2015/06 ≪  2015/07 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2015/08
労働安全衛生とストレスチェック法
2015/07/31(Fri)
 「労働安全衛生」 の原稿を6000字で依頼されました。
 「労働安全衛生とストレスチェック法」 の内容で送稿しました。


 ▼ 「予防医学」 の一次予防とは何か
 昨年6月19日、「ストレスチェック法案」 と呼ばれる労働安全衛生法改正法が成立した。その後、省令・指針等が制定されて今年12月1日から実施される。
 安衛法改正案は、最初、11年12月に提出された。
「第一 精神的健康の状況を把握するための検査等
 一 事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めるところにより、医師又は保健師による精神的健康の状況を把握するための検査を行わなければならないものとすること。
 二 労働者は、一による検査を受けなければならないものとすること。」
 「スクリーニング法案」 と呼ばれ、患者の発見・選別・排除につながる危険性があるなどの理由から労働安全衛生に携わる団体や精神科医の団体などから反対意見が出されるなか、12年11月の国会解散で議論のないまま廃案になった。
 しかし厚労省はあきらめない。14年3月13日改めて法案を提出した。
「第三 心理的な負荷の程度を把握するための検査等
 一 事業者は、労働者に対し、厚生労働省令で定めたところにより、医師又は保健師による心理的な負担の程度を把握するための検査を行わなければならないものとすること。
 二 労働者は、一による検査を受けなければならないものとすること。」
「ストレスチェック法案」 と呼ばれ、昨年6月 「二 労働者は、一による検査を受けなければならないものとすること。」 は削除されて成立した。

 「スクリーニング法案」 と 「スクリーニング法案」 の違いはなにか。簡単にいうと 「予防医学」 における一次予防と二次予防である。
予防医学には、病気を予防するだけでなく疾病予防、障害予防、寿命の延長、身体的・精神的健康の増進を目的として一次予防、二次予防、三次予防がる。一次予防は、生活習慣の改善、生活環境の改善、健康教育による健康増進を図ることなどをいう。二次予防は、発生した疾病や障害を検診などにより早期に発見し、早期に治療や保健指導などの対策を行ない、疾病や傷害の重症化を予防することをいう。三次予防は、治療の過程において保健指導やリハビリテーション等による機能回復を図るなど、社会復帰を支援し、再発を予防することをいう。その遂行は 「社員の病は会社の病」 の視点から順序が大切である。職場のストレッサーの除去なしに労働者のストレスの軽減はできないからである。
 長年にわたって労働安全衛生に携わってきた医師は、わかりやすく言うなら一次予防は 「ハウスドック」、二次予防は 「人間ドック」 と解説した。対象が職場環境か、労働者自身かということである。

 ▼労務管理利用されてる危険性
 労働者の基本的人権・人格権、個人情報には心理状況、体調が含まれて保障され、保護されなければならない。それは、これまで職場で体調不良が発覚すると異端者とされたり戦力外通告をされて選別・排除が行われてきた実態から労働者を保護するためにも重要である。
 一例をあげる。
 大手企業の40代男性・製造業・事務職。過重労働で精神的体調不良になったが隠して働いていた。しかし耐えきれなくなっていた。
 部長に昇格。人事部から部下の評価のための資料を渡された。その中に1人ひとりの入社以来の定期健康診断結果を含めた健康状態の記録があった。体調不良を訴えたり、通院したら自分もこのように記録されるのかと思うと不安からさらに体調が悪化した。休養するか、退職するかの判断を迫られ、結局退職を選択した。理由は 「会社からいったんペンキが塗られたら退職まで落ちない」 という思いからだった。個人情報が、当該が知らないところで管理され、人事考課に利用されていた。
 ストレスチェック法の問題・危険性は、職場環境改善のためのストレス調査が、労務管理のための情報取得や人事上の適正検査など労働者個人を管理する性格テスト、スクリーニングの手法にされる危険性を含んでいることである。
 しかし個人情報を尊重しない日本の土壌ではこの間大きな反対運動は展開されなかった。今後は、労使双方に心理面への介入が容認・合法になったという風潮が生み出され、ますます個人情報が保護されなくなる危険性が出てくる。

 ▼二次予防が一次予防に
 ストレスチェック法案の審議においては、使用者が労働者の心理状況、精神的体調に介入する危険性が危惧され、法案成立に際して付帯決議が付けられた。
「二 ストレスチェック制度は、精神疾患の発見ではなく、メンタルヘルス不調の未然防止を主たる目的とする位置付けであることを明確にし、事業者及び労働者に誤解を招くことのないようにするとともに、ストレスチェック制度の実施に当たっては、労働者の意向が十分に尊重されるよう、事業者が行う検査を受けないことを選んだ労働者が、それを理由に不利益な取り扱いを受けることのないようにすること。
 三 ストレスチェック制度については、労働者個人が特定されずに職場ごとのストレスの状況を事業者が把握し、職場環境の改善を図る仕組みを検討すること。……」

 改正法成立後、厚労省は省令・指針等制定のための検討会を開催した。しかしこのなかで厚労省は 「労働者のメンタルヘルス不調を未然に防止するためには、労働者のストレスマネジメントの向上、職場環境の把握と改善というのが非常に重要になっている。このため、今回ストレスチェック及び面接指導というような制度を設けることとなった」 と説明し、個人への面接指導を 「健康教育による健康増進を図る」 一次予防と主張して議論を進めた。
 そして今年4月15日に公表した具体的な内容や運用方法を定めた省令等では、付帯決議の 「メンタルヘルス不調の未然防止」 が 「メンタルヘルス不調者の未然防止」 となった。
 しかし面接指導は 「発生した疾病や障害を検診などにより早期に発見し、早期に治療や保健指導などの対策を行なう」 二次予防・ 「人間ドック」 である。

 ▼ストレスの軽減が個人的課題に
 では 「職場環境の把握と改善」 とはどのようなことをいうのか。
 2004年11月、イギリス安全衛生庁 (HSE) は、職場ストレスに関する新しいマネージメント基準を発表した。事業者が職場のストレスレベルを測定し、その原因を特定し、この問題に取り組むスタッフに役立てることを目的としている。
 マネージメント基準は 「作業要求」、「管理」、「支援」、「関係」、「役割」、「変化」 の6つの重要な職場のストレッサーを低減する目標を設定している。事業者にとって目標達成とは、一定の割合のスタッフが、ストレッサーの管理方法に満足しているということを示すことである。
 しかし日本のストレスチェック法は、ストレッサーの 「集団的分析の実施」 と 「それを活用した職場環境改善の取り組み」 は努力義務にしかならなかった。

「学会では米国の専門家による招待講演もあり、イラク戦争に参加した米兵のPTSD研究の紹介がされていた。講演を聞きながらわたしは、『トラウマ研究は何時から、戦っても傷つかない人間をふやすための学問になったのだろう』 と思った。潤沢な予算がPTSDの予防や治療の研究につぎ込まれることと、平然と戦地へ兵士を送り出すことは、米国では矛盾しない。米兵のPTSDの有無や危険因子は調査され、発症予防や周期回復のための対策は練られるか、派兵をやめようという提案にはならない。イラクの人たちのPTSDについては調査どころか、言及さえない。そのことに違和感をもつ人はいないのだろうかと周囲を見回すが、みんな熱心に講演に聞き入っている。孤立感を覚える。
 メンタルヘルスケア対策は何時から、過重労働やいじめに遭っても傷つかない労働者をふやすための対策になったのだろう。」(宮地尚子著 『傷を愛せるか』 大月書店 2010年)
 これまでの日本の労働安全衛生政策は事後対応だったが、労働者のストレスに対する抵抗力を強化するためのものに転換が進んでいる。労働者個人の問題、「自己責任」とされ、使用者の責任が回避されようとしている。
 その具体例が2006年4月に改正された労働安全衛生法の 「現行の長時間労働者に対する医師による面接指導制度」 の導入。1か月100時間以上の時間外労働をした労働者が事業者に対し医師による面接の申し出を行った場合にはそれを行わなければならないと規定している。
 法は1か月100時間以上の時間外労働が労基法違反ではないということを前提にしている。そのうえで、該当する労働者は面接を申し出る。しかし実際に申し出たならば待ち受けるのは 「わがまま」 「他の労働者のことを考えない者」 というレッテル貼りや 「戦力外通告」。労働者は自分の健康を守るか、生活のために無理をして雇用維持するかの選択を強制される。多くの場合は後者を選び、制度はあまり機能していない。
 しかし労働者が体調不良に陥った時の責任は制度を行使しなかった労働者にもあることにもなって使用者の責任は相殺される口実になる。

 ▼使用者の責任回避
 日本で労働者のメンタルヘルスケアをクローズアップさせたのは 「電通過労自殺裁判」。企業は裁判が進行している最中から取り組みを開始した。
 しかしその具体的対策は、「使用者の安全配慮義務違反」 が指摘されて高額の賠償金を支払わなくても済むようにすることだった。そのために管理職・上司に部下の様子の監視を指示した。安全配慮義務違反を指摘された時に反論するための証拠作りである。そのような対策は当り前のことが職場環境改善にはつながらなかった。
 10年、政府主催の自殺防止対策の検討会で、自殺に至る危機経路の手前に 「うつ病」 があるという議論になった。そうならば 「うつ病」 の手前の危機経路の対策に議論が進み、労働者に対しては人間関係や過労などへの対策がとられるべきであった。
 しかし 「職場におけるメンタルヘルス不調者の把握及び対応」 ということになり、「労働安全衛生法に基づく定期健康診断において、……効果的にメンタルヘルス不調者を把握する方法について検討する。」 ということになり、プロジェクトチームでの討論では 「定期健康診断項目の追加検討が必要」 という意見が出された。
 メンタルヘルス対策、うつ病は個人的問題という視点から踏み出されることはなかった。このような中で労働安全衛生法の改正が準備された。

