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「過度な親切は止めましょう」                             「ただし私が買うときは正当な情報を伝えてください」
2015/11/26(Thu)
 11月26日 (木)

 11月12日から16日まで、コミュニティユニオン全国ネットワークは韓国で労働組合等と交流をしてきました。前回の続きです。
 3日目は、ウォンジン緑色病院内にある労働環境健康研究所を訪問しました。対応していただいたのは任祥赤赤 (イムサンヒョク) 所長と研修医の方です。

 研究所は1999年6月に設立されました。韓国で唯一の民間の労働安全衛生分野の研究所です。
 設立目的は、1980年代初めに源信 (ウォンジン) レーヨンで二酸化炭素中毒事件が発覚し、最終的には1000人を超える職業病患者を発生させ、死亡者は100人に及んだことを踏まえ、二度とこのような悲惨な被害者を出さないようにするということです。患者が闘って獲得した補償金で財団を立ち上げて病院と研究所を設立しました。
 93年にウォンジンレーヨンは廃業しました。財団の理事の半数は退職者の患者たちです。患者の集まりがあり、そこが推薦した人が理事になります。
 現在は医師3人、研修医4人など23人が働いています。
 労働組合、労働者、環境被害者の要請に応えて活動しています。また必要と判断したら独自に活動します。政府からはすごく嫌われています。にもかかわらず研究所が成長してきた背景は2つあります。1つは、国内の最高の専門家が集まっている、2つは、現実に最も必要な研究をしているということです。
 政府の労働安全政策制定にも深くかかわっていて、研究所が参加することで法案が変更させることもあります。政府には好かれていないのに法制化に至るのは、労働者と一緒になって社会的問題提起をする中で政府を動かすからです。研究のための研究をしていないからです。
 財源は、会員はいますが寄与度は少ないです。委託研究は、数が多くないですが政府や行政からもあります。労働組合からも、労働組合を通じた企業からもあります。
 韓国労総は内部に環境測定をできる組織がありましたが最近規模を縮小しました。あまり活動していません。

 最近の事例です。環境美化 (道路清掃) の清掃労働者は休憩所がありませんでした。作業を終えた服装で帰宅します。彼らのために休息と洗面するスペースが必要だという研究を行い、休憩所を設置するキャンペーンを環境美化の労働者を組織している労働組合と一緒に取り組みました。清掃労働者はほとんどが下請けで給料が低く、年齢が高い、そして労働者の権利を持たないままにいます。
 大きな波紋を社会に投げかけました。環境美化労働者が身体を洗える権利を含んだ法律が制定されました。

 コンビニやスーパーのレジで働くサービス業の女性労働者がいます。立って働いていると足が痛くなるし疲れます。これらの労働者のために調査を行い、椅子を置こうというキャンペーンを民間サービス労働組合と一緒に行いました。多くの社会団体がこのキャンペーンに参加しました。大きな社会的反響があり政府機関もキャンペーンに参加しました。
 きっかけとなったのは、イギリスの労働組合のホームページです。「立っていますか? 足が痛くなりませんか?」 と問いかけ、「労働組合に相談してください」 という相談事例を見つけました。椅子を置く取り組みでした。
 客がいいなければ座れます。キャンペーンを展開する時に客に対して座っていても失礼じゃないと宣伝しました。制度化は研究によって出来るものではなく、労働者の力も弱いので消費者や地域住民と一緒に行わなければなりません。
 しかし椅子を置いても座るのは難しいです。労働組合の力で勝ち取らなければなりません。

 建設労組と一緒に法律を変えた取り組みがあります。
 作業環境測定の制度があり、工場の保守、施設の公開には建設労働者がかかわります。例えば、化学物質を扱う工場で施設を変えるためにプラントの回収に携わる場合には短期間で清掃をします。その時に化学物資が暴露します。
 2つの制度を変えました。そのような施設管理に携わる建設労働者にどのような毒性の物質があるかの情報を伝える法律を作りました。短期間で工事を行うために環境を評価することが出来ませんでした。しかし有害化学物質に短期間でも暴露することは健康に影響があります。短期間暴露の基準を設定しようと研究成果を発表しました。これも法制化させました。

 地域住民の知る権利が法制化される予定です。住んでいる地域に工場がたくさんありますが、そこでどのような物質がどれくらいの量使われているのか、どれだけ危険なのかを地域住民は知りません。もし事故が起きた時、事実を知らないと退避することもできません。
 そのような情報を地域住民に知らせろとキャンペーンを行いました。労働部ではなく環境部の仕事です。
 それに基づき、各自治体で地域住民に知らせるための条例作りをしています。


 消費者に対面する、またはコールセンターで応対する労働者、顧客に対応するCSなどを韓国では感情労働者、そこでのいじめやパワハラを 「感情労働」 と呼んでいます。
 感情労働による健康障害はメンタルヘルスです。労災認定・補償の基準を定める法案を作成しました。うつ病、適応障害、パニック障害が対象になっています。とりあえず入り口のところではじまりました。長期的にはいろいろなことも入ってくると思います。因果関係・認定基準については法制化されていませんし、政府の政策もありません。労働時間がどれくらいか、企業による無理な要求はないかなどをいくつかを考慮し、その結果、精神疾患になりうるということを判断します。労災認定の中で精神疾患も年間約20人が認められています。
 労働環境健康研究所の研究を議員が反映させて取りまとめました。
 感情労働を巡ってネットワークを作りました。法制化できたのも消費者の支持があったからです。「過度な親切は止めましょう」 「ただし私が買うときは正当な情報を伝えてください」 という要求を掲げたら労働者の要求と一致しました。
 まだ立法化はされていませんが今度の国会で成立するかなと思っています。

 感情労働の具体例です。
 サムスンのアフターサービスの労働者はみな非正規労働者です。顧客先に行き、サービスが終わるとサムスンから電話がかかってきます。「今回のサービスは10点満点で何点でしたか」。10点でないとサービスに行った労働者は始末書を書き、全員の前で読み上げさせられます。普通の評価ではだめで、「よくできました」 でなければなりません。そうすると顧客側の要求が高くなります。「ゴキブリを捕まえてくれ」 とかもあります。
 そこまでいくとパワハラに近い労働者管理と言えます。
 労働組合があればそのようなことはさせません。しかし韓国の労働者の組織率は10%に満たないです。

 コールセンターにしょっちゅう電話をしてくる人がいますが、電話を受けた労働者は自分から電話を切ることが出来ません。クレーム電話でも先に電話を切ったらペナルティを課せられます。労働組合があったらそうではないでしょう。
 キャンペーンを進めたら、労働者が電話を先に切る権利を受け入れる企業も出てきました。それを法制化しようとしています。

 スーパーの労働組合で、感情労働の価値を認めろと要求しています。日本では笑顔で対応するのが当たり前と言われますが、そうではないということを認めさせようとしています。日本でも感情労働によるストレス疾患が増えていくと思われるので、日本に紹介すべきことがと思います。
 特に感情労働で苦しめられているのはデパートの化粧品売り場の労働者です。トラブルが一番多いです。デパートの化粧品売り場の労働者が、メーカー直属でなく輸入化粧品の販売代理業の会社で労働組合を作り、そこで感情手当を制定させました。会社ごとに差はあります。

