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民衆をなめんなよ
2016/02/26(Fri)
 2月26日 (金)

 日曜日の新聞は 「読書」 のページがあります。
 2月初め、藤野裕子著 『都市と暴動の民衆史 東京・1905年―1923年』 (有志舎) が紹介されました。
「1905年、日露戦争の講和条約に反対する集会をきっかけとして、日比谷焼打事件が起こった。この事件から18年の米騒動までの間、東京をはじめとする都市では民衆暴動が相次いだ。だが普通選挙運動が活発となる20年代になると秩序化が進み、表面的には暴動が観られなくなる。それはなぜかを解き明かそうとしたのが本書である」
 朝読んで、午後にかなり大きな本屋に購入に出かけました。書棚にありません。検索機で調べたら在庫はありますが既にすべて予約ということでした。すぐに入荷するだろうと頃を見計らって出かけたら出版社で売り切れ状態だといいます。その後にやっと手に入れることができました。

 安くない値段です (3,888円)。なぜそんなに売れるのでしょか。
 購入した人は、タイトルから100年前と、一昨年からの機密保護法案、安保法案反対闘争、そして辺野古基地建設反対闘争などの連続した盛り上がりとを重ねて、その要因と今後どうなるのだろうかと探ろうとしているのかなと勝手に思いました。
 闘争は収束していません。2月21日の 「『止めよう! 辺野古埋め立て』 国会包囲闘争」 は 「美 (ちゅ) ら海埋め立てるな」 のプラカードを掲げて2万8千人が国会を包囲しました。


 分厚い研究成果を簡単には紹介できません。さわりの部分だけ紹介します。
 日比谷焼打事件は講和条約に反対する国民大会の集会でおきます。
「国民大会は議会内にはほとんど基盤を持たない政治集団が、議会の外から政府を攻撃するのに有効な手段でもあった。講和問題同志会連合会は、屋外に群衆状態を作り出すことによって、参政権を持たない広汎な民衆にも政治的な価値を生まれること発見したのである」
 まさに現在の国会での多数派による暴走に対して、久しぶりに全国で展開されている大規模の集会は、このような位置にあったのではないでしょうか。

「民衆が日常から暴動へと飛躍する契機は、何よりも講和問題同志会連合会による屋外集会にあった。しかしながら、政治集団と暴れる民衆とは 『大正デモクラシー』 という概念で一括できるほど同質であったわけではなく、むしろ民衆の独自性こそが暴力の基盤となっていた。その独自性とは、従来の研究が重視してきた、構造的に作りだされた貧困状態というだけでもなかった。民衆は日露戦時の経験をもとに講和問題を独自に解釈し、行動しており、その論理は暴動のなかに色濃く表れていたといえる。なかでも、『露探』 (ロシアのスパイ) に見られるような、日露戦争期ならではの排除の論理は、民衆の暴力と密接につながるものとして極めて重要である。さらに民衆は一度成り立った暴力を用いて、事件前後から培われていた独自の講和反対の論理に基づいて行動を開始したほか、街路を占拠し、警察・協会に対する日常的な不満を表出するなどした」
「民衆が自らの論理だけで蜂起できたわけではない点で、日比谷焼打事件は民衆の自立的な行動とは言えない。しかしながら、民衆は政治的集団が用意した屋外集会の場において、権力関係の一瞬のゆらぎを衝き、警察機能を麻痺させるほどの突発的な力を発揮し、日常的には発揮できなかった種々の不満を表出させた。この点こそ日比谷焼打事件における民衆の能動性・独自性が存在したといえる」

 参加者の特徴です。
 日比谷焼打事件から米騒動までの13年間に、東京においては大小あわせて9件の暴動が起きました。
「生活水準の面では、日清・日露戦争期まで特に工場労働者・日雇い雑業層は賃金の格差がほとんどなく、都市の下層社会を形成していたが、日露戦争から第一次世界大戦期にかけて、工場労働者が所得のうえで抜きんでていったとされる。……
 このように都市暴動が頻発した時期は、職人・工場労働者・日雇い雑業層が一体化していた状態が崩れていくプロセスにあった。……
 とはいえ、各暴動における労働者階層の比率は常に一定であったわけではない。特に大正初年の二つの暴動 (大正政変暴動とシーメンス事件暴動) では学生の割合が急増しており、相対的に労働者の割合が下がっている。……確かなことは、この時期に暴動と学生との関係がそれ以前よりも緊密になったことである。……
 日比谷焼打事件においては東京市を本籍とするものが圧倒的に多い。……一方、一九一四年のシーメンス事件暴動においては東京市の割合が撃滅して、中部地方・関東他県・東北地方の割合が急増している。一九一八年の米騒動においても中部地方・関東他県、が高い割合を占めている。これは、第一次世界大戦期に、農村から大都市への若年男性の流入が劇的に増加したという東京全体の動向が反映していると考えられる」
 米騒動におけるこの状況は京都でも同じです。(15年1月23日の 「活動報告」) そのため政府は米騒動後の民心の動向を把握するため1920年から国勢調査を開始します。

 貧困層の増大と格差の拡大は現在と似ています。

 『本』 は、これまでの民衆史研究をさらに発展させました。これまでは、秩序立っていない運動を前近代的と捉えたり、立憲主義、議会主義に向かわない運動を民意が熟していないと捉えられた時もありました。民衆が研究者の都合に縛られていました。実際は、はみ出しも “後退” もあったのです。


 さて、この間の闘争の盛り上がりを過去の民衆の闘いと重ねて捉え返してみようという思考はやはり出てきているように思われます。
 昨年、劇団文学座は宮本研作で田中正造を取り上げた 『明治の柩』 を公演しました。招待券をもらったので観にいきました。
 また、この3月からは、15年10月20日の 「活動報告」 で紹介した、松下竜一の 『砦に拠る』 を原作にしたトム・プロジェクトの演劇 『砦』 が上演されます。
 55年末に九州地方建設局が熊本県と大分県にまたがる筑後川の水源近くにダムを建設することを決定して測量を開始したことに、地主の室原知幸の指導で住民が山に砦を作って立て抵抗を続けた蜂の巣城の闘いがテーマです。
 建設局は、1953年に起きた大洪水の被害を繰り返さないためと説明します。
 室原は反論します。「洪水は、戦争で山を荒らして手入れをしなかったからではないか」
 建設局の住民への説得です。「日本は戦争に負けた、それを思えばこれくらいの犠牲が何です」
 室原らは憤慨して立ち上がります。
 闘争は1964年まで続けられます。最後は室原1人になります。

 室原は1919年に東京の大学に入学します。その時にデモクラシー運動に参加していきます。後日、若い日には川上肇の 『貧乏物語』 に感動し、田中正造の捨身の行動に激しく曳かれたと洩らしていたといいます。
 また、55年の 「土地に杭は打たれても心に杭はうたれない」 と抵抗を続けた砂川闘争を知ったとき、「あげなように闘わにゃつまらんばい」 と農民に語り聞かせたといいます。


 2月21日の国会前で 「コザ暴動プロジェクト in 東京」 のチラシをもらいました。主催は明治大学島しょ文化研究所です。
 さまざまな取り組みが予定されていますので紹介します。
 ・〈コザ暴動〉 写真展
  2016年2月22日-29日 午前8時-午後9時 (入場無料)
  明治大学アカデミーコモン 1階ギャラリー
 ・シンポジウム
  2016年4月29日 12時-17時半 (資料代800円・学生400円)
  明治大学駿河台校舎グローバルフロント (1階) グローバルホール
  第一部 シンポジウム (コザ暴動)
   パネラー:国吉和夫・松村久美・倉吉信乃・比嘉豊光
  第二部 シンポジウム (コザ暴動から沖縄基地問題再考)
   パネラー:比屋根照夫・今郁義・金平茂紀・川端俊一
 ・前夜祭 「〈沖縄デー〉 沖縄が切り離された日」
  4月28日 18時-20時
  〈沖縄を語る若者の夕べ〉 (仮)・森口豁ドキュメンタリー 『かたき土を破りて』 上映予定
  明治大学駿河台校舎グローバルフロント (1階) グローバルフロント多目的室

