2014/12 ≪  2015/01 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2015/02
基地の存在は沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている
2015/01/30(Fri)
 1月30日 (金)

 1月15日、連合会館で 「辺野古新基地建設断念を求める沖縄県議上京団と連帯する集会」 が開催されました。開会前に満席です。
 昨年11月16日の県知事選で辺野古基地反対を掲げる知事が誕生しました。次いで12月14日の衆議院選挙は、沖縄とその他ではまったく違う結果が出ました。沖縄では4選挙区全部で辺野古基地反対の候補者が当選しました。沖縄の人びとの思い、「オール沖縄」 の民意の表明です。
 しかし安倍政権はこの民意を拒否して工事を続けることを表明しました。安倍政権は新沖縄県知事が上京して面会を求めても会おうとしません。
 これに対して沖縄の声を直接届けるために、沖縄県議会議員団が1月15日と16日に上京し、政府に辺野古新基地建設断念を求める意見書の提出行動を行いました。集会はその一環です。
 この日も現地では反対する住民と警察・海上保安庁が激突しています。

 集会には自民党以外の全県議会会派の議員が大勢参加しました。代表して4人の議員がそれぞれテーマを分担して沖縄の状況を報告しました。
 「沖縄振興と米軍基地」 についてです。
 県民所得の平均は201万円で全国最下位、全国平均の7割です。年収200万円未満が51.8%を占めます。非正規雇用が44.5%を占めます。
 1972年の 「復帰」 から今日まで投入された沖縄復興予算は11兆円です。しかし大半が本土に還流していきます。本土企業の誘致中心で地場産業、地元企業育成に成功していません。その原因が米軍基地の存在です。
 沖縄の面積は、全国の0.6%です。そこに全国の米軍専用施設の74%が置かれています。沖縄本島の18.3%、嘉手納町では82%を占めます。普天間基地は宜野湾市のど真ん中に位置しています。このような基地が沖縄の発展を妨げてきました。
 県議会での企画部長の答弁です。
「基地関連収入の県経済に占める割合は、復帰直後の15.5%から平成23年度は4.9%となり、その比重は大幅に低下しております。北谷町美浜地区や那覇新都心地区などの基地跡地の飛躍的発展は、かつての基地経済の恩恵をはるかに凌駕しており、今や基地の存在は、沖縄経済発展の最大の阻害要因になっています」
 これが県民の共通認識になっています。

 これからは、沖縄振興予算が沖縄地域を循環し、地元企業や県民の家計に蓄積される仕組みを作っていく必要があります。亜熱帯気候を活かした1次産業をはじめ、観光など地元産業・地元企業育成に向かわなければなりません。米軍基地を撤去して経済の発展を図る必要があります。

 沖縄経済にしめる基地関連収入は1980年代から5%台になっていました。
 普天間基地における現在の基地従業員数は208人です。ネットには1万人と書いてありそれが鵜呑みにされています。返還されると3万2千人の雇用の場に変わると計画が立てられています。
 基地があるから政府からたくさんの予算をもらっているという、基地押し付け勢力の意図的な宣伝は間違いです。


 沖縄の人びとを辺野古基地建設反対の意識にさせた要因は、これまでの差別と人権無視の政策に対する怒りの蓄積です。
 1995年10月の 「米軍兵による少女暴行事件を糾弾し、日米地位協定見直しを求める県民総決起大会」 には8万5千人が参加しました。12年9月 「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」 には10万1千人が参加しました。反基地の運動はこれまで以上に大きくなっていきます。
 前知事の仲井眞が辺野古埋め立てを承認すると、保守、中道、経済界を巻き込んで打倒仲井眞の声が高まりました。
 13年11月25日に、普天間飛行場県外移設を公約に掲げて当選した沖縄出身の自民党国会議員5人が県内移設容認に転換して公約を破ります。自民党石破幹事長に呼び出されて恫喝されたからです。石破氏の前でうなだれる5人の姿の写真が地元新聞の1面を飾りました。沖縄が大和から恫喝されて屈服させられたと受け止めました。人びとは屈服に同調しませんでした。自民党離れが急速化し、自民党は分裂します。


 沖縄の経済は 「3K」 と言われたことがありました。「基地」 と 「公共事業」 と 「観光」 です。「基地」 は多くの労働者の雇用を保障しましました。「公共事業」 は政府に請願してすすめられましたが、観光客の招来を期待しながら自然を破壊していきました。
 県民所得と沖縄復興予算の総額11兆円を捉えなおしたら、復興予算がどのように行使されてきたかは明らかです。本土の大手企業と大手建設会社が潤ったのです。地元の下請け建設企業が大手のおこぼれをもらってきました。
 この構造は、日本政府の海外支援と同じです。
 今、辺野古基地を推し進めている本土の建設会社は大成建設です。
 しかし 「オール沖縄」 の人びとはそれに気がつきました。自立、沖縄のことは自分たちで決定すると主張し始め、地元の大手建設会社も参加しています。


 1月25日、国会開会日の前日、国会包囲ヒューマンチェーン 「沖縄の民意を無視するな! 辺野古に基地をつくらせない!」 が行われました。
 事前に青い格好をして集まって意思表示をしようと呼びかけられました。青は海の色です。しかし冬に青い色の上着は難しいです。それでも青いジーパン、スカーフなどを身に着けて8000人が集まり、3時15分と30分に参加者全員で手をつないでヒューマンチェーンを作って国会を包囲しました。天気も青空で風もなく、連帯していました。
 ピースサイクルの仲間たちは自転車で国会を何度もまわります。
 日曜日で国会には人影がありませんが、首相官邸には確実に声を届けました。


 1987年6月21日、全国から沖縄に集まった1万6000人は嘉手納基地を11.5キロメートルの 「人の輪」 で包囲しました。豪雨でした。
 その時のヒューマンチェーンを成功させるために歌で呼びかけが行われました。スローテンポの沖縄ポップス調です。
 『やさしい心を武器にして』 です。

  戦の嫌いな 人が住み
  戦争を放棄 (や) めた この邦 (くに) に
  誰れが決めたか 基地がある
  やさしい心を 武器にして
  平和な邦を 造ろうよ
  平和な邦を 造ります
   手をつなごう 世界をつなごう
   人間の輪で 人の和で

  希望に燃える 島人に
  自然の恵み 満ちている
  平和の誓い 忘れずに
  やさしい心を 武器にして
  理想の邦を 築こうよ
  理想の邦を 築きます
   手をつなごう 世界をつなごう
   人間の輪で 人の和で

  小さな島から 反戦を
  大きな声で 呼びかけりゃ
  地球を救う もとになる
  やさしい心を 武器にして
  協和の世紀 迎えよう
  協和の世紀 迎えます
   手をつなごう 世界をつなごう
   人間の輪で 人の和で

 歌詞は国ではなく邦 (くに)です。国境に関係なく人びとの生活空間の繋がりです。

 辺野古基地建設工事を阻止するため住民は連日抗議行動を続けています。
 沖縄の民意は、揺るぎません。
 怒りのヒューマンチェーンが歓喜のヒューマンチェーンに変わるまで闘いは続きます。

   関連:「活動報告」 2014.12.25 
   関連:「活動報告」 2014.9.25 
   関連:「活動報告」 2014.6.24
この記事のURL | 沖縄 | ▲ top
韓国:感情労働                                                          客は従業員の人格まで侵害する権利はない
2015/01/27(Tue)
 1月27日 (火)

