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黄金の花は いつか散る
2014/12/25(Thu)
 12月25日 (木)

 2014年が終わろうとしています。この1年は、それぞれにとってはどんな年だったのでしょうか。

 政府は景気が回復に向かっていると主張しますが、世論は大きく2つに分かれます。持てるものは苦労しないで富を増していきます。持たないものは生活維持が大変です。社会の二層化が進んでいます。

 権力を握っているものは、人々からさらに搾り取ろうとします。消費税率の引き上げです。
 権力を握っているものは、今がチャンスとばかりに憲法9条を無視し、しかもちゃんとした議論もしないで集団的自衛権、特定秘密保護法の具体化を推し進めようとしています。
 権力を握っているものは、労働者を自由にこき使って収益を独占しようとしています。労働法制の規制緩和、ホワイトカラーエグゼンプション導入の動向です。
 権力を握っているものは、それを振りかざします。国会解散はその最たるものです。富むもののための政策が推進されます。
 それぞれ、ここまでやるのかという思いです。
 東日本大震災は遠い昔の出来事のように追いやられています。原発の再稼動の動きがあります。


 今年はミレーの絵画展が各地で催されました。なぜいまミレーなのでしょうか。偶然ではないようです。
 殺伐とした現実を離れて人間の優しさが語りかけてきます。
 農民作家で、大作 『橋のない川』 を完成させた住井すゑの小説 『夜明け朝明け』 の “あとがき” です。
「哀しい時に、人は泣くといいます。それは、嘘ではありません。しかし、人は悲しい時だけ泣くものではありません。ふつう、いわれているような悲しさでは、私は泣きません。
 私は、悲しいもの、真実なものの前に泣きます。時には、その美しさ、真実さに感動して、おえつのとまらないことさえあります。たとえば、フランスの田園画家、フランソア・ミレーの画です。あの “アンゼラス” や “落穂拾い” を見ていますと、画中の人の心がじかにひびいてきて、私は、どうしても涙を流さずにはいられません。
 “アンゼラス” の人たちはいいます。
『あ、今日も、私は、生きている。終日働いて、今、ここに、こうして寺院のかねをきいている。そして、あすも、あさっても、私は働いてあのかねをきくだろう。』

 “落穂拾い” の彼女はつぶやきます。
『私のいとしい児よ。私は決してお前をこの畑に、おいてけぼりしてはいかないよ。おまえが、どんな苦労をして、一人前の穂になったか私は知っている。さあ、早く私の胸につかまっておくれ。』
 これ以上に美しい、これ以上に真実な人間の姿がまたとあるでしょうか。
 ミレーはこれにこたえて、
『なるほど、わたしの絵は、汗とほこりにまみれて働いている人たちばかりだ。着飾った貴婦人や遊楽に耽る貴顕紳士は1人もいない。だけども、だから私の絵が卑俗だとか、不愉快だとかいうのはあたらない。
 働く人が、土を耕し、種をまき、作物を刈り、これを調整するために、顔をゆがめたり、足をねじ曲げたり、たらたら汗を流したり、苦しい表情をするのはあたりまえだ。私が、その人たちの苦しさを苦しさのままに表現するのは、働く人たちの自然の姿、真実の姿を伝えんがためだ。その自然の姿が、卑しいというのはどういうわけだろうか。その真実の姿を見て、不愉快になるというのはどうしたことだろうか。
 働く人たちが、どんなにみにくく顔を歪めても、どんなに乱暴に手をふり上げても、また、どんなにはげしく目をつり上げても、それは、物を生産するためであって、決して人を罵ったり、物をはかいしたりして他人に迷惑をかけるためではない。いや、反対に、その生産によって、自分をはじめ、他人の生命までも保証しているのだ。もしこの世に、こうした姿で働く人がいなければ、パリの紳士や貴婦人も生きていけなくなるではないか。にもかかわらず、この人たちの姿を、みにくいとか、卑しいとか、不愉快だとかいうが、その人たちこそ、実は、美をりかいしていないのだ。
 私は、パリの華やかな生活を楽しむ貴婦人や、享楽をのみ追う紳士よりも、腰を曲げ、汗を流して働く百姓の姿こそ道徳的だと思っている。道徳的であるということは、善だということだ。善はよろこばれ、愛される。善は美しい。その人にとっても、また、周囲の人にとっても、絶対に美しい。百姓のうちの百姓である私は、それ故、生涯をかけて百姓の絵をかくであろう。』」

 “落穂拾い” は、いつの世でも、どこでも百姓は行います。育てたいとし子を大切にし、労働の喜びを感受します。TPPの動向いかんで営農を続けようか、止めようかと悩んでいる農民もします。原発事故で追われた福島の農民たちも抱いていた思いです。
 安部政権とその取り巻きはその喜びを知りません。いかにもパリの紳士や貴婦人のようです。

