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「特別条項付き36協定」 が長時間労働を放置させている
2014/08/29(Fri)
 8月29日 (金)

 7月22日、東京労働局は2013年度の 「過労死・過労自殺など過重労働による健康障害を発生させた事業場に対する監督指導結果について」 を発表しました。
 監督指導の対象は、過労死・過労自殺など過重労働による健康障害を発生させたとして労災申請が行われた107事業場です。そのうち94事業場で何らかの法令違反がありました。
 対象事業場の業種別内訳は、卸・小売業23、製造業13、ソフトウェア・情報処理業13、建設業12、金融・広告業10、運輸交通業9などです。
 規模別事業場数は、多い順に10人から49人25、1000人以上25、100人から299人20、300人から999人17などです。
 申請した労働者の業務内容は、営業職及び事務職 (管理部門等) が15人で最も多く、次いで販売員14人、システムエンジニア11人、自動車運転者9人、工事現場管理者7人、編集者5人の順です。裁量労働だったり、個人に責任が課せられて逆に裁量権がない職種が長時間労働に至っていることがうかがわれます。

 具体的な法違反の状況は、労働時間79事業場、割増賃金49事業場などです。
 労働時間を細かく見ると、36協定の届出なく、時間外・休日労働を行わせていた28事業場です。その内訳は、36協定の届出が必要であることを知らなかった16事業場、届出を忘れていた10事業場などです。これらの理由はほとんど嘘です。責任感がない経営者は労働者を雇用する資格はありません。
 「特別条項付き36協定」の運用に関するもの35事業場です。特別条項付き36協定とは、特別の事情が生じたときに限り、1年のうち6か月まで36協定により定められた時間外・休日労働する時間を特別延長時間まで延長することができるという制度です。この中には1か月の延長時間が100時間という事業場もざらです。
 その内訳は、36協定があっても特別条項付き36協定を超えて時間外・休日労働をさせていた17事業場、特別延長時間まで労働時間を延長できる手続きが適正に行われていない9事業場、労働時間を延長できる月数 (回数) を超えて時間外・休日労働を行わせていた7事業場となっています。
 労働局は、「本来、三六協定の締結は、労使双方が時間外・休日労働は最小限にとどめるべきものという認識に立った上で行われるものであるため、同協定の不適切な運用により違法な時間外・休日労働を行わせていたことは同協定締結の形骸化を意味し、労働時間管理上問題である。」 と指摘しています。
 その通りです。「特別条項付き36協定」 の存在が無制限の時間外労働を認め、協定が形式になっています。しかも延長できると協定した時間を超えた長時間労働が行われている実態があります。その結果、「特別の事情が生じたときに限り」 が常態化しています。
 使用者は、裁判などで36協定や特別条項付き36協定は特別な事情を想定して余裕を持たせていると主張していますが、今回の調査からは事実と違うことが明らかにされました。
 長時間労働が原因の労災は使用者が労基法を遵守する意識を欠落させる中で発生させています。特別条項付き36協定制度は直ちに廃止させる必要があります。

 ではこれらの事業場では労働時間はどのように管理されていたでしょうか。
 1事業場は把握されていませんでした。それ以外では、自己申告32事業場、タイムカード20事業場、ID・ICカード15事業場、これらの併用39事業場です。
 自己申告の事業場は、ほとんどの場合労働者は少なめに申告します。そして問題が発生すると使用者はきちんとした時間管理をしていないことを棚に上げて長時間労働の証拠がないと主張したりします。時間管理の放棄は、労働者に対する健康管理の放棄にもつながっています。

 過重労働 (月45時間を超える時間外・休日労働時間) の実態があった業種別状況です。
 運輸交通業は9事業場中8事業場、ソフツウェア・情報処理業13中10事業場、卸・小売業23中14事業場、製造業13中6事業場、建設業12中5事業場などです。運輸交通業やソフツウェア・情報処理業は時間管理が個人に課せられていまが、最初の時間設定から余裕がありません。

 労働局は今後の対応としては 「過重労働による健康障害防止のための総合対策」 に基づく指導などを推進するということです。
 しかし監督指導だけでは改善の効果は大きくありません。使用者は言い訳やその場限りの対応で終わってしまいます。
さらに監督指導が追い付かずに野放し状況になっている状況があります。違法行為が発見された時の使用者や労働組合への罰則化強化がはかられないと抑制の効果がでてきません。指導だけでは労働者の健康が守られず、間に合いません。違法行為を繰り返す事業場の36協定を受け付けない等の対応が必要です。

 ちなみに、2013年度の脳・心臓疾患の労災補償状況は、全国では請求件数784件、支給決定件数306件、うち死亡決定件数133件です。東京は、請求件数は116件、支給決定件数38件。うち死亡15件です。


 5月30日、東京労働局は 「平成25 年の定期監督等の実施結果-定期監督等を実施した事業場の約7割で法違反-」 を発表しています。定期監督等とは、各種の情報、労働災害報告、過去の監督指導結果等を契機として、労働基準監督官が事業場に対して実施する立入検査です。
 9304事業所対して実施されました。内訳は、建設業2951件、商業1805件、製造業878件、保健衛生業633件、接客娯楽業521件、運輸交通業476件などです。
 そのうち違反事業場は6612件ありました。具体的内容は、労働時間関連2623件、割増賃金関連2047件、労働条件明示関連1473件、賃金不払い475件などです。これらはリンクして重なったりしますな。
 業種別で違反率が高い順に、接客娯楽業 (飲食店・旅館業等) 79.5%、映画・演劇業78.2%、保健衛生業 (社会福祉施設・病院等) 78.2%、商業 (小売店等) 75.6%、製造業74.7%、運輸交通業67.4%、建設業66.1%です。

 具体的事例としては、「労働者を雇い入れる際に、賃金額及び支払方法並びに所定労働時間などの法定事項について書面を交付していないもの。また、交付しているが、法定事項が不足しているもの。」 「時間外労働に関する協定(三六協定)の締結・届出がないのに、労働者に法定労働時間を超えて時間外労働を行わせているもの。また、協定の締結・届出はあるものの、その協定で定めた時間外労働の限度時間を超えて時間外労働を行わせているもの。」 「時間外労働、深夜労働を行わせているのに、法定割増賃金(通常の賃金の2割5分以上)を支払っていないもの。」 などが挙げられています。
 やはり監督指導だけでは限界があります。監督官のやる気も失われます。
 東京労働局は、資料作成で終わりにするのではなく、厚労省に結果をふまえて法改正を含めた提言をおこなうべきです。


