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資生堂労組  「人のために、社会のために、そして未来のために」
2016/10/28(Fri)
 10月28日(金)

 ある研究会で、資生堂労働組合の委員長の講演を聞きました。

 資生堂労組については2012年2月3日の「活動報告」で美容部員の労働条件をめぐる 「ベースアップゼロを2年続けて要求」 で紹介、さらに2016年3月18日には社会的問題になった 「資生堂ショック」 について紹介、 そして2016年7月12日には、美容部員の方をお招きして開催したワンコイン講座の 「資生堂 育児時間制度の実施は、男性労働者への働き方の問いかけ」 を報告しました。
 講演は資生堂労働組合はどのようにしてこのような闘いを展開することができたのか、その背景につてでした。
 日本の労働組合は「企業内組合」です。その中で労働組合が使用者に限界まで迫る姿勢が、つねに労働組合とは何かを問い続ける中で構築されていきます。  

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 東京・墨田区に資生堂の東京工場がありました。今はありませんがそこが資生堂労働組合発祥の地だと聞いています。資生堂は化粧品で名前が通っていますが、そこでは石鹸やシャンプーを製造していました。牛脂などの匂いが立ち込め、木造の建屋の梁をねずみが這っているのをよく見ました。
 私は来年で60歳です。工業高校の電気科を卒業して東京工場に工場採用で入社しました。工場の設備で電気担当の前任者が急に辞めたので募集がありました。
 東京工場には労働組合の大先輩の方がたくさんいました。入社して慣れてきたころ、更衣室で先輩から声をかけられました。「仕事が終わってから俺と一緒に行かないか」 と誘われたので 「わかりました」 といったら、近くの錦糸町公園の労働組合の集会に連れていかれました。その時にこういう世界があるのかと思いました。その後いろいろな経験を積むことになります。先輩方からは、こいつは使えると思っていただいていろんなことを教えてもらいました。
 資生堂組合の委員長として、私のような委員長は近年いません。私の前の委員長は慶応の幼稚舎出身で世田谷に住んでいました。団体交渉は敬語です。その前は早稲田出身です。資生堂の看板のもとでの委員長です。私はブラックリストに載っていて、当時の中央の役員からはバッシングを受け、さんざんな目に遭います。絶対に委員長にはしない、工場の委員長にも絶対にしないと言われていました。

 では何で委員長になったのか。資生堂は大きくなって転機を迎えていくなかでいったん壊れていきます。新しく生まれ変われるかというなかでの壊し役として、不思議な役回りでなったと思っています。なぜかというとエリートではなく、育ちのいい委員長では会社に矢を射ることはできないし、しません。それをしなければ変われませんでした。私にはしがらみが一切ありません。
 労働組合の活動をすることを当たり前と考えています。組合役員でなかったのは工場移転の1年間のごたごたした時だけです。支部の青年部からはじまり、ずっと何らかの役員を40年してきました。
 以前は、生活に困っていると労働組合で主張して賃上げを要求することで求心力を持ちました。経済も右肩上がりだったから交渉で成果を出して存在感もありました。ストライキをうって労働組合を肌で感じることができました。
 今はそんな労働組合を感じる機会はないです。


 資生堂労働組合の委員長として上部団体から抜ける経過でバッシングをうけました。労働組合からもうけました。自分たちが権限を持ち続けられるような縛りなんか不要です。そのような中には労働組合としての統一感も意思もないです。私は今の上部団体のやっている活動が本当に労働運動なのかとすごく疑問を持ちました。
 だったら資生堂労働組合は運動なんて偉そうなことは言わない活動でいい。でもどこの組合よりも組合員のことを思う組合にしますと宣言しました。それで労働組合の仲間に声をかけてネットワーク 「未来フォーラム」 を最初4労組で立ち上げました。集まっているのはまったくの異業種どうしで活動を軸にしています。8年たって今26労組に広がっていますが出入り自由です。
 上部団体に入っているところもあります。しかし多くの組合がいうのは、上部団体は組織としての自分たちの活動を話し合うだけで、職場の話はないということです。労働組合の本当の活動は現場ですが職場の中に労働組合が存在しなくなっています。上部団体も連合も本当に労働組合が必要だと思うのなら、今は足元のところに力を注いで支援すべきだと思います。
 そういう思いから活動を軸にしている組織を作りました。活動を共有できる、労働組合の課題の本質を話し合える場にしようということで月1回車座研究会を開いて70数回になっています。テーマの作り方についても時々変え、多い時には100人を超えます。徐々にいい活動になってきています。
 自分たちの労働組合が魅力ある活動をすることによって仲間が広がっていくという理念です。未来フォーラムの理念は 「人のために、社会のために、そして未来のために」 です。
 反面、そういうことを掲げなければならないくらいに労働組合がわからなくなっています。何の抵抗もなく自分のために役員になると平気でいいきる委員長もたくさん出てきています。昔はそんなことは思っても言わなかった、恥ずかしくて言えませんでした。そして委員長になってすぐに2年後に辞めるといいます。任期が2年制だからです。2年後には会社役員に入ったりします。組合員からしたらふざけるなです。
 こんなことを続けていると組合が悪い方に変質します。委員長が自分のための活動をしていますから組合そのものが自分のための組織になってしまっています。自分が出世する踏み台にしたり、組合員がいられない会社になったり、不正を合意したり、リストラみたいなことを平気で受け流したりする組合になってしまうのではないかと心配です。