 大韓航空の副社長が、搭乗していた飛行機の乗務員がナッツを袋のまま出したことに怒って航空機を引き返させたいわゆる 「ナッツ・リターン」 事件は、副社長が財閥の娘だったということを含めて様々な議論に発展しています。
 しかし、このような事件は韓国では特異なものではなく、今 「感情労働」 に従事する労働者の問題は深刻になっています。この事件後にも似たような事件が発生しています。
 いかにも日本で 「半沢直樹」 がヒットした後に職場で “土下座” が行われているのと同じです。
 韓国におけるこの間の感情労働についての動向を整理します。

 1月8日の 「中央日報」 の社説は、「『デパート母娘事件』 …他人に対する配慮が消えた韓国社会」 の見出しです。韓国ソウル近郊のデパートで、客の母娘が駐車場のアルバイト生をひざまずかせて頬を殴ったという主張がネット上に流れた事件です。

 事実関係を確かめてみると、特権層の権力乱用というよりは客の我が物顔の振る舞いといえるだろう。だが、多くの人はこの事件を起こした母娘の単なる逸脱行為とは見ていない雰囲気だ。私たちの周辺でよく目撃する後進的な実状だからだ。ネット上には我が物顔の客による暴言で心を傷つけられた 「感情労働者」 らの怒りがあふれ返っている。一部の非常識な暴力は感情労働者を病や死に追いやることもある。
 昨年11月、入居者の暴言に耐えられず焼身自殺をしたソウル江南 (カンナム) のあるアパート警備員Lさんの家族は、入居者と警備企業を相手取り、最近、民事訴訟を起こした。原告側の弁護人は 『Lさんの死に謝罪して責任を全うしなければならない管理会社と入居者が責任を回避している』 とし 『彼らはLさんを死に追い込みあたたかい家庭を破綻に追いやった直接的な原因だ』 と主張した。
 われわれ韓国社会は経済的に相当な水準に到達した。ところが自身の権利を主張する一方で他人の権利も尊重しなければならないという市民意識はまだまだ身についていないようだ。甲乙関係の 「甲」 でないなら詐称してでも損を回避しようとする浅はかな身分社会の残骸が今も残っている。まだ一部の企業オーナーは職員を作男 (雇い人) だと思い込み、一部の我が物顔の顧客は従業員を召使のように冷遇する。『お客様は神様』 は、企業が利益を最大化するためにつくり出したただのスローガンに過ぎない。
 客は支払った分に対する待遇を受ける権利はあるが、従業員の人格まで侵害する権利はない。一部は感情労働者に対する法的保護を強化しなければなければならないと主張する。だがこれは法で解決するような問題ではない。自身の行動が他人に害を及ぼしていないか振り返る成熟した市民意識が先に定着してこそ解決される問題ではないか。

 関連する記事が14年10月31日のソウル=聯合ニュースに 「『入居者応対』 に苦しむマンション警備労働者」 の見出しで載りました。

 今月7日ソウルのあるアパート警備員の焼身自殺未遂で、アパート警備員の労働条件に社会的な関心が集っているなかで、賃金を以外に 「入居者応対」 が最も大きいストレスの要因と分かった。
 ハン・イニム労働環境健康研究所・研究員は 「アパート警備員の労働人権改善のための緊急討論会」 でこのように報告した。
 労働環境健康研究所によれば、8~9月にソウルの団地で働く警備員152人を対象にアンケート調査を実施した結果、回答者の39.6%が、この1年間にことばの暴力を体験したと答えた。
 ことばの暴力を体験したこれらの46%は1か月に1回以下、36%は1か月に2~3回体験したと答えたが、『ほとんど毎日』 が6%にもなった。また経験者の69.4%は加害者は 「入居者と訪問客」 とした。
 この1年間で身体的暴力や脅しに遭ったことがあると答えた人も8.9%だった。加害者の72.7%は 「入居者と訪問客」 だと答えた。
 回答者の15.8%が、昨年一年間に業務中の事故で病院や薬局を訪ねたと答え、このうち66.7%は治療費を自分で出したと答えた。労災保険で処理したという答は18.5%に過ぎなかった。

 さらに関連記事です。14年10月22日の 「毎日労働ニュース」 は 「政府は感情労働・精神疾患を労災と認定せよ 野党議員が福祉公団の国政監査で」 の見出し記事を載せました。

 ソウルの江南 (カンナム) のあるアパートで発生した警備労働者の焼身事件と関連して、国会・環境労働委員会の野党議員は 「感情労働の被害を減らすために、精神疾患を積極的に労災に含ませなければならない」 と声を揃えた。
 ハン・ジョンエ新政治民主連合議員は勤労福祉公団の国政監査で、「最近5年間の精神疾患による労災申請承認現況」 を公開した。資料によると2010年から今年の6月まで、精神疾患に関連した労災申請件数は517件で、労災が承認されたのは167件に過ぎなかった。
 ハン・ジョンエ議員は 「精神疾患に関連した労災審査に対する制度的な規定が不備なため」 と指摘した。特に 「精神疾患の労災処理に関する社会的な議論を疎かにした雇用労働部に責任がある」 と批判した。
 実際に公団は、昨年 「精神疾病の業務関連性の判断と療養方案研究」 で、「うつ病や不安障害などは業務関連性を証明しにくく、外傷後ストレス障害以外の精神疾患は労災認定基準に含ませにくい」 という消極的な結論を出していた。
 公団は最近、精神疾患に対して別途の災害調査シートを作るように調査指針を改正したが、根本的な対策にはなっていないというのがハン議員の指摘だ。「調査指針の改正でなく、労災の審査対象と承認基準を拡げるような制度改善が必要」 と強調した。
 同党のチャン・ハナ議員は 「安全保健公団は2011年から 『感情労働による職務ストレス予防指針』を作って対策を立てているが、労災との関連性を判定する勤労福祉公団は消極的な対処しかしていない」。「労働者の感情労働を含む業務上のストレスを、労災として受け容れる必要がある」 と主張した。
 イ・ジェガプ公団理事長は 「精神疾患の労災認定基準を拡げるより、調査指針の改正に力を入れている」。「精神疾患の労災認定可否を統合的に審理するソウル疾病判定委員会に、精神疾患専門医を増やす」 と答えた。