 ロッテデパートの服売り場でパートの責任者の労働者が屋上から飛び降り自殺しました。遺書には直属の上司への不満が書かれていました。上司から販売量を上げるようにと実績を要求され、実績を上げないと叱責されました。その案件は労災と認められました。

 公務職の中に社会福祉職があり住民からの窓口の仕事をします。おもにお金のない人を相手にします。審査を通じて保護の対象から振り落とすこともします。落とされた住民は役所に来て狼藉を働くこともあります。
 年ごとに社会福祉制度が変わっていきますので業務量も多いです。2013年、区役所で社会福祉を専門にしている労働者3人が相次いで自殺しました。自治体で対応すると言っていますがどうなっているかは掴んでいません。

 労働者が体調不良に陥った場合の休職期間は、公務員は6か月です。民間企業にはありません。


 事前学習用に渡された労働政策研究・研修機構作成のパンフレット 『韓国における労働政策の展開と政労使の対応 -非正規労働者問題の解決を中心に-』 に、韓国で2番目の大型スーパー・ホームプラスでの非正規労働者の組織化と処遇改善の闘いについてのヒアリング調査が報告されています。上部団体のサービス連盟や民主労総の地域組織の支援を受けて労組が結成されたのは2013年3月24日です。
 ホームプラスは年間売上が約10兆ウォンで、大型店舗数は139店。労働者数は約2万1000人で、2015年3月現在の労働組合員数は約2500人です。正社員の加入も認めていますが加入者は少なく、パートタイマーが組合員の大半を占め、43店舗に組合支部が設立されました。そのうち、組合員が従業員の過半数を占める支部が10あります。

 報告の中の感情労働に関する部分を中心に紹介します。
 組合結成の背景には次のものが挙げられます。
 第1に、非正規労働者保護関連法の2年みなし規定により、多くのパートタイマーは無期契約労働者となりますが、勤続10年でも手取りの月給が100万ウォンを下回る労働者も多く、それも勤続10年までしか昇給しませんでした。そのために、勤続1年と10年との間に賃金の差はほとんどありませんでした。第2に、パートタイマーなのに超過労働を強いられることが多く、手当はほとんど支払われませんでした。第3に、暴言、暴行の人格無視、不当な仕事の命令が日常的に行われていました。また、顧客からのハラスメントにさらされているのに、会社の本格的な対応はありませんでした
 組合加入呼びかけ文には「不法行為をただすことから組合活動を始めます」という見出しのところに次のことが例示されています。「超過労働をさせながらも手当を支払わない」、「週12時間を超えることができないとされる超過労働が数十時間も行われている」、「個別従業員が顧客のクレームに耐えなければならず、冒涜されても、会社はどうしようもないとのことで対応をしてくれない」、「最賃とあまり変わらない賃金」、「上級者が汚い言葉や暴言を吐き、人格的な侮辱感を覚える言葉や行動を惜しまない」。
 組合結成後、現場では目に見える形で変化が現れてきました。一週間も経たないうちに、「上司が丁寧語を使うようになった」、「定刻退勤ができるようになった」、「組合結成により同僚の表情が明るくなった」、「協力会社の社員に掃除をさせなくなった」、「休日出勤をしないようにという指示が来るなど奇妙なことが起きている」、「法律で認められた権利を正当に行使するようになった」 等のような変化がありました。
 労使は2013年8月27日から労働協約締結に向けた団交に入り、4回目の交渉で基本協約を締結しました。組合は、152項目の要求項目を掲げて労働協約の締結を目指し、団交を続けていきましたが、会社は3分の1の項目を削除するように対抗してきました。
 組合は、11月10日に会社の本社前で座り込み集会を開催しました。また、ストへの賛否投票を行い、12月24日に96.7%でスト権を確立し、組合員は、「団結して労働協約を勝ち取ろう」等の字が入っている布 (背中屏報 (トンビョッポ)) を背中に張って仕事を行うことを決めました。12月31日、1つの店舗で部分ストに入りその後相次いで他の店舗でも部分ストを行いました。そして2014年1月9日に全面ストと上京集会に入ることを決定しました。会社は、それに押される形で同日深夜1時に労働協約の締結に同意しました。
 
 労働組合が高く評価する労働協約の内容です。第1に、労働時間の確定によるサービス残業の廃止、30分間の休憩時間 (有給) の獲得。第2に、入社16か月が経つと自動的に無期契約労働者となる雇用安定です。
 第3に、感情労働者の保護です。職員が顧客から暴行を受けた場合、会社は積極的な救済措置をとることを原則とし、また、暴言・暴行の際に当該の職員は直ちに顧客への対応を拒否し、代わって上位責任者が対応を行います。顧客からの暴言等で深刻な感情の毀損が認められる際に1時間の心理管理時間を与えるとともに当該の顧客に2回目の対面を原則禁止します。そして、顧客の不平不満の多い顧客センターでは暴行・暴行の予防措置をとります。組合は、感情労働手当として月5万ウォンを要求したが、認められませんでした。
 第4に、組合活動の保障です。企業が賃金を支払う6人の組合専従者を認めるとともに、各店舗に掲示板の設置、また、チェックオフ (賃金の1%) も組合の事務室提供も認めさせました。第5に、組合員は、法律や労働協約によって保障されている権利を正当に行使することができるようになりました。

 労働協約の締結の後、組合は、2014年4月21日より初めての賃上げ交渉を行いました。要求内容は、1.生活賃金の保障として、2013年都市労働者の平均賃金の58%水準の基本給 (月148万ウォン) を求めた。2.賃金の低下を伴わないボーナス4か月の支給。3.レジうち、調理等職種別に異なる賃金を統一すること、4.感情労働手当の新設、等10項目でした。
 労働組合は、8回までの団交で具体的な回答内容を示されなかったのでスト権の投票を行うことを決めました。投票の結果、93%の賛成率を記録しました。7月11日から部分ストを行い、22日に警告ストの実施を決めました。28日からは部分ストに加えて集団休暇闘争を行い、8月29日は、全面ストの決起集会を開きました。そのほか店舗別ピケッティング及び集会、店舗別一斉食事スト等の多様な争議行為が行われました。このような組合の抗議を経て、10月23日、労使は妥結する方針を示しました。
 主な内容は、第1に、平均賃上げ率を3.79%以上にする、第2に、職種区分の賃金レベルを従来5つから3つにする、です。

 組合は、初めての賃上げ交渉を次のような意味づけをしています。第1に、会社設立15年ぶりに労働者が賃金を直接決める歴史的な出来事である、第2に、従業員が会社の爆発的な発展を遂げてきた主役であったにもかかわらず、低賃金、高い労働強度に強いられてきた者として、それに相応しい正当な要求を求める交渉であった、第3に、組合員の団結と実践によって、会社を楽しく誇らしい職場に作り替える橋頭堡であった。

 ホームプラスでは、非正規労働者が自ら労働組合を立ち上げて、処遇改善活動等をしているが、それも当該労働者が無期契約化されたから可能でした。非正規労働者保護関連法上2年のみなし規定は、非正規労働者の組合立ち上げや活動の環境を間接的に創ったといって過言ではありません。


