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がんばれ かべせん
2014/08/22(Fri)
 8月22日(金)

  ふるさとの川 清く流れる
  水を愛した 人々の歴史 
  川舟を眺め 鉄橋を渡る
  汽笛の音を 響かせてきた

  ※がんばれ かべせん 力強く
   まけるな かべせん 夢を乗せて走れ

  ふるさとの山 緑ひろがる
  土を愛した 人々の歴史 
  田畑をよこぎり トンネルをぬける
  ディーゼルの音を 響かせてきた

  ※くりかえし

  ふるさとの町 笑顔あふれる
  こころ豊かな 人々の生活 (くらし) 
  さわやかな風が 今日もふきぬける
  ガタゴト ガタゴト 響かせてゆく

  ※くりかえし
  ※くりかえし

 『がんばれ かべせん』 の歌です。
 国鉄分割民営化に合わせて各地の赤字線は廃線が決定されます。
 広島駅から太田川に沿って三段峡まで走っていた可部線も途中から先は廃線が決定されます。その時に可部線の存続を求める運動の中で作られた歌です。ギターのメロディーのフォークです。国鉄分割民営化反対集会会場でCDを買いました。

 8月20日未明に広島市阿佐南区を襲った豪雨による土砂災害は住宅地を襲い、死者や行方不明者が出ています。被災地はJR可部線沿いです。
 被災のニュースを聞いた後、CDをかけて聴いています。


 広島市は太田川が運んだ土砂でできたデルタで、市内には今6本の川が流れていて水の都といわれています。
 こうの史代の漫画 『この世界の片隅に』 にも描かれていますが、水道が敷かれる前は、市内に住む人たちは飲み水に困りました。そのため、川の上流に住む人たちは干潮で海水が引く頃を見計らって水を汲み、舟や馬車に乗せて市内に売りに行きました。
 阿佐南区あたりに古くから住んでいる人たちの祖先もそれを生業としていました。豊かな土地から作物や食料も供給しました。
 太田川沿いに上流に向かって住宅が建てられていきます。そして鉄道が敷かれます。可部線です。
 しかし水からたくさんの恩恵を受けていた地域が、今回は水に住居や命まで奪われてしまいました。土石流は可部線を各所で寸断しました。
 阿佐南区復旧のに向けて、可部線はなるべく早く復旧して欲しいと思います。


 1945年8月6日8時15分に原爆が投下され、市内一面が焼け野原になりました。しかし2日後の8日午後3時30分には山陽本線を復旧させ、発車の汽笛を鳴らして 「復旧1号列車」 を走らせました。(2011年7月26日の 「活動報告」)
 今回も鉄道労働者の奮闘を期待することしかできませんが、「歌」 をかけて応援しています。


 災害からの復旧に鉄道は大きな役割を果たします。しかし取り上げられることはあまりありません。
 その中で、東日本大震災の時の鉄道労働者の奮闘を記録した8分間の 『鉄道マンの底力』 がインターネットで放映されています。画面を字幕が解説します。島田歌穂の 『約束』 がバックミュージックに流れます。
 字幕をそのまま紹介します。

 (イントロダクション)
 計画停電の夜、星が見えるかなと思いながら闇に閉ざされた町を散歩した。
 高崎線の踏切で上り普通列車待ち中に、下りの 「→」 が点灯した。
 しかし下り列車は中々近づいてこない。遠くで小さなライトだけが輝いていた。
 上り列車が通過した。
 踏切はなり続ける。
 何分間待っているのだろう、そのうち2本目の上り列車が通過した。
 踏切はなり続ける。
 輝きを増したライトは一歩一歩確実に近づいてきた。
 それはくたびれた電気機関車が頑張って重そうな燃料を積んだ姿だった。
 ああ、これが「地上の星」なのだな。
 この燃料が無事に届きますように。
 気付けば、数十年ぶりに電気機関車に向かってがむしゃらに手を振っていた。

