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震災復興にむけて抜本的政策転換を
2014/07/29(Tue)
 7月29日 (火)

 7月27日の 『毎日新聞』 朝刊一面に 「被災42市町村 震災理由に106人退職」 の見出し記事が載りました。

 毎日新聞は5月から7月、42市町村 (岩手12、宮城15、福島15) にアンケート調査をおこないました。その結果、2011年3月11日から14年3月までの早期退職者は1.843人で、このうち震災や原発事故が理由とみられる退職者数は12市町村で106人に上ったといいます。退職理由を 「特定できない」 と回答した自治体もあり、さらに多くの職員が震災をきっかけに退職を余儀なくされた可能性があるといいます。
 自治体別では、福島県双葉町21人、大熊町17人、いわき市15人、浪江町14人の順で、福島県で全体の8割超の91人を占めました。職員自身が移住を迫られたり、家族が別々の生活を余儀なくされたりしています。業務が大きく変わったりしていることもあげられます。岩手県では大槌町3人、宮城県では山元町7人、東松島市5人です。大槌町は津波で職員から多くの犠牲者がでました。そして12年1月に派遣されていた職員が自殺をしてしまいました。今は月2回 「ノー残業デー」 を設けているといいます。
 退職理由を複数選択で尋ねたら、3県で 「震災・原発事故による移住」 が35人、「業務増による過労」 が19人、「被災した住民の対応の疲れ」 が9人、「心の病気」 が8人でした。その他は「被災した自宅の整理」 「家族などの避難」 「業務対応の変化」 などだったといいます。

 早期退職者は震災直後の11年度が最も多く、13年度でも岩手64人 (09年度は44人)、宮城254人 (同191人)、福島186人 (同176人)です。年代別では50代が多いといいます。11年度に福島県においては公立病院の閉鎖による退職もありました。それでも多すぎます。

 自治体に 「労働環境への懸念」を尋ねました。「多くの職員が住宅再建を果たせていない」 (岩手県大槌町)、「復興のさなかで最も力を傾注すべき時だが、職員は震災直後から走り続けている」 (宮城県石巻市)、「避難先から通勤する数十人の職員の疲労を懸念」 (福島県川内村) などの声が寄せられました。これ以外にも 「業務量が増加傾向で、慢性的な人手不足」 (岩手県岩泉町)、「震災の風化に伴い、派遣職員数の減少を懸念」 (宮城県東松島市)、「プレハブ仮設庁舎は暑さ寒さ、狭さなど不便」 (宮城県亘理町)、「役場も職員も避難し、通勤時間が長くなった」 (福島県飯館村)、「役場機能が分散され、多くの職員数が必要」 (福島県双葉町)、「精神的疲労が蓄積し心の病気の発症を懸念」 (福島県大熊町) などが寄せられました。

 県によって特徴があるようです。岩手県は復興期に入って、業務が急増、しかもこれまで経験したことがないものです。そのため人員・人材不足と長時間労働が問題になっています。そのため復興予算未消化の問題も起きています。
 宮城県からは被災地では風化がいわれ始めています。東京オリンピック開催決定以降、建設工事に従事する労働力不足が深刻化し、さらに人件費と機材が高騰しています。そのため復興住宅工事などでも遅延が起きています。仮に沖縄の辺野古基地建設が始まったとしたら被災地はさらに放置されるのではないかという懸念が生まれています。
 このような状況は、住民の不満や不安が自治体職員に向けられることもあります。そのことによって士気が下がり、体調を崩したり、退職につながっていくということも起きています。
 福島県は復興期と言えない状況です。震災直後の状況がそのまま続いています。


 福島県浪江町の状況が詳しく紹介されています。
 町は昨年11月に全職員を対象にストレス調査を実施しました。その結果、抑うつや自信喪失、無気力などを示す数値が全国平均と比べて極めて高かったといいます。
 全町避難に伴い町機能の拠点を二本松市に移しました。昨年4月に町の本庁舎に戻り一部の業務を再開させましたが、出張所は二本松市の他5市町にあります。職員が分散された他、求められる業務も一変し、職員は専門外の業務も担当せざるを得ません。
 2010年度の決算は101億8250万円でした。今年度予算は当初予算だけで133億6700万円です。しかし職員数は、10年度は178人でしたが現在は派遣職員23人を合わせて181人です。
 浪江町で早期退職した14人の理由は 「職員の移住」 と「業務増による過労」 が半々でした。精神的な病気を理由にした休職は年間に6~7人で、震災前より倍増しているといいます。
 行政係長は 「職員が良い未来を想像できず、無気力や自信喪失につながると何とかしなければいけない、だが、業務に忙殺され自分のカラーを出せる状況になく、やる気があるがゆえにがっくりきている若手がいる」 と苦悩しているといいます。


 数ヶ月前のテレビで南相馬市に新卒で採用された地元出身の職員が取り上げられていました。業務は放射能除染作業ででた大量の除染土の仮処分場探しです。住民に要請に行きますが仮処分場とはいいながら期限がありません。「自分の仕事は故郷に新しい原発を建設することと同じではないかと思うことがあります」 というようなことを語っていました。復興に向けてと思いながら忸怩たる思いに至ります。

 3月22日の 『河北新報』 に 「被災地職員不足 被災市町村の職員不足/現場、復興遅れを危惧」 の見出し記事が載りました。
 南相馬市の職員不足について触れています。
 被災や避難を理由に震災発生から本年度までに早期退職する職員が一般職で約80人に達し、新年度の一般職全体で見ると1割以上に当たるといいます。
 14年度に復興事業が加速し、一般会計当初予算案は過去最高の1213億円を計上し、集団移転や農地の除染を本格化させます。市内の居住者は事故前の7割に当たる約5万2000人。働き手を中心に約1万4000人が市外に避難しています。市は、応援派遣で賄えない職員不足を任期付き職員の採用で補う考えだが、市内の求職者は限られて任期付き職員の採用にも苦慮しているといいます。


