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部落差別解消の取り組みが、あらゆる差別解消に向かうことを期待
2016/01/29(Fri)
 1月29日 (金)

 1月15日付の毎日新聞によると、自民党は二階俊博総務会長の呼びかけを受けて部落差別の法規制の検討を始めたといいます。
 昨年11月16日には東京で、和歌山県内の自治体、国会議員らで構成する実行委員会主催で 「人権課題解決に向けた和歌山県集会」 と銘打った 「人権フォーラム」 が開催され約400人が参加しました。来賓席には漆原良夫・公明党中央幹事会会長、小川敏夫・民主党参院幹事長、組坂繁之・部落解放同盟中央本部委員長らが並んだということでは単に地方自治体主催や自民党の集会ではありません。
 実行委員長の二階氏はあいさつで、法規制について 「結婚、就職問題で現に苦しんでおられる人が存在するのであれば、もう済んだ、終わったとか無責任な言葉で解決できる問題ではないと思っている」 と語り、そのうえで 「和歌山県では粘り強く取り組んでいることを全国の皆さんにお伝えし、皆さんのお力、協力を得ながら人権問題を名誉ある形で解決できるよう進んでいきたい」 と決意を語ったといいます。
 小川氏は 「次の国会にはすべての会派が一致して差別にかかわることは許されないと法律で宣言するよう努力している」 と語りました。
 組坂委員長は 「インターネット上には、匿名をいいことに差別用語が氾濫している。戸籍の不正入手は8割が結婚差別に利用されている。土地差別調査も依然として行われている」 と述べ、運動団体の立場から法的規制に強い期待感を示したといいます。

 実行委員会としては 「企業・団体等による部落差別撤廃のための法律」 の制定を求め、主な規制の対象を 「企業・団体」 に置いているようです。その骨格は1985年10月に大阪府が制定した部落差別を規制する初の条例 「部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」 をモデルにした法案が想定されています。この条例は当初、「興信所・探偵業者」 の差別調査を規制の対象にしていましたが、不動産取引の際にも差別的な土地調査が横行していることから一部改正され、土地調査を行う企業・団体にも対象を広げています。罰則規定もあり、営業停止などのほか、府の命令に従わず差別にあたる調査をした場合などには 「懲役3月以下、罰金10万円以下」 となっています。
 フォーラムで採択された決議文では 「一部週刊誌による部落差別を助長する報道や、インターネット上への部落地名総鑑の掲載」 なども厳しく断じています。


 法務省人権擁護局によると、被差別部落問題に関する差別事件は11年137件、12年110件、13年85件、14年117件。これに対し、さまざまな事案を含めたインターネットを通じた人権侵犯事件は11年636件、12年671件、13年957件、14年1429件と急増しています。

 14年9月18日付の香川県で発刊されている四国新聞に 「結婚差別6割強 『見聞き』 /同和問題県政世論調査」 の見出し記事が載りました。
 県政世論調査は、無作為に抽出した20歳以上の県民3千人を対象に毎年実施しています。14年度は6、7月に行い、1.522人から回答を得ました (有効回答率50.7%)。
 調査結果では、同和問題に関して、見聞きしたことのある差別 (3つまで選択) として最も多かったのは 「結婚問題での周囲の反対」 62.0%。次いで 「差別的な言動」 38.0%、「身元調査の実施」 が37.4%、「土地差別調査の実施」 が19.4%などです。「(差別が) 特に起きているとは思わない」 は9.6%でした。
 同和問題の存在については、全体の90.5%が 「知っている」 と回答。問題を知ったきっかけは 「家族から聞いた」 (36.9%) と 「学校の授業」 (26.9%) が目立ちました。
 問題を解決するために必要なことを尋ねた質問 (複数回答) では、「人権全般にわたって意識を高める」 (60.8%) や 「家庭で子どもに差別しないように教える」 (40.6%) などが挙がった一方、「どのようにしても差別はなくならない」 を選んだ回答者が21.1%に上りました。
 県人権・同和政策課は 「県民の意識が従来とあまり変わっていないと言わざるを得ない。差別のない社会へ、引き続き粘り強い啓発を行う」 といいます。

 1996年7月に 「県部落差別事象の発生の防止に関する条例」 が施行され、結婚や就職時の差別につながる調査は同条例で明確に禁じられています。自治体や県民、事業者は特定の個人や親族について、差別につながる調査を自ら行ったり、業者などに依頼したり、依頼を受けたりしてはならない、違反した場合、知事は指導・助言を行うほか、勧告に従わない事業者名を公表できるとなっています。
 しかしこれまで県条例の施行以来、違反行為に対する指導・勧告といった 「発動事例」 は1件もないといいます。条例は無視され、現実には差別を助長する調査が “許容” される風潮が残っているといえます。条例があっても積極的な啓発や取り組みがなければ改善、解決の方向も見えてきません。


 15年12月25日の朝日新聞デジタルに 「愛知・隠れた部落差別、今も ふるさとの料理出したら離れた客」 の見出し記事が載りました。
 部落解放同盟愛知県連合会 (吉田勝夫委員長) は15年に結成40年を迎えました。国や自治体に働きかけて、住環境などの改善や啓発を進めてきました。差別の実態は見えにくくなりましたが 「様々な日常の場面で差別は残っている」 と解放同盟県連幹部は話します。
 名古屋市で居酒屋を経営する山本義治さん (38) は15年6月、生まれ育った地域で親しんできた料理をメニューとして紹介しました。とたんに離れた客がいました。ふるさとは被差別部落とされた地域です。
 「またか。まだ差別は残っているんだな」 と感じたといいます。「出身地を恥じることはない」 という信念に基づく行動だったから、メニューはそのままで 「スタイルは変えない」 と言います。「生身の人間を見て、つきあってほしい」
 県西部の男性 (40) は、小・中学生の娘2人には自分が結婚した時の体験を、まだ伝えられていません。
 20代の頃、妻にプロポーズした際 「できないかもしれないよ」 と出身地を告白されました。自分の両親には 「親族の結婚の妨げになる」 と認められず、家を出ました。披露宴に男性の両親や親族の姿はありませんでした。
 「結婚したい人と一緒になれたことが一番幸せ」 と結婚は後悔していないが、娘たちには 「いつか言わなきゃとは思う。だけど、娘の友だちやその親の反応が怖い」。
 同和対策事業特別措置法に基づき、1969年に環境改善が必要な地区に指定された県内のある地域では80~90年代、約4割が共同住宅に建て替えられました。1棟で2世帯用の共同住宅が軒を連ねます。消防車も入れない狭い道は一部残るが、主な道は広げられました。
 しかしこの地区に隣接する他の地区の路線価は2.5倍も上回ります。付近の不動産会社は 「まず購入する人がいない。価格の差より価値は低い」 と明かします。
 07年には、被差別部落として地名などを掲載したホームページ 「B地区にようこそ!in愛知県」 の作成者が名誉毀損 (きそん) の疑いで逮捕される事件が起きました。インターネット上には今も、差別的な書き込みが絶えない。解放同盟では、書き込みを見つけるたびに削除依頼などの対応を続けています。