 ▼ 「高度プロフェッショナル制度」 とストレスチェック法
 昨年6月20日に過労死防止対策推進法が成立したことを受けて過労死等防止対策推進協議会が開催され、今年5月25日に 「過労死等の防止のための対策に関する大綱 ~過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ~」 がまとめられた。
 しかし内容はこれまで個別に取り扱われてきたストレスやメンタルヘルス対策などをあらためて集約的に取り上げたもので新しいものは見当たらない。課題として調査・研究が加わったが法制備の必要性のような問題には触れていない。逆に言えば、これまでの法や 「通達」、「指針」 等は活かされないままで放置され、労働現場には課題が山積になっていることを指摘した。
 その中の大きな課題が労働時間の問題である。
 「大綱」 は、「労働時間については、労働者1人当たりの年間総実労働時間は減少傾向で推移しているが、パートタイム労働者の割合の増加によるものと考えられ、一般労働者については2,000時間前後で高止まりしている (厚生労働省 「毎月勤労統計調査」 による。)。」 と述べている。
 厚労省はこれまで年間総労働時間は、例えば13年では1.746時間と発表してきた。分母に非正規労働者を含めたからで、一般労働者だけでは平均年間時間外労働343.56時間を合わせると2.018時間で、しかも使用者への調査なのでサービス残業や労働時間の改ざん、管理職の時間外労働は含まれていない。この数字は隠されてきた。
 長時間労働の問題を含めて放置されてきた第一次予防のための法や 「通達」、「指針」 を実践に移すことがまずもっての緊急の課題である。そのことを放置したままで二次予防のストレスチェック法を推進するのは順序が転倒している。
なぜ転倒が強行されるのか。
 政府は今国会での労働基準法改正法案・ 「高度プロフェッショナル制度」 の成立を断念したが再度上程されるであろう。高度プロフェッショナル制度が成立したら労働者は無制限の労働時間を強制され、体調不良者が続出するのは明らかである。そのなかで、ストレスチェック法は 「長時間労働者に対する医師による面接指導制度」 のように労働者に責任を転嫁し、使用者に職場改善を放免し、安全配慮義務を免責させ、責任を相殺させる役割を果たすことになってしまう危険性がある。

 ▼労組は共犯者からの脱出を
 「大綱」 は労働組合について、「過労死等の防止のための対策は、職場においては第一義的に事業主が取り組むものであるが、労働組合においても、労使が協力した取組を行うよう努めるほか、組合員に対する周知・啓発や良好な職場の雰囲気作り等に取り組むよう努める。また、労働組合及び過半数代表者は、この大綱の趣旨を踏まえた協定又は決議を行うよう努める。」 と述べている。
 ここに至る経緯がある。
 本当は使用者側委員の立場の専門家委員から意見が出された。
「やはり労働組合も組合員の命と健康を守ることに取り組むために1つの主体として、『労使と』 ではなくて『労働組合』という形でお書きいただくほうがバランスがとれるのではないかと思います。今は余り出ませんが、かつては労働組合の要求の1つに時短の要求が随分華々しく行われた時期があります。そういうことを考えると、賃金要求と合わせて組合にも、もう一度時短をお考えいただくような時代ではないかと思います。……従業員が孤立しないための1つの機関として労働組合というものをここでもう少しクローズアップしていいのではないかと思いました。」
 別の専門家委員も意見を述べた。
「まず事業主が過労死を出さないというところの決意を出すというところを強く書いていただけると有り難い、そして、労働者団体あるいは労働者そのものも過労死になりたくないわけですからその努力をするという、双方の立場を明確にしていただければありがたいと思った次第です。」
 実際は、多くの労働組合は、第一次予防のための法や 「通達」、「指針」 の放置の共犯者になっている。今、その姿勢から転換するかどうかが問われている。

 残念ながらストレスチェック法は施行される。労働組合は、メンタルヘルス対策は未然防止、職場環境改善を目的とする第一次予防のためのものである、「ストレスチェック制度の実施に当たっては、労働者の意向が十分に尊重される」 よう主張するとともに、人権やプライバシーがきちんと守られ、体調不良者のリストアップ、排除・退職勧奨等に繋がらないよう監視を続けていく必要がある。
 そして労働者にとって検査を受けることは義務ではないことを周知させなければならない。
この記事のURL | 厚労省 交渉・審議会 | ▲ top
「暴動ちゃあ、たいした力のあるもんばい」
2015/07/28(Tue)
 7月28日 (火)

 7月23日は、1918年に富山県魚津町で米騒動が起きた日と言われてきました。
 魚津町は北前船が寄港して栄えましたが、明治に入ってからは北海道や樺太への米の積み出しで栄えました。
 北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、米価高騰に苦しんでいた漁師の妻ら数十人が、米の積み出しを行っていた米倉庫前に集まり、県外移出中止と安売りを要求しましたが警官によって解散させられます。
 しかし最近は、7月に入ると魚津町の隣の水橋町ですでに 「女 (陸) 仲仕たちが移出米商高松へ積出し停止要求に日参する」 行動が始まっていたという歴史の発掘が行われています。女性たちの闘いはずっと続いていたのでした。
 富山の米騒動が新聞に報じられると米騒動は全国的に発展します。そして世論は、寺内正毅内閣の退陣を要求し、9月21日に辞表を提出します。
 寺内は第三代朝鮮統監であり、1910年の日韓併合の初代朝鮮総監でした。
 この報を聞いた朝鮮民衆はどれほど歓喜したでしょうか。朝鮮半島では翌年3月1日 「朝鮮独立宣言書」 が撒かれました。
 この頃は、労働者の都市部への流入に伴って農村の労働力は減少し、米の生産量は減少していました。7月以前から米価は高騰を続け、全国的に米が出回らなくなっていて、各地で自然発生的にもストライキが起きていました。

 そしてもう1つ、シベリア出兵が米価を高騰させているといううわさが流れました。
 第一次世界大戦最中の1917年に樹立したソビエト政権は単独でドイツ帝国と講和条約 (ブレスト・リトフスク条約) を結んで戦争から離脱します。その結果ドイツは東部戦線の兵力を西部戦線に集中して大攻勢をかけます。連合国はドイツの目を再び東部に向けさせ、同時にロシアの革命政権を打倒することも意図して、ロシア極東のウラジヴォストークに 「チェコ軍捕囚の救出」 を大義名分に出兵します。
 イギリス・フランスには余力がないなか、日本とアメリカに出兵を要請し、日本は8月2日に出兵を宣言します。
 そのことを当て込んだ米商人の思惑買い、売り惜しみが拍車をかけ、高騰していた米価に拍車がかかったといわれています。しかし当時の軍隊は食料を現地調達していて本土で備蓄することはなかったといいます。出兵で米の絶対量が不足するということは冷静に考えればありえないことです。
 商社の思惑はさておき、人びとにとって生活困窮における政府への不満は爆発しました。シベリア出兵・戦争は迷惑なものと受け止めました。


 人びとの戦争を通しての政府に対する思いのかい離は1904-05年の日露戦争から見られます。
 日露戦争は、民衆が納得しない状況の中で講和を締結し、日比谷暴動などを引き起こしました。 (15年1月23日の 「活動報告」 参照) しかし政府の指導者の判断は、国力・戦力が底をつかない、英米諸国の支持を失わないうちに素早く止めようということでした。その結果、西洋先進国に追いついたと説明します。そして朝鮮半島に本格的に侵略していきます。
 工業の発展による人口の流動は社会に地殻変動をもたらしていました。国家は人びとを上から統括する体制を作ろうとしますが、いろいろなところで抵抗、拒否に遭遇する状況が作り出されていました。その爆発が米騒動です。人びとは自分たちの埋もれていた力を発見します。
 その構造は 「内に立憲主義、外には帝国主義」 と言われた大正デモクラシーが終焉した後も国家から自立して存在しつづけます。

 例えば、東北地方では仏教系の民間信仰のもとで 「戦争は飢餓よりもひどいもの」 と伝承されていきます。
 第二次世界大戦においては仏教以外にもキリスト教などが抵抗を続けます。
 戦争に反対し続けたキリスト教宗派の「灯台社」には沢山の朝鮮人がいたといいます。
「戦争の初期に都市下層階級の中にあった厭戦感情は、日蓮宗の仏教運動のひとつの現れとして、牧口常三郎および戸田城聖の指導下にある創価学会を通して表現されました。また都市だけでなく農村の下層階級の反戦感情は、出口王仁三郎の指揮下にあった大本教という神道の宗教運動、御木徳近の指導下にあったひとのみちという神道系の宗教運動、大西愛治郎の指導下にあった天理本道というこれまた神道系の宗教運動にはけ口をもちました。これらの運動中から何人もの逮捕者が出て、獄中で死んだ人たちもおります。」 (鶴見俊輔著 『戦時期日本の精神史 1931-1945年』 岩波書店)
 牧口は戦時下に弾圧を受け、獄中で亡くなりました。