 韓国の労働者の労働条件、処遇、労働安全衛生、健康は労働組合がキャンペーンなどを展開し、地域住民や利用者を共感させて共同の闘いを組んで向上させています。その闘いに労働環境健康研究所はコミットします。そして社会環境を変えていっています。
 「お客様は神様」 ではありません。労働者と消費者・利用者はお互いに人権と人格を認め合い、社会のパートナーとして理解しあって共生していくことの大切さを痛感させられました。


   「海外のメンタルヘルスケア 韓国」
   「感情労働」
   「職場の暴力」
   「活動報告」 2015.7.23
   「活動報告」 2015.12.27
   「活動報告」 2014.2.4
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韓国の労働運動は勢いづいている
2015/11/20(Fri)
 11月20日 (金)

 11月12日から16日まで、コミュニティユニオン全国ネットワークは韓国で労働組合等と交流をしてきました。
 非正規労働者や下請け労働者を正規労働者に切り替えを進めるソウル市、労働組合運動と社会運動との結合で新しい社会を作り出す運動を進めている 「ともに生きる希望連帯労動組合」、大学などの清掃等の労働者を組織している 「公共労組ソ京支部・大学非正規支部」、学校非正規労働者を組織している 「全国学校非正規労働組合」、そして 「労働環境健康研究所」 を訪問して貴重な話をうかがいました。さらに西大門刑務所歴史館や鍾路一帯の歴史探訪も行いました。11月14日には、ソウル市役所前で開催された民主労総全国労働者大会・民衆総決起の集会に参加しました。

 それぞれを詳細に報告することはできませんが、今の韓国の労働運動を見聞して感じたことを一言でいうと 「韓国の労働運動は勢いづいている」 です。訪問した団体は、当然ですがそれぞれ活動や運営スタイルが違いますが、みな自信をもって楽しげに活動しています。
 非正規労働者は自分たちの力で組織化に成功しています。

 ふと思い出したことがありました。
 兵庫部落解放研究所編の 『記録 阪神・淡路大震災と被差別部落』 (解放出版社) です。部落解放を地元で担ってきた人たちがいろんな角度から問題提起していました。
「震災を機に解放運動の新たな動きも芽生えはじめている。比較的被害が少なく、周辺地域の被災がひどかった芦屋支部の山口富造支部長は、『落ち着いたら、就労、住宅などの要求を周辺地域と一緒に行政に要求していきたい』 と語る。今回の地震は部落にも部落外にも被害を及ぼした。今後は、住居、仕事というこれまで部落がとりくんできた問題が、部落外でも重大な課題となる。それなら部落がとりくんできたノウハウを他地区にも生かせるのではないか――というのが山口さんの考えだ。うまくいけば、広範な運動が展開されることになる。ただし、と山口さんは付け加えた。『部落のほうから寄っていかんとね。外から寄ってくることはないから』。差別の壁が前提としてあるが、それを打ち破ろうとする勢いが支部にはある。」
 差別問題は格差の縮小・解消だけでは解決しません。する側、される側双方から、特にされる側からの相互理解のための関係づくりが必要です。
 正規労働者と非正規労働者の関係も、賃金格差、処遇格差だけの問題ではありません。非正規労働者にとっては 「人間」 として認められているかどうかです。

「ある在日コリアンと自称している女性の経営コンサルタントが次のようなことを言っている。『この国 (日本を指す) では残酷にも、弱者が頑張る姿は、絵になる美しさとしてテレビにとりあげられますが、誰も助けようとはしません。差別される弱者に強くなることを求めるだけです』 『差別されている側に強くなることを求める社会は、差別する側の問題をそのまま放置する社会です。だから差別と排斥の構造は温存され、今日まで脈々と受け継がれてきました』 といい、この背景に弱者に対する自明とされた謬った定義があることを指摘している。弱者も強くなれるという神話は、常に強者が説いてきたところである。しかし 『自らの手で自分の立場を改善できない者が、『弱者』 なのですから』 というのが指摘の内容である。『部落差別』 をなくすための同和行政があるとすれば強者が自ら持っている自明の前提と枠組みを問い直す勇気と努力をもつことである。差別は差別されている側を殺すが、差別する側は差別によって何の影響も受けないからである」
 正規労働者が非正規労働者を組織するのは、多くの場合が上から目線の “してあげる” の思考です。連合などが掲げる非正規労働者の組織化の目的は、ジリ貧の組織率、組合員の減少を帳尻合わせで克服するためのものです。差別されている側の苦しみや生活苦などを共有しようとしてのものではありません。ですから組織しても上からの支配、統制下への抱え込みが行われ、独自性・独立性は否定されます。利用主義です。
 非正規労働者の組織化の問題は非正規労働者自身が主体となって声をあげて要求を掲げ、自分たちで取り組み、周囲に差別の壁を壊すために一緒に闘ってほしいと共闘と支援を要請するところから解決の突破口が作られます。


 これと比べると韓国のそれぞれの労働組合は、自分たちの闘いを自分たちで展開しています。
 その典型が2009年12月に結成された希望連帯労組です。
 事前学習用に渡された労働政策研究・研修機構作成のパンフレット 『韓国における労働政策の展開と政労使の対応 -非正規労働者問題の解決を中心に-』 から引用します。執筆は呉学殊主任研究員です。
「目指すべき組合運動として、第1に 『共に生きる生き方』 の追求・実現、第2に、『下に流れる運動』 を導き出した。こうした組合運動は民主労総の限界を克服しようとしている。民主労総の限界とは、①大手企業正社員組合というイメージが強く、非正規労働者、中小企業労働者、失業者等の底辺労働者問題を解決することが難しい。②組合が使用者・資本家に対抗して労働者の処遇を引き上げるために戦うが、消費生活は既得権論理に陥り資本主義論理に引き込まれて代案の社会モデルを示すことが難しい。③生活社会・消費生活を変えるためには地域社会を変えていかなければならないが、民主労総の運動ではそれは難しいというものであった。
 こうした限界を克服するために、同労組は 『地域一般労組』 と命名し、地域社会運動労組としての指向を次のように明確にしている。第1に、事業場・企業との賃上げ闘争を乗り超えて、生活の空間である地域で 『ともに生きる生活』、『代案社会』 を建設すること、すなわち、組合運動と社会運動との結合を地域で日常的に実現し、新しい社会を創り出すための実践を行うことである。第2に、資本に従属されない 『代案的な生き方』、今までとは異なる新しい生き方、生活文化共同体を目指すことである。」

 共に生きる生活についてです。
 具体的には、1つの職場を組織する時、正規と非正規労働者の壁がありました。非正規労働者は最初、防波堤に使われるのではないかと疑いました。これに対し正規労働者は、 「会社は労働者を攻撃するときどこから手を付けようと思いますか」 ということから説得しました。正規労働者の労働条件が下がっているのも見て取れ、安定していません。アウトソーシングにより多くの元同僚が下請け企業の労働者になり、雇用不安や労働条件の低下を経験していて、いつか自分たちもそういう羽目になるのではないかと不安がっていました。自分たちの雇用を守るために会社との戦いを続けていくためには全労働者の過半数以上が組織された組合の交渉権・行動権の行使が必要だと説得し、実現します。そして下請企業労働者の存在が労働組合の交渉権・行動権の行使を弱めていると説得します。その中から信頼関係を作り上げました。
 民主労総の大手企業正社員組合や日本の企業内組合の閉じ籠りによる自己防衛の組織維持、非正規労働者の切り捨て容認の指向とは違います。
 企業内の壁を越えられない運動に希望はない、劣悪な状況を変える戦いには対案が必要だといいます。

