2016/06 ≪  2016/07 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2016/08
人権は、お互いに認め合う中から生まれてくる
2016/07/29(Fri)
 7月29日 (金)

   ともだち

  1.君の目の前の 小さな草も
    生きている 笑ってる
    ホラ笑ってる
  2.君の目の前の 小さな花も
    生きている 泣いている
    ホラ泣いている
  3.君が遠く見る あの雲も山も
    生きている 歌ってる
    ホラ歌ってる
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
  4.君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
  5.君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    ホラ歌おうよ
    ホラ友だちだ

 7月7日に亡くなった永六輔が作詞し、坂本九が歌っていました。
 永六輔は、当時の仙台市立西多賀小・中学校療養所分校 (“西多賀ベッドスクール”) の子どもたちの作文・詩をまとめた文集をもとに作詞しました。
 歌が発表されたのは、1964年12月に開催された第二回 「あゆみの箱」 チャリティー集会です。テレビで放映されました。
 覚えています。コロンビアトップの司会で、伴淳三郎が挨拶をしました。支援する芸能人がかわるがわる登場します。最後に坂本九が登場して歌いました。会場の前列にいた身体が不自由な子供たちは、さらに前に近づいて声援を送っていました。
 「あゆみの箱」 は63年に芸能人の有志が障がい児支援のために始めた募金活動です。当時は、芸能界というと一段低く見られていました。その方たちが、自分たちにできることをしようということで、自宅にこもっている、施設にいる障がい者に光をあて、社会に登場させました。
 このころから様々な人権問題が社会問題として取り上げられていきます。「踏まれても 折られても 雨風が吹き荒れても」 を過去のことにし、希望をもって前に進めるようになったと期待がもてました。
 「ともだち」 はそのような思いのなかで歌い継がれていきます。


 73年、「文化人類学」 の授業のテーマは 「差別」 でした。それぞれが関心あるテーマを選んで取り組みます。
 障がい者問題を取り上げた者がいました。レポートをまとめた後に体験談を聞きました。
 介護施設を訪れ、介護の体験をしながら働いている人たちの話を聞きます。ほとんどの労働者が腰痛をかかえていました。「人員増の要求をいくらしても実現されない。職員の中にはストライキをして訴えようという者がいます。いや粘り強く要求していこうと主張する者もいます。自分は、ストライキは効果があるしやりたい。しかし実施した時入園者はどうなってしまうか。死なせてしまうかもしれないから・・・」 と話していたと言います。
 労働者は自己を犠牲にしていますが逃げられません。一方を犠牲にして一方の権利が守られなければならないのか、人員不足できついから 「いつ誰が辞めても文句は言えない」 状況ということでした。でも 「寝たきりの人でも食事の時はおいしいという反応をするし、介護をすると気持ちよさそうな表情になるし・・・」
 訪れた者は、言葉で自分を表現できなくても喜んだり、嫌がったりで主張をしている人たちの思いをちゃんと汲み取ろうと思ったといいます。何よりも 「身体に触れた時の体温は自分のと同じだった、同じ人間同士だったと実感した」 と。当り前のことですが、理屈ではなく身体で実感したのです。人権とは何かと改めて考えさせられたといいます。

 それぞれのテーマで感じたことをふまえて意見の交換をしました。
 本質的問題の共通点が 「人権」 でした。個人で解決できる問題ではありません。かかえている問題から目をそらさないで社会に連帯の取り組みを訴えて共有することが大切だということになりました。


 相模原市の障がい者福祉施設の事件は目を覆いたくなります。事件を起こした青年は擁護できません。入所者は本当に怖かったと思います。ニュースを知った全国の障がい者の人たちはおびえたと思います。
 事件に対してさまざまな専門分野の専門家がさまざまなことを発言しています。どれもしっくりくるものがありません。
 個人的な人格問題と捉えたり、措置入院制度の問題に矮小させた議論は所詮人ごととしかとらえていないよう思えてきます。このようなとらえ方は、亡くなった方や負傷した人たち、そして精神障がい者の人たちをもう一度攻撃しているということに気づいていません。
 社会としてなぜ “起こさせてしまったのか”、青年は何に追い詰められていたのか という視点からの捉え返しが必要ではないでしょうか。
 はっきりしていることは、防犯カメラとよばれる監視カメラをいくら増やしても人間の行動を抑制させることはできません。


 今回の事件とは直接関係はありませんが、事件を知って思い出したことがありました。
 08年年末、リーマンショックを受けて解雇された派遣労働者のために日比谷派遣村が開設されました。その時、実行委員会の連絡先に詰めていました。
 電話がきました。
「『どうしてあなたたちは働かない人たちを支援をするんですか』 と苦情を言います。『僕は一生懸命頑張っているんですよ。あの人たちは頑張れなかった人たちじゃないですか』 と繰り返して叫びます。その中からは、彼が必死に頑張り続けていることは伝わってきます。ちょっと気を抜いたときの自分の姿が 『あの人たち』 に重なるのです。そのことを拒否するために、『甘やかされる』 『あの人たち』 を見たくない、存在を認めたくないのです。頑張りの突っ支い棒が外れてしまいそうなのだろうと想像しました。
 どのような説明も聞き入れません。
『私たちはあの人たちへの支援を続けます。あなたが困難に遭遇したらあなたも支援します。身体に気を付けて頑張ってください。困難に耐えられそうになくなったらいつでもこの電話に連絡してください』
 そう言って電話を切りました。
 努力しても報われない、個々人の労働者の努力ではどうしようもない状況があります。決して電話の若者の責任ではありません。怒りは湧いてきませんでした。
 このような恐怖感を利用しているのが使用者です。雇用が不安定な労働者の存在は正規労働者の過酷な労働条件を維持するための方策でもあります。無策の政府と企業に対してあらためて怒りがわいてきました。」 (『“職場のいじめ” 労働相談』 緑風出版) 

 「あの人たちは頑張れなかった人たちじゃないですか」 という彼は一生懸命頑張っているのです。しかし不安や恐怖に襲われたとき、自分を 「あの人たち」 に重ねてしまいます。それを拒否しる方法が存在を認めたくない、見たくない、排除したいのです。


 解決を期待するさまざまな問題でも社会に、政治に届く声と届かない声があります。届くかどうかは多数・少数の違いではありません。まずはおかれている立場で大きく違います。経済優先の社会は、数字の表現で生産性の高低の判断があります。その 「格差」 はますます広がっています。そしてそのなかで培われて慣らされた価値観があります。
 かつては、それでも職場には仲間意識があり、いざとなったらどこからか手が差し伸べられることもありました。それが完全に分断されて消えてしまいました。社会・地域の共同体も解体しています。行政の支援・救済制度も狭くなっています。

