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「働き方改革」 労働組合が見えない
2016/03/29(Tue)
 3月29日 (火)

 この数年、「官製春闘」と言われていますが、今年の春闘は敗北です。「使」 は安倍政権がしっかりしている時は 「官」 に従いましたが見切りを付けつつあります。結局は 「官」 ではなく労働組合が負けたのです。
 「官」 は同一労働同一賃金、労働時間の短縮などの働き方改革の方針も発表しています。参議院選挙までのリップサービスの可能性があります。そうさせないために、連合・労働組合や野党が世論を盛り立てるチャンスですが残念ながら動きがまったく見えません。

 政府は3月25日の 「一億総活躍国民会議」 で、「36協定における時間外労働規制のあり方について再検討を行う」 と表明し、長時間労働抑制に向けて企業への指導を強める具体策を示しました。5月にまとめる 「ニッポン一億総活躍プラン」 の働き方改革の柱の一つとして盛り込みます。
 これまで1カ月の残業が100時間に達した場合に行う労働基準監督署の立ち入り調査を月80時間まで引き下げます。20万超の事業所が対象になる見通しといいます。

 そもそも労働時間の規制について、1998年12月28日、労働省は 「労働基準法第36条1項の協定で定める労働時間の延長の限度等に関する基準」 (労働省告示第154号) を通達し、そこで 「限度時間」 を謳っています。
  期間が1週間では限度時間15時間
  期間が2週間では限度時間27時間
  期間が4週間では限度時間43時間
  期間が1か月では限度時間45時間
  期間が2か月では限度時間81時間
  期間が3か月では限度時間120時間
  期間が1年間では限度時間360時間
です。

 2002年2月12日、厚生労働省は 「過重労働による健康障害防止のための総合対策」 (基発第0212001号) を発表しました。そこでは時間外労働と健康障害のリスクの関係について、月45時間以内はリスクは低いが、長くなるほど徐々に高まり、月100時間または2~6か月平均で月80時間を超えるとリスクが高くなると示されています。月80時間は 「過労死ライン」 と呼ばれています。
 しかしこれらの時間を超えた場合についての厚労省の指導は、「産業医による保健指導や助言指導を受けましょう」 「時間外労働を削減しましょう」 です。これでリスクが解消されるのでしょうか。

 さらに2003年10月22日、厚労省は労基法36条の運用に関する 「通達」 (基発第1022003号) を出しました。そこに 「特別条項付き協定」 があります。
「労使当事者は、……『限度時間』 以内の時間を一定期間についての延長時間の原則として定めた上で、『限度時間』 を超えて労働時間を延長しなければならない 『特別の事情』 が生じたときに限り、一定期間として協定されている期間ごとに、労使当事者間において定める手続を経て、『限度時間』 を超える一定の時間まで労働時間を延長することができる旨を協定すれば、当該一定期間についての延長時間は 『限度時間』 を超える時間とすることができることとされているところである。」
 具体的には、 「特別の事情」 がある場合は 「1日を超え3箇月以内の一定期間について、原則となる延長時間を超え、特別延長時間まで労働時間を延長することができる回数を協定するものと取り扱うこととし、当該回数については、特定の労働者についての特別条項付き協定の適用が1年のうち半分を超えないものとすること」 です。
 「労使当事者間において定める手続」 とは労使協定ですが、労働組合や従業員代表は使用者の言いなりで協定を結び、協定で定めた限度時間についてもチェックしていないのが実態です。「特別条項付き協定」 を結べば、限度時間を超える時間を延長時間とすることができます。その運用 (悪用) 次第では労働時間の上限はないともいえるものになります。
 コミュニティユニオン全国ネットワークや全国労働安全衛生センター連絡会はことあるたびに 「特別条項付き協定」 は過労死を生み出す温床になっているとして廃止を要求してきました。これに対して厚労省は、一貫して協定を締結していてその時間数を超えていなければ違法ではない、違法なことが発見されたら是正指導をするという回答を繰り返してきていました。
 労働時間についての規制は使用者の都合だけが配慮され、労働者の健康問題は後付けになりました。

 労働時間の調査が厚労省と総務省で違います。厚労省の発表の方は少ないです。
 総務省の統計では、月80時間以上の残業を強いられている労働者の割合は8%、30代男性に限ると16%にのぼります。産業別では運輸業が18%、建設業が12%、教育関係が11%となっています。昨今問題になっている自動車輸送の業界は長時間労働がはびこっています。

  「ニッポン一億総活躍プラン」 に長時間労働抑制の働き方改革を盛り込もうとしていますが、法改正による規制強化などは見送る方向です。経済界からの反発が強くあります。また、一方で政府が進めようとしている、労働時間規制をはずし、働いた時間に関係なく仕事の成果で賃金を決めるいわゆるホワイトカラー・エグゼンプション (労働時間規制の除外) ・ 「高度プロフェッショナル労働制」 の導入に影響するからです。
 ここに政府の働き方改革の本質が見えます。政府関係者の話では 「一律の規制はできない。職種や仕事のに用に応じた議論が必要」 として例外規定が抜けられるようです。すでに建前と本音があります。

 労基署が是正勧告しても改善しない企業は労基法違反で書類送検します。2015年には靴の販売店 「ABCマート」 を運営するエービーシー・マートが書類送検されました。
 この後は、IT関連事業が集中して立ち入り調査が行われるのではないかとささやかれています。


 西欧ではどうでしょうか。残業がないということではありませんが上限規制が設けられています。月49時間以上の労働者はドイツは11.7%、イギリス11.6%、アメリカ15.4%です。しかも恒常的ではありません。


