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 『あなた方はケーキを焼くようにイラクを焼きました』
2015/10/09(Fri)
 10月9日 (金)

 10月3日未明、米軍はアフガニスタン北部クンドゥズの 「国境なき医師団」 の病院を空爆しました。
 10月7日の朝日新聞は 「PKO 残した幼子と女性 コンゴ 隊員の性的搾取問題」 の見出し記事を載せました。
 記事を読んで、あってはいけないことですが、よくあることと実感させられた本があります。

 フィル・クレイの小説 『一時帰還』 (岩波書店 2015年刊) は、12編の短編が収められています。軍や隊、兵士の戦闘場面や手柄を取り上げたものではありません。兵士の心情を描いていますが兵士の心情を一般化したものではありません。フィル・クレイ自身が海兵隊員としてイラク戦争に派兵されました。その体験とたくさんの兵士を取材して1人ひとりの兵士の心情をそのまま描いています。
 1編ごとに場面・テーマは違います。アメリカは何のために戦争をしているのか、兵士はどのような心情に陥るのか、どのような者が駆り出されているのか、戦闘の報告はどのように行われるかなど国家・軍・隊の裏側も垣間見ることができます。
 全体を貫いているのは、兵士にとって戦争はいいことはないということです。
 いくつかの場面を抜粋して紹介します。


 イランからのアメリカとの関係性、アメリカのイラン政策の本音です。
「小柄でずんぐりしたスンニ派のイスラム教徒で、みなから 『教授』 と呼ばれている男だった。
 『どうして教授と呼ばれているんですか?』 と私は訊いてみた。
 『教授だったからですよ』 と彼は言い、それから眼鏡を外して、本当に教授だったことを強調するかのように眼鏡をこすった。『あなた方が来て、この国を壊すまではね』
 幸先のいいスタートとは言い難かった。『でもね』 と私は言った。『この戦争が始まったとき、私は反対だったんです…』
 『あなた方はケーキを焼くようにイラクを焼きました』 と彼は言った。『そしてイランに食べろと差し出したんです』……
 アメリカ人にこのようなことを言う通訳はめったにいない。私たちはしばらく黙り込んでいた。
 『イスタルカールですけど』 と私は彼を会話に引き込もうと試みた。『“自由” っていう意味なんですか? それとも “解放” ?』
 彼は目を少しだけ開け、私を横目に見た。『イスタルカール? イスタルカールは “独立” という意味です』 と彼は言った。『イスタルカールは何も意味しません。アメリカ人はアラビア語ができないっていう意味です』」

 タジの基地の民事活動部隊に野球の50着のユニフォームが届きます。イラクとのスポーツ外交のためです。
「受話器を置いた途端、eメールが目に飛び込んできた。表題は 『近い将来のイラクの国民的娯楽』。……
  考えているのは次のようなことです。イラク国民は民主主義を求めていますが、それは根づいて
 いません。なぜでしょうか?それを支える制度がないからです。腐った土台のうえには何も築くこと
 はできません。そしてイラクの文化は実に腐っています。
  馬鹿げているように聞こえるかもしれませんが、野球の制度以上によい制度はほとんどありません。
 日本人を見てください。彼らは天皇を愛するファシストだったのに、サヨナラ、ヒロヒトと唱える間もなく、
 一瞬にして野球好きの民主主義擁護者になりました。
  私が申し上げているのは、文化は変えなければいけないということです。そして、野球以上にアメリ
 カ的なものがあるでしょうか? 1人の男がバットを手に、世界と立ち向かい、歴史に残ろうとする。
 一瞬一瞬が一対一の戦いです。バッター対ピッチャー、走者対一塁手、走者対二塁手、走者対三塁
 手。そして運がよければ、キャッチャーとも戦う。それでも! それでも! これはチームスポーツで
 す! チームなしには何もできません!
  イラクではみんなサッカーをしているのだと思います。むべなるかな、ですよね。あれは子供たちに
 間違った教訓を教えるスポーツですから。『怪我をした振りをすれば、レフリーが助けてくれるかもし
 れない!』 『自分だけではどうしようもないから、味方にパスを出せ!』 そして最悪なのは、誰も得点
 しないことです。これって 『頑張れ、だけどあまり期待するな! ゴールに近づいても、得点までは至
 らないかもしれない!』 って言っているみたいです。それに手を使えません。それって、いったいどう
 いうスポーツですか?」