 (タイトル)
   
   東日本大震災  
   貨物が見せた 「鉄道マンの底力」
    -被災地の生活を確保せよ-
 2011年に起こった東日本大震災時、被災地の燃料不足が深刻化するなか、新宿のJR貨物本社には、重苦しい空気が満ちていた。東北線のみならず、迂回路の常磐線までも深刻なダメージを受けていた。
 被災地の惨状がテレビに映し出される。誰もが何をすべきかは理解していた。
 だが、立ちはだかる現実は厳しすぎた。重く長い沈黙を破って、誰かが叫んだ。
 「石油を運ぶぞ。日本海側からだ」。次々応じる声が上がった。社員の “鉄道魂” に火が付いた瞬間だった。
 しかし、運行管理者が天を仰いだ。「日本海ルートは運行実績がない」
 躊躇している暇はなかった。多くの社員が、寝る間を惜しんでさまざまな課題を我慢強く一つ一つ解決していく。
 列車の運行に必要な計算もJR東日本は翌日に返答し、JR貨物側に応えた。迅速な対応に担当者は胸が熱くなった。

 そして、根岸を発ち
 ガソリン、軽油と社員の思いを満載した 「石油列車」 が3月19日夜、盛岡貨物ターミナル駅に26時間かけて到着した。
 運行実績の壁も貨物と共に歩んできたベテラン運転士、熟練乗務員たちの力で乗り越えたのだ。

 しかし、決して順調なだけではなかった。
 南東北への輸送を考え、急な坂道のため貨物輸送が途絶えていた磐越西線にルートを確保したのだが・・・
 降雪や急勾配、慣れぬ重連運転、連日連夜の試運転による心労等で立ち往生し救援機関車に助けられたこともあった。
 その機関車もタンク貨車も、数が足りず九州や大阪、名古屋の全国各地から借り集めていた。
 その中には、静かに引退を待つ機関車や貨車も少なくなかった。被災地に向けて最期の仕事に赴いていた。
 JR貨物は表に出ることもなく、黙々とただひたすら燃料や救援物資を運び復興の足掛かりへとつなげた。

 JR東日本はじめJR各社、数多くの会社が力を合わせてJR貨物を支えた。
 そして・・・去りゆく老兵たちの雄姿を熱い思いで記録に残したカメラマンたちがいた。
 重荷にあえぎながらも走り続けた彼らの姿を決して忘れはしない。

 (被害を受けた列車や線路、被災地を走る復興列車の画面の下にテロップが流れます)
 JR貨物自身、機関車4両、貨物169両、コンテナ約1060個…。震災によって多くの資産を失った。それでも彼らは立ち止まろうとはしなかった。
 東日本大震災 「緊急燃料列車」 第3便 最後尾に 「まけるな」 メッセージ

 燃料車の最後尾には 「まけるな」 と書かれていました…。

 「立ち上がろう 東北」 磐越西線 燃料輸送列車 みちのくの鉄道 ~東日本大震災からの復興の軌跡~ より
 「私が運転を担当した初日、間もなく終着駅郡山駅に到着しようとする地点で、列車の方にメッセージを掲げているご婦人の姿を見つけた。掲げるボードには一言だけ大きく書いてあった 「ありがとう」。鳥肌が立つのを覚えながら、しっかりと我が目に焼き付け、そして思った。この被災地の想いを、今回の迂回輸送に関わった全ての人達に伝えたいと。」


 多くの鉄道労働者の持つ磨いた腕と勘と経験そして使命感が復興に向けて奮闘しました。忘れてはいけません。1人ひとりに感謝したいと思います。
 そして可部線復旧に奮闘する鉄道労働者の奮闘に感謝します。

  がんばれ かべせん 力強く
   まけるな かべせん 夢を乗せて走れ

   関連:「活動報告」 2011.7.26
 
   東日本大震災 貨物が見せた 「鉄道マンの底力」 -被災地の生活を確保せよ-
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