています。さらに、定期的に精神科医師を現地に派遣し、隊員の心の健康もサポートしています。


 戦闘を武力衝突と言い換えようが、兵士はPTSDを発症します。
 1930年代からの日本軍の満州侵略における実態が、上笙一郎著 『満蒙開拓青少年義勇軍』 (中央公論社刊) でふれています。

 1932年8月、満州移民計画が議会を通過し、10月から送り出します。
 第一次農業移民団423人はソビエトとの国境付近に近くの自称弥栄村、33年夏に第二次移民455人が千振村に入植します。これらは武装移民で軍編成がおこなわれ、日本刀、拳銃、小銃、迫撃砲、機関銃などを備えています。ソビエトに対する第一線兵力の扶植の軍事的役割を負わせられました。
 中国農民たちによる民族独立運動組織・反満抗日パルチザンなどの抵抗・襲をうけ生活と生命の危険にあいます。
 1934年2月、1万人の農兵が土龍山を根拠地として十数日間蜂起する事件が起き、関東軍の連隊長以下20人を殺害します。
 団からは 「だまされた」 とさまざまな不満が爆発します。第一次移民団からは百数十人の退団・帰国者が出ます。第二次移民団からも数十人の落伍者がでます。
 開拓団は意気を沮喪してしまいます。
 のちに 「屯墾病」 とよばれたストレス、ホームシック、集団的ノイローゼ―の症状が現れました。
 関東軍はこれらを農村に生まれながら学問がある者、内地で裕福な生活をしていた者、いわゆるハイカラ男たちの 「薄志弱行者」 と呼びました。
 逆に勇敢で適しているのは、国民高等学校出身者、貧困者、純真な青少年といい、その後の移民の対象者にしました。

 1938年、日本軍は兵士不足を補うため 「満蒙開拓青少年義勇軍」 を組織し送り出します。
 そこでも 「屯墾病」 の発症者が現れます。
「それでは、屯墾病とは具体的にどのような兆候を示すのかというと、それは大別してふたつの種類があった。義勇軍をはじめ満州開拓関係者が普通に屯懇病と見なしているのが、その第一類であって、ひとくちにいえば 〈自閉症〉 ――精神的に自分の内部へ閉じこもってしまう傾向のものである。
 訓練所での毎日の生活が味気なく、農作業も軍事訓練もする気にならず、体の具合が悪いといっては1日じゅう宿舎に寝ており、故郷と父母兄弟を思っては落涙している。食欲もめっきりおとろえ、夜もうつらうつらして熟眠することができなくなり、その心配した友人たちが言葉をかけて励ましても、はかばかしい反応を示さなくなってしまうのだ。
 このような自閉型屯懇病にかかるのは、どちらかといえば性格的におとなしい少年に多かった。そしてその症状は、……時として悲劇を招くことも皆無ではなかった。……
 以上のような第一類の 〈自閉症〉 に対して、屯懇病の第二種は、〈攻撃型〉 といえば適当であるかもしれない。義勇軍生活への忿懣を自分の心のうちに鬱積させ、自閉的になってしまうかわりに、忿懣を外部世界へ向けて攻撃的になってゆくのである。
 その場合、忿懣の捌け口として、当初は自然およびその一部としての動物などが選ばれた。少年たちは、理由のわからない怒りが心にみなぎって来ると、木刀を外へ持ち出して草や作物を薙ぎ倒し、野原に火をつけてどこまでも燃えてゆくのをみて快哉を叫び、またそこらに遊んでいる犬や猫を叩き殺し、豚の尻にナイフを突き刺したりするのだ。
 しかし少年たちの荒れ果てた気持ちは、ものいわぬ自然を痛めつけることでは満たされず、次には、人間を攻撃することに向かっていった。むろんこのようなとき、その攻撃の対象となるのは自分より弱い者に限られるわけで、まずさしあたっては、同じ訓練所の後輩が恰好な対象として選ばれた。……
 しかしながら、義勇軍の過酷な生活から来る屯懇病の攻撃型の矛先は、同じ義勇軍の後輩たちに向けられただけでは済まず、訓練所の周辺に住む中国人にも向けられたのである。……
 こうした盗みについで多かったのは、女性への凌辱をふくむ身体的暴行であった。盗みを働いている現場を中国人に発見されれば、かえって高圧的に出て腕を振り上げたりしたほか、相手の顔が気に入らないとか、先輩になぐられたのが癪にさわるとかいった無茶な理由で、殴打したり蹴飛ばしたりしたのである。
 ただ、さすがに女性に対する凌辱に関しては、たくさん出ている義勇軍中隊史のいずれもが、申し合わせたように口を閉ざしてただの1行も言及していない。たが、誰ひとり語らないからといって凌辱事件がなかったのではない。わたしは、義勇軍の少年たちを窮極的には被害者と見ているので、心情的には書きたくないのだが、しかし真実を伝えるために敢えて書かなければならないと思う――中国女性への凌辱は、殴打と同じくらいの頻度でおこなわれていた、と。……
 少年たちの悪戯というべき段階を越えて、明白に犯罪と見なければならぬこれらの行為に対して、満州警察と日本軍とは見て見ぬふりをしていたといえよう。」(『満蒙開拓青少年義勇軍』)
 満蒙開拓青少年義勇軍の中隊と中隊が衝突し銃で撃ち合い、3人が死傷する事件も起きています。昌図事件と呼ばれます。