 コザ暴動については、14年6月24日の 「活動報告」 を抜粋して再録します。

 3回目は腹話術師のいっこく堂です。1963年にコザ市 (現在の沖縄市) で生まれました。70年12月20日のコザ騒動の時は小学校1年生でした。夜兄に起こされて街頭に出て、基地のゲートに立つ米兵に住民と一緒に石や空き瓶を投げつけました。両親は嘉手納基地相手にサンドイッチ店を営んでいました。しかし騒動後、米兵は基地の外に出なくなったため客が激減し、負債をかかえて閉店に追い込まれたといいます。

 コザ騒動について、福木栓著 『沖縄のあしおと 1968年-72年』 (岩波書店) から実態を探ってみます。
 当時は、「本土復帰」 は確定していましたが沖縄の人々にとっては身体と命の安全を守ることさえおぼつかない状態に陥れられていました。
 具体的には米兵による強姦、れき殺、強盗、傷害などの凶悪犯罪が続発していました。なかでも9月18日夜に糸満市で、ビールを飲んで車を運転していた軍曹が歩いていた住民を跳ねて死亡させたにもかかわらず軍事裁判では無罪を言い渡されるということがありました。
 また基地からの毒ガス移送計画が発表されました。しかし沿道の住民に対して避難指示や安全対策は採られませんでした。
 状況としては 「うっ積した米軍と本土政府に対する不満、怒りが次第に広がり、かつての沖縄の諸闘争がそうであったように、突発的な爆発現象を見せることも十分考えられる情勢となりつつある」 (『世界』 1970年9月号) でした。

 このような中で、1970年12月20日午前1時半頃、コザ市で日本人の軍雇用員が道路を渡ろうとしたときに米軍兵士が運転する乗用車に跳ねられました。しかし兵士はMP (米軍憲兵) とコザ警察署員の取調べを受けましたが帰されました。それを目撃していた住民は 「また事故調査も処分もでたらめにするのだろう」 とMPを取り囲みます。群衆は次第に増えていきます。
 MPは仲間を集めて横丁に逃げこみましたが、群衆を追い散らそうとピストルを上に向けて数十発乱射しました。この頃には群衆は1000人に達していました。
 群衆はMPカーに火をつけます。そして2手に分かれ、一方は嘉手納基地第二ゲートにいたる 「ゲート通り」 で米軍車12台を焼き払い、ゲート脇の建物の一部を焼きながら投石でMPとガードを追い払ってサクのないゲートから基地内に300メートル進入します。さらに軍用車10台を焼き払い、米人米学校を3棟に放火して全焼させました。やっと体制を立て直したMP隊は、3時前に完全武装兵らが銃で威嚇しながら群衆をゲート外に追い出しました。このとき群衆19人が逮捕されます。
 もう一方は、群衆は2000人から3000人に膨れ上がり、米軍車を道路中央に引き出してまとめて倒して燃やしました。そして軍司令部の方向に進出し、出動した完全武装の米兵と対峙しました。群衆は歩道の石をはがして割って投げたり、ビンを投げました。

 群衆は、組織者や指揮者もいないなかで共通の意図で秩序ある実力行動を展開しました。「民家に被害を与えるな」、目標は 「米軍車だけ」 です。また黒人兵には手加減が加えられたといいます。
 7時頃に夜が明け始めると群衆は散り、見物人だけが残りました。しかし群衆と見物人、実行者と野次馬の心の距離はなかったといいます。反対派や阻止派もいませんでした。沿道の商店街からの略奪はゼロでした。
 地元紙は暴動ではなく 「騒動」 と表現しました。
 コザ騒動は沖縄の人たちの意識行動に地殻変動を起こしました。自信めいたものを与えたといいます。積極的に受け止めて抗議行動の意義をさらに発展させようと行動を開始しました。

 以前、「慰霊の日」 の6月23日を挟んで沖縄を訪れた時、沖縄市職労の人たちと交流しました。会場はまさにゲート近くのいわく付きの飲食店でした。騒擾前の常連客のほとんどは米軍関係者です。
 その時に聞いた話です。群衆は商店街から略奪をしませんでした。その逆で、その飲食店は群衆にビール瓶やコーラ瓶を “積極的に提供” したのだそうです。

 今あらためて捉え返しても共感します。

 辺野古基地建設反対運動が連日激しく闘われています。騒動が起きたら、責任は政府にあります。
 日本政府と米軍は民衆をなめんなよ! です。
 

   「活動報告」 2015.10.20
   「活動報告」 2015.1.23
   「活動報告」 2014.6.24
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今の 「会社人間」 はしがみつきとガマン
2016/02/23(Tue)
 2月23日(火)

 2月15日の 「アエラ」 は 〔大特集〕 「仕事に全人格を捧げ、私が壊れていく」 です。
 「仕事に全人格を捧げ」 る働き方は日本的働き方で、これまでも 「会社人間」 などと呼ばれてきました。

 この構造は、たどれば戦前の鐘紡などでは女工不足に際して引き抜きを防止するために福利制度を採り入れたりして、会社を家、社員を家族に見立てた集団作ろうとしたことが始まりのようです。“家族主義” と呼ばれました。
 戦後の労働組合の多くは、戦中の産業報国会の組織をそのまま踏襲して結成されました。
 その後、生活防衛闘争、民主化闘争、首切り反対闘争などが展開されました。しかし労使ともに抗争に疲弊が見えてくると少しずつ終身雇用、年功序列、企業内組合のいわゆる 「日本的経営」 が定着していきます。
 「日本的経営」 は国家に代わって福利厚生制度を充実させ、労働者はマイホーム建設などでローンを抱えると、特に終身雇用を期待して会社に “身も心も” 帰属させていきました。
 しかしオイルショック・高度経済成長が終了すると終身雇用は崩れ始めます。企業は、年功序列は維持しながらも職能資格制度を導入して労働者を分断します。労働組合は企業を防衛・維持するために生産性向上に “奮闘” していきます。また業績をあげて会社から認められて生き残ろうと “奮闘” する労働者があらわれます。その結果、労働現場の横の繋がりは崩れ、労働者の孤立化が進んでいきます。また業務の細分化が進みました。


 精神的体調不良者はいつの時代も発生します。しかし急増するときはポイントがあります。
 オイルショックは、労働者の異業種への配置転換、特に営業部門への異動が進められました。不得手な部門への異動のなかで 体調不良者が発生します。
 朝日新聞は第二次オイルショック後の1979年10月から12月に 「会社人間のカルテ」 を連載し、後に本にしました。
 サラリーマンの体調不良者が続出していたころの会社の状況がうかがえる箇所の抜粋です。
「『うつ病で来るサラリーマンには、はっきり共通のタイプがあります』 と、聖マリアンナ医大の長谷川和夫教授 (精神神経科)。患者には、管理職になりたてのエリート社員が多く、彼らに目立つのが 『協調性格』 だという。他人の意向、期待にいつでも自分を合わせようとする。上司や取引先のウケがいいから、出世が早い。それが、自分が部下を持つ立場になって、つまずく。
 『部下が思うように働いてくれない。つい自分で (仕事を) やってしまうのです』。疲れきって病院にくる “エリート” 患者たちに共通の嘆きである。実は、並み外れた 『強調人間』 である自分の基準で部下の仕事ぶりをはかってしまう。いわば、独り相撲でいらだっている場合が多い。
 『きのうまでの同僚や先輩がオニにみえる』 と、ある大手企業の若い課長が訴えた。」