 日本と真逆の状況が、16年3月20日の日本経済新聞電子版に見出し記事 「労働者ルポ 『6時間勤務で集中力向上』 スウェーデン」 で紹介されています。

 「業務はウェブ広告へのアクセスや購買行動の分析、新しい広告の戦略立案など」 の企業の状況をピックアップして紹介します。
「同僚とのコミュニケーションはランチの時間にとり、勤務中は業務に集中する。」
「『仕事があるときに残業するのは構わないが、この会社に来て、毎日8時間をベースにする必要があるのか疑問になった』」
「勤務時間が減れば収入も減りそうだが、実際には転職前を上回るという。会社の15年8月期の売上高は1636万クローナ (約2億円) と2期前の4倍以上。『自分自身、集中力が高まり以前の会社のときより成果を上げられていると感じている』」
「最高経営責任者 (CEO) のマリア・ブラスさん (38) は 『我々のように、パソコンの前で創造性を発揮するような仕事では、6時間を超える労働時間はかえって効率が悪くなる。』」

 トヨタ車の販売企業です。
「南部に位置する第2の都市、イエーテボリを訪ねた。トヨタ車の販売やメンテナンスを行うトヨタ・センター・イエーテボリでは、技術者たちが午前6時~正午、正午~午後6時の2交代制で働く。午前のチームと午後のチームは1週間ごとに入れ替わる。
 自動車修理やメンテナンスは集中力を要する重労働だ。6時間労働の導入前は 『作業』 『小休憩』 『作業』 『フィーカ』 『作業』 ……と業務時間が頻繁に寸断されていたが、現在の休憩時間は午前と午後に1回ずつだけ。
 『集中するには6時間がちょうど良い』 とジェニー・フェネマンさん (27)。午前か午後の半日を自由に使えるのも魅力だ。『どこへ行っても空いているのが良い』 と笑う。
 通勤時間が短くなるという副次的効果もあった。マグヌス・マッツォンさん (46) は 『以前は渋滞で1~2時間かかった通勤が30分で済むようになった』 と喜ぶ。」
「『じゃ後は頼むよ』。トヨタ自動車系の販売会社、トヨタ・センター・イエーテボリで働くマグヌス・ビクストラーム (40) は正午になると、出勤してきた社員と交代した。『午後は運動で汗を流すか』
 8時間勤務の時は大変だった。車の修理で従業員たちは疲れ、納車は最大1カ月待ち。顧客の不満も募った。そこで労使で話し合い営業時間を延ばす一方、1人当たりの労働時間を6時間に減らした。給料は減らさず人員を2割増やしたのだ。
 改革の成果はすぐ出た。『6時間なら集中力が続く』 と現場が活気づき、納期は最短で4分の1に短縮。顧客の評判も高まり、人件費が増えても売上高と利益は5割超増えた。『働き方の 『カイゼン』 の結果だ』。経営者のマルティン・バンク (48) は胸を張る。
 『トヨタに学べ』。同国では一部ベンチャーも6時間勤務を導入。イエーテボリ市も15年、介護施設に6時間勤務を入れた。同国で広がる6時間勤務には世界中から視察や問い合わせが相次ぐ。」
 『トヨタに学べ』の意味がやはり真逆です。


 日本とは風土の違いだけでは片づけられません。
 労働者は、使用者の言いなりではなく、仕事の仕方・あり方を問い直し人間性を取り戻す闘い、労働者の側からの 「働き方改革」 に挑戦する時期に来ています。

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賃金は生活保障の糧 低賃金は人権問題
2016/03/24(Thu)
 3月24日 (木)

 「同一労働同一賃金」 について、2月2日、3月2日の 「活動報告」 の続きです。

 3月23日、政府は 「同一労働同一賃金」 を実現する指針をつくる検討会の初会合を開催しました。座長は東京大学の水町勇一郎教授 (労働法) です。指針で正規社員と非正規社員の賃金格差を縮めるため、許容できる格差や不適当な格差など具体例を示すといいます。今後、4月の中下旬に論点整理するといいます。検討会は非公開ですので議論の詳細はわかりません。
 5月に 「ニッポン一億総活躍プラン」 をまとめるなかに非正規の待遇改善を盛り込んで参院選を闘うという計画です。

 昨年9月9日、「労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律」 いわゆる 「同一労働 同一賃金推進法」 が成立し、9月16日から施行されました。条文は 「法制上の措置を含む必要な措置」 ということですのでどれだけ実効性があるのかわかりませんでした。安倍首相も国会答弁で 「ただちに理解を得るのは難しい」 と慎重な考えを示していました。
 しかし、その後急に動き出しました。

 これまでは 「同一労働同一賃金」 と言われてきましたが、正規労働者と非正規労働者が同じ仕事なら賃金などに差がないということなのか、正規と非正規の格差解消を目指す格差是正・ 「均衡待遇」 なのかを含めて具体的方向性がはっきりしませんでした。
 この間の安倍首相の 「正規と非正規のどのような賃金差が正当でないと認めるか早期に指針を制定していく」 などの発言は格差是正です。勤続年数などによる賃金の差は認め、賃金体系の実態に配慮しながら、正社員と、派遣やパートなど雇用期間や労働時間が短い非正規社員について、働き方の違いに応じてバランスを取りつつ差を詰めていく方向です。これまでの水町教授の見解と同じです。
 具体的には、正規と非正規といった雇用形態の違いだけで賃金に差をつけることを原則禁止するとともに、通勤手当などの支給額を揃えることなどを盛り込みます。

 日経新聞の報道では、同一労働同一賃金は2段階で実現していく計画です。
 1段階は指針での例示です。
  同じ待遇にすべき例としては
  ・同じような勤務形態で通勤手当や出張旅費が違う
  ・業務実績に基づくボーナスの水準が違う
  賃金差を認められる可能性がある例としては
  ・学歴や国家資格などを持っている
  ・勤務年数に差がある
 2段階目は パートタイム労働法・労働契約法、労働者派遣法など労働関連法の改正です。
  ・合理性のない賃金の差を原則禁止
  ・賃金の差について企業側に説明責任