 戦争末期にはひとびとの我慢も限界をむかえていました。
 徴兵も学徒動員や年少兵の「志願」は枯渇状態に近づき、工場においても資源不足とともに労働者不足とともに労働意欲は減退していました。
「特高の報告する 『勤労学徒の動向』 によると、『一部には動員の長期化に伴う疲労感、学徒動員の性格的曖昧性、職場環境並びに学徒自身の時局認識欠如等に基因し、其の不平不満は暫次増こうし、各種紛争も相当発生』 しつつあった。1944年4月から12月までに50件、45年1月から5月までには27件の紛争議を生じた。後者の内訳をみると、集団的暴行を7件、罷怠業をともなうもの4件、集団的交渉をともなうもの4件、一斉引揚げをともなうもの2件、その他10件であった。
また、『勤労学徒の注意すべき思想動向』 として、『実に高学年学徒中には企業の私的正確に対する反発漸次増進しつつあり、加之学徒特有の学的思索と真理追求欲よりして其の態度極めて批判的且懐疑的となり、勤労意欲の希薄化、厭戦的敗戦的感情の萌芽を看取視せられた』 とある。」 (藤原彰編 『占領と民衆運動』 三省堂)

 戦意高揚のために精神科の医師が動員されて精神衛生管理を行います。
「それは主として飛行機や船舶や兵器などの製造工場でであった。戦力補充のため、おびただしい数の若い工員を、ほとんど無選択に徴用していたが、これらは全くの玉石混交で、多くの不良工員のために、職場の協調は乱される、不良製品は出る、無断欠勤などが多くて増産の効果はあがらぬという始末。
 困り果てた企業体は、精神医学の面での協力をわれられに依頼してきたのである。……
 研究は、企業に入り、優良工員の問題、問題工員の問題、災害頻発者の調査、神経症の問題、適性検査など多方面にわたった調査をおこなったが、その結果2つの点が特に印象的あった。……
 第2の点は、だれしも予想通り、不良工員の問題である。……
 そこで、われわれは、あれこれ試みた結果、まず、これらの者を正常工員の職場から離して、その職場の受ける妨害的作用を取り除き、次に、不良工員だけのグループを作って、特別の量で、特別の管理者のもとに、適当のリクレーションを交えた規則正しい生活をおこなわせるようにした。そして独立した工場で、彼らだけの作業に従事させるとともに、このグループの作業成績がすぐれているときには、適当に褒賞するようにしたのである。
 これらの措置は、すこぶる効果を上げたが、これは当然予測できることであった。」 (内村祐之著 『わが歩みし精神医学の道』)

「1942年後半からの労働情勢の悪化のなかで、労働者の事前発生的抵抗は急速に深化した。集団暴行事件と生産設備の破壊事件とが、戦時下特有の労働者の『抵抗』形態であった。集団暴行事件は官憲が把握したものだけでも、41年・3件、42年・17件、43年・19件、44年・39件、45年 (4月末まで) ・9件というように増加していた。『オシャカ闘争』 とよばれる生産設備の破壊事件は、42年11月に警視庁管内で萌芽的発生をみた後、43年・23件、44年・33件、45年 (3月末まで) ・5件と増加傾向にあった。」 (藤原彰編 『占領と民衆運動』 三省堂)
 これが 「聖戦」 の実態でした。
 広島、長崎への原爆投下がなくても、日本は戦争を継続する力量は残っていませんでした。しかし 「国体」 護持が最終目的になっていました。


 米騒動に戻ります。
 米騒動は、米騒動は炭鉱、鉱山などにも波及し、筑豊地方でも8月17日に峰地炭坑で始まり、三菱方城、貝島、三菱鯰田、古河目尾、日鉄二瀬、麻生上三緒炭坑へと広がりました。(13年5月17日の 「活動報告」 参照)
 三池です。
「三池炭鉱でも大正7年8月27日から9月8日にかけて、宮浦・宮原・大浦・万田坑などで坑夫たちが米騒動に立ち上がった。そのなかでも9月4日から8日にかけての万田暴動は、最大の規模をもったものであった。
 万田暴動のきっかけは会社側が発表した9月1日の坑夫の昇給問題であった。坑夫たちの昇給幅がすくないことに不満をもった。それだけでなく、選炭方法が厳重になったために石炭10貫にたいして約4割方の減少がみこまれた。それに、売勘場 (売店) の日用品価格を会社が引き上げたこともある。これらに不満をいだいた坑夫たちは『寄々(よりより)密議を凝しつつ』あったが、ついに4日夜の午後9時40分、丙組採炭夫500余人が甲組500余人と交替しようとするときをとらえて、両者相呼応して暴動に出たのである。……さらに1000余人の坑夫の女房たちも加わって……。これに驚愕した会社は軍隊・警察の出動を要請し、兵隊・警官は参加坑夫をピストルや銃剣で威嚇して鎮圧した。」 (中村政則著 『労働者と農民 ―日本近代をささえた人々-』 小学館)
 しかしその後の会社・係員の坑夫に対する対応はがらりと変わったといいます。当時、万田坑に働いていた坑夫は 「暴動ちゃあ、たいした力のあるもんばい、とつくづく思いました」 (山根房光 『みいけ炭坑夫』) と語ったといいます。

 炭坑夫たちはこのときの経験は1924年の三井傘下の三池製作所の労働者と万田坑の坑夫が中心となって、賃金値上げ、1934年3月に三井鉱山が労働者懐柔のために作った御用組合のような共愛組合の撤廃、公傷者に対する救済資金の増額支給などをかかげた争議で生かします。1、2か月におよぶ統制が取れ闘いで着実な成果をあげました。そして争議の目的を大牟田市民に訴えて、地域社会の商人や農民の支援を受けます
「争議は、けっきょく労働者の敗北に終わったが、それはけっして無駄に闘われたのではなかった。上村辰人が語るように、『争議ガアツテカラ坑内・坑外ノ機械設備ノ改良、従業員ノ福利施設等、一度ニ改善、実現サレ』 た。また、それまで採炭夫は 『良イ切羽ヘ回シテ貰フ為ニ役員宅ヘ賄賂ヲ持ツテ行クト言フ風ナ事ガ甚ダシカッタガ』、『之以来、今マデ係員ノ自由意志ニ任セテヰタ切羽選定ヲ抽選制度ニシテ』、従来、係員と坑夫とのあいだにあった 『情実関係ノ弊風ガ一掃』 された。」 (中村政則著 『労働者と農民 ―日本近代をささえた人々-』)
 この経験は、戦後の三池の闘いに引きつがれていきます。

 1919年9月、米騒動をきっかけに神戸・川崎造船所で争議がおきます。労働者はサボタージュ戦術をとり、労働時間8時間制を獲得します。労働時間は短縮されても賃金は変わりません。争議は9月27日解決に至ります。その結果出勤率が上がり、労働意欲が高まって生産性も向上したといいます。
 日本で最初の8時間労働の実現です。(12年4月27日の 「活動報告」 参照)

 1921年友愛会の日本労働総同盟への改称、翌年の日本農民組合の成立、全国水平社の結成など、既存の組織から脱皮した運動のもと新しい組織が作られていきます。

 世界的に見るなら、1918年のベルサイユ講和会議で国際連盟の創設がうたわれ、翌年1月25日には国際労働法制委員会の設置を決議し、6月28日、講和会議において労働者の代表を交えた労働問題に対応する国際労働機関 (ILO) が創設されます。
 また大戦後、民族自決の運動も高揚します。


 さて、時の権力に抵抗し、戦争に反対した創価学会の今日はどうでしょうか。時の権力の懐にどっぷりつかり、謳歌しています。戦争法案に賛成することに良心は痛まず、恥じらいがありません。
 暑い暑い7月に、米騒動のように全国でまき起こっている戦争法案反対の闘いは正念場です。浜口内閣が辞表を提出した9月21日までに、安倍政権に辞表を提出させなければなりません。

   「活動報告」 2015.1.23
   「活動報告」 2013.5.17

   「活動報告」 2012.4.27
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 三井三池闘争 | ▲ top
韓国の “感情労働” “職場の暴力” 「販売職労働者が尊重を受けて働ける環境を作ろ」
2015/07/23(Thu)
 7月23日 (木)

 サービス業の労働者が顧客からさまざまな暴言、脅し、時には暴力に襲われて被害を受けていることがニュースになっています。社会が生み出すさまざまなストレスが、反論しない労働者を対象に、人格・人権を否定する行為で発散させています。
 この中で、韓国では、労働者が改善の声を上げるのに合わせて、市民や利用者が労働者の人権を守る運動を開始しました。韓国では顧客などから受ける暴力を 「感情労働」 と呼んでいます。