 この後、支援と裁量がない、孤立した過重労働や長時間労働のなかで過労死・過労自殺が社会問題になっていきます。「会社人間」 にとっては拒否できません。
 バブル経済の崩壊は 「企業戦士」 を増やしました。社員同士の競争が激化し、仲間意識は崩壊します。いじめもはびこります。
 「失われた20年」 は規制緩和の中で労働法制の改悪は進みます。リストラが進みますが、解雇・離職した労働者は再就職に際しては以前の労働条件は期待できません。労働者は、会社への期待度は薄れていますが、しがみつきとガマンの意識に支配されます。学生にとっては就職氷河期が続きました。この世代は将来を明るく展望することはできません。
 リーマン・ショックは職場の人間関係を破壊させました。


  「会社人間」 は、今は退路のないしがみつきとガマンに変貌しています。しがみつきは自己中心となり、他者を排除しようとします。そしてその傾向はますます強くなっています。
 この状態が、記事には即していませんが、現在の 「仕事に全人格を捧げ、私が壊れていく」 の実態だと思われます。


 特集の中に3人の産業医の座談会 「裁量権がないまま24時間縛られる 産業医が見た 『うつ職場のリアル』 があります。
 産業医は職場の状況を1つの側面から見えます。発言を紹介しながら検討してみます。

 3人の活動状況です。1人は現在18社の産業医です。もう1人は外資系など30社です。
 労働安全衛生法では50人以上の企業では1人以上の産業医を選任しなければなりません。18社ということは、1社に対して1か月1回訪れます。1日に2社訪れるとしたら2回です。産業医は精神科医だけではなく、精神科医も1人だけということではないとしてもちゃんと役割を果たせているのでしょうか。形式的なものでしかないようです。

 85年に男女雇用機会均等法ができた頃から女性のストレス疾患がすごく増えたといいます。
 均等法は女性労働者も 「企業戦士」 にしました。
 08年、09年頃から企業のメンタルヘルス部分の相談はガラッと変わったといいます。リーマン・ショック後、社内のコミュニケーションが減り、妙に孤独感、不安感が強い人が増え、若い人や正社員でも将来が不安でいます。社内であいさつがない、居心地が悪い、足を引っ張られるんじゃないかとびくびくしているといいます。
 コンピュータでの孤立労働のなかで、仮面をかぶって、不安の中で、周りの顔色をうかがいながら仕事をしているといいます。40、50代でメンタル不調になる人は、もういわゆるうつ病、適応障害ではなくて、なんで生きているのかみたいな不安を持っている人が多いといいます。

 役職が下の者は上の顔色を見ます。特に男性の場合は給料が下がると自分の価値が下がったと感じて落ち込みの原因になることもあるといいます。
 期待値と現実とのギャップが発生した時はメンタルが崩れやすいです。これは以前から言われています。しかし他者からの評価でしか自分を確認することができないというのは、やはり 「会社人間」 です。もっと自立した自己を取り戻すことが必要です。

 下の地位の労働者まで、裁量権がないままスマホやラップトップを持たされ、ただずっと縛られています。どこの会社でも、全部上司の許可が必要になっています。

 メンタル失調の原因は複合要因になっています。親の介護や離婚問題。そのあたりの中間管理職は要注意です。40代は、相談する人もいないし、弱みも見せられません。
 産業医に対して、男性は、この頭痛はいつからどんな頻度で起きているという事象は雄弁に語ります。でも 「なぜこの頭痛が起きていると思うか」 というような話はしない傾向があるといいます。
 これは産業医に対してだからかもしれません。産業医は会社側と捉えると業務への不満や批判は危険と判断します。
 自殺率は男性の方が高いですが、自殺するまで誰にも言えないのもあるといいます。
 女性は、管理職も相談に来ます。最初は部下や同僚の話をしに来て、何回か会っているうちに、自分の話がワーッと出るといいます。それで2、3回泣いてすっきりして帰るといいます。
 女性には120%病がよくあります。男性の100に対して120しないと認めてもらえないから120で頑張って過剰反応になるといいます。

 以前は、メンタル不調になる職場は、長時間労働で、身体的にも負担が大きい企業でした。今はコミュニケーションが複雑になって、孤立してしまうような職場が増えているといいます。
 以前は、上司は家族のように面倒を見る代わりに、ズケズケ本人に対して言いました。今は基本的には成果で見て、本人の人格には介入しません。パワハラを気にして、結局、起きた事例だけを注意します。本人はいつまで経ってもコミュニケーションのフォームがかわりません。
 労働者にとって、会社との関係は成果だけになってしまっています。職場から人格が消えました。その結果、企業にとっては教育や職場環境改善への取り組みがないなかでは、労働者にとっては自分自身を発見できずに成長する機会が奪われています。
 コミュニケーションのあり方の問題はそれぞれの職場でもう一度検討されなければならない課題です。


 労働者にとっては働けることは喜びです。労働者にモチベーションがある場合、サポートできるのが会社であり産業医だと捉えています。産業医という立場は、人事の手先か、従業員の味方かと、白か黒かでよく聞かれるといいます。両面からものを考えなくてはならない医療職であることは確かだと捉えています。
 法律では中立ですが、中立だと企業の利益も考えろと言われてクビになるといいます。3番目の道を探しますが、それは対話の道だといいます。

 産業医から主治医への批判です。
 本人と労働をつなげる役割が産業医だといいます。
 しかし主治医は時間がないので3分診療も結構あります。薬だけで終わりとか、診断書も本人の言うとおり書いてしまっているといいます。復帰できないのに、本人の希望で復帰可と書いてあったりするといいます。

 産業医から企業への要望 (願望? 不満?) です。
 従業員は企業にとって非常に重要なリリース。働く人がうまく仕事ができ、気持ちよく生きる手助けができれば、絶対に企業の利益になります。産業医がうまく機能して、両方の利益になれることを期待しています。
 より気持ちよく働いてもらって、企業の収益を上げるにはどうすればいいか、そういう視点を企業側には持ってもらいたいといいます。
 

 「会社人間」 は労使関係だけではなく労働安全衛生の問題を派生させています。しかし 〔特集〕 には、どこにも労働組合が登場しません。
 労働者は客観的状況が見えなくなっているなかで、その支配構造からの脱出は至難の技です。まず抜け出そうとする意識に至るまでが大変です。
 昔はよかったとノスタルジアに浸っていても解決しません。
 脱出のためには、会社から意識を自立させることが必要です。そのためには、難しく考えないで、仲間づくりをしてお互いの存在を認め合う交流のなかから自己の捉えなおしをすることがとがスタートになります。酒飲み仲間も大切です。そのなかから人間関係の再構築による人間性の解放感の存在を実感できます。
 そこまでできたらみんなで解放感の獲得のために次を検討します。


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欧州は解雇を社会で捉える
2016/02/19(Fri)
 2月19日 (金)

 今、厚労省は 「解雇自由法制」 の検討会を開催しています (1月26日の 「活動報告」 参照)。検討会では、欧州諸国は不当解雇の補償金を定めているので、事例を参考に導入の是非を含めて議論するといいます。
 日本は、憲法の第27条で 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」 と謳われています。義務を果たしている労働者に法律で解雇を了承させようとしていますが、では政府と使用者は労働者にどのように権利を保障しようするのでしょうか。「解雇自由法制」 は労働者団体等が危惧するように使用者に解雇の 「権利」 を付与するものではないでしょうか。