 人権に関する県民の意識調査の結果があります。「住宅を選ぶ際、同和地区にある物件を避けることはありますか」 の問いに、「同和地区や同和地区と同じ小学校区にある物件は避ける」 21.9%、「同和地区にある物件は避けるが、同和地区と同じ小学校区にある物件は避けない」 13.6%、「いずれにあってもこだわらない」 29.7%、「わからない」 30.2%です。
 住宅を選ぶ際には、被差別部落がある物件が避けられている事実があります。
 部落差別は歴然として存在します。


 2002年3月8日、第1次小泉内閣は 「人権擁護法案」 を提出しました。
 法律の目的は、第1条で 「人権の侵害により発生し、又は発生するおそれのある被害の適正かつ迅速な救済又はその実効的な予防並びに人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発に関する措置を講ずることにより、人権の擁護に関する施策を総合的に推進し、もって、人権が尊重される社会の実現に寄与すること。」 とあります。
 第2条1項は、「何人も、他人に対し、次に掲げる行為その他の人権侵害をしてはならない。」 として、人権侵害等の禁止を定め、「人権侵害」 とは、「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。」 と定めています。

 第3条1項は人権侵害にあたるものを掲げています。そこには
「3.事業主としての立場において労働者の採用又は労働条件その他労働関係に関する事項について人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」
も含まれていました。労働関係についての解決手段としては独自に 「労働関係特別人権侵害等に関する特例」 が設けられました。
「雇用主による不当な差別的取扱い、職場における不当な差別的言動等の人権侵害 (労働関係特別人権侵害) については厚生労働大臣が、また、船舶関係の事業主による不当な差別的取扱い、職場における不当な差別的言動等の人権侵害 (船員労働関係特別人権侵害) については国土交通大臣が、一般調査、調停、勧告等の措置を講ずることができる」。
「労働関係特別人権侵害及び船員労働関係特別人権侵害に関する特例は、現業職員の勤務条件に関する事項を除き、公務員に関して適用除外とする」。
 労使関係、職場環境などでの差別が法律で禁止され、問題が発生した場合の解決方法まで盛り込まれていました。解決方法については法案が成立したら具体的に検討されます。
 しかし、国会では審議まで進んでいましたが、2003年10月の衆議院解散によって廃案となってしまいました。
 この法案が成立して職場における人権尊重の取り組みが進められていたら差別やいじめ問題への取り組み状況も変わっていたと思われます。
 成立しなかった状況も踏まえ、厚生労働省が2012年3月15日に発表した 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 (「提言」) のなかに人権や差別の問題は盛り込まれていません。

 「人権擁護法案」 は外国籍の者にも選挙権を与えることになるなどの理由で反対運動も起こりました。
 さらに報道機関は、法案では取材・報道において人権侵害があると判断されたら出頭要求・立入検査などの特別調査を定める特別救済手続の対象となっていることに 「表現・言論の自由」、取材・報道の自由が脅かされるという理由で反対しました。
 果たして人権と 「表現・言論の自由」 は相反することなのでしょうか。一方が一方の犠牲にならなければならないのでしょうか。
しかしどちらも擁護するという議論には至りませんでした。議論のテーブルが狭すぎます。
 「人権擁護法案」 が成立していたら、現在のヘイトスピーチへの対応も違っていたと思われます。ヘイトスピーチを繰り返す者たちが 「表現・言論の自由」 を守れと叫ぶのを聞くと 「人権擁護法案」 の議論の不充分さ、不足を痛感します。

 もう1つ人権問題に積極的でないというよりは様々な横やりを入れる集団がいます。
 水平社結成以来、部落差別の解消のためにたたかって来た部落解放同盟は1960年代後半から、権力からだけでなく妨害、攻撃を受けてきました。あたかも差別問題は民主主義の貫徹の中で解消が可能だというような主張をするその集団は、部落解放同盟に暴力集団というキャンペーンを展開しました。その結果、他の人権問題を提起することも困難な状況が作り出されました。
 その集団は2004年に 「社会問題としての部落差別は解消した」 と主張するに至りました。
 

 日本では、人権、差別問題を訴えることは本当に困難を極めています。差別禁止は名誉棄損、脅迫、暴行に至った場合にそれを取り締まる法律が適用されます。そこまで至らない被害者の精神的苦痛は問題にされません。
「努力を積み重ねたいという気持ちが突然に打ち砕かれたとき、人生がいかなるものになり変わるか、たとえアメリカの白人に共感する心と、広い心があったにしても、決してわからないでしょう。努力への動機を失い、私たちは日々恐ろしい影に覆われて暮らしていますが、多くの黒人の若者を破壊しているのは、この動機の欠如によります。そして世界中を振りかえってみても、肌の色のみが原因で起こる抑圧や迫害が、合衆国の首府において見られるほど、憎悪に満ち、おぞましいかたちで露呈している場所はないでしょう。(アメリカで全米黒人女性組織の創立者の1人であるメアリー・チャーチ・テレルの1906年の演説 『アメリカの黒人演説集』 荒このみ編訳 岩波文庫)

 部落差別解消にむけた新たな取り組みが、部落差別問題だけでなく人権が尊重され、新たな共存・共生の社会が創り出される契機となることを期待したいものです。


   「活動報告」 2012.11.20
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「解雇自由法制」 は労働者の生活を破壊し、労使関係を解体させる
2016/01/26(Tue)
 1月26日 (火)