 4月23日の 「ハンギョレ新聞」 に 「韓国で 『感情労働』 に対する労災認定が大幅に増加」 の見出し記事が載りました。
 クレーマー客やセクハラなどでうつ病に罹患する労働者が増えています。
 具体的出来事です。
「ソウル市内デパートの免税店で店舗管理者として働いていた40代前半のパク・インジャ氏 (仮名) は、ある顧客とのトラブルを経験した。顧客が化粧品を買っては返品することを繰り返しているうち、再購入ができなくなると、ひどい言葉づかいや罵声を浴びせ、販売台の広告板を蹴って売り場の物品が壊れたこともあった。その顧客は、数日間ずっと店を訪れたり電話をかけたりしてパク氏を呼び出してきたが、上司はパク氏にその顧客の応対を任せ続けた。ついにパク氏は、他の人に会うと深刻な不安を感じるなど、パニック障害を経験した。勤労福祉公団は 『業務上のストレスによる一時的な不安障害』 という医師の診断書をもとに、パク氏が申請した労働災害 (労災) を認め、2カ月間の療養を承認した。」

 シム・サンジョン正義党議員が勤労福祉公団から提出された 「精神疾患労災申請と判定件数」 資料によると、様々な精神疾患を理由に労災を申請した労働者は2010年89人で承認率23.6% (21人)、11年は102人と25.5%、12年は127人と37.0%、13年は137人と38.7%、14年は137人と34.3% (47人) と増えています。
 産業構造の高度化とサービス業の比重が徐々に高まる傾向と関連して、物理的な被害だけでなく精神疾患が生じる可能性があるという認識が広がったことによります。最近は、職場内のセクハラ被害者やお客様の暴言・暴行被害を受けた労働者に対して使用者の不適切な対応によってうつ病が発症した場合なども、労災として認められる傾向にあります。
 精神疾患の予防対策を強化する一方、労災と認められるのが困難な制度を改善しなければならないという声も高まっています。シム・サンジョン議員は 「まだ仕事上の精神疾患を事前に予防し、発症した場合に加害者を処罰する方法が用意されていない」 とし 「業務上の精神的なストレスが原因となって発生した病気も労災として認められるように、具体的法律改正案を真剣に検討しなければならない」 と語っています。

 精神疾患労災がここまでにいたる経緯です。
 昨年10月22日の 「毎日労働ニュース」 は 「政府は感情労働・精神疾患を労災と認定せよ」 の見出し記事を載せました。
 今年の1月27日の 「活動法告」 で報告した、ソウルの江南 (カンナム) のあるアパートで発生した警備労働者の焼身事件と関連して、国会・環境労働委員会の野党議員は 「感情労働の被害を減らすために、精神疾患を積極的に労災に含ませなければならない」 と声を揃えました。
 ハン・ジョンエ新政治民主連合議員は勤労福祉公団の国政監査で、『最近5年間の精神疾患による労災申請承認現況』 を公開させました。そして申請、承認が少ない理由を 「精神疾患に関連した労災審査に対する制度的な規定が不備なため」 と指摘し、「精神疾患の労災処理に関する社会的な議論を疎かにした雇用労働部に責任がある」 と批判しました。
 実際に公団は、昨年 「精神疾病の業務関連性の判断と療養方案研究」 で、「うつ病や不安障害などは業務関連性を証明しにくく、外傷後ストレス障害以外の精神疾患は労災認定基準に含ませにくい」 という消極的な結論を出していました。
 公団は最近、精神疾患に対して別途の災害調査シートを作るように調査指針を改正したが、根本的な対策にはなっていないというのがハン議員の指摘です。「調査指針の改正でなく、労災の審査対象と承認基準を拡げるような制度改善が必要」 と強調しました。
 同党のチャン・ハナ議員は 「安全保健公団は2011年から 『感情労働による職務ストレス予防指針』 を作って対策を立てているが、労災との関連性を判定する勤労福祉公団は消極的な対処しかしていない」 「労働者の感情労働を含む業務上のストレスを、労災として受け容れる必要がある」 と主張しました。
 これに対してイ・ジェガプ公団理事長は 「精神疾患の労災認定基準を拡げるより、調査指針の改正に力を入れている」 「精神疾患の労災認定可否を統合的に審理するソウル疾病判定委員会に、精神疾患専門医を増やす」 と回答しました。

 今年1月14日の 「毎日労働ニュース」 は 「『出勤途上災害・感情労働に労災認定』 労働界の念願達成か」 の見出し記事を載せました。 
 労働界は、感情労働者の職務ストレスを業務上疾病と認定するよう法律改正することを要求してきました。まれに勤労福祉公団が労災と認定するケースはありましたが、法的な根拠はありませんでした。
 雇用労働部が朴槿恵大統領に業務報告を行った内容に、感情労働従事者の職務ストレスを業務上疾病と認定するように関連法を改正するという内容も含まれていました。
 労働部は 「産業安全保健法に、顧客と応対する労働者に対する事業主の職務ストレス予防措置を規定する」 こと明らかにしました。予防措置をしなかった事業主に対する罰則条項は除くものと思われます。労働部は労災保険法と施行令に、顧客応対労働に伴う疾患を業務上災害と認定し、補償基準を作る作業を今年下半期に終える計画です。


 制度改正以外の動きです。
 今年1月17日の 「活動報告」 の再録です。
 昨年10月14日の 「ハンギョレ新聞」 に 「『感情労働』 から社員を守る企業が増える兆し」 の見出し記事が載りました。
「顧客に応対した社員が悪口や暴言を浴びせられた時、会社はどのように対処しなければならないか? 『お客様は神様』 だから我慢しろと命じるか、あるいは、たとえ顧客を失うことになってもまず職員を保護しなければならないか? 今後、イーマート (訳注:韓国の代表的大型マート) の顧客応対社員はそんなことが起こった場合 『相談が困難です』 と了解を求めた上で、通話を切った後に部署長に報告すればすむようになる。
 心に傷を受けた職員に対しては、休息が必要と判断されれば部署長は早退などの勤務調整措置を取り、最高の先任者や自分自身が代わりに顧客と通話することになる。
 イーマートの職員たちが顧客に応対する時に受けるストレスによる “感情労働” を認めてほしいと要求してきたことに対して、会社が代案プログラムを用意したと14日明らかにした。 顧客に応対する時に発生しうるストレスを予防し、社員を保護するための 『イーケア (E-Care)』 プログラムだ。
 まずイーマート150全店舗に店長らが参加する内部苦情処理委員会の力量を強化するために相談教育を実施し、業務関連ストレス相談だけでなく家庭、子供の問題など個人的な問題についても心理相談を行う予定だ。
 感情労働により職員に心理的安静が必要だと判断されれば、早退させ休憩室も改善する予定だ。状態が深刻な職員のためには心理相談の専門機関である韓国EAP (Employee Assistance Program) 協会の協約機関との相談と連係することにした。 極端な悪口などを言う顧客に対しては、顧客の了解を求めて電話を切れという初期対応マニュアルを製作し配布した。
 また、各店舗ごとに顧客応対が優秀な職員を選抜し、消費者専門相談士資格証の取得を支援する計画だ。
 顧客対面が多い流通業界を中心に、職員の感情労働に対する代案準備が進んでいる。“お客様は神様” という風土の下に職員に全面的責任を転嫁するのが以前の文化だとすれば、職員のうつ病、自殺など深刻な後遺症が社会的に台頭して “悪質な顧客” を選び出して職員を保護しようという動きが広がっているわけだ。
 イーマートの場合、職員が労働組合を中心に昨年から感情労働の価値を認めてほしいと訴えてきた。 イーマート労組は昨年4月から今年4月まで 『感情労働の価値認定と顧客応対マニュアル作成』 を団体協約に反映させることを要求した。チョン・スチャン イーマート労組委員長は 『感情労働は顧客応対の内部原則が守られないために発生する場合が多い。例えば、領収書持参、期間基準などの払い戻し規定があるが、顧客が規定を拒否した場合、末端職員が原則通り対応しても管理者が現れ顧客の希望通りの措置を取るケースが多い。マニュアルも重要だが、そのような状況を源泉から遮断できる環境造成も重要だ』 と話した。
 イーマートに先立つ今年1月にはホームプラスが、『‘労使は組合員の感情労働の価値を認める』 という条項を団体協約に含めた。 釜山のロッテ百貨店は 『感情労働者自己保護マニュアル』 を用意し “感情労働者ヒーリング・プログラム” も運営中だ。
 感情労働に対して別途の手当てを支給する企業も増えている。ロレアル・コリアは全国のデパートで化粧品を販売する職員に月10万ウォンの感情労働手当てを支給している。 年間1日の休暇も別途与えられる。 資生堂は月額4万ウォンの手当てを、釜山新世界免税店は月額3万ウォンの手当てを支給している。 大型マートの中では手当てを支給する所はまだない。
 流通企業ではないが顧客対面が多いサムスン・エバーランドも感情労働に従事する職員のための心健康管理専門プログラム “ビタミン キャンプ” を開発し、今年6月から運用している。」