 6月12日の 『福島民報』 に 「【被災自治体職員】  『心のケア』 支援強化を」 の見出し記事が載りました。
 被災地の自治体職員らの蓄積された疲労も見過ごせないと問題を提起しています。復興を担う重責から、精神的に追い込まれるケースが出ていますが職場内での対応は限界だろうとの見方もあるといいます。
 ふくしま心のケアセンターと福島医大が1月に実施した調査で、県内の被災地の、ある自治体職員のうつ病率は92人の中で14人に上り、全体の15%を占めたといいます。さらに8人が自殺の危険性があると判定されました。心の病である 「パニック障害」 「広場恐怖」 も見られたといいます。調査に当たった福島医大の前田正治教授は 「極めて深刻な事態だ。全国のどの自治体でも見られないほどの高率だと推測される」 と説明しています。そして被災地の他自治体をはじめ、住民の生活再建に関わる医療、福祉、教育などの従事者も同じ傾向にあるのではないかと指摘しています。

 平常時に培った住民との信頼関係が崩れてしまい、住民からの怒り、非難、不満などを受ける心理的な影響は大きいものがあります。仕事量は増えたのに休みは取りにくく、復興の見通しが立たないとの目標喪失感もあるといいます。調査対象となった自治体の職員からは 「仕事量は震災前の数倍になった感覚だ」 「1人が休めば、他に負担がいくため休めない」 との声が聞かれたといいます。職員自身も被災者で、家族と離れて暮らす人が多く、睡眠不足や食欲不振に陥り、心の病を発症してしまっているといいます。


 3月22日の 『河北新報』 です。
 宮城県石巻市は、14年度は住宅再建、復興まちづくり事業が本格化します。一般会計当初予算に計上した災害公営住宅の整備費は前年度当初の3倍となる409億円です。高台や内陸への集団移転の事業費も9.7%増の430億円に上ります。
 復興事業部の職員は、全国自治体から派遣された80人を含め161人。現場はさらに50人ほどの増員を望むが、補充は17人にとどまる見込みだといいます。

 これまで全国の自治体から被災地の自治体に恒常的に約2.000人の職員派遣が行われていました。13年度被災地からの派遣職員要望は1.448人でした。被災地にとって派遣職員は頼みの綱です。特に土木、建築関係の専門家が不足しています。しかし実際は1.289人です。派遣職員を送り出す自治体も疲弊しています。

 職員のメンタルヘルスケアも必要です。
 1年半を経た頃から今日まで被災地の自治体労働者の中から3人の自殺者が出ています。
 いずれも自殺に至ったのは土・日曜日またはお正月です。派遣されていた2人は赴任からしばらく経って、期間が予定の半分に至る前です。多忙ななかでもふと一息入れて自己を取り戻した時、この後先が見えない業務量と自責の念で展望を失ってしまったのでしょうか。
 有効性のある対策が急務です。

 7月16日の 『河北新報』 は 「被災市町の復興状況、独自に数値化し支援へ 宮城沿岸14市町」 の見出し記事を載せました。
 宮城県は、東日本大震災で被災した沿岸14市町の復興状況について、住宅地、災害公営住宅、産業・公益施設用地の3分野について進行状況を指標化し、今年6月末時点の進行率をまとめました。指標は、各市町の復興状況を共通の物差しで判断しようと県土木部が独自に定めました。用地買収や造成など事業の進み具合に応じて点数を加え、計画がどこまで進んだかをパーセントで表しました。

 全体では、最も高いのは岩沼市の73%で、亘理町の58%、松島町の54%と続いきます。これに対し、最も低いのは名取市の18%。石巻市33%、気仙沼市38%など事業量の多い自治体は、相対的に進行率が低くなる傾向が確認できました。
 分野別に、防災集団移転などに伴う住宅地の整備は、県全体で計画の45%に達しました。
 沿岸部の6地区が集団移転する玉浦西地区の引き渡しを終えた岩沼市が90%で最も高くなっています。移転用地の造成が進んだ亘理町も76%に上る。一方で、名取市は閖上地区の住民合意が進まないことなどから26%でした。
 災害公営住宅の整備は県全体で40%。仙台、岩沼両市と松島、七ケ浜、亘理の3町が順調な一方、名取市は14%にとどまっています。塩釜市26%、南三陸24%、女川町28%と遅れも目立ちます。
 産業・公益施設用地は全県で29%です。職住近接で水産加工など基盤産業の復興に力を注ぐ南三陸、女川、山元の3町が高くなっています。集団移転後の跡地を産業用地に転換する自治体は、実現まで時間がかかるため進行率が低くなっています。


 被災地は深刻な状況が続いています。
 しかし政府は、住宅建設を優先するのではなく、住民の反対を押し切って海岸に巨大な防潮堤を建設する工事を強行しています。建設企業や資材関連企業などが潤うことを復興と捉えています。
 政府は、被災者が福島に戻ることを諦め、被災地で声を挙げる被災者が疲れはて、自己責任で生活維持できない被災者がいなくなったら震災問題は解決すると捉えています。

 被災者の命を守らない政府に抜本的政策転換を迫っていかなければなりません。
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労働行政が 政・労・使ではなく、使・労・使になっている
2014/07/24(Thu)
 7月24日 (木)

 7月17日、全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局は厚労省に要請行動を行ないました。
 今回の要請行動は、3月28日に全国労働安全衛生センター連絡会議が開催した要請行動における厚労省の回答を踏まえ、安全衛生の問題と労災補償の項目にしぼった内容です。事前に要請を送っておきまおうですした。

 一問一答のやり取りではなく、メンハラ局からの再質問、あらためての要請・提案という形で進められました。
項目ごとの要請提案を中心に報告します。

 職場のパワハラ予防・防止対策について、です。
 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 が活用されているようにおもわれません。問題が発生した事象の原因、経過に遡ることなく結果だけを争点にして提言の中の “パワハラの定義” の解釈だけが一人歩きして、「抵触する」 「抵触しない」 の議論になっています。そしてパワハラが法律論争になります。予防・防止の視点が活かされていません。裁判で判決も出されていますが、勝訴・敗訴の “結果” だけが問題にされます。