 よくEUの制度が比較されますがEUは、「同一賃金同一労働」 ではなく 「同一価値労働同一賃金」 です。
 もともと職務内容で賃金が決まる 「職務給制度」 が確立されていました。「同一価値労働同一賃金への取り組みが進んだ背景には、職種と役割に応じた賃金制度が、全国レベルの産業別の労働協約によって整備されていたことと、キリスト教の宗教観に基づいた共通認識があります。人権保障の観点が出発点で、性別、人種などの違いを理由とする賃金差別を禁止する原則が根底にあります。それに加えてEUは、1997年に 「パートタイム労働指令」 などにより、雇用形態を理由とした賃金格差を禁止しています。

 同一価値労働同一賃金は、賃金格差を克服する制度として主張される職務給に基づく賃金制度です。「労働環境」 「負担」 「責任」 「知識技能」 などのファクターと評価レベルで点数化して賃金を決定します。
「米国の賃金コンサルタント企業であるヘイ社は、独自の得点要素法を研究開発し、これが普及した。しかし1970年代後半になると、米国やカナダで、これが女性差別撤廃運動の批判の対象となった。ヘイ社の得点要素法は女性職務を低く評価するジェンダー・バイアスがあって、それが女性の低賃金の重要な理由となっているとの批判であった。そして、この批判の影響のもとに、1980年代以降、女性職務を低く評価しない考え方で得点要素法を研究開発することがすすんだ。その研究開発の重要な一つが、『感情労働』 にともなう労働者の負担を、4大ファクター 『負担』 の1つに採用することであった。そして、女性職務を低く評価しない考え方が、女性差別撤廃運動のなかで Comparable Worth や Pay Equity と英語で呼ばれるようになり、その後に 『同一価値労働同一賃金』 と日本語訳された」 (遠藤公嗣著 『これからの賃金』 旬報社)

 カナダのオンタリオ州では、1987年に10人以上を使用している公共・民営部門の企業に対して、「ペイ・エクイティ法」 (Pey Equity Act、賃金衡平法) が制定されます。
「ペイ・エクイティは、従来の女性職に対する低い評価を改め、平等賃金を実現するための有力な原則であり運動ですが、限界もあります。
 1つには、従来の職務評価の技法 (ヘイ・システム) は職場の複雑さと重要度を、ノウハウ・問題解決能力・説明責任の3つのファクターで評価する点ですが、ケアのような仕事の評価には適切ではないからです。1991年にオンタリオ看護協会がヘイ・システムに反対して、感情労働 (emotional labor) の評価を導入する評価技法を聴聞審判所に認めさせました。このように、たえずジェンダーに中立な職務評価法を開発していくことが必要です。」 (『竹中恵美子が語る 労働とジェンダー』 ドメス出版)

 EUにおけるパート労働者の1時間当たりの賃金を正社員と比べると、フランス89%、スウェーデン81%、デンマーク80%、ドイツ、オランダ79%です。日本は57%、アメリカは26%です。グローバル化が進んだ国は差が大きいです。
 アメリカは同一価値労働同一賃金 について法制化はされていませんが、市場における競争を重んじる米国社会の特徴により、同職種における賃金に大きな差が生じることはあまりありません。
 フランスでは、たとえばフランスでは、長期キャリアによる雇用制度を実現するために、企業の中で労使交渉を行い、同じ職務であっても、長期キャリアコースの場合は年次が進むと賃金カーブが上昇するという労働協約を結ぶ事例があります。この事例については裁判で、同一労働同一賃金の例外として許容されるという判決が出ています。


 現在の日本における議論も細かく言うなら 「同一価値労働同一賃金」 の方向です。言葉の使い方をあいまいにしたままで議論がすすめられると労働者は混乱し、期待が裏切られてしまう結果をもたらします。
 賃金についてEUと日本との根本的な違いは、生活保障の観点が含まれているかどうかです。“働き方”は、実際は使用者の“働かせ方”です。企業は社会的責任をはたしていません。その結果、非正規労働者の年収の問題が取り上げられますが、フルタイムで働いても200万円に満たない 「ワーキングプア」 が階層として存在しています。人権がありません。これは根本的問題で早急な解決が不可欠です。

 一方、日本には独自の雇用のルールや概念があって正社員は幅広い業務をこなしており、年功序列型の賃金体系も根付いているので同一労働同一賃金の考え方はなじまないという意見があります。
 経団連の榊原会長は 「日本の場合、同じ職務でも働き方によって状況が違う。将来への期待や、転勤の可能性などの違いもある。同じ職務なら同じ賃金だという単純な考え方は導入しないでほしい」 と国民会議で日本企業の雇用慣行を踏まえるよう強調しました。
 日本商工会議所の三村明夫会頭も 「指針の作成で、企業の労務対策の負担が過大にならないようにしてほしい」 と中小企業の負担増への懸念から指摘していました。「生産性が向上しないと、企業にとっては一方的に費用増になる」 と、非正規の職業訓練を充実させる政策の強化も訴えていました。
 企業からは人件費総額の増加を懸念する声が上がっています。
 しかし前回書きましたが、この間労働分配率は約10%下がっています。その間賃金格差は上にも下にも拡大してきました。労働者と労働組合は取り戻す闘いが必要です。