 この警備員たちは最近、改善要求を掲げて労働組合を結成しました。


 14年9月24日のハンギョレ新聞は、「暴言にセクハラ…深刻な青年アルバイトの 『感情労働』」 の見出し記事を載せました。

 24日に青年ユニオンが感情労働全国ネットワーク、国会環境労働委員会チャン・ハナ新政治民主連合議員室と共に全国15~29歳のアルバイト生225人を調査した 「感情労働実態調査結果」 を発表しました。調査対象者はコンビニ、ファーストフード店、レストラン、飲み屋、コーヒー専門店、パン屋など、主にサービス業種で仕事をしているアルバイト生です。
 最近1年間にお客さんから無理な要求を受けたことがあると答えたのは121人 (53.8%) に達しました。 114人 (50.7%) が人格を無視されることを言われたと、89人 (39.6%) が悪口や暴言を言われたことがありました。 セクハラや身体接触をされたは34人 (15.1%)、身体的威嚇は35人 (15.6%)、暴行9人 (4%)です。
 インタビューに応じた1人は 「オーストラリアのワーキングホリデーのプログラムに参加した時は、お客さんの行きすぎた要求はマネジャーが遮断してくれました。 ところが韓国では 『お前がお客さんにうまく接しないからだ』 という言葉がとても自然に出てくる」 とうんざりした顔をした。」 ということです。
 「過度な感情労働は体と心を害する。 20代でコンビニ・飲み屋・レストランでのアルバイトをしたチョン・ジェヨンさん (30) は 『仕事を終えて家に帰ると誰とも話をしたくなかった。 ささいなことで怒ったり、自らを役に立たない人間だと感じもした』 と話した。 キム・ミンス青年ユニオン委員長は 『アルバイトの現場で被った傷は、自尊心低下、うつ病、就職拒否症状などにつながる。 雇用労働部と関連企業が対策を用意しなければならない』 と語った。」 とあります。


 感情労働での被害は自分自身をも破壊させてしまいます。
 具体的対策の取り組みです。

 14年10月6日の毎日労働ニュースに 「タサン・コールセンター、公共機関で初めて 『有給感情休暇』 保障 年に1回保障、経歴5年越えれば2回」 の見出し記事が載りました。

 タサン・コールセンターが公共機関で初めて有給の感情休暇を導入する。希望連帯労組タサン・コールセンター支部は暫定合意案について組合員の賛否投票を行う。
 希望連帯労組によれば、タサン・コールセンター支部と委託業者の交渉権を委任された経済人総連は、先月30日に集中交渉を行った結果、暫定合意案を作った。合意案によれば、組合員は年1回 「感情馴化の有給安息休暇」 を取れるようになる。勤続年数が5年を超えれば更に1回追加して使用することができる。暴言とセクハラなどに苦しめられるコールセンター労働者の心を治癒するための措置だ。
 ソウル市は8~9月に2回の労組との面談を通じて交渉を仲裁し、委託業者が解決しにくい福祉問題の解決対策を約束した。
 感情労働が社会的な争点に浮上したが、未だ感情労働保護対策や補償は一部の私企業のサービス事業場に限定されている状況で、今回の事例は他の公共機関にも影響を及ぼすものと見られる。

 14年10月14日のハンギョレ新聞に 「『感情労働』 から社員を守る企業が増える兆し」 の見出しの記事が載っています。 全文です。

 顧客に応対した社員が悪口や暴言を浴びせられた時、会社はどのように対処しなければならないか? 「お客様は神様」 だから我慢しろと命じるか、あるいは、たとえ顧客を失うことになってもまず職員を保護しなければならないか? 今後、イーマート (訳注:韓国の代表的大型マート) の顧客応対社員はそんなことが起こった場合 「相談が困難です」 と了解を求めた上で、通話を切った後に部署長に報告すればすむようになる。心に傷を受けた職員に対しては、休息が必要と判断されれば部署長は早退などの勤務調整措置を取り、最高の先任者や自分自身が代わりに顧客と通話することになる。
 イーマートの職員たちが顧客に応対する時に受けるストレスによる “感情労働” を認めてほしいと要求してきたことに対して (ハンギョレ6月19日付)、会社が代案プログラムを用意したと14日明らかにした。 顧客に応対する時に発生しうるストレスを予防し、社員を保護するための 「イーケア (E-Care)」 プログラムだ。
 まずイーマート150全店舗に店長らが参加する内部苦情処理委員会の力量を強化するために相談教育を実施し、業務関連ストレス相談だけでなく家庭、子供の問題など個人的な問題についても心理相談を行う予定だ。 感情労働により職員に心理的安静が必要だと判断されれば、早退させ休憩室も改善する予定だ。 状態が深刻な職員のためには心理相談の専門機関である韓国EAP (Employee Assistance Program) 協会の協約機関との相談と連係することにした。極端な悪口などを言う顧客に対しては、顧客の了解を求めて電話を切れという初期対応マニュアルを製作し配布した。また、各店舗ごとに顧客応対が優秀な職員を選抜し、消費者専門相談士資格証の取得を支援する計画だ。
 顧客対面が多い流通業界を中心に、職員の感情労働に対する代案準備が進んでいる。“お客様は神様” という風土の下に職員に全面的責任を転嫁するのが以前の文化だとすれば、職員のうつ病、自殺など深刻な後遺症が社会的に台頭して “悪質な顧客” を選び出して職員を保護しようという動きが広がっているわけだ。
 イーマートの場合、職員が労働組合を中心に昨年から感情労働の価値を認めてほしいと訴えてきた。イーマート労組は昨年4月から今年4月まで 「感情労働の価値認定と顧客応対マニュアル作成」 を団体協約に反映させることを要求した。チョン・スチャン イーマート労組委員長は 「感情労働は顧客応対の内部原則が守られないために発生する場合が多い。 例えば、領収書持参、期間基準などの払い戻し規定があるが、顧客が規定を拒否した場合、末端職員が原則通り対応しても管理者が現れ顧客の希望通りの措置を取るケースが多い。マニュアルも重要だが、そのような状況を源泉から遮断できる環境造成も重要だ」 と話した。
 イーマートに先立つ今年1月にはホームプラスが、「‘労使は組合員の感情労働の価値を認める」 という条項を団体協約に含めた。釜山のロッテ百貨店は 「感情労働者自己保護マニュアル」 を用意し “感情労働者ヒーリング・プログラム” も運営中だ。
 感情労働に対して別途の手当てを支給する企業も増えている。ロレアル・コリアは全国のデパートで化粧品を販売する職員に月10万ウォンの感情労働手当てを支給している。1年間1日の休暇も別途与えられる。 資生堂は月額4万ウォンの手当てを、釜山新世界免税店は月額3万ウォンの手当てを支給している。大型マートの中では手当てを支給する所はまだない。
 流通企業ではないが顧客対面が多いサムスン・エバーランドも感情労働に従事する職員のための心健康管理専門プログラム “ビタミン キャンプ” を開発し、今年6月から運用している。

 関連する記事が2014年10月23日の 「毎日労働ニュース」 に 「イーマート・CJ第一製糖など、ソウル市と 『感情労働者人権保護協約』 締結 サービス連盟 『協約履行を見守る』」 の見出し記事が載りました。

  ソウル市が7月から主導している感情労働者人権保護協約に、イーマートなど3企業が追加で参加した。協約締結式にはイーマート・CJ第一製糖・アジア洲キャピタルが参加し、緑色消費者連帯・企業消費者専門家協会も同席した。ソウル市は韓国ヤクルト・LG電子・愛景産業など6企業と1次協約を結んでいる。
 ソウル市は 「1・2次に参加した9企業は、業務の特性上、顧客を直接相手にしたり電話応対が多い大型流通業者やショッピングモールで、感情労働者が多く働く企業」 であり、「感情労働者の人権保護の観点から、他の企業の実践を誘導できると期待する」 とした。
 協約を締結した企業は 『企業の10大実践約束』 を基に、感情労働者の勤務環境改善のために努力することになる。10大実践約束は、△感情労働者の基本的人権の保障・支持、△安全な勤務環境の造成、△適正な休憩時間・休日の保障、などが内容。
 イ・ソンジョン・サービス連盟政策室長は 「イーマートが最近 『社員保護応対マニュアル』 を作って全職員に配布したが、その趣旨と内容は悪くない」 ので、「このような感情労働者保護のための試みがキチンと作動するかどうか、もう少し見守らなければならないだろう」 と話した。