 15年3月、政府の規制改革会議は、裁判で不当と認められた解雇について 「金銭解決の選択肢を労働者に明示的に付与し、選択肢の多様化を検討すべきだ」 という意見書を提出しました。解雇無効の判決がだされても、労働者から申し立てがある場合に解雇を金銭補償で解決する制度です。
 6月30日に閣議決定した 「日本再興戦略」 に盛り込まれ、そこでは不当解雇をめぐるルールを明確にし、労働者が泣き寝入りを迫られる事態を防ぐと説明します。
 これを受けて厚生労働省は10月29日、労使の代表や有識者で構成される解雇や職場でのいじめなど労働紛争の解決ルールを議論する検討会の初会合を開催しました。最大の争点は、解雇などで生じた労働紛争を金銭で解決する仕組みの導入です。
 金銭解決のルール作りに積極派の委員からは 「解決金の上限と下限を法律で定めて、その範囲内で裁判官が具体的に金額を定めるルールを作るべきだ」 との意見が出されたといいます。労働者側の委員からは 「労働紛争は1つひとつ背景が違う」 「紛争をどう防ぐかの観点の方が大事だ」 などと慎重な意見が相次いだといいます。
  いわゆる 「解雇自由法制」 です。


 政府は、欧州諸国では不当解雇の補償金を定めており、事例を参考に導入の是非を含めて議論するといいます。
 しかし、そもそも日本の雇用制度は独特のものが確立していて海外の制度に倣って変更することは労働者に大きな犠牲を強いることになります。
 日本で企業が労働者を雇用すると、社会保険料や厚生年金の掛け金の半分以上を負担することが義務付けられています。また企業は労働者の家族に対して扶養家族手当を支給し、子育ての一環を担っています。さらに住宅手当などもあります。
 明治時代から企業は労働者をつなぎとめる手法として福利厚生制度を施してきました。そのことは政府の福祉政策への取り組みを放免し、そのかわり政府が企業に法人税などで優遇したり、さまざまな補助金を支給するなどの関係が続いてきました。企業と政府の役割分担です。この構造が労働者を企業に依存、従順にさせる関係も作りあげました。
 このようななかで労働者が雇用契約を解約されるということは、本来政府の責務である福利厚生制度の支援から排除されるという事態をもたらします。日本の企業は、西欧と比べたら大きな社会的責任を負っているのです。
 雇用契約だけを真似るというのは、労働者を路頭に迷わすということになり、格差社会が拡大します。
 西欧の雇用契約を真似る前に、政府は労働者が雇用を解約されても自立できる社会補償制度、子育て支援制度、住宅制度、職業訓練制度を確立する必要があります。


 労働者が解雇されるに至る経緯はいくつかあります。
 1950年代、乱暴な解雇が頻発した時は労使の激突が展開されました。しかし労使ともに疲弊してしまいました。その結果は終身雇用、年功序列、企業内組合の 「日本的経営」 を定着させていきますが、一方、企業に経営努力も要請していきました。74年のオイルショック後は、企業の雇用調整に対して大手の企業内の労働組合は積極的抵抗を行いませんでした。しかし一方的解雇通告等の攻撃に対しては各地で撤回闘争が展開されます。
 経済は流動的ですので企業が努力しても経営が生き詰まってしまい、人員整理がやむなしという場合もあります。そのことを踏まえて70年末に 「整理解雇の4要件」 の法理が確立しています。  「整理解雇の4要件」 の法理は、
1.人員整理の必要性。余剰人員の整理解雇を行うには、削減をしなければ経営を維持できない
 という程度の必要性が認められなければならない。
2.解雇回避努力義務の履行。期間の定めのない雇用契約においては、人員整理(解雇)は
 最終選択手段であることを要求される。
3.被解雇者選定の合理性。解雇するための人選基準が合理的で、具体的人選も合理的かつ
 公平でなければならない。
4.手続の妥当性。整理解雇については、使用者は信義則上労働者・労働組合と協議し説明
 する義務を負う。
です。
 法理は、日本の雇用制度を踏まえたうえで到達した地平で、労使が対等な立場で交渉することを前提にし、企業の乱暴な解雇を防止しています。
  「整理解雇の4要件」 の法理は、無視した判決が出されるなど、これまで何度か解消しようとする攻撃がかけられましたがその都度労働者側の反撃で阻止してきました。

 そして、現在は労働契約法の第16条に 「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合その権利を濫用したものとして、無効とする」 と明記されました。
 経営状況とはまったく関係なく、組合活動を行ったり、会社に意見を言ったりしたことが職場秩序を乱した、生産性を低下させたなどの口実で排除の対象にされ、孤立させられることがあります。表向きは他の理由がこじつけられます。
 現在の法制度は、裁判で解雇が不当の判決が出されても、判決日までは雇用関係が存在していたということが認められるだけで労働者に就労権があるわけではありません。そのことを踏まえ、団交や裁判で使用者や裁判所は金銭的解決による離職を強固に“説得”してくることが想定されます。
 このような状況が蔓延すると労働者に解雇=離職の意識が支配し、使用者には労働者の排除が手続き上の問題という道を開き、最終的には 「解雇した方の勝ち」 という結論に至ります。
 「解雇自由法制」 は労働契約法の第16条の縛りを形骸化していきます。組合潰しに利用されることになりかねません

 現在も体調不良に陥り、休職から退職に至る労働者がいます。
 体調不良に陥るのは原因があります。長時間労働、過重労働、裁量権の欠如、いじめなどです。しかし体調不良になって休職しても、その原因を追究して改善を図られることがなく、復職を期待しても放置されたままで休職期間満了を迎えている労働者もかなりいます。「解雇自由法制」 は使用者の安全配慮義務の放棄、放免につながります。
 政府は導入の前に、まず長時間労働の規制、現在安倍政権が進めている無制限の残業を強いる 「高度プロフェッショナル制度」 ・労働基準法改正を中止する必要があります。

 使用者が解雇しやすい制度を導入するということは、使用者にとって労働者はいつでも取って代われる対象となり、教育・研修がおろそかにされ大切にされません。企業が教育をして有能な労働者に育て上げるという社会的責任が放棄されます。自力更生で会社の期待に応えられない労働者は簡単に排除される危険性が出てきます。
 そうすると力量を身に着ける機会を奪われた労働者は、再就職できたとしてもまた力量不足を理由に排除されるという悪循環に見舞われてしまいます。企業はもっと社会的責任を果たす責務があります。