 「世界の警察官」 アメリカは、自分たちの民主主義を世界に押し付けて制覇しようとしています。ベトナムでの教訓は忘れられかけています。
 アメリカの民主主義の日本への押し付けは、1950年代にテレビの普及とプロレスの普及などの “文化” を通してすすめられました。その後がプロ野球、そして “金” による買収です。(13年9月25日の 「活動報告」)

「ホーパート二等軍曹が裏の喫煙室に兵士たちを集めた。ホーパートは第二小隊の指揮官代理だった。……
 彼は自分の説教の最中で、それは単純な説教だったが、日頃のパトロールの経験によって支えられたものだった。『俺たちは何をする?』 とホーパートは、無秩序に並んだ第二小隊のメンバーたちに向かってしゃべっていた。『俺たちはイラクに来て、イラク人にこう言う。俺たちに協力してくれるなら、電気を通してやろう。協力してくれるなら、下水道の設備を整えてやろう。協力してくれるなら、安全を確保してやろう。しかし、最良の友達は最悪の敵となる。もしおまえたちが俺たちを裏切れば、おまえらは地獄で生きることになるぞ。やつらの態度はこうだ。いいよ、俺たちは地獄で生きるからってな』。ホーパートは町の方角を指さし、それから虫を払うかのように手を振った。『やつらを地獄に落とせ』 と彼は言った。」

 アメリカとイラクの関係はアメリカが 「俺たちに協力してくれるなら」 です。イラクへの支援ではありません。そして電気や水道には、多くの、複雑な利権が働いています。
 日本の自衛隊によるPKO活動も、同じことを民間支援団体がやった時と比べると10倍の支出だったと言われています。


「考えは後からついてくる。考える時間が与えられたとき。というのも、真っ直ぐに帰還するってわけじゃないからだ。戦地にいて、次の瞬間にジャクソンヴィルのショッピングモールってわけじゃない。まずはTQ (アル・タカドゥム空軍基地) という、砂漠の真ん中の後方業務基地に送られ、少し 「緩めろ」 と言われる。それがどういう意味なのか俺にはわからない。「緩めろ」。俺たちは勝手に解釈した。シャワーでたくさんマスをかき、煙草をたくさん吸い、トランプをたくさんした。それから俺たちはクウェートに連れていかれ、民間航空機に乗せられて、アメリカに戻った。」
 着いたのはノースカロライナのチュリーポイント基地です。そこからバスで1時間かかるㇽジューン基地に移動し、行進して観衆からの歓迎を受けてから家族と会います。
 帰還はわざと時間をかけます。理由は戦闘地域では何も考えることができず、ということは恐怖と不安に襲われ続ける中で、戦闘の目的も是非も考えられないなかで日々を過ごしています。そのような精神状態から簡単に抜け出すことができませんが、同僚とその思いを “吐き出し合う” ことで少しづつ緩和させるためです。一種のデブリーフィング的効果です。

 家族のもとに帰ったあと、帰還兵のための授業を受けなければなりません。そこで教えられるのは 「自殺するな、女房を殴るな」 などです。その後96時間の休暇が与えられます。

「私たちの15番目の戦死者はチャーリー中隊から出た。ニコライ・レヴィン。海兵隊員たちは怒り狂った。彼が死んだからというだけでなく、最上級曹長がレヴィンに落ち度があると言ったからだ。
 『俺は友達を作りにここにいるんじゃない。海兵隊員たちを生かしておくためにいるんだ』 と最上級曹長は言った。レヴィンの死後、数日しか経っていないときに、兵士たちを叱咤したのだ。「実際のところは……」 ……
 最上級曹長は、ほかのほとんどの人たちと同様に、死が説明できるものであってほしいのだ。戦死者1人ひとりに理由を求める。……
 イラク派兵を終える頃には、私たちは100人を超える戦傷者を出していた。死者は16人だった。……
 私にとってアメリカでの最大の義務は、16人の戦死者の追悼式を執り行うことだった。……
 帰国後2か月して、ジェイソン・ピーターズが戦傷に屈し、死傷者の数は17になった。ピーターズを病院に訪ねたことのある者は、誰もがこれでよかったといった。彼は両手と片脚を失っていたのだ。……
 その後の数か月間、数年間に、さらに何人かが死んだ。1人の海兵隊員は交通事故で、1人は休暇中に喧嘩し、刺殺された。
 犯罪や麻薬の使用もあった。ジェイムス・カーターとスタンリー・フィリップスは、カーターの妻を殺し、死体を切り刻んで、自分たちで掘った小さな穴に埋め込もうとした。もう1人の海兵隊員はコカインでハイになり、AR-15でナイトクラブを襲撃、1人の女に重症を負わせた。コカインをやると自分が無敵のような気分になる。ピリピリと警戒している老練兵にとっては、それがいいのだろう。しかし、そのあとに起こることは気に入らないはずだ。海兵隊から追い出され、PTSDの治療でVA (復員軍人局) の医療サービスを受けたくても、受けられなくなる。その手のことは大隊で5、6人の海兵隊員に起こる。そのため兵士たちは尿検査で見つかりにくい薬物に切り換え始める。
 最初に自殺したのはエイデン・ルッソだった。休暇中に自分の拳銃でやった。……
 5か月後、アルバート・ベイリンが薬を使って自殺した。ベイリンもルッソも、チャーリー中隊出身だった。
 1年後、ホゼ・レイは三度目に戻ったイラクで、自分の頭を撃ち抜いた。」