 日本ではまだ自己責任の防衛手段が対策の中心になっています。 『お前がお客さんにうまく接しないからだ』 です。
 しかし相手の振る舞いを野放しにするような社会状況のなかで根本的対策にはなりません。「お客さんの行きすぎた要求はマネジャーが遮断してくれる」 ような対策が必要です。そして 「マニュアルも重要だが、そのような状況を源泉から遮断できる環境造成も重要だ」 です。
 感情労働者の基本的人権の保障・支持、安全な勤務環境の造成、適正な休憩時間・休日の保障など、雇用労働部と関連企業を含む社会全体での改善の取り組みが早急に必要です。


   関連:「感情労働」 
   関連: 「職場の暴力」
 
   関連:「海外のメンタルヘルスケア 韓国」 
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 感情労働 | ▲ top
歴史を動かしたのは群衆
2015/01/23(Fri)
 1月23日 (金)

 昨年末の12月14日、日本近代史専攻の歴史学者松尾尊兌さんが亡くなりました。85歳でした。松尾は大正デモクラシーの研究では大きな業績を残し、『大正デモクラシー』 (岩波書店) の名著を残しています。
 いわゆる支配層の動向で歴史を語るのではなく、人びとの息遣いが歴史の原動力だと捉える姿勢は他の歴史学者とは全く違います。
  
 松尾さんは「大正デモクラシーとは、日露戦争のおわった1905年から、護憲三派内閣による諸改革の行われた1925年まで、ほぼ20年間にわたり、日本の政治をはじめ、ひろく社会・文化の各方面に顕著にあらわれた民主主義的傾向をいうのであるが、これを生み出したものは、基本的にいって、広汎な民衆の政治的、市民的自由の獲得と擁護のための諸運動であった。」 (『大正デモクラシー』) といいます。
 時代としては明治維新から40年が過ぎていて、近代に入ってからの世代交代もありました。
 1905年は日露戦争が終了した年で、年号は 「明治」 ですが、この頃明治天皇は糖尿病で公務をこなすことが出来ず大正天皇が代行していまし。


 戦前、日露戦争は、歴史学の分野では研究が禁止されていました。日本が勝利したのかどうかの評価が分かれます。
 政府から勝利と伝えられた群衆はその成果の小ささに不満を爆発させます。それが 「日比谷焼打ち事件」 です。
 8月末に講和会議の妥結が報じられます。9月5日に講和反対の集会が日比谷公園で予定されていましたが治安警察法で禁止になり、丸太のバリケードで封鎖されます。しかし数万の群衆は突破して突入します。演説で河野広中は、条約の不成立を期す、満州軍への敵軍粉砕を打電、枢密院顧問官に条約批准拒絶上奏を促す、の3つの決議を朗読しました。この後、群衆は市内の警察署、派出所、交番のほとんどを襲撃し、焼き払いました。
 この後約1か月間、東京や地方で講和反対運動が展開されます。6日、政府は東京市と周辺4郡に戒厳令を施行します。

 暴動が激烈であったのは下町です。主役となったのは、職工、職人、力役労働者などの勤労無産者層です。
「この頃の東京は都市構造近代化への過渡期にあり、日清戦後経営の強行により土地を失った貧農が流入するとともに、資本主義の発達が職人層の急速な分解をもたらし、厖大な細民・貧民層の堆積を生むという不安定な状況にあった。
 工場労働者を中核とする近代的賃金労働者は当時ほとんど自主的な組織をもたず、政治的には未成熟な状態にあり、この暴動においても、独自な役割を果たしてはいない。」 (『大正デモクラシー』)
 この他の参加者は小商工業者、サラリーマン、学生などです。
 暴動は戦時下鬱積した生活苦から生じるさまざまな不満の爆発でした。群衆の不満はうち続く戦勝の報道と、過大な講和条件の幻想により押さえつけられてきました。戦勝の獲物が不足しているという感情は、平和の回復を喜ぶ心理を上回っていました。それゆえ群衆は警官隊とは闘っても軍隊とは対峙しませんでした。それは河野広中の演説にも表れています。
 
 日比谷焼打ち事件に参加した人々を読売新聞は 「群衆」 という言葉を使用して表現します。1918年の米騒動も 「群衆」 です。取り締まる側は 「群集心理」 などの言葉を使用します。
 松山巌著 『群衆』 からです。2012年10月2日の 「活動報告」 の再録です。
「群衆は単に人間の群れを指すわけではない。群衆は一体となった感情を有している。ときには怒り、苛立ち、ときには哀しみ、泣き叫ぶ。ときには大いに笑い、喜びを発散する。
 群衆は一個の人間を超えたなにかに衝き動かされ、1つとなった表情を持つ。それゆえに、人は群衆のなかに巻き込まれ、共感し、逆に嫌悪し、怖れ、遠ざかろうとする。つまり、群衆を成立させる要因はそれぞれの時代によって異なり、群衆を外から眺める視線もまた時代によって変わるはずである。」
 「群集とは、あらためて考えれば、個人が属している階級や階層の境目が不明瞭となり、すべてが同質で一様な、多数の人間たちの集まりである。もとより群衆は静的ではなく、より多数になって膨らんだり、少数になって縮んだりする。群衆が個々人を巻き込み、同質化を強制して膨張したり、同質化の枠組みが崩れてやがて消えたりする。
 ところが戦後の労働運動を軸にして群衆を考えると、あらかじめ同質の集団が存在して、より同質化を強めているような気がするのである。」


 大正デモクラシーの出発点における政治理念は 「内に立憲主義、外には帝国主義」 と言われます。講和反対運動は1つの側面として膨張主義・反動的性格を持っていました。
 日露戦争は朝鮮半島の利権をめぐる戦争でした。04年8月22日、日本は朝鮮と第一次日韓協約を結び、「顧問政治」 を始めます。これを契機に日本は朝鮮の支配を推し進め、翌年11月には日本憲兵隊の包囲の中で第二次日韓協約 (乙巳保護条約) を結ばせ、朝鮮政府の外交権を奪い、統監政治を開始しました。06年にはソウルに総督府を置き、初代統監に伊藤博文が着任。植民地支配を強め、10年8月22日には、日韓併合条約を調印させます。群衆の思いは朝鮮半島の民衆には至りませんでした。
 しかし暴動は、国民の言論・集会の自由を奪う藩閥専制、その爪牙たる警察に対する抵抗の側面を持っていました。群衆は国政に対して発言を始めます。そして普選運動へと進みます。

 日韓併合条約の条文作成に関与したのが条約に携わる官僚だった柳田国男です。翌年、柳田は政府から 「韓国併合ニ関シ尽力其功不少」 ということで 「勲五等瑞宝章」 を貰っています。
 そのことを報道する新聞が在日韓人歴史資料館に掲示されています。新聞は、条約の作成経緯を推測しています。「アメリカ大陸は、近代的土地所有意識がない先住民から植民者が土地を奪い取りました。現在の北海道大学に明治初期に赴任したクラークはアメリカ式土地収用方法を新渡戸稲造に伝授します。新渡戸はその方法を柳田に伝授するとともに台湾で実践した」。
 柳田の民族学は日本のアジア侵略の先兵だったといわれます。