 昨年10月23日の 「毎日労働ニュース」 は 「イーマート・CJ第一製糖など、ソウル市と 『感情労働者人権保護協約』 締結 サービス連盟 『協約履行を見守る』」 の見出し記事を載せました。
「ソウル市が7月から主導している感情労働者人権保護協約に、イーマートなど3企業が追加で参加した。協約締結式にはイーマート・CJ第一製糖・アジア洲キャピタルが参加し、緑色消費者連帯・企業消費者専門家協会も同席した。ソウル市は韓国ヤクルト・LG電子・愛景産業など6企業と1次協約を結んでいる。
 ソウル市は 『1・2次に参加した9企業は、業務の特性上、顧客を直接相手にしたり電話応対が多い大型流通業者やショッピングモールで、感情労働者が多く働く企業』 であり、『感情労働者の人権保護の観点から、他の企業の実践を誘導できると期待する』 とした。
 協約を締結した企業は 『企業の10大実践約束』 を基に、感情労働者の勤務環境改善のために努力することになる。10大実践約束は、△感情労働者の基本的人権の保障・支持、△安全な勤務環境の造成、△適正な休憩時間・休日の保障、などが内容。
 イ・ソンジョン・サービス連盟政策室長は 『イーマートが最近『社員保護応対マニュアル』 を作って全職員に配布したが、その趣旨と内容は悪くない』 ので、『このような感情労働者保護のための試みがキチンと作動するかどうか、もう少し見守らなければならないだろう』 と話した。」


 労働者以外からの動きです。
 昨年11月12日の 「ハンギョレ新聞」 に 「デパート従業員も売場で水を飲めるようにしよう」 の見出し記事が載りました。
「デパートのサービス・販売職労働者が尊重を受けて働ける環境を作ろうというキャンペーンが開かれる。
 光州 (クァンジュ) 女性民友会は13日、光州市東区大仁 (テイン) 洞のロッテ百貨店光州店付近で 『デパートには人がいます』 という主題で 『尊重の帯つなぎキャンペーン』 を実施する。デパートの女性労働者が人権を尊重されて仕事が出来る労働環境を作ることを促すためだ。
 同団体は女性労働者を尊重するデパートの仕事場を作るために、6つの事項を要求している。『デパート労働者は仕事の特性上、話をよくするので喉が渇くが、売場で水を飲めないケースが多い』 として 『デパート労働者が売場で自由に水を飲めるようにすべきだ』 と促す方針だ。また、デパート労働者が顧客用トイレと移動手段を一緒に使えるようにし、売場にお客さんがいない時は椅子に座れるようにしてほしいと要求する計画だ。
 この日、光州市北区の北東信用協同組合付近で開かれる市民実践キャンペーンも注目を集めている。この団体は市民に△デパート労働者に丁寧語を使い△返品・払い戻し規定をよく熟知して不合理な要求をせず△会計をする時にはカードや紙幣を放り投げず△不必要なスキンシップや言語セクハラをしない、などを守ろうと知らせる計画だ。また、この団体は 『売場に商品がない時、デパート労働者たちは顧客を待たせないよう倉庫まで走って取りに行くよう努めているので余裕ある心でゆっくり待とう、と市民に知らせる』 と明らかにした。」

 今年5月1日の 「ハンイギョレ新聞」 に 「感情労働者の苦衷、ちょっとだけ考えて見てください」 の見出し記事が載りました。
「『さあ、もう少し頑張りましょう。すぐに手伝いが入ります』。マイクを握った通仁 (トンイン) 洞コーヒー工房のパク・チョルウ代表が元気な声でバリスタを励ました。昼食を終えて出てきた市民たちが受け取ったコーヒーカップには 『私の仕事は世の中で最も美しい労働です』 と書かれたピンク色のステッカーが付いていた。ステッカーにはサービス業に従事する “感情労働者” のパク代表とここで働くバリスタ30人余りが感じている苦悩が書かれていた。
 メーデーを翌日に控えた30日、ソウル鍾路 (チョンノ) 区通仁洞のコーヒー工房は 『メーデーコーヒー・フリーデー』 というイベントを行った。 この日だけはアメリカンもカフェラテも全て無料だ。5年前からメーデーの前日に行っているコーヒー工房のコーヒーフリーデーでは、無料コーヒーと一緒に 『考えるテーマ』 が与えられる。 今年のテーマは “感情労働” だ。
 パク代表は 『『ありがとう』 とか 『コーヒーが美味い』 というお客さんの一言を聞くためにこの仕事をしている。互いに少しだけ配慮すれば、人から力をもらうことができるのに、感情労働のせいで傷つく若者の話を聞くたびに心が痛む』 と語った。
 この日、店の前では青年ユニオンとソウル青年政策ネットワークの青年団体会員たちがピンクのバラの花とバンドエイド、ステッカーを配った。パク・ウヨン青年ユニオン労働相談局長は 『今日出会う感情労働者たちに花とバンドエイドを渡して暖かい気持ちを交わそうという意味』 と説明した。クレジットカードに貼れる小さなステッカーには 『あなたの労働にありがとう』 『お金やカードを投げたりしません』 と書かれていた。
 コーヒーを受け取った市民は 『消費者の役割』を考えてみたと話した。キム・ヒョジョンさん (34) は 『私も感情労働者だけど、同時に消費者でもある。今日コーヒーを飲んで、私が辛かっただけに消費者として誰かには確かな慰労をしなければと考えた』 と話した。」
 ストレスを誰かにぶつけることで解消する行為は連鎖を呼びます。それをお互いが理解し合うことで解消し合おうという呼びかけです。
 みな消費者であって労働者です。

 5月15日の 「毎日労働ニュース」 に 「ソウル市、女性労働者を訪ねてストレス管理」 の見出し記事が載りました。
「ソウル市中部女性発展センターが15日から来月26日までの7週間、『訪ねて行く女性労働者ストレス管理サービス』 を実施する。毎週金曜日にロッテマートの支店を巡回して行う。
 センターは 『多数の女性の感情労働者が働く企業を直接訪ねて、ストレス管理サービスをするプログラム』 で、『今年上半期はロッテマートで試験運営をし、満足度を評価した後に規模を拡大していく』 と説明した。サービス対象事業場と期間を拡大することを検討している。
 センターで教育を受けて就職できた結婚移民女性と、40~50代の脆弱階層の女性で構成されたピュティー・テラピストがストレス管理を担当する。労働者のストレスも減らし、雇用も創出する、一石二鳥効果を期待している。
 ソウル市の関係者は 『コールセンターやデパート、マートなど、女性労働者が多いところや、感情労働の強度が高い事業場を対象に、ストレス管理サービスの必要性が提起された』 と話した。」


 消費者と労働者がお互いの立場を理解しあえばストレスは減らすことが出来ます。そうすると労災申請者・承認者も減らすことが出来ます。一石何鳥になるでしょうか。


   「海外のメンタルヘルスケア 韓国」
   「感情労働」
   「職場の暴力」
   「活動報告」 2015.1.27
   「活動報告」 2014.2.4
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 感情労働 | ▲ top
「砂川判決」 は、自衛の戦力を認めかどうかは 「さておいて」 の判断
2015/07/17(Fri)
 7月17日(金)

 「戦争法案」 を審議する国会で、政府は集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈の根拠を 「砂川判決」 としています。判例を引用して 「個別的とか集団的とか区別をしないで、自衛権については、国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするための措置は当然とり得る。そしてその前提として、固有の権利として自衛権というものは当然持っている」 と主張します。しかし引用は都合いい部分的です。

 そもそも砂川判決が出た砂川闘争はどういうものだったかというところから知ることが必要です。
 東京都立川市に立川飛行場がありました。(現在の昭和公園) 戦後は米軍に接収されます。朝鮮戦争の時は資材搬送の拠点基地になり、負傷兵もいったん全員送られてきました。
 米軍の中国を封じ込め戦略の中で、1955年5月、日本政府は行政協定で義務付けられている防衛分担金の減額と引き換えに、基地拡張の要求を受け入れます。立川のほかは新潟、横田、木更津、小牧です。それぞれで大きな反対運動が展開されます。
 立川基地の拡張は滑走路の北側の砂川町の農民の土地です。すぐに農民たちは反対運動を開始し、労働者や学生が支援にかけつけました。
 8月24日、機動隊が動員されて予定地の測量が開始されようとしますが阻止します。
 9月13日から再開されましたがまた阻止します。しかし翌日、抵抗する労働者・学生を大量逮捕されるなかで杭が打たれます。その日の夕方、近くの神社で持たれた総括集会で砂川基地拡張反対同盟の青木市五郎行動隊長が発言します。
「とうとう測量隊は、狂暴とも思われる警官隊の助けを得て、土地に何本かの杭を打ってしまいました。しかし皆さん。私どもはたとえ 『土地に杭は打たれても心にまでは杭はうたれません』 お助け下さった皆さん。どうかご安心下さい。ブルドーザーの下敷きになっても、この原爆基地の拡張はさせません。どうぞ今後も、どこまでも応援のほど、心からお願いします。」
 この決意のもと闘いは続けられます。

 56年10月12日、測量のために大量の機動隊が動員され、阻止しようとする農民や労働者、学生を襲います。この時、座り込んでいた部隊の中から歌声が起こり、大合唱になっていきました。「赤とんぼ」 「ふるさと」 「七つの子」 (からすなぜなくの・・・) などの童謡が涙を流しながら歌われました。(2012年9月11日の 「活動報告」 参照)
 