 下に向かう運動は、現在の組織化には限界があるのではないかという認識から、どうやったら幸せになれるかの問題意識を持ったのが始まりでした。事業場をこえて地域とともに暮らす生活を進めていくということです。これが困難を克服する力となったといいます。「どのように組織し、何を組織していくか」。生活連帯、分かち合い連帯です。この運動は組合員の生活価値、組合の日常活動を変えました。共同体意識を高めるための教育でした。

 希望連帯労組は民主労総の敷地内に本部があり現在の組合員は4000人です。民主労総の限界を指摘していますがだからといって関係は悪くありません。むしろ労働運動全体を強化させると確信して相剋しています。勢いがある組織は懐の深さが違います。


 11月14日、ソウル市役所前で開かれた全国労働者大会・民衆総決起に参加しました。
 70年11月13日にソウル市東大門市場の平和市場で 「勤労基準法を遵守しろ」 と叫んで焼身自殺をはかった全泰壹の遺志を受け継いで1988年から毎年11月に労働者大会が開催されてきました。
 今年は雨の中を13万人が結集して、朴政権を追究する集会になりました。
 登壇者の発言内容は分かりませんが、そこにいるだけで感動的でした。
 全員で 『イムのための行進曲』 を轟かせていました。

 全泰壹が抗議の焼身自殺をした後、オモニ李小仙は平和市場で清渓被服労働組合を誕生させて活動を始めます。そして72年、平和市場に労働教室を開設します。そこでは学生たちがオモニたちに寄り添って活動を続けます。労働教室は各地に広まっていきました。
 80年5月、光州市民を戒厳軍が襲います。弾圧に抗して市民が立ち上がり、“自由光州” を取り戻します。この時、学生と一緒に “自由光州” の砦・道庁を守り続けたのが労働者の学校 「野火夜学」 に通う工順 (女子工員) たちでした。炊き出し、連絡係、看護隊、放送担当と忙しく活躍します。
 野火夜学を開設したのが 「市民学生闘争委員会」 のスポークスマンだった尹祥源です。ソウルの労働学校を真似ました。彼は道庁に籠もって銃撃戦で亡くなります。運営の中心を担っていたのが全南大学出身の朴棋順です。しかし彼女は78年冬、練炭ガス中毒で亡くなってしまいます。
 82年2月20日、尹祥源と朴棋順の 「霊魂結婚」 式 (死んだ後に行われる結婚式) が生き残った仲間たちによって執り行われました。仲間たちは 『イムのための行進曲』 の歌を創って2人に捧げます。
 その歌が轟きました。韓国の労働運動は、闘いを引き継いで前進していると実感することが出来ました。

 会場では、前日に交流した公共労組ソ京支部・大学非正規支部の隣に座りこんでいました。
 交流の時、14年2月4日の 「活動報告」 に書いた、13年12月17日付の邦訳 「ハンギョレ新聞」 に載った韓国・中央大学のストライキの記事と写真を見て感動したと報告しました。
 記事を再録します。

  “きれいにできなくて ごめんなさい”  ストライキ清掃労働者の大字報 “ジーンと”
  “どうして申し訳ないと言われるんですか…”  1113回リツィット “話題”

  中央大学校の清掃をしている外注会社は、労働組合脱退と労働強度を続けていました。労働組合は
 脱退勧誘の中断と労働強度に合わせた15人追加人材採用を要求してストライキに入ります。その時、
 1人の清掃労働者が、図書館のトイレ前の壁に大学生に向けてA3大の手書きの手紙を貼りました。
 「学生たちに先ず申し訳ないという話からします。今、美化員のおばさんたちがストライキをしています。
 試験期間にきれいにできなくてごめんなさい。ストライキは本当に大変です。私たちの問題解決がはやく
 終わり次第、戻ってきてきれいに清掃しますね。愛する学生の皆さん! -美化員おばさん」

  1人の学生がツイッターを立ち上げました。すると3時間もしない間に1113回もリツィットされました。
 「涙が出る手紙ですね」、「心が痛いです」、「社長には死んでも分からない “本当のお母さんの心”」
  「ストライキは憲法に保障された権利です。謝る必要はありません」 という反応でした。
  ツイッターを立ち上げた学生は 「(掲示物を見て) 悲しくなった。法に保障された正当な権利なのに、
 あのようにまで “ごめんね” と言うのを見ると、この間清掃労働者の方々がどれほど抑圧的な状況で
 顔色を伺いながら勤務をしたのかが感じられた」 と話しています。

 集会には公共労組ソ京支部・大学非正規支部・中央大学支部の労働者も参加しています。大学非正規支部の役員の方が、大学生に向けて手紙を書いた方と引き合わせてくれ、記念の写真を撮ってくれました。感動的出会いでした。


 4日目、西大門刑務所などを周った回った時は “韓国の民衆史は日本の隠された正史” と実感しました。街の中の独立運動に関連する建物などの遺跡の説明版は設置日が1980年代後半になっています。民主化闘争が歴史の掘り起こしと顕彰を可能にしました。
 韓国社会は、労働運動だけでなく、確実に新しい歴史をつくり始めています。


   「活動報告」 2014.2.4
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無料のサービスはありえない
2015/11/17(Tue)
 11月17日 (火)

 総務省の労働力調査で、週労働時間60時間以上の雇用者の割合について業種別のデータを公表しています。輸業・郵便業がダントツで、2012年は18.9%に及んでいます。しかも週労働時間60時間以上、つまり時間外労働が月80時間以上の詳しい状態については分かりません。
 運輸業・郵便業には、鉄道や観光バスの運送が含まれます。しばしばニュースで取り上げられている高速バス、観光バスの労働実態は深刻です。
 厚労省の2014年度に労災と認定された過労死が一番多かったのが 〈運輸業・郵便業〉 で92件です。

 宅配業の状況を取材した横田増生著 『仁義なき宅配 ヤマト vs 佐川 vs 日本郵便 vs アマゾン』 (小学館) が出版されました。そのなかから宅配業の労働時間の実態を探ってみます。それぞれ下請会社を抱えていますので、そこから宅配以外の運輸業の状況も垣間見ることが出来ます。
 国土交通省の数字では、2015年3月期の宅配便の個数は36億個強、メール便は54億強です。アマゾンジャパンや楽天などでは配送無料、さらに返品無料もあります。ではそのために費やされる労働への対価はどうなっているのでしょうか。

