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長時間労働が隠され、改ざんされている
2015/02/27(Fri)
 2月27日 (金)

 1月27日、厚労省は昨年11月に実施した 「成26年度 『過重労働解消キャンペーン』 の重点監督の実施結果」 を公表しました。
 長時間の過重労働による過労死等に関する労災請求のあった事業場や、若者の 「使い捨て」 が疑われる事業場など、労働基準関係法令の違反が疑われる全国の4,561事業場に対して集中的に実施したものです。その結果、3,811事業場に労働基準関係法令違反がありました。
 法令違反があった3,811事業場を業種別にみると、製造業1,032、商業802、接客娯楽業358などです。
 具体的違反内容は、違法な時間外労働があったもの2,304 事業場 (50.5%)、賃金不払残業があったもの955事業場 (20.9%)、過重労働による健康障害防止措置が未実施のもの72事業場 (1.6%)でした。

 実施した4,561事業場を企業規模別でみると、300人以上が1,502 (32.9%)、100人から299人が942 (20.7%)、50人から99人が568 (12.5%)などです。違法行為が存在するのは規模が大きな企業の方が多くなっています。


 これに対して、2,535事業場 (55.6%) に過重労働による健康障害防止措置が不十分なため改善を指導 (健康障害防止のため指導票を交付した事業場) がおこなわれました。
 内訳は、時間外労働を月80時間以内に削減するよう指導1,362 (53.7%)、月45時間以内への削減1122、「長時間にわたる労働による労働者の健康障害の防止を図るための対策の樹立に関すること」の衛生委員会等における調査審議の実施825、面接指導等の実施560、面接指導等が実施できる仕組みの整備等270などです。
 月80時間以内への削減1,362で、面接指導等の実施の削減560、面接指導等が実施できる仕組みの整備等270ということをみると、長時間労働が行われていても医師による面接指導等を実施などの義務はほとんど果たされていないということです。
 このような状況の中で今回労働安全衛生法の改正でストレスチェックが義務付けられるということは、使用者は労働者を日常的には大事にしないが、定期的ストレスチェックで体調不良者のリスト作り、排除の方向で利用される危険性が生まれるという危惧を払拭できません。

 労働時間適正把握に係る指導状況では、1,035事業場に対して労働時間の管理が不適正であるため、厚生労働省で定める 「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」 に適合するよう、労働時間を適正に把握することなどを指導しました。具体的には始業・終業時刻の確認・記録639件、自己申告の場合に申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについての実態調査を実施していない445件などです。
 実際には長時間労働を隠すためにわざと掌握しない、曖昧にしている現実があります。厚労省の労働時間調査結果はこのような数字に基づいて行われています。

 違法な時間外労働があった2,304事業場における時間外・休日労働時間が最長の者の実績です。
 1月当り200時間以上35人、150時間から200時間118人、100時間から150時間562人、80時間から100時間378人、45時間から80時間581人、45時間以下622人です。715事業場で精神障害で労災認定基準で 「強」 となる1か月100時間を超えています。この事業場の数だけでも現在の精神障害等の労災補償件数をはるかに上回っています。
 最長の者は特別だったり、少数ということではありません。後記の具体例にあるように、その職場では多くの労働者が同じ状況におかれています。

 時間外労働が200時間を超える労働者の生活時間を検討してみます。
 1か月を30日とすると、労働者が持っている時間は24時間×28日=720時間です。
 週休2日で月間休日8日とします。時間内労働は週40時間、休憩時間を1日1時間として拘束時間は9時間×22日=月198時間です。これに月200時間以上の時間外労働ということは、398時間以上拘束されたといことになります。(残業時間中に休息をとらないとして)
 1日7時間を睡眠時間にあてると7時間×30日=210時間です。
 残りの生活時間は休日を含めて112時間です。ここには通勤時間も含まれます。仮に1日往復2時間とすると2時間×28日=46時間です。結局自由に使える生活時間は休日を含めて66時間しかありません。
 実際は、残業時間内の休息時間は拘束時間となりますのでもっと少なくなります。結局、生活時間の不足は睡眠時間を削るということにしかなりません。体調不良に落ちいるのは必然です。
 これが、ワーク・ライフバランスの政策を掲げている政府の下の労働者の実態です。


 実際に、長時間にわたる過重な労働による過労死等に係る労災請求が行われた418事業場に対しての報告です。
 363事業場で労働基準関係法令違反が認められました。主な違反としては、違法な時間外労働があったものが285事業場、賃金不払残業があったものが126事業場、過重労働による健康障害防止措置が未実施のものが11事業場です。
違法な労働時間があった285事業場の業種別は、運輸交通業51、製造業44、商業42などです。
 310事業場に対して、長時間労働を行った労働者に対し、医師による面接指導等を実施することなどの過重労働による健康障害防止を講じるよう指導しました。
 最も多かったのは月80時間以内への削減181、次いで衛生委員会等における調査審議の実施150、月45時間以内への削減107、面接指導等の実施の削減105、面接指導等が実施できる仕組みの整備等70などです。
 月80時間以内への削減181で、面接指導等の実施の削減105、面接指導等が実施できる仕組みの整備等70ということは、過労死を出した事業場は何の反省もしていません。また過労死が 「製造」 されます。労働者の働き方の自己責任ではありません。

 別添で 「監督指導事例」 があります。その中に過労死を出した事業所の反省していない事例があります。
 事例6 (情報処理サービス業)
 長時間労働などを原因とする複数の労災請求 (脳・心臓疾患を発症、精神障害による自殺) が、ほぼ同時期になされた後も、当該事業場において、被災労働者以外の労働者についても月100時間を超える違法な時間外労働を行わせていた。
 具体的には労働基準監督官が労働時間管理等の労働関係書類を調査したところ、36協定の特別条項の特別延長時間である月100時間を超える時間外労働を月平均30名もの労働者に行わせ、最も長い者で月200時間の時間外労働を行わせていた。
 事業場の20代の労働者の3年以内の離職率は、4割を超えていた。

 36協定の特別条項そのものが問題ですが、それすら悪用されています。特別条項の廃止が急務です。


 これ以外の具体的監督指導事例です。指導事項を抜きにして紹介します。
 事例1 (旅館業)
 最も長い労働者で月270時間を超える違法な時間外労働を行わせていたほか、45時間分以上の残業代を支払わず、かつ、休憩時間がない実態も認められた。
 具体的には、恒常的に月100時間前後、最も長い者で月約270時間の時間外労働が36協定 (労使協定) の届出なく行われていた。雇用契約書において残業代として月当たり45時間分の時間外労働時間に係る割増賃金を支払うこととしているが、タイムカード等の労働関係書類を確認したところ、45時間を超過する時間外労働時間に応じた割増賃金が全く支払われていなかった。また、これらの労働者について、労働時間数を把握していなかった。