 2011年7月22日の 「活動報告」 の再録です。
 中生勝美編 『植民地人類学の展望』 (風響社刊) からの引用です。
「戦時中の民族学は、戦争遂行のための基礎学問として、あらゆる国で利用された。」
「戦略展開地域での現地事情、とりわけ原住民の状況、社会組織、政治形態は、戦争遂行のための兵要地誌作成に必要最低条件として求められる情報である。これらは民族誌作成の必要項目と重複し、その意味で兵要地誌作成のための基礎学問として 『民族学』 が重視されていたのである。」
「日本でも、戦時中に 『民俗研究』 の必要性が軍部から提起され、文部省から支援されて、民俗研究所が設立された。また太平洋戦争が勃発すると、東南アジアの占領地を統合するため、統合調査が実施されたように、部分的にせよ、民俗調査が軍事行動と直接結びつく 『有用な学問』 として支援されたのである」
 柳田は民俗学を 「新たなる国学」 と捉えていました。明治維新が、江戸時代の賀茂真淵―本居宣長―平田篤胤の流れをくむ 「国学」 による政権の統一を目指したように、「新たなる国学」 で、日本列島の諸民族の 「同化」 の経緯を探り、その手法を農商務省の役人、外交官、そして民俗学者として朝鮮、台湾の植民地経営に加勢していきます。
 
 柳田が 『遠野物語』 で言う 「山人」 は 「我々社会以外の住民、即ち、我々と異なった生活をして居る民族」、平地に居住する 『日本人』 = 「大和民族」 に先行し、やがて 「帰順」 した人びとです。歴史を遡ると、8世紀末に征夷大将軍 (東夷を 「征討」 する将軍) の坂上田村麻呂が 「征伐」 した蝦夷地に住む人びとです。そして中尊寺を建立した藤原清衡が参戦した 「前九年の役」 や 「後三年の役」 で 「大和民族」 と戦争をした他民族です。
 「大和民族」と戦争をした他民族の調査報告が 『遠野物語』 です。アイヌ民族の調査は金田一京介です。
 
 『遠野物語』 が刊行された1910年は奇しくも大逆事件がでっち上げられ、日韓併合が行われた年です。
 明治政府は民衆の怒りが昂揚すると社会主義運動を恐怖します。
 10年5月25日、社会主義者の幸徳秋水らを逮捕します。いわゆる大逆事件です。事件の被告にされた者は26人に及び、予審を経て特別公判に付されましたが、40日後の11年1月18日、24人に死刑判決が下されました。翌日 「特典」 で12人は死刑をまぬがれたが、1週間後に11人、8日後に1人の死刑が執行されます。
 群衆は政府に対する恐怖と不信が入り乱れ、社会を閉塞感が襲います。


 大正に変わり、第一次世界大戦を経た1918年、富山県で主婦たちがシベリア出兵用の米の搬出を阻止したのをきっかけに、米騒動が全国に広がります。
 『大正デモクラシー』 の米騒動の評価です。
「大正デモクラシーの歴史の上で、米騒動のもつ意味は重大であった。第一にそれは民衆自身による生活擁護闘争であった。これまでの全国的民衆運動では、生活問題はつねに運動の機動力でありながら、運動自体は民衆以外の政治勢力により一定の政治目標のもとに組織されてきた。ところが米騒動は、外見上は政治にかかわりのない、一揆・打ちこわし的無秩序な街頭暴動であったが、民衆は自らの生活問題を無視する政治への不信を、いかなる既成の政治勢力に指導されることなく、行動をもって示した。民衆の外側にあった政治を、民衆の生活の基礎の上に据え直そうという民衆意識の転換が、そこにうかがわれる。堺利彦が米騒動を、『無意識なる普通選挙……労働組合の要求』 とみなしたのは、はからずしも奇矯誇大な言とはいえない。」

「第二に、……勤労民衆の行動とこれを支持する中間層の批判の前に、藩閥の直系寺内内閣は倒れ、かわって、原敬が政友会内閣を組織した。……それゆえにこの内閣は実質的に日本最初の政党内閣ということができる。米騒動当時政友会は憲政会ともども政党らしい行動は何一つとらなかった。原内閣は第一次護憲運動のように、政友会が国民の先頭に立って藩閥と戦った結果としてかちえたものではない。」

「第三に、米騒動はロシア革命干渉のためのシベリア出兵に対する抵抗を意味した。……民衆は之までの諸戦争のように挙国一致のムードにまきこまれるのではなく、逆に政府に対する不信を行動で示した。……その結果 『警察や軍隊は上流社会のものは保護するが、下層社会のものは保護しない』 という事実を身をもって体験した。」

「第四に米騒動は民衆に力の自信を与え、その組織化をもたらした。友愛会長鈴木文治は、米騒動当時、友愛会は米騒動とは無関係だと弁解していたが、その彼にして……米騒動が『労働運動の拍車』となったことを認めている。力の福音をまず受けとめたのは、民衆の中でも、大戦中急速にその量を増し、すでに友愛会など労働組合に結集をはじめていた労働者階級であった。米騒動にさいしこの階級はストライキ闘争の形をとって呼応したのであるが、騒動後は政党政治下の有利な国内情勢と、国際連盟の成立、なかでもILO(国際労働機構)規約の制定など民主主義の外圧を利用し、ロシア革命の影響をうけつつ、つぎつぎと労働組合を組織した。
 労働者階級は政治的自由を自らの権利として公然と要求しはじめた。1919年3月10日、友愛会の臨時総集会は日本労働者階級の権利の宣言ともいうべき宣言文を発表し、労働者の四大権利として、生存権・団結権・ストライキ権・参政権をかかげ、労働運動を制約している治安警察法の改正を要求して普選運動に乗り出した。」

 米騒動の後、政府は人びとの懐柔に乗り出します。その時に使用されたのが 「警察官と民衆の調和」 「警察の民衆化」 そして 「民衆娯楽」 「民衆芸術」 「新民衆劇」 などです。

 1919年9月、米騒動をきっかけに神戸・川崎造船所で争議がおきます。労働者はサボタージュ戦術をとり、労働時間8時間制を獲得します。労働時間は短縮されても賃金は変わりません。争議は9月27日解決に至ります。その結果出勤率が上がり、労働意欲が高まって生産性も向上したといいます。
 日本で最初の8時間労働の実現です。(詳細は2014年9月30日の 「活動報告」 参照)
 しかし1920年3月の恐慌は、それまでの労使関係を一変させます。さらにワシントンで開かれていた軍縮会議は22年2月、「海軍軍事制限条約」 を調印、造船、鉄鋼業などが深刻な打撃をうけました。
 労働者の8時間労働要求の闘いは中断します。そして大正デモクラシーは終焉します。さらに戦時体制に突入していきます。


 米騒動には、各地で被差別部落の人たちが参加します。そして1922年水平社が結成されます。米騒動がもたらした影響についての 『大正デモクラシー』 の評価です。
「第一次大戦前より戦中にかけ、部落民の流動化が進み、部落内の有産層だけでなく、無産層が部落外で一般民衆と交流する機会が増すにしたがい、自然発生的な差別糾弾闘争もふえ、部落民の自覚を呼びおこした。しかし水平社結成の要因を直接的につくり出したものこそ、1918年夏の米騒動である。この全国的な大民衆運動の中でも、部落民の活動はひときわ目立つものがあった。」