 未来フォーラムの仲間であるツムラ労働組合の執行委員会の研修会に呼ばれました。その時に、労働組合とは何ですかと聞いてみたら、みなきょとんとしています。
 今、労働組合を感じる機会はなかなかありません。私が話したことについてどこかに記憶があるなら重なりますがないです。それを知識として得るのが精一杯です。そういう人たちに労働組合の役割や使命はこうだといっても難しいです。
 私の話から労働組合とは何かをちょっとは理解してもらう役割できましたと話をしました。
 当時、メーデーは代々木公園に集まります。労働者が集まるとすごいなと思います。シュプレヒコールなどをしました。団結ガンバローを本気でできるのは私の世代までです。メーデーなども本気でやったと思っています。
 先輩たちと行動の後に、夜の行動ですと決まって工場そばの居酒屋に行きました。そこで先輩たちは 「人としてどうなの」 とかいいます。そういうことはその時に教えてもらいました。「今日の君たちの行動は素晴らしかった。どんなに多くの人の命を救うことになるか」 とか。
 近くに大久保製ビン闘争がありました。支援行動に参加して経営者ってこんなにひどいことをするんだなと肌で感じたこともありました。
 労働組合が自主的・主体的活動をするところだと意識している組合は少ないです。企業の一部、下手したら人事部の下部組織です。そんな組織図を書いている組合もありました。
 会社の中で、唯一労働組合だけが社長が言ったことに違います、私たちはそう思わない、それはやりませんと宣言し、自分たちの考えや行動ができる組織です。そんな話からしなければなりません。組合員の幸せ、組合員のために役員はいるといっても作業のことだと思っています。
 今、組合内の組織はガバナンスがききません。組合員が見えなくなったらとんでもない悪の組織になるぞ、大丈夫?って言いました。そこを防ぐのはここにいる役員の正義や良心、役員として2年なら2年でいいからなったときぐらいみんなのためにやるんだよ、ちゃんとやろうよ、自分のためにやっちゃだめだよと言いました。
 そんなこと最初に聞いていなかったぞという顔をしていますがこういう感じです。

 労働組合活動が難しくなっています。社員もどんどん利己的になっています。組合員も仲間のことを考えなくなります。例えば労働組合が組合員に呼びかけてもオレそんなこと嫌だよと平気でいいます。また会社もそういうことを加速させています。今の経営者は会社のことを思っている人は少ないです。ましてや外資系で頑張って来て名前が通っている人は怪しいです。そのような世の中になってきています。
 日本人の良さはそんなことではなかったと思います。立派な経営者はこの企業を成長させてください、社会のために役立つために個の企業を発展させてください、社員を幸せにしたいと言っていました。日本人がもともと持っていたDNA・人間性の中には自分が幸せになりたいという思いがあっても自分以外の人も同じようにしあわせであってほしいという思いがありました。あの大きな地震があったときに世界がびっくりしたのはそこです。あんなつらいことが起きていても、素晴らしい秩序が保たれました。自分の家族が亡くなっているのに、消防士が自分の役割として救援活動に行く、自分の食べ物もないのにみんなで分かち合いました。私たちにしても被災地に入らなくても涙が止まらない、新聞読んでテレビを見てなにかできないかなと涙を流していました。


 上部団体を抜けたらバッシングをうけましたが乗り越えてきました。
 私が中央の書記長になった時、上部団体は化労研という薬業界の団体が中心でした。加盟組合は賃金もダントツにいいし、みな高学歴だし、過激じゃないから会社との関係もいいです。そこに化粧品会社が1つ入っていました。集まっても話があいません。賃金の水準の話はしませんし本当のことをいいません。薬は国に守られていて市場がないです。競争していてもお互いを責めないようなカテゴリーを決めていて住み分けが出来ています。
 資生堂は、価格拘束は独禁法に引っかかるということで安売りにシフトし、市場に巻き込まれて厳しくなっていきました。そこから急におかしくなっていきます。薬業界の人たちとも話が合わなくなっていきます。
 そのような状況ですので、申し訳ないけど抜けさせてください、来ても私たちは意味を感じないです、私たちの会社は今たいへんなことになっているので、社内のことを集注的にやらせてくださいといいました。
 化労研は上品な組織ですのでそんなに反発や抵抗はしませんでした。ただ最後はいやな思いをしました。「お前の組合がいた理由をお前は分かっていたのか。お前のところはナマズだったんだよ。高級魚にナマズ1匹という言葉を知らないか。そういう役目だったんだよ」。「ああそうですか。よかったですね、このまいったらナマズが高級魚を食っちいましたよ」。
 私が書記長の時、慶応幼稚舎出身の委員長に上部団体を抜けさせてくださいとお願いしました。委員長は 「僕はもめ事はいやだからやるならお前が委員長になってからやってよ」 と即答しました。委員長になってすぐに抜けました。資生堂の委員長は化労研の副会長のポストでした。就任の時に抜けますとあいさつしました。