 もう1つ労働時間に関する資料です。
 7月28日付の 「労働新聞」 に 「裁量労働制みなし時間 半数が所定時間で設定――品川労基署」 の記事が載りました。
「東京・品川労働基準監督署 (古屋希子署長) は、専門業務型裁量労働制を導入している企業に対する実態調査を行った。5割近くの事業場で業務遂行に必要とされるみなし労働時間を所定時間で設定していることが分かった。設定の根拠について 『とりあえず所定時間』『とくに根拠なし』 が2割超とめだち、勤務実態を考慮せずにみなし労働時間を決定している疑いが強い。対象労働者の比率が100%とした事業場が1割弱あり、対象業務を拡大解釈している疑いも濃厚とみている。」
 2013年12月3日の 「活動報告」 に書きましたが、厚生労働省労働基準局の 『平成25年度労働時間等総合実態調査結果』 でも裁量労働制の労働時間は 「所定労働」 ではなく長時間です。

 しかし、このようなことを無視し、使用者側からの報告だけで労働者の平均労働時間が算出されています。政府発表の労働時間はまったく当てになりません。
 政府は、実態に基づく労働時間の調査を行い、長時間労働の削減に向けて取り組む必要があります。
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賃金制度の変更は、労務管理制度の変更と合わせて行われる
2014/08/26(Tue)
 8月26日 (火)

 8月18日付の 「日本経済新聞」 は、「労働時間規制の緩和制度 伊藤忠・富士フイルムなど導入検討」 「企業、専門職から拡大要望」 の見出し記事を載せました。
「伊藤忠商事や富士フイルムなど主要企業が、働いた時間ではなく成果に応じて賃金を払う 『ホワイトカラー・エグゼンプション』 の導入の検討を始めた。政府は欧米に比べて劣るとされるホワイトカラー層の生産性向上のために、同制度の導入に向け2015年の法改正を目指している。企業は国が今後、制度の詳細を詰めるのに合わせて準備を進め早期導入を目指す。」
  政府は 『ホワイトカラー・エグゼンプション』 ならぬ 「過労死促進の労働時間制度」 の創設を決定し、この後厚労省は労働政策審議会で詳細を詰め、来年の通常国会に労基法改正案を提出して2016年4月からの適用をめざそうとしています。対象は 「職務が明確で高い能力を有する者」 で 「少なくとも年収1千万円以上」 です。
 伊藤忠商事や富士フィルムはそんなに 「少なくとも年収1千万円以上」 の労働者がいるのでしょうか。そうではなく 「年収1千万円以上」 のラインを下げることを政府に働きかけるということです。「過労死促進制度」 の創設を絶対に阻止しなければなりません。

 8月4日の 「活動報告」 でソニーが 「ジョブグレード制度」 の導入を決定したことを紹介しました。
 賃金制度の改訂は人件費を削減するために行われます。そのことへの警告を含めて、もう少し、かつて導入された職務給制度とそれ以降の制度について紹介します。


 60年代になると、日経連を中心として “年功賃金から職務給” へというスローガンのもとに職務給の導入の動きが強まります。62年に鉄鋼大手2社の八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管、64年に日立、65年に東芝、66年に松下電器が導入していきます。
 職務給の導入には2つのパターンがあります。1つは、従来の基本給と合わせて職務給をおく「並存型」です。もう1つは、基本給そのものの職務給化をはかるが賃率の設定に昇給制度を加味する「混合型」です。鉄鋼大手は基準内賃金の1項目に職務給を導入する並存型ですが、十条製紙やは混合型でした。今いわれているソニーの 「ジョブグレード制度」は混合型だと思われます。

「1963年経済審議会答申 (「経済発展における人的能力開発の課題と対策」) は、池田内閣の高度成長政策における60年代日本社会の能力主義的再編への展望を示すものであったが、『その際の能力主義像は、1960年代末以降に実現に定着する、「学歴」 「偏差値」 等に代表されるような抽象的一元的で秩序的な能力主義とは若干異なり、職種別の横断的労働市場などに代表されるような、個々の具体的労働職業能力の質的違いをそれぞれ相当に位置づける視点を含んだ、いわば多元的能力主義像であった』 (乾彰夫著 『日本の教育と企業社会』 大月書店 1990年)」 (永山武夫編著 『労働経済- 「日本的経営」 と労働問題-』 ミネルヴァ書房)
 背景としては技術革新が進むなかでこれまで職場を支えていた熟練労働者は不要になり、代わって技術革新に対応できる知識を持った者や若年労働者が登用されていきます。しかし実際にはちゃんとした職務の定義や分析ができないままでした。また上がり続ける賃金を抑え込むために新たな制度が必要でした。