「米騒動はこのように支配体制に新しい部落対策を生み出させたが、他方において、これと対立する部落解放への新しい道を切り開く役割を果たした。第一に部落民大衆の連帯感を成長させた。……
 第二に部落の支配体制を動揺させた。米騒動ではすべての発生地点で部落民が活動したのでも、また、すべての部落が蜂起したのでもない。……大半の部落は騒動に関係しないのである。騒動に参加しない部落では、警察が部落の支配層を把握して、部落大衆を押さえた。……騒動の発生している部落とは、これらの官憲の鎮撫策をはねかえしたところなのである。この場合有力者も騒動に参加している事例が多いが、これは大衆のしたからの突き上げが彼らの身分的連帯感を刺激し、共同行動を余儀なくさせたものと解される。はなはだしきは部落内で有力者がおそわれる場合もある。すなわち部落民の蜂起は、官憲→部落有力者→大衆という部落の支配体制が一時的にせよくずれたことを意味し、部落大衆を主体とする解放運動が準備されたことを物語るといえよう。」

「第三にそれは改善主義の破綻を意味した。心がけの入れかえでは、生活的差別が解消できないこと、そして民衆の実力闘争によってのみ米価の低落が見られたし、政府のおそまきな米価対策が行われたことを、部落民は身をもって体験した。改善主義の効用は、いまや少なくとも部落民の先進部分には意識的に否定されることになった。」

「第四に米騒動は部落問題を日本資本主義の生み出した社会的諸矛盾の一環として浮かび上がらせた。」

「1922年3月3日、創立大会をあげた全国水平社は、米騒動が生み出したこれら4条件の上に成立した。主体的に、政府の部落政策に対抗して、これまでの自主的改善運動の殻を内部から破り、融和でなく解放を、同情にすがるのではなく団結による闘争を主張する水平運動をつくりだしたものこそ、米騒動により急速にめざめた各地の先進的部落青年であった。」

 20年、政府は米騒動後の民心の動向を把握するため国勢調査が実施します。米騒動は各地で古い地域性を否定して新入者が中心になったという分析から、人びとの住居と職業の動向調査を開始します。(2011年10月17日の 「活動報告」 参照)


 大正デモクラシーを経て藩閥は後退し、政党が権力の中心を占めていきます。官僚は官立大学出身者が担っていきます。30年・31年の恐慌でカルテルが急増し、その指導権は財閥資本が握っていきます。機械化、合理化が進むと大学、専門学校新卒の管理職が工場を統括し、それまで管理職であり技能の伝播者であった熟練工は位置を失っていきます。軍隊においても藩閥が解消し陸軍・海軍学校出身者が出世を果たして行きます。
 官と軍の対立が激化していきます。


 歴史を動かしたのは生活防衛を掲げ、既成の構造を突破して立ち上がった群衆です。
 今、大逆事件後のような閉塞感が漂っています。
 しかし大正デモクラシーに似た胎動が沖縄に見えます。
 
この記事のURL | その他 | ▲ top
「残業代ゼロ」 ではなく 「労働のあり方」 を対峙して               反対の声を強めよう
2015/01/20(Tue)
 1月20日(火)

 厚労省は、労働時間規制をはずし、働いた時間に関係なく仕事の成果で賃金を決めるいわゆるホワイトカラー・エグゼンプション (労働時間規制の除外) を 「高度プロフェッショナル労働制」 と名付けて導入しようとしています。制度設計を詰めて1月中に通常国会に労働基準法の改正案を提出する方針でいます。

 12月24日の労働政策審議会で、ホワイトカラー・エグゼンプションの適用条件を議論しました。そのなかで成果に追われて際限のない長時間労働となる懸念があり、健康確保措置のための骨子案が出され、健康維持策の義務付けで労使代表が大筋で合意しました。
 内容は、企業は新制度の対象とする労働者に対して、労働時間や在社時間を把握する義務を負います。残業代や深夜手当を払わないが、長時間労働が疑われるときは産業医の面接を受けさせ、加えて、(1) 勤務の終了から次の勤務の開始まで一定の時間を確保するインターバル規制、(2) 1カ月の会社にいる時間の上限設定、(3) 年間104日の休日の取得、を示していずれかの措置を取ることを義務付けました。
 先に健康確保措置を重視するふりをしてホワイトカラー・エグゼンプションの導入をかわそうとしています。
 このような措置があらためて議論されなければならないこと事態が、現在の労働実態の深刻さを物語っています。

 1月16日の労働政策審議会では、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入を盛り込んだ労働基準法改正の骨子案を提示されて議論しました。
 厚労省の案は、対象は年収1075万円以上で、職種も金融ディーラ、アナリスト、金融商品の開発、研究開発、コンサルタントなど5職種に限定しています。対象者本人の同意と仕事の範囲を明確にすることを条件とし、事前の書面化を求めています。1075万円の根拠は、労働基準法といいます。そのような条文はありません。第14条 (契約期間等) は契約期間の上限を定めています。そのなかに、「一定の事業の完了に必要な期間を定めるもの」 として、「1 専門的な知識、技術又は経験であって高度のものものとして厚生労働大臣が定める基準に該当する専門的知識等を有する労働者との間で締結される労働契約」 とあります。このなかの厚労大臣が定める基準の 「告示」 の中に 「労働契約の期間中に支払われることが確実に見込まれる賃金の額を1年当たりの額に換算した額が1075万円を下回らないもの」 があります。この基準は技術系課長職の年収の上位4分の1の水準なのだそうです。
 しかし1月16日の労働政策審議会では、経営者側からは 「年収要件は1000万円に下げ、職種も会社ごとに柔軟に決められるようにして欲しい」 という要望も出ています。

 改訂を許したら次には 「施行規則」 や 「通達」 が1人歩きします。そのいい例が労基法36条です。厚労省は2003年10月22日付で労基法36条の運用に関する 「通達」 (基発第1022003号) を出しました。その中に 「特定条項付き時間外労働に関する労使協定」 があります。その結果、実態として労働時間は無制限になっています。労働者保護のための法律が労働者の酷使を容認する者になってしまいます。
 今回も収入の上限は法改正ではなく下がることが可能になり、長時間労働がますますはびこることは目に見えています。
 また職種については労働者派遣法の改訂を見れば明らかです。


 厚労省は制度導入の理由を、時間にとらわれない働き方で生産性を高める、メリハリのきいた柔軟な働き方を広げ、国際的にみて低い労働生産性を引き上げると説明しています。この説明は、昨秋からは導入する企業が増えている賃金制度改正の 「役割給」、「ジョブグレード制度」 と同じです。今回の法改正はこの動向とセットです。
 そもそも成果とは何をいうのでしょうか。あいまいです。
 成果と賃金は実際は違うものですがごちゃ混ぜに使用されています。また 「役割」 も登場しています。
 1995年に成果主義賃金制度が導入されましたが上手くいかないということがわかるとすぐに軌道修正が行われ、「役割給」 が登場しました。役割給も成果主義賃金制度と呼ばれます。
 役割給は、企業全体の経営方針や価値観についての 「職責を果たすために進んでとるべき行動」 や 「貢献することの責任」 をミッションと呼び、位置付けがあいまいなミッションの達成度に対して賃金が支払わる制度です。
 成果でも実績でもない 「貢献」 が評価される役割給はこれまで以上に労働者を企業に従属させます。そして休みなく貢献を要求され、疲弊したら使い捨てです。