 事例2 (建設業)
 最も長い労働者で月約280時間の違法な時間外労働を行わせていたにもかかわらず、割増賃金の支払額を抑えるため労働時間を改ざんしていた。
 具体的には、会社は、労働時間を社内システムにより管理しており、実績を確認したところ、月当たりの時間外労働は36協定の上限である約80時間にほぼ統一されていた。不自然に感じた労働基準監督官がこの点を追求したところ、会社は改ざんを認め、別途作成している作業日報の存在を認めた。これにより、上限時間を大幅に上回る労働時間の実績が確認され、最も長い者で月約280時間の時間外労働が行われていたことが判明した。

 事例4 (製造業)
 正社員の多くを管理監督者として取り扱うことで割増賃金の支払いを行わず、かつ、最も長い労働者で月150時間を超える違法な時間外労働を行わせていた。
 具体的には、正社員のうち、各部門の長以下の専門職の労働者全てを、労働基準法第41条第2号に基づく管理監督者として取り扱い、時間外労働に係る割増賃金を支払っていなかったが、労働基準監督官が当該労働者の職務内容、責任と権限、勤務態様、賃金の処遇等を確認したところ、管理監督者とは認められなかった。PCイントラネットによる労働時間記録等の労働関係書類を調査したところ、36協定の特別条項の上限時間である月100時間を超え、最も長い者で月150時間を超える時間外労働が行われていた。

 労働時間が使用者の言いなりになっています。
 本来チェックする役割がある労働組合や従業員代表が機能していません。逆に使用者に利用されています。過労死が出ていることを放置する企業の労働組合は使用者と共犯者です。
 さらに労働者は声を上げません。上げ方を知りません。
 このような状況においては政府の法律による規制が求められますが、現在はさらにその逆に動向になっています。そして世論はそのような政府の政策を支持しています。
 労働者が労働基準監督署等に改善してもらうのではなく、労働者自身が共同で職場に、政府に自分たちで声を上げて改善させていく必要があります。地域の労働組合がそのための支援を積極的に進めることは責務です。


   「成26年度 『過重労働解消キャンペーン』 の重点監督の実施結果」 
   関連:「活動報告」 2015.2.17 
   関連:「活動報告」 2014.8.29 
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派遣法改正 規制はいったん外すとエンドレス
2015/02/24(Tue)
 2月24日 (火)

 政府与党は、昨年2回国会に提出されながら廃案になった労働者派遣法改正案を、骨格部分は維持しながら修正して通常国会に提出しようとしています。 
 1回目の提出は3月11日に通常国会に。しかし法案の一部にミスがあり審議に入ることなく廃案となりました。2回目は9月29日に臨時国会に。審議において厚労大臣が法案と矛盾した答弁をおこなって紛糾していたが、国会解散で廃案となりました。
 安倍政権は労基法改正をはじめとして、これまで反対の声が大きくて廃案になった法案なども、世論を無視してがむしゃらに提出して成立させようとしています。
 派遣法についてある団体から依頼された原稿です。


 改正される派遣労働は具体的改正内容はどのようなものでしょうか。
 改正案は、派遣労働者が同じ職場で働ける期間は3年までとして “個人単位の期間制限” を設けています。しかし同じ職場とは、業務のまとまりがあり、かつ、その長が業務の配分及び労務管理上の指揮監督権限を有する単位ということで、事業場内での異動は可能となる。その方がキャリアアップの契機を確保できると説明しています。
 現在は、派遣先が労働者個人ではなく同一の業務に対して派遣労働者を受け入れることができる期間は原則1年 (最長3年。しかし専門的な知識等が必要な業務、特別の雇用管理が必要な業務であるコンピュータのシステム設計、機械等の設計・製図などいわゆる 「26業務」 に該当する場合には派遣受入期間の制限はない) となっています。
 改正案では、同じ職場において3年を超えて継続して派遣労働者を受け入れてはならないとなっています。しかし派遣労働者の受入開始から3年を経過する時までに、事業場における過半数労働組合 (過半数代表者) から意見聴取をした場合にはさらに3年間、派遣労働者を入れ替えれば受け入れることができます。事実上期間制限はなくなり、継続的に派遣労働者に任せることができるようになっていきます。26業務の無期雇用派遣労働者は期間制限の対象外のままです。
派遣労働者が同じ職場で3年の上限に達した場合どうなるでしょうか。派遣元企業は、(1) 派遣先企業に対して労働者の直接雇用を依頼する、(2) 新たな派遣先の適用、(3) 派遣元企業においての無期雇用などの装置を講じなければならないとされています。さらに、派遣元企業は、労働派遣事業の許可・更新を受ける際に、「キャリアアップ支援制度」 を設けることが求められています。

 事業場における過半数労働組合から意見聴取をした場合、派遣労働者の受け入れ継続は可能となります。しかし事業場の方針に意見を言う、異議を唱える労働組合はどれくらい存在するでしょうか。派遣労働者の存在で自分たちの処遇が維持されてきたことへの反省はしません。懸念があっても正社員からの置換えが自分たちにしわ寄せされる危険性にです。法改正を契機に、この2つの問題を1つにして均等待遇の議論が進められることを期待します。
 はたして派遣労働者が同じ職場で3年の上限に達した場合、派遣先企業に対して労働者の直接雇用を依頼して実現可能でしょうか。派遣先は3年間を “お試し期間” に見定めて一部の労働者は可能となるかもしれません。しかし多くの場合に適用させることが可能とならあえて事業場内での異動の説明は必要なく、実効性が薄いものです。これらは、派遣労働者に対してはおとなしく仕事をしろ、そうすれは雇用を失わなくてすむと思わせる“アメ”の宣伝で騙しでしかありません。そもそも派遣先は派遣労働者の固定・長期化は期待していません。
 使用者は、労働者派遣事業は労働市場において労働力の迅速・的確な需給調整が可能となって使い勝手がいいと主張してきました。今回の改正ではさらに派遣労働者に任せる業務は拡大・固定化して長期化をもたらすことになります。
だから多くの労働者や労働組合は 「ずっと派遣で働く人が増える」、正社員に代わって、派遣社員が行う仕事が増え 「非正規雇用の拡大へつながる」 と批判されて反対をしているのです。