 安全衛生センターメン・ハラ対策局は、“パワハラの定義” の解釈ではなく、これまでいじめ問題等の裁判で原因・背景や経過を踏まえた結果に触れている判決から人権問題や安全配慮義務、対応の問題に触れている個所をピックアップしてまとめただけでもガイドラインの概略はつくれると提案しました。判例ということでは労使とも文句はつけにくいです。そうすると活用しやすくなります。
 セクシャルハラスメントについてはガイドラインを制定し、その運用経緯を踏まえて豊富化させていきました。
 いじめ問題も、職場のありかたを問題にすることで労使関係は再構築できます。そして将来的には防止法を制定させる必要があります。

 厚労省は、周知、啓発、取り組み支援を行っていく。モデル事業で啓蒙していく、都道府県のとりくみ支援していくという回答でした。


 職場の過重労働による健康障害の防止対策についてです。
 厚生労働省や総務省が発表している時間外労働の実態と、昨年12月17日に厚労省が公表した 「『使い捨て』 が疑われる企業等への重点監督の実施状況」 には大きな差があります。原因は、企業が作成した回答と、実際の立ち入り調査の結果の違いです。

 現在、労働時間の調査は厚労省と総務省の生活実態調査が行われています。
 総務省調査では直接個人を対象にした調査です。大まかな時間外労働時間は掌握できても詳細はわかりません。昨今はILOなどへの報告にもこの数字が使用されています。それでもかなりの時間外労働です。
 厚労省が行う労働時間調査は企業に対する調査です。どう回答するかは企業次第です。都合悪い回答をするはずがありません。ですからその調査結果は実態を示していません。
 例えば、昨年年末に厚労省から発表された労働基準監督署の立ち入り調査による実態把握・指導の状況とは差が大きすぎます。立ち入り調査をした企業は、違法性があると通報があったなどと説明されますが、通報があったのは氷山の一角です。
 日本の労働法制は労働者を保護するものになっていません。
 労働者の保護のためには、過労死、過労自殺の温床となっている 「特定条項付き時間外労働に関する労使協定 (平成15年10月22日、基発1022003号) 通達」 を早急に廃止することが必要です。「通達」 は労働組合が機能していないことを前提にして協定が必要と謳っています。
 そして、1日の最低の睡眠時間を保障するために、労働者が健康を維持し、安全に働き続けるための最低の条件である 「休息時間 (勤務と勤務の間隔)」 (勤務間インターバル) の規制を早急に法的に設けることが必要です。

 厚労省は現在でも労働時間の正確な実態調査をちゃんと行っているという回答です。法律で上限規制は行われていると言います。ではなぜ過労死は起きているのでしょうか。
 実態は言い訳にもなりません。
 インターバルは労政審でも議論になっていると説明します。しかし残業代ゼロの新制度と一緒の審議です。矛盾することが同時に進められています。

 長時間労働を防止するために長時間・過重労働が原因で労働者等が脳・心臓疾患や精神障害を発症して労災認定された企業について、企業名を公表することを要請しました。

 厚労省の回答は、特定の個人を識別できる恐れがある、法人の信用低下を招く恐れがあるということでした。

 それでは労災を発生させた企業の不法行為に対する制裁は発生しないことになります。企業が調査に非協力的になるということですが、企業の説明責任放棄とみなす対応の方が協力を得られやすくなります。厚労省は企業に遠慮しているのではなくなめられています。労働行政が政・労・使ではなく、使・労・使になっています。


 心の健康問題で休業した労働者の職場復帰支援についてです。
 いろいろな調査結果からは休職者の職場復帰が困難な状況がうかがわれます。職場復帰については全国の労働組合・ユニオンはたくさんの成功例 (失敗例も) を持っています。モデルプログラムの策定・提供を進めるに際しては、その経験を共有するために全国の労働組合・ユニオンからの意見聴取することが有効です。
 さらに中小企業は 「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」 を活用するための労務管理、安全衛生管理の体制が充分ではありません。中小企業でも活用可能な「手引き」を作成することが緊急に必要です。

 職場復帰は、休職に至った原因から問題を捉えなおして理解し合わなければ成功しません。職場のストレス要因を撤去する取り組みから開始されなければなりません。一方だけの改善ではなく労使双方が成長しなければうまく行きません。そして結果としては必ずしも復職することだけが解決ではありません。復職は労働者の側が “恨みを解消するため” の手段ではありません。
 復職は、職場に復職して半年間位ちゃんと出勤できて初めて成功と言えます。そのためには個人に努力を課すだけではなく周囲のサポートが必要となります。


 メンタルヘルス対策に関する労働安全衛生法の一部改正、いわゆるストレスチェック法案についてです。
 要請書を作成、提出する時から要請行動を行なうまでの間に法案が成立してしまいました。
 そこで、あらためての要請として、法案成立に当っての付帯決議を遵守することを要請しました。(2014年6月27日の 「活動報告」 参照)
 改正された安衛法は、ストレスチェックを労働者に義務付ける項目は削除されました。ストレスチェックが悪用されて労働者が不利益を被っている現実があることを踏まえたならば、今後作成されるリーフレットにはきちんと義務ではないことを記述することを要請しました。“気づき” を促すことが目的なら調査票の提出は労働者の自由でいいはずです。
 そもそも、労働者のストレスを個人の問題として個人のチェックをすることが解決になるなどと捉えているのは日本だけです。日本はすべてが自己責任なのです。
 そうではなく、職場のメンタルヘルス対策は予防・防止から取り組む必要があります。