 当時八幡製作所で働いていた高橋鉄雄さんが書いています。
「私があえて職務給制度というのは、それが単に賃金体系そのものとしてだけでなく、労働者支配の重要な一面を持つものであると思うからである。
 八幡製鉄の職務給をみるとき、賃金体系そのものとしての評価と、これが他の労務管理制度にどう連なっているかという2つの側面を見てみる必要がある。まずこの職務給制度導入に当たって、鉄鋼労連が出した方針から述べてみたい。
『……資本の側の職務給は、労務支配の体制確立という合理化政策の一環として提案されたことは明らかであるから、基本的には、この攻撃をはねのけて闘いを進めねばならない。しかし現実には年功序列型の現行賃金体制の矛盾でもあし、また若年労働者の格差賃金に対する不満も当然の要求であるから、職務給の内容を検討することなく、はね返して闘う体制が困難な場合があるので、これに備えての対策として是正方針を確立することに努力する。』
 この頃すでに鉄鋼労連の体質は変わりつつあり、……一見してわかる通り、この方針は鉄鋼資本の職務給導入を承認するための苦心の労作であり、資本にとってもきわめて望ましい方針である。この結果、当時の労働運動のなかで叫ばれていた職務給反対という声は、鉄鋼労連運動の中では事実上否定され、鉄鋼資本にとっては、鉄鋼労連の同意もとりつけたということになる。
 では資本が望む職務給とはどんなものかということである。私は学者ではないので、労働者なりの見方で述べてみたい。
 八幡における従来の賃金体系は、基本給と業績手当てを中心に組み立てられていた。基本給は勤続年数に成績考課を加えたものであり、業務手当てとは能率給の意味である。
 この方式の場合は、あくまで基本給が中心となり、成績点が入るとしても勤続年数によるウエートが大きなものとなる。いわゆる年功秩序賃金である。
 そしてこの賃金体系は一応残すものの、それに職務給を加えるという形でその導入をはかってきた。当初、賃金総額から見るならば、その割合は約15パーセント程度であった。形の上からいえば、その影響は僅かのように思われるかもしれないが、その運用によりこの職務給の及ぼすものはきわめて大きなものであったのである。
 当時、労働運動の場では、職務給がいいのか、従来の年功序列による年功賃金がよいか、二者択一の論議があった。しかし、賃金体系だけから見るならば、いずれも欠陥があり、労働者にとって望ましいものではない。もともと賃金とは矛盾の集積であるとさえいわれているものである。したがって賃金を考えるとき、当たり前の話だが、大切なのは賃金の額であるはずである。
 職務給制度の考え方の基本は、企業側から考えた職務の比重によって、その価値が決められるものである。したがってこの制度では、労働者の生活を考えた俗人的な考えはない。極端な例をいえば、どの職務によらず、同一の仕事をする者は、20歳の青年労働者も、40歳の壮年労働者の賃金も一緒であるべきだというのである。
 企業にとっては当然の論理であろう。私もそれであってもよいと思う。ただその前提として、その20歳の労働者の賃金が、40歳の労働者が自分の子供を高校、大学にやりかつ妻子を養うに足りる充分なものならば、私は資本が錦の御旗としていう同一労働同一賃金なる職務給でも、賃金体系だけを問題にする場合は結構だと思う。しかし、その賃金が、労働者の生活を養うに充分でないなら、その賃金が何と名付けられようとも何の意味もない。
 会社は誇らしげに同一労働同一賃金なる職務給制度を宣伝したが、結果として出てきたものは、中年以上の労働者を中心に10パーセント程度の減収であった。総財源の枠を増やさないから、名称だけ恰好をつけて、財源をたらい回ししているだけである。資本にとって職務給制度とは、低賃金維持と労務管理上の利点があるからこれを採用したに過ぎないのである。」 (高橋鉄雄著 『八幡・闘いの火は消えず』 つげ書房刊 1978年)

 八幡製鉄所は、アメリカの鉄鋼業界を視察を通して彼我の能率の違いは管理組織のあり方によるところが大きいという認識を深めます。その結果、54年9月に第二次合理化計画の一環として戸畑製造所の操業開始にあたってライン・アンド・スタッフ制を導入し、作業長制度を創設します。
 背景としては、技術革新の進展にともない、勘、コツに依拠した高熱重筋労働から技術的知識に依拠した計器の監視労働へと現場作業の性格が変化したことに対処するためです。
 具体的には、設備・作業方法の改善、工程管理、データ処理などの業務をスタッフ部門に吸い上げるとともに、監督技術員をスタッフ部門に引き上げました。各工場は生産と労務に専念することになり、組織系統も課長-掛長-作業長と単純化されます。作業長は現場労働者から登用されます。作業長は 「精進」 いかんで掛長や工場長の途もひらかれます。会社はこの制度を 「明るい青空」 の見える人事と呼びました。
 そして職務給の導入に進んだのです。


「『けれども (1963年経済審議会) 答申が構想した多元的能力主義像は、60年代後半以降の現実の日本社会の展開、とりわけ 「企業社会」 によって裏切られる。この時期、企業の労務管理の能力主義的再編の方向は、答申が描いた職務給・職務秩序・横断的労働市場等の多元的能力主義から、終身雇用制・年功制等の集団主意義的枠組みを維持したままこれを能力主義化していくという、いわば 「日本的雇用」 体制へと大きく転換したが、この転換こそ抽象的一元的で秩序的な能力主義を社会的に広く定着させる原動力であった』 (『日本の教育と企業社会』) この後者の能力主義こそが、日経連能力主義管理研究会報告書 (『能力主義管理 《その理論と実践》 』日経連、1969年) という形で定式化された、『職務遂行能力』 評価にもとづく職能給・職能資格制度的能力主義であり、日本的な人事・労務管理の機軸をなすものであった。だが、それは、当初の日経連の想定した職務給化政策とは異なるものであり、そこにいたる過程には、日経連内部における職務給化と職能給化をめぐる対立と論争があった。」 (『労働経済- 「日本的経営」 と労働問題-』)

「日経連は、輸出競争力強化のための新たな労務管理を1969年に 『能力主義管理』 としてまとめた。昇進・昇給の評価基準に 『能力』 をおき、勤続による 『功』 を 『能力』 に代え、『能力』 による管理に 『個別管理』 を結合させようとした。『個人の能力』 に個人間競争を導入して作業意欲を高め、差別を進めようとしたのである。
 『能力』 とは、『能力主義管理』 の手段である 『職務的資格制度』 の下での 『職務遂行能力』 とされる。これを査定して上位の職務序列に昇る昇格制度がとられる。」 (『労働経済- 「日本的経営」と労働問題-』)


 八幡製鉄所が合併して新日鉄になってからの制度です。
「労務管理の基本は、資格制度と賃金体系である。その上に職制支配機構が築かれる。……
 資格制度であるが、……この制度によって全社員は、……9段階に格付けされる。……
 昇格は、従事する職務、本人の経験、知識、技能、勤務成績、会社勤務への貢献度等を総合的に勘案して、所属長 (掛長) が推薦した者について、人事考課、筆記試験、面接によって選考すると、一応はなっている。……
 新日鉄の賃金は八幡時代とほぼ同様で、基本給、能率給、職務給を基本賃金として構成される。その割合はほぼ基本給50、能率給30%、職務給20となっている。この他交替勤務者には一律月額5千円のプレミアがつく。これらの賃金はどのようにして決定され、個人に配分され、そして労務管理に利用されているのであろうか。
 基本給は年齢別、学歴別初任給に、その後の定期昇給(年1回)によって決定され、それにベースアップが加わって変動していく。定期昇給は基本的には……自動的に決定される性格のものである。しかし新日鉄の場合は、さきに述べた資格給の昇給テーブルをつくり、さらに資格ごとに上下各15%の考課幅を設け各人に配分する。資格によって差をつけ、その上に同資格者の中でまた差をつけるという、屋上に屋を重ねる差別を行うのである。
 ベースアップの場合も同様である。資格管理が完全に会社の手に握られ、定期昇給が一方専制のもとで実施され、個人別の考課が付加されたとなれば、労働者は主人の従順な子羊となる外はない。もちろん懲戒処分でも受けようものなら直ちに失格であるばかりでなく、後々まで考課は最低である。
 能率給は、能率の指標として何を中心にするかで内容が異なってくる。その指標は官営八幡の発足以来幾多の変遷を経て今日に至っているが、現在の方式は標準時間方式と呼ばれるもので、一口でいえば、企業が要請する時間 (標準時間)より早く生産して生産量を増し、しかも少ない人数でやりとげることによって能率給があがる仕組みになっている。まさに人員削減、量産時代にふさわしい能率指標というべきである。」 (高橋鉄雄著 『八幡・闘いの火は消えず』 つげ書房刊 1978年)