 現在の雇用労働者の割合は、正規雇用が全体の64.9%、非正規雇用が35.1%。さらに非正規労働者の内訳はパート・アルバイトが全体の24.3%、契約社員・嘱託社員が6.6%、1.8%が派遣労働者となっています。
 正規労働者と非正規労働者は労働条件、処遇などで大きな格差があります。さらに派遣労働者とその他の労働者とでは帰属意識が違います。派遣労働者の賃金は派遣先の委託費や物件費から支払われている間接雇用です。事業主から見たらいつでも削ることができる “モノ” “他人” でしかありません。だから人権や人格、生活を奪っても平気なのです。
 2008年の 「年越し派遣村」 を訪れた派遣労働者はなぜ派遣先から解雇を言い渡された時に黙って従ったのでしょうか。「派遣労働者は自分の職場ではないからいつも “引いている” んです」 ということでした。そこでの存在の仕方は自己を否定することを受け入れてしまっています。逆に言うと、派遣先にとっては物分かりがいい、使い勝手がいい存在です。
 派遣労働者の問題をとらえる時、見落としてはならない視点です。

 
 これまでの労働者派遣法改正の流れを見ると、法制定と法改正をいったん許してしまったらどんどん改ざんされてしまう状況を物語っています。
 1985年6月11日、派遣法成立が成立しました。これまで制限されていた労働者派遣事業を専門的な知識・技能・技術を必要とする 「13の業務」 に限り (ポジティブリスト) 民間業者が行なうことが容認されました。あくまでも臨時的・一時的な仕事を担う例外的な働かせ方ということでした。
 しかし総合職ではない専門職の人件費を低く抑えるための政策として活用され、労働力の調整弁となる労働者群が登場してきます。その後、徐々に対象業務は増え、最終的には26の業務が対象となります。
 85年半ば、アメリカからの構造改革要求を受けて、日本では労働法制の改訂が進められます。85年は雇用問題を語るには大きな転換点となり、年功序列、終身雇用の 「日本的経営」 が崩れていきます。5月17日、「男女雇用機会均等法」 が成立。12月19日、労働基準法研究会が最終報告書を提出しました。労働時間の規制緩和で変形労働時間制、フレックスタイム制、裁量労働制などが含まれて、その後これらを採りこんだ労働基準法が改正されていきます。
 99年成立の改正法では、港湾運送業務、建設業務、警備業務など6業務以外は派遣の対象業務とする (ネガティブリスト) となりました。そのあと病院・診療所における医療関係の業務などの1部も解禁され、対象業務の拡大されていきます。
 2003年成立の改正法では、期間要件等が緩和されました。具体的には、派遣期間は一定の要件を満たす場合は1年を超え3年以内のあらかじめ定めた期間まで、それ以外は1年まで、26の専門的業務に係る3年の期間制限指導は廃止、介護休業などの代替業務派遣は派遣期間制限の対象外、就業日数が限られている業務は派遣期間の制限の対象外などとされました。
 この頃までは、派遣労働者は専門的技能を向上させるための余裕が必要ということで他の非正規労働者よりも時給は高く、時間的拘束も緩くなっていました。しかし今あえて 「キャリアアップ支援制度」 などと言わなければならないほど派遣労働の実態は変質してしまっています。
 2007年成立の改正法では、製造派遣の期間が延長され最長3年となりまし。
 使用者にとってますます使い勝手のいいものになっていきます。派遣労働者から人権と人格、生活が奪われてしまいました。

 この動向を見るならば、現在政府が強行しようとしている労働時間規制をはずし、働いた時間に関係なく仕事の成果で賃金を決める 「高度プロフェッショナル労働制」 の対象者の収入制限でも同じことが起こりえます。結局は多くの労働者がその対象になって長時間労働だけが強いられてしまいます。導入そのものを阻止していかなければならなりません。

 
 廃案になった法案提出に向けて2014年1月29日に労働政策審議会から労働大臣に建議が行なわれました。その中から政府と使用者側の意図を探ってみます。
「Ⅱ 具体的措置について
 1 登録型派遣・製造業務派遣について
  経済活動や雇用に大きな影響が生じるおそれがあることから、禁止しないことが適当である。」
 作り上げた構造は壊さないという宣言です。
「3 期間制限について
 (1) 新たな期間制限の考え方
 労働者派遣事業は、労働市場において、労働力の迅速・的確な需給調整という重要な役割を果たしている。その一方で、派遣労働の雇用と使用が分離した形態であることによる弊害を防止することが適当である。すなわち、派遣労働者の雇用の安定やキャリア形成が図られにくい面があることから、派遣労働を臨時的・一時的な働き方と位置付けることを原則とするとともに、派遣先の常用労働者 (いわゆる正社員) との代替が生じないよう、派遣労働の利用を臨時的・一時的なものに限ることを原則とすることが適当である。」
 派遣労働者は調整の役割と位置付けられ、派遣労働を臨時的・一時的な働き方と位置付けられているが、実態は正規労働者の代替になりつつあり、そのことを容認しています。経済活動と使用者側の理屈だけが優先された雇用政策です。
 「使用者代表委員からは、有期雇用派遣の問題点を強調し、派遣労働の利用を臨時的・一時的なものに限ることを原則とすることは、派遣という働き方を自ら選択している多くの派遣労働者への配慮を欠いたものであり、労働者の多様な働き方の選択肢を狭めることになるとの意見があった。」
 「派遣という働き方を自ら選択している多くの派遣労働者」 という言い方は、派遣労働を容認し、派遣法改正の口実として繰り返されています。
 今年1月28日の参議院代表質問で、民主党の柳田稔議員は 「安倍政権は昨年、2度にわたって正社員と派遣労働者の均等待遇の確保がないまま、派遣労働者を増やす労働者派遣改悪法案を提出した。潤うのは働く人を都合よく使うことばかりを考えている企業ではないか」 と質問しました。安倍首相は 「提出を検討中の労働者派遣法改正案は、正社員を希望する派遣労働者について、正社員の道が開かれるようにするものだ。派遣を積極的に選択している派遣労働者については、待遇の改善を図ることにしている。労働法制の改悪との指摘はあたらない」 と答弁しました。
 法改正で問題になっているのは派遣労働を積極的に選択している派遣労働者の問題ではありません。答弁は派遣労働の実態を無視しています。多くの派遣労働者は自由な働き方などなく、正社員を希望してもなれていません。派遣法改正反対の声は、雇用の流動化の掛け声の下に不安定雇用の労働者を増大させてきた政府の政策をストップさせ、改善させる要求をしているのです。派遣法だけではなく労働法制のあり方そのものを問題にしています。