 04年にイラクで発生した日本人人質事件の時から 「自己責任」 論が叫ばれ始めます。そしてあらゆる分野で言われだします。
 この後は、労働者が何かのきっかけで一度失敗したり、自信を喪失してしまうと支援がないまま負のスパイラルに引き込まれて抜け出せなくなってしまいます。底なしで這い上がるのは困難です。政府が主張する誰にも平等な再チャレンジの機会の保証は、ハンディーを度外視して自分責任で1からやり直せということでしかありません。
 現在の社会は、競争に敗北した者や秩序を乱すと思われる者を徹底的に排除します。人権が逆流に晒されています。そのなかで排除される者は自己責任で自己防衛をしなければなりません。自己を攻撃する、否定する、不利な立場におこうとしていると思われる者の存在に必死になって反撃し、拒否します。
 孤立を自覚した時、恐怖感が襲ってきます。自分で強くならなければなりません。鼓舞しなければなりません、強いふりをしなければなりません。そのような時に周囲の強くない人たちを見ると、決意がくじけてしまい、逆に恐怖感は倍加します。そのような自分を払しょくする歪んだ方法が、そのような周囲の人たちの存在の否定になってしまいます。存在の否定は自己防衛の手段なのです。
 今回の事件の全貌がわからないので的外れかもしれませんが、青年の入れ墨は強くなろう・なったつもりの姿です。教員になれなかったということがすべての希望を喪失させて底なしにはまっていきました。そこでもがき続けていました。辛い時に辛い、苦しい時に苦しいと正直に吐くことができる対象を自分で捜すことができませんでした。
 周囲に、青年にその気配があったと思われたときに支援の手が差し延べられたら再起のチャンスをつかみ、自己を取り戻して新たな希望を見つけ出せたかもしれません。
 だからといって青年と交流があった人たちを責めているわけではありません。見極めは難しいですし、みな生きずらい社会のなかに慣らされながら頑張っています。

 だれでも自己を失いそうになった時に再起に向かわせるのは、個人の決意ではなく周囲の人たちの支援です。自己責任が強制される中で支援を求めるのはたいへんです。しかしお互いのその交流から双方が成長・強くなることができます。本当はみなそのような交流を希求しています。
 
    踏まれても 折られても
    雨風が吹き荒れても
    君の目の前の この僕の手に
    君の手を重ねよう 
    ホラ友だちだ
    ホラ歌おうよ
    ホラ友だちだ

 青年の本心は、こう歌ってくれる 「ともだち」 を欲していたのではないでしょうか。
 人権は、お互いを認めあうなかから生まれ、育てられます。そのために、お互いにもっと横に手をのばさなければなりません。
 
 相模原市の事件のようなことをくり返させないためには、いったん失敗したり自信を喪失したりしても孤立させないで支援の手が差し延べられ、再チャレンジの機会が与えられる労働者や社会の横のつながり・「ともだち」 と、社会制度の確立です。
 だれにとっても生きやすい、安心して生活できる社会をつくっていきたいものです。

 当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
沖縄県警・防衛省職員 「威圧感、県民の目にどう映るか」
2016/07/26(Tue)
 7月26日(火)

 7月10日に参議院選挙が終わったら、翌日から沖縄・高江でヘリパット基地建設が強行されました。
 沖縄選挙区の結果は、辺野古基地建設反対・政府の基地政策に反対する候補が圧倒的勝利をおさめました。事前調査でも対立候補の沖縄・北方担当大臣は落選がはっきりしていました。地元の思いは無視されました。
 政府はその腹いせなのでしょうか。いや選挙全体としては与党が勝ったというのでしょうか。
 そうだというなら、そもそも今の選挙制度には問題がないのでしょか。

「欧米思想の価値や力に対して新たに芽生えた畏敬の念は、日本と欧米列強のあいだの不平等な政治関係にたいして日々感じていた怒りと隣り合わせだった。そもそも岩倉使節団を派遣した最大の狙いは、1858年に欧米諸国と結んだ一連の不平等条約の条件を改定することにあった。しかし、使節団が条約改正の期待を持ち出すたびに、アメリカやヨーロッパの当事者からはにべもなく退けられた。まず日本が法律・政治制度をヨーロッパ並みに引き上げることが先決であり、それまでは条約改正について考えるつもりはまったくない、というのが欧米諸国の姿勢だった。
 そのような文脈のなかで、日本にとって欧米は、チャンスの源であると同時に危険の源とみなされつづけた。その場合、危険をもたらすのは外国の陸海軍だけにとどまらなかった。明治の指導者たちは、民主的な政治思想にも強い警戒心を抱いた。議会というものは、統一と力の源泉ではなく、不和や分裂をもたらす機関になりうる、との判断に立って、かれらは早い時期から、いかにして危険な政治的な挑戦や大衆の反乱を招くことなく国民の支持をとりつけうるかについて苦慮していた。」(アンドルー・ゴードン著『日本の200年 徳川時代から現代まで』 上 みすず書房)

 明治維新当時、岩倉らの政治潮流に対して自由民権を訴える人びとは国会の早期開設を主張しますが、岩倉らのほうが国会による政治支配の弊害も承知し、思慮深かったようです。
 政権を握った勢力に対して士族の反乱が各地でおきます。その最大のものが西南戦争です。しかし西南戦争は、士族が、徴兵令で集められた農民による軍に敗北します。それ以降、士族は自由民権派になって国会開設を主張します。 
 現在における評価は、自由民権派が国会開設を主張したことがいかにも近代化を推し進め、岩倉らは自己保身だったかのような捉え方をする傾向があります。議会制民主主義を絶対化する潮流によって過大評価されています。しかし自由民権派にとっては自己の政治的登場をめざす手段でした。国権と民権の違いは、言い過ぎますが、そのようなものです。

 自由民権運動は、国会開設・議会制民主主義の連続性の中で現時点での到達点も検討される必要があります。
 「議会というものは、統一と力の源泉ではなく、不和や分裂をもたらす機関になりうる」 は現在の問題になっています。さらに多数派が制度を都合よく改変し、有権者から関心を奪い、全体の過半数を獲得しなくても反対派を排除できる手段になるよう繰り返し仕立てています。議会は民意が反映されるところではありません。
 その典型が現在の沖縄です。沖縄にとって、「本土復帰」 による日本の国会への進出はアイデンティチーを否定されるものでしかありませんでした。