「『能力主義管理』 による職場支配の強化と小集団活動、団体交渉の労使協議化によって、この時期に協調的企業別組合が本格的に確立された。その強調には、企業内福利と結びつけた、独占資本の企業社会・企業コミュニティ構想への呼応が含まれていた。これによって拡大された協調的組合運動は、1964年には全国レベルの組織としてIMF・JC (国際金属労連日本協議会) と同盟 (全日本労働総同盟) を設立させた。1967年、IMF・JCは、日経連に呼応して生産性の上昇範囲内に賃上げを抑制し、春闘の主導権を握りはじめた。」 (『労働経済-「日本的経営」と労働問題-』)


 労働者は 「同一労働同一賃金」 を主張します。ソニーなどが導入しようとするジョブグレード制度はその方向を目指すと説明すると思われます。
 しかし八幡製鉄の教訓だけでなく、賃金制度の変更は 「賃金体系そのものとしての評価と、これが他の労務管理制度にどう連なっているかという2つの側面を見てみる必要がある」 のです。「会社は誇らしげに同一労働同一賃金なる職務給制度を宣伝したが、結果として出てきたものは、中年以上の労働者を中心に10パーセント程度の減収であった。」でした。賃金制度の変更は常に若者からの要求という口実で中高年を排除します。
 ジョブグレードのなかでも評価などによってレンジ・レートなどで差を付けられます。使用者は、差をつけて競走させることが労働者の “意欲” を引き起こさせると捉えています。「同一労働同一賃金」 は意欲を起こしません。ソニーなどでは全体の賃金水準を下げながら、かなり歪んだ 「同一労働同一賃金」 が登場すると思われます。
 その制度改革に労働組合が介入を放棄することは団結を放棄することです。労働組合は、差別を認めない、差を小さくする要求を続ける必要があります。
 賃金闘争に取り組まない労働組合は存在する価値がありません。

   関連:「活動報告」 2014.8.5
 
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がんばれ かべせん
2014/08/22(Fri)
 8月22日(金)

  ふるさとの川 清く流れる
  水を愛した 人々の歴史 
  川舟を眺め 鉄橋を渡る
  汽笛の音を 響かせてきた

  ※がんばれ かべせん 力強く
   まけるな かべせん 夢を乗せて走れ

  ふるさとの山 緑ひろがる
  土を愛した 人々の歴史 
  田畑をよこぎり トンネルをぬける
  ディーゼルの音を 響かせてきた

  ※くりかえし

  ふるさとの町 笑顔あふれる
  こころ豊かな 人々の生活 (くらし) 
  さわやかな風が 今日もふきぬける
  ガタゴト ガタゴト 響かせてゆく

  ※くりかえし
  ※くりかえし

 『がんばれ かべせん』 の歌です。
 国鉄分割民営化に合わせて各地の赤字線は廃線が決定されます。
 広島駅から太田川に沿って三段峡まで走っていた可部線も途中から先は廃線が決定されます。その時に可部線の存続を求める運動の中で作られた歌です。ギターのメロディーのフォークです。国鉄分割民営化反対集会会場でCDを買いました。

 8月20日未明に広島市阿佐南区を襲った豪雨による土砂災害は住宅地を襲い、死者や行方不明者が出ています。被災地はJR可部線沿いです。
 被災のニュースを聞いた後、CDをかけて聴いています。


 広島市は太田川が運んだ土砂でできたデルタで、市内には今6本の川が流れていて水の都といわれています。
 こうの史代の漫画 『この世界の片隅に』 にも描かれていますが、水道が敷かれる前は、市内に住む人たちは飲み水に困りました。そのため、川の上流に住む人たちは干潮で海水が引く頃を見計らって水を汲み、舟や馬車に乗せて市内に売りに行きました。
 阿佐南区あたりに古くから住んでいる人たちの祖先もそれを生業としていました。豊かな土地から作物や食料も供給しました。
 太田川沿いに上流に向かって住宅が建てられていきます。そして鉄道が敷かれます。可部線です。
 しかし水からたくさんの恩恵を受けていた地域が、今回は水に住居や命まで奪われてしまいました。土石流は可部線を各所で寸断しました。
 阿佐南区復旧のに向けて、可部線はなるべく早く復旧して欲しいと思います。


 1945年8月6日8時15分に原爆が投下され、市内一面が焼け野原になりました。しかし2日後の8日午後3時30分には山陽本線を復旧させ、発車の汽笛を鳴らして 「復旧1号列車」 を走らせました。(2011年7月26日の 「活動報告」)
 今回も鉄道労働者の奮闘を期待することしかできませんが、「歌」 をかけて応援しています。


 災害からの復旧に鉄道は大きな役割を果たします。しかし取り上げられることはあまりありません。
 その中で、東日本大震災の時の鉄道労働者の奮闘を記録した8分間の 『鉄道マンの底力』 がインターネットで放映されています。画面を字幕が解説します。島田歌穂の 『約束』 がバックミュージックに流れます。
 字幕をそのまま紹介します。

 (イントロダクション)
 計画停電の夜、星が見えるかなと思いながら闇に閉ざされた町を散歩した。
 高崎線の踏切で上り普通列車待ち中に、下りの 「→」 が点灯した。
 しかし下り列車は中々近づいてこない。遠くで小さなライトだけが輝いていた。
 上り列車が通過した。
 踏切はなり続ける。
 何分間待っているのだろう、そのうち2本目の上り列車が通過した。
 踏切はなり続ける。
 輝きを増したライトは一歩一歩確実に近づいてきた。
 それはくたびれた電気機関車が頑張って重そうな燃料を積んだ姿だった。
 ああ、これが「地上の星」なのだな。
 この燃料が無事に届きますように。
 気付けば、数十年ぶりに電気機関車に向かってがむしゃらに手を振っていた。