 屯懇病は今でいうならPTSDです。

 日本軍・自衛隊は貴重な教訓をもっていますが活かそうとしません。
 PTSDり患から見られることは、軍隊は自国の兵士を殺すということです。アメリカでも日本でもそうです
 それとともに人びとも大きな教訓をもっています。
 軍隊は民衆を守らないということです。沖縄でも満州でも民衆が軍の盾になりました。

   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「活動報告」 2016.9.13
   「活動報告」 2015.8.28
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ヤマト労組を他労組は見習らおう
2017/03/23(Thu)
 3月23日 (木)

 春闘の季節です。しかし流れてくるニュースはベースアップ額、しかも業界ごとの妥結が中心で、それ以外の要求は聞こえてきません。
 かつての春闘は、金銭だけでなく、労働時間・年間休日数、退職金制度、福利厚生制度などさまざまな要求を掲げて交渉に臨みました。しかし産業ごとの中央交渉が中心になると各単産独自の要求は掲げにくくなりました。中央交渉は各単産の力量を弱め、現場からの声を吸い上げる力も失ってしまいました。
 今年は、労働時間の短縮がおこなわれた企業もありましたが、ほとんどは政府の 「働き方改革」 への対応です。「官製春闘」 がまかりとおっています。労働組合の位置がますますなくなっています。
 労働組合は、人員不足の時こそさまざまな要求をして勝ち取るチャンスです。


 そのなかでヤマトでは久しぶりの春闘交渉がおこなわれました。
 根底には業務量の急増に伴う長時間労働、さらにサービス残業が蔓延してる状況があります。現場の労働者から悲鳴があがり、労働組合には切実な声が寄せられていたと思われます。経営の方も現在の状況に危機感を持っていました。労働者を引き留めなければ業務がまわりません。
 2月10日に始まった今年の交渉は3月16日夜に労使合意に達しました。
 合意内容です。改善の開始時期はそれぞれ異なります。
 宅配便の時間帯指定区分を見直し、正午から午後2時を廃止、集中する午後8時から9時を午後7時から9時に変更。
 再配達の受付締め切りを午後8時から7時に変更。
 一部商品の廃止やリニュアルを検討。具体的にはクレジットカードなどの貴重品の手渡しなど。
 大口法人顧客との契約内容の見直し、取り扱い終了の適正化。具体的にはネット通販など大口法人顧客への値上げ要請、それによる取扱量の抑制。
 年間の総労働時間計画を2456時間から2448時間に。労働時間の管理を入退館時間で一本化。(2月24日の 「活動報告」 参照)
 営業所単位で休憩の時間帯を決め、管理の徹底。
 営業所の責任者を増員し、管理体制を構築。
 年間126日以上の休日・休暇を確保。
 週1回程度のノー残業デー取得を推進。
 10時間の勤務間インターバル規制の導入。
 賃金は定期昇給も含めて一人平均6338円の引き上げる (前年は5024円)。事務員を含めたベースアップは814円 (前年1715円) だが集荷・配達を担うドライバーへ重点的に配分する。集荷・配達個数やサイズなどに応じて付与されるインセンティブを2621円 (前年は1049円) 引き上げる。