 ところが、化労研は友愛ゼンセンに加盟する約束事が成立していました。友愛ゼンセンから見たら薬業界より資生堂の組合員が圧倒的に多いし、名前も浸透しているということで欲しがっていました。
 友愛ゼンセンは店の前で 「お付き合いをしている資生堂の労働組合はこんなところです」 というビラをまいて不買運動を起こしました。
 抜けた後に、会社の常務が中学時代の同級生から久しぶりに食事をしようと中華料理屋に誘われました。そこには上部団体の幹部がいて 「お前のところの組合はとんでもない、それをさせているのは会社だろう」 ととっちめられました。常務はその店から私に電話をしてきました。「委員長、今こんなことになっているんだけれど、俺、腹立つから喧嘩してもいいか。お前のところには迷惑かからないようにするから」
 常務が翌日にいいました。「労働組合ってそんなことまでするんか。俺は中学の同級生に、お前、人として恥ずかしくないのかと言ったぞ。ましてやうちの組合は俺のいう事なんか聞かない。そもそもお前たちは間違っている。」。
 行政との関係も断ち切るといわれました。断ち切るといっても今の上部団体と行政のつながりなど大したことありません。
 上部団体から抜ける時は、組合大会で議決しなければなりません。その時に 「そんなことしてよ、大丈夫なのか」 と心配する反対意見も出ました。意見に行政との関係もありましたので 「上部団体に関わらなくても関係性が出来たらいいですね、やってみます」 と答えました。しかしまったく行政とつながりがありません。何人も経て厚生労働大臣に会いに行き 「こんなことが起きてていいんですか。厚労大臣が所轄しているんでしょう。労働組合はそもそも何のためにあるんですか」 と報告しました。それを契機にその後は単組としてお付き合いをさせてもらっています。


 労働組合の役割とかはますます高まっているのかなと思いながら活動して来ました。
 しかし偉大なる先輩方が残してくれた資生堂労働組合ですが組合の様子を見ていて心配もありました。
 この組合を残すか、解散をするかを決めようと中央執行委員会で1年かけて議論をしてきました。中央執行委員は30代が中心で40代が少しいて50代が2人で若い人が多いです。そもそも労働組合ってなんだと法的なところから勉強し、それから資生堂組合がこれまで活動してきたこと、これから会社の中に起きそうなことを伝えてたうえで、「利己主義が進んでいることはみんなも感じているだろう、これは労働組合活動を続けていくときにはものすごく困難になるぞ、そこに向かってやっていけるか」 と訊きました。「やっていけないなら、組合員にとって悪の組織になるんだったら解散しよう。その方がよっぽど組合員にとってわかりやすい」 と言いました。
 会社が実力主義というもとに社員がどんどん自分だけアピールするようになっています。仲間という言葉は使うけどラインで繋がっているだけです。労働組合の仲間はそんなちっちゃなものではないです。見たこともない同じ会社で働く者同士も仲間です。会社が違ったって仲間です。そんな考え方は今の若者は持てないです。
 1年かけて議論をした最後に 「解散するんだったら私が責任をもってみんなに理解を求めて進めるから、厄介だと思うな」 と言いました。そしたら残す、「資生堂をそんな会社にしたくない。委員長の言う通りだと自分たちも感じている、社員もどんどん変わってきている。でも出来るところまで精いっぱいやる」 というんです。
 だったらこの言葉を残そうということで残したのが 「自分も仲間も幸せである」。自分だけということに対して、組合って違うよというのを残しました。本当は 「仲間の幸せを考えるのが組合だ」 と思ったんですが、そこまでいったら役員はいいけど組合員までは伝えていったときについてこないんじゃないか、逆に拒絶していくと思ってこうしました。
 2つめは、「会社の発展は社員の幸せとともにある」。これは組合員に向かってじゃなくて経営に向かってです。いいか経営、会社の発展は社員の幸せとともにあるということを絶対に間違えるな、忘れるな、自分たちだけが勝ちたいとか、グローバル企業としてこうだとか、そんなことで会社の持続的な繁栄はない、ということです。
 これを資生堂労働組合が目指す姿としてイメージしようとしました。


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