 政府は働いた時間に関係なく仕事の成果で賃金を決める 「高度プロフェッショナル労働制」 の導入をはかろうとしています。
 ソニーやパナソニック、日立、トヨタなどで進められている賃金制度の変更では、評価が 「成果」 (「成果」 の定義自身があいまい) や 「実績」 ではなく 「役割」 に対して行われます。「役割」 とは職務に 「ミッション」 が加わる。ミッションとは、企業全体の経営方針や価値観についての 「職責を果たすために進んでとるべき行動」 や 「貢献することの責任」。企業全体がめざす方向と個々の労働者が仕事上で同じ方向性、つまりは企業への忠誠心、「やる気」 が要求され、その役割の達成度に評価が行われて賃金が決定します。これまで以上に忠誠心と献身性が要求されます。しかしそれに耐えられるのは30代・40代の労働者で、常に競争と排除が伴います。
 賃金が持つ性格から時間が消え、労働の在り方と労働者の存在が拒否されます。雇用契約から対等な関係性が後退させられ、労働者は分断されて労使関係が否定されていきます。この賃金制度と 「高度プロフェッショナル労働制」 は一体のものです。まさに労働法制の岩盤を崩すものです。
 この動向に合わせて、非正規労働者を事業場で下支えをする労働者群と位置付け、人権・人格を無視して使い勝手がいい雇用関係を作りだそうとしています。派遣法の改正はその一環です。労働者の生活は破壊され、格差はますます拡大していきます。


 韓国・ソウル市は、雇用政策として「労働の常識」を考え直すという取り組みを開始しました。2011年にソウル市で働いている労働者の34%が非正規だった。勤続1年未満が57.1%で賃金は非正規労働者の56.4%。こうした状況を改善しようと、ソウル市は2012年5月に直接雇用している非正規労働者のうちの1.133人、翌年1月に236人を正規労働者に転換した。転換基準は 「常時継続的な業務であり2年以上継続されていること」。労働者の賃金は上昇し、非転換者の非正規労働者の年収も上昇させました。
 また派遣などで間接雇用している清掃、施設管理、警備、駐車管理などの労働者6.231人を3次に分けて直接雇用にし、後に正規労働者にする計画を立てています。清掃労働者の直接雇用は2013年から実施し、同一価値労働同一賃金を導入して中小製造業の賃金水準にしました。使用者を統一し、定年を設定することで雇用不安を解消し、労働時間などの労働条件もアップしました。人件費は外注経費が削減されたことで軽減が達成された。ただし中長期の福利厚生などのコストは必要となります。
 ソウル市は、正規労働者の問題は単なる労働の問題ではなく、韓国社会の葛藤を解消して持続可能な発展を目指す課題であると捉え、必ず解決しなければならない問題として取り組んでいます。
 またソウル市が転換事業をしたことは民間企業でも正規雇用化に波及しています。


 使用者は、雇用を “瞬間の問題” と捉え、自分たちだけの長期安定を考えています。これに対して労働者は、現在の処遇ではなく長期に人権が守られ、生活が保障されて安心できるものとして改善を要求しています。労働者の使い捨てを止めさせなければなりません。そのために声を上げ運動を展開していかなければなりません。
 「労働は商品ではない」


   関連:「活動報告」 2015.2.3 
   関連:「活動報告」 2015.1.20 
   関連:「活動報告」 2014.2.13 
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ドイツの 「過去を克服」
2015/02/20(Fri)
 2月20日 (火)

 1月27日の 『朝日川柳』 です。

   戦争を 抜きにして 戦後語る人

 戦後70年を迎えて発表される 「首相談話」 はどのような内容になるのでしょうか。戦争があって戦後があり、戦後70年とは、戦争の後の70年です。

 戦争とは言うまでもなく第二次世界大戦です。ドイツ、イタリア、日本でそれぞれ 「終戦の日」・「敗戦の日」、ナチスから弾圧受けていた人びと、強制連行されていた人びとの 「解放の日」 は違います。

 1月27日は、ポーランドにあったナチス・ドイツのホロコースト (ユダヤ人大虐殺) が行われたアウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放された日です。
 ここでは110万人が虐殺されました。ユダヤ人約100万人、ポーランド人7万5千人、ロマ系の人たち2万1千人、ソ連軍捕虜1万5千人などです。列車で送られてくると選別され、70~75%はガス室に送り込まれました。
 当日、現地では元収容者ら300人が参加して解放70年式典が開催されました。

 その3日後の31日、西ドイツのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー元大統領が亡くなりました。
 ワイツゼッカー元大統領は、戦後40年に当る1985年5月8日、西ドイツの連邦議会で演説を行ないました。有名な 「荒れ野の40年」 です。5月8日はドイツが無条件降伏した日です。
 演説は、過去、現在、未来に及びます。抜粋です。


 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。
 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。
 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 虐殺されたジィンティ・ロマ (ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
 銃殺された人質を思い浮かべます。
 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
  ……
 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。……
 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
  ……
 この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
  ……
 目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に) 移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
 良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト (大虐殺) の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
  ……
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
 ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
 まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
 ……
 かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか―― このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち (1942年、ナチスの高官を暗殺したことに対する報復としてプラハ近郊のこの村をナチスは完全に破壊した。) ——われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
 ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
  ……
 ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。
 いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
  ……
 われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の) 歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。

 若い人たちにお願いしたい。
 他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人、
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人
 これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
 民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。
 今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。


 演説を読むと、地球を半回転させて日本と重ね合さざるを得ません。
 政府の姿勢、過去のアジアへの植民地支配、現在のヘイトスピーチ、「見て見ぬふり」 ……


 精神科医でもある北杜夫が芥川賞を受賞した 『夜と霧の隅で』 は、第二次世界大戦末期のドイツ・ミュンヘン近くの精神病院を舞台にています。
「ナチスがいち早く 『遺伝病子孫防止法』 をだしたのは1933年7月のことで、ユダヤ人排斥を主眼とする 『国民血統保護法』、さらに 『婚姻保護法』 が制定されたのは1935年になってのことである。……ドイツでは最初の1年間におよそ5万6千人余の患者が断種の手術を受けた。」
 そして 『民族と戦闘に益のない人間』 が虐殺されていきました。
「1939年末、最初の精神病患者の安楽術が行われた。しかしこれは、その国内国外への影響、主として教会からの非難があまりに大きかったため、ひとまず中止されはした。しかし1941年、ベルリンのヒトラー官房に於いて1つの会議が開かれた。……安楽術は従来とは異なった形で、外部に絶対洩れぬようにして続行された。」
 ドイツの敗戦を疑わない1人の医者はソ連との戦闘に徴兵された経験をもっています。そのときにいっしょだった友人は1943年ミュンヘン大学の 『白バラは散らず』 で散ります。
 『白バラ』 たちは人権的、個人的な自由を最高の価値ととらえ、ナチスを最悪の敵とみなしてビラをまきました。彼は友人がまいたビラを隠し持って何度も読みかえします。
「何よりも文化民族にとってふさわしからぬことは、抵抗することもなく、無責任にして盲目的衝動に駆りたてられた専制の徒に統治を委ねることである」
 演説の中の 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」 の捉え方はすでに 『白バラ』 の中にみられます。
 この病院にも命令が下ります。消極的な抵抗しかできない医者たちの苦闘が展開されます。安楽術に送らないため、患者に治療の可能性があるといわれていたさまざまな治療方法がほどこされます。電気ショック、インシュリン、ロボトミーなど。
 ドイツは第一次世界大戦で多くの人口を失ったため、その後数10年間徴兵できる対象も減っていました。第一次世界大戦のつけが第二次世界大戦にまわされ、労力を極力節約する必要が生じていました。その節約額は膨大な数字が計算されています。精神病患者の安楽術はベットや看護員などを戦争目的に転用できるという理由もありました。