 欧州諸国の雇用契約・解雇ルールはどうなっているのでしょうか。それぞれの国の社会的状況に基づいています。
 労働政策研究・研修機構は、9か国について調査し、「報告書」 『解雇及び個別労働関係の紛争調整についての各国比較』 を発表しています。それぞれの国について長論文ですので、その中の 「概要」 等をさらに縮めて紹介します。
 「報告書」 を検討するに際しては、日本との違いを確認しておく必要があります。
 大きな違いは、日本では社会全体で人権が保障されていません。また差別が “許容” されています。そのような問題が入り混じった嫌がらせやいじめという手法でまず間接解雇が行われ、その後で解雇問題が発生している事例が多くあります。紛争がこじれると表面化に至りますが、そうすると解決もまた困難になります。
 欧州には人権問題や差別がないということではありませんが、日本で起きているような事態はそれぞれ大きな社会問題となります。日本とは土壌が違います。
 また、日本では企業は雇用問題に社会的責任を果たしません。労働者を解雇・離職させたら一件落着です。
 欧州では、失業、生活保障は社会保障の負担を増大させると捉えます。そのため解雇・離職の抑制は企業だけでなく社会的リスク管理の課題・責務と捉えます。
 つまりは、解雇は日本では1企業の問題ですが、欧州では共同社会の問題です。
 そのようなことを踏まえた時、「報告書」 はそれぞれの国において最終的には金銭的解決に至るケースが多いと捉えられますが、それは安易な方法でそうしているわけではなく、現実的解決方法として労使合意で選択されているということを見ておく必要があります。
 条文が独り歩きしているわけではありませんので条文だけを真似をすることはできません。


 各国に共通する主な事項についてです。
 第一に、アメリカを除いて、解雇に正当な理由が必要とされています。第二に、9か国すべての国において、性、年齢、障害等による差別的な解雇など、法律上 一定の範囲の解雇が禁止されています。第三に、個別的労働関係について、一般の私法上の紛争を扱う裁判所とは異なる機関・部 門が設けられ、特別の手続による紛争処理が行われています。
 解雇の正当な理由については、定め方は国により異なりますが実定法上にその根拠規定があります。イギリスでは 「公正 (fair)」、ドイツでは 「社会的に正当」 (sozialer Rechtfertigungsgründe)、フランスでは 「現実かつ重大な事由 (cause réelle etsérieuse)」 などです。
 さらに、具体的な要件を定めている国があります。例えば、イギリスにおいては、「公正な解雇」 とは、①仕事に必要な能力又は資格、②労働者の行為、③労働者が余剰人員であること、④法律上の義務・制限により職 務継続が不可能である場合、⑤その他の解雇を正当づける実質的な理由がある場合のいずれかである旨が定められています。ドイツなどでは正当理由についての定義があります。フランスなどでは、経済的理由による解雇に限り、正当理由の定義や要件が定められています。
 基本的には、①労働者の規律違反行為、②労働者の能力不足・不適格、③企業の経営上の理由の三類型があります。また、イギリスなど、正当な解雇の定義・要件をより詳細に定める国であっても、その規 定には抽象性一般性が残っており、その規定だけで解雇の正当性の有無が判定できるような仕組にはなっていません。


 イギリスについてです。
 不公正解雇に対する雇用審判所の救済措置としては、制度上、原職復帰、再雇用、補償金の支払が定められている。しかし、実際には、補償金の支払が命じられるケースが多い。補償金の額は、勤続年数及び賃金額から算定される基本的な金額に過去及び将来の損失の補てん分やその他の付加的な金額が加えられた額である。また、最高額の定めもなされている。しかしこの最高額には例外もあり、実際に最高額を上回る審判が行われるケースもある。差別的解雇の場合の補償金の額には、最高額の定めはない。不公正解雇、差別的解雇のいずれの場合も、労使双方の様々な事情が参酌されるので、補償金の額には大きなばらつきがある。
 個別的労働紛争の解決には、司法機関である雇用審判所だけでなく、行政機関であるACASが大きな役割を果たしている。ACASには個別的労働紛争のあっせん制度が設けられ、専門のあっせん員が簡易な方法を用いて紛争の解決が行なわれている。
 また、企業内での紛争解決も重視されており、2002年雇用法において、企業内の紛争解決手続が定められている。企業はこの規定やACASの行為準則に準拠して手続を定め、労働者に示す必要がある。また、実際に解雇を行う場合には、自身が定めた手続に従う必要が ある。使用者がこの手続を遵守していない場合は、雇用審判所において不公正解雇とされ たり、補償金の金額が増額されたりする。
 近年の動きとして、紛争処理の迅速効率化のために行政機関や企業内の紛争解決を促進 するための制度改正が行われている。その一環として、2014年からは雇用審判所の訴えの前にACASへあっせん申請をすることが義務化された。
 整理解雇に関しては、使用者が講ずべき措置についてさまざまな義務付けがなされている。まず、使用者が人員整理をする際には剰員整理手当を支払わなければならない。法律ではその下限額が定められている。また、整理解雇の際には労使協議や行政機関への届出が義務づけられている。労使協議では、使用者は解雇の回避、解雇者数の削減、解雇による影響の軽減について協議しなければならず、剰員整理手当額についても協議される。
 不公正解雇や差別解雇などについて雇用審判所に訴訟を提起する権利は、法律において、 当事者が契約等によって放棄することができない旨定められている。したがって、私的仲裁はイギリスでは行われていない。

5 不公正解雇 (unfair dismissal)
(1) 不公正解雇に関する制度は、1996年雇用権利法に移され、現在も同法が 根拠法となっている。
(2) 1996年雇用権利法は、不公正 (unfairly) に解雇されないことを労働者の権利として定める。同法は、解雇が公正か否かは、解雇に同法が列挙する理由その他正当な理由があるかどうかで判断されるとする。また、解雇の手続も重視されており、適正な手続を実施しないで行った解雇は不公正解雇となりうるほか、法定の 「解雇及び職場紀律」 を使用者が遵守しない場合、雇用審判所は補償金の額を増額できる。
 不公正解雇に関する訴えは、雇用審判所に行う必要がある。出訴期間は短く解雇3か月以内である。雇用審判所が不公正解雇と認めた場合の救済方法としては法律上、原職復帰、再雇用、補償金の支払が定められている。
(3) 1996年雇用権利法は、労働者の様々な権利について定めているが、その一つとして 「労働者は、使用者によって不公正に解雇されない権利を有する」 と定めている。

(4) 不公正解雇の対象となる解雇には、雇用契約の打切り、すなわち一般的な意味での解雇のほか次の場合も含まれる。①有期契約の更新拒絶 (2年以上雇用されている場合) 解雇予告期間中に労働者が辞職した場合、③みなし解雇
 みなし解雇 (constructive dismissal) とは、コモンロー上労働者が雇用契約を即時解約できるケースにおいて、労働者が雇用契約を解約 (すなわち、辞職) することを指す。
 労働者が即時解約できる場合とは、具体的には、①賃金の引下げ、②降格、③いじめ・いやがらせ (ハラスメント) の放置、④差別、⑤労働負荷を不公正に高めた場合、⑥十分な時間的余裕 なく勤務場所を変更すること、⑦危険な労働をさせている場合などである。このような事項 を理由として労働者が離職した場合、不公正解雇制度上の 「解雇」 とみなされる。

(5) 解雇の公正か不公正かは、使用者の示した解雇理由 (理由が複数ある場合は主となる理由) が次のいずれかに該当するか否かで判断される。①仕事に必要な能力又は資格、②労働者の行為、③労働者の退職、④労働者が余剰人員であること、⑤法律上の義務又は制限により職務継続が不可能である場合 (例えば、自動車の運転 手の運転免許が失効した場合)、⑥その他の解雇を正当づける実質的な理由がある場合。
 このう ち、「能力」 とは、労働者のスキル、才能、健康その他の身体的・精神的な程度により 評価される能力と、「資格」 とは学位、免許その他教育上の又は専門的、職業的な資格を指すと定められている。
 解雇に上記の正当理由があるか否かについて、1996年雇用権利法は 「様々な事情 (企業の規模や経営資源の状況を含む。) を勘案し、解雇に際しての使用者の措置が合理的 (reasonably) かどうかによって定まる」 としている。その際には、衡平性の原理 (equity) や労働者の実体的利益の有無についても考慮される。
(6) 手続の公正性も、解雇の公正性判断の重要な要素であるが、それは解雇が公正であるための独立した必要要件とはされていない。雇用審判所では、実体的な解雇理由の合理性と解 雇手続の公正を総合的にみて判断をしている。