 精神障害の労災認定状況についてです。
 2013年度の精神障害の労災認定状況は、要請書を作成、提出した後、要請行動までの間に発表されました。年間を通して 「認定基準」 による決定が行われて2年目です。まだ傾向をつかむのは難しいです。
 そこで、2013年度の精神障害の労災認定状況について報道関係に公表された以外の項目について質問しました。

 要請行動での回答ではありませんが、厚労省としては昨年秋、労災課の給付調査担当者を対象に 「認定基準」 を開催したようです。都道府県ごの支給決定状況のばらつきについて気になっているのでしょうか。

    「活動報告」 2014.6.27
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「残業代ゼロ」 に人権回復、生活権獲得を対抗させて阻止しよう
2014/07/18(Fri)
 7月18日 (金)

 安倍政権が掲げる 「日本再興戦略」 の労働分野について、7月7日から労働政策審議会での議論が開始されました。いわゆる産業競争力会議を経て政府が決定した労働時間法制を見直す制度・「残業代ゼロ」 の創設の提案などです。
 
 この間の経緯です。
 政府の産業競争力会議で、長谷川閑史経済同友会代表幹事は労働時間法制を見直す制度の創設を提案しました。賃金を労働時間ではなく仕事の「成果」に対して支払うという内容で、労働者は労働時間を自己裁量でき、「効率的な働き方」 ができ、企業としては競争力を高めるために 「柔軟な働き方」 の選択肢をもうけるためだといいます。いずれもあいまいで騙しの表現です。そもそも労働者の自由時間を増やすこと企業の競争力を高めるという政策は相反することです。
 厚労省は当初、新制度に対して 「働き手を守る規制がなくなる」 と慎重でした。安倍首相が5月28日の産業競争力会議で導入を指示すると姿勢を変えましたが、田村厚労相は対象者を世界で活躍する為替ディーラーなどに限るよう主張していました。これに対して甘利経済再生担当相は 「限定しすぎだ」 と突き返し、調整は難航していました。

 6月11日、関係閣僚会議は新制度の対象者を 「職務が明確で高い能力を有する者」 で 「少なくとも年収1千万円以上」 とすることを決定します。
 11日の決定後の会見で、甘利経済再生担当相は規制緩和への道が開けたことを強調しました。一方、田村厚労相は厚労省内に不満は残っていることを踏まえて 「普通の課長代理などは対象外」 と語りました。

 6月24日の閣僚会議を経て、今後、厚労省は労働政策審議会で詳細を詰め、来年の通常国会に労基法改正案を提出して2016年4月からの適用をめざします。


 「残業代ゼロ」 制度が明らかになると、すぐに国会の議論で取り上げられました。
 6月6日の衆議院厚生労働委員会での民主党議員の質問です。
 「とても安定雇用とは言えない。まさにギャンブルのような人生を国民に強いるわけであります。」
 また、残業代ゼロ制度をサラリーマンだけに押しつけるとその後には公務員も対象になるのではないかという警戒も出されました。
 実際問題として、この問題が議論された国会開催中、厚労省職員の時間外労働は月100時間をかなり超えていたといいます。
 6月11日の衆議院厚生労働委員会での民主党議員の質問です。
「私、この年収要件に絡む残業代ゼロ制度というのは、アリの一穴法案と呼びたいと思うんですね。
 つまり、労働法制というのはいつもパターンがあるんです。最初は労働者派遣法も、ごく限定的に、希望者だけで、不本意な人にはふやしません、多様な働き方で、こういう働き方を好む人がいるんですと言って、ふやしません、ふやしませんと言って一回導入したら、どんどんどんどん広がっていって、今国会で出ているように、対象業務も26専門業務から全業務に拡大していく。不本意な派遣が四割以上あるにもかかわらず、どんどんふやしていく。つまり、今回も、残業代ゼロ制度というものを労働基準法を改正して1回つくってしまうと、これはいかようにでもできるわけです。
 今、田村大臣がおっしゃったように、交渉力が強い人と言うけれども、労使の力関係というのは労働者側がはるかに弱いわけですから、それはもう、対等な人だけと言ったって、本人希望だけと言ったって、そんなもの守られませんよ、どう考えたって。さらに、年収要件も、今、田村大臣がおっしゃったように、いかようにでも変えていける。」

 的を得た質問です。新制度は廃案以外あり得ません。
 現在も労基法36条はザル法で無償の長時間労働がはびこっていますが、その状態が合法化されます。

 さらに1千万円より低い労働者には同じく残業代を支払わない方法として裁量労働制とフレックス制の拡大の制度設計を労政審に送りました。
 裁量労働制の実態については2014年5月20日の 「活動報告」 で報告しましたが、日本の労働問題の調査は生活実態には及ばない時間数が中心です。
 しかし労働時間制度については、時間数の問題だけでなく様々な問題が派生します。


 日本以外には裁量労働制はありません。
 ドイツでの変形労働についての調査結果が、中央労働災害防止協会の2013年3月29日の 「海外事情・国際協力」 で紹介されています。夜間労働、交代勤務または一般的な超過勤務を伝統的な変形労働と定義し、フレック労働時間と待機業務などの新たな労働形態を明確に区別しています。(詳細は、「いじめ メンタルヘルス労働者支援センター」 ⇒ 「労働安全衛生」 ⇒ 「海外のメンタルヘルスケア」 参照)
 抜粋して紹介します。


 ドイツの労働者に関する研究によれば、変形労働は労働者のストレスの度合い (levels) に影響を及ぼしているとされる。業務関連ストレスを取り扱うことについての労働安全衛生法改正の政策論議の過程においてこれらの研究が実施された。健康基金 「AOK」 による欠勤に関する年次報告によれば、就業時間と配置の柔軟化 (flexibilisation) は精神的歪 (Mental strain) と大きく関係していることを示唆する証拠を提供している。

  背景
 欠勤に関する年次報告書 (Annual Absenteeism Report) は、労働者のストレスと健康リスクの度合いに関する変形労働制 (flexible working) の影響に注目している。