 第二次世界大戦までドイツを含め各国の精神医学会は、自分たちの使命を「軍隊と祖国に仕えること」とし、「個々の事例からではなく、密接に結びついた軍隊の利益から決定されなければならない」 (ハーブ・カチンス スチュワート・A・カーク著 『精神疾患はつくられる DSM診断の罠』) ということを基準に行動していました。


 2度の敗戦を経験したドイツは第二次世界大戦後、ヒットラーを許した 「過去を克服」 するためにすでに1200億マルク以上の賠償金を支払っています。
 そこに至る経緯です。

 まずドイツの軍隊の状況についてです。
 1937年、国府台陸軍病院 (現在の国立精神・神経センター国府病院 千葉県) が大幅に拡充されて戦争神経症を含む精神神経疾患の患者の収容が開始されました。
「国病と精神科との関連ができたのは昭和12年末のことである。時の陸軍省小泉親彦医務局長 (東条内閣の厚生大臣で終戦時自決) はドイツで観察した第一次大戦の経験 から、必ず日本でも大量の精神症者が発生するであろうと予測し、精神神経科の専門病院にするために国病に白羽の矢が立ったのであった。陸軍唯一の精神科専門医で、ドイツ留学の経験のある諏訪中佐が北支から呼びかえされて病院長として赴任し」た。(斉藤茂太著 『精神科医三代』 岩波新書)
 第一次大戦にはすでに軍隊の中で大量の精神症者が発生しているのがわかっていました。
 戦争は自国の兵士も負傷させて殺します。
      
 また市民の中からも体調不良者が発生します。
「1950年代後半から60年代前半にかけての限られた一時期に、精神病理学は強制収容所から開放された被迫害者が呈する様々の精神症状についての、一連の客観的研究を行なってはいる。……このような研究のきっかけとなったのは、1953年に当時の西ドイツ連邦会議において制定された、ナチ時代の被迫害者に対する補償措置 『連邦補償法』 (BEC) であった。この法律によって、強制収容所体験者で健康上の被害を被った者にも、はじめて一定額の一時金または年金が支給されることになった。」 (小俣和一郎著 『ドイツ精神病理学の戦後史』)
「人間としての自己を否定されることは、自己存在の基盤ともいえる自尊心の破壊をもたらす。われわれは通常、自分の価値や自分自身の存在意義を、どこかで肯定しながら  生きている。それが他者によって強烈に否定され、あるいは否定され続けたとき、人間は生きる意欲を失ってしまうであろう。その先にあるのは、生存そのものの最終的否定、つまり死以外では有り得ない。……
 たしかにアウシュビッツにおける日常が、重労働、飢餓、拷問、人体実験、選別などの恐怖に満ちていたことは今ここで再度強調するまでもない。しかしながら、強制収容所における体験を、ただ単に肉体的消滅の恐怖だけに限定してしまうのは、あまりにも皮相的である。そこでの外傷体験の中核にあったものは、被収容者個人の存在価値を根本的に否定する、持続的で精神的な虐待であった。だからこそ、肉体的な拘束が解放された戦後に至ってもなお、精神の負った破壊的傷痕は深部の記憶として生き続け、一連の深刻な後遺症を残すことになったのである。」 (同)

「新生ドイツ国家は、当然、戦死者の遺族や自国の戦争犠牲者に対する社会的補償 (遺族年金など) の問題に直面する。しかし、そうした自国民に対する補償を行なうに当っては、同時にナチズムの犠牲となったユダヤ人たちへの補償を認めることなしには、外交政策上も取りかかれなかったのである。……
 1953年9月19日に、西ドイツ議会で制定された 『連邦補償法』 (BEG) は、そうした様々の個人的被害に対応する目的をもっていた。……
 補償の対象となる被害者が、主としてドイツ国内に居住している者に限定されたことである。……
 連邦補償法で認められる請求の内容は、迫害に起因する生命の喪失、肉体と健康の損傷、自由の喪失、財産の喪失、資本の喪失、職業上の昇進または経済的成功の損害、生命保険および年金支払いの損失などである」

 「過去を克服」 させたのはこれだけではありません。60年代後半からの青年たちの運動があります。
 「お父さん、戦争の時何をしていたの」 と親世代の人びと1人ひとりに戦争責任を問いました。親族であってもナチスへの加担は許しませんでした。
 日本の 「全共闘世代」 の反戦運動に繋がるものでしたが、街頭闘争だけでなく深い歴史の捉え返しがありました。


 ドイツだけではなく軍隊と戦争はかくも残虐なことをやってのける。その過ちを認め、教訓とするかどうかが現在と未来への課題です。

 福島県・白河市にアウシュヴィッツ平和博物館があります。広島県福山市にホロコースト記念館があります。日本にいてアウシュビッツの実態を探る、その逆にアウシュビッツ平和博物館、ホロコースト記念館から今の日本を見ることができます。

 2月2日の 『朝日歌壇』 からです。

   積極的平和で敵を殺すより
    消極的でも非戦を選ぶ

   関連:「活動報告」 2011.3.24 
   関連:「本の中のメンタルヘルス 軍隊・戦争」
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「政・労・使」 ではなく 「政&労・使」
2015/02/17(Tue)
 2月17日 (火)

 2月13日、労働政策審議会は、「今後の労働時間法制等の在り方について (報告)」 をとりまとめ、厚労大臣に建議しました。この後厚労省は通常国会に法案を提出、2016年4月1日からの施行を予定しています。
 「報告書」 は、冒頭で一般労働者の年間総実労働時間が2000時間を上回る水準で推移していることを認めたうえで (総務省統計。厚労省のデータは1800時間台と発表している)、労働者の健康確保に向けた取り組みをとして長時間労働を抑制するための取り組みをうたっています。実際にはどれくらいの長時間労働が存在するのか明らかになるものはありません。
 しかしそれに続けて、労働時間の規制がない労働者群を合法的に作すことを了承しています。長時間労働は、規制が行われている状態から緩和されるのではなく、すでに野放しになっているのがさらに推進されるということです。
 矛盾する2つの政策が同時進行です。