 「労働政策研究報告書No.172」 の 「ドイツにおける解雇の金銭解決制度 ―その法的構造と実態に関する調査研究」 です。
1.ドイツにおいては、労働関係存続保護の法思想のもと、解雇制限法により、社会的に不当な解雇は、無効となるのが原則となっている (解雇無効原則)。但し、解雇制限法は、同時に金銭補償による労働関係の終了を可能とする制度も整備している。それが、解消判決制度 (同法9条・10条) および解雇制限法1a条である。

4.ドイツにおいては解消判決制度および解雇制限法1a条が整備されてはいるものの、いずれも現実社会において利用されることは稀となっている。しかし他方、ドイツにおいて、社会的に正当な理由無く解雇された労働者が、原則通り、解雇無効を主張し、元の職場へ復帰できているかといえば、実はこれも極めて稀な現象であって、むしろドイツの解雇紛争は、現在でも、その大多数が裁判上の和解によって処理されている。

5.すなわち、ドイツでは、労働裁判所制度および弁護士保険制度の存在によって、訴訟を提起すること自体のハードルがそもそも高くない。そして、解雇制限訴訟については労働裁判所法61a条によって、訴えの提起から2週間以内に和解手続を行うべきことが定められているため (和解弁論)、解雇紛争の多くは、労働契約関係自体は解消しつつ、使用者が労働者に対して補償金を支払うことを内容とする和解によって終了している。また、そこでの補償金額については、法律等に明記されているわけではないが、実務上の算定式が存在しており、それによれば、当該労働者の勤続年数×月給額×0.5という算定式を用いることが、実務上既に確立しており、これをベースとしたうえで、各事案ごとの諸事情を考慮しつつ、最終的な補償金額が算定されることとなっている。
 そして、裁判上の和解がかくも高い解決率を実現できているのは、ⅰ) 解雇無効原則自体が、労使双方にとって、その実情と合致しないルールであること、およびⅱ) そこで用いられている補償金算定式は、解雇制限法が示す被解雇労働者の要保護性の指標 (勤続年数および年齢) と合致したものであることが、その背景にあるように思われる。その点では、ドイツにおける解雇をめぐる 「法の世界」 と 「事実の世界」 は乖離してはいるものの、法の世界には、事実の世界における解雇紛争処理の安定性を下支えしている側面があることが指摘できる。

6.なお、以上に加え、ドイツにおいては従業員代表機関である事業所委員会が存在しており、かつ常時21人以上を雇用している事業所において、事業所閉鎖や合併、会社分割等の事業所変更により、一定規模以上の人員削減が予定される場合には、当該事業所委員会には、使用者と、当該解雇によって生じる経済的不利益を補償・緩和するために、「社会計画」 を策定することについての共同決定権が生ずる。
 かかる社会計画の内容については、法律上の定めはないが、被解雇労働者に対する金銭補償が定められるのが通常であり、実務上、多くの社会計画においては、年齢×勤続年数×月給額を一定の係数で除するという算定式が用いられている。そして、策定された社会計画は、事業所協定としての効力を有し、関係労働者に対して直接に適用されるため、当該労働者は社会計画に基づき算定された補償金の請求権を、使用者に対して取得することとなる。かかる社会計画制度の特徴は、事業所変更に伴う解雇が有効であるか否かに関わらず、労働者が金銭補償を得ることができる制度であるという点にある。
 なお、上記の事業所委員会の共同決定権は、同意権としての性質を有するため、使用者と事業所委員会との間での合意が成立しない場合であっても、仲裁委員会が裁定という形で社会計画の策定について判断を行うため、社会計画自体は、その要件が充足されている以上は必ず策定される。
 但し、上記の通り、社会計画制度は、あくまで事業所委員会の存在を前提としている。しかし、現在のドイツにおける事業所委員会の設置率は年々 (緩やかにではあるが) 低下傾向にあることからすれば、それに伴って、社会計画が策定される事例も減少傾向にあることが推察される。


 「労働政策研究報告書No.173」 の 「フランスにおける解雇にかかる法システムの現状」 です。
 フランスにおいては、法制度上、濫用的解雇 (不当解雇) については原則として不当解雇補償金 (indemnite de rupture abusive) 等の賠償金の支払いにより救済を行うこととしている。その上で、一定の場合に、解雇無効、およびそれに伴う復職を認めることとしている。
1.フランスの解雇法制の第1の特徴として、禁止される解雇 (licenciement prohibe) と、不当解雇 (濫用的解雇:licenciement abusive) を区分している点が挙げられる。すなわち、保護されるべき労働者 (被保護労働者)、あるいは個人の自由および労働者の基本権の侵害にかかる解雇については、これを禁止し、補償金の支払いという不当解雇に対する救済とは別に、復職の選択の可能性を制度上設けている。もっとも、こうした禁止される解雇についても、結局のところ補償金の支払いによる解決が選択されているケースが多いようである。その意味において、フランスにおける労働契約の終了 (解雇) をめぐる紛争については、禁止される解雇および不当解雇という2つの類型を設け、救済についても区別するという法形式上の建前とは必ずしも合致せず、大半は補償金の支払いを中心とした、金銭の支払いによる解決がメインになっていることが窺える。

2.フランスの解雇法制の第2の特徴として、解雇手続について一般的な規制を法定化していることを挙げられる。そして、このような手続きを法定化した趣旨は、第一に、熟慮期間を設定し、(使用者に) 解雇が真に必要であるかどうかを考えさせる (解雇を思いとどまらせる) こと、および第二に、当該解雇をめぐって将来生じうる訴訟に備えるためのプロセスであるとされるもっとも、こうした趣旨については、実態としては、もっぱら後者の側面が機能しているのが実情であり、第一の、「熟慮期間」 による紛争の未然予防という機能は、十分には機能していないのが実情のようである。すなわち、フランスにおける企業内の法定解雇手続は、実質的には、解雇の対象とされた労働者が、労働裁判所等で当該解雇について争うか否かを判断し、あるいはその準備を行うための手続きであって、他方において、労働裁判所における手続きをスムーズに進めるための、事実関係および争点についての確認および整理を行うためのプロセスとなっているのが実情ということができよう。もっとも、こうした法定の解雇手続が、紛争の予防という観点から、何らの機能も果たしていないというわけではなく、こうした制度が整えられていることによって、少なくとも機会主義的な解雇を予防するという間接的な機能が存在していることも、併せて指摘できる。

3.フランスの解雇法制に関する第3特徴として、不当解雇 (現実かつ重大な事由を欠く解雇) に対する制裁 (効果) について、これを解雇の無効とせず、不当解雇補償金等の金銭の支払いを基本としている点が挙げられる。
 その解決の実態について、法律上は、原則として賃金6ヶ月分の相当額を最低ラインとして定めているが、実際の解決額は、さまざまな上乗せがなされることによって12ヶ月~18ヶ月分相当額となっている。その上乗せがなされる要素としては、当該労働者の年齢および勤続年数を中心とした、再就職までに要する期間をベースとして考えられ、これに、解雇に到る経緯、とりわけ、その過程における使用者の落ち度が考慮されている。
 また、この法律上の救済方法が金銭の支払いと定められていることが、かえって紛争の長期化をもたらしている可能性がある。すなわち、フランスにおいては解雇にかぎらず労働に係る紛争は、基本的に労働裁判所において解決が図られることになるが、義務的に前置されている調停手続では和解率が極めて低く、10%程度に留まっている。また審判まで進み、判決まで言い渡された場合であっても、これに対し控訴がなされ、さらに、最高裁にあたる破毀院まで進むケースもしばしば存在するなど、全体に紛争が長期化する傾向にある。