 現地に駆け付けることができなかった労働者は、職場で田舎の桑畑への思いを重ねて詩を書きます。後に曲が付けられました。

    桑ばたけ

  桑ばたけの 繁る葉は
  亡き母の背に負われ
  苗うえた昔から
  とぶ鳥さえ なじんたが

  桑ばたけは いま荒れて
  爆音はワラ屋根に
  さけるほどたたきつけ
  桑ばたけは吹きさらし

  桑ばたけは にぎりこぶし
  振りあげてならび起ち
  畑守るこの私と
  芽ぐむ春をもとめ歌う

  春になったら枝を伐り
  かおる葉を籠につもう
  むくどりよ高く舞い
  この歓び告げてくれ

 57年7月7日、測量阻止を叫ぶ労働者・学生と機動隊が滑走路前の柵を挟んで対峙します。この時に柵を壊して基地内に入ったということで、2か月後に7人が 「刑事特別法」 で逮捕されます。
 この事件は59年3月30日、東京地裁伊達秋雄裁判長から全員無罪の判決を言い渡されます。いわゆる 「伊達判決」 です。しかし検察は最高裁に飛躍上告 (高裁を経ないでの上告) し、12月16日、最高裁は一審判決を破棄し、東京地裁への差戻しを言渡します。これが 「砂川判決」 です。
 「伊達判決」 に対しては、60年の安保条約改定を直前にして、アメリカは日本政府に圧力を加え、日本政府は最高裁での逆転に奔走しました。


 89年、裁判長だった伊達弁護士の講演 「砂川闘争と米軍駐留違憲判決」 を聞く機会がありました。そのカセットテープが残っています。その一部です。

 59年3月30日の判決ですから30年が過ぎています。
 30年は日本の政治経済に大きな変化があり、当時の状況と今は非常に違っています。判決についても評価が違っていると思います。しかしこの判決は、戦後に作られて今日まで生き続けている日本国憲法の平和主義の精神はどこにあるかということを政治的問題、社会的観点、対外的関係などへの配慮を抜きにして明らかにしました。司法の世界で憲法と法律にのみ従って、裁判官の良心に従い、結果のいかんを配慮しない立場で可能であったと思っています。
 現在の情勢からはかなりのずれがありますが、この精神をもう一回思い起こし、そして日本の将来とを考え合わせて、平和主義はどうあるべきかということを現実に即して推し進めるべきではないかと考えています。

 立川基地の拡張が発表された57年7月頃は、まだ日本国民は戦争の惨禍から抜けきれない時代でした。ですから砂川の闘争は戦争反対、憲法を守るという平和のための闘いでした。
 57年7月、米軍は測量を始めました。鉄柵の中は米軍施設となるわけです。約1000名の農民、労働者や学生が集結していました。何者かによって鉄柵は破壊され、100人ぐらいが4~5メーター境界線から侵入しました。
 そのうち7人が起訴されました。罪名は 「安保条約に基づく刑事特別法違反」 で、米軍の基地、施設、領域など米軍が支配する場所に侵入して安全を脅かした場合に適用される処罰規定です。
 従来、一般市民に対する犯罪なら軽犯罪違反で、拘留・過料の罰金にもならない極めて軽い事件です。しかし米軍施設を守るための刑事特別法は懲役1年、罰金が2000円でした。
 起訴されて、数10人の弁護士がついて裁判が始まります。
 基地に入ったという事実については争いがありません。ただ、自ら進んで入ったわけではなくて後ろから押されという主張はありました。問題は刑事特別法によって処罰することが許されるのかということです。
 というのは、日本国憲法は平和主義を標榜し、憲法9条が厳然としてあります。安保条約に基づく日本への米軍の駐留が憲法の精神や憲法9条の精神に違反しないかどうかという問題があります。
 弁護人と被告人は、刑事特別法は憲法に違反して無効であるから軽犯罪法で処罰されるのが相当であるという主張です。

 裁判所はこの問題を取り上げて判断をしなければならない立場に追い込まれ、判断を避けて通るわけにはいかないと捉えました。昭和34年の3月30日、裁判所としては、安保条約は憲法の精神や憲法9条に違反する、違憲の駐留軍の施設・建物に対して一般の建物以上の特別な扱いをして重く処罰することは許されないという理由で無罪の判決をしました。検察官の方は軽犯罪違反の主張をしないで刑事特別法だけで処罰して欲しいということですので、処罰することはできないから無罪という判決をしました。

 検察官は飛躍上告をします。普通ならば一審の判決は高等裁判所で判断を求めるわけですが、憲法問題に触れていますので一機に最高裁判所に上告しました。
 最高裁は15人の裁判官による大法廷で対応しました。
 最高裁は早々と34年12月16日、第一審の判決は誤りであると原判決を破棄し、東京地裁に差し戻しました。東京地裁は最高裁の判断の趣旨に従って、有罪判決としました。
 最高裁の15人の裁判官全員一致の判決で1人の少数意見もありませんでした。
 最高裁の判決は、基本的に日米安保条約、それに基づく駐留は極めて政治的な問題で、高度に政治的な判断を必要とする問題であるという理論を正面に振りかざして、三権分立の1つである司法裁判所は判断を下すことが出来ないということでした。学問的にいうと統治行為論です。
 判断できないと言うならば、裁判所の管轄外だ、関与するところではない、政府に任せる、国民の声に任せておけばいいということで問題は片付くはずです。ところが一審で違憲だという判断が出ていますので、それがそのまま残ってしまうことは癪なので許せないという考えだったと思います。
 政府に任せる問題だというならば違憲だと判断する余地は出てきません。判断できないと言いながら、論理的にはおかしいのですが第二段目で違憲ではないと判断しています。
 判断できないという結論が先に立っていながら、そこから問題の解決を導いて行ったということで最高裁の判決は中立的なものでないという感じを受けました。違憲判決ということになれば日米間に非常に大きな衝動を引き起こすわけで、きわめて政治的な問題であります。
 最高裁はどうしても既成の政治情勢、国際情勢を踏まえた上で判断し、政治的考慮、配慮を加えながら法律論を言う傾向になりがちです。私は正しいとは思いませんが。そういう点で私は、最高裁の極めて政治的な判断ではなかったかと考えています。

 私たちは政治的な配慮を必要とする問題ではないと考えています。
 最高裁の判決は、侵略の戦争は許されない、しかし自衛の戦争は許されるといいます。憲法9条にははっきりと国際的紛争を解決するためには戦力を用いないとあります。侵略であろうが自衛であろうが国際的紛争に間違いありません。しかも従来の歴史から見ても、侵略と称して侵略をした国は未だかつてありません。常に自衛の戦争です。ですから侵略の戦争を否定すると言うなら、自衛の戦力は認めるが侵略の戦力は認めないということになります。しかし侵略と自衛の判断はつけがたいです。
 ですから結局、侵略であろうが自衛であろうが、戦争を認め、その戦闘のための戦力を持つことを認めざるを得ないということになると思います。
 最高裁判所は侵略の戦争、侵略の戦力を持つことも認めないが自衛の戦争は認めると言います。しかし自衛の戦力を認めかどうかについては、さておいてという言葉で濁して判断を避けています。最高裁は、自衛の戦争は認めるがそのための戦力は認めるとは言っていません。

 最高裁は、平成元年の今日まで1回も自衛の戦力は認められていると言い切ったことはありません。このことははっきりさせておかなければなりません。自衛の戦力を認めるという立場で自衛隊を位置付けていますが自衛隊は戦力ではないと言わざるを得ないのが最高裁の立場になります。
 自衛の戦争は認めるということになりますが日本には戦力はない。そこで自衛をするためにはアメリカの戦力を利用・活用する以外に道はありません。だから日本の防衛のためにアメリカの駐留軍がいることは許されるという論理になります。それなりの1つの現実的な考え方だと私は思います。政治論になると最高裁も大きな考え方として受忍できるかもしれません。

 しかし日本国憲法の平和主義、9条の精神があります。日本は戦争を放棄した、国際紛争の解決は戦争によらないと言っています。これはおそらく世界の歴史始まって以来のことです。
 日本は広島、長崎を経験し、原子力はますます破壊力を強め、戦争は人類を破滅に導くものです。その経験をした日本が世界に先駆けて大原則を打ち出した。ある意味では非常識極まるものですが、崇高な理念であると思います。そういう決意をしたのが
9条は、従来の敗戦国から武器を取りあげるというような戦力の放棄ではありません。極めて高い理想の下にあります。「剣によって立つ者は剣によって滅ぶ.」 の精神です。

 皮肉なことに最高裁の判決をくだした時に裁判長だったのは元東大教授の田中耕太郎です。その田中は憲法制定の時に文部大臣でしたが何といったか。国会で答弁した時に、「剣によって立つ者は剣によって滅ぶ。だから日本は今後剣を捨てる」 と言いました。それがひとたび最高裁長官になると 「剣によらずんば国は守れない」 と180度転換しました。
 当時の吉田首相も、憲法制定に参画した人たちもこのようなことをはっきりと宣言しています。
 当時、貴族院議員の美濃部達吉はただ1人戦力を持たないことに反対しました。しかし制定後は、学者の良心として戦力は持たないと憲法解釈としています。
 剣によって立とうとすることと、戦力がないからアメリカの力を借りようというのとは違いはありません。
 憲法の基本的精神はいまだかつてない、従来の考え方を根本的に改めた画期的なものです。アメリカにお助けしてもらうような考え方ではなく外交的手段で安全を守っていこうという精神です。
 憲法の精神を真面目に遂行することに、一審判決は合致したものだと今日でも考えています。