 15年11月5日の沖縄タイムスに載った【金平茂紀の新・ワジワジー通信(10)】 「沖縄の現状語る例え話 いじめ認めぬ学校のよう」です。記事は少し古いですが中味は現在そのものです。
「この欄でいまさら記すのも忍びないのだが、僕は沖縄生まれのウチナーンチュではない。北海道生まれの日本人=ヤマトンチューだ。ただ、ウチナーンチュであろうがヤマトンチューであろうが、非道で卑怯 (ひきょう) なふるまいが公然と行われていることに対しては、人としての恥ずかしさを覚えると同時に、持って行き場のないような怒りが自分のなかで沸々とわき上がってくることを押さえることができない。
 翁長雄志県知事が辺野古埋め立て申請承認を取り消して以降のこの国の政権の対応ぶりをみて、このように言明せざるを得ないと言っているのだ。これが一つの地方に対して中央政府がやることか?……
 そして1972年、米軍基地の現状を維持したままの本土復帰=沖縄返還をさして、第4次 『琉球処分』 と位置づける人々もいる。今、辺野古に新基地を造ることを政権が強行する動きをさして、第5の 『琉球処分』 という人々がいる。その認識が間違っているとは僕には思えない。……
 作家の池澤夏樹氏は沖縄への理解がとても深い人だと僕は思っている。氏はかつて沖縄のことを、『40数人のクラスに戻って来た色の黒い転校生』 に例えていた。〈強大な他校との喧嘩 (けんか) でこの子を前に出してぼろぼろの目に遭わせ、しかもその後で人質として差し出した。だから (註:転校して) 戻ってきても素直に 『 お帰り』 と言えない。まして 『ごめん』 とはとても言えない。すごく気まずい。〉

 旧知の元朝日新聞記者と話していてとてもわかりやすい例え話を聞いた。47人で山登りをしている。ところが一番後ろでのぼっている新参者のO君に他の登山者の荷物35個分を背負わせて皆平気な顔をしてのぼっているのだ、と。そこで今起きていることを例え話にするとどうなるんだろうか。
 ここは中学校のクラスだ。O君はいじめられている。O君は転校生だった。いじめているのは、初めはクラスのお金持ちのボンボンを囲む少数のボスグループだったが、誰もが見て見ぬふりをしている。O君が 『助けて』 とサインを送っても無視される。誰もがそのお金持ちのボンボンの取り巻きグループが怖いのだ。一度、担任の先生に相談したが、彼はボンボンの親とつながっていて、いじめをいじめだと決して認めようとしない。どこかの国の裁判所みたいだ。いじめと断定するだけの客観的証拠がないとかぶつぶつ独り言を言っている。
 学級委員長のN君は 『いじめをなくそう』 と言っていて2期選ばれたが、ついには 『いじめなんかなかった。代わりに教室の設備がよくなったじゃないか』 と言ってO君を裏切ってしまった。さすがに同級生たちはあきれた。それで新しい学級委員長を選びなおした。O君はやっとこれでいじめがなくなると一安心した。
 ところが、学校の担任は今までどおり 『いじめはない』 といい続けて、ボンボンの取り巻きグループに対して何もしようとしない。さらには学校の校長や教育委員会まで乗り出してきて、学校の評判が下がるのであまり騒がないでほしいと言い出した。『いいかね、いじめがあったなんて主張する権利はまだまだ未熟な君たちにはないんだよ』。まるでどこかの県の異議申し立てを国同士の大臣のたらい回しで押しつぶしているどこかの国みたいだ。」


 この比喩の構造に対して、これまでは声をあげられなかった人たちも意思表示を始めています。
 うるま市に住む20歳の女性が行方不明になり、5月19日になって元米海兵隊の男に襲われたことが判明し、遺体で発見されました。
 事件を知ると辺野古基地建設に反対する住民と支援のゲート前での抗議行動はいつもより激しいものになりました。怒りと悔しさで声を発せられなかったと言います。それでも警備にあたっている沖縄県警の機動隊員に 「殺されたのが自分の家族や親族だったらどうする」 と詰め寄ったら 「彼女は自分の友だちだ」 と答えた隊員がいたといいます。それ以外の隊員たちも泣いていたり、うなだれたたりしていたといいます。
 しばらくのあいだはいつもより長時間の抗議行動になりました。そうしたら、機動隊の指揮者は 「みなさんは今日も全力で阻止闘争を展開しました」 とねぎらうような口調で解散をうながしたといいます。
 しかしその近くで米軍はにやにやしながらガムを噛んでいたといいます。
 沖縄県警の機動隊員は自分たちの任務・自分の行動に疑問を感じ始めています。住民と同じ思いの隊員も多くいます。だから政府は高江での住民弾圧に本土の機動隊を導入したのです。

 7月20日の沖縄タイムスの 「<高江ヘリパッド> 最前線で過酷警備、防衛局職員 『いつまで・・・』」 の見出し記事です。
「【東】 東村高江周辺のヘリパッド建設で、最前線で警戒に立つ沖縄防衛局職員から 『静かな集落にオスプレイが来る。反対する住民の気持ちも分かる』 との声が漏れている。過酷な24時間の警備態勢に悲鳴も。政権中枢の強硬姿勢とは裏腹に、現場には 『厭戦 (えんせん) ムード』 が漂う。
 防衛局は13日から、建設予定地周辺に約150人の職員を動員。防衛省や本土の防衛局からも職員50~60人の応援を得ている。このうちN1地区に続くゲートでは、16日から市民が出入りをふさぐように止めた車列の間に並ぶようになった。24時間、15人ずつが交代で立ち尽くしている。それ以上の指示はない。
 『何のためにやっているのか、いつまで続くのか。全く知らされていない』。ある職員は嘆く。『例えば被災地の復興支援なら、3日間休まなくても耐えられる。今回は市民にも批判され、メンタル的にきつい』 という。
 夜の当番では、満天の星空を見た。『本当にきれいだった』。そんな自然に囲まれた小さな集落に全国から約500人の機動隊が派遣されるとの本紙報道が出ても、信じなかった。『ところが本当だったでしょう。威圧感が、県民の目にどう映るか』 と事態の悪化を懸念する。……
 方針は全て東京で決まり、先の見えない 『消耗戦』 が続く。『雲の上のことは知る由もないが、今後どうなるのか…』 とつぶやいた。」