 (タイトル)
   
   東日本大震災  
   貨物が見せた 「鉄道マンの底力」
    -被災地の生活を確保せよ-
 2011年に起こった東日本大震災時、被災地の燃料不足が深刻化するなか、新宿のJR貨物本社には、重苦しい空気が満ちていた。東北線のみならず、迂回路の常磐線までも深刻なダメージを受けていた。
 被災地の惨状がテレビに映し出される。誰もが何をすべきかは理解していた。
 だが、立ちはだかる現実は厳しすぎた。重く長い沈黙を破って、誰かが叫んだ。
 「石油を運ぶぞ。日本海側からだ」。次々応じる声が上がった。社員の “鉄道魂” に火が付いた瞬間だった。
 しかし、運行管理者が天を仰いだ。「日本海ルートは運行実績がない」
 躊躇している暇はなかった。多くの社員が、寝る間を惜しんでさまざまな課題を我慢強く一つ一つ解決していく。
 列車の運行に必要な計算もJR東日本は翌日に返答し、JR貨物側に応えた。迅速な対応に担当者は胸が熱くなった。

 そして、根岸を発ち
 ガソリン、軽油と社員の思いを満載した 「石油列車」 が3月19日夜、盛岡貨物ターミナル駅に26時間かけて到着した。
 運行実績の壁も貨物と共に歩んできたベテラン運転士、熟練乗務員たちの力で乗り越えたのだ。

 しかし、決して順調なだけではなかった。
 南東北への輸送を考え、急な坂道のため貨物輸送が途絶えていた磐越西線にルートを確保したのだが・・・
 降雪や急勾配、慣れぬ重連運転、連日連夜の試運転による心労等で立ち往生し救援機関車に助けられたこともあった。
 その機関車もタンク貨車も、数が足りず九州や大阪、名古屋の全国各地から借り集めていた。
 その中には、静かに引退を待つ機関車や貨車も少なくなかった。被災地に向けて最期の仕事に赴いていた。
 JR貨物は表に出ることもなく、黙々とただひたすら燃料や救援物資を運び復興の足掛かりへとつなげた。

 JR東日本はじめJR各社、数多くの会社が力を合わせてJR貨物を支えた。
 そして・・・去りゆく老兵たちの雄姿を熱い思いで記録に残したカメラマンたちがいた。
 重荷にあえぎながらも走り続けた彼らの姿を決して忘れはしない。

 (被害を受けた列車や線路、被災地を走る復興列車の画面の下にテロップが流れます)
 JR貨物自身、機関車4両、貨物169両、コンテナ約1060個…。震災によって多くの資産を失った。それでも彼らは立ち止まろうとはしなかった。
 東日本大震災 「緊急燃料列車」 第3便 最後尾に 「まけるな」 メッセージ

 燃料車の最後尾には 「まけるな」 と書かれていました…。

 「立ち上がろう 東北」 磐越西線 燃料輸送列車 みちのくの鉄道 ~東日本大震災からの復興の軌跡~ より
 「私が運転を担当した初日、間もなく終着駅郡山駅に到着しようとする地点で、列車の方にメッセージを掲げているご婦人の姿を見つけた。掲げるボードには一言だけ大きく書いてあった 「ありがとう」。鳥肌が立つのを覚えながら、しっかりと我が目に焼き付け、そして思った。この被災地の想いを、今回の迂回輸送に関わった全ての人達に伝えたいと。」


 多くの鉄道労働者の持つ磨いた腕と勘と経験そして使命感が復興に向けて奮闘しました。忘れてはいけません。1人ひとりに感謝したいと思います。
 そして可部線復旧に奮闘する鉄道労働者の奮闘に感謝します。

  がんばれ かべせん 力強く
   まけるな かべせん 夢を乗せて走れ

   関連:「活動報告」 2011.7.26
 
   東日本大震災 貨物が見せた 「鉄道マンの底力」 -被災地の生活を確保せよ-
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ストレスチェックが第一次予防?
2014/08/19(Tue)
 8月19日 (火)

 いわゆる 「ストレスチェック法案」 と呼ばれた労働安全衛生法改正法案は、6月19日に衆議院本会議で全会一致で可決・成立しました。(参議院で先に審議) 可決に際しては衆議院厚生労働委員会で付帯決議が付けられました。
 改正法には 「7  厚生労働大臣は、前項の規定により事業者が講ずべき措置の適切かつ有効な実施を図るため必要な指針を公表するものとする。」 とあります。それに基づき、今後の運用方法などを決定するため、7月7日から3回 「ストレスチェック項目等に関する専門検討会」 が開催されました。1か月に3回も開催するとは拙速です。どうしてそこまで急ぐのでしょうか。
 この後、専門検討会の報告をうけて8月下旬から行政検討会で検討し、11月下旬頃に労働政策審議会安全衛生分科会に提出、答申を受けて来年1月下旬頃に省令・指針等を制定、これらと並行して医師等への研修を行い、来年12月までに施行予定というスケジュールです。

 専門検討会での議論は、具体的には、1.ストレスチェック実施方法について、2.ストレスチェックの項目について、3.ストレスチェック結果の評価について、4.ストレスチェックに含めることが不適当な項目について、5.ストレスチェック項目と一般定期健康診断項目との関係について、6.その他・ストレスチェックの効果に関する今後の評価の方法等についてなどです。

 専門検討会では様々な質疑と討論が行われました。例えばストレスチェックはだれが行うのか。医師や保健師等です。その他、一定の研修を受けた看護師、精神保健福祉士も含まれる予定です。臨床心理士は国家資格ではないので含まれません。
 法案審議の過程で、「診断の対象は雇用者全体に及び、約5500万人に上る。診断を実施するのは、産業界全体で、1回につき100億円単位の負担が生じるという。コストに比べ、どの程度の効果があるのか。法案審議では、その観点からの議論が求められる」 (2014年2月9日付の 「読売新聞」) というような意見も出されていました。
 精神科医からも効果が疑問視されている中で、保健師・看護師団体の職域拡大が目的ではないかなどのささやきもありました。