 これらの要求は、、他業種の労働者への問題提起も含まれています。
 夜間の配達量が多いのは、労働者の帰宅時間に合わせた設定であると同時に再配達の時間帯です。夜間に通常の賃金で働かせてあたりまという捉え方や、さらに最初の労働を無駄・タダにさせる再配達は労働の価値を低めます。
 ネット通販・通信販売での配達料無料は、商品に配達料が転化されていることを騙されていたり、荷主が一部を運送会社に負担させているということです。返送する場合の料金無料はそれがダブルになるということです。労働対価のダンピングは許されません。さらに荷主が一方的に当日配送や翌日配送をうたい文句にしています。
 また生活必需品などのネット通販・通信販売や生活協同組合の宅配は地域の商店街をさびれさせていることを見逃すことはできません。そして街や地域のコミュニケーションを崩壊させています。生協の個人宅配が、生活必需品の買い物の不便を解消しましたが、その代わりに長時間労働を受け入れることができていました。最近はデパートにも影響を与えています。
 これらが労働者を犠牲にしているだけでなく、消費者・利用者の時間的思考を麻痺させ、生活感覚を失わせ、最終的には社会に不便をもたらします。

 ヤマトの最大荷主で本社がアメリカにあるアマゾンジャパンは売り上げを2010年の5025万ドル (約5700億円) から16年度は10.797万ドル (約1.2兆円) と2倍以上に伸ばしています。街の本屋が潰れていっています。
 国土交通省の調べでは、ヤマトが扱う荷物の個数は年間約17億3千万個 (2015年度) で、そのうちアマゾンの荷物は約2億5千万個、14%です。しかも荷物一個250円程度の契約で他の荷物に比べれば半額以下です。
 ここ3年の営業利益 (いわゆる本業の利益) は600億円超で推移していましたが、2017年は580億円の見通しで2期連続の減益です。コストを無視した運営が、業務が増えても利益を生まないという 「豊作貧乏」 を生み出し、サービス残業に繋がっています。

 労働条件を見てみます。
 年間総労働時間計画2448時間を年間出勤日数239日 (365日-126日) で割ると10時間を超えます。これまでも賃金が支払われる残業はありましたがそれ以外に昼休みを含めたサービス残業が1日約2時間以上ありました。
 時間指定が12時~14時に集中すると昼食休憩は取れません。20時~21時に集中すると営業所に戻るのは21時過ぎになります。そのあとに事務作業です。しかし繁忙期などには1ヵ月の所定労働時間を超えるとタイムカードを推してからのサービス残業が上司から命令されていました。長時間労働を会社は認識していました。
 そのため離職者の多く出ていました。体調を崩し、労災認定された労働者もいます。ドライバーの人手不足は深刻になっています。

 今後、サービス残業をなくして1日の実労働時間を10時間に抑えるのは大変です。しかもこれでもかなりの長時間労働です。
 これを改善するためには消費者・利用者の利用の仕方とあわせて応分の負担をあわせ検討される必要があります。


 ヤマト労働組合は、契約社員を含めて全員加盟です。ヤマトは2007年にも労働基準監督署から是正勧告を受けています。しかし労使ともにそれを機会に労働条件を改善するという方向には至りませんでした。退職した労働者などからの話では、まったく機能していなかった、組合員の声は聞き入れなかったということです。
 そのため作年8月に神奈川の2人の労働者が労働基準監督署に相談し、労基署は是正勧告を出しました。しかし労働者は労基署が認めた以上のサービス残業があるとして労働審判を申し立て認められました。
 会社は7万6千人の全社員の未払い残業代を過去2年さかのぼって調査し支払うことにしました。