 時間ではなく成果に対して賃金が支払われる制度の実態は、この間の研究機関の不祥事に表れています。国立大学が独立法人になったりするなかで、短時間で成果を要求されるため論文の盗用が増えています。また競争が煽られます。研究職の職場は乱れています。この問題は倫理などの問題だけでは解決しません。ゆとりが奪われています。
 
 職種が拡大され、対象者の年収条件が下がったら、多くの労働者の賃金が 「貢献」 に対して支払われることになります。労働者の労働の在り方の根底が覆され、保護を目的とした労働法制が瓦解していきます。過労死が促進されます。


 また労政審では、「裁量労働制」 についても提案が行われました。
 裁量労働制は、労働者が自分の判断で仕事ができたり、専門的な仕事についていたりする場合に、実際に働いた時間とは関係なく、一定時間働いたことにする制度です。現在、企画や調査、研究部門などの 「企画業務型」 や、研究職や弁護士らを対象にした 「専門業務型」 の2種類があります。
 このうち企画型で対象業務を拡大し、金融商品の営業職など顧客の求めに応じ、商品やサービスを販売する営業業務などについても認めることも提案されました。また制度利用の届け出手続きを簡素化することなどが盛り込まれています。
裁量労働制についても職種が拡大の方向に向かうのは明らかです。

 かつて裁量労働制の導入に際して労働省は、労働者が労働時間を自由に使用することができその分生活にゆとりができると説明しました。
 実態はどうでしょうか。

 2013年12月3日の 「活動報告」 で報告しましたが、13年10月、厚生労働省労働基準局は 『平成25年度労働時間等総合実態調査結果』 を発表しました。調査は裁量労働制の実態調査を把握することも目的にしました。
裁量労働制についての調査結果です。
 専門業務型裁量労働制で労働時間の状況として把握した時間の1日の平均時間は、最長の者12時間38分、平均的な者9時間20分です。「法定休日労働あり」 の割合は、最多の者39%、平均的な者は21.9%です。4人に1人以上が法定休日に仕事をしています。年間、最多の者で8.5日、平均的な者で4.0日労働しています。
 企画業務型裁量労働制では11時間42分と9時間16分です。「法定休日労働あり」 の割合は、最多の者29.2%、平均的な者は17.2%です。年間、最多の者で5.8日、平均的な者で3.1日労働しています。
 裁量労働制は、実際は裁量が小さい労働実態になっています。

 2014年8月29日の「活動報告」で報告しましたが、7月28日付の 「労働新聞」 に 「裁量労働制みなし時間 半数が所定時間で設定――品川労基署」 の記事が載りました。
「東京・品川労働基準監督署 (古屋希子署長) は、専門業務型裁量労働制を導入している企業に対する実態調査を行った。5割近くの事業場で業務遂行に必要とされるみなし労働時間を所定時間で設定していることが分かった。設定の根拠について 『とりあえず所定時間』 『とくに根拠なし』 が2割超とめだち、勤務実態を考慮せずにみなし労働時間を決定している疑いが強い。対象労働者の比率が100%とした事業場が1割弱あり、対象業務を拡大解釈している疑いも濃厚とみている。」
 裁量労働制は長時間労働を隠す制度で、長時間労働がはびこっています。そして 「残業代ゼロ」 も行われています。


 労働時間は労働条件の根幹です。しかし日本には労働時間を規制する法律がないというのが実態です。さらにそれを合法化しようとしています。
 「残業代ゼロ」 だからではなく、労働のあり方を対峙して反対の声を強めていくことが必要です。



   関連:「活動報告」 2014.10.28 
   関連:「活動報告」 2014.8.29 
   関連:「活動報告」 2013.12.3 
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
この記事のURL | 厚労省 交渉・審議会 | ▲ top
「被災者生活再建支援法」 は阪神淡路大震災の被災者の闘いで成立
2015/01/15(Thu)
 1月15日 (木)

 1月17日は阪神淡路大震災から20年を迎えます。報道機関は年末から被災者の20年前の体験を掘り起こいて紹介しています。
 あれから20年。体験と記憶がない世代が大学生に及んでいます。被災者にとって時間はどのように進んだのでしょうか。

 忘れてはいけないことがあります。
 阪神淡路大震災の時まで、被災者は、「衣食住は自己責任」 を強制されました。非常事態に遭遇しても生活の基礎である住宅や生活保障を政府はしようとしなかったのです。家屋が半壊の被災者を避難所から追い出そうとしました。仮設住宅建設は土地があっても積極的でありませんでした。
 住居は私有財産ということで再建は全額自己責任でした。被災者は放置された状況が続き、自力更生できない者は、住宅ローンを残しながら路頭に迷いました。地震保険は新潟県など一部には普及していましたが、全国的には知られていませんでした。
 その一方で、1995年年末に政府は住専 (住宅金融専門会社) に6,850億円の公的資金を投入しました。金持ちと資本家は政府から保護されました。

 震災当時のことを書いた13年1月16日の 「活動報告」 を再録します。
 連日カンパ額が報道されます。うなぎ上りです。被災者は給付を期待しました。しかし行政は、カンパは被災地に届けられたのであって被災者にではないという対応です。当初はたくさんの国会議員も支援を表明しましたが時間が経つとともにいなくなりました。

 被災者は何度も国会や政府に支援請願を繰り返しましたが実行に移されません。
 そのような中で作家の小田実さんたちが 「被災者生活再建支援法案」 を作成、成立に向けて活動を始めます。神戸から東海道線沿いを行進しながら支援を訴え、国会にたどり着き、不退転の決意で要請行動をしました。思いは 「被災者が苦しむのは阪神淡路大震災を最後にしよう」 でした。
 98年5月にやっと成立させました。その後、各地の災害、東日本大震災でも不充分ながらも政府から生活再建支援を受けられるようになりました。
 ここまで辿り着いたのは、小田さんたちの粘り強い闘いの結果です。
 生存権、“あたりまえ” を獲得するのは日本では本当に困難が伴います。


 阪神淡路大震災が発生して2週間後に神戸に向かいました。避難所に行きたいという思いで中央区役所に向かいました。その後もずっと3ヶ月に2回の割合で4日間ずつ通いました。その 「報告書」 を、まだパソコンがない時なので原稿用紙に手書きをしてコピーして手渡ししました。原稿用紙は全部で91枚になりました。

 「報告書」 から20年前を振り返ります。

 被災から2週間たった1月30日、東京をたち神戸に向かった。
 新幹線は米原で雪。寒さの覚悟をさせられる。新大阪駅が終着駅となる。下車すると登山姿に似た人びとが行き交う。被災地へ物資を届ける人、買い出しに来た人、長期滞在ボランティアらしき人。駅構内の雰囲気は被災地と苦闘を共有している。
 JR線に乗り継いで神戸に向かう。川を1本わたるごとに被害は大きくなっていく。瓦が落ちた家が見える。青いビニールシートをかけても無駄な人の住めない家が見える。倒壊した家が見える。一面倒壊した街の上に青空が広く見える。
 JR線の終着駅芦屋駅で下車。代替えバス乗り場まで少し歩く。倒れた家屋に 「○○ここに眠る」 との貼り紙がある。避難先、連絡先の貼り紙があちこちにある。住める家はない。バス乗り場は長い列ができているがみんな黙って待つ。バスで三ノ宮へ。窓外の状況はさらに無残になる。ビルが傾いている。大きなヒビが入っている。家屋が歩道を越え、車道上まで倒れている。通用はJRで4つ目の駅まで1時間40分かかる渋滞。乗客は満員だが言葉を発する者はいない。後で聞いてそうだったと気が付いたが警笛はどの車からも発せられない。どこでもそうだった。……