 7月25日の朝日新聞は 「防犯活動せず移設抗議の警戒だけ 沖縄派遣の防衛省職員」 の見出し記事を載せました。
 政府は沖縄県で米軍属が女性を殺害した事件を受けて6月から、再発防止策として国の出先機関職員らによる繁華街などのパトロールを始めました。
 防衛省は7月13日以降、本省と各地の防衛局の職員計約70人を沖縄に派遣しました。任務はパトロールと米軍北部訓練場 (同県東村など) のヘリコプター着陸帯移設工事などへの抗議活動の警戒に当たると説明していましたが、実際は抗議活動警戒だけでパトロールには参加しないことにしたといます。同省の担当者は 「パトロールは地理がわからないと難しいため、応援職員ではなく地元の沖縄防衛局職員に任せた」 と説明しています。
 
 住民を守る任務と説明して派遣しながら実際は住民を弾圧する任務でした。身内の防衛庁職員までだまして動員しないと工事は強行できなかったのです。
 政府はだれのための、何のための工事なのでしょうか。

 沖縄の人たちの選挙をこえたもっともっと大きな怒りの爆発が予想されます。
 「コザ騒動 (暴動)」 が思い出されます。あの時、警察は住民に同調して “真面目に” 取り締まりをしなかったといわれています。
 爆発の責任は、日本政府とアメリカ政府のものです。


   「活動報告」 2016.6.24
   「活動報告」 2016.5.27
   「活動報告」 2016.5.20
   「活動報告」 2016.5.10
   「活動報告」 2015.1.30
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 沖縄 | ▲ top
自治体職員も共同作業で自己表現を
2016/07/21(Thu)
 7月21日(木)

   東北は5年になりし 節目時
    熊本県は 元年になる  (NHK 「明日へ」 2016.7.3)

 11日で東日本大震災から5年4か月、14日で熊本大地震から3か月がたちます。阪神淡路大震災は1月17日でした。10のつく日に大きな地震が発生しているのは偶然でしょうが、毎月近づくと鬱陶しくなります。それにしても、東日本に住んでいるからなのでしょうか、熊本大地震が忘れられつつあるように思われます。まだ仮設住宅に入居できない被災者も大勢いるのにです。
 7月5日の 「活動報告」 で、イラク戦争では米兵10人以上の死者が出ない戦闘はニュースにならないと書きましたが、事件の大きさは死者の数ではありません。
 被災者はそれぞれ、さまざまな喪失体験をしています。
  1、愛する家族、親せき、友人の死別、離別
  2、事故による負傷など身体的喪失。
  3、財産、仕事、思いでなど所有物の喪失。
  4、住み慣れた地域、転居、転勤、転校など環境の喪失。
  5、地位、役割などの喪失
  6、自尊心の喪失。プライドを傷つけられる。
  7、社会生活のなかでの安心と安全の喪失
 これらが複雑に絡み合います。(11年7月4日の 「活動報告」)
 被災者1人ひとりにとっては、これらから脱出でき、生活再建ができ、そして “心の傷” が癒えたときが復興です。

「『心が傷つく』 とは、どういうことだろうか。柔らかい人の心は、耐えがたい体験によって三つの問題を抱える、ひとつは言葉どおり、心をある実態としてイメージして、ショックや繰り返される不快な体験によって 『精神的外傷』 を被るのである。だが、心は精神的外傷がふさがれた後、身体のようにちょっとした瘢痕を残して、元どおり機能していくわけにはいかない。必ず精神的外傷をきっかけに、以前とは違った態勢に入っていく。
 まず人は精神的外傷の後、その傷を過剰に包み隠そうとする。あるいは、崩れた精神的バランスを取り戻そうとして、過剰に身構えてしまう。心に加えられた外からの力 (精神的暴力) と丁度同等の力で反発し、不幸な体験を静かに押し戻すことは非常に難しい。右手に重い鞄を持って歩く人の右肩は、左肩より上ることはあっても下ることはない。同じく心は、精神的外傷からあまりにも多くのことを学びすぎ、緊張し、身構えてしまう。自分の心の傷を周囲の人に気付かれないように、他人に同情ないし後ろ指を指されないように、隙を見せないように努め、さらには不幸を越えて、より強靭に生きていこうとする。それは挫折か、再生かを賭けた戦いであるが故に、多くの人は再び立ち直りつつ、精神的外傷を過剰に代償してしまう。克服した困難な体験、悲しい体験は、その人に自信を与えると共に、その人なりの精神的防衛の仕方を固定し、絶対化させることになる。心の強さは常にかたくなさの影が伴い、それは弱さでもある。
 生きていくとは、打ちひしがれるほど強烈ではなくても無数の精神的外傷を受け取り、それを克服する過程でこわばり、時にはそれではいけないと思って、無垢の柔らかさを幻想的に追想しながら、やはり若い心の傷つきやすさを失っていく道程であるともいえる。心の傷に着せかけた心の鎧、これが第二の問題である。
 そして歳月をへて、精神的外傷と精神的防衛がひとつのセットになって心の底に気付くことのない澱になったとき、それはコンプレックス (心的複合体) として、その人の生き方を突き動かしていくことになる。精神的外傷が心の裏側に焼き付けた踊る影、それが第三の問題として残されるのである。」 (野田正彰著 『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』 岩波書店)

 “心の傷” が癒えるには時間がかかります。
「陰暦5月5日は端午の日であり、野や山に、街や外国に遊ぶ風習へと引き継がれているが、かつては 『薬日』 ともいい、薬草を摘む薬猟の日であった。その薬日をひっくり返して、『日薬 (ひぐすり)』 というおかしな言葉が上方にはある。月日を薬という物質にみたて、病を癒すのは、結局、時間であるとの知恵がこめられている。また、薬そのものについても、薬理学的効果よりも日薬として使われていた時代もあった。昔の人は、効きもしない薬草を丹念に煎じて飲みながら、病いの癒される月日を耐えていたのかもしれない。
 それでは、どのような 『病い』 に日薬は効くのであろうか。人が過酷な喪失の体験をこなしていくには、どうしても日薬が必要である。私はこの日薬の作用経過の知恵を、『体験緩衝の時間額 (クロノロジー)』 と呼んできた。階層化した悲哀の時間についての知識である」 (『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』)
 熊本大地震から3か月しか経っていないのに忘れられつつあるのは被災者にとっては酷です。まだまださまざまな形で “寄り添う” こと、共に歩むことが必要です。

 被災者に対応する自治体職員や被災者である子どもたちと接する教職員にとって復興はまだまだ先です。東日本大震災の被災地で、これまで元気そうだった自治体職員が最近になって異変がでているという話も聞きます。熊本大地震の被災地は、二次被害を防ぐことはできませんが最小限になるよう対策を進めてほしいと思います。