 最も危険なのは労使関係が破壊されるということです。
 労働条件、職場の問題については労使の話し合いによって平和的に解決するのが労使関係の基本です。職場で発生した困難、紛争は早期に解決に取り組むことが大切です。そのほうが解決は安易になりいい結果が期待できます。
 しかし企業内の多くの労働組合は大量解雇、整理解雇に対しても組合員から突き上げられた場合以外は積極的に取り組みません。実際に 「整理解雇の4要件」 の法理を解消しようとする攻撃に反対運動を展開したのは、組織が小さい労働組合と個人の労働者、市民が中心でした。
 解雇通告者は個人としてや、共闘組織・支援組織を組織して闘争を展開しながら裁判などの第三者に委ねた解決の方向を探ることになります。
 これに対して「解雇自由法制」 は、使用者は裁判になれば最終的に解雇できると判断したら 団体交渉をおろそかにし、簡単に第三者に委ねた解決=裁判で手続きだけが粛々と進められる傾向を強くします。 
  紛争を個別案件として第三者に委ねるのは解決ではなく 「終了」 で、労働者にとっては本質的解決には至りません。
 そこでは労使関係が否定されるとともに、労働者の人権が無視されていきます。


 さらに金銭の額が提起されようとしています。
 そのための資料として使用されているのが、昨年4月に労働政策研究・研修機構が発表した浜口桂一郎主席統括研究員が中心になってまとめた労働政策研究報告書No.174 「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」 です。(15年8月21日の 「活動報告」 参照)
 しかし浜口研究員は、いつものことですが労働現場を意識的に無視して机上で研究を続ける政府の提灯持ち学者です。個人加盟の労働組合・ユニオンを労働組合と認めていません。労働条件・労働環境そして労使関係には関心がありません。企業と労働者個人の契約と解約だけを労働問題ととらえ、金銭で労働者を追い出そうとする意図が見え見えです。
 ですから報告書には労働局のあっせん、労働審判、裁判は解決事例の統計分析と内容分析は取り上げられていますが、労使による団体交渉での解決は取り上げられていません。
 実際に団体交渉による解決はかなりの数に上ります。団体交渉は、裁判などのように解決の遅延、そのことによる労働者に対する兵糧攻めを防止する役割も果たして早期解決に至ります。第三者が介在しない、職場で労使が努力して自主的に解決した案件こそ、新たな労使関係を築き上げる教訓がたくさん含まれている財産です。
 そして、実際に金銭解決に至った場合でもその金額は報告書の数値をかなり上回っている実態があります。
 浜口研究員の報告書は労働組合の介在を排除しようとする政府・経済界の意向に沿うものです。実態として存在している状況を無視、意識的に排除した資料は資料とは呼べません。
 
 制度に積極派な委員は解決金の上限と下限を法律で定めるから、解決を渋る中小企業にも範囲内の支払いを義務づけることになるので労働者のためになるといいます。しかし本当の目的は上限を定めることにあり、全体としては低く抑えるのが目的です。
 「解雇自由法制」 は使用者にとってだけ使い勝手を良くし、労働者の生活を破壊し、労使関係を解体させる制度です。
 労働者を犠牲にした企業の成長は本当の経済成長ではありません。


   「「労働局あっせん、労働審判及び裁判上の和解における雇用紛争事案の比較分析」
   「活動報告」 2015.8.21
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スマップの魅力
2016/01/22(Fri)
 1月22日 (金)

 2003年の紅白歌合戦です。
 「みなさん、目を閉じて2003年を思い出してください。」
 「今年世界中でたくさんの尊い命が失われました。」
 「また目を覆いたくなるようなこともたくさんありました。」
 「僕たちに今何ができるでしょうか。」
 「みんながみんなすべての人にやさしくなれたら、きっと幸せな未来がやってくると信じています」
 大とりだったスマップは 『世界に1つだけの 「花」』 をこうリレートークしてから歌いはじめました。

   花屋の店先に並んだ
   いろんな花をみていた
   ひとそれぞれ好みはあるけど
   どれもみんなきれいだね
   この中で誰が一番だなんて
   争う事もしないで
   バケツの中誇らしげに
   しゃんと胸を張っている

   それなのに僕ら人間は
   どうしてこうも比べたがる?
   一人一人違うのにその中で
   一番になりたがる?

   そうさ 僕らは
   世界に一つだけの花
   一人一人違う種を持つ
   その花を咲かせることだけに
   一生懸命になればいい
    ……
   そうさ 僕らも
   世界に一つだけの花
   一人一人違う種を持つ
   その花を咲かせることだけに
   一生懸命になればいい

   小さい花や大きな花
   一つとして同じものはないから
   No.1にならなくてもいい
   もともと特別な Only one

 2003年3月にはアメリカ軍がイラクへの攻撃を開始しています。12月からは自衛隊が派遣されました。
 歌は、日本政府への抗議のように聞こえてきまし。
 そしてこの1年間に労働相談を受けた労働者の顔が浮かんできました。解決に至っていない者、解決しても体調を崩して再スタートを切ることができない者もたくさんいました。会社に忠誠を誓い、貢献をしていると思っていても簡単に首を斬られたりしています。
 相談者に 「あなたが会社のことを思っているほど会社はあなたのことを思っていないよ」 とアドバイスをする時は後の祭りになっています。労働者は会社に従属するのではなく、客観的視点をもって自己を確立して関係性を作り上げてほしい、それが本物のセーフティーネットになると常々思います。
 「ナンバーワンにならなくてもいい もっともっと特別なオンリーワン」 です。

 この歌を聞いてますますスマップが好きになっていきました。


 スマップの魅力は、1人ひとりが個性を大切にしながらスターらしくなく振る舞うことです。
 「ドッキリ」 番組に引っかかるタレントは、無理なことを要求されても立場上しぶしぶ従い続け、最後に 「なんかおかしいと思っていた」 が落ちになります。
 スマップがまだ 「大スター」 と呼ばれる前の頃に 「ドッキリ」 が仕掛けられ、予定変更や無理な要求など理不尽な要求が続きました。そうしたら木村拓也は 「そんなのおかしいですよ」 「無理ですよ」 とディレクターに本気で抗議をしました。困ってしまっておろおろしたのは仕掛けた側です。関係が逆転してしまいました。
 納得できないことにははっきり主張する姿勢に、スターである前に正義感あふれる人格を見せられました。
 スター然としないスター性が魅力を作り出しています。


 私生活の 「幸」 も 「不幸」 も自ら曝け出して売りものにするスターが多くいます。その逆に私生活が暴露されて被害を蒙っても泣き寝入りをしている者もいます。
 スターにはプライバシーはないという風潮がつくられ、さらにスター以外の者に対しても干渉、プライバシーを暴露したりする人権侵害がはびこる社会が作られています。
 スマップは1人ひとりの個性を大切にしているということの中で、私生活を公にしない、プライバシーには介入させないという姿勢を貫いています。他のスターも真似を始めています。
 スターである前の個人を大切にするあり方を認めさせました。
 本来なら当たり前のことなのですが、現在のように個人情報が保護されない社会のなかでは勇気ある抵抗の姿勢です。しかしそうでもしないと人権が守れない社会になっています。