 今年はアメリカで黒人への攻撃とそれに抗議する動が盛り上がりました。
 200年前からアメリカ社会はどの程度変化したのでしょうか。1875年にジェイムズ・T・レイビアが連邦政府下院議員でおこなった公民権法案を支持する演説です。
「議長殿、人間の心には他人を抑圧して喜びを感じる、臆病者の性向があります。この卑しい欲望を満足させるために、安全を剥奪できる人物を犠牲者に選びます。世界の諸国では、一般的にユダヤ人がその犠牲者となってきました。この国ではその目的にもっとも適ったのが黒人です。ほかに比べ生まれつき劣等だったからではなく、安全を剥奪しやすい人物であるため黒人は対象になりました。黒人が精神的文化の高い要求に応じる能力がないと敵が信じているどころか、明らかにその反対で、白人たちは黒人の進歩を実にまめまめしく阻止しています。白人の器量が狭ければ狭いほど、黒人の知的・精神的進歩を妨げようと躍起となります。黒人が進歩したときの結果を恐れるという、単純ですが納得できる理由からです。白人は黒人が人間として、紳士として、高い精神的基準に到達するのを望んでいないのです。」 (荒このみ編訳 『アメリカの黒人演説集』 岩波文庫)

 フォークソング 『勝利を我らに (we shall overcome)』 は、1930年代にタバコ産業の黒人労働者の1人が、解雇に抗議して毎日門前で歌っていたら少しずつ人の輪が出来ていって合唱になったといいます。ルーツは労働歌です。

   We shall overcome, we shall overcome,
   We shall overcome someday;
   Oh, deep in my heart, I do believe,
   We shall overcome someday.

 その後、公民権運動やベトナム戦争被反対する運動の中で歌い継がれていきます。
 労働歌として歌われてから80年、公民権運動で歌われてから50年。黒人の置かれている状況はどれくらい変わったでしょうか。可視化されない差別が温存・拡大されています。

 安部政権とその取り巻きは、アメリカ社会の白人と同じで臆病者の性向がある者ばかりです。日本においても差別は拡大しています。正規労働者と非正規労働者、そしてヘイトスピーチです。差別を助長する社会構造が拡大しています。

 沖縄の人びとは、辺野古基地建設反対運動を中心に大和に対抗し続けた1年でした。
 県知事選、年末の総選挙の結果は、沖縄戦を体験し、「復帰」 40年を過ぎた沖縄の人たちの民意です。全体の選挙結果とは対照的です。

   黄金の花が 咲くという
   噂で夢を 描いたの
   家族を故郷 故郷に 
   置いて泣き泣き 出てきたの

   素朴で純情な 人達よ
   きれいな目をした 人たちよ
   黄金でその目を 汚さないで
   黄金の花は いつか散る 

  
   楽しく仕事を してますか
   寿司や納豆 食べていますか
   病気のお金は ありますか
   悪い人には 気をつけて

  
   素朴で純情な 人達よ
   ことばの違う 人たちよ
   黄金でその目を 汚さないで
   黄金の花は いつか散る 

  
   あなたの生まれた その国に
   どんな花が 咲きますか
   神が与えた 宝物
   それはお金じゃ ないはずよ

  
   素朴で純情な 人達よ
   本当の花を 咲かせてね
   黄金で心を 捨てないで
   黄金の花は いつか散る

  
   黄金で心を 捨てないで
   本当の花を 咲かせてね

 98年に作られた歌 『黄金の花』 です。今も歌われています。
 沖縄の人たちは、政府の沖縄復興策・支援予算という 「黄金の花は いつか散る」 ことに気づきました。「黄金でその目を 汚さないで」 自分たちの足元を見つめ直すことを選択しました。「本当の花を 咲かせてね」 を進めようとしています。

 沖縄県知事選の応援にいった菅原文太の演説画像が流されています。
「政治の役割は2つあります。1つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう1つは、これがもっと大事です。絶対に戦争をしないこと……」
 短い中にも為政者の責務がきちんと盛り込まれています。「命どぅ宝」 (ぬちどぅたから・命こそ宝) です。

 安部政権とその取り巻きは、「強い国日本」 のために日米関係を強化するといいます。しかし辺野古基地建設は将来の自衛隊基地のためです。命の大切さを尊重しません。


 安部政権とその取り巻きが安倍首相に進言していないことがあります。安倍首相の祖父の岸信介は、国会を取り巻いた人たちによって退陣させられたという事実です。60年安保闘争から日本では 「市民」 という言葉が本格的に登場しました。

 今も様々な課題を掲げて国会を取り巻くうねりは絶えていません。各地でも連動した行動が発展しています。
 投票所には行かなくても国会に駆けつける多くの市民・労働者がいます。そこには世論があります。
 2015年は、その世論のうねりが政権を打倒する力に発展することに期待したいと思います。本物の政治の登場です。

   当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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