 自治労福島県本部は、3月から5月に実施した双葉郡8町村と南相馬市、飯舘村の組合員1461人を対象に健康や勤務実態に関するアンケート調査の中間報告を発表しました。752人 (51.5%) から回答を得ました。
 この紹介記事が7月21日の河北新報に 「<原発事故> 福島の職員 時間外増続く」、福島民報に 「不眠や依存症8% 双葉郡など市町村職員アンケート」 の見出しで載りました。2紙を合わせて紹介します。
 事故後5年経過しても時間外勤務の増加傾向が続いています。
 時間外勤務が月平均31時間以上と答えた職員は38.0%にのぼります。震災前は7.8%でした。200時間以上の職員も2人いました。「時間外勤務なし」 は震災前の31.2%から8.0%に減りました。
 健康状態については、震災前の健康診断で異常がなかった職員の46.7%が新たに 「要注意・要精密検査」 と判定されました。糖尿病などの生活習慣病、不眠症やアルコール依存症などで通院や薬の服用を行っているのが165人で、このうち精神疾患は63人に上りました。
 今後の居住先は 「家族と震災前の場所」 「自分のみ震災前の場所」 が50.1%。「家族と他の自治体」 「自分のみ他自治体」 は24.3%で、「判断不可」 は25.7%でした。半数が震災前に住んでいた自治体で暮らすことを考えています。
 悩みや不安に関する質問は複数回答ですが、「仕事」 が51.6%で最多、「身体の健康」 45.3%、「先行き不透明」 が34.2%、「心の健康」 32.8%と続きました。
 自治労県本部の今野泰委員長は 「職員自身も被災者でありながら住民に寄り添い復興に尽力してきた。精神的に追い込まれ、早期退職や休暇を余儀なくされてきた職員もいる」 と現状を説明しています。


 福島では早期退職がかなりの数に上っています。
 少し古いですが、2015年1月28日、自治労総合企画総務局は記者会見をし、調査結果を発表しました。NHKニュースです。
「自治体職員の早期退職976人 (NHK福島)
 福島県内の自治体では、震災と原発事故後、業務量が増えて将来の見通しが立たないことなどを理由に早期退職する職員が相次いでいて去年12月末までに早期退職した職員は少なくとも976人にのぼることが自治労のまとめでわかりました。
 震災と原発事故のあと、県内の自治体では、復旧・復興に関する業務が増え将来の見通しも立てられないなどとして早期退職する職員が相次いでいます。
 自治体職員でつくる労働組合の 『自治労』 が調べたところ、震災後、去年12月末までに早期退職した職員は少なくとも976人にのぼることがわかりました。
 また自治労が福島・宮城・岩手の沿岸部を中心とした自治体に勤める組合員を対象に行ったアンケート調査では、「早期退職者が多いため仕事が進まない」 と答えた人が▼福島では全体の19点2%と、▼宮城の8点3%、▼岩手の12点4%に対して高い割合となりました。
 さらに、「慢性的な人員不足で休暇取得しにくい」 と答えた人は、▼宮城では38点4%、▼岩手では38点6%だったのに対して▼福島では49点3%と、ほかの2県を大きく上回りました。
 自治労総合企画総務局の青木真理子局長は 『福島は職場の人員が足りていないのが現状で、ストレスを抱えている職員の割合も多い。こうした状況を国に訴えて支援を求めていきたい』 と話しています。 」


 このような事態を改善のには人員不足の解消は当然ですがそれだけでは解決しません。また医者や投薬もそうです。
「精神医学の 『治療共同体』 Therapeutic Community はイギリスの精神科医ジョーンズ・Mによって提唱され、ケンブリッジのクラーク・Dによって60年代から70年代にかけて発展していった社会精神医学の概念である。
 ……個人を問題にするのではなく、対人関係が個人にもたらす意味を重視し、対人関係を積極的に経営管理していこうという発想において、共通しているのである。……
 彼はここで、精神科医が直接的に個々の患者を面接治療していくよりも、病棟の雰囲気を治療的に組織していくことを試みる。入院患者は専門医や看護者と接しているよりも、ずっと多くの時間を他の患者と過ごしている。医師-看護婦-助手-患者という、治療の名のもとに作られた従来の権威関係を崩し、病棟のすべての人間関係そのものを治療的資源にしていこうと考えたのである。
 治療共同体においては、患者は薬をのんだり、作業をしたりという受け身の位置におかれるのではなく、怒りや嫉妬などの感情を率直に表出し、上下関係をなくして批判しあい、自己の抑圧してきたコンプレックスや特異な反応に気付いていくことが奨励される。……
 つまり、病棟の生活そのものを高圧釜の状態におき、人間関係を不断に活性化していこうとするのが、治療共同体のその後の継承者クラークの主張する 『管理としての治療』 であった。クラークは……治療共同体の還俗を6つあげている。情報伝達の解放、出来事のその都度の分析、新しい行動様式を体験する場を豊富に作る、特権階級を平板化する、成員すべての役割の検討、成員すべてが参加する会合を規則的に持つ、である。
 ……ただし、ここで見落としてならないのは、個々の項目を保障していく治療的雰囲気、社会的関係こそが、真の資源であるということだ。」 (『大事故遺族の悲哀の研究 喪の途上にて』)

 「治療共同体」 は “病んでいる社会の治療” にも有用です。
 被災地の自治体労働者は平常からは異常な状況がつづくなかで、自己を抑制して奮闘しています。自分が被災者であっても違う立場におき、被災者とは緊張関係が存在しています。そのなかで自己を維持するにはまさに自分たちで自分たちのための環境づくりが必要です。
 共同作業を自己の再発見、自己表現の手段につなげ、お互いを尊重し、認め合う関係性づくりに挑戦していくことが必要です。
 心の傷は、時薬のほかに 「人は、人によって傷つき、人によって癒される」 といい効きめがあらわれます。


  「活動報告」 2016.7.5
  「活動報告」 2016.6.7
  「活動報告」 2011.7.4
  「自治体労働者の惨事ストレス」
 当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 災害ストレス | ▲ top
トヨタを 「人手不足」 が反撃
2016/07/15(Fri)

 7月15日 (金)