4.フランスの経済的理由による解雇については、実体的要件については人的解雇と共通の要件を設定しつつ、手続的要件、とりわけ集団的経済的解雇について詳細な手続きを加重している点が、フランスにおける法制度上の特徴である。もっとも、労働裁判所における経済的解雇に関する事件数は、全体の事件数のわずか1.4%と非常に少ない。その理由は必ずしも明らかではないが、集団的手続が詳細に定められ、労使交渉のプロセスがきっちりととられている結果として、解雇がなされた後の紛争については抑制されているという可能性も指摘できよう。

5.2008年法によって法定化された労働契約の合意解約に関しては、前提として、失業手当の受給資格という極めて実務的な要請が、その重要な背景として存在している点を、まず指摘しておく必要がある。その点を踏まえた上で、全体としては、法定合意解約制度は成功との評価を得ている。他方で、とりわけ、使用者のイニシアチブによる合意解約の実現については、そのプロセスにおける労使の対等性の確保という点で、なおも課題が残されている。


 それぞれ底流に流れている前提が違っています。

  
   『解雇及び個別労働関係の紛争調整についての各国比較』  
   「活動報告」 2016.1.26
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ゆとりがない体制は大きな無駄を発生させる
2016/02/16(Tue)
 2月16日 (火)

 1月8日、トヨタ自動車の下請会社で特殊鋼部品を製造する愛知製鋼知多工場で爆発事故が発生しました。神戸製鉄所など他社に代替生産を依頼しましたが、今度は輸送が大雪などで遅れて部品不足に陥ってしまいました。その影響で2月8日から13日まで、トヨタの車両を組み立てる愛知県内の直営4工場の他、トヨタ車体やトヨタ自動車東日本など、グループ5社の11工場で一斉に操業を停止しました。また、日野自動車の1工場もトヨタから受託した分の生産を停止しました。
 グループの主要部品メーカーも、これに合わせてトヨタ向けの生産ラインを止めるなど、影響が広がりました。さらに影響が出てくるのが2万社といわれる下請け、関連会社です。末端は出来高払いの請負もあります。
 愛知製鋼の生産再開は3月末といわれています。生産の遅れは10万台に及ぶといいます。

 なぜ、このような事態になったのでしょうか。
 トヨタというと 「トヨタ生産方式」 があげられます。その1つが “ジャスト・イン・タイム” で部品の在庫を持たないで下請・孫請会社に必要な分ずつ発注します。(2011年6月3日の 「活動報告」 参照) 在庫を増やすとコストがかさみ、部品の不具合が生じた時に原因を突き止めにくいからと説明されています。ですから倉庫は最小限です。
 そのかわり下請・孫請・関連会社は部品の発注が来たら即対応できるように常時体制を整えておきますが、ここもジャスト・イン・タイムです。
 しかしジャスト・イン・タイムは緊急事態を想定していません。本社の操業が止まったら下請・孫請会社も製造を止めなければならないのです。製造を続けてストックし、後で調整するということができないのです。
 ジャスト・イン・タイムは “高速道路が倉庫” といわれています。ゆとりがない体制は大きな無駄を発生させます。今回の休業はそのことを見事に証明しました。つけが回ってきましたがそのつけはどこに回されるのでしょうか。

 製造が止まった時の下請・孫請等の労働者の賃金保障はどうなるのでしょうか。休業を強いたのだから当然補償をすべきです。
しかし、今回は分かりませんが、そもそも親会社の下請会社等の位置づけは経費削減・リスク管理のためです。
 では実際問題として下請等の方から補償の要求ができるでしょうか。したならばトヨタグループから排斥されるのが目に見えています。親会社と子会社等では最後は親会社だけが生き延びる恐ろしいシステムが構築されています。

 2月8日の朝日新聞デジタルに 「トヨタ全工場操業停止、静かな朝 愛知製鋼の爆発事故で」 の見出し記事が載りまいた。写真と 「操業を停止したトヨタ元町工場前のバス停。ふだんなら混雑する道路もすいていた=8日朝」 の状況説明があります。
 記事です。
「工場周辺はいつもより静かな朝を迎えた。……いつもなら混雑する工場前の通りを、車が次々と通りすぎていった。出勤した従業員は 『道がすいていたので、珍しくスムーズに出勤できた』 と話した。」
 トヨタの城下町での一コマです。街も社会もトヨタにすべてが支配、管理されている日常に突然静寂な非日常が訪れました。支配する者のもろさを見せられました。
 今回の事態が企業にとっての危機管理の見直しだけでなく、労働者や関連会社にとって城下町支配体制を捉え直すきっかけになることを期待したいと思います。


 もう1つ 「トヨタ生産方式」 を支えているのがQC (Quality Control) サークル運動です。
 トヨタでは1961年から導入されました。当初は自分たちの作業場が抱える問題を解決するための改善案の提案をする小集団活動でした。
「オイル・ショック以後、フレキシブル・マニュフェクチャリング・システムの構築が課題となるに及んで、小集団活動も、生産現場中心のものから事務、営業、管理の部門に広げられたばかりでなく、下請け・関連企業をも巻き込んだ企業グループ全体としての活動となっていったことである。さらにまた、活動の推進の仕方においても、経営方針を各部門・階層の具体的目標にブレーク・ダウンし、その現実のプロセスをラインの管理者によって管理するいわゆる方針管理がTQC (全社的品質管理) の軸にすえられるようになったが、これにともない小集団活動も方針管理としてTQCの一環に組み込まれることとなった。この結果、小集団活動は全社会的品質管理の一環としての色彩をいっそう濃くすることにいたったが、その半面、トップ・ダウン的な方針管理のための活動という性格が強まり、相応の成果をあげることが期待されるようになった
 これに関連していま一つ注意しておかねばならないのは、QCサークルの導入当初は品質管理にかかわるテーマが多かったが、オイル・ショック以降、工数低減、コスト・ダウンなどのテーマが増えてきたということである。」 (兵藤釗著 『労働の戦後史』 下 東京大学出版会 1997年刊)

 小集団活動は、当初は 「自主的」 なもので、時間外手当の対象外でしたが、徐々に会社の経営政策に取り込まれていきました。
改善提案は人員の “ゆとり” を生み出すはずです。しかし労働者にとっては労働時間の短縮ではなく人員削減に至ります。なぜならトヨタ生産方式の究極目的はコスト低減だからです。
 作業場での改善活動によってもたらされた作業者の削減は、逆に “ゆとり” を奪いました。


 15年9月12日の河北新報に、今回操業を停止したグループ会社のトヨタ東日本の記事が載りました。「<トヨタ東日本> 期間従業員100人正社員へ」 の見出しです。
「トヨタ自動車東日本 (宮城県大衡村) は11日、期間従業員の正社員登用枠を昨年度の約10倍に拡大し、約100人を採用すると発表した。アクアや新型シエンタの生産が好調なためで、期間従業員も新たに約80人募集する。
 アクアを生産している岩手工場 (岩手県金ケ崎町) で登用枠を拡大する。1年以上連続して勤務している期間従業員が対象で、10月1日に約50人、来年4月に約50人を正社員とする。期間従業員についても10月以降、岩手工場で約50人、エンジンなどを生産する宮城大和工場で約30人を新規募集する。……
 トヨタ東日本は 『今回の正社員登用と期間従業員の新規募集により、生産体制のさらなる強化を図っていきたい』 (総務部) と説明する。」
 「同一賃金同一労働」 が先取りされています。トヨタは真剣に労働者のことを考えているのでしょうか。そうではなく、募集しても人員が集まらないという深刻な事情が全国にあります。
 

 15年1月27日、トヨタ自動車は、全社員約6万8000人のうち生産現場で働く約4万人の労働者の賃金体系を見直すと発表しました。新制度は16年1月から開始です。15年2月3日の 「活動報告」 を部分的に再録します。