 1969年12月19日、在日米空軍司令官は、米空軍、立川基地の飛行業務を停止します。基地跡には自衛隊等が進出してきます。
 しかしその裏で、本土の米軍基地の沖縄への集中が進んだことを見落とすことはできません。

 60年、70年の安保改正を経て、憲法の精神をないがしろにして日本の役割は大きく変化していきました。そして戦後70年を経ての今回の戦争法案は憲法の精神を180度転換させようとしています。砂川判決を通してみても、今回の政府見解・憲法解釈はその精神を明らかに逸脱しています。
 しかし、ここに至るまでも砂川闘争をはじめとする平和を求める闘争、反戦運動が展開されて改憲と対峙してきたことを忘れることはできません。
 今こそ、本来の憲法の精神、憲法9条の平和主義を原点に立ちかえらせなければなりません。衆議院で強行採決されましたが、廃案にするまで闘いは続きます。砂川闘争は 『土地に杭は打たれても心にまでは杭はうたれません』 の決意を堅持して基地を撤去させました。


 戦争法案の審議が進む中で様ざまな団体が抗議行動を展開し、声明を発表しています。運動はいっそう盛り上がっています。その中のインターネット、ツイッターで広まっている 「自由と平和のための京大有志の会」 の声明です。

  戦争は、防衛を名目に始まる。
  戦争は、兵器産業に富をもたらす。
  戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

  戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
  戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
  戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

  精神は、操作の対象物ではない。
  生命は、誰かの持ち駒ではない。

  海は、基地に押しつぶされてはならない。
  空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

  血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
  知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

  学問は、戦争の武器ではない。
  学問は、商売の道具ではない。
  学問は、権力の下僕ではない。

  生きる場所と考える自由を守り、創るために、
  私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

                          自由と平和のための京大有志の会
この記事のURL | その他 | ▲ top
学校の “いじめ” はどのような状況から発生しているか
2015/07/14(Tue)
 7月14日 (火)

 1997年に神戸市須磨区で発生した 「神戸連続児童殺傷事件」 の犯人と言われる少年が書いた本のことで議論が起きています。事件について深追いしたり、関心も湧きませんでしたので出た本も読んでいませんので論評するつもりはありません。ただ、阪神淡路大震災から2年後に起きた少年事件ということはひっかかっていました。
 岩手県の中学校でいじめによる自殺が起きました。東日本大震災で大きな被害があった海岸線からは離れている地域ですが、やはり震災の影響は受けています。震災から4年3か月過ぎています。
 勝手な思い過ごしかもしれませんが、2つを重ねてしまいました。
 しかし、思い過ごしであったとしても大震災が発生した後の学校の状況は、気を付けていなければならないことがたくさんあります。


 13年11月19日の 「活動報告」 で紹介しましたが、阪神淡路大震災発生から10年間、兵庫県の関連機関は毎年 『阪神・淡路大震災復興誌』 を刊行しました。同じ項目を続けて読むと状況の変化が発見できます。教育の編では、児童・生徒の被災の状況と、生活の変化、精神面の変化と心のケア対策について触れています。教職員の “心のケア” の必要性に気づいたのは少し経ってからでした。
 その最終版・第10巻の第6章教育から学校の状態、児童・生徒の心理状況はどうだったのか、それに教職員はどう対応していたのか拾ってみます。(残念ながらインターネットで 『阪神・淡路大震災復興誌』 を閲覧できなくなってしまいました)

「被災児童・生徒の心のケアといえば、教育復興担当教員があげられ、学級担任が対応しきれない 『心のケア』 に、担任教諭、保護者、養護教論、スクールカウンセラー、関係機関の間に立って、コーディネータ一役を果たした。被災児童・生徒一人ひとりの症状を把謹し、『個に応じた心のケア』 を進め、家庭訪問をくり返し、教室に入れない児童・生徒に相談室で個別指導を行った。」
「心に大震災の傷を負った被災児章・生徒の教育的配慮に取り組む 『教育復興担当教員』 は2004年度に55人配置と、大幅減となった。要配慮児童・生徒の減少、震災から10年経過などによるもので、配置市町は、1998年度から変わらず、6市2町。……
 教育復興担当教員は国の加配措量による配置で、1995年度に128人、1996年度から2000年度まで207人、2001年度180人、2002年度130人、2003年度65人と、要配慮児童・生徒の減少に伴って削減された。2004年度は当初、文部科学省が全廃方針を打ち出したが、兵庫県教委の強い要望で55人体制で継続された。
 2005年度からは教育復興担当教員としては廃止され、『阪神・淡路大震災に係る心のケア担当教員』 に名称変更して、神戸、西宮、芦屋、宝塚の4市に、計36人 (前年より19人減) が配置された。」

「カウンセラーが行う心のケアの分野で、教育援興担当教員は大きな役割を果たした。教師ならではの方法で成功した。担任ではないが、個別的な児童・生徒へのかかわりが活動の中核になった。学校とは集団の論理で運営されるが、個の論理を置き、個別指導を中心に置く活動だった。
 『声かけ・励まし・日記指導』 など教師の常のスタイルが80% 。加えて 『生活指導・学習指導で自信を持たせる』 支援を続けた。教師の技法というより自然的なかかわりで、相談活動も 『日常会話の中で』 が突出した。家庭、保護者との連携、相談にも積極的だった。1998年9月の台湾地震後、現地の日本人学校へ文部省が兵庫の教育復興担当教員を派遣したことは取り組みの成果を高く評価したからだ。」

「しかし、被災から10年たっても児童・生徒が負った心の傷は今も残されている。大震災からの援興が広い分野で進んだ中で、いまだに解決、解消の道が遠い課題でもある。大震災から学んだ教訓だ。
 兵庫県教委は、被災直後の1996年から、震災による教育的配慮を必要とする児童・生徒数の調査を続けている。1998年度の4,106人をピークに、1997年度から3年間は4,000人の大台を超え、2000年度から減少傾向となった。要因別に見ると、被災から5年を境に、事情が変わってくる。前期は 『震災の恐怖によるストレス、住宅環境の変化、通学状況の変化』 などが主な要因。後半は 『家族・友人関係の変化』 や 『経済環境の変化』 などが漸増傾向を見せるようになる。これを県教委は 『二次的要因』 と位置づけている。
 要因はどうあれ、要配慮児童・生徒は、10年後の2004年度1,337人、2005年度808人にのぼる。県教委をはじめとして教育現場では、初体験の 『心のケア』 に取り組んできた。その成果が要配慮児童・生徒数の減少である。その中心的役割を果たしたとして評価されるのが 『教育復興担当教員』。略称 『復興担』 は被災後、国の教員加配措置で配置され、『心のケア』 と 『防災教育の推進』 に努めた。」

「大震災で子どもが負った心の傷を調べる 『教育的配慮を要する児童・生徒の実態調査』 は兵庫県教委が1996年度から7月1日現在で続けている。
 2001年度までは県内すべての公立小・中学生を調査対象にしたが、2002年度から震災後に出生した子どもを除くことにし、2004年度は小学1 、2 、3 年生が調査対象外となった。
 2004年の調査対象は小学校828校1分校、15万9,697人。中学校359校3分校 (芦屋国際中等教育学校を含む)、14万9,117人。合計1,187校4分校、30万8,814人。
 調査結果によると、配慮が必要な小学生556人 (前年比420人減)、中学生781人 (同151人減)、合計上1,337人 (同571人減)。毎年減少となっているが、被災9年後に新たな発症が74人もいた。」

「要配慮児童・生徒の2004年度要因 (複数回答) は 『住宅環境の変化』 が43.5% (前年40.1% 、前々年40.0%)。『経済環境の変化』 が37.1% (34.7%、33.1%)。『家族・友人関係の変化』 が36.9% (39.0%、41.0%)。『震災の恐怖によるストレス』 が29.9% (35.3%、36.8%) で、これら4項目が要因の大半を占める。4項目以外では 『学校環境の変化』 4.9% (6.9%、8.6%)、『通学状況の変化』 4.3% (4.7%、5.5%) など。
 トップの 『住宅環境の変化』 は前年と変わらないが、『経済環境の変化』 が2位 (前年4位、前々年4位) につけた。『家族・友人関係の変化』 は3位 (前年2位、前々年1位)。「震災の恐怖によるストレス」 は4位 (前年3位、前々年3位)。要因別順位は2位以下にかなりの変動が見られた。『震災の恐怖』 が大きくポイントを下げたのに対し、『経済環境』 は毎年ポイントを上げ、最近の二次的要因の特徴を2004年度も見せた。
 9年間の調査結果の流れを見ると、1996年度から1999年度までは 『震災の恐怖』 の割合が最も高かった。『住宅環境』 は1996年度、1997年度は40%を超える高い割合を占め、その後、一時減少したが、2002年度以降、再び、40%を超え、2004年度は最も高い。
 生活基盤を揺るがす災害は、直接の衝撃だけでなく、その後の生活の不安定さなどの二次的ストレスが、心理的に大きな影響をもたらし続けることが指摘されている。この調査でも1995年度から2001年度まで 『家族・友人関係の変化』 が増加し、その後やや減少したとはいえ、2004年度でも36.9%を占めている。
 また、『経済環境の変化』 は1995年度以降、一貫して、その割合が増加し、2004年は37.1%、第2位となった。このような二次的ストレスが、震災の恐怖などのストレス体験を呼び起こすことも指摘されており、今後の取り組みは、調査結果の流れ、傾向を踏まえて進める必要がある。
 『震災の恐怖ストレス』 は倒壊家屋の下敷きになるなどの体験により、再び地震があることへの極度の緊張感を持ったり、地震の夢を見て泣き出すなど。
 『住宅環境の変化』 は避難所での苦しい生活や住民移転の影響など。
 『家族・友人関係の変化』 は震災による家族や身近な人の死、保護者の別居、離婚、友人との別れなど。『経済環境の変化』 は震災の恐怖体験をしたうえ、家庭が経済的に悪化したり、保護者が失業。自宅の再建や転居費用がかさんだりするなど。」