  変形労働制の健康への影響に係る調査
 健康基金の科学研究所 (Wido) による調査結果は、変形労働が業務関連の精神的歪みに大きく影響していることを示している。この調査は、フレックス労働時間及びフレックス就業形態並びにこれらによる仕事と生活の不安定に注目している。業種横断的に抽出した2002人の労働者に対しての電話調査を2011年に実施したものであり、結果は次の通りである。
  • 筋骨格系苦痛に感じている:26.4%
  • 疲労を感じる:20.8%
  • 余暇の時間においても心を休めることができない:20.1%
  • 退屈で疲れる (uninspired and burned out):16.1%
  • 不眠症になった:15.3%
  • 仕事中の怒りに悩んでいる:15.1%

  ……
 2 変量及び多変量解析により変形労働制は精神的歪み、仕事上の歪み及び全体的満足をそれぞれ影響していることが明らかにされた。しかし、これら3つの要因はすべて下記事項によりマイナスの影響を受ける。
  • 時間外労働の形態
  • 労働時間の決定に対する発言権
  • 通勤時間と距離

 精神的歪みは、仕事と生活の不安定に最も大きく影響される。介護休暇をとる機会がないことは精神的健康に最悪の影響を与え、次いで余暇時間、通勤時間及び時間外労働となっている。
 総体的にみて伝統的変形労働は、フレックスタイムの欠如、労働時間の決定についての発言力の少なさ、仕事を家に持って帰ること及び余暇時間中の電話またはメールによる連絡などの精神的歪みの原因と見られる。
 報告書は、健康へのリスクを減らすためには、雇用者は、雇用者は時間外労働の要求を避け、遠隔通勤を避けるために在宅勤務を促進することを提案している。また、労働者に労働時間の決定についてより多くの発言権を与えることが健康問題を防止するために必要であるとみられている。

  労働安全衛生法に関する議論
 ……
 欧州社会パートナーの業務関連ストレスに関する枠組み協定における評価報告によれば、EU13カ国とノルウェイ及びアイスランドでは法令において心理社会的リスクを取り扱っている。
 しかしながら、ドイツの労働安全衛生法 (1996年) は、精神的ハザードに関して明確な言及はしていない。そのかわり、これらのことは労働監督官及び産業医の概念と教育を通じて、またリスクアセスメントの実施指針及び管理者と被雇用者の教育訓練において取り扱われている。
 2011年に業務関連負荷に対する健康確保と促進についての情報シートがドイツ労働安全衛生戦略5か年計画(2013年~2018年)に組み込まれた。今後の活動は、各種安全衛生資格、健康リスクアセスメントの改善、好事例の周知普及、会社のおける設計計画に関連付けられることとなる。

  構想に対する批判
 しかしながら、5か年計画は労働組合及び反対派からは不十分と見られている。
……精神的歪みに対するリスクアセスメントを実施している企業は全体の20%のみであることを明らかにしている。この数値は現在の5か年計画の評価のための6,500社に対する調査結果によるものである。
 2012年7月、ドイツ金属工業労働組合は反ストレス規則に関する報告書において、業務関連ストレスのリスクアセスメントの実施の法制化を要請した。2012年秋には、4連邦州が共同して連邦州議会にこれらについての労働安全衛生法改正の法案提出を行った。これら4州においては、労働安全衛生法に精神的歪みの健康リスクの解析についての特定の規定を含めるべきであるとし、同法において業務組織、労働者の参加及び制裁規定を取り扱うべきであるとしている。2012年12月現在、これらは進行中である。

  注釈
 現在の公開 (国民的) 議論に対して、健康基金科学研究所の研究は労働時間と企業内を超えた時間と空間に業務関連ストレスの調査範囲を広げるべきことを強調している。


 ドイツでは 「夜間労働、交代勤務または一般的な超過勤務を伝統的な変形労働」 と定義しています。これらがまったく変形労働と意識されない日本とは問題の捉え方が違います。また 「労働時間と企業内を超えた時間と空間に業務関連ストレスの調査範囲を広げるべき」 ということも日本ではまったく問題にされません。日本では 「企業内を超えた時間と空間は」 企業のために犠牲にすべきものと捉えられています。
 EUからメンタルヘルスケアが遅れているといわれるドイツと比べたら、日本の労働者は人間扱いされていないとしかいいようがありません。


 新制度を 「残業代ゼロ法案」 と経済的側不利益から捉えていると 「成果」 で切り返されます。
 この後は労政審や国会審議への反撃、そして院外の大衆行動が新制度の成否を決定します。
 産業競争力会議の提案は過労死促進法案です。成立した 「過労死防止法案」 の具体的政策に盛り込まれる必要がある労働者の人権回復、生活権獲得を対抗させて提案を阻止して行かなければなりません。

    「活動報告」 2014.5.20

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旧フランステレコムで、今年1~3月10人の従業員が自殺
2014/07/15(Tue)
 7月15日 (火)

 AFP通信は7月8日、見出しが 「フランス、職場のストレス深刻化 人員削減などで自殺者も」 の記事を発信しました。
全文を紹介します。


 【7月8日 AFP】 競争、プレッシャー、嫌がらせ──労働関連の法整備が進んでいるといわれるフランスで、職場で繰り返される 「容赦のない」 精神的危機に直面するホワイトカラー労働者が増えている。
 専門家らによると、特にサービス業で働く労働者の間で、うつ病や長引く病気、極度の疲労で仕事への意欲を失う 「燃え尽き症候群」、さらには自殺が増えている。
 ファビエンヌ・ゴドフロアさん (41) は、フランス南西部トゥールーズ (Toulouse) の職場で2年間にわたり、性的、精神的な嫌がらせを受けた。重度の拒食症になって体重が30キロ減り、パラノイア (妄想症) を患った。
 ゴドフロアさんは、主任や上司から絶えず付きまとわれたり、会議でわいせつな言葉を浴びせられたりしたほか、自宅に匿名のわいせつ電話がかかってきたりして、自分が「追われている動物」のように感じたという。
 「仕事が原因で死にたいと思うこと。ええ、実際にあることよ」 と話すゴドフロアさんは、勤めていたフランス郵政公社を数か月前に辞め、今は2人の精神科医による観察のもと、治療を受けている。