 その姿勢は、今回の独立を巡る 「騒動」 でも貫かれました。
 連日、スポーツ新聞の1面を飾りました。社会的には大きな事件だったのです。しかし記事からは5人が関係者の誰かを悪者にしたり、されたりという話は漏れてきません。それで収まりました。
 それに対して、ファンは解散しないでほしいという思いをCDを買うこと示すという行動であらわしました。それがスマップに解散を止めさせることになりました。
 この 「騒動」 を見ていて教えられたことは、サイレントマジョリティーの動向は大きな力を持っているということです。スキャンダル化しようとした動きも見えましたがそれに従わない潮流がありました。芸能事務所の内部の問題に 「世論」 がけじめをつけさせました。
 誰もが今後もスマップの活躍に期待していました。
 現在のさまざまな情勢を見る時にもサイレントマジョリティーの評価を見誤ると大変なことになるということを教えてくれました。


 スマップはそれぞれ、東日本大震災の被災地に 「出しゃばらない」 で支援を続けています。
 12年の春の選抜高校野球・甲子園大会に被災地代表として石巻工業高校が選ばれました。
 石巻工高はグラウンドが浸水し、用具は使用不能になりました。その中にあっても空き地で基礎練習を開始しました。それを聞いた中居正広は 「贈呈式」 など目立つことはしないで個人として用具やカンパを届けました。「野球番組などに出演して儲けさせてもらったから」 と語っていました。
 このようなことを当たり前のことと続ける姿勢が好感が持たれるところでもあります。
 改めてカッコしいグループです。

 スマップの魅力は身近にいて光っている仲間のような存在ということなのでしょうか。


 ジャニーズ事務所のもう1つのグループ 「TOKYO」 はふくしま支援を自分たちの活動の一環に組み入れて続けています。
 TOKYOもかっこいいグループです。 


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それぞれの中で阪神淡路大震災の経験を生かす
2016/01/19(Tue)
 1月19日(火)

「毎年2回ほど自分の名前の由来を思い出す時があります。それは、誕生日と1月17日です。阪神淡路大震災のときまだお腹の中にいたのですがその時に多くの人に支えてもらったとよく聞きました。1人では生きていくことができないと感じることがあります。名前にはそういった思いを込められ、人と幸せに生きるで倖生 (ゆきお) とつけてもらいました。多くの人と出会って自分自身かわりながらこれからも生きていきたいと思います。」
 毎日更新されるある大学の競争部 (部名をこう表記すると大学名がわかってしまいますが) の 「部員日記」 に、昨年3月に20歳の誕生日を迎えた神戸出身の選手が書いていました。

 17日、阪神淡路大震災から21年目を迎えました。

 10日は成人の日でした。テレビでは各地の成人式の模様が中継されていましたが、その模様はいくつかのパターンに分かれます。話題の自治体、荒れる自治体、故郷に帰って式典と同級会を兼ねた交流などです。
 そして阪神淡路大震災、東日本大震災の被災地の新成人がインタビューに答えていました。阪神淡路の新成人たちは大震災を知りません。東日本大震災被災地の新成人は、3.11は中学の卒業式当日だったり、前日だったりしました。2つの被災地の成人は同じような答えをしてました。「看護師になって人を助けたい」 「社会に役立ちたい」 「恩返しをしたい」 「地元の復興の力になりたい」 ・・・東日本大震災の被災地ですでに消防士になって訓練に励んでいる者もいました。他の地域とは特異です。
 震災の経験はそれぞれしっかりと受け継がれて生かされています。頼もしい限りでした。

 
 阪神淡路大震災の被災地は、当時は想像もできなかった街に生まれ変わっています。そこには震災を体験した1人ひとりの思いが込められています。
 震災当時に西宮市に住んでいた俳優の鈴木亮平は、2015年1月2日付の神戸新聞記事で 「今があの頃の未来」 と語っています。紹介します。

 昨年放送されたNHK連続テレビ小説 「花子とアン」。鈴木亮平さんは、吉高由里子さん演じるヒロインの夫役を務めた。夫の英治はドラマの中で、関東大震災を経験する。
「地震の後、自宅に帰り、家族の無事を知るシーンがあった。演出では 『花子さんと子どもと再会し、安堵の笑いを浮かべる』 となっていた。でも、絶望の中で家族が生きていたことを知った時、人は笑えるのだろうか? 僕は普段、演出家には意見を言わない。でも、その時だけは意見を出させてもらった。本番では、そのシーンで、ただただ子どもを抱きしめた」
 阪神・淡路大震災が起きた1995年、鈴木さんは小学6年生。こだわりを持って演じたドラマの一場面は当時の記憶を重ねた。
「あの時、子ども部屋の2段ベッドで兄貴と寝ていた。地震が起きてすぐに父親が部屋に飛び込んできた。『地震だ。外に出るぞ』。暗闇の中、部屋に立つ父親のシルエットが頭に焼き付いている。芝居では、子どもを守ろうとしたあの時の父の姿、気持ちをイメージした」
「地震からしばらくして阪神電車が神戸まで復旧した日、父親に連れられて電車に乗った。車窓から見えた神戸のまちは悲惨だった。『この景色をしっかり覚えておけ』。父からはそう言われた。地震とはどういうものか、地震が起きればまちはどうなるのか。父と一緒に電車に乗りながら、痛み、苦しみを知った」
 通っていた小学校の体育館は避難所になり、3月の卒業式は運動場で行われた。
「僕は児童会長だった。紅白の幕が張られた運動場で答辞を読んだことを覚えている。当時の状況を知らない人に卒業式の写真を見せると、運動会と勘違いされる。中学生になってからは公園で遊んだ記憶がない。近所の公園は仮設住宅が建っていたので使えなかった。でも、それはそれで楽しんでいた。狭いスペースで遊ぶために知恵を働かせた。震災は悲劇的に語られがちだけど、渦中にいた僕は、人のたくましさも感じていた」
 大学卒業後、俳優の道へ。2010年に 「阪神・淡路」 後の神戸が舞台の映画 「ふたたび」、12年には東日本大震災がテーマの演劇 「HIKOBAE」 に出演した。
「まちが復興しても心の傷は残る。当然、被災者にとって失礼な作品をつくっちゃいけない。悲しみを思い出させてしまうかもしれない。だからと言って、こちらがおびえてもいけない。舞台や映画を通して震災を知らない人に共感してもらい、被災者の心を癒やす。それを信じて演じている。天災に対して、悲劇に対して、俳優として何かを伝えたい。芝居の上手下手とは別に、震災を経験した自分にしか演じられないことがあるはず」
 西宮を離れて十数年。故郷は大きく変わった。「今があの頃の未来」。震災20年を迎えるふるさとを、鈴木さんはそう表現する。
「『復興』 と呼ぶのがはばかられるほど、西宮は素晴らしいまちになった。20年前、この先どうなるのかという不安の中で、『震災に負けない』 『いいまちにしよう』 という思いが、今のまちをつくり上げた。ふるさとの人たちは力強い。西宮出身として誇りに思う。僕自身、20年前の経験が俳優の仕事に生きている。これからの未来をつくるのもまた、今の自分だと思う」