 著者は、ヤマト運輸で3か月ごとに契約更新が行われる下請けの軽トラに1日同乗する体験を試みます。3か月ごとの更新は、繁忙期と端境期があるのでその調整のためです。
 午前8時過ぎ、配送センターで70個の荷物を積み込んで出発します。受け持ちエリアを午前中、昼過ぎから夕方まで、夕刻から夜9時までの3回配達に回ります。不在の場合には2回、3回と回ります。3回の配達で合計100個の荷物を配り終えたのは午後9時前。拘束時間は14時間近くで、日当1万5千円です。換算すると時給は1000円強ですがそこから車輌代、ガソリン代、車検代を支払います。
 夏の繁忙期にもう一度同乗をお願いして了承を得ましたが、運転手は前日頸動脈からのくも膜下出血で病院に搬送されていました。

 宅配業界では、1個当たりの運賃が250円以下になると、どのように工夫しても利益がでない構造になっています。
 以前、佐川急便が最大手の荷主であるアマゾンとの契約で合意したのは全国一律で250円をわずかに上回る金額だったといわれます。アマゾンの配送を扱うことで、収支だけでなくサービスレベルも悪くなったといいます。
 2013年春、打ち切りました。経営の舵をシェア至上主義から “運賃適正化” を掲げて利益重視へと切り替えたのです。

 アマゾンの配送を運ぶことになったのはヤマトです。しかしヤマトはメール便については日本郵便に委託しています。
 ヤマトは2013年10月に稼ぎ頭のクール宅急便が常温で仕分けが行われていたことが新聞ですっぱ抜かれました。
 対策として、クール宅急便を取り扱える個数の上限を決め、それを上回った場合は荷物を引き受けることを断る総量管理制度を導入して再発防止に取り組みます。同時に法人向けの運賃の適正化に取り組みます。
「本来はサービス内容で競争するべきなのでしょうが、運賃 (の値引きをするの) もサービスの一環だという考え方もありました。特にネット通販事業者から荷物をいただくには、運賃が大きな要因になります。けれど、そうした通販業者さんからも採算の合う運賃をいただかないと、輸送サービスの品質が担保できないと考えて、運賃の適正化に踏み切ったのです」
 ヤマトは佐川のアマゾンの配送の中止、クール宅急便問題の危機に押されて運賃適正化をすすめました。運賃上昇→利潤率上昇→設備投資の増額→労働環境の改善へとつながり “豊作貧乏” から抜け出すことに挑戦します。


 宅配便に関わるトラックは、集配車のほかに夜間に長距離を走る幹線輸送車があります。各社とも9割以上が下請けで、その下請け業者を “傭車” と呼びます。
 著者は佐川の傭車に同乗しました。荷物の積み下ろしまで傭車のドライバーの仕事です。
 関東のセンターで夕方から仕事開始、午後8時過ぎ出発し、関西の中継センターについたのは午前3時、仮眠をとって午後4時から荷物を積み込み、8時に出発し関東の営業所で荷物を降ろし終えたのは翌日午前6時過ぎです。3日にまたがる拘束時間34時間で、労働時間 (休息を含む) は26時間です。
 これに対して佐川が下請け業者に支払う運賃は16万円です。下請会社は軽油代、高速料金代、車両の償却費、保険代を負担します。ドライバーの平均賃金は約25万円で、20年前と比べると半分ほどの水準になっています。


 国土交通省が2013年に発表した資料では、全産業平均の月収が31万円であるのに対し、トラック事業の平均は29万円台でした。年収は416万円で50万円以上の開きとなっています。
 労働時間に関しては、全産業平均が1700時間台ですが (この数字にはからくりがあります)、トラック事業は2200時間台です。
 年齢別労働人口では、全産業平均では29歳以下が18%を占めていますが、大型トラックのドライバーは3%台です。若者層に避けられている業種です。対策は急務です。

 もう一つの宅配事業を行っている日本郵政では、郵便局内のゆうパック部門に 「奪還営業」 と大書した幟が立っているといいます。ヤマト運輸からの荷物の奪還です。


 ヤマトの1人の配達員の労働実態が報告されています。労働時間の事態は朝6時から積み込み作業をはじめ、終了は午後10時までになるといいます。しかし業務開始を記録する携帯の専用端末 〈PP (ポータブル・ポス) 端末〉 を立ち上げるのは8時以降と決められています。午後9時20分前後に再配達を終了したら締めます。しかしその後の作業が残っています。昼食は、車を停めてとる時間がないのが現状で、運転したままでとることもあります。
 端末を立ち上げる前と締めた後、お昼の1時間はサービス残業です。サービス残業だけで月60時間に及びます。これらは、会社が厚労省などの調査で報告する記録上の残業時間には含まれません。運輸業界の長時間労働の実態は隠されています。
 サービス残業ではない通常の残業は1日4時間以上で、月80時間です。実際の残業時間は月140時間です。これで残業代や諸手当を含めた賃金は額面で約30万円です。
 2007年から労働者の残業時間の上限を決めた 〈計画労働時間制度〉 を導入しました。初年度の2008年3月期の総労働時間は2550時間でした。2015年3月期は2464時間です。この設定自体が異常です。
 賃金体系は、基本給と残業代、それにどれくらい荷物を集荷配達したかによって支払われる業務インセンティブの3本柱になっています。業務インセンティブは賃金全体の60%から80%を占めます。
 総労働時間に近づくと期末には仕事ができません。業務インセンティブの手当が期待できなくなります。このことがサービス残業を温存する原因にもなっています。

 佐川急便の中小型トラックでのセールス・ドライバーの平均年収は385万円で、大型トラックのドライバーとの年収の差は80万円以上になっています。


 ではトラック労働者の労働条件を向上させるためにはどうしたらいいでしょうか。
 1つとしては、今は時間指定の荷物とそうでないのと同額ですが時間指定の場合は追加料金を徴収すべきだと提案されています。特に夜間の指定に対しては当然です。
 しかし顧客がセンターに荷物を持ち込むと、時間指定を半強制的に記載されます。これではセンターが労働強化を積極的に進めていることになります。

 1個当たりの運賃が250円以下になるとどのように工夫しても利益がでない構造がありといいます。
 アマゾンや楽天をはじめとするネット通販事業者は配送無料をうたって販売促進をしています。誰が送料を負担しているのでしょうか。
 多口顧客として配送会社にダンピングを強制し、そのしわ寄せは労働者にきます。労働の価値を認めず、労働者を愚弄するものです。誰かを犠牲にした経済活動はまともとは言えず、社会正義に反します。
 またネット通販事業者負担というのなら送料は商品に含まれているということです。消費者は騙されています。
 アマゾンは書籍販売で街の書店の経営を脅かしています。その結果街から書店が消え、消費者は不自由を強いられてもいます。
 無料配送、サービス過多は労働の価値を低め、労働者同士の思いやりを奪います。社会秩序を破壊しています。
 営業シェアが飽和状態になり 「奪還営業」 が不可能になった時点で今のシステムは崩壊します。その前に無理なサービスはまた事故を発生させる危険性があります。配送労働者の生活がネット通販事業者の犠牲になる必要はありません。
 国交相は、配送無料の広告を禁止し、運賃適正化を推進する必要があります。
 そのことが長時間労働を削減し、労働条件を改善し、労働力不足を解消する早道です。

 労働者がお互いの労働を理解し、尊重し合う関係性、あたりまえの社会秩序を作り上げていくことが必要です。

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国労東京駅分会 「惜しかったなあ」 の闘い
2015/11/10(Tue)
 11月10日 (火)