 こうした状況はゴドフロアさんに限ったことではない。仏通信大手のオレンジ (Orange 、2013年7月1日に社名をフランステレコムから現社名に変更) で、2008~09年に従業員35人が相次いで自殺し、フランスの職場におけるストレスの深刻さが鮮明になった。
 自殺した人たちの一部は職場で命を絶った。大半の人が遺書を残していて、管理者に対する 「恐怖」 や、技能を無視した配置転換による精神的打撃など、批判がつづられている。
 ある男性従業員はコールセンターに回された後、橋から飛び降りた。会議で担当業務がなくなると知った男性技術者がその場で自殺を図った数日後、32歳の女性が職場の窓から飛び降りたケースもある。

  ■生産性向上のしわ寄せが従業員に

 12年7月、オレンジ (当時はフランステレコム) と同社のディディエ・ロンバール (Didier Lombard) 元最高経営責任者 (CEO) は同国で初めてハラスメントの容疑で訴追された。
 監視団体 「ストレス・強制流動性監視所 (Observatory for Stress and Forced Mobility)」 によると、オレンジでは今年1~3月の3カ月間で10人の従業員が自殺している。これは13年通年の自殺者とほぼ同じ数で、同団体はオレンジに対して 「重大な警告」 を発している。
 同団体広報担当者のピエール・モルビル (Pierre Morville) 氏は、オレンジの大規模な人員削減計画が従業員に絶望をもたらしたと説明した。従業員10万人のうち3万人を削減する大規模な計画で、フランス国内では過去20年で最大規模だ。
 モルビル氏は 「過剰な競争と市場の制約で、労働者は不安定になっている。米国や日本の経営手法が容赦のないやり方で適用されている」 と話した。
 欧州労働安全衛生機関 (European Agency for Health and Safety at Work) は、こうした問題はフランスに限ったことではないと指摘する。

 13年に発表された欧州31カ国が対象の調査によると、職場でのストレスは労働者の半数以上が経験する日常的なもので、不安定な雇用、過度の仕事量、嫌がらせは、職場におけるうつの最も一般的な原因として挙げられた。
 職場のリスク分析を専門とする仏コンサルタント会社テクノロジア (Technologia) のドニ・マイヤール (Denis Maillard) 氏は、「仕事に関連していたかつての身体的苦痛は、今は精神的苦痛に変わった」 と説明した。
 過去5年間にフランス企業100社を調査したテクノロジアによると、生産性向上への要請から最も従業員が精神的な問題を抱えやすかったのは、フランス郵政公社と雇用局 (Pôle emploi フランスの職業紹介・失業保険取扱い機関) だったという。


 フランスのオレンジ (旧 フランステレコム) は懲りていないとしか言いようがありません。2008年から09年には35人の労働者が相次いで自殺、13年通年で10人、そして新たに10人です。
 フランステレコムの状況は、日本で言うなら国鉄の分割民営化と似ています。
 国鉄からJRへの移行の時、余剰人員と通告された国労組合員は仕事を取りあげられて 「人材活用センター」 に閉じ込められて草むしりを強制されました。今でいう 「リストラ部屋」 です。
 しかしこのような問題が発生しても、国鉄内の他の労組は自分たちだけは助かりたい一心で見て見ぬ振りをし、政府とマスコミは “働かない国労組合員” のキャンペーンを貼り続けました。
 継続雇用に不安を抱いたり、採用拒否を通告された国労組合員は100人近くが自殺に至りました。やはり職場で自殺した者も多く、当局のやり方に怒りを込めた遺書を残したりしていました。
 その結果は、労働組合全体が孤立を余儀なくされ、“闘わない労働組合” だけが残存することになりました。


 フランスは、1990年代から 「モラルハラスメント」 に対する取り組みを進め、その成果として2002年制定の 「社会近代化法」 では身体的健康だけでなく 「精神的健康」 も明確に規定し、モラル・ハラスメントや精神障害に対する使用者の法的責任を義務化しました。社会近代化法は予防措置が目的とされています。
 しかしそれに抵触する行為が公然と行われています。

 フランステレコムについては、2012年9月14日と2012年8月21日の 『活動報告』 で触れましたが遡って見てみます。

 08年2月以降23人目の自殺者がでた09年9月19日のUPI通信です。
「10万人の従業員を抱えるフランステレコムは、以前は国営の独占企業だったが、現在は規制緩和された通信市場で競争にさらされており、過去数年間で何度かにわたって大規模な再編成を余儀なくされた。そのため、従業員の間ではストレスがまん延している。」

 09年9月21日の飛幡祐規の 「パリの窓から」 第6回 「仕事のストレスが人を殺す」 からの抜粋です。
「25件の自殺のうち、多くは仕事に関係した要因があったとみられているが、それらは日本語の 『過労自殺』 とは意味合いが異なる。自殺の要因と推定されているのは、超過勤務による疲労ではなくて、頻繁で不本意の強制異動やリストラに対する不安、指導部による極度のプレッシャーなど、職場のストレスなのだ。同社の労働組合は以前から、収益率優先と個人競争にもとづく指導部のマネージメントを批判し、フランス・テレコム社の産業医たちも労働環境の悪化を摘発してきた。しかし、指導部は聞く耳を持たず、失望して辞職した産業医もいた。そこで、一部の労働組合は産業医、ソーシャル・ワーカー、法学者などと共にNPO 『ストレスと強制異動の監視局』を たちあげ、従業員の労働環境について詳しい調査を始めた。自殺と自殺未遂の数が2008年2月以降しっかり把握されるようになったのは、この監視局のおかげだ。監視局には人間工学、社会学、精神科など9人の専門家からなる科学委員会も設置されている。監視局の行った調査で66%の従業員がストレスを感じ、15%が絶望・苦悩を感じているという結果が出たにもかかわらず、指導部はこれまでまったく何の対処もしてこなかった。」