 報告書から問題の 「高度プロフェッショナル制度」 の部分を抜粋します。
「4 特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) の創設
 時間ではなく成果で評価される働き方を希望する労働者のニーズに応え、その意欲や能力を十分に発揮できるようにするため、一定の年収要件を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、長時間労働を防止するための措置を講じつつ、時間外・休日労働協定の締結や時間外・休日・深夜の割増賃金の支払義務等の適用を除外した労働時間制度の新たな選択肢として、特定高度専門業務・成果型労働制 (高度プロフェッショナル制度) を設けることが適当である。
 なお、使用者代表委員から、高度プロフェッショナル制度は、経済活力の源泉であるイノベーションとグローバリゼーションを担う高い専門能力を有する労働者に対し、健康・福祉確保措置を講じつつ、メリハリのある効率的な働き方を実現するなど、多様な働き方の選択肢を用意するものである。労働者の一層の能力発揮と生産性の向上を通じた企業の競争力とわが国経済の持続的発展に繋がることが期待でき、幅広い労働者が対象となることが望ましいとの意見があった。
 また、労働者代表委員から、高度プロフェッショナル制度について、既に柔軟な働き方を可能とする他の制度が存在し、現行制度のもとでも成果と報酬を連動させることは十分可能であり現に実施されていること及び長時間労働となるおそれがあること等から新たな制度の創設は認められないとの意見があった。」

 労働者にとって賃金と労働時間は労働条件の根幹です。
 労基法が改正された場合の問題点については1月20日の 「活動報告」 に書きましたが労働法制の根幹、労働者の働き方が根底から変えられようとしています。「残業代ゼロ」 レベルの問題ではありません。
 

 2005年6月21日に日本経団連が 「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」 を発表したことに対する反対運動が盛り上がった時は、同時に労働契約法の制定についても議論がまき起こりました。労働契約法案は現在の内容とは大きく違います。
 当時の労働契約法制定反対の意見は、労基法を改正して盛り込めはいい法案の項目をなぜ新たな法律として独立させるのかということでした。労働契約法で労使の契約・労働条件が個別的に決定されていくと労基法、労働組合法が持つ集団的労使関係が否定されてしまう危険性を指摘したものです。そのなかでホワイトカラーエグゼンプションが導入され、その条件である年収基準がどんどん下がっていったら労基法は機能しなくなることを危惧しました。
 当時、ホワイトカラーエグゼンプションに対して労働者と労働組合は 「残業代ゼロ」 のスローガンを掲げて反対の声を大きくして阻止しました。同時に労働契約法案も大きく修正させました。

 労働契約法に賛成する人たちもいました。労基法ではカバーできなくて放置されている問題を取り込むことができるという主張です。たとえば、解雇、雇用終了についてはそれまで規制する法律がありませんでしたが条件がつきました。労働者の安全への配慮は「判例法理」だけでなく法律になりました。
 しかし、労働契約法は労働者側に有利にだけではなく改正されて行くと、労基法、労働組合法を無視することが合法化されてしまう性格を持っていることを肝に銘じておかなければなりません。

 今回の 「ホワイトカラーエグゼンプション」 導入は労基法改正によってです。
 労働条件を規制するには2つの方法があります。1つは国が法律によって。2つ目は労働組合の力です。しかし日本では2つともあてになりません。もう1つの社会的力・世論も労働者に味方することはほとんどありません。
 厚労省が2003年10月22日に出した労基法36条の運用に関する 「通達」 (基発第1022003号) の 「特別条項付き協定」 は年間2000時間をはるかに上回る労働時間の強制を合法化しています。労働組合が機能していないからです。そのようなことを承知の上で 「報告書」 は労使の自主的取組の促進を提案しています。使のやりたい放題です。


 労働法の改正と企業の労務政策・賃金制度改革は同時に進行します。
 昨秋から、賃金制度を改正して 「役割給」、「ジョブグレード制度」 を導入する企業が増えています。ソニー、パナソニック、日立、トヨタなどです。賃金の持つ性格が変えられようとしています。賃金が労使の対等な関係のなかでの労働の対価ではなく、会社に対する「忠誠」への対価になります。その結果、無償労働と長時間労働がはびこることは明らかです。

 そもそも今回も言われている成果とは何をいうのでしょうか。あいまいです。
 1995年から成果主義賃金制度が導入されましたが上手くいかないということがわかるとすぐに軌道修正が行われ、「役割給」 が登場しました。役割給も成果主義賃金制度と呼ばれます。役割給は、企業全体の経営方針や価値観についての 「職責を果たすために進んでとるべき行動」 や 「貢献することの責任」 をミッションと呼び、位置付けがあいまいなミッションの達成度に対して賃金が支払わる制度です。成果でも実績でもない 「貢献」 が評価される役割給はこれまで以上に労働者を企業に従属させます。そしてエンドレスの貢献を要求され、疲弊したら使い捨てです。
 これが 「報告書」 のなかの使用者の主張である 「労働者の一層の能力発揮と生産性の向上を通じた企業の競争力とわが国経済の持続的発展に繋がることが期待」 です。
 このような “労使関係” が作り出されようとしています。


 政府は 「過労死促進法」 と呼ばれる法改正を進めようとする一方で 「過労死防止法」 を制定させ、長時間労働削減推進本部を立ち上げて議論を進めています。この関係性はどのようなものなのでしょうか。