「震災で心に傷を負った児童について、兵庫県教委は毎年行う調査で、震災後生まれを対象から外している。2004年度の調査では小学3年生以下が除かれ、4年生以上を調査対象とした。
 兵庫県教職員組合と兵庫教育文化研究所は、2004年7月、教育復興担当教員が配置されている神戸、西宮、芦屋、宝塚各市と北淡町の19小学校で、教育復興担当教員から開き取り調査を行った。その結果、小学1-3年生の中でも、約4%にあたる242人に心のケアが必要なことがわかったと発表した。
 242人には 『怖い夢を見る』 『乳幼児のような言動が現れる』 『集中力に欠ける』 『落ち着きがない』 『いらいらしやすい』 『攻撃的』 『音や振動に過敏』 などの症状が見られたという。
 これらは要ケアの判断基準になっている症状で、理由について、兵教組は 『家族・友人関係の変化』 『住宅・経済環境の変化』 など2次的要因によるものと分析している。
 家族が震災で死亡したり、失職や離婚など、乳幼児期に家庭環境の急変を経験して、ストレスが出ている。不安定な生活の中で子育てが、子どもの心の成長に影響を与えていると主張している。」

 時間の流れとともに要因は変化していきます。10年たっても問題は深刻です。
 このような事態は東日本大震災の被災地においても今後同じような状況が生まれることが予想されます。
 対応するのは教職員です。救援者でもある教職員への救援対策が必要です。


 昨年1月27日の毎日新聞は、「東日本大震災:引きこもりや暴力…被災園児25%問題行動」 の見出し記事を載せました。
 岩手、宮城、福島3県の被災地で東日本大震災当時に保育園児だった子どもへの精神的問題調査が、国立成育医療研究センター、福島県立医大、宮城県子ども総合センター、岩手医大などによっておこなわれた結果がシンポジウムで発表されました。
 対象は、大震災が起きた2011年3月11日に、3県内の保育園の3〜5歳児クラスに在籍していた子178人と保護者。アンケートと面接を、震災後1年半以降となる12年9月から昨年6月にかけて実施しまし。保育園の所在地は▽岩手=宮古市、陸前高田市、大槌町▽宮城=気仙沼市▽福島=福島市、いわき市、南相馬市、富岡町。比較する非被災地域として三重県で同様の調査を82人に対して実施しました。
 調査対象の子どもの主な被災体験は、自宅が流出・全壊25.4%、自宅が部分破壊25.4%、避難所生活を経験30.7%、仮設住宅に入所20.0%、両親と一時離ればなれになった38.9%、家族や近い親類が死亡9.8%、友人や遠い親類が死亡18.3%、津波を目撃43.9%、遺体を目撃2.8%、火災を目撃20.7%です。
 アンケートは、子どもの精神的問題によって起きる問題行動を数値化して比較できる「子どもの行動チェックリスト」(CBCL)を使用しました。
 現在または過去6カ月以内の子どもの状態について、身近にいる保護者らがアンケートに答えます。「よく泣く」 「大人にまとわりつく、頼りにし過ぎている」 「爪をかむ」 「内気、臆病」 「トイレ以外で大便をする」 など、113項目について▽当てはまらない (0点) ▽時々当てはまる (1点) ▽よく当てはまる (2点) のいずれかを選びます。点数が高いほど問題行動があると判断され、ケアが必要とみなされます。
 面接は、児童精神科を受け持つ医師や臨床心理士が、ケアをしながら心理状態の調査を実施。CBCLで問題行動を抱える可能性がある子について、医師のアドバイスに基づくケアの必要性を判断しました。
 それらを集計した結果、被災3県で25.9%の子が暴力や引きこもりなどの問題行動があり、医療的ケアが必要な状況と分かりました。原因として、▽友人を亡くした▽家の部分崩壊▽津波の目撃▽親子分離――などが挙げられまし。
三重では、同様の状態の子は全体の8.5%にとどまり、被災地はその約3倍に達しました。
 被災地の子たちには、めまいや吐き気、頭痛、ののしり、押し黙りなどの症状があり、このままケアを受けずにいると、学習や発育に障害が出て、将来の進学や就職などにも影響する可能性があるといいます。
 チームは今後約10年、同じ子への調査を続け、毎年状態を把握していく計画だといいます。
 調査結果は、厚労省だけでなく、文科省と共有されて活かされるる必要があります。

 同じ調査結果についての分析だと思われますが、昨年3月2日付の朝日新聞は 「被災の子3割PTSD症状」 の見出し記事を燃せています。厚労省の研究班が発表しました。
 強い不安や不眠の状態が1か月以上続く心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が33.8にみられました。三重県では4%です。被災地3県の子どもでは、フラッシュバックや 「夢」 の経験が14%、「思い出せない」 や 「避ける」 が17%、不眠や過敏な状態が10%です。
 地震や津波、火災、家族・友人との別離、避難所・仮設住宅での生活など、被災体験の数が増えるほど、PTSDのなりやすい傾向があります。親にPTSDの症状あるかどうかで、子どもに症状が出た場合が1.7倍になっています。また症状のある子は、無表情でいる時間が長い傾向が見られたと言います。


 発表された調査の対象は東日本大震災当時に保育園児でしたが、問題を抱えている児童生徒も大勢いると推測できます。
 今回の学校のいじめ問題のニュースを聞いて、東日本大震災後の落ち着きを取り戻せていない状況が少なくなく影響しているように思われます。
 個々がおかれた状況の違いから、自分では解決できない身近な問題の要因が変化していきさらにストレスが増しまが突破口がありません。そのような状況は大人社会のものでもあります。地域社会、その影響を受けた学校でも様々な影響を受けています。実際に被害がなかった子どもたちも社会構造に変化が生じていることを敏感に受け止めています。格差と差別が再編されています。
 このような状況が「新たな事件」を発生させる土壌になっているのではないかと思われます。
 学校の教職員は多忙さを増していると想定できます。そのことを抜きにしていじめと自殺問題に学校や教師の責任だけを追及するのでは再発を防止できないように思われます。


 11年10月に発生した大津市の 「いじめ」 事件について、当時の朝日新聞社大津総局長の講演を聞く機会がありました。学校ではそこで指摘されたと同じ問題が発生しているとおもいました。
 講演内容を、2012年10月18日の 「活動報告」 から部分的に再録します。

 今回のいじめの本質は何でしょうか。
 学校が学校という密室空間で問題を解決しようとしたことです。学校には事なかれ主義と隠蔽体質があります。
 いじめはどこでも起こるという認識が欠如しています。だから未然に防ぐという対策がありません。あるのは「いじめはあって欲しくない」という願望です。だから絶対的力関係があるにもかかわらず喧嘩ではないと片づけました。
 問題を大きくしても解決しようという心掛けが欠けていました。だから保護者を巻き込んで解決を探るということがありませんでした。
 教師の中にもいじめと捉えた者が3人いました。しかし自殺の数日前の職員会議では、「いじめではないのでもう少し様子を見よう」という結論になります。つまりは外部に相談することはしないで身内だけで見守ろうと決定したのです。いじめの情報を聞きながら放置したことは、傍観者としていじめに加担したといわれてもしょうがありません。
 外部から閉鎖されているから陰湿ないじめが起きます。
 今後は、どの時点でいじめが黙殺されたのかを検証する必要があります。
 ……
 現場の教師から経験が語られました。
 閉鎖社会のなかで、教師は学校にはいじめがあってはならないと思っているから問題にしない。いじめがあることを前提にした共通認識がないから予防ができない。結局何の対応策もとろうとしません。大津の中学校の状況そのものです。
 教師は忙しいと言い訳けしながら、問題が発覚したら拡大し、自分たちで忙しくする方法を選択しているのです。


 学校内で起きていることは社会が抱えている問題を写す鏡です。しかし学校は社会から隔離します。問題を共有しようとしません。
 東日本大震災の被災地では、児童や生徒だけでなく、教職員の業務の軽減、保護者や教職員の生活の安定、地域の活性化が一番の解決策です。
 学校にカウンセラーを増やしても解決しません。なぜなら問題の要因は個々人が個別に解決できるものではないからです。人々の不安を学校を含めた地域社会が包含して安定度を取り戻すような構造を作り上げていくことが問題解決に向かわせます。

 東日本大震災は、阪神淡路大震災の教訓をもっともっと活かしていく必要があります。


   「活動報告」 2013.11.19
   「活動報告」 2012.10.18
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | いじめ・差別 | ▲ top
| メイン | 次ページ