 ストレスチェック項目をどうするかは議論になりました。
 法案成立前から「職業性ストレス簡易調査票」が言われていました。専門検討会でも提案されました。「簡易調査票」 とは、「チェック項目はストレスに関する症状・不調として確認する事が適当な項目等に関する調査研究報告書」 (200年10月) に記載されていて、さらに 「一定程度の精度が確保できる最低限の項目として、計9問を標準的な確認項目 (質問) として設定することが適当であると考えられる」 の9項目です。
 具体的には、「労働者の心身の反応」 として 「疲労感」 について 「①ひどく疲れた」 「②へとへとだ」 「③だるい」、「不安感」 について 「④気がはりつめている」 「⑤不安だ」 「⑥落ち着かない」、「抑うつ感」 について 「⑦ゆううつだ」 「⑧何をするのも面倒だ」 「⑨気分が晴れない」 です。これを点数化します。

 しかし 「調査研究報告書」 そのものが、「事業場ごとにストレス反応を確認することの必要性やそのために投入できる資金・マンパワー等が異なること、特に小規模事業場に勤務する労働者が多い我が国において、健康診断等におけるストレス反応の確認を普及・定着させていくため」 のものです。「事業場ごとにストレス反応を確認することの必要性」 は第一次予防 (労働者のメンタルヘルス不調の未然防止のための取り組み) です。これをストレスマネージメントの向上 (セルフケア) に活用しようとしています。用途が違います。専門家からは効果があるというエビデンスがないと指摘されました。しかし厚労省の回答は有効性が確認されている、です。
 「簡易調査票」 には 「仕事のストレス要因」 として 「仕事の負担 (量)」 「仕事の負担 (質)」 「仕事のコントロール度」 などの項目もありますがあまり問題にされませんでした。議論が進む中では9項目より増えることになりそうです。
 実際は、「仕事のストレス要因」 があって 「労働者の心身の反応」 が起きるのです。「仕事のストレス要因」 が先に必要です。
 厚労省は、これまで 「労働者の心身の反応」 しか考えていませんでした。事業所の義務と労働者の責任を一緒くたにし、事業所の義務を免除しようとしていたのです。

 衆議院厚生労働委員会の付帯決議には 「二 ストレスチェック制度は、精神疾患の発見ではなく、メンタルヘルス不調の未然防止を主たる目的とする位置付けであることを明確にし、事業者及び労働者に誤解を招くことのないようにする……」 「三 ストレスチェック制度については、労働者個人が特定されずに職場ごとのストレスの状況を事業者が把握し、職場環境の改善を図る仕組みを検討すること。」 とあります。
 目的が第一次予防とすることが強く謳われています。
 法改正をうけての厚労省は、制度の目的を第一次予防を主な目的とするとしながら、労働者自身のストレスへの気付きを促す、ストレスの原因となる職場環境の改善につなげるの項目を挙げて説明しています。
 しかし厚労省が作成した改正の概要説明は、ストレスチェック方法だけなのです。職場環境の改善の課題などはまったく問題にされていません。

 第一次予防が目的なら、労働者がストレスチェックを受けることが義務ではないのは当然ですが、チェック票は無記名での提出でも有効です。無記名で労働者は 「気付き」 はできます。しかしそれは許されません。使用者はあくまで個人の健康状態を管理したいのです。ここに法改正の本音があります。
 専門検討会は付帯決議を無視することができません。しかし議論の中で委員の中から 「付帯決議にどこまで拘束されなければならないのか」 というような発言がありました。
 法律は成立してしまえばこちらのものだとでも言いたげです。


 確かに厚労省にとっては当初の目的と法改正に至る経過での議論に大きく違いが生じてしまいました。苦し紛れに、ストレスチェックは情報提供ということで第一次予防でもあるといような解釈論まで出してきました。情報提供は、未然防止のためのものであって 「気付き」 は情報提供ではありません。第一次予防をこのように歪曲して捉えると本来の予防が根本的におろそかになります。
 「気付き」 ・セルフケアを第一次予防に含ませてまで制度を強行しようとする中に労働者の自己責任論と使用者の責任放棄救済の姿勢が浮かび上がってきます。

 専門検討会ではストレスチェック票の保存管理を誰がするのかという質問も出されました。
 ストレスチェックの結果、労働者の体調不良が明らかになったら医師や保健師は結果を通知します。労働者は面接を希望する時は事業者に面接の申し出をすることができます。厚労省はこのようなシステムだから、事業者は労働者個人の情報を勝手に取得できないと説明します。
 ではチェック票はだれが管理するのでしょうか。ちゃんとした保健室があり、産業医や看護師がいる職場ならそこが管理するでしょうが、常駐の医療関係者がいない事業所はたくさんあります。非常勤の産業医や名目だけの場合はその産業医の所属する機関が管理するのでしょうか。ストレスチェック法は事業主が管理するのだそうです。猫に魚の番をさせることになります。労働者の不信は消えません。

 このような未解決の課題だけでなく、これまで繰り返して主張してきたように本来的にストレスチェック制度は労務管理の視点でも危険性を含んでいます。
 7月28日に、全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局といじめ メンタルヘルス労働者支援センターは厚生労働者当てに下記のような要請書を提出しました。

      ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
                  要 請 書

 6月19日に 「ストレスチェック法案」 と呼ばれた労働安全衛生法改正法案は、衆議院本会議で全会一致で可決・成立しました。可決に際しては衆議院厚生労働委員会で付帯決議が付けられました。
 成立したことを踏まえ現在は、ストレスチェック項目等に関する専門検討会が開催されています。専門検討会では改正法律の今後の運用の方向性などを決定します。
 私たちは専門検討会での結論が国会での審議と付帯決議を踏まえたものになるよう以下の要請をします。

1 7月15日に開催された第2回ストレスチェック項目等に関する専門検討において、参集者の1人が 「付
 帯決議はどの程度の拘束力があるのか」 という趣旨の発言をした。
  この発言は、国会での法案審理を経て成立した法律の趣旨を軽視するものであり、今後条文の勝手な
 解釈が行われる危険性があると受け止めざるを得ない。
  今後の議論は、付帯決議を充分に活かしたものになるよう要請する。