 7月15日の毎日新聞は、中村智彦神戸国際大学教授の 「トヨタ系列工場の爆発事故で表面化する 『人手不足』」 のタイトルの寄稿を載せました。

 愛知県の自動車産業では、今年に入って事故が連続しています。
 1月8日、トヨタ系列の特殊鋼メーカー愛知製鋼の知多工場 (東海市) で爆発事故が発生し、エンジンや変速機などに用いられる特殊鋼の供給不足を引き起こしました。トヨタ自動車は、国内の自動車組み立て工場を約1週間休止し、約9万台の減産となりました。(2016年2月16日の 「活動報告」)
 5月30日には、アイシン精機系列のアドヴィックス刈谷第二工場 (刈谷市) で爆発事故が発生しました。同社は、ブレーキ部品の国内シェア約50%を占めます。そのためトヨタの元町工場、田原工場、高岡工場など国内9工場が操業を一時停止しました。
 7月6日午後、愛知県刈谷市の自動車部品製造業、アイシン精機のグループ会社の愛知技研の工場で二酸化窒素とみられる有毒ガスが発生し、従業員4人が病院に運ばれました。周辺住民には屋外への外出自粛が呼びかけられ、周辺道路も交通が規制されました。

 「今回、事故を起こしたのは、いずれもトヨタ直系の関連企業だ。それだけに衝撃が大きい」 と言う愛知県内の中小企業団体職員は、その理由を次のように指摘します。
「厳しい生産管理を行うトヨタグループで事故が続いているということは、他の数多くの中小製造業の現場は今どうなっているのか、大丈夫なのかという懸念につながる」
 こうした事故の連続には、行政も反応しています。アドヴィックスの事故後の6月27日には、厚生労働省愛知労働局が局長名で、公益社団法人愛知労働基準協会、愛知県工業塗装協同組合、愛知県鍍 (と) 金工業組合の3団体に、爆発災害防止にかかる総点検を文書で要請しました。
 それにもかかわらず、そのわずか1週間後に愛知技研でガス事故が発生しました。ある自治体職員は 「愛知県行政では、従来、トヨタグループへの信頼度が高い。それだけに、今年の事故の連続に行政内部から不安の声が上がり始めている」 といいます。

 工場の安全管理の理論に、「ハインリッヒの法則」 があります。1件の重大な事故が発生した場合、その背後には29件の軽微な事故と300件の 「ヒヤリ・ハット」 と呼ばれる異常が隠れているというものです。その法則から考えれば、今、トヨタグループの工場内では、数多くの異常が発生している可能性があります。

 これらは人災です。そこから見えてくるのは 「人手不足」 の問題です。
 雇用情勢が数年前とは様変わり、製造業は求人広告を出しても必要な人員が集まらなくなりました。派遣や期間工などを使っても、慢性的に十分な人員を確保できない状況で、現場にしわ寄せがきています。さらに若い世代は製造業には来ない、来ても短期間で辞めてしまうことが多く、結果として現場の経験者が不足していると言います。経験不足が異常や事故を生む一つの原因になっていると指摘されています。


 天下のトヨタの系列会社で人手不足が起きています。それは過酷な労働も大きな原因です。
 「トヨタ生産方式」 について、16年4月1日の 「活動報告」 を再録します。
「いすゞとトヨタの違いです。
 あちこちを歩いてきた期間工が 『いすゞの提案なんて生ぬるいぞ、トヨタの提案なんて何秒短縮したぞ!』 と面白おかしくいすゞをちゃかしたことがありました。本人は、ここは楽でいいよと言っていました。
 トヨタでは組み立てラインに足型が書いてあります。そこをちゃんと踏まないと仕事が始められないようになっています。道具に手を触れなかったらランプで表示されます。トヨタは人間を信頼していません。緻密に働かせてミスを起こさせません。」

 2013年8月31日の林克明さんのブログです。見出しは 「『歩行も仕事』 と書かれたゲートをくぐって出勤する社員たち。トヨタ自動車本社工場入口で」 です。
「トヨタ工場のすべてのラインには 『標準作業表』 が、作業工程ごとに表示されている。俗に言うトヨタシステムは、労務管理、生産管理ほか広範囲にわたるシステムであり、カンバン方式、カイゼン活動、創意工夫提案などトヨタ独特な方式を数多く生み出してきた。
 『『標準作業表』 こそ、現場レベルでのトヨタシステムを端的に表しているものはないと思いますよ。これを知らないと、外部の人はトヨタ内のことが非常にわかりにくい』
 こう語るのは、入社以来、数十年ずっと現場の工場で働き続けているベテラン社員のA氏である。その 『標準作業表』 には何が書かれているのか。Aさんに説明してもらう。
『トヨタ工場内すべての工程のところに貼り出されているのですが、製品を持つ3秒、セットする3秒、歩く速度は一歩で0.5秒…と細かに順番と秒数が指示されています。
 左手にボルトをもち、右手で何を持つ、と左右の手の使い方も規定されています。間違えて左右を入れ替えると0.5秒遅れる…というように、手順や作業時間が示されています。
 さらに、標準作業表のほかに、別紙で安全のポイントなど、いろいろな指示が貼られているのです』
 本当に事細かに合理的に設定されており、これをすべて指示どおりにこなさなければならない。さらに、創意工夫提案活動、QCサークル活動など、さまざまな活動の義務を負うが、このうち一部は、かつて “自主活動” とされ、仕事ではないからと残業時間に組み込まれてなかった。
 このような過重労働によって過労死した元社員・内野健一さんの妻が裁判を起こし、2007年12月に原告勝訴が確定したが、そのときに初めて、裁判所が 『自主活動は業務』 と認定したのである。
 しかし裁判後、QCサークル活動は残業として扱われるようになったが、創意工夫提案活動は、まだ “自主活動” として扱われ、残業とされていないのが実態だ。」


 「トヨタ生産方式」 の1つが “ジャスト・イン・タイム” で、部品の在庫を持たないで下請・孫請会社に必要な分ずつ発注します。(2011年6月3日の 「活動報告」) 在庫を増やすとコストがかさみ、部品の不具合が生じた時に原因を突き止めにくいからと説明されています。ですから倉庫は最小限です。下請・孫請・関連会社は部品の発注が来たら即対応できるように常時体制を整えておきますが、ここもジャスト・イン・タイムです。
 しかしジャスト・イン・タイムは緊急事態を想定していません。だからどこかの工場の操業が止まったら他も止めなければならないのです。製造を続けてストックし、後で調整するということができないのです。ゆとりがない体制は大きな無駄を発生させます。休業はそのことを見事に証明しました。
 つけが回ってきましたがそのつけはどこに回されるのでしょうか。
 トヨタの社員は自宅待機になっても賃金保障はありますが、非正規労働者はどうなのでしょうか。そして経営体力が弱い下請、関連会社はどのような休業補償になるのでしょうか。
 4月の熊本地震では、アイシン精機子会社のアイシン九州の工場が停止し、ドア部品の供給が不足して約8万台の減産となりました。