 ある研究会で、JRの東京駅で新幹線の乗車券発売や出改札業務、車いす補助、在来線改札などの業務を担っているJR東日本の協力会社・株式会社JR東日本ステーションサービス (JESS) 東京駅営業所における従業員代表者選挙の闘いの報告を聞きました。

 東京駅では700人から800人が働いています。
 JESSにはプロパーだけでなく国労や東日本労組組合員などJR東日本からの出向者などもいます。いずれも従業員数の過半数を超えていません。
 2014年秋、内勤室に張ってある 「時間外労働に関する協定届」 を見て、組合活動が豊かな1人の国労組合員が変なことに気づきました。「おかしいぞ」。過半数を代表する者の選出方法が 「挙手による」 となっていて代表者の名が書いてあります。「俺たちは手を上げてこの人に決めたことないよなあ?」 「会社が勝手に俺たちの代表者を決めてるんじゃないのか?」
 調べてみると、社員全員で選ぶことになっている 「過半数代表者」 を会社が一方的に指名していることがわかりました。
 労働者の過半数が加入する労働組合のない事業所では、就業規則で決められた労働時間を超えて時間外労働を命ずるには、そこで働く労働者が 「過半数代表者」 を選び、その代表者と協定を結ぶ必要があります。明白な労働基準法違反でした。
 労働基準法は、労働条件を使用者 (経営者) が一方的に決めることを制限しています。過半数が加入する労働組合がある場合には組合が、ない場合にはそこで働く労働者が選んだ 「過半数代表者」 が、職場の様々な運営に参加することになっていて、就業規則で決めた労働時間を超えて時間外労働を命ずる場合、結ぶことの必要な協定 (36協定) の締結や、安全衛生委員会の労働者側委員の推薦などがあります。
 日頃、「コンプライアンス重視」 を表明している会社が、労働基準法違反という重大なコンプライアンス違反を犯していました。

 国労東京駅分会とJESS班は2015年5月19日、東京駅営業所長に対して、明らかな労基法違反を改めるため、速やかに 「職場の過半数代表」 の選出をやり直すことなどを求める申し入れを行いました。申入れに対して、営業所は 「真撃に受け止め、代表者の選出を改めて行う事としました」 と表明し、選挙が行われました。
 6月に一回目の選挙が行われました。総数は271票で、過半数は136票です。
 6月23日に開票された選挙結果は、
  国労組合員の候補      134票
  JRから出向の会社側候補 128票
  白4  無効3  棄権2 
 労基法の 「職場の過半数代表者」 を選ぶ選挙では、「全有権者の過半数」 を獲得する必要があります。国労の候補は会社側の候補を上回りましたが、過半数にわずか2票足りませんでした。
 7月に二回目の選挙が行われました。総数は272票で、過半数は137票です。
 7月13日に開票された選挙結果は、
  国労組合員の候補    125票
  プロパーの会社側候補 139票
  白5  無効2  棄権1 
 プロパーの会社側候補は過半数をわずか2票上回りました。新しい 「過半数代表者」 が決まりました。
 「惜しかったなあ」 が国労組合員の選挙結果分析の感想です。

 選挙では会社側からさまざまな介入があり、大変問題のある選挙になってしまいましたが、まずこれまでの労基法違反の状態を改めて、まがりなりにも法律に基づく選挙が行われたことは大きな前進だと考えています。
 一回目の選挙で国労組合員候補が勝利する可能性は充分ありました。二回目の選挙でもプロパーの会社側候補の過半数獲得をはばむ可能性も充分ありました。国労組合員候補は、基礎票である国労組合員数の二倍以上の票を獲得しました。本当に惜しかった。大変惜しい、大変悔しい結果ですが、本来は介入してはならない会社側が、さまざまな介入を行った中で大健闘したと思います。一回目から票は大きく減っていません。

 会社に申し入れたのは、「法律にしたがって、労働者代表を選挙で選んでください」 というそれだけのことでした。労使が協力して選挙を行い、平穏に代表が決まると思っていました。しかし、会社が一方の候補に肩入れしたため、労働者どうしで争われるはずの選挙は、会社と労働者の力だめしになってしまいました。
 一回目で、国労組合員の候補がもう1人の候補を破ったため、二回目の選挙戦で会社側は、営業所長が連日の点呼で国労組合員陣営を非難し、チラシ配布に介入するなど露骨な選挙介入を行いました。
 労働者代表を会社が一方的に指名するのは労基法違反ですが、過半数代表選挙に会社が介入するのも労基法違反です。日ごろ 「コンプライアンス遵守」 を唱えている会社が、今回の選挙を通じて重大なコンプライアンス違反を繰り返したことを、厳しく非難します。

 点呼での営業所長の発言です。
 「ビラを配っている者がいるが、いやな者もいるだろう。いやな者は受け取らないでいい」
 投票が始まる前の発言です。「ビラでは繁忙手当など、36協定と無関係なことが主張されている。弁護士とも相談しているが、選挙の趣旨から逸脱している可能性がある」
 投票が始まってからの発言です。「国労東京駅分会機関紙が休憩室にあった。会社は認めていない。ビラを渡されても断るように。また、ビラを撒いている者がいたら、会社に報告するように」
 そして突然新入社員歓迎会が開催されます。

 1度目にはJRから出向の会社側候補陣営、2度目にはプロパーの会社側候補陣営の支持者から会社に対して、国労組合員陣営のチラシ配布をやめさせるよう通報があり、会社はそれを口実に、配布をやめさせようとしました。更衣室に助役2人があらわれて、「俺も組合員だ」 (?)、「俺は会社を守る」 (?) などと威圧したほか、何度か配布をやめさせようとしましたが、禁止できませんでした。JRから出向の会社側候補陣営、プロパーの会社側候補陣営の支持者が会社側に、労働者として当然の権利を押さえつけるよう求めたことは、労働者として自殺行為であり大変残念です。

 国労組合員陣営は、「会社が過半数代表を一方的に指名するのは法律違反」、「自由で公正な選挙で、職場の労働者自身が自分たちの代表を選ぼう」、「東京駅収入の四〇%を稼ぐ厳しい労働にふさわしい待遇を。東京駅営業所の全員に繁忙手当を」、「必要要員の確保」 「安全衛生委員会の改革」 などを掲げて選挙戦を闘いました。
 会社側が 「国労組合員は36協定と関係ないこと、できるはずのないことを主張している」 「代表者はプロパーがふさわしい」 と宣伝したことに対して、国労組合員陣営は具体的な反論を書いたチラシで対抗しました。しかし、点呼での国労組合員陣営非難に対して、投票期間中に抗議できなかったことは残念です。(投票終了後、開票前に書面で抗議の申し入れを行いました。)

 私たちの 「現状は法律違反」 という申し入れを 「謙虚に受け止め」 て、会社は選挙を行いましたが、奇妙なことに、「現状は法律違反ではない」 という考えは変えませんでした。やり方がまずかったので選挙をしますということです。これはまったく認めがたいものでした。