 労働基準監督署の是正勧告を受けても変わらなかったという話を聞くと電通を連想させます。
 しかし労働者に耐えきれなくなったという事情があったとしてもヤマト労働組合の側から “働き方・働かせ方” を会社に要求し、のませていったということは大きく違います。ヤマト労組の今後の活動を期待して見守りたいと思います。そして多くの労働組合に、ヤマト労組を見習ってほしいと思います。
 そして労働者がもう一度自分の生活時間を取り戻す機会にしたいと思います。

   「活動報告」 2017.2.24
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原発で働く労働者が安全に働き続けられるために
2017/03/17(Fri)
 3月17日(金)

 よこはまシティユニオンは、東日本大震災の後、毎月11日に横浜市内で反原発のビラを配布しています。72回目になる3月11日に配布したビラを紹介します。
 表面です。

  原発は、いらない! 今すぐ廃炉に!
  あの日から6年。 今、 共に考えよう!

 故長尾さんの闘いを胸に

 よこはまシティユニオンの組合員だった故長尾光明さんは、福島第一原発で働き、被ばくが原因で退職後に多発性骨髄腫 (血液のガン) を発症し、労災認定されました。
 損害賠償を求めて東京電力を相手に裁判を起こしましたが、東電は、労災認定はおろか病名すら否定。裁判所も長尾さんの請求を棄却しました (最高裁2010年4月)。

 原発で働く労働者と共に
 原発は、電力会社を元請とし4〜8次にわたる下請会社の労働者により稼働しています。3・11以降、多くの労働者が福島第一原発の収束作業に関わり、被ばくを余儀なくされています。また、うつや不眠症など精神的負荷も大きくなっています。ユニオンは、被曝労働従事者やその家族に向けメッセージを発信し、ともに闘いを進めていきます。

 東電と国の責任を追及します
 よこはまシティユニオンは、11年4月以降、東京電力に対し、団体交渉や情報公開・賠償・脱原発などを求め、45回にわたり要求書を提出しています。東電からはその都度、文書で回答はありますが、肝心な点はいつも曖昧です (ホームページ参照)。ユニオンは、東電と国の責任を追及し、今後も粘り強く話し合いの場を求めます。

 職場の問題、いつでもご相談を
 私たちは、この6年間、毎月11日に街頭宣伝活動を行ってきました。3・11大震災や原発事故を忘れないためです。
そして、何ができるのかを一緒に考えたいと思います。「福島どころじゃない」 「自分の仕事と生活が大変」 という方もいるでしょう。そんなあなたこそ、あきらめる前に一度ぜひ職場の問題をユニオンに寄せてください。一緒に解決しましょう!


 裏面です。各執行委員がコメントを寄せています。

  私たちはユニオンの組合員です。原発のない、安心・安全に働ける社会を一緒に作っていきましょう!

台湾は脱原発を決めた。東電は自己で補償責任すら果さず、廃炉費用の一部は、私たちの税金と電気料金で加算して集めると言う。ふざけるんじゃあない!自分でばらまいた害毒は自分で始末すべき。子供すら知ってる!原発利権で儲けた人から財産没収して始末するべきではないでしょうか。

福島から横浜に避難してきた中学生が死ぬほどのいじめを受けていたことが明らかになりました。また、この3月で住宅支援費が打ち切られることで、福島の避難者の苦しみが増します。廃棄物の処理もできない、一たび事故が起きれば人々に不幸をもたらす原発は、絶対止めるべきです。

福島原発事故は終わってない。毎日、放射能を海、山、大気中に撒いている。原発は厳重に隔離して管理する。知りながら6年経っても再稼動! 8000Bq 以下は公共事業で日本国中に散布? 命を紡ぐ土を汚染するな!