 具体的には、これまでの職能資格ごとに決まっていた賃金体系を技能やチームワークでの能力評価を重視する方向で見直します。中高年の年功部分の賃金カーブを今より緩やかな形に見直し、それを元手に役割や能力給の配分を増やして業務への貢献が賃金に反映されやすくします。能力給部分に年2回の査定を導入し、30歳前後以降は上司の査定結果に応じて賃金が変動する部分を拡大します。能力ややる気によって賃金に差をつけるといいます。配偶者手当はすべて子ども手当に振り替えることも検討されています。
 加えて、工場の現場監督であるグループリーダーとそれを統括するチームリーダーの肩書について、1997年に廃止された 「組長」 「工長」 の肩書に再変更して若手を率いる責任感を意識付けるといいます。組長、工長には職位手当を導入することで、人材育成への意識づけを強化する狙いもあります。「組織を統率し人材育成を進める責任者である 『長』 であること今まで以上に意識し、メンバーにも認識して頂くため」 と説明しています。
 目的は、少子高齢化による人手不足が顕在化するなか、若手を引き付ける柔軟な制度で対応し、若手の働きに報いかつ、高齢者のやる気を引き出し、生産現場の競争力向上を狙うといいます。総人件費は増えるが、優秀な若手や熟練労働者を確保することで中長期的競争力強化につなげたいといいます。
 団塊世代の大量退職による技術力の低下を防ぐため、「スキルド・パートナー」 と呼ばれる60歳定年後の再雇用制度も見直します。現在の再雇用制度では60歳の定年後65歳まで賃金が半減しました。今後は作業レベルや指導力など技能伝承に向けて極めて高い能力を持つ 「余人を持って代えがたいような卓越した技能を有する人材」 の優秀な人材は囲み込み、処遇を変えずに65歳まで再雇用し、若手の指導や高度な技術の伝承が円滑に継承できるようにします。しかし一定の評価基準に到達しないと評価されると従来の制度が継承されます。

 労働組合との交渉は15年9月9日までに合意に達しました。

 人事制度が変更される時、会社は常に若手からの要望や働きに報る、能力に応じた処遇をあげます。しかしその裏返しは中高年者の処遇の低下です。同時に労働者の個別管理・評価で競争を扇動、“年齢を無視した” 能力発揮の要求をしてきます。そして最近は連帯責任です。結果は中高年者の排除・退職勧奨を誘導します。
 トヨタの人事制度改革は、若年労働者不足を中高年労働者で補完しようとするものですが中高年労働者も選別されます。60歳間際になっても競争が煽られ、「会社人間 」としての忠誠が試され、再雇用になっても処遇に差が付けられます。いうならば、これまでの若年非正規労働者を雇用調整弁にしてきましたが今後は再雇用労働者を対象にするということです。
 このような会社は、労働者にとっては働きにくいです。


 トヨタの人事制度をホンダと比べてみます。
 ホンダは、昨年11月30日、。国内の労働者約4万人を対象に定年を現行の60歳から65歳に延長することで労働組合の執行部と基本合意したと発表しました。、2016年度中の導入を目指しています。自動車業界では初めてです。
 これまでは60歳以降の再雇用制度はありましたが、給与は定年直前の50%でした。
 新制度では、労働者は60歳から65歳の間で定年時期を自分で決め、延長後の給与は定年直前の約80%になります。家族手当は、これまでの扶養手当に代わり、18歳以下の子どもと介護認定を受けた家族1人当たり月2万円の育児・介護手当が支給されます。
 18歳以上の働いていない家族への扶養手当廃止の導入はほかでも進んでいます。

 トヨタは 「高齢者雇用安定法」 を形式的にだけ適用していますが、企業の社会的責任は果たしていません。とても 「世界のトヨタ」 とは呼べません。


 現在の安倍政権にとって、自動車は原子力発電と並ぶ外貨稼ぎのための輸出産業です。
 2月14日の朝日新聞1面に 「企業の政策減税 倍増 安倍政権で1.2兆円 62%巨大企業」 の見出し記事が載りました。政策減税とは、国の政策目的などに沿って法人税などに特例を設ける 「租税特別措置」 の一部で、特定の業界や地域が対象になるものが多くあります。民主党政権が税制改正を決めた12年度と比べると2.3倍の1兆2千億円にのぼります。消費税の約0.4%に相当します。そのうちの約6割が資本金100億円以上の企業です。
 減税額が最も多いのが企業の研究開発投資に応じて税金を控除する 「研究開発減税」 ですが、適用が多かった上位5社は、トヨタ (減税額1.083億円)、日産自動車 (213億円)、ホンダ (210億円)、JR東海 (192億円)、キャノン (157億円)です。
 政府と大企業のもたれ合いです。このようなことを抜きにして消費税増税の議論が進んでいます。

 今回のトヨタの事態をいろいろな人と話をしてみると、「地上から自動車が10万台減たっていいよ。遅れを取り戻さなくてもいい。車は過剰」、「トヨタはもうけ過ぎているのだから何の影響もないよ」 というような声だけが聞こえてきて関心は強くありません。
 同時に下請等への影響についても話が及びませんでした。
 これが現在の社会状況なのでしょうか。

 社会では予想以上に車社会・自動車離れの意識が進んでいるようです。そして政府への期待度離れも進んでいます。
 諦めの意識が納得いかないに変わったとき、社会を変える力に転化します。


   「活動報告」 2015.2.3
   「活動報告」 2011.6.3
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東日本大震災の2次被害を減らすために
2016/02/10(Wed)
 2月10日 (水)

 2月11日で、東日本大震災から4年と11カ月を迎えます。5年は大きな節目なのでしょう。新聞等ではすでに特集が組まれています。
 テレビで、南三陸町で被災者した漁民の方が今の自分の決意を 「あ」 から始まる5つの言葉で書いていました。
  「あきらめない。
   あせらない。
   あてにしない。
      ……」
 「あてにしない」 に被災者の5年間の思いが収縮されているように思われました。

 東日本大震災は、地震が起き、津波が押し寄せ、津波火災が発生し、福島では福島原発が爆発し、放射能が広範囲に放出と連続しました。これらは1次被害です。津波火災までは天災ですが福島原発の爆発、放射能放出は人災です。

 震災から間もなく5年になります。何が変わったでしょうか。
 瓦礫とヘドロで覆われた被災地は更地になり、盛り土されて街が出来上がりつつあります。住民が少しずつ戻ってきてはいます。今この段階です。ここまで来るのに、本当に5年も必要だったのでしょうか。
 被災地は政府からの2次被害に遭遇しています。政府の政策は 「棄民」 です。住民は自力での復興を強いられてきました。それが 「あてにしない」 の決意にさせています。


 被災地ではずっと 「心のケア」 が言われ続けています。しかし救援者、公務従事者や学校関係者などの 「心のケア」 は問題にされません。彼らが1次被害者であってもです。ここでも2次被害が発生しています。
「救援者の受けるストレスは、大きく3種類に分類される。生活条件が十分確保されない中で生じる 『基礎的 (生活) ストレス』、災害現場の劣悪な環境下で長時間活動することで発生する 『累積的ストレス』、生命を脅かされるような出来事・状況からくる 『危険的ストレス』 である。
 また、救援者は、トラウマ的体験をした人に深く共感しようとすることによって過覚醒などを生じる 『二次的外傷性ストレス』 を受ける可能性が示唆されている。さらに、災害救援者が惨事の現場で経験する本来の適応能力では対処しきれないストレスは 『惨事ストレス』 と呼ばれている。惨事ストレスは災害救援者の心身に影響を及ぼし、急性ストレス反応や急性ストレス障害および外傷後ストレス障害 (PTSD) を含む様々な症状を引き起こす」 (論文 『東日本大震災の災害支援活動に派遣された保健師の心身の健康に関する調査』 『心身健康科学』 9巻1号 2013年収録)
 「本来の適応能力では対処しきれない惨事ストレス」 は、「心身の不調は災害という異常な事態への正常な反応」 です。
 すでに教訓を共有して活かしたり、後世に伝える取り組みを進めている組織があります。一方、体調不良に陥る者が大勢発生してもいまだ個人的問題としか捉えない組織もあります。そのため実態が隠されています。対策に大きなバラつきがあります。