 廃校になった小学校の避難所には区役所から職員が2人きて本部に詰めている……。区役所職員と話をする。「マスコミで行政が批判されているけどどう思いますか」 と聞いた。「僕らテレビも新聞も見てないもん。そんな暇ないよ。知らないよ。そんなこと言ったら奥さんが死んだけど家に帰らず泊まり込んでいる者もいる。僕らだって被災者だよ。言葉には出さないが」 区役所には17日以降一歩も外に出ていない職員もいるという。
 マスコミは行政を批判するが、機構そのものとそこで働いている者とをごったにしては一生懸命働いている者の労働意欲を喪失させる。社会的弱者は行政が冷たいことはすでに知っている。強者とマスコミは初めて知ってさわいでいる。……

 2月1日からは、それまで1日3回食事が届いていたのが2回に減らされた。昼食を何とかしなければならない。今は多少蓄えがあるが、少しづつ取り崩していかなければならない。それにしても救援物資はよく集まったと感心するが、中でも多いのは韓国からのもの。ハングルでは1つひとつ箱を空けないとわからないが水、缶詰、菓子、つけ物……、韓国政府は同胞だけでなく、被災者全員のためにと送ってきた。侵略された国が侵略した国にここまでしてくれている。他の避難所では民族団体からの救援物資を日本人が分けてもらっている。これを機会に双方の交流、友好が作りあげられればいいが。今までの関係の方がおかしいのだ。……

 テレビでの光景だが、長田区を在日韓国人歌手金蓬子が訪れていた。トラックの舞台にはラジカセのスピーカー。瓦礫を片付けた空地が観客席。ソウルオリンピックのテーマソング 『朝の国から』 の歌のときみんな泣いていた。ほほをぬぐうため手拍子ができなかった。韓国籍の人も、朝鮮籍の人も。たかが歌が彼らにどれだけの勇気と希望を与えたことだろう。生きていることを確認し、今後力を合わせて頑張ろうという人々がそこにいた。……

 民団系関西興銀は、被災数日後、現金5万円と2千円を不特定の必要な人に、条件なしで貸し出した。5万円は緊急な生活費、2千円は18枚の百円玉と20枚の10円玉を袋に入れて電話用にと。まず予算をたて、収入がない段階で支出を行なった。収入はカンパ要請をしたら必ず集まると確信を持っていたという。お礼状を見ると5万円のおかげで棺桶やドライアイスを買うことができたり、親戚へ避難するための旅費にあてたりと喜ばれたという。カンパは予算を大きく上回った。……

 結局避難所には2泊し、3日間いた。最後にした仕事は市が持ってきた炊き出し用の釜を、雨が降ってもいいようにテントを張り、その下にそなえつけること。
 たき火にあたりながら老人と話をした。「釜もきたしあったかいもの食いたいな、やさいがいい」 2週間以上も一度も野菜を食っていなかったのだ。「帰ったら野菜送るよ」 「たのむよ、けんちん汁がいいな」 「わかったすぐ送る」……

 今郵便局は救援物資を無料で受け付けている。しかし届くのに2週間かかる。生鮮品は通常の料金を払うと通常の期間で届く。……

 これが1回目です。

 前回のボランティアで神戸に行った報告書を手渡していたら、何人もの人から野菜を送るためのカンパをもらった。50代の人が特に多い。野菜を郵送するため郵便局に行ったら、窓口の方が郵送料の一部を出してくれた。次に行ったら 「前のはちゃんと届きました?」 と聞かれた。郵便局が届いたかと聞くのはおかしいのだが、気にかけてくれていた。みんなが神戸に思いを寄せていた。

 水道が復旧したのは2月中旬。トイレがきれいになり、食器等を洗うためみんなが水道口まで出てくる。知らない同士でも会話がはずむ。「ありがとう」 「お先にどうぞ」 「ごめんなさい」 こんなやり取りがあちこちで聞かれる。ウェットチィッシュでふいていた顔を水で洗うことができる。神戸は六甲の山を背負っているため、水に不自由することはなかった。酒をつくるくらいおいしかった。

 3月5日から、避難所外に住んでいる人は自分で食料を調達するようにとのポスターとチラシが来た。外から取りに来る人は10数人いる。食事の時、私がチラシを渡した。ほぼ全員から愚痴を聞かされた。人それぞれに事情がある。そのうちの1人が言った。「障がい者の年寄りがいて、集団生活ではかえって迷惑をかけるから物置で生活しているの。みんなの分奪って申し訳ないと思う。でも電気も水もガスもないの。ダメだというなら市長にデモかける」 「一応お知らせですから、気にしないで来てください。デモかけるなら応援に行くから呼んで」 「本気よ」 「本気だよ」

 これが2回目です。

 3月一杯で避難所へ近くの人々は食事を貰いに来ていたが、最終的に市から拒否された。新学期が始まるということで多くの避難所からボランティアそのものが撤収した。……市はただ自立を呼びかけている。市には意図がある。6月一杯で避難所をなくす計画を立てている。トップダウンの 「復興」 を行なおうとしている。……
 現地での生々しい状況を、全国からかけつけた延べ100万人を越えたといわれるボランティアは帰って報告する。思い出とはしない。それを聞いて代わりの者が来る。そしてボランティアは 「社会的弱者」 に目を向けた。市はこれをいやがっている。新聞に小さく載った記事だが、ある避難所から帰るボランティアが住民に 「このままでいたら殺されるよ」 と一言いい残した。以後住民は市に声を上げるようになったという。市にとってボランティアはもう目障りな存在となった。……

 「今度いつ来るの」 「もう来ないよ。だって市が来るなっていうもの。来年1月17日ボランティアがここで同窓会することになっているからその時来るよ」 「東京で何かあったら、その時はここのみんなで行くからな」 「来なくていい。そんなゆとり、あと10年神戸にはないよ。今回だって、普賢岳や奥尻の人たちが一番神戸の人たちのことを心配したと思うよ。だけど実際は何かできるゆとりないもの。じっくりといい町つくってよ」 「そうだな」

 これが3回目です。
 その後も、3年目まで行きました。おそらく廃校の小学校が避難所になったということで最後まで残りました。2年目の1月17日はこの避難所で迎えました。


 東日本大震災の被災地・被災者に対する兵庫の人たちの物心ともの支援は本当に大きいものがあります。
 救援者の“心のケア”の教訓も生かされつつあります。

 3月8日 (日) 午後、神戸で惨事ストレスの集会が予定されています。

   関連:「活動報告」 2014.12.19 
   関連:「活動報告」 2012.1.16 
   関連:「活動報告」 2011.1.17
この記事のURL | 東日本大震災 | ▲ top
| メイン | 次ページ