直接の被害者でないと、事故の記憶は、どんどん衰えます。脱原発に向けた、あるいは後退する様々な 「事実」 に一喜一憂せず、きちんと認識することを怠ってはならないと思います。月1 回のビラまきは、多くの人への宣伝ですが、同時に自らを戒めるための取組みでもあります。

3.11から3年後、いわき市に住む被災者の短歌です。
「あの日からガマンガマンの石の上 たかが3年 されど3年」。それから3年。石の上で 「されど6年」 です。ガマンは限界です。もっともっと声をあげることが必要です。
MAKERUNA KUMAMOTO

原発は、造る側にとっても、動かす側にとっても、経済的にも環境的 (核のゴミ) にも割りの合うものではありません。今すぐ、全ての原発を廃炉に!

無関心ではありませんか、原発の後始末は一生、国民が負担することに。安全・廉価をうたった原発の電気料として、子・孫・ひ孫・玄孫以降も放射能消滅まであと何年かかるのでしょうか。今すぐ原発は廃止させましょう!

新規制基準に合格した原発は12基で、2基は運転中で、数基は年内再稼働に向け準備中とのこと。新基準は地震や津波の想定をより厳しくしているみたいですが、原発本体には問題はなかったのでしょうか。40年超運転となる原発も将来再稼働もあり。6年前には考えられなかった事です。

当時、被災した中学生が成人になって自分たちに何ができるかと自問している姿や、故郷に帰還できない人の苦しい生活の様子をテレビで見ると、私が今、できることはやらなくてはと思う。今年も満開になる準備をしている夜ノ森の桜がそう言っているような気がします。

毎日7000人近い労働者の被ばく労働抜きに原発の廃炉作業は進まないのが現実です。原発で働き、白血病を発症し、労災認定された 「あらかぶさん」 の損害賠償訴訟が2月に東京地裁で始まりました。東京電力の責任を糺す重要な闘いです。あの日から6年。やっと端緒に就いたばかりです。

私たちの望むものは、
「今さえ良ければそれでいい」 ではなく、
「今を変えて、未来へつなぐ」 です。
脱原発! 福島に学ぶ。
経済より、いのちを!

例えば嫌なことがあった時、うんと小さい頃は、ただ黙って涙を流した。少し大きくなると、神様に祈った。「嫌です」 と言葉にできるようになったのは、学校を卒業してから。すっかりおばさんになった今、自分の考えを表現できる幸せと責任を思いながら毎月ビラをまいてます。


 東日本大震災から6年目が近づくと各地でいろいろなイベントが催されました。
 そのなかの、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故により被災した福島県浪江町請戸地区で、捜索活動に当たった消防団の苦悩を描いたアニメーション映画 「浪江町消防団物語 『無念』」 を観ました。
 沿岸の請戸地区は2011年3月11日、津波で多くの家屋が流され、消防団が懸命の捜索を始めました。しかし翌日、福島第1原発が爆発。がれきの下で多くの人が助けを待っていると知りながら、捜索を断念せざるを得ませんでした。
 製作に携わった人たちは、反原発を訴える映画ではないがあるがままを知ってほしいとの思いから作ったといいます。
 映画の一シーンに、避難命令がでて原発近くの住民があわてて避難をするなかで、逆に原発事故対応に向かう東電社員が描かれていました。東電社員だけでなく下請・関連企業の労働者、そして救援に駆けつけた部隊は沈静させるために必死でした。


 昨年12月16日、福島労働局富岡基準監督署は、東京電力福島第1原発事故の収束作業に従事し甲状腺がんを発症した40代の東電の男性社員を労災と認定し医療費の支給を決定したことを発表しました。放射線被曝による甲状腺がんに労災が認められるのは初めてです。
 男性は1992年4月に東電に入社し、一貫して原発部門の仕事に従事。2011年3月の福島第1原発の1、3号機の水素爆発に屋外で遭遇し、直後から12年4月まで、第1原発原子炉の水位計や圧力計の確認や燃料ポンプの給油などを行っていました。被曝量は20年1カ月間で計149.6ミリシーベルトでしたが、このうち福島原発事故後の緊急作業での被曝は139.12ミリシーベルトでした。健康診断をきっかけに、14年4月に甲状腺がんと診断されました。
 福島原発事故に絡み、作業後にがんになり労災を申請した人は今回を含めて11人いますが、すでに白血病の2人が労災認定されています。白血病については認定の基準がありますが、甲状腺がんについては基準がないため、専門家が15日、論文などを参考に認定の目安を検討し、厚労省は 「医学的な因果関係の証明はできていないが、専門家から示された目安を総合的に勘案し、労災を認めた」 といいます。