 09年9月30日のUPI通信です。
「24人目の自殺者が出ると、労働者は29日にアヌシーや近隣のグルノーブル (Grenoble) とリヨン (Lyon)、ボルドー (Bordeaux) などで山猫ストを行い、何らかの措置を講じるよう求めた。労働環境についての調査を求める声が高まっているほか、最高経営責任者 (CEO) の退任を求める声もあがった」

 10年1月25日の Bloomberg.co.jp の記事です。
「1月25日 (ブルームバーグ):フランシス・ルブラ (56) 氏はパリのオフィスの壁にある組織図から自身の名前が消えた時、社内失業したことを知った。2008年、ルブラ氏の雇い主であるフランステレコムは、インターネットが主流になる前の情報サービス 『ミニテル』 のソフトウエア作成者であった同氏の職種を廃止した。給料こそ支払われているものの、肩書きは与えられず、同僚から避けられる存在になったとルブラ氏は話す。
 現在は抗うつ薬を飲みながらパリ郊外の自宅で病気休暇中のルブラ氏は、『突然、わたしは何者でもなくなった。同僚は目をそらし、わたしがそこにいないかのように振る舞った。自殺を考えたこともある』 と心情を吐露した。」
 日本で “窓際族” から “リストラ部屋” と変わっていった手法がフランスでも行われていいました。
 そしてこの頃、発信元の Bloomberg の日本支社でも間接的退職勧奨の手法として無理なノルマの強制と “ロックアウト型退職勧奨” が行われていました。
 そのことを意識してか、Bloomberg は経営者を擁護します。
「職場での自殺はフランステレコムに限ったことではない。自動車メーカー、ルノー のパリ郊外にある技術開発センターでは06年遅くから07年早くにかけた4カ月間に3人の従業員が自殺。金融業界の労組によると、08年にはフランスの銀行で働く12人の従業員が仕事に関係したストレスが直接の原因で自殺した。
 精神科医で、雇用者や労組に仕事絡みの精神的苦痛を減らす方策をアドバイスする企業、スティミュリュスの最高経営責任者(CEO)でもあるパトリック・ルジェロン氏は、直接的なやりとりが少なく人間味のないフランスの経営文化が、争いの多い張り詰めた職場を生み出していると指摘する。」
 それでも次のように続けて報じています。
「労組と労働者、学識経験者の見解によると、フランステレコムでは世界的な競争激化に労働者保護の法律が相まった結果、過酷な企業文化が醸成された。10万3000人超の同社従業員の3分の2は公務員と見なされ解雇されない。それでも同社はフランス国内で06年以降、約1万5000人を削減している。
 パリ・アメリカ大学のビル・スチュワート教授 (経営学) は 『フランステレコムはこれまで自主退職や定年退職、早期退職で人員を削減してきたが、もう古い方法ではしのげなくなっている。管理職は従業員を削減するよう明らかに圧力を受けているが、そう簡単には削減できない』 と述べた。」

 アングロサクソン諸国で進められた構造改革における雇用の規制緩和が大陸型労働法制の諸国にも侵食していることがうかがわれます。米国や日本の労働者をいじめて容赦なく退職に追い込む経営手法が各国に “輸出” されています。


 2009年10月1日、欧州安全衛生機構 (EU-OSHA) が作成した報告書「 数字で見る欧州の職場ストレス」 が発表されました。
 職場における健康面の問題として、筋骨格系障害に次いで重要であるストレスに関する数字をとりまとめた報告書です。EU15ヶ国におけるストレスによる年間経済的損失は、200億ユーロに達するといいます。

 各国によってストレスの要因とストレスレベルは異なります。報告書を引用します。
「ストレスの原因として仕事の負荷が重要だが、EU15においては、労働時間の短縮によってストレスが減少したが、一方労働密度が大きくなったことにより、ストレスは増大している。 EU25においては、2005年において以前より労働時間の長くなった労働者は14%であったが、多くの労働者は仕事の内容が忙しくなったとしている。全般に仕事の内容は忙しくなったが、各国の間に大きな差が存在する。……
 仕事における裁量権の低下は、ストレスの原因として重要と認識されている。EU15において1990-1995年の間には、 裁量権は拡大の傾向が認められたが、2005年においては変化がなかった。新規加盟国においては、EU15より裁量権の低いことが認められた。いやがらせも職場におけるストレスの原因だが、2005年において、EU25及び加盟候補の2ヶ国の労働者の5%が、なんらかの暴力またはいやがらせ (いじめ) の対象となっている。また、2%が性的いやがらせを経験している。EU15においては、1995-2005年の間に暴力は若干増加した。暴力及び特にいやがらせにおいて、各国間の差異はいちじるしい。いやがらせの最も多いのは、フィンランドの17%で、オランダの12%、リトアニアの10%がこれに続く。最も低いのは、イタリアとブルガリアの2%であった。」
 この他、年齢とストレス、性別とストレス、産業部門・職種とストレス、雇用形態とストレスなどについても述べられています。


 職場のストレス対策、労働者の「精神的健康」の維持は、労働者と労働組合の闘い抜きには解決しません。
 いじめ メンタルヘルス労働者支援センターは、8月9日 (土) 13時30分から渋谷勤労福祉会館で 「第9回 国際職場のいじめ学会報告 各国の経験を職場・労組でどう活かしていくか」 を開催します。

    旧 フランステレコムについては 「海外のメンタルへルス・ケア」 参照
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「ここがゴールじゃない。これからだ」
2014/07/11(Fri)
 7月11日 (金)

