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「救援者のみなさん 交代で休もう!」
2016/04/19(Tue)
 4月19日 (火)

 4月14日夜9時時26分、熊本を地震が襲いました。その後に大分も襲いました。
 被災者は余震が連続していて睡眠がとれません。恐怖と不安が連続し、ストレスを増大させて体調を崩します。
 被災者の方がたの早期生活回復をお祈りしますとはいいながら、それ以上の言葉が見つかりません。
 同時に、災害支援のために奮闘している救援者の方がたに陣中見舞いを申し上げます。
 阪神淡路大震災の教訓から、ラジオ局のAM神戸は防災マニュアルに 「家族と近隣の安全を確認してから出社する」 を盛り込みました。被災者でもある救援者は、家族への不安を抱えたままでは業務に集中できません。管理者はその配慮をしてほしいと同時に、救援者は遠慮しないで申し出てほしいと思います。
 阪神淡路大震災を体験した西宮市の小学校教師は、東日本大震災の被災地での講演で 「先生たち 交代で休もう!」 と呼びかけました。交代で休むことを実行してほしいと思います。  

  「がんばれ!」 の声が全国から寄せられています。もちろん善意からです。
 しかし被災者にとってはそれぞれ受け止め方は違います。


 阪神淡路大震災から3か月後くらいたった頃の状況を、長田区の病院の看護師の方が語っています。
「患者もそうだが、病院スタッフのストレスも高まってきた。2、3週後くらいからだろうか。夫や妻が失業した人、家が全半壊した人も少なくない。そんな問題を抱えながらの交代勤務は厳しい。
 新聞や町中の広告に 『がんばれ、神戸っ子』 などというキャンペーンが目立つようになった。呼びかけている人は善意だろうが、1日1日をやっとの思いで生きている身にはやりきれない。
 そんなある日、あちこちの市町村や温泉地が、1、2泊から数週間、被災者を無料招待してくれる、という新聞記事を見つけた。看護師詰所でも 『行きたいわねえ』 『ショックが大きかったようだから、Aさんに行かせてあげたいわ』 などの会話がはずんでいた。
 カナダ、ニュージーランドの地方政府やボランティア団体が、被災者受け入れの低料金ツアーを募集していると聞いたのは、いつごろだったか。……
 それは現実からの逃避かもしれないが、“日常的ではない ” 過酷な状況が日常化したとき、一時的にせよ、そこから抜け出すことで癒されるものは大きいのではないだろうか。」 (酒井道雄編 『神戸発阪神大震災以後』 岩波新書)

   被災者が被災者診おり 看護師長
     泣きたいけれど 今泣けません
       (2011.5.2 『朝日歌壇』)

「病院スタッフ自身の被災も大きな問題だろう。
 直後の不眠不休から、睡眠時間の状況をへて、病棟は二交代制にこぎつけ、3月末ようやく三交代へ復帰した。
 山根総婦長は、『看護師も医師も、被災者という点では一般の人とまったく同じ悩みを抱え、苦しんでいます。職業意識で明るく振るまっていても、いつまで耐え切れるかどうか』 と不安を隠さない。
 3月までに、精神的ショック、通勤困難などで総員の10%に当たる2桁の看護師が退職に追い込まれた。ただでさえ要因の確保がむずかしいなかでの退職が病院全体の運営に与える影響は、はかりしれない。」 ( 『神戸発阪神大震災以後』)


 阪神淡路大震災の時、被災者は、「頑張ってください」 と言葉をかけられると 「ありがとう」 と返しましたが、発言者がいなくなると 「何をどう頑張れっていうんだ」 と愚痴を漏らすのをよく聞かされました。当初、困難の中にいて励まされた時は正直うれしかったといいます。しかししばらくして今後の生活展望を描けない状況に直面するとイラつきと無力感とのギャップからかえって沈んだといいます。
 その一方、ボランティアは、一生懸命働かなくても、来てくれた、側にいてくれると思うだけで安心感を持つことができるという話もたくさん聞きました。


 木村友祐の小説 『イサの氾濫』 (未来社) が刊行されました。
 東日本大震災から1年が過ぎた青森・八戸が舞台です。主人公将司の田舎です。
 東京で、会社に行こうとすると呼吸困難になってしまって出版社を退職した将司は、震災直後も駆けつけなかったのですが、久しぶりに帰省します。

「八戸もそうだけど、東北は、これからどうなるんだべな。農家も漁師も減って。米も野菜も魚もとる人間がいなぐなって、とれだどしても、放射能が心配だから買わないって人も、ででくるべ」
「結局、東北がどうなろうと」
 揚げ出し豆腐を頬張ばりながら、将司が言った。
「そったら困る人、いねんじゃねぇが。ないものは輸入すりゃいい。海外の貧困国さ安ぐつぐらせればいいって思っているやづもいるんだべ。市場開放のいい口実になるってな。『がんばれ』 とが 『応援します』 って、口じゃいいながら」
 将司は、東京にいて不思議だった。震災後は、だれもが急に善良な人になっていた。テレビCMを筆頭にいきなりみんな 『日本人』 意識にめざめて連帯を口にし、これまで東北のことなど見向きもしなかったくせに、貧しさのイメージが余計に同情をそそるのか熱いエールを送りはじめた。ホントかよと言いたかった。でも、それを口にできない空気が満ちていた。善意も連帯もそれ自体は避難すべきことではない。が、だからこそ余計に、うのみにできない妙な違和感を感じるのだった。
「『がんばれ』 って言葉・・・。ありゃあ、くせ者だな」
 角次郎 (郷土史研究家) がつぶやいた。
「一体、だれさ向がって喋ってんだが。なぁんも届いでこねぇのよ。喋りっぱなしでいいもな (もんな)。遠ぐがら 『がんばれ』 って言ゃあ、本人は気が済むがもしんねぇけど、がんばるのは結局おらだぢだべ」
「そう言われれば、たしかに、どっかで苦労を押しつげられでるおんた (ようだ)」
 晴美 (いとこのつれあい) が笑って言うのに角次郎はうなずき、
「『がんばれ』 づのぁ、相手のごども知らねぇのさ (に)、気安ぐ使えばわがねぇ (ダメな) 言葉なんだよ」
 将司は何度もうなずいた。胸がすく思いだった。