 原発事故の収束に対応しているすべての労働者に敬意を表するとともに、健康に充分に留意することを期待します。東電は同じような事態が繰り返されないよう下請会社・関連会社を含めてすべての労働者の安全と健康に充分に配慮・管理をしていく必要があります。


   「消防士の惨事ストレス」
   「活動報告」 2013.3.5
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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大川小学校  児童遺族も教員遺族も遺族
2017/03/14(Tue)
 3月14日 (火)

 東日本大震災から6年が過ぎました。
 6年間、故郷でもある被災地を見て回ってきましたが、どうしても足が向かないところがありました。
 児童74人と教職員10人が亡くなった大川小学校です。地域としてはもっとたくさんの方が亡くなりました (高校時代、同じクラスだった者も亡くなっています)。
 しかし、いつのまにか児童74人が亡くなったところといわれますが、教職員については語られなかったり、教師の判断が不充分だったために児童が亡くなったという雰囲気が生まれていました。「児童遺族」 と 「教員遺族」 を分かつ 「壁」 がうまれました。犠牲者を加害者と被害者に分ける壁でもありました。一部の犠牲者が “排除” される雰囲気の場所に足は向きませんでした。
 教師を加害者とはどうしても思えません。追悼は犠牲者全員におこないたいと思います。


 3月5日の毎日新聞に、父親が大川小学校の教師で震災で亡くなった、今、教育系大学に通う学生と、大川小学校で亡くなった児童の父親との交流の記事が載りました。
 学生は、その前に大川小学校で娘を亡くした、震災の時に女川第一中学校の教師で今退職している方に会います。
 元教師がいいます。
「先生たちも一生懸命だった。でも使命を果たせなかった。彼らは津波を見て、『子どもらを守れない』 と分かった時、どんな気持ちだったか想像してほしい。彼らの後悔を無駄にしないためにも、あの日から目を背けてはいけない」
 学生が答えます。
「自分は生かされた命だと思う。この場所で何があったのか真剣に向き合い、一緒にできることをして生きたい」


 この元教師は国語を担当していました。
 女川第一中学校は生徒数205人でした。1人が死亡、1人が行方不明です。震災後の5月と11月に全校あげて国語の授業で俳句づくりをしました。朝日新聞社の記者はその作品を先生から見せられ、生徒たちを取材して小冊子 『女川一中生の句 あの日から』 (小野智美編 はとり文庫) として出版しました。
 5月と11月の句が並べて紹介されています。(2012年10月26日の 「活動報告」 参照)
 句の背景には、家族や親せきを失った、家を失った、両方失った、両方無事だったなど、それぞれの事情があります。それぞれが他者を思いやって感情を表に出しません。しかし俳句では個人の思いを表現しています。
 5月には震災の悲惨さには直接触れようとしない 「前向き」 の作品が多くありましたが、11月になると感情が出てきます。

 3年生の作品とその思いです。
「    ただいまと 聞きたい声が 聞こえない

 あの日、中学校から近くの総合体育館に避難した。
 同級生が座り込んで泣き始めた。
 『どうしたの?』 聞くと 『お姉ちゃんがいないんだ』。
 かける言葉が見つからない。かたわらに座って、一緒に泣いた。
 自分の家族は無事だった。だが、級友には母を亡くした子もいる。父を亡くした子もいる。5月、友達の心中に思いをはせて詠もうかと考えた。本当のつらさを経験していない私に書けるのか。迷ううちに50分が過ぎた。
 先生は言った。『家で書いてきてもいいよ。明日、提出して』。
 帰宅後、外で働く母が帰ってくる光景を思い浮かべて、書き上げた。朝の何げない 『行ってきます』 を聞いたのが、最後になるなんて。
 仕上げた後、また迷った。この句を提出したら、先生を余計に苦しめるか。先生も震災で娘を亡くしていた。でも、この悲しみを日本中のみんなに伝えたい。もう二度と繰り返してほしくないから。翌日、提出した。
 先生は今もこの句をそらんじている。」 ( 『女川一中生の句 あの日から』)