 被災者は、“そこ” に住み続けるための街づくりを始めました。そして直接的にだけでなくて、震災の体験を風化させないで伝えようとしています。

 阪神淡路大震災の3年後の1998年。芦屋市PTA協議会は市民を元気づけようとコンサートを企画し、震災復興基金に活動資金を申し込んだら500万円をもらったので 「紙ふうせん」 のコンサートを開きました。
 その時に、芦屋で誰もが口ずさめる曲があったらいいということになり、出演の後藤悦次郎氏に曲を依頼しました。歌詞は、芦屋市内の小学生たちに芦屋の町の印象を書いてほしいと呼びかけ、集まった多くの詩をベースに、後藤氏が詩を書き直し、それに曲を付け、『この町がすき』 の歌が出来あがりました。

 2008年からは毎朝、市役所本庁舎で流され、震災を機に生まれた “第二の市歌” として広く親しまれています。

 1.春は魚たちが とびはねる
  さくらふぶきながす 芦屋川
  夏は子どもたちが あそんでる
  白いヨットはしる あしや浜
  海と山をそめて きょうもまた日が昇る
  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのような えがおに あえるから

 2.秋はとんぼたちを おいかけよう
  山の上に月が 昇るまで
  冬は空の星を 見上げよう
  夢をそっと 星にあずけよう
  海と山をてらし きょうもまた日が昇る
  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのような えがおに あえるから

  この町がすき あなたがいるから
  ひまわりのような えがおに あえるから
  
 直接震災を連想させる歌詞はありません。しかし震災当時幼稚園や小学校低学年だった彼らが、震災に遭遇したからこそ気づかされた自分たちの故郷の街のすばらしさ、人のふれあいの大切さをずっと守り続けたいという思いが込められています。

 いまは芦屋だけでなく、全国で、東北の被災地でも歌われているのだそうです。


 その一方、20年が過ぎたからこそ語られはじめた、忘れてはならないことの掘り起こしが進んでいます。
 16年1月1日の毎日新聞は 「過労死母のように 『人助けを』 医師目指す息子」 の見出し記事が載りました。

 阪神大震災の避難所となった中学に勤務し、26歳で過労死した女性教諭の一人息子が、医師を目指している。大阪市立大医学部5年、池田祥平さん (24) =兵庫県芦屋市=だ。母を亡くした後、祖父母と伯母に育てられた祥平さんは、家族への感謝を込めて 「周りが支えてくれたから今がある。恩返しに、人を助けられる仕事がしたい」 と話す。医師国家試験まで約1年。「人の痛みが分かる医師になれるよう、飛躍の1年にしたい」 と誓う。
 亡くなった祥平さんの母裕子 (ゆうこ) さんは昔から絵を描くのが好きで、大阪教育大で美術を専攻。23歳で祥平さんを出産したが離婚し、幼い息子を連れて芦屋の実家に戻った。自立のため、夢だった教職を目指し、1994年に神戸市の教員採用試験に合格。翌年1月の震災で自宅は半壊したが、祥平さんらは無事で 「助かって良かった」 と胸をなで下ろした。
 その年の4月、震災で避難所になっていた神戸市東灘区の市立本庄中学に美術教諭として着任した。「こんな時だからこそ、生徒の心に残るような授業をしたい」 と張り切り、被災した生徒たちの心をリラックスさせようと癒やしをテーマにした音楽を流すこともあった。
 しかし、仮設教室での授業や、避難者対応のための日直勤務、深夜にわたる残業などで疲労が積み重なった。7月に自宅で倒れ、急性心不全で死亡。教師になってからわずか3カ月だった。1999年、民間の労災にあたる公務災害が認定された。祖母康子さん (71) は 「当時は震災で皆が大変な思いをしていて、『しんどい』 と言えない雰囲気があった。優しくて責任感のある子だったので、職場で弱音を吐けなかったのだと思う」 と振り返る。
 母親の死亡当時、一人息子の祥平さんはまだ3歳だった。それからは康子さん、祖父稔生 (としお) さん (75)、伯母彩子さん (49) が一つ屋根の下で成長を見守った。
 「なんでうちだけママがいないの?」 「ママはいつ帰ってくるの?」 −−。幼い祥平さんはしきりに問いかけた。死を理解した後も、「ママがいない」 と一度だけ激しく泣いた。康子さんが今も忘れられない光景だ。
 小学校に入ると、祥平さんは裕子さんが愛用していたピアノで演奏をするようになった。6年生の時には県学生ピアノコンクールで最優秀賞を受賞し、被災者支援のためのチャリティーコンサートにも参加。一時はピアニストの道も考えたが、友人の父親が脊髄 (せきずい) 損傷で下半身不随になったことから再生医療に関心を持つようになり、医師への道を選んだ。
 康子さんは 「反抗して難しい時期もあったけれど、優しくてしっかりした子に育ってくれた。自分の好きな道を進んでほしい」 と見守る。
 母の記憶はほとんどないという祥平さんは 「残った家族が精いっぱい支えてくれた。それで十分。遺児の将来を心配する人もいるが、周りの愛情が全てだと思う。家族には本当に感謝している」 と力を込める。その恩返しのためにも、医師になって人を助けたいと願う。「医師免許を取ったら、やっと一人前。お母さんに 『ここまで成長しました』 と報告したい」 とほほ笑んだ。