 書店で佐々涼子著 『紙つなげ! 彼らが紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』 を発見しました。カバーの上段は、再生した工場の大型印刷機の前に労働者が仕事姿で並んでいます。通常よりも幅がある帯には大きなタイトル名に続けて 「この工場が死んだら日本の出版は終わる……」 とあります。
 石巻工場の復興状況はときにふれて聞いていました。書店で手に取った時にはすでに涙腺が緩んでしまっています。購入して電車の中で開くと文字が滲んで読めません。

 東日本大震災で石巻工場は、地盤沈下もあって工場が水底に沈んでしまいました。そのあと水が引けるのを待って瓦礫撤去に取り掛かり、労使一丸となって復興を成し遂げた闘いの記録です。労使一丸です。経営者の決定があり、労働者は頑張り抜きました。
 日本製紙石巻工場は、石巻市で最大の企業です。ダントツです。被害の大きさを知って従業員や地域の人びとの多くは再開不能と判断しました。大企業は事故や災害に遭遇するとすぐに閉鎖・撤退をします。だから諦めもありました。しかし閉鎖になったら市を含む地方が寂れるのは明らかです。他人事ではありません。伝わってくる情報に一喜一憂していました。

 本に載っていない話です。
 1954年3月1日、アメリカがマーシャル群島ビキニ環礁で行った水爆実験で静岡県焼津港のマグロ船第五福竜丸が死の灰をあびて帰港しました。それを契機に原子力兵器の製造・使用・実験の禁止を求める署名運動が展開されていきます。
 東京・杉並区では鮮魚店連合が展開していた水爆禁止の署名運動をヒントに 「杉並アピール」 が発表されました。署名数は、8月に広島と長崎で開催された原水爆禁止世界大会までに900万筆に達しました。
 この時、焼津港と似た漁港を持つ石巻市は地域を挙げて取り組みました。船主は資金を出し、石巻製紙工場は紙を拠出し、地方新聞社石巻日日新聞は文書作成と印刷を担当し、市民は市内の隅々にまで署名用紙を持ってまわりました。世界から称賛されました。
 石巻工場は地域と共生していました。


 著者は出版社の企画の依頼で取材を始めます。出版者の側から製紙工場を捉えます。それが本の帯の 「この工場が死んだら……」 のコピーです。そこに焦点をあてた労働者の使命感の内容です。
 そのことを踏まえながらも、震災による被害の大きさと、労働者にとっての労働のあり方の視点から内容を紹介します。

 石巻工場は、仙台湾に面した1平方キロメートル・約33万坪の敷地面積があります。正規従業員は514人、協力会社従業員を入れるとその3倍で、3交代勤務のため当時工場にいたのは1306人です。
 地震が発生した時外出していた村上総務課主任は、今回は絶対に津波が来ると直感、急いで戻ると守衛に 「大津波警報発令。すぐに全員避難を指示。誰も工場に残るな」 と指示を出します。守衛はマイクを使って構内に命令を出し、避難誘導します。
 しかしボイラー担当の原動課課長は、「津波よりもタービンの方が気になった」 といいます。ボイラーマンは、ボイラーを緊急停止させたらそこを離れないのが鉄則で、津波よりもタービンがたわんでしまうリスクの方が立ち上げのことを考えたら現実的だという判断が働きます。「他の課はみんな避難しています」 という報告で、後ろ髪引かれる思いで後にしたといいます。

 従業員は工場正門のすぐ前にある標高61メートルの丘陵・日和山に登ります。着のみ着のままでしたが低く垂れ込めた灰色の雲から雪が降ってきました。
 地震発生から約1時間後眼下に津波が襲ってきます。
 村上は従業員の安否を確認しました。声を張り上げて構内で避難誘導をしていた4人の守衛と総務課員の5人がいません。
 津波は一晩に20波来ました。
 眼下はあちこちで地震火災が発生し、水に浮かんだ瓦礫に火が移って大きくなっていきます。そこから救助を求める声が聞こえてきます。救助できる者は救助しましたがどうしようもない者も大勢いました。

 本には書いてない話です。風は昼間は山から海に向かって吹いていましたが、夜になると海から山に変わりました。地震火災の火が丘陵の住宅地に延焼する危険性がありました。
 しかし地盤沈下に加えて北上川は上流でも決壊したため、丘陵は海の反対側の地帯も浸水していました。島になっていたのです。
 そのことを知った消防は、延焼したら丘陵にいる7000人の市民は逃げ場を失うと必死でした。しかし消火のための水がありません。高校のプールの水がなくなったら終わりです。
 なんとか延焼はくい止められました。

 本に戻ります。
 石巻工場の労働組合支部長の家は丘陵にありましたが庭先まで津波が押し寄せてきました。消防は延焼を防ぐためにあらかじめ放水をするといいます。そのとき交わした会話です
 「ご自宅は大丈夫ですか? ご家族は?」
 「地震発生と同時に出動命令が出て職務についているのでわからない。多分、自宅は全壊でしょう。せめて家族が無事に避難していることを願っている。今は市民の生命と財産を守ることが我々の仕事です。」


 5人の行方不明者の捜索のために選抜隊が結成されて構内の視察に駆り出されます。しかし門から5、60メートル入ったところで引き揚げざるを得ませんでした。その中の1人が語っています。
 「あれを見て、工場が復興できると思った人は誰もいなかった」
 工場の1階部分はすべてが泥水の中に埋まり、その上に周辺地域から流入してきた瓦礫が2メートルも積もっていました。後に調査をすると民家の2階部分が全部で18棟流入していました。構内からは41の遺体が発見されました。

 山の中腹にあるクラブハウスを緊急対策本部として社員たちは集まっていました。
 そこに守衛たちが顔を出します。5人とも無事でした。しかし非番の従業員からは犠牲者が出ました。
 14日の朝、京都の協力会社から救援物資が到着します。阪神淡路大震災の経験から、応援の要請が来る前に緊急物資をトラックに積み込んで出発していました。従業員はみな見捨てられていないと感じたといいます。各地の