「俳句づくりは、財団法人 『日本宇宙フォーラム』 からの提案だった。2012年の夏に句集を国際宇宙ステーションへうちあげるという。
 校長が引き受け、教務主任でもある国語教諭に託した。教諭は、子どもたちの重荷にならないか不安だった。だが 『気持ちにふたをするだけではだめだ』 と授業に臨んだ。2011年5月と11月の2回、俳句の授業を行った。最初、震災を題材にした句は限られていたが、11月には多くの生徒が震災と向き合っていた。『前より重くなっている悲しみもある。でも、向き合うから、希望も生まれるのだと思う』。
 震災で教諭は小学校6年の次女を亡くした。『未完成なんですけど』 と11月の思いを詠んだ。

   胸の奥 しみこむ記憶 八カ月     」 ( 『女川一中生の句 あの日から』)


 毎日新聞にもどります。
 学生が児童の父親にメールを送ります。父親は遺族が県と市を訴えた訴訟原告団の中心でした。
「言い出しにくいですが、私も “遺族” になります。大切なお子様を亡くされたご遺族の皆様の事を考えますと、簡単には言い出せません」。
 返事がきました。
「あれから5年が過ぎ、最初は先生たちのことも恨みました。でも色々と分かり始めて先生達も同じ被害者だと思えるようになりました」。

 2人は対面します。
「厳しいことを言うけど、子どもたちの命はお父さんたちが守るべきだった。守るべき立場の先生と、守られる子供の立場は違う。乗り物でいえば、ハンドルを握っていたのは先生で、乗せられていた子はしたがうしかなかった」
「父を思うと残念ですが、自分も先生が子どもを守るべき立場だと思っています」
「後ろめたいと思わず、大川小学校であったことをしっかりと語っていってほしい」
 
 学生は知人の学生を被災校舎に案内し、児童の父親に語り部を依頼します。
「父もきっと無念だったと思うし、その瞬間を考えたら苦しいですが、子どもたちの小さな命が失われた事実とつらくても向き合わないといけないと思い、ここまで来ました」


 一昨年の夏は、学生の亡くなった父親の還暦祝いを児童の遺族ら保護者が開いてくれました。出席した学生は、父の先生としての顔を知り、笑顔の父を思い浮かべられるようになったといいます。


 昨年10月26日、仙台地裁で児童の遺族たちが起こした裁判の判決が言い渡されました。
 裁判所に向かう遺族が持った横断幕には 「先生の言うことを聞いていたのに!!」 とありました。前日、遺族が何と書いたらいいか迷っていると弁護士がアドバイスをして決めたといいます。
 判決後に遺族が掲げた横断幕は 「勝訴」 「学校・先生を断罪」 です。(2016年11月11日の 「活動報告」 参照)
 児童生徒の命を大切にしようと思わない教師がいるでしょうか。横断幕は、震災のもたらした悲劇を部分的にしか見ようとしないで法廷戦術に走った弁護士の利害が産み出しました。
 県と市は教師が浮かばれないと控訴しました。


 学生は、判決を広く教育現場に立つ先生たちに向けられたものだと理解し、冷静に受け止めたといいます。
「判決を聞いて、やはり司法 も 『学校、先生は子どもたちを守る責任がある』 と認めたんだ。受け止めなきゃと思いました」

 ここに至るまで5年、6年の月日が必要でしたが、人びとはそれぞれ、しがらみよりも大きな教訓を受け止めています。何よりの供養です。
 高裁では、 「弁護士の言うことを聞いていたのに!!」 ではなく、法廷内だけでない和解を期待したいと思います。

 学生は語り部を続けるといいます。
 今年の3月11日は伺えませんでしたが、新聞を読んで、近いうちに大川小学校を伺おうと思います。

   「活動報告」 2016.11.11
   「活動報告」 2012.10.26
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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