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人権は、お互いに認め合う中から生まれてくる
2016/07/29(Fri)
 7月29日 (金)

   ともだち

  1.君の目の前の 小さな草も
    生きている 笑ってる
    ホラ笑ってる
  2.君の目の前の 小さな花も
    生きている 泣いている
    ホラ泣いている
  3.君が遠く見る あの雲も山も
    生きている 歌ってる
    ホラ歌ってる
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
  4.君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
  5.君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    ホラ歌おうよ
    ホラ友だちだ

 7月7日に亡くなった永六輔が作詞し、坂本九が歌っていました。
 永六輔は、当時の仙台市立西多賀小・中学校療養所分校 (“西多賀ベッドスクール”) の子どもたちの作文・詩をまとめた文集をもとに作詞しました。
 歌が発表されたのは、1964年12月に開催された第二回 「あゆみの箱」 チャリティー集会です。テレビで放映されました。
 覚えています。コロンビアトップの司会で、伴淳三郎が挨拶をしました。支援する芸能人がかわるがわる登場します。最後に坂本九が登場して歌いました。会場の前列にいた身体が不自由な子供たちは、さらに前に近づいて声援を送っていました。
 「あゆみの箱」 は63年に芸能人の有志が障がい児支援のために始めた募金活動です。当時は、芸能界というと一段低く見られていました。その方たちが、自分たちにできることをしようということで、自宅にこもっている、施設にいる障がい者に光をあて、社会に登場させました。
 このころから様々な人権問題が社会問題として取り上げられていきます。「踏まれても 折られても 雨風が吹き荒れても」 を過去のことにし、希望をもって前に進めるようになったと期待がもてました。
 「ともだち」 はそのような思いのなかで歌い継がれていきます。


 73年、「文化人類学」 の授業のテーマは 「差別」 でした。それぞれが関心あるテーマを選んで取り組みます。
 障がい者問題を取り上げた者がいました。レポートをまとめた後に体験談を聞きました。
 介護施設を訪れ、介護の体験をしながら働いている人たちの話を聞きます。ほとんどの労働者が腰痛をかかえていました。「人員増の要求をいくらしても実現されない。職員の中にはストライキをして訴えようという者がいます。いや粘り強く要求していこうと主張する者もいます。自分は、ストライキは効果があるしやりたい。しかし実施した時入園者はどうなってしまうか。死なせてしまうかもしれないから・・・」 と話していたと言います。
 労働者は自己を犠牲にしていますが逃げられません。一方を犠牲にして一方の権利が守られなければならないのか、人員不足できついから 「いつ誰が辞めても文句は言えない」 状況ということでした。でも 「寝たきりの人でも食事の時はおいしいという反応をするし、介護をすると気持ちよさそうな表情になるし・・・」
 訪れた者は、言葉で自分を表現できなくても喜んだり、嫌がったりで主張をしている人たちの思いをちゃんと汲み取ろうと思ったといいます。何よりも 「身体に触れた時の体温は自分のと同じだった、同じ人間同士だったと実感した」 と。当り前のことですが、理屈ではなく身体で実感したのです。人権とは何かと改めて考えさせられたといいます。

 それぞれのテーマで感じたことをふまえて意見の交換をしました。
 本質的問題の共通点が 「人権」 でした。個人で解決できる問題ではありません。かかえている問題から目をそらさないで社会に連帯の取り組みを訴えて共有することが大切だということになりました。


 相模原市の障がい者福祉施設の事件は目を覆いたくなります。事件を起こした青年は擁護できません。入所者は本当に怖かったと思います。ニュースを知った全国の障がい者の人たちはおびえたと思います。
 事件に対してさまざまな専門分野の専門家がさまざまなことを発言しています。どれもしっくりくるものがありません。
 個人的な人格問題と捉えたり、措置入院制度の問題に矮小させた議論は所詮人ごととしかとらえていないよう思えてきます。このようなとらえ方は、亡くなった方や負傷した人たち、そして精神障がい者の人たちをもう一度攻撃しているということに気づいていません。
 社会としてなぜ “起こさせてしまったのか”、青年は何に追い詰められていたのか という視点からの捉え返しが必要ではないでしょうか。
 はっきりしていることは、防犯カメラとよばれる監視カメラをいくら増やしても人間の行動を抑制させることはできません。