 進んでいる取り組みを紹介します。
 昨年2月、講談社ビーシーは 『東日本大震災 警察官救援記録 あなたへ。』 を刊行しました。全国から救援に入った警察官の手記が集められています。体験談の中に沢山の教訓が含まれています。
「与えられた任務は、ご遺体の清浄、所持品確認、検視補助などです。
 地元ということもあり、仕事のやりづらさを感じつつも与えられた任務をこなしている状況でした。
 そして、一番恐れていたことが現実として私の目の前に現れたのです。
 いつもどおりご遺体を清浄場へと運び、泥など落としていると、見たことがある顔だと気づき、よくよく見ていると高校時代の友人でした。
 石巻に派遣された時点で、知人が亡くなっていたら検視することになるだろうと覚悟を決めていたつもりでしたが、いざ目の前にすると頭が真っ白になってしまいました。……
 しばらくすると私の異変に気づき、他県から来た応援部隊の人に声を掛けられ、事情を説明しました。
 これでこの場から離れ、違うご遺体の検視にまわれると思いましたが、その人から思いがけない言葉を投げかけられました。
『だったらなおさら、綺麗にして遺族に返してあげないといけないね。君がやるべき仕事だよ』
 この言葉は私の胸にぐさっと突きささりました。どんな事情があろうとも警察官は与えられた任務を果たさなければならないと気づかされたのです。私は、友人を両親のもとに綺麗にして返すため、再び清浄を始めました。
 検視を終え、棺に入れて遺族対策班へ引き渡そうといていたら、ご遺族がすでに来ていました。
 ご遺族に引き渡すことになりました。事情を説明し、ご両親に顔を確認してもらうと、その場で泣き崩れ叫ぶご両親。私は何もできず、ただ立っているしかありませんでした。
 しかしご両親が最後に私に言ってきたのは、思いがけない感謝の言葉でした。
『泥だらけだった息子を綺麗にしてくれてありがとう。君のことは知っているよ。息子も友人に綺麗にしてもらって喜んでいると思う。本当にありがとう』
 感謝の言葉を言われ、初めてこの任務は自分が警察官だったからこそできたと感じました。
 確かに友人を検視したときは、戸惑いを隠せませんでした。しかしそこでこそその業務を投げ出していたらご両親から感謝されることはありませんでした。」 (宮城県警 巡査 26歳)

「仮安置所の中での活動のなか、今でも忘れられない光景がある。ご遺体を包んだひとつのビニールシートをはぐと、若い女性が赤ちゃんを左手に抱きかかえて亡くなっていた。それは、母親が我が子を守るように、また、安らかに添い寝するようにも見えた。発見した人が赤ちゃんを引き離さずにそのままシートに包んだという気持ちも理解できた。かわいそうだったが、まず母親と赤ちゃんを引き離して赤ちゃんから検視を行った。赤ちゃんの服を脱がすと体は泥まみれで、目や鼻まで泥が詰まっており、その泥を丁寧に拭き取っていった。それを見た者全員が大きな衝撃を受けた。
 隊員が赤ちゃんを丁寧に拭いているなか、隊長 (検視官) から、
『なにもたもたしよるんだ、早よせんか!』
という檄が飛んだ。隊員は、はっと我に返り作業を進めた。私はこのとき、「隊長はこの状況を見て何も思わないのか、冷たいな」 と心の中で思った。
 しかし、その日のミーティングで、私たちは隊長の言葉の裏にあった本当の気持ちを聞いた。
『誰しも、犠牲者に対して可哀想という気持ちはある。特に小さい子供に対しては強いだろう。しかし、我々は悲しむべき主体ではない。本当につらいのは被害者と残されたご遺族であり、我々の仕事は一刻も早く検視を行ない、ご遺族にご遺体を返すこと。あまりにも感情移入しすぎると我々の気持ちも続かない。だからわざとみんなに活を入れて作業に集中させた』
 私はこの隊長の言葉で、自分自身がずっと胸に抱えていたものが吹っ切れた気がした。残されたご遺族のために今私たちがすべきことは、一刻も早くご遺族にご遺体を返せるように検視に全力を尽くすことだけ。(愛媛県警 警務係長 警部補 41歳)」


 昨年9月10日から11日にかけて襲った台風で茨城県や栃木県では大きな被害がでました。近隣の自治体を中心に支援部隊が駆けつけました。
 9月15日、消防庁消防・救急課は関係都県消防防災主管課に 「平成27年台風第18号による大雨等に係る救助活動等に従事した消防職団員の惨事ストレス対策について」 の 「事務連絡」 を出しました。
「……場合によっては、今後、活動にあたった消防職団員の惨事ストレスが危惧されるところですので、各消防本部等におかれましては、今回の災害において現場活動に従事した消防職団員の身体的・精神的ケアについて、十分留意していただくようお願いいたします。
 惨事ストレスに関する資料及び消防庁緊急時メンタルサポートチームに関する資料を添付しますので、参考にしていただければと存じます。
 また、消防庁緊急時メンタルサポートチームに関する相談・要請等がある場合には、下記までご連絡ください。」
 そしてA4で11ページの 「惨事ストレスに関する参考資料」 が添付され、まず惨事ストレスの説明があります。
「人間は何らかの外的要因により引退と同様に心にもさまざまな傷を負うことがあります。この心身に不快をもたらす要因をストレッサーと呼び、それが非常に強い場合には、心的な交渉を残すことがあり、これを心的外傷 (トラウマ) と呼びます。……
 消防職員などの災害救援者は、凄惨な災害現場活動に従事することで、被災者と同様の強い精神的ショックを強いられる他、職業的責任により忌避できない立場や身の危険が脅かされることがあるなど、一般の被害者とは異なる心理的影響を受けます。こうした状況下での心理的負荷を 『惨事ストレス』 (CIS) と呼んでいます。」
 そして、管理職の役割や個人診断のための 「惨事ストレスによるPTSD予防チェックリスト」 も含まれています。さらに具体的症状と対策をわかりやすく解説しています。

 「事務連絡」 の効果は大きいです。
 トップがこのような連絡を出すということは、トップは隊員の体調を心配している、体調不良を隠したり、我慢して無理をするなというメッセージです。そうすると隊員は組織を信頼し、安心して任務を遂行することができます。これは災害支援や危険な状況での対応では特に大切なことです。
 惨事ストレスは誰にでも起こり得る・ 「心身の不調は災害という異常な事態への正常な反応」 、誰にでも起こり得ることと明言しています。自分のわがままで他の隊員に迷惑をかけるのは申し訳ないという意識に陥ることを防ぎます。早期対応ができます。逆に無理をして重傷に陥る隊員が続出することが組織にとっては最大のリスクで、他の隊員にも不安が生まれてしまいます。
 組織が心身を大切に守れと呼びかけ、隊全体にそのような雰囲気が浸透するとゆとりが生まれ、周囲の隊員たちへの気遣い、気配りも可能になります。お互いに体調を守り合うことになっていきます。


 災害の被害はなくすことはできませんが、対策をとることで減らすことはできます。体験、教訓をもっと共有化し、対策に活かしていかなければなりません。まだまだ取り組みが遅れています。
 くり返しますが惨事ストレスの 「心身の不調は災害という異常な事態への正常な反応」 です。
 2次被害を大きくしての1次被害の復興は復興とは呼べません。

   「活動報告」 2015.9.11
   「活動報告」 2014.12.19
   「心のケア」
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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