 東日本大震災後、電子部門など被災地から逃げだした企業も多くありました。その反面、輸送用機器が進出してきました。トヨタは大震災に備えたリスク分散や東北復興支援のためといっています。(だというなら、処理に困っている数万台におよぶ被災した車輌を生産者責任で回収して資源を再生する事業を起こしてもいいと思うのですがそのような動きはありませんでした。要は新車が売れればいいのです)。低賃金と労働力を確保しやすいというのが本当の理由です。
 16年3月21日の河北新報です。
「のどかな農村集落が広がる宮城県北の縫製工場。トヨタ自動車東日本 (宮城県大衡村) の下請けに入る社長が憤りを抑えるように語る。『「一寸の虫にも五分の魂」 と言うが、世界のトヨタに零細を思う気持ちはないのか』
 女性縫製工を中心に、約30人を雇い入れる典型的な零細企業。トヨタ自動車の関連企業を通じて小型車のシート縫製を請け負う。
 2011年、東北への拠点化を進めるトヨタが岩手県金ケ崎町と大衡村の2工場体制を整えると、受注が増えた。同時に、コストダウン圧力が強まった。
 絞りに絞り込んだ見積もりが 『トヨタ生産方式』 の壁にはね返される。『スピードを上げればこの額の6割で済む。愛知の企業はできる』。何から何まで 『標準』 が求められる。
 仕事はあるが、もうけは少なく経営は苦しい。社長の脳裏に 『トヨタをやめたい』 という思いがちらつく。だが、『雇用を守らないと。たとえ餅代ほどのボーナスを出せなくても、だ』 と踏みとどまる。」

 無駄をなくし、在庫を持たないジャストイン・タイムは、“高速道路が倉庫” といわれています。これらの地方の工場も、各地の1工場でも操業が停止するとあわせて停止せざるを得ないのです。この間の操業停止の繰り返しは下請・孫請・関連会社にとっては深刻な問題で各地方の経済に影響をおよぼし、社会問題をおこしています。
 

 トヨタは、トヨタ生産方式、ジャスト・イン・タイムが労働者、さらに地域社会・地域経済におよぼしている影響をとらえ返す時期に来ています。
 労働者を人間と見なさないと 「人手不足」 という 「人間」 からさらに反撃を受けます。


  「活動報告」 2016.2.16
  「活動報告」 2015.2.3
  「活動報告」 2011.6.3
 当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
資生堂                                         育児時間制度の実施は、男性労働者への働き方の問いかけ
2016/07/12(Tue)
 7月12日 (火)

 7月7日の第14回ワンコイン講座は、資生堂の労働組合執行委員の方から 「『資生堂ショック』 を職場の労働者はどうとらえているか」 というテーマで、労組は働きやすさ、働き甲斐のある職場づくりにむけて、どのように対応したのか話をうかがいました。

   --------------------
 私は青森で美容部員 (BC・beauty concultant) をしていました。5年前に組合役員として本部に来て、今は美容部員の問題を中心に担当しています。月20件から30件の相談を受けています。組合員は12000人いて、そのうちBCが8000人です。

 「資生堂ショック」については、皆さんはニュースなどで知っていると思いますが誰にとってショックなのか。社内から生まれたことばではありません。
 育児時間制度は今に始まったことではなくて、第二ステージというとらえ方です。
 以前は、正社員といっても店頭にいるBCが結婚したり、子どもができると辞めるのが多かったです。会社としても人もったいない人材でした。労働組合にもそういう意見がありました。そこで労使が一緒に育児時間制度への取り組みを開始しました。これが第一ステージです。
 育児のために短時間勤務のBCが帰ってしまうと一番忙しい時に対応する人がいなくなるのでカンガルースタッフ (KS・代用要因) を作りました。会社が決めるので必ずつくとも限りませんが、とりあえず1人について2人つきました。KSは学生ですのでBCと同じ仕事はできません。洗い物とかちょっとした雑用とかで正社員を支えます。お客様はカウンセリングを受けて買いたいから店頭にいる人にいろいろな話をしてきます。しかしKSは必要な対応ができないので、短時間勤務をしないBCが大変でした。
 制度が始まったら取得する人が予想以上に多くなりました。お客様を綺麗にすることが好きで入社したBCなので続けられることはありがたい制度ですので。短時間勤務をしない支える側も支えきれなくなって疲弊してきたということがありました。
 もう一方で、正直に言うと、取得することは権利だと、子育てではなく取得する人もふえていきました。30分刻みで最高2時間取得できますが、その間にジムに通ったり、取得者たちでお茶するなどいろいろな人がいます。子供を育てるのは大変だと思って支えていた側もそういう話が聞こえてくると不満の声をあげます。組合にも届きました。
 そういうこともあって、会社としても今後は介護の問題も出てくるので、やはりここで少し見直しをしようということで2014年度に開始しました。

 開始前に会社から組合に相談がきました。組合は、賛成しましたが進め方だけはきちんとしようと確認しました。
 制度は、新しいものとか、変更になったということではありません。ここが誤解されています。資生堂の時短の就業ルールは 「始業時間と終業時間は会社が決める」 となっています。早番だけが時短ではないのですが、今までは配慮で早く帰るイコール保育園に迎えに行くということになっていました。見直しは、今までは時短を配慮で行なっていたのをきちっとやろうということです。
 組合は賛成ですが、育児の問題だけでなく進め方について部長などマネージメントをする人の対応はあまりよくありませんでした。マネージメントをする人にきちんと向き合ってもらわないで急に次の月から変わると、BCから出来るかな、今までできていたのに何でできなくなったの、土日は休みたいなどと不満がでてきます。そうするとモチベーションが下がって、組合としても生き生き働こうと運動をすすめているのが消えてしまうことがはっきりしています。
 進めようとしている時に、半年くらい前まで現場にいた方が本社の人事部長になったのでその話をしました。「BCの力をちゃんと発揮できるようにしてください。頼みますよ」 。部長は 「そうだよね、ちゃんと進めていきましょう」 と言われました。
 では進め方をどうするか。
 全国13カ所の事業所に人事部が行って、なんで今見直しをするのか、どういうことが起きるのかなどについて面接します。平等だから始業時間と終業時間を会社が決めますといわれてもちょっと違うよねというところがあります。今まで早く帰れたものが、早く帰れないということもあります。急に全員平等だと言っても、例えば、子どもに障害がある人はどうしても保育園がそこでないと預かってもらえないという事情があります。そこで1人ひとりの事情を面接で聞いて進めてくださいと要求してきました。
 人事部が事業所のマネージ責任者と話をしました。面接のやり方も心配だったので人事部のスタッフにすすめ方の寸劇をしてもらいました。全事業所に組合も同伴しました。会社の説明の確認と、組合も一緒に進めているということを知ってもらうと安心感が持てます。BCがもっともっと働きやすくなってもらうのが目的です。
 会社は1人ひとりと向き合って決めていきました。基本は平等ですが、早番10回、遅番10回が基本ですが、それをそれぞれの状況によって面接で変更できるようにしました。これで不満や不安を回避できるようになりました。