 世界人権宣言に基づく社会権規約委員会は、2013年4月30日にジュネーブの国連人権高等弁務官事務所で日本の社会権規約の実施について第3回の審議をおこないました。(2013年7月9日の 「活動報告」) 審査最終日の5月17日、総括所見が発表されました。日本政府に対しては37項目におよぶ 「日本の第3回定期報告書に関する総括所見」 が発表されました。
 長時間労働については17項目目です。
「17.委員会は、締約国が雇用主に対して自主的な行動をするように奨励する措置を講じているにもかかわらず、多くの労働者が今なお非常に長時間の労働に従事していることを懸念する。また、委員会は、過労死及び職場における精神的なハラスメントによる自殺が発生し続けていることも懸念する。
 委員会は、社会権規約7条に定められた、安全で健康的な労働条件に対する労働者の権利、そして、労働時間に対する合理的な制限に対する労働者の権利を守る義務に従って、締約国が長時間労働を防止する措置を強化し、労働時間の延長に対する制限に従わない者に対して一般予防効果のある制裁を適用するよう勧告する。また、委員会は、締約国が必要な場合には職場におけるあらゆる形態のハラスメントを禁止、防止することを目的とした立法、規制を講じるよう勧告する。」
 そして37項目目は 「37.委員会は、締約国に対し、委員会が2008年に採択したガイドライン (E/C.12/2008/2) にしたがって、次回の定期報告書を2018年5月31日までに提出するよう要請する。」 です。
 これまでの日本政府の答弁は、労基法36条で労働時間はきちんと規制されているというものでした。しかしその説明では不充分だという指摘です。
 おそらく今後提出する報告書には 「過労死防止法」 を制定させた、長時間労働削減推進本部を設置して取り組んでいると記載すると思われます。そして労働時間にとらわれない働き方、裁量労働制の拡大ということで実労働時間をカウントをしない方法で長時間労働を誤魔化そうとしています。

 過労死等防止対策推進協議会に提出された総務省の労働力調査の資料によると2013年の週の雇用労働者の労働時間が60時間以上の者の割合は8.8%、474万人います。60時間以上の具体的時間ごとの区分はわかりません。国際的データでは60時間はマックスでそれ以上の労働者が存在することを想定していません。それに合わせて日本でも区分をしていませんが、労災認定や労基署の立ち入り調査においては月100時間以上、120時間以上なども多く存在しています。
 2000年6月閣議決定した 「新成長戦略」 で政府は2020年までに週の労働時間60時間以上の者の割合を5%、260万人に減らそうとしています。しかし逆に言えば、2020年にも20人に1人は健康障害リスクが高まるとする過労死ラインの月80時間を超えて働いていることになります。はたしてこれは戦略、政策と呼べるものなのでしょうか。

 「今後の労働時間法制等の在り方について (報告)」 を強行的にまとめて建議した労働政策審議会労働条件分科会会長は岩村正彦東大教授、過労死等防止対策推進協議会会長も岩村会長です。一方で過労死を作りだし、一方で防止をするという議論の責任者です。
 このような厚労省の御用学者が公益委員と称して牛耳って 「政・労・使」 ではなく 「政&労・使」 を構成しています。


 労働法制の根幹、労働者の働き方を根底から覆す労基法改正を何が何でも阻止していかなければなりません。まだまだ間に合います。

   関連:「活動報告」 2015.1.20 
   関連:「活動報告」 2013.7.9
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「ありがとう」 が “心のケア” に
2015/02/12(Thu)
 2月12日 (木)

 東日本大震災から3年11か月が過ぎました。
 忘れられかけています。いや忘れていない、忘れてはいけないと反論して原発事故のことを語り始める人もいます。しかしそれ以外の被災地の状況についてはやはり多くの人には忘れられかけています。仕方のないことかもしれません。その裏で復興は遅々として進んでいません。

 最近、仙石線がこの5月末にやっと全線が開通するというニュースが流れました。石巻線も同じ頃に全線開通します。復興が遅れているなかで鉄道がなくては不便ということで被災者は仮設住宅から遠くに移転していっています。その後に開通しても住民が戻ってくるという保証はありません。しかし人口の減少にストップをかけることはできます。残った者たちで復興です。


 阪神淡路大震災から20年が過ぎました。東日本大震災は阪神淡路大震災から多くの教訓を学びました。そのなかの1つが “心のケア” です。
 惨事ストレスは災害から2・3年過ぎた頃から発症すると言われます。阪神淡路大震災から “心のケア” を検討してみます。
 阪神淡路大震災では公立学校の校長3名、教頭1名、教諭8名、養護教諭2名、講師1名が亡くなりました。私学・大学関係を含めると合計33名が亡くなりました。さらに家屋全半壊は2479戸でした。当初は自分たちの職場が避難所になったりして被災者でありながら管理と救援活動も担いました。

 東日本大震災3日月後に宮城県教職員組合は阪神淡路大震災を西宮市で体験した教員を招いて、沿岸部の3カ所で講座を開きました。 「甚大な被災地と比べてうちはたいしたことないからもっとがんばらないとという気持ちを持ってしまった」 、子どもの荒れ・不登校や教職員の 『うつ』 が震災後3年目にピークを迎えた、行政への加配要求などが大切であるという教訓が伝えられました。そして 「先生たち 交代で休もう」 と呼びかけました。

 阪神淡路大震災から2年2ヶ月に、時兵庫県精神保健協会 こころのケアセンターは教職員のメンタルヘルス調査をおこないました。その結果は、震災後2年余を経過した時点においてなお、個人的な被災状況が過酷だった、震災後過酷な業務に従事した者ほど精神健康が低下していて、女性は男性に比べて強いストレスをこうむっていました。被災地に勤務する者の10~20%でPTSDが強く疑われました。
 地震の被害をこうむった者はその後も過酷な生活状況の中で、いわばドミノ倒し式に次々と新しいストレス状況に見舞われていく傾向がありました。また、被災地に勤務する教職員は、勤務先が避難所となったかどうかにかかわらず強い心理的影響を受けていました。 
 教訓として「教職員たちが本来の学校教育以外の責任や業務を担うことは最小限にとどめるべきであろう。教職員にしかできない被災者のためにではなく、教職員自身と子どもの精神健康の維持のために援助というものがある。」とあります。
 そうしないと災害後の教職員の “燃え尽き症候” の危険性が出てきます。


 2011年4月30日付の 『毎日新聞』 に 「東日本大震災 岩手県教委 『こころのサポートチーム』 が始動」 の見出し記事が載りました。阪神淡路大震災の経験踏まえて県教委は 「こころのサポートチーム」 を発足させ、研修会も実施しました。そこでは児童生徒の受け止め方や接し方についての講義と質疑応答が行われましたが教職員自身の健康管理についても話が及びました。
「先生も肩の力抜いて
 研修では講義だけでなく、心身をリラックスさせる 『実技』 にも時間を割いた。『子供を元気づけるには先生が元気でいることが大切』 (県教委) だからだ。県教委によると、同県沿岸部の公立小中高校の教職員約2500人のうち約2割が、家屋に被害を受けた被災者でもある。
 (臨床心理士の) 佐々木さんの指導で、両腕を上に伸ばしたり、肩を上下させたり、座った状態で足を伸ばしたりするたびに 『あー』 『はー』 と気持ちの良さそうな声がもれ、それまで緊張感や疲労感が漂っていた教員の顔に初めて笑みが浮かんだ。
 『笑っちゃいけないと思っている人がいるかもしれないが、それは間違い。力を抜く時に抜かないと力を入れる時に入れられない』。佐々木さんはリラクセーションの大切さを説く。阪神大震災の時、感情を素直に出し 『泣き虫先生』 と呼ばれた教員のクラスではストレスの回復が早かったという。」