 自衛隊員も明らかにされただけでも大勢の自殺者が出ています。それ以外にも除隊した後の自殺者は掌握されていないか隠されています。(2015年7月3日の 「活動報告」)


 隊の心理作戦担当兵は、言葉による攻撃の内容を考えます。
「『僕はファルージャ戦に参加したんだ』 と僕は言った。『あそこでたくさんのクレージーなことをしたよ。ゲリラを挑発しようとして、クソみたいなのをたくさん流した。エミネム、AC/CD、メタリカとかを大音響で。特にやつらが自分たちのラウンドスピーカーで対抗しようとすると、その音を消すためにクソを流すんだ。そうやってやつらの指示や統制を傷つける。……
 ゲリラたちもクソみたいなものを流してさ。お祈りとか歌とか。特に笑っちゃったのがあって、それは “われわれは、神は偉大なりのスローガンのもとに戦う。われわれは死とデートし、首を斬り落とされる” って感じなんだ』……
 『でも、音楽だけじゃなかったんだ』 と僕は言った。『海兵隊員たちは、できるだけ汚い侮辱の言葉を思いつこうと、競い合った。それをラウンドスピーカーでがなり立て、隠れているゲリラたちを挑発したんだ。しまいにやつらが怒り狂って、モスクから出てくるまでね。そうしたら、僕たちはやつらを片っ端から撃ち殺す』……
 『じゃあ、どうやって人を殺したの?』 と彼女は言った。
 『屈辱でだよ』 と僕は言った。『僕たちがやったことのなかで、一番いい結果を出したのがこれさ。ゲリラが飛び出してきて、海兵隊員が掃射する。それを僕たちは聞いているんだ。ヘルナンデス軍曹はこれを “ジェダイの心理的な罠” って呼んだ』」

 汚い言葉が投げられます。しかし、攻撃の時だけではありません、日常的に発して “敵” を蔑み、自分たちの行為を正当化して殺傷に至ります。

「『それに、ほかの・・・』 彼はここで間を置いた。『誰かがアルカイダだっていう理由はいくらでもあるんですよ。運転がゆっくりしすぎるとか、速すぎるとか。こいつの目つきが気に食わないとか』
 この会話があってから、私は何かしようと決意した。……
 最初に小隊長の指揮官、ホーパート二等軍曹に会いに行った。ホーパートによれば、その上等兵は心理カウンセラーからCOSR (兵士によるストレス反応) と診断されたという。それはありふれたことであり、疾患とみなされる症状ではないし、戦場から退去させる理由にもならない。……
 フェーア中佐と話をしてみると、あなたは訓練を受けた心理学者者なのかと問い返された。心理カウンセラーと話すと、COSRでいちいち海兵隊員を送り返していたら、戦争で戦う者がいなくなると言われた。『こういう異常な事態に対する正常な反応ですよ』 と彼らは言った。『ラマディは異常な事態だらけですから』 ……
 私はeメールを大佐、ボーデン、ホーパート、そしてカウンセリングの医者たちにまで送った。誰も返事をしなかった。
 いま振り返れば、それは当然のことだ。上等兵の神経衰弱――共感の欠如、怒り、絶望感――は自然な反応である。彼は極端な例だが、同じことはまわりじゆうの海兵隊員たちに見られる。私はロドリゲスのことを考えた。『俺にはみんな同じですから。みんな敵なんです』」