 もう1つの目的がありました。キャリアを積んでいるBCが早く帰ることに、研修に行けない、迷惑をかけている、戦力ではないと思ってしまい、自分たちは邪魔者なんだという意識を持っていました。それにたいしていやいや違うよ、あなたたちも大切なBCなんだよと想わせることです。育児をしているお客様がいたら育児の経験を持つBCの方がいい話ができます。経験があるなしで違います。
 支える側の人と育児をしている側の人は生産性がやはり違います。育児をしている側の人はぱっぱっと行動することが身についています。そういうことが店頭でも、仕事のなかでも必要で、支える側にはこういう働き方があるんだなと勉強になります。
 ですから組合にはそう多くの相談はありませんでした。数名からの相談は、マネージャーは分かったつもりで説明しても受け取る側はそうではない受け止め方になっていたなどです。
 相談がきたのは、では子供の迎えはどうしたらいいんですかというような内容でした。その時は、「子どもはお父さんとお母さんの子供だよね、会社が育てているわけではないよね、家族とかママ友も、有料の施設もあるよね。保育園を探す努力はしているのかな」 と答えました。「ではお金は誰が払うんですか」 という質問には 「ちょっと待って。子供は会社が育てているわけではないよね。あなたはお母さんだけど資生堂のBCでもあるんだよ。主張だけするのは違うよね」 と答えました。そうするとほとんどの人は我に返ります。「そうでうね」 と。
 もちろんキャリア育成のことも伝えます。そして 「組合としてもできることは協力するよ。1人で悩まないで相談してね」 と伝えます。
 
 シフトを組むのはその職場の責任者です。もともとBCは変形労働時間なので月3回くらいの希望休をチームの中で協力し合って取っています。セールとかでみんなここは休めないとわかっている時は避けます。シフトを組むのは大変ではありませんでした。
 BCは全員直雇用です。8000人のうち3000人が契約社員です。契約社員は労組員ではありません。契約社員については今年から3年かけて希望する人は試験を受けて全員正社員にしようとしています。
 BCは、年に1回学科試験と、スキンケアとマッサージの実地試験があります。スキンケアのカウンセリングやメイクアップとマッサージの実地試験は試験官を客に見立ておこないます。それに合格しなければなりません。契約社員は3年間のあいだにその試験に合格しなければなりません。BCは事業所コースですので転居を伴う異動はないです。
 月に1回BCセミナーが開催さいています。新製品が毎月出たりしますので、その勉強とか、季節に合わせてどうするかなどです。ヘアーやボデーもネール商品も取り扱っていますので業務上知っていなければなりません。
 正社員が増えると人権費も増しますが、会社としては、社員として安定していた方がやる気が起きるしという考え方です。お客様と向き合うのはBCなので、その人たちが生き生きとしてないと結局は会社全体がよくならないという考え方です。営業が最前線という考え方です。
 資生堂は化粧品を売っているのではない、化粧品を通して心までも豊かにするものを売っているというとらえ方をしています。“化粧の力” ということでは認知症のおばあちゃんが口紅をつけたらおむつがとれたという実証もあります。化粧療法学会もあります。
 会社の社会貢献活動の中で、生まれもっての顔の傷や抗がん剤で顔に変調をきたして外出できない人たちに “化粧の力” をバックアップしています。震災の時にもハンドマッサージなどを含めて行いました。それが心まで本当におちつかせます。

 今までは育児は女性がするのが当たり前ということでしたが、制度をきっかけに男性も育児に参加するようになったという話も聞いています。男性だって育児時間を取得できるし休日もありますので。全員がそうできるかはわかりませんが、努力しているかという投げかけは必要だと思います。

 結婚したり、子どもができたら全員辞めたというのは、BCの位置づけが売り子だったり販促費のようなとらえ方で位置づけが低かったからでもあります。マタニティの制服もなかったんです。ないということは、私服で働けということらしかったのですが、べつに辞めてもいいよということでした。契約社員で戻ってきた人の中にはそういう方が多くいます。
 団体交渉でお金よりも資生堂起きている問題について発言したときに、一番立場が弱いのがBCだという意見がありました。会社にも労働者や組合が言っていることを認めさせました。会社もBCをもっと元気にしたいという思いがありました。組合も労使で一緒にBCの環境を良くしていこうということがありました。では何をするかという時にBCの思いを実行していこうということになりました。
 それまではノルマがありました。しかしBCは上司に評価されるよりもお客様に、ありがとう、「あなたに化粧をしてもらって私綺麗になったよ」 と言われるのが一番うれしいです。そういうことでノルマを撤廃し、時短制度も導入しました。会社がわかってくれた、現場が変わったという実感がありました。
 人事部長が 「1日18人と会う」 ことが目標ということを言っていますが、意味は沢山のお客さんに出会うのがBCの仕事ですので待ちの姿勢ではダメだということです。みな目標は同じです。しかし売り上げの目標はありません。
 BCが求めていることは会社は分かりません。一番わかるのは組合です。

 会社は今回を第二ステージと呼んでいます。第三ステージは介護休暇制度になります。
 今、別の問題が起きています。2年経って部長がかわったりしてくるとマネージメントで違いが出てきます。部長研修は最初に実施したが毎年はやっていません。
 面接は、年2回実行することになっています。それ以外に評価の面接もあります。毎年個人への配慮も違っていきますので少なくても年1回はしてほしいです。しかし実施していないところもあり、それに対して声が上がっています。
 今回の団体交渉は、そういう事態におかれている、現場で起きていることについて知ってもっと社員を大切にしてほしいと要求しました。


 参加者の意見です。
 今は育児のために女性が短時間労働制度を活用しますが、男性も女性が外で仕事をすることは価値がある、こういう家族に支えられているんだということを確信的に受け止めないと転換できないです。
 性別役割の土壌を変えていく壁が一番厚いです。資生堂はそれが出来ているということではいいい意味でのショックです。

          - - - - - - - - - - - - - - 
 日本における長時間労働は、女性の家事労働との 「分業」 で成立してきました。長時間労働解消に向けては、この分業の解消、そして本物のディーセントワークにむけた取り組みが必要です。

  「活動報告」 2016.3.18
 当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 仲間・連帯・団結 | ▲ top
| メイン | 次ページ