「せば、いが、なぁして地震の片づげの手伝いさ来ながったのよ」
 ……
「大変だって言うけどよ」
 ずっと抱えていたうしろめたさを容赦なくついてくる優作 (いとこ) に向かって、将司は思わず言ってしまった。
「ひとりだべ」
「あ?」
「八戸は、結局ひとりしか死んでねがべ。岩手だの宮城だの、どんだけ死んだと思ってっきゃ。それなのさ (に)、そったふうに被害者ヅラすんなよ」
 信じられないものを前にしたように、優作は目を見開いて将司を見ていた。
 ……
「そのひとりってな」 と、角次郎が口を開いた。
「ハァ70過ぎた漁師の、カガ (妻) だったづな。聞いだが?」
 ……
「カガは60代後半が。記事の印象だば、ふたりは長年連れ添った、仲のいい夫婦おんだった (のようだった)。だすけ、おらは思うのよ。カガ、いつも旦那どふたりでいるのがあだりまえだったがら、旦那の帰りば待づつもりで、港さもどってまった (しまった) んだべってな。津波さまれだ。……それが、その 『ひとり』 せ」
 晴美がうなづきながら、目尻を押さえ、鼻をすすた。角次郎は淡々とつづけた。
「数でとらえれば、見えなぐなるもんだ。旦那は、新聞さ、『悔しい』 って喋ってらった。おそらぐ、カガの気持ちが手にとるようにわがってだべ。それでも、『自分だげでなぐ、つらい思いをした人はたくさんいる』 っていうわげよ。その孤独は一体、どったらもんなんだが……。そったら人さ向がって、なんもわがんねぇおらどが、『がんばれ』 なんて果だして言えるもんだべが」
 言葉もなく、震える思いで将司は顔をふせた。非難する調子は一切なかっただけに、余計に、自分が故郷のことをひと事のように感じていたことを突き付けられた気がした。


 震災の大きさは死者の数ではありません。1人ひとりに人生がありました。
 今回の震災で亡くなられた方がた1人ひとりの無念さを想い抱きながら冥福を祈ります。そしてご家族の方の悲しみをお察しいたします。
 「はらからの絶え間なく 
  労働に築きあく 富と幸
  今はすべてついえ去らん」 (「原爆を許すまじ」)
 被災者の方たちの今後の長い苦闘を思ってしまいます。
 ただ、 「がんばらなくてもいい」 から、思いっきり悲しんで、泣いて、叫んで、心のなかを曝け出して語って少しずつでも元気を取り戻してほしいと思います。思いを受け止めてくれる人たちは近くにたくさんいます。残念ながら同じような体験をした人たちが全国に大勢います。


 「がんばる」 とはどういうことなのでしょうか。「がんばる」 の語源は 「我を張る」 のようです。自分が持っている力量に最大限挑戦しようと鼓舞するときに使います。自分たちを対象にする時は 「がんばろう」 です。本来 「がんばれ」 と他者には言いません。
 それがいつの頃からか、学校、軍隊、企業などで上位下達の指示、命令のなかで使用されるようになりました。「がんばれ」 は人ごとで責任転嫁の言い訳ができる言葉であるだけに便利に使用されます。
 本土だけで通用する概念で沖縄にはありません。沖縄には、気を張ってやれという 「ちばりーやー」 がありますがやはり違います。英語には直約できる言葉はありません。

 「がんばろう」 というと1960年の三池闘争のなかでつくられた労働歌 「ガンバロー」 があります。
 組合員がホッパー前に集まっていると、三池製作所の組合員であった作曲者の荒木栄は作りだての歌を大勢のなかで歌って評価をあおぎます。最初の歌詞は 「くろがねの男のこぶしがある 燃え上がる男のこぶしがある」 でした。聞いていた組合員は 「女もがんばっている」 というと次の時には 「燃え上がる女のこぶしがある」 となっていたといます。
 仲間が歌うのを聞いておぼえた組合員は 「なんだろう 月が出た空に・・・ 」 と歌っていたといいます。正確な歌詞は分からなくても一緒に歌いながら団結を固めました。「ガンバロー」 は自分たちの歌で、 「がんばれ」 ではありません。

 労使協調で生産性向上が叫ばれると、使と労双方の幹部から 「がんばれ」 が叫ばれます。労働者はゆとりを失われた職場環境のなかで 無理の限界までの挑戦を強制されました。会社や組合幹部は激励だと言い訳します。しかし労働者にとっては言葉によるムチでしかありません。
 「がんばれ」 の言葉は時には殺人の凶器になりました。


 被災者でもある救援者は極力自分の感情を抑えて任務を遂行しています。
 救援者の方がたは 「がんばりすぎない」 でほしいと思います。がんばりすぎると、100日を過ぎた頃に蓄積した疲労が噴出したり再起不能に陥ります。疲労を少しでも緩和するためにお互いに労わりあって譲り合い、心身にちょっとでもゆとりを作ることを心がけてほしいと思います。
 「交代で休もう!」 は長期戦に責任を持つということです。遠慮はいりません。


   頑張れの 声が重荷に なるときは
     休んでいいよ だれも責めない
      (2011.5.9 『朝日歌壇』)


  「心のケア」  
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