 阪神淡路の復興は、手放しで喜べる状況には至っていませんが、物理的空間だけではなく 「今があの頃の未来」 に辿りつこうとしています。
 復興裏には、大勢の人たちの献身と犠牲があったことも忘れてはいけません。

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学校現場には人権意識が欠落している
2016/01/14(Thu)
 1月14日 (木)

 12月25日、文部科学省は、「平成26年度公立学校教職員の人事行政状況調査について」 を発表しました。調査項目は (1) 分限処分 (病気休職者数等) (2) 教育職員の懲戒処分等 (交通違反・交通事故、体罰、わいせつ行為等) (3) 指導が不適切な教員の認定及び措置等、条件附採用 (4) 優秀教職員表彰等、など8項目です。
 毎年発表され、翌日には新聞に載りますが、面白いのは、各新聞社がどの項目を取り上げるかです。
 毎日新聞は (1) を取り上げ 「精神疾患 うつ病など休職教員5,045人 続く高止まり」 の見出しでした。
 朝日新聞は (2) を取り上げ 「教員わいせつ 処分205人減少せず」 の見出しでした。
 この取り上げ方は毎年同じです。これ以外でも毎日新聞は労災問題に熱心ですが、朝日新聞は精神疾患の問題にはできたら触れたくないという姿勢が見え見えです。内部の 「お家事情」 も反映しているようです。まさに日本の企業の姿勢を代表しているようです。


 現在の公立学校の教職員総数は、14年5月1日現在919,253人です。
 休職者数に大きな変化がない、つまりは改善されていない中で毎年同じ分析をしてもつまりません。14年度の実態について毎日新聞の記事を紹介します。

 2014年度にうつ病などの精神疾患で休職した全国の公立学校の教員が5045人 (全教員の0.55%) に上ることが、文部科学省の調査で分かった。20年ほど前から増加し、07年度以降5000人前後で高止まりが続く。学校関係者は 「教員数を増やすことが不可欠だ」 と訴えている。
 精神疾患によると休職は本人や家族はもちろん、学校にも影響を与えるため、自治体はメンタルヘルスケアのプログラムを設けるなど復職支援を進めている。
 在職者に占める割合を学校別でみると、中学が0.65% (1548人) で最も高く、特別支援学校0.64% (535人)、小学校0.56% (2283人)、高校0.36% (675人)、中等教育学校0.26% (4人) の順。休職期間は6カ月未満が33%と最多で、6カ月以上1年未満が27%、1年以上2年未満が27%と続いた。全体の39%が14年度中に復職し、引き続き休職が44%、退職が18%だった。
 高水準が続く背景には、いっこうに改善されない教員の多忙感がある。経済協力開発機構 (OECD) の13年の国際調査 (TALIS) によると、日本の中学教員の1週間の仕事時間は計53.9時間と参加国で最長。常に学力向上を求められる上に、いじめや不登校など複雑・多様化する課題への対応も迫られる。保護者からのクレーム対応に悩む若手教員も多い。1日の休憩時間が10分程度という教員も珍しくない。
 この国際調査では 「教職が社会的に高く評価されていると思うか」 の質問に、「非常に良く当てはまる」 「当てはまる」 と答えた教員は、日本では3割弱と参加国平均より低い。「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」 という回答の割合も日本は下から2番目で、教員の労働環境の厳しさを物語っている。


 さて、日本の学校が置かれている状況を客観的に探るために海外の状況を見てみます。
 国立国会図書館調査及び立法考査局の 「レファレンス」 13.3.1の 「教職員のメンタルヘルスの現状と課題」 からです。
 英国では、1988年の教育改革法によるナショナルカリキュラムにより、授業の内容等が細かく規定されて、教職員は自由な実践が難しくなり、また、教職員は報告書作りなどの授業以外の雑務が急増して、放課後や休み時間も子どもと向き合う時間がとれない状況になり、査察機関による評価にさらされる中で、「多忙化する教員のあいだでは、ストレスや精神疾患による休職者や離職者が増え続けている」 ともいわれてきた。
 そうした教職員の勤務負担の軽減等のため、1990年代後半から、教員を様々な業務面支援するサポートスタッフが学校教育を支援する職として位置づけられ、その内容も事務等の業務から自動生徒の学習支援までを含むものに拡充整備が図られてきた。
 教職員の病気休暇の取得状況をみると、イングランドの公立学校の56% (2010-11) が病気休暇をとっており、2000年以降、その割合は55%前後で増減・推移している。類似の傾向は、ウェールズでもみられるが、イングランドと比べ、59% (2011年) とやや高くなっている。
 英国の代表的な教員組合の1つである教員・講師協会が初等学校教員を対象に行った2009年の調査では、26.5%の教員が、授業妨害や教員への暴言・暴力等を行う児童生徒への対応で、メンタルヘルスを抱えるに至っていることが報告されている。

 なんか、日本と似てきています。
 文部科学省―教育委員会―校長・教頭―主任の管理システムは、教育内容と人物管理を兼ねます。まさに明治以降の国家教育が復活していて、教師は国家に奉仕する 「聖職」 なのです。裁量権はほとんどありません。教員労働者は個人としても社会から自由でないのは日本の特徴だと思われます。
 かつて自分たちを 「聖職」 者と位置付ける教師集団がいました。その段階で自分たちの人権を放棄しました。そしてその意識は他の労働者を差別します。教師の側からそのようにして孤立していきました。

 ドイツです。
 前期中等教育学校としてのギムナジウムと基幹学校の教員の労働環境等に関する調査からは、超過勤務週平均がギムナジウム51.5時間、基幹学校51.2時間で、健康状態に関しても、29.8% (男性31.5%、女性28.8%) の教員がメンタルヘルスの面で高度の緊張を強いられている状況が報告されています。

 米国でも、中学校教員の日米比較調査から、学習指導におけるストレス反応として、不安抑うつ反応、疲労感、体調不良等の心身の不調があり、教育活動としての 「生徒指導」 がストレスの多い仕事としてとらえられている状況があります。

 フランスでは、初等中等教育の教員のしゅたる職務は 「学習指導」 とされ、「生徒指導」 には専門職員である生徒指導専門員と生徒指導補助員がおかれています。


 海外と比べると日本では教職員の置かれている社会的地位が違います。日本では保護者や社会からさまざまな干渉を受けます。
 保護者は、子供たちに国家が要請しているような教育が行われることを期待しているわけではありません。そうではなく、グローバル社会の中で私有財産としての自分の子供たちだけは何としても勝ち残らせようとする我が儘を、公然とモンスターペアレントとして登場させたりします。学校を私物化しようとします。
 教師はそれへの対応を一手に受け入れざるを得ません。社会は教師の反論を許しません。何とかその場をおさめようと謝罪をしたりしますが、安易な謝罪は自己を喪失させます。