2 衆議院厚生労働委員会の付帯決議には 「二 ストレスチェック制度は、精神疾患の発見ではなく、メン
 タルヘルス不調の未然防止を主たる目的とする位置付けであることを明確にし、事業者及び労働者に
 誤解を招くことのないようにする……」 「三 ストレスチェック制度については、労働者個人が特定されず
 に職場ごとのストレスの状況を事業者が把握し、職場環境の改善を図る仕組みを検討すること。」 とあ
 る。
  改正法律の運用に際しては、メンタルヘルス不調の未然防止のための、いわゆる第一次予防が主た
 る目的であることをはっきりさせ、チェック項目については職場環境改善に重点をおいたものにするととも
 に、「調査票」 の提出に際しては無記名にすることを要請する。

3 労働安全衛生法改正法案には当初 「二 労働者は、一による検査を受けなければならないものとする
 こと。」 の条文が盛り込まれていたが、国会に上程される過程の議論で削除に至った経緯がある。
  衆議院厚生労働委員会の付帯決議には 「ストレスチェック制度の実施に当たっては、労働者の意向
 が十分に尊重されるよう、事業者が行う検査を受けないことを選んだ労働者が、それを理由に不利益な
 取り扱いを受けることのないようにすること。」 とある。
  ストレスチェックが労働者への “気付き” を促すためのものであるなら 「調査票」 の提出は必ずしも必
 要とはならない。
  改正法律には、面接指導の申し出をもって不利益な取り扱いをしてはいけないとなっているが、それ以
 外のことについては及んでいない。
  経緯を踏まえ、厚労省は、労働者が検査を拒否または 「調査票」 を提出しなくても不利益な扱いを受
 けないことを周知徹底するとともに、今後作成されるリーフレット等に明記することを要請する。

4 衆議院厚生労働委員会の付帯決議には 「検査項目については、その信頼性・妥当性を十分に検討
 し、検査の実施が職場の不利益を招くことがないようにすること。」 とある。
  労働者個人についてのストレスチェックについては科学的にも実務的にも解決すべき多くの課題を有
 している。
  第1回専門検討会に提出された資料でイギリスの例が紹介されている。
  そこには記載されていないが、イギリスのストレス調査は 「職場のストレスの多くの原因は、人事関係
 の問題である。職場のいじめ、長時間労働の慣習、人員整理とそれによって残された人々にかかる作
 業負荷、そして、女性差別や民族差別のようなことは、全て人事 (HR) が対処すべき問題である。」 「も
 し事業者が労働時間、労働量、管理形式のような分野に及ぶ基準を満たそうとするなら、人事部は重
 要な役割を果たさなければならない。」 ということを目的とされている。人事関係・人事部の問題こそが
 調査されるのである。
  ストレスチェックに際しては、会社に不満を持っている労働者の洗い出しをすると疑われるような項目
 を排除するとともに、調査結果として明らかになった職場環境改善項目を公表して使用者に取り組みを
 義務付けることを要請する。

5 職場のメンタルヘルス対策は、ストレスに強い労働者を作り出すこと、体調不良に陥った労働者を排
 除すること、さらには使用者の安全配慮義務が免責されるものであるようなことは許されない。
  しかし実際はそのような対応がはびこっている。
  例えば、2012年12月23日に報道されたように、コンビニエンスストア大手のローソンは、健康診断を
 受けない社員の賞与を15%減額する異例の制度を導入しようとした。目的は体調不良者のあぶり出し
 である。
  健康診断の結果によるものでしかない同意のない配置転換、退職勧奨・強要が続いている。また過重
 労働で体調を崩したことによって解雇に至った裁判では、当該が申告しなかったことを理由に過失相殺
 が行われている。

  労働安全衛生行政は、使用者を救済するのではなく、労働者が健康で、安全に安心して働き続けるためのものであるという原点に立ち返ったものでなければならない。

                                 以 上

    関連:「活動報告」 2014.6.27
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「たくさんの違う考えが平和への大きな力となることを信じて」
2014/08/08(Fri)
 8月8日 (金)

 8月6日、広島平和記念式典はテレビで観ました。

 雨の中の式典は43年ぶりだと言います。
 43年前の1971年の平和記念式典を覚えています。初めて日本国首相が式典に出席しました。首相は佐藤栄作です。ベトナム戦争が激化していく中で日米安保体制が強化されます。沖縄 「復帰」 の直前です。
 首相の挨拶の番になると、反対する被爆2世の青年たちが会場で抗議のために駆け寄ろうとしました。その団体ではありませんが会場にいた友人も思わず同調して駆け出して逮捕されてしまいました。
 詩人の栗原貞子さんは 「広島の人々にとって平和と言う言葉は、ひりひり痛みをともなった感覚的な言葉である。」 と語っていました。
 首相の言動は、多くの広島市民の思いとはかけ離れていました。

 栗原貞子さんが翌年に発表した詩です。

  『ヒロシマというとき』

  〈ヒロシマ〉 というとき
  〈ああ ヒロシマ〉 と
  やさしくこたえてくれるだろうか
  〈ヒロシマ〉 といえば 〈パール・ハーバー〉
  〈ヒロシマ〉 といえば 〈南京虐殺〉
  〈ヒロシマ〉 といえば 女や子供を 
  壕のなかにとじこめ
  ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
  〈ヒロシマ〉 といえば
  血と炎のこだまが 返って来るのだ

  〈ヒロシマ〉 といえば
  〈ああ ヒロシマ〉 とやさしくは
  返ってこない
  アジアの国々の死者たちや無告の民が
  いっせいに犯されたものの怒りを
  噴き出すのだ
  〈ヒロシマ〉 といえば
  〈ああヒロシマ〉 と
  やさしくかえってくるためには
  捨てた筈の武器を ほんとうに 
  捨てねばならない
  異国の基地を撤去せねばならない
  その日までヒロシマは
  残酷と不信のにがい都市だ
  私たちは潜在する放射能に
  灼かれるパリアだ

  〈ヒロシマ〉 といえば
  〈ああヒロシマ〉 と
  やさしいこたえが
  かえって来るためには
  わたしたちは
  わたしたちの汚れた手を
  きよめねばならない


 今年、安倍首相は何しに行ったのでしょうか。市長の平和宣言、子どもたちの 「平和の誓い」 被爆者たちとの交流での要請をどんな思いで聞いていたでしょうか。スケジュール消化でしかないようです。