 今回の事件とは直接関係はありませんが、事件を知って思い出したことがありました。
 08年年末、リーマンショックを受けて解雇された派遣労働者のために日比谷派遣村が開設されました。その時、実行委員会の連絡先に詰めていました。
 電話がきました。
「『どうしてあなたたちは働かない人たちを支援をするんですか』 と苦情を言います。『僕は一生懸命頑張っているんですよ。あの人たちは頑張れなかった人たちじゃないですか』 と繰り返して叫びます。その中からは、彼が必死に頑張り続けていることは伝わってきます。ちょっと気を抜いたときの自分の姿が 『あの人たち』 に重なるのです。そのことを拒否するために、『甘やかされる』 『あの人たち』 を見たくない、存在を認めたくないのです。頑張りの突っ支い棒が外れてしまいそうなのだろうと想像しました。
 どのような説明も聞き入れません。
『私たちはあの人たちへの支援を続けます。あなたが困難に遭遇したらあなたも支援します。身体に気を付けて頑張ってください。困難に耐えられそうになくなったらいつでもこの電話に連絡してください』
 そう言って電話を切りました。
 努力しても報われない、個々人の労働者の努力ではどうしようもない状況があります。決して電話の若者の責任ではありません。怒りは湧いてきませんでした。
 このような恐怖感を利用しているのが使用者です。雇用が不安定な労働者の存在は正規労働者の過酷な労働条件を維持するための方策でもあります。無策の政府と企業に対してあらためて怒りがわいてきました。」 (『“職場のいじめ” 労働相談』 緑風出版) 

 「あの人たちは頑張れなかった人たちじゃないですか」 という彼は一生懸命頑張っているのです。しかし不安や恐怖に襲われたとき、自分を 「あの人たち」 に重ねてしまいます。それを拒否しる方法が存在を認めたくない、見たくない、排除したいのです。


 解決を期待するさまざまな問題でも社会に、政治に届く声と届かない声があります。届くかどうかは多数・少数の違いではありません。まずはおかれている立場で大きく違います。経済優先の社会は、数字の表現で生産性の高低の判断があります。その 「格差」 はますます広がっています。そしてそのなかで培われて慣らされた価値観があります。
 かつては、それでも職場には仲間意識があり、いざとなったらどこからか手が差し伸べられることもありました。それが完全に分断されて消えてしまいました。社会・地域の共同体も解体しています。行政の支援・救済制度も狭くなっています。

 04年にイラクで発生した日本人人質事件の時から 「自己責任」 論が叫ばれ始めます。そしてあらゆる分野で言われだします。
 この後は、労働者が何かのきっかけで一度失敗したり、自信を喪失してしまうと支援がないまま負のスパイラルに引き込まれて抜け出せなくなってしまいます。底なしで這い上がるのは困難です。政府が主張する誰にも平等な再チャレンジの機会の保証は、ハンディーを度外視して自分責任で1からやり直せということでしかありません。
 現在の社会は、競争に敗北した者や秩序を乱すと思われる者を徹底的に排除します。人権が逆流に晒されています。そのなかで排除される者は自己責任で自己防衛をしなければなりません。自己を攻撃する、否定する、不利な立場におこうとしていると思われる者の存在に必死になって反撃し、拒否します。
 孤立を自覚した時、恐怖感が襲ってきます。自分で強くならなければなりません。鼓舞しなければなりません、強いふりをしなければなりません。そのような時に周囲の強くない人たちを見ると、決意がくじけてしまい、逆に恐怖感は倍加します。そのような自分を払しょくする歪んだ方法が、そのような周囲の人たちの存在の否定になってしまいます。存在の否定は自己防衛の手段なのです。
 今回の事件の全貌がわからないので的外れかもしれませんが、青年の入れ墨は強くなろう・なったつもりの姿です。教員になれなかったということがすべての希望を喪失させて底なしにはまっていきました。そこでもがき続けていました。辛い時に辛い、苦しい時に苦しいと正直に吐くことができる対象を自分で捜すことができませんでした。
 周囲に、青年にその気配があったと思われたときに支援の手が差し延べられたら再起のチャンスをつかみ、自己を取り戻して新たな希望を見つけ出せたかもしれません。
 だからといって青年と交流があった人たちを責めているわけではありません。見極めは難しいですし、みな生きずらい社会のなかに慣らされながら頑張っています。

 だれでも自己を失いそうになった時に再起に向かわせるのは、個人の決意ではなく周囲の人たちの支援です。自己責任が強制される中で支援を求めるのはたいへんです。しかしお互いのその交流から双方が成長・強くなることができます。本当はみなそのような交流を希求しています。
 
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
    君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    ホラ歌おうよ
    ホラ友だちだ

 青年の本心は、こう歌ってくれる 「ともだち」 を欲していたのではないでしょうか。
 人権は、お互いを認めあうなかから生まれ、育てられます。そのために、お互いにもっと横に手をのばさなければなりません。
 
 相模原市の事件のようなことをくり返させないためには、いったん失敗したり自信を喪失したりしても孤立させないで支援の手が差し延べられ、再チャレンジの機会が与えられる労働者や社会の横のつながり・「ともだち」 と、社会制度の確立です。
 だれにとっても生きやすい、安心して生活できる社会をつくっていきたいものです。

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