 「COSRでいちいち海兵隊員を送り返していたら、戦争で戦う者がいなくなると言われた」 のようなことは、軍隊では “あたりまえ” のことです。
「1951年は朝鮮戦争の時で……陸軍は、軍隊内の “戦傷者” や患者に積極果敢な治療を施す方針をとっていた。『最優秀の』 民間治療期間で行われていた治療に劣らぬ積極的な治療の恩恵に患者をあずからせることによって陸軍は 『その身内の世話』 をしていたわけである。士官でさえ精神異常になることがありうるのだ。癌を恨むことができないのと同様、そういう士官を恨むわけにはいかなかったのである。
 私の仕事の一部は、陸軍が必要としない兵士たちを精神病だという理由で陸軍から『降職』させることだった。そもそもそういう兵士たちはまず患者であるということで自動的に『降格』されていた。だが、8項目から成る基準に基づいて一体どの程度までダウングレイドさせればよいのか。
 ……診断とグレイドづけは、どの患者にも並たいていでない影響を及ぼした。
 なにしろ、下は陸軍からの除隊に始まって、精神異常の認定つきで民間の精神病院へ直接移転させられ、その場合にはとおからずロボトミー手術を受けさせられる見込みがあるというケースを経て、何らかの経済的援助つきで 「自由所帯」 するという場合まで、多々あったからだ。
 私に判断できる限りでは、経済的にも社会的にも影響を及ぼすこのような臨床資格の格づけの基準設定に関する方針は、陸軍の医療部門の外から発していた。その実態は私には永久に分るまい。誰と誰を原隊に復帰させ、誰と誰を除隊させたらよいのか。ある月は十パーセントの人を復帰させ、九十パーセントの人を除隊させたかと思うと、翌月には十パーセントを除隊させ、九十パーセントを留任させた。陸軍がどの程度まで人員を切り詰めるかという決定は陸軍当局次第だったのだ。朝鮮戦争が進行中だった。軍事動員可能総人員徴兵、士気がさまざま問題を提起した。」 (R.D.レイン 中村保男訳 『レイン わが半生 精神医学への道』 岩波書店 1986年刊)
 患者は必要に応じで回復させられるのです。それは、症状がより重くさせられるということです。


「攻撃のあと、海兵隊員たちはしばしば牧師かカウンセラーと話したがる。強い憤りを感じていたり、悲しんでいたり、その両者のあいだを揺れ動いたりする。しかし、このような海兵隊員はみたことがなかったし、本当のところ彼と2人きりになりたくなかった。
 『やつらには、告解に行くって話しますよ』 と彼は言った。彼の目は小さな点になっていた。私はふと、彼が何か薬物をやっているのではないかと思った。アルコール、マリファナ、ヘロイン――適当なイラク人を知っていれば、こういうものは手に入るのだ」

「父さんが俺にベトナムの話をしてくれたのは、俺がイラクに行く直前だった。……それから、本当に酔っ払ってから、父さんは娼婦の話をした。
 最初、司令部は町への遠足を毎月組織していたのだろうと思う。しかし、みんながどんどん無茶なことをするようになって、長続きしなかった。遠足がなくなると、売春宿が基地の隣に引っ越してきて、海兵隊員たちは夜に鉄条網をくぐり抜けて行くか、昼に女たちを 『地方の国賓』 として招くかした。父が言うには、こうした女たちは恋人のように扱うべきであり、そのほうがうまくいくのだそうだ。
 父さんが二度目にベトナムに行ったときには、こうしたこと全体が円滑に動く機械のようになっており、サービスの種類も広がっていた。たとえば、黒人の海兵隊員用と白人用と、別々の売春宿があった。白人用の売春宿で働いている女が黒人にサービスしていて、それが見つかったら、彼女は殺されるか、少なくとも二度と働けなくなるほどぶちのめされた。」


 これが実態です。アメリカが中東で展開を続ける戦争にどのような正義があるのでしょうか。説明できない戦闘でたくさんの兵士がアメリカの犠牲になっています。
 日本の 「戦争法」 に基づく派兵は、アメリカのどのような正義を支援するのでしょうか。そして巻き込まれて米兵と同じようなことを繰り返すのです。
 戦争は後から言い訳が作られます。


   「軍隊の惨事ストレス対策」
   「活動報告」 2015.7.3
   「活動報告」 2013.9.25
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから 
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