 インターネットで偶然発見した投稿録画です。

 モンスターペアレントや過保護すぎる親があふれている昨今。
 そんな中、とある都内私立小学校の授業参観での出来事が、大きな波紋を呼んでいます。
 例に違わず、過保護過ぎる親がたくさん参加していた授業参観。
 教室の中ではある題材の作文の発表が行われていました。
 発表中にも関わらず、子供を褒めたり、また教室の清潔さにケチをつけたりと、先生も思わず苦笑いをする親たちの発言。
 そうした時に、一人の小学生が手を挙げ、次の発表をしたいと立候補をしました。
 その発表が、教室の空気と過保護な親たちの意識を、大きく変える事になったのです。
 この授業参観の中で発表する作文の題材は、「家族への想い」 でした。
 家族に対しての気持ちを作文にし、発表するというもの。
 手を挙げた小学生は、堂々と、作文を読み上げました。

   『信じあうこと』

 私は、家族が大好きです。
 家族も、私のことが大好きです。
 でも、たまに、とても悲しい気持ちになることがあります。

 私の家族は、いきすぎだと思うほど、私のことを心配します。
 この前、私は◯子ちゃんとケンカをしました。
 私は、◯子ちゃんにいやなことをさせられました。
 でも、私も○子ちゃんにいやなことをしたと思い、仲直りをしたいと考えていました。

 その時に、お母さんは私に、あなたはわるくないと言いました。
 ◯子ちゃんがわるいんだから、あやまらなくていいのよ、と言いました。

 とてもびっくりしました。
 なんで、私もわるいのに、私はあやまらなくていいのかなって、そのときに思いました。

 お母さんは、もしかしたら、私のことを信じていないのかもしれない、と思いました。
 お母さんは、『自分の子供』 ということを信じているだけで、『自分の子供だから』 という理由だけで、私はわるくないと言っているんじゃないかな、と思いました。

 そのとき、とても悲しくなりました。
 お母さんは、私という人間のことを信じてくれているのかな、と心配になったのです。

 私はお母さんの子供だけど、私というひとりの人間でもあります。
 その私という人間を、ちゃんと見てくれて、知ろうとしてくれて、信じてくれているのかなって、思う時があります。

 最近、テレビで、モンスターペアレントという、子供のためにいっぱい怒る人が増えているという話をみました。
 それを見て、この作文を書こうと思いました。
 きっとそういう人が増えているのは、きっと子供自身を信じるんじゃなくて、『自分が育てた子供』 という、育てたこと自体を信じているんじゃないかなって、思いました。
 似ているようで、すごく違うことの様に感じるのは、私だけではないのではないでしょうか。

 私は、家族が大好きです。
 だからこそ、家族には、もっともっと、私のことを信じてほしいと思います。
 信じあうことができたら、きっともっと仲良く、もっと笑顔いっぱいで一緒にいれるんじゃないかなって思います。

 私も、もっとしっかりして、勉強もたくさんがんばります。
 だから、これからも、私のことをたくさん信じてください。
 私は、かならず家族みんなの自慢の娘になります。


 作文の発表中から、空気が静まり返る感覚がありました。
 発表後、授業参観にきていた親たちは、誰も言葉を発する事がありませんでした。
 でも、少し間ができてから、先生は大きな拍手をしました。つられる様に、親たちも大きな大きな拍手をします。

 発表した女の子のお母さんは、授業参観後に、自身の振る舞いに対して、謝罪をしにいったとの事です。
 間違いなく、女の子の発表が、親たちの意識を変えた瞬間でした。

 この話は、最近教師を退職した方が、一番印象に残っている話として、寄稿してくれたお話です。子供は、大人が思っている以上に、敏感に、大人のことを見てくれているのかもしれません。

 なんでも大人が正しいと思わず、今一度立ち止まり、自分自身の立ち振る舞いを振り返ってほしい、そんなメッセージが籠っているのかもしれませんね。


 モンスターペアレントは日本だけのことのようです。アメリカには 「ヘリコプターペアレント」 がいますが、子供が高校生や大学生になっても子離れできない過保護の親を指すようです。
 13年8月27日の 「活動報告」 の再録です。

「英仏の学校は顧客主義ではない
 2005年10月5日のフランス国営テレビニュースによると、オワーズ県の軽罪裁判所で、子どもの非行のかどで両親が禁固1か月の判決を受け、収監されたとのことである。7歳から15歳までの8人の子供が村の秩序を乱し、うち1人に関しては、その学校での行状に憤った保護者たちが学校を封鎖してしまったほどであったらしい。
 学校を封鎖した保護者たちは、学校に抗議していたのではない。教師に対してさえ身体的な暴力や言葉の暴力を振るうような子供を放置している親に抗議していたのだ。当然のことながら、親権という権利を持つ者こそが、子供の教育に対して第一義的な義務と責任を負うからである。だから、フランスでは、暴力的な生徒がいた場合、職場の安全が確保されるまで教師たちが仕事を拒否することさえある。
 なお、フランスでは、禁固刑になるまのは極めて珍しいらしいが、毎年100人ほどの親が自分の子の教育怠慢 (carence educative) で有罪宣告を受けているとのことである。イギリスはさらに厳しく、有罪の件数も多く、量刑も重いらしい。たとえば、2人の子供が学校を休んで小さな万引き (petits larcins) をしたことで、その母親が有罪となったという事例すらあるのだ。いずれにせよ、イギリスやフランスでは、生徒や保護者は学校のお客様ではないのである。」 (『日本とフランス 二つの民主主義 不平等か、不自由か』 薬師院仁志著 光文社新書)
 
 フランスでも学校でのいじめ・暴力は存在します。しかし周囲の者たちは自分たちにも影響がおよぶと受け止めて自分たちで解決に向かいます。学校任せではありません。
 日本とは問題の捉え方が違います。人権についての認識が違います。少なくても保護される人権から教師だからと排除されるようなことはあり得ません。


 体調不良に陥って休職したり教職員の復職をどうするかということの前に、どうしたら体調不良者を出さないかの対策が先です。やるべき課題は見えています。

   「活動報告」 2013.8.27
   「公務労働・公務災害」
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