 会社が、七月一日の就業規則変更にあたり、一方的に指名したJRから出向の会社側候補の 「意見書」 を添付して労基署に届ける姿勢を変えないため、6月30日、国労組合員陣営はやむなく、中央労働基準監督署 (労基署) に対して東京駅営業所の労働基準法違反を申告しました。
 労基署は私たちの申告を受理し、7月3日、監督官が東京駅営業所を調査のために訪れました。
 7月6日、中央労働基準監督署に出向いた営業所側に対して、労働基準法違反を指摘する是正勧告書と指導票が交付されました。
 その内容は
 職場の過半数代表者選出が法律に従って行われておらず、3月19日に届け出た時間外労働・休日労働に関する協定届と6月26日に届け出た就業規則の変更届は無効であり、労働基準法三二条と九〇条に違反している。
 職場の過半数代表者の選出を、民主的に正しく行うこと。

 7月16日、東京駅営業所は中央労働基準監督署に斉藤順治社長名の是正報告書 (7月5日付) を持参して説明し、受理されました。
 その際、新たな時間外労働・休日労働に関する協定届 (7月14日付)、就業規則への意見書 (7月14日付) でも、代表者の選出が選挙をしたにもかかわらず 「挙手による」 とされていることに対して、監督官が、選挙を行ったのではないか? 「挙手による」でいいのかと質問したことに対して、営業所側は 「点呼時に挙手で決めた」 と説明しました。(えー? そんなことあったかな? なかったよな? おかしいぞ? )


 JESSは2000人を超える大企業になりました。次々と駅業務を受託して、閑散線区中心の会社から、JR東日本の顔と言える東京駅新幹線乗換口など、JR東日本の収入の大きな部分を扱うまでになっています。しかし、そこで働く労働者の待遇は、それにふさわしいものでしょうか。
 JESSプロパーと、出向者、エルダー社員 (JRからの再雇用社員) のあいだに大きな格差があります。
・JESSの今年の新卒社員の賃金は17万円です。調整手当3万円、超勤手当5000円弱、夜勤手当
 5000円弱で、手取りは約17万円です。定期昇給はありません。5年経過したら評価によって1万円
 の幅で昇給します。そのため会社に表では不満を言いにくくなっています。
・年末年始手当 JR本体には年末年始手当がありますが、JESSプロパーの仲間やパートの仲間が
 年末年始に働いても手当はつきません。一緒に働いている出向者やエルダー社員に手当がつくにも
 かかわらず…。
・特殊勤務手当 徹夜勤務など、からだに負担の大きい変形勤務の場合、JR本体には特殊勤務手当
 がありますがJESSにはありません。一緒に働いても一方だけに手当がつきます。
・都市手当 出向者やエルダーの場合、東京駅で働くと、一番低い地区に比べて、超過勤務や一時金
 にも反映される基準内賃金が一五パーセント高くなりますが、JESSには都市手当がないため、どこ
 で働いても同じです。若い社員でも体調を崩すほど忙しい東京駅で働いても、忙しくない駅で働いても
 同じ賃金では、自信と誇りを持って働くことなどできません。
 東京駅で働く全員に繁忙手当を!という要求は、みんなの要求、当然の要求ではないでしょうか。
 このような理屈に合わない格差をなくし、皆が働いてよかったと思える職場、働きやすい職場をつくるためには、会社と対等な立場で、働く者の意見を表明することのできる労働組合をJESSの中につくることが必要です。そして、職場の過半数代表者を、私たちの手で、私たち自身が選挙で選ぶことは、働く者の意見を会社の運営に反映させていくための第一歩です。

 昨年末インフルエンザが発生した際、「仕事が回らない」 と言われて、熱が下がったばかりの者が多数出勤させられたため、さらに拡大してしまった問題はきちんと反省されていません。最近も、熱が出て休んだ仲間が、次の日にはもう出勤をもとめられ、熱の下がらないまま出勤したものの途中で退社するという事がありました。
 安全衛生委員会が本来の役割を充分果たすために、国労組合員陣営は国労組合員候補の推薦する者を安全衛生委員会の労働者側委員に補充することを求めています。


 中乗換口の委託に際してJR本体では、本人の意向は無視されて何回も面談が繰り返され、問答無用の強制的な出向が発令されました。辞令を渡されて泣いていた若者もいました。また、年齢を考慮して職場が指定されるはずのエルダー社員を 「日本一忙しい出札」 に発令するのは、労働問題というよりも、もはや人権問題ではないでしょうか。
 今回は触れることのできなかったパートの仲間の問題も含めて、みな困難と苦しみをかかえてがんばっています。
 プロパー、パート、出向者、エルダーは、みんなで手をつないでがんばろうと訴えています。


 労働組合が過半数を獲得していなくても、対抗勢力からの妨害があっても、労働者全体を巻き込んだ闘いができるということを実践した報告でした。

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秩父困民党蜂起から今を捉え返す
2015/11/05(Thu)
 11月5日 (木)

 10月末から、グループで埼玉・秩父を巡ってきました。目的は秩父困民党事件 (秩父困民党蜂起) に参加した人、行き場手になった人、捕えられて獄死した人たちの墓参りです。毎年訪れて23年目になります。
 映画 「草の乱」 が上映された頃は掘り起こしと捉え返しが進みましたが、最近は、秩父困民党と言ってもわからないという答えが返ってきます。
 秩父困民党事件は、明治17年 (1884年) 11月1日、秩父地方の農民4000人 (1万人とも言われている) は困民軍を組織し、「高利貸しのため身代を傾け、生計に苦しむもの多し。依って債主に迫り10カ年据え置き40カ年賦に延長を乞うこと」 など4項目の要求を掲げて決起します。高利貸を焼き討ちをしたり、郡役所を占拠し、さらに信州や児玉・金屋に進軍し、軍隊と対峙しますが敗北します。

 蜂起の背景です。
 秩父地域は江戸時代から大部分の家で養蚕と製糸を営んでいました。元来、土地は耕作に適していませんでしたが、桑は田畑の畔や屋敷回り、墓地、荒地などで栽培されて自家用に生糸が製造されていました。農家の副業として発展したのが秩父絹織物業です。
 安政6年 (1859年)、生糸の輸出が開始されます。そうすると自給用の主穀を生産していた田畑にも桑を植えるようになり、生糸の小商品生産に移ります。米麦は不足分を購入して補うようになります。
 文久3年 (1862年)、大宮郷 (現在の秩父市) に糸繭買仲間が結成され、糸市が立つようになり、その後に周囲の町にも立ちます。
 しかし、開国後の生糸の大量流出により、価格は暴落します。

 明治政府は外国からの干渉・介入を排除するため国力・軍事力を強化する政策をとります。お茶や生糸、銅などを輸出して獲得した外貨で軍艦を購入しました。
 全国各地で養蚕が奨励されましたが1882年、世界的不況の中で生糸の価格が暴落し農民たちは困窮に陥り負債を抱えます。
秩父の一帯もまさにそうでした。しかし高利貸しの取り立ては厳しく、農民たちは陳情などを繰り返しますが、裁判所や役所も高利貸しに加勢します。その中で農民たちは協議を重ね、農民に加勢のオルグをしながら蜂起の日を決定して1884年11月1日、吉田町の椋神社に結集します。
 中心となっていたのは、鍛冶屋などを副業にしていて地域を回って知り尽くしていた者、学校の教師などの知識人、高利貸しなどを営み農民たちの窮乏の状況を身近で知っていた者たちです。
 山間地帯では全戸参加のところもあります。その一方、富農や平地で田畑を所有していた農民は参加していません。地域に差があります。