 宮城県教委は震災から2年3ヶ月過ぎた13年6月に県内公立小中高校などの教職員に健康調査を行いました。その結果、震災9か月後と比べて悪化していました。
 沿岸部では、ストレスを 「大変強く・強く」 感じるは30%近くに及び、震災との関連については 「ある」 が30%前後に及びました。「燃え尽き症候群」 の兆候も県全体では17%にみられました。

 神戸新聞は昨年末から阪神淡路大震災の特集を組みました。
 12月1日付の新聞に、阪神淡路大震災の時、神戸市灘区に住んでいて大阪の小学校に勤務していた元教員の話が載っていました。家族は無事でしたが自宅は全焼しました。日常と思い出を奪われた喪失感は大きかったのですが、「大勢の犠牲者が出た中、家が燃えただけで大した被害じゃない」 と自分に言い聞かせ、がむしゃらに働きました。
 震災10年目、心は悲鳴を上げ、不眠症になりました。病院で「燃え尽き症候群」と診断され、約3カ月間休職。その後も再発し、退職することになってしまいました。
 頑張りすぎることが結果として長期に活躍できなくなってしまいます。

 阪神淡路大震災から1年過ぎて、阪神大震災を記録しつづける会編の本 『阪神大震災 もう1年 まだ1年』 (神戸新聞総合出版センター) が刊行されました。68人のその中の記録が載っています。その中の1編です。

   自信と誇りを

 あの大震災より半年余りが過ぎた。疲れ果てた身体が平常に戻りつつある人が多い中、本人さえ気付いていない心のケアを必要としている人達のことが今とても気にかかる。
 機動隊員の私の主人。震災前日の当直勤務から4日目に一時帰宅をした。何よりも多くの人を生きているうちに救出したいという思いだけで働いていた。言葉数はすくなかったが、無力さと悔しさを隠しきれない様子であった。ほどなくおおくの県外の警察官の応援があったが、言うまでもなく激務は変わらない。
 私も水汲みと家族の世話に追われていたが、一段落した時はっとした。救出が毎日繰り返される中で、主人は一度も自分のしてきた仕事に満足している様子がなかったのだ。それはずっと続いた。
 例えば、
 「もっとこうすればよかったんじゃないか」 「あと少し早ければ」 「あれもしてやりたかった」。
 後悔と自責の言葉のみなのだ。側で聞いていても、こんなに頑張っているのになぜ? と何度も思った。慰めの言葉は、主人の気持ちを逆撫でするだけだった。私は家族として、ただの一市民として機動隊をはじめて全ての警察官に頭が下がる思いであったが、実際現場で働くものにとっては、自分との戦いでもあったのだ。気付いてから主人にはつとめて自信を持ってもらうよう気を遣った。
 生存者の発見が絶望的になった頃は、死臭との戦もあった。遺骨拾いを手伝った火災現場で、溶けてしまった自分の靴底を出勤前に幾度も触っていた。体力を付けて頑張ってほしいと力のつく食事を用意しても、肉類はほとんど受け付けない。一生懸命やろうという気持ちと、体力の限界とのギャップ。
 倒壊ビルから遺体が発見される。レンジャー隊員の主人達が翌日、ロープで遺体を降ろす予定を聞いたとき、安全を祈らずにはいられなかった。そして数週間の日が経過しているため、かなり腐乱も進んでいるらしい。身寄りもなくビルからやっと出られる遺体が、今は安心して待っているだろうと、喜んで主人を送りだした時もあった。
 被災した方々は、言い尽くせない心の傷を持っておられる。しかし直後から被災者救出や、復旧作業、ボランティアに携わった人々も深く心に傷をおっていることも忘れてはならない。それは厄介なことに、本人は気付いていないことが多いと聞く。
 加えて自らも被災者という人も大勢いる。真面目に、そして真剣に関われば関わるほど余裕がもてず、一途にのめりこんでいく。休息をとることも罪悪感を持ってしまう。第三者的に関われず、それが最悪の場合、自殺にも結び付きかねないという。責任者という立場の方は、なおさらだろう。幸い、主人は早い時期に自分を取戻し、今は貴重な体験をさせてもらえたあの時を大切にしたいと言えるようになった。
 心のケアというものは、私達にはできないものなのか。夜間パトロールで街を歩いている時、「ありがとう」 「頑張ってね」 のそんな一言が、どれだけ多くの警察官を救ったことだろうか。
 避難所のボランティアの方が言っていた。「感謝してほしいと思ったことは一度もないが、感謝してくださると元気が出ます」 と。街に出て、3歳の息子が県外からの応援のゴミ収集車に足を止めて手を振った。笑って手を振りかえしてくれたあの人に、私達の気持ちが伝わっただろうか。
 今後、全国どこでも起こりうる災害時には、心のケア専門チームが、被災した人々にはもちろん、それを手伝う側にも必ずついて頂きたいと切望する。今でも県、市の職員の方々、ライフライン関係の方々がまだまだ大変な時期を過ごしておられることだろう。どうか自分のしてきた仕事に、自信と誇りを持ってほしい。そして街がまだその力を必要としていることに、私達も一緒に取り組んでいかなければと改めて思う。
 阪神大震災は終わっていない。全ての人々が安らげるまで。

 救援者を間近かで見ていての教訓が語られています。

 昨年12月24日付の 『神戸新聞』 の 「惨事ストレス ねぎらいこそ最大のケア」 の見出し記事が載りました。消防士の惨事ストレスについて、兵庫県ころのケアセンター長の加藤寛精神科医は救助側へ接し方として 「忘れていけないのは、組織の内外からのねぎい。それが大きなケアにる」 と呼びかけています。


 東日本大震災後も各地で災害が発生しています。13年10月16日の台風で土砂崩れが発生し、40人の死者と行方不明者がでました。14年8月20日、広島市安佐南区の土砂災害で74人の死者が発生しました。それぞれ救援者のなかから体調不良者が出ています。
 自然災害は予測できませんが災害被害を小さくするための対策は可能です。救助者への事前の “心のケア” でストレスもなくすことはできませんが小さくすることができます。
 そして周囲のだれでも救援者の救援者になれます。

 3月8日 (日) 午後1時から、神戸・ひょうご共済会館で惨事ストレスの集会が予定されています。

   ≪活動報告≫ 2015年1月15日 
   ≪活動報告≫ 2015年1月9日
   関連: 「心のケア」 
   関連: 「教職員の惨事ストレス対策」 
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