 子どもたちの 「平和への誓い」 です。

「わたしたちは、信 (しん) じることができませんでした。
 69年前の8月6日、この広島 (ひろしま) に原子爆弾 (ばくだん) が落 (お) とされ、多くの尊 (とうと) い命 (いのち) が奪 (うば) われたことを。……
 広島に育 (そだ) つわたしたちは、広島の被害 (ひがい)、悲 (かな) しみ、そして、強さを学びました。
 爆風により、多くの建物 (たてもの) がくずれました。家や家族 (かぞく) を失 (うしな) い、ふつうの生活がなくなりました。
 その中で、水道は1日も止まることなく、市内電車は、3日後には再(ふたた)び走りはじめました。
 広島は人々の努力 (どりょく) によって、町も心も復興 (ふっこう) したのです。
 悲しみや苦 (くる) しみの中で、生きることへの希望 (きぼう) を見つけ、生き抜 (ぬ) いた人々に感謝 (かんしゃ) します。
 当たり前であることが、平和 (へいわ) なのだと気がつきました。……
 わたしたちは、もう行動 (こうどう) をはじめています。友達 (ともだち) を大切にし、優 (やさ) しく接 (せっ) しています。
 家族や被爆体験者 (たいけんしゃ) から被爆の事実 (じじつ) と平和への思いを聞いています。
 平和の思いを込 (こ) めて、毎年千羽鶴 (づる) を折 (お) り、慰霊碑 (いれいひ) に捧 (ささ) げています。
 平和とは何か自分で考え、友達とも意見 (いけん) を交流 (こうりゅう) しています。
 平和について考えることで、仲間 (なかま) とつながりました。
 わたしたちは、できることからはじめる勇気 (ゆうき) をもつことができました。
 Welcome to Hiroshima.
 みなさんをここ広島で待 (ま) っています。
 平和について、これからについて共 (とも) に語り合い、話し合いましょう。
 たくさんの違 (ちが) う考えが平和への大きな力となることを信じて。」


 被爆体験を聞き、勉強するなかから強さを学んだと言います。
 「ふつうの生活がなくなりました。その中で、水道は1日も止まることなく、市内電車は、3日後には再び走りはじめました。」 と語りました。

 広島の水道についてついては2012年2月21日の 「活動報告」 に書きましたが、1人の技手 (ぎて) の奮闘で浄水場から給水が止まることはありませんでした。使命感と職人の技能発揮です。
 その後も水道管が破裂していたり、漏水などへの対応など悪戦苦闘は続き、復興は思うように進みません。しかし水道課職員は 「水がのうては市民は生活ができん。食料をはじめ諸物資が不足している折から、……。せめて水だけでも充分市民に飲んでもらおうじゃないか。」 という思いで作業を続けます。
 その結果、市周辺の末端まで水が届くようになったのは翌年の4月上旬です。


 市内電車です。
 
 広島電鉄の当時の在籍従業員数は1.241人、当日の出勤者は約950人です。このうち死亡者は221人、負傷者は289人におよびました。
 123車両を保有し、8時15分は70両が走っていました。しかし原爆で22両が全焼したのをはじめ108車両が被害を受け、完全に動けたのは3台だけでした。

 戦争が拡大すると広島電鉄の社員は次々に召集されていきます。そのため、労働力確保策として、43年4月に、高等女学校程度の教科を修得しながら、半日は車掌業務をする広島電鉄家政女学校が設立されます。
 当時も運転手や車掌たちのなかには、広島電鉄家政女学校の女学生や50人ぐらいの女子挺身隊、動員学徒が働いていました。

 原爆で一瞬のうちに広島市街の中心部は、いたるところに鉄骨だけになった電車の残骸が横たわっていました。
 しかし会社は電車を走らすという決定を6日のうちに行いました。
 会社内部でもこんな焼野原に電車を走らせるなんてナンセンス呼ばわりの意見もありました。しかし社会の治安を維持し、都市の復興を促進するためには、先ず交通運輸の再建を急がなければならないという信念のもとに翌日から直ちに準備にとりかかります。
 爆心地から西方約15キロメートルにあった廿日市変電所は被災をまぬがれました。そこから送電のための架線応急措置が、東京電信隊など約40人の応援により徹夜でほどこされました。

 そして9日、己斐と西天満間で単線1.4キロの折り返し運転が開始されます。
 試運転の運転手は、運転士になって1年余りだった16歳の山崎政雄さんです。窓ガラスが吹き飛んだ車輌です。一部倒壊した鉄橋を渡るときは身体が震えたといいます。がれきからはみ出る黒焦げの遺体を直視できず、前だけを見て走らせたといいます。
 あふれんばかりの客を乗せて一番電車は走りました。出発の合図の 「チンチン」 という鐘の音は曠野に響き、がれきを片付ける人たちが振り向きました。走る姿は市民に勇気を与えたと今も語り継がれています。普段は5分間の区間を15分かけて走らせました。
 数年後、「一番電車は希望の象徴だった」 と人づてに聞きました。誇らしく思う一方、運転台から見た惨状は脳裏に焼き付いて消えませんでした。自身がそれを運転したことは家族にも言えず、ずっと後まで記憶の奥底にしまい込んできました。
 体験を語るきっかけになったのは03年のイラク戦争でした。子供や女性が無残に殺されているニュースが遠い国の出来事とは思えなくなりました。「原爆の恐ろしさと命の大切さを知ってほしい」 と思ったということです。

 車掌を務めた電鉄家政女学校2年生の赤松さんです。
 己斐の宮島線の詰所へ行き、顔を知らない会社の人からキップも釣銭もない鞄を手渡され 「お金のない人からは、電車賃もらわんでも、ええで」 と言うことでした。
 乗務して見れば、己斐から天満町の折り返しです。「有り難うございました」 「済みません」 と言い、電車賃の払えない人も多かったように思います。

 「チンチン」 という鐘の音は曠野に響き、「一番電車は希望の象徴だった」。
 その後距離を延ばしていきました。
 今も被爆電車2両が走っています。


 水道、市内電車だけでなく、鉄道、通信、病院、報道、市役所などなどそれぞれの奮闘が復興を速めました。
 その奮闘を子どもたちは知り、感謝しています。
 そして同じことを繰り返さないと誓っています。


 静かに迎えてきた8月が騒がしい8月に変わっています。
 広島から、沖縄から、そして沖縄からの声が消し去られようとしています。
 「過ちが繰り返される」 危険が押し寄せてきているように感じます。
 しかし、繰り返させてはいけません。

    「活動報告」 2012.2.21
 
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