 秩父困民党事件というと 「ああ、自由民権運動の……」 と返されることがあります。
 しかし困民党と自由民権運動は違います。
 困民党蜂起は、借金の返済ができなくなった負債民たちが、借金の据え置きと延納などを求めたもので負債農民騒擾です。困民党・負債党・借金党などと呼ばれていますが、警察や役人や新聞などがつけた名称です。全国で60件以上も登場しました。
 秩父困民党では、蜂起した家の隣の家の高利貸しが焼き討ちにあっています。以前は農民同士だったが、片方は高利貸にのし上がり、一方は困窮しました。開国とともに地域的に一部経済的に成功した者とそうでない者が発生しました。いうならば資本主義初期の階級闘争です。

 では、秩父の農民たちと自由民権運動との関係はどうだったのでしょうか。
 自由党に加入した者も何名かいます。しかし自由党は明治17年 (1884年) 11月頃は崩壊寸前でした。あてになりません。むしろ、自由党との関係が断たれていたから、蜂起に向けた密議も漏れなかったと思われます。
 しかし後年、盛んに自由民権運動の一環と言われました。そこでは民権と議会主義の議論に取り込みます。しかし困民党は、蜂起で国会開設を実現しようなどという主張はしていません。利用主義です。

 自由党解体後の1885年、大阪事件が起こます。大井憲太郎ら自由党左派と呼ばれる者たちが、朝鮮で金玉均ら日本依存的政党である独立党政権を樹立しようとした事件です。独立党は国内改革で清からの独立をはかろうとしました。
 大井らは、外患によって愛国心をめざめさせようとし、朝鮮の独立運動支援の大義をかかげて、もっぱら自国の政治改革を画策しました。自由党左派と呼ばれ民権派は排外主義です。「自由新聞」 は国権拡張論を主張しました。それが日清戦争、日露戦争につながっていきます。

 日清戦争では24万661人の陸軍将校・兵士と15万3974人の軍夫義勇軍運動が勅令で禁止されたあと軍夫志願運動が展開されました起。軍夫は非戦闘員の民間輸送員に従事しますが、実際には戦闘員にも参加しました。
 その意識は国民一般のナショナリズムです。その他、岩手では明治維新の敗者の挽回のためで、そのため高年齢者も多く含まれていました。秩父でも生き残った蜂起参加者が参加しています。

 蜂起の中心・吉田町の中心に貴布祢神社があります。
 蜂起翌年の5月11日に芝居が催されました。蜂起での逃亡者の無事祈願だったと言われています。8月24日は旧暦お盆の15日です。亡くなった者たちの新盆です。この時も死者への供養のための鎮魂の芝居が催されました。
 日露戦争後、貴布祢神社の鳥居の隣には 「日露戦争凱旋碑」 が建てられました。
 時間は流れていました。


 困民軍は寄居町を経由して進撃しようとし、11月4日夜11時過ぎ金屋で鎮台兵と激突します。
 火縄銃と村田銃との対峙で困民軍に勝ち目はありません。
 困民党の戦死者は6人。14人が怪我して捕捉されますがその後5人が仮病院で息を引き取ります。そのうちの1人は「たとい死すともその術を受けず」と手当を拒否し、自ら刀でのどを突いて命を絶ちました。一命を取り留めた重傷者は9人です。

 死者は、身元が分かった者は引きとられましたが、不明者は仮病院となった円通寺の境内に埋められ塚が作られました。おいおい判明して身内に引き取られましたが2人は残ったままです。
 1972年4月9日に墓地製造計画のため塚は掘り起こされ、墓地内に移されました。そしてそこに81年9月23日の彼岸に 「秩父事件死者之墓」 が建立されました。
 以前訪れた時の住職のお話では、檀家に相談したら反対されるという判断で独断です。その後説得して了承を得ます。住職は 「困民軍ははっきり言って暴徒です」 といいます。しかし当時としては止むに止まれぬ行動だったと捉え供養しました。
 今、この 「秩父事件死者之墓」 を定期的に訪れて清掃を続けている方がいます。その方と夜、交流しました。

 円通寺の隣に、困民軍が逃げ込んだ家があります。そこの井戸に隠れた者もいます。 その家は事件後、警察等の休憩所として使用されたりします。しかし戸主は井戸に隠れている者を通報しませんでした。
 その戸主から4代目に当たる現在の戸主の方とも毎回交流しています。


 秩父は、国家に歯向かった者たちの地方ということで明治政府からだけでなく取り残されました。
 1929年から始まる世界恐慌によりアメリカを主要としとする生糸の価格は暴落しまし。日本の養蚕農家はすべからく大打撃を受けました。
 農林省が農村を救済するためにとった対策の1つが 「経済厚生運動」 でした。
 1931年8月、第63回臨時帝国議会で 「農村経済厚生に関する経費」 が予算に追加計上され、疲弊した農村や漁村の救済運動が具体化されて、中川村 (旧、荒川村 現、秩父市荒川) も33年経済更生村に指定され、37年、中川村は特別助成村に指定されます。
 しかし指定の条件は満州移民です。分村計画を立て、村民を満州に移民として送り出すことになりますが、
 当時中川村は総戸数573戸、人口3078人。うち農家は407戸。およそ100戸が過剰農家とされていました。移住した農家の耕地を残った農家が買い取る、そうすると自力で更生できるという考え方です。移民する人のためのものではなく、移民しないで残る人のためのものです。
 中川村は573戸中100戸が過剰農家で、プラス次男、三男と商工業者が対象です。

 1945年8月15日段階での入植は139戸、在籍者597人、うち125人が招集されていて実在者は472人でした。
 帰帰国できた者は274人。303人が中国で死亡しました。団山子 (トアンシャンス) で19人の犠牲者を出しました。自決した女性1人を帰帰国できた者は274人。303人が中国で死亡しました。団山子 (トアンシャンス) で19人の犠牲者を出しました。自決した女性1人をのぞいてすべて母親に殺された5歳以下の子供除いてすべて母親に殺された5歳以下の子供でした。


 荒川村・旧中川村の人通りが少ない浅間神社の山裾に、1953年、荒川村は 「滿州開拓殉難碑」 「中川村開拓団 拓魂碑」 を建立しました。
 もう1つ、清雲寺に 「拓霊芳魂塔」 が建立されています。
 2つとも碑文の内容は、終戦直後に建てられたということもあって 「ソ連の侵攻による犠牲者」 です。しかし本当は日本政府と軍からの犠牲者です。
 お参りをしてお線香をあげました。


 戦争はいつも人びとを圧政下において推進されます。
 その延長線に1930年代からの 「満州国」 建国があります。移住した人たちの戦中・戦後の辛酸は想像を超えます。しかし日本政府は戦後補償を充分に行っていません。その姿勢が今回の「戦争法案」ともなっています。
 秩父の山々をめぐりながら、秋の夜長は困民党に参加した人々と満州に移民させられた人びとに思いをはせながら、「過ちを繰り返させない」 ために 「戦争法案」 について考えても語り合いました。


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