 さらに連合は 「正社員は残業や転勤のリスクもある。そうした負担も考え合わせて賃金を払うべきだ」 (幹部) との立場です。労働分配率を小さくさせた責任の一旦は連合にもあります。何をかいわんやです。
 民主党が政権を取った時のマニュフェストに 「子供手当」 が盛り込まれていました。
 正規労働者は、会社から子どもの分の家族手当等を受け取りながら、さらに黙って子供手当も受け取ろうとしました。
 結局は、非正規労働者にとっては期待が大きかった 「子供手当」 はマニュフェスト通りに実行することはなりませんでした。
 あの時に連合を中心に 「子供手当を受け取るのだから家族手当分の原資を非正規労働者回せ」 という声を上げて運動を進めたら非正規との格差も多少は縮小されました。
 連合には人権感覚すらありません。


 現在進められている「同一賃金同一労働」の議論は、政府主導の参院選挙までのリップサービスで多少の是正で済まされる危険性もあります。
 これに対して、非正規労働者の実態を示して根本的解決を迫っていかなければなりません。今がチャンスです。


   「活動報告」 2016.2.2
   「活動報告」 2016.3.23
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「資生堂ショック」 を働き甲斐のある職場づくりに活かそう
2016/03/18(Fri)
 3月18日 (金)

 この1年ほど、「資生堂ショック」 が話題になっています。育児のために短時間勤務をする美容部員の働き方の新たな政策ですが、資生堂だけではない働き方・働かせ方の課題が含まれています。各地でシンポジウムなども開かれています。当初は賛否両論がありましたが最近は賛成の方が多くなっているようです。

 短時間勤務については、2009年の育児・介護休業法の改正で、101人以上を雇用する企業は10年から (100人以下の企業は12年から)、3歳未満の子供を育てる従業員に対して1日6時間に短縮した勤務を認めるよう、義務付けられました。

 「資生堂ショック」 に至る経緯です。
 資生堂では結婚して妊娠をすると離職する美容部員が多くいました。
 それを防ぐため、1990年には育児休業、1991年には育児時間制度を導入しました。2002年には育児休業者がインターネットを 通じて各種スキルを習得できる 「wiwiw」 システムの開発、2003年には事業所内保育施設 「カンガルーム 汐留」 を開設するなどさまざまな育児支援策を推進してきました。
 さらに2006年10月、両立支援制度を整え、短時間勤務分を代替要員で対応する 「カンガルースタッフ体制」 を導入しました。育児時間取得者と同じ店舗で働く美容部員の業務負荷を軽減するための、来店客数が増える夕刻時間帯に限定した新たな契約社員の採用です。
 その結果、2005年には全国で200人程度だった短時間勤務者は、2013年には約1200人 (15年4月現在。全体の12%) になりました。
 しかし、夕方、土・日曜日の勤務なしの短時間勤務者が増え、通常勤務の美容部員に大きな負担がかかり、職場に不公平感が生じました。夕方や土・日曜日は 「繁忙期」 です。また時短勤務では美容部員自身のステップアップにもつながりにくいという課題もありました。
 そこで、2013年に働き方改革を開始します。上司は美容部員と個別面談の機会を持ち、「育児しながらも活躍してキャリアアップしてほしい」 と遅番・土日勤務ありのシフト勤務への移行を提案しました。育児環境などの詳細をヒアリングし、どうしても育児協力者がいない場合は、ベビーシッター代の補助を出すなどの経済的な支援の施策も準備しました。
 その結果、約98%の美容部員が、遅番・土日勤務ありのシフト勤務に移行しました。

 さまざまな角度からの検討が必要です。
 労働者の立場からは、子育てのために退職しないで短時間勤務を継続できる制度は評価されることです。しかし短時間労働者の勤務は、子供を保育園などに預けることができる時間帯になってしまいます。そうすると短時間労働者以外の美容部員の勤務時間帯は、平日の夕方や土・日曜日に偏ってしまいます。手当等の問題ではなく不平等が発生しました。不満の声も上がるようになりました。
 一方、時短勤務の社員にとっても、繁忙期を経験できず、キャリア上の不利益につながりかねないとの懸念もあり、支援充実の 「副作用」 もみえてきました。
 店舗は接客業です。会社にとっては、「繁忙期」 の時間帯に経験豊かな美容部員に活躍してもらいたいという期待があります。売り上げにはかなり大きな影響があります。
 双方の要望を受け入れたのが 「資生堂ショック」 です。ワーク・ライフ・バランスの推進です。


 「働く母親に厳しすぎる」 などの批判がありました。この批判は育児は女性が行うものという性的役割分担に固執する男女共の労働者からのものだと思います。
 しかし短時間労働者が、家庭では家族との家事育児の分担をしない、家族の働き方は変えさせないで、その一方、会社では短時間労働者以外に勤務時間帯の偏りを生じさせるという他が犠牲になることを容認するのは差別です。“母親にやさしすぎる” 働き方は、家族を守るため長時間労働をこなさなければならない男性労働者にとっては厳しさを要求されます。
 その意識こそ会社に依存した働き方で、自己を失っています。自分の行っている労働の価値を低めています。そのような社会風土・会社風土を変えなければなりません。 

 資生堂のような問題は、他の業界でもずっと課題になっています。
 その解決策が、女性労働者は “寿退職” して子育てに専念するのが当たり前とする社風だったり、重要な業務にはつかせないなどでした。そして低賃金の押し付けです。女性労働者の差別・排除です。
 社会ではまだまだ育児は女性の役割にされています。そのため退職に至ったり、育児休暇の取得が圧倒的に女性に偏っています。性的役割分担は介護でも同じです。
 「資生堂ショック」 が資生堂だけでなく、仕事のありかた、お互いに働きやすい、やりがいのある職場づくりに発展し、同時に育児のあり方、男性労働者の働き方について考える機会になったとしたら画期的問題提起です。


 資生堂はもともと育児の支援制度が充実し、「働きやすい企業」 として定評がありました。
 セクシャルハラスメント問題やいじめ問題には先駆的に取り組んできました。それは、女性労働者が多いからなどという単純なことではなく、労働組合の職場改善運動、「働きがいのある職場づくり」 の挑戦によるものです。
 2012年2月3日の 「活動報告」 の再録と加筆です。

 2012年1月24日、独立行政法人 労働政策研究・研修機構 (JILPT) 主催の労働政策フォーラム 「経営資源としての労使コミュニケーション」 が開催されました。
 
 JILPTの呉学殊主任研究員が研究報告をしました。
 呉研究員は、昨年、長年の研究成果として 『労使関係のフロンティア―労働組合の羅針盤』 を出版しています。そこで取り上げているいくつかの労働組合と会社の取り組みを紹介しました
 そのなかに資生堂労組があります。「本」 の中のS労働組合です。
 1998年の春闘にむけて中央執行委員会で賃上げ要求を討論している時、1人の営業担当者が問題提起をします。営業本部から一方的に商品が届く 「押し込み販売」 で現場は悲鳴を上げている、この問題を何とかしてほしい、そのためなら賃上げはなくてもいいというものです。
 この問題提起を労働組合はきちんと受け止め、その後2年間の交渉を経て、頑なだった会社の姿勢を変えさせます。「組合が変える・組合も変わる」 のスローガンを掲げて闘いました。

 事例報告を、その資生堂労組 (上部団体なし、かつては地区労に加盟) 中央執行委員長の赤塚一さんが行いました。
 現在、労組員は11.800人で女性が80%です。8.000人が販売会社支部に所属しています。組織率は30%を割っています。中央本部と各支部の関係は縦割り組織ではありません。ブランドから、80%以上の社員が会社に愛着を持っていて誇りが高いという特徴があります。

 以前は国内シェアの50%以上を占めて店頭に商品を並べて置けば売れたのが90年に入り下降を始めます。会社上層部は 「まだ大丈夫」 と繰り返します。
 会社は3年計画を立てます。1年目は花火を上げます。2年目はどうもうまくいかないことを実感します。3年目は次の3年計画と重ねます。計画は空回りでした。
 会社の売り上げは、末端店舗の販売高ではなく店舗の仕入高で計算するので減少していません。

 1998年の中央執行委員会で賃金交渉の討論をしている時、営業担当者が発言します。「あなた方は現場で起きていることを知っていますか。『押し込み』 が行われています。店舗は在庫の山です。そのなかで 『奥さん仕入れてください』 と言わなければならない。これで会社に将来があるのか。この問題を会社にぶつけるなら賃金は上がらなくていい」
 他の委員が発言します。組合員 (現場) の悲痛な叫びが続きます。工場支部の委員は 「工場では売れていると思っていた」
 全体で会社の中で起きている大きな課題として捉えます。
 その結論として、ベースアップの要求をしないのではなく 「ベースアップゼロ」 の要求を出します。同時に起きている問題に対して 「しっかり会社は向き合ってくれ」 と要求します。ベアゼロの要求は2年続けます。
 しかし会社は簡単に要求を受け入れません。現状認識に対する労使のかい離があります。

 中央委員会は大変でした。ベアゼロに対しては 「御用組合、役員辞めろ」 「責任をとれるのか」 と軒並み言われたといいます。このようななかで2年が過ぎていきます。
 3年目を迎えて団交が開催されます。組合は不退転です。結果いかんでは存亡にかかわります。
 会社はまだ頑なです。
 出席者は組合員の思いを背負って交渉を続けます。
 1人の支部長が挙手をし、職場の組合員1人ひとりの要望書を集めて持ってきているので読み上げると立ち上がります。しかし声が詰まって一言も発せられません。しばらくすると後ろから 「よくわかった、よくやった」 と声がかかります。
 組合員はみな自分の会社をよくしたいという思いで訴え続けます。
 常に紳士的な姿勢の委員長が16回も 「まだわからないのか」 と机を叩いたといいます。
 このような組合員の思いに、出席していた会社役員が態度を変えます。「個人的だがみんなの思いはわかった。会社に力を貸してくれ」

 この 「涙の労使交渉」 を経て 「押し込み販売」 問題は改善されていきます。
 経営改革運動が始まります。
 経営改革達成に向けた組合の取り組みを始めます。これまで労使で毎月1回開催されていた経営協議会は業績報告と役員会の決定事項の垂れ流しだったのを実質的な協議の場に切り替えました。組合として経営チェックをします。
 会社の状況を支部を超えて理解しあうためにも労働組合は中央本部と各支部の関係を縦割り組織にはしていないといいます。


 働きやすさ、働き甲斐のある職場は与えられるものではなく労働者が勝ち取って作り上げるものです。


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どこに 「復興」 があるというのか? Ⅱ
2016/03/15(Tue)
 3月15日 (火)

 3月11日の石巻市は晴れて温かく、風はほとんどありません。
 午後2時46分、市内の日和山公園にいました。海と被災した街を見降ろせます。
 午後になると市役所の防災無線から 「2時46分には、市民の皆さんはサイレンを合図に1分間の黙とうをお願いします」 と何度か放送がありました。
 2時46分直前にも流れました。しかし時刻になってもサイレンは鳴りません。集まっていた人たちはそれぞれの時計で黙とうを始めました。そのため1分間ではなく5分くらい続いたように感じられました。その間、風の音もない静寂が支配しました。

 眼下の被災した一帯は約7000人が住んでいました。地震と1メートル近くの地盤沈下、そこに襲った津波、津波火災でたくさんの人たちが亡くなりました。
 盛り土工事が始まったばかりで、復興祈念公園が作られる予定です。そのためまだ慰霊碑がありません。被災者は、避難した日和山と、まだ残されている 「がんばろう 石巻」 の看板が建っている空き地に集まって追悼します。
 海岸線には防潮堤が築かれつつあります。山の上からは、ここまでは陸、この先は海という太い境界線のように見えます。住み分けです。
 山には近所の人たちだけでなく、工事関係の労働者が神社の山門を昇ってきたり、市内の会社から車で集まってきたりしています。近所の人たちは子連れも多いです。聞こえてくる会話では、小学生低学年だと記憶がありません。大人にいろいろな質問をし、「あんたも△△だったんだよ」 と説明を受けています。5年とはそのような年月です。

 昔は、ここに登ると “磯のかおり” がしました。魚や海藻の腐った匂いです。港に頻繁に船が出入りし、水産加工が盛んな頃は鼻をつくほどでした。カモメやカラスがうるさく飛びまわっていました。
 しかし震災直後はヘドロの匂いにかわりました。瓦礫は乾燥すると匂わなくなりました。瓦礫が片づけられると何の匂いもなくなりました。カモメやカラスも近づいてきません。
 最近はカモメやカラスが戻ってきています。水産加工は80%にまで戻っています。とはいっても工場を内陸に移転した会社も結構あります。

 山を下りて市街地を歩いていると、防災無線で市が主催している式典が中継されていました。「ふるさと」 の合唱がありました。
    こころざしを 果たして
    いつの日にか 帰らん ……
 嫌な歌詞です。どこに帰れるふるさと、家が残っているというのでしょうか。いまだ多くの被災者は夢を描けない現実の中にいます。

 復興祈念公園予定地で人が集まっているのが 「がんばろう 石巻」 の看板が建つ空き地です。工事でこれまでの道路はなくなったので、みな足元が悪い道を遠回りして向かいます。
 看板の近くで、京都に本社がある焼き栗屋さん 「焼ポン 京丹波」 の神戸支店の3人の社員の方が温かい焼き栗を袋に詰めて配っていました。阪神淡路大震災の時にお世話になったお礼ということです。その思いだけでも満腹になります。
 近くにプレハブ小屋が建てられ、ある大学が作成したというかつての街並みの模型が展示されていました。
 震災の時までこの街に住んでいたという高齢の女性の方が訪れていました。「私の家はこれ」 と指さしたのは、海岸線から数10メートルの距離でした。
「地震が来たので津波が来ると思って何も持たずに自転車で逃げたの。前を荷物をかかえて走っていた人がいたの。荷物捨てて逃げろと声をかけたら嫌だというの。だったら荷物を自転車で運んでやると言ったらそれも嫌だというの。振り向いたら真っ黒い高い壁のような津波が追っかけてきていたの。私はそのまま逃げたんだけど、走っていた人が心配だったの。でも避難所でその人と会うことができたの。よかったあ」
 空き地では、キャンドルで 「3.11」 と描く追悼イベントが予定されていました。
 この空き地も、工事の進捗状況で取り壊わされて埋められます。
 盛り土工事が進んでいないところは枯れた葦に覆われています。まもなく元の住民たちの屋敷跡が消されます。葦のなかで長時間たたずんでいる家族らしい人たちも見受けられました。

 門脇小学校の跡地近くにはお寺と墓地があります。
 震災直後は、1階の教室にふたが開いた骨壺や線香立てがいくつも転がっていました。墓石が無残に倒れていました。
 今、墓地は墓石を作り変えたもの、墓石の傷をそのまま残して立て直したもの、倒れたままのもの、新たに建てられたものがあります。墓誌には 「平成23年3月11日」 と新たに刻まれたものがたくさんあります。お参りする人たちが絶えません。

 旧市街地にも客は戻っていません。中心部に仮設商店街があります。この辺りも震災の時に水害にあいました。店舗の半分は空いていて引っ越しや営業終了を知らせる貼り紙が目立ちます。生活必需の店舗も並んでいますが人影はまばらです。住民が減っているのとボランティアも撤退が続いています。
 仮設店舗は2011年夏から各地で開設されました。5年間は無償貸与です。
 この商店街は、今年の10月で取り壊しになります。
 パン屋の方と話をしました。全国の方がたに支えられたからやってこられたと言って 「ありがとうございました」 とお礼を言われました。お世辞でなくそう思っているようです。10月以降はどうするのかと聞いたら、資金がないから移転できない、これ以上は頑張れないという答えが返ってきました。買い物をしての帰りしな、「電車の中で食べて」 といって自家製の商品を袋にいれてもらいました。心中を語れたことがうれしかったようです。

 海岸近くや旧市街地の住民は減っています。
 一方、そこから離れると新しい住宅がどんどん建っています。
 13年、14年に公示地価の上昇率が全国で一番高かった団地に行きました。
 震災前から山を切り崩して団地が造られていましたが不人気で中断されていました。しかし震災後はすぐに売り切れ、さらに周囲の山までどんどん切り崩されて景色は一変してしまいました。
 新たな問題が起き、また不人気になりました。インフラ整備が間に合いません。病院や商店がありません。最近やっとコンビニが開店しました。

 この団地から少し離れた仮設住宅に行きました。野球場が転用されています。
 当初は120戸が住んでいました。すぐ近くに20数戸の仮設住宅もあります。2カ所とも現在住んでいるのは半分くらいです。震災から5年が過ぎてもこの状況が続いていることをどう捉えたらいいでしょうか。
 入り口の土手に 「神戸メーデー実行委員会」 が作成したモニュメントが2基建っています。幅が15センチ、長さが2メートルの5枚の板が隙間をつくって3本の杭に打ち付けられ、ペンキが塗られてました。表には 「いってらっしゃい」 「お帰りなさい」 と一緒に絵が描いてあります。裏には、阪神淡路大震災の時に作られた 「しあわせ運べるように」 の歌詞の東北バージョンが書いてあります。
 風速計には3本の矢が張られています。「海まで10Km」 「神戸まで1000km」 「未来へ」 です。
 石巻市の仮設住宅は7年間の居住が可能になりました。

 震災住宅の完成と入居は緒に就いたばかりです。予定からは遅れに遅れています。入居には高い条件があります。
 知り合いの方はやっと入居するとことができました。「今度は広くなったので泊めることができるから、ゆっくり遊びに来て」


 10日に、仙台から仙石線で石巻に向かいました。仙石線は昨年3月末に路線を内陸に変更してやっと全線開通しました。
 途中の新 「野蒜駅」 で下車しました。旧駅舎は海岸線にありましたが地域全体が壊滅状態になってしまいました。震災の1年後、旧野蒜駅の改札口のすぐ前が数メートルの高さの瓦礫置き場でした。時間的、空間的に先が見えませんでした。
 集団移転計画が決定したのに合わせて新駅舎も山の上に作られました。しかし駅前は見渡す限り更地の状態で、工事が進められてはいますが建物1つありません。人影がありません。
 現在旧野蒜駅は改修されて震災遺構として保存されています。

 「野蒜駅」 は、かつての一時期は 「東北須磨駅」 と呼ばれていました。須磨は神戸市の地名からとられました。海水浴場として有名で神戸市民にとっては行楽地でした。
 野蒜の周辺は 「奥松島」 と呼ばれます。日本三景の1つの松島は、この辺からの眺めが最高だといわれます。そして海水浴場です。
 しかしここでも防潮堤の建築が進んでいます。防潮堤の外側が海水浴場になります。興ざめです。


 帰りの仙台駅構内で東北物産展が開かれていました。
 「十三浜の海藻はいかがですか」 の呼び込みに足を止めました。
 十三浜は、北上川の河口は2つありますが北側の河口の北側に位置します。津波が来るたびに被害を受けてきました。3.11でも大きな被害がありました。
 でも住み続けます。住みやすいからです。海流の影響で冬もそう寒くはありません。雪はあまり積もりません。
 山を背負っているため水はきれいです。海にはプランクトンが豊富です。このような自然環境のなかで、川では川魚が釣れます。海では海魚が獲れます。養殖も盛んです。3月は近海でわかめなどの海藻が獲れます。4月は田んぼの作業が始まります。5月は山菜取り。6月はシジミ採り。7月はキノコ採り。9月は稲刈り、米の収穫です。秋はいろんな木の実が実ります。一年中畑を耕します。
 自給自足で1年が過ごせます。

 13年7月26日の 「活動報告」 の再録です。
 震災からの復興に立ち上がっている海の女衆の話です。
 石巻市北上町十三浜大室は震災前から養殖ワカメと天然の岩のり、マツモ、フノリなど海藻類の宝庫でした。しかし震災は海岸を1メートル近く沈下させてしまい浜は狭くなってしましました。
「(早春は) 岩ノリなどに少し遅れて、ヒジキが開口になる。個人ではなく、集落の女 (おなご) 契約に開口され、女性たちが主になって採る共同作業。契約 (あるいは契約講) は、集落でつくられる相互互助の自治組織だ。
 ヒジキは集落で販売まで手掛けている人が買い取り、ゆでてあくを抜き、干して商品化する。女契約の収入は、集落と個人の双方を潤す。
 これまで最も印象に残っている漁業は1965年だという。
『ヒジキの売り上げが500万円以上になった。私は女契約の会計をしていた。当時、大室女契約の42人にそれぞれの名義で3万7000円だったかな。貯金口座を作った』
 地域の資源を生かし、合意の下で地域の経済を回していく。みんなで生きる女性たちの協同の力は震災を経ても健在だ。
『何年か時間はかかるだろうが、今まで付いていなかった岩に、新しく海藻が付くと思う』
 持ち前の明るさでカラッと笑う佐藤さん。浜の女衆はしなやかで、粘り強い。」 (『いしのまき浜物語』 三陸河北新報社)

 このような浜に防潮堤は必要でしょうか。命を救うといわれても生活が破壊されます。共存ではなく住み分けの方が被害は大きくなると主張する人たちもいます。“海で生業を立てている” 人たちと、“海の近くに住んでいた” 人たちとで意識に差が生じています。

 呼び込みは青年でした。浜の跡取りです。
 他のお客さんが商品を覗いています。呼び込みの青年に代わって十三浜の講釈を垂れて売り込みをしました。売れました。これもボランティアです。
 呼び込みの青年は 「全国のみなさんの支援でここまで来ることができました」 と言います。
 「いや」 と反論しました。「頑張る人がいるから応援するんです。被災者が頑張っている姿が見えるんです」


 3.11の報告は毎年同じ締めをします。
 東日本大震災では 『あすという日が』 が歌われ続けています。2番の歌詞です。

   あの道を 見つめて ごらん
   あの草を 見つめて ごらん
   ふまれても なおのびる 道の草
   ふまれた あとから 芽ぶいてる
   いま 生きて いること
   いっしょうけんめい 生きること
   なんて なんて すばらしい
   あすと いう日が くるかぎり
   自分を 信じて
   あすと いう日が くるかぎり
   自分を 信じて

  「ふまれても なおのびる 道の草」 の 「道の草」 を 「みちのく (道の奥=東北地方) さ」 と聞こえたという方がいました。「踏まれても なお伸びる みちのく (東北) さ」 です。


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60回目のビラまき
2016/03/12(Sat)
3月12日(土)

 よこはまシティユニオンは、東日本大震災が発生した2011年3月11日の翌月の11日から、毎月11日に街頭ビラまきをしています。ビラ作成は輪番で今回で60回目になります。
 今回のビラの見出しは 「東日本大震災から5年。私たちはそれぞれの思いを胸に、毎月11日に駅前でビラをまいています。私たちはこれからも声を上げ続けます!」 です。毎年3月のビラには執行委員1人ひとりから思いを寄せてもらいます。50字以内の要請ですが毎年少しづつ長くなってきます。
 それぞれの思いを紹介します。

【ふるさとを想う】 ①富岡町から見た夜ノ森の桜並木は、今年も律儀に満開になると思うと、人間のしたことの愚かさの尻払いはしなければと思います。②ビラを渡していると声を掛けられることがあります。自分は都会へ出て来たが親が福島に残っているとか。横浜にいてもふるさとを想い、いたたまれない気持ちを誰かに言いたかったのだと思いました。

【再稼働を許さない!】 被害者救援も遅々として進まない中、政府は再稼働に躍起になり、規制事実を積み重ねようとしている。許せることではない。石油が安くなっている今、電力料金のことは政府も電力会社もあまり言わなくなった。高止まりしたまま。今のうちに利益を膨らまそうとしているのか。

【伝えていく責任がある】 「未来志向」 とか 「復興」 とか言われなくても、いやでも月日は流れ、誰もが年を取っていく。だからこそ、きちんと覚えておかなければならないことがある。そしてそれを伝えていく責任がある。たった70年前のことですら「謝るのは終わりにしたい」などという安倍首相などには理解不可能なのかもしれないが、「誰がこんなものを・・・」 と何百年、何千年経ってから言われないように。

【フクシマを忘れない】 廃炉はおろか炉内の観察もできず、ロボットも失敗続き。汚染水は垂れ流し。高い被曝労働で労災も発生。福島から避難している人は10万人以上。ウランは人類が支配できる物質ではない。電気は足りているし、省エネ・自然エネルギー文化も切り開かれつつあります。原発をなくし、次世代に良い環境を渡していくことは人間としての義務です。ふくしまを忘れない!を合言葉にこれからも毎月訴えていきます。

【今も、いまだに】 今も仮設住宅に16万人が生活しています。復興住宅の完成率は40%です。いまだに東北は蝦夷地で、無視の対象です。沖縄への差別、韓国への排外主義と共通の政治が 「やまと」 によって続いています。周辺から 「やまと」 を攻める運動を!

【あの日、僕らはもう一つの道を歩き始めたはずなのに】 画家の貝原浩は、チェルノブイリ原発事故後、何回も風下の村ベラルーシを訪れ、人々の暮らしをスケッチした。原発事故で失われる暮らし。福島原発事故のずっと前から彼は警鐘を鳴らしていたのだ。今年も4月16日から練馬でチェルノブイリスケッチの原画展が開催される。

【封印すべし】 5年前の震災・原発事故をきっかけにして魑魅魍魎 (ちみもうりょう) どもが解き放たれ、公然と活動に動き出し、世の人々を苦しめ始めた。これらを全て封印し、再び世に出現できなくすべく、脱原発のエネルギー最先端のくにとして、憲法を守る平和な 「明るい未来」 のくにづくりのため、人々と共に手を取り合って頑張りたい。

【再稼働より復興が先でしょ】 ①使われた税金、支援金はどうなってるの? ②原発の安全は確保されてないのに再稼働、どーゆう事? 原発の放射能廃棄物、あなたの所に置かせてくださいと言われたらOKしますか? 反対するなら原発稼働反対しましょう!

【人間はウランを制御できない】 放射能物質に汚染された大地と海は、回復されることはない。核分裂するのはウランとプルトニウム。生み出される放射性物質は多種多様。原子核破壊による巨大なエネルギーを人類は制御できない。「戦争の放棄」 と同様に、「脱原発・核兵器廃絶」 は、人類共通の願いであり、次の世代に渡す財産だ。

【声を上げよう】 5年たった今も孤独死は止まらず、故郷を無くした人、苦しんでいる人がまだ一杯いることを知ってください。原発を再稼働するなんて、今の政治は国民のためではなく、自分達の利益のみに走っていませんか? 義援金はどう使われてきたの? 私たちにできることは何かありますか? 1人でも多くの疑問の声をあげましょう。

【たった5年で】 命の痛みを忘れ、原発の再稼働を許してしまっている。情けないです。

【負けない!】 ①未だに福島から避難されている人々の生活の先は見えない。②何事もなかったように帰郷させようとしている。③将来ある子供達の被曝問題は解決されていない。④放射能廃棄物の処理方法は無く、廃棄物は溜まる。⑤福島事故は収束していないのに、川内原発、高浜原発は再稼働した。原発なくても電機は足りていた、そう2年間も、そして海は元に戻りつつあったのに。「原発止めて、原発廃炉!」 このバトンを次の世代に渡したい。それを手に入れるまで負けない。

【電力の小売り自由化】 4月から電力会社を我々が選べます。5年経っても何の反省もなく原発を動かしたがる電力会社に、我々が、レッドカードを付きつけましょう!

【いのちの問題】 郡山で行われた集会で福島の高校生が言った。原発はいのちの問題。経済の問題ではない。あの時亡くなった尊いいのち、今も悲しみに耐えながら頑張っているいのち、そしてこれから生まれてくるいのち、どんないのちにも原発はいらない。再稼働より全て廃炉に!

【安倍政権に申す】 安倍政権は、多くの憲法学者が、違憲と判断した安保法制を強行しました。同じように、核の廃棄物の処理について何の策もなく、周囲住民の安全についても何の策もなく、原発の再稼働を強行しています。命を大事にしない安倍政権に、全ての心ある人とともに闘いを挑みます。

【川内、高浜原発が再稼働!】 事故が発生した時の安全は、本当に担保されているのだろうか。電力の自由化が始まったので、原発の電気を使わない会社を選ぼうと思っています。


 たまには、怒りではなく、喜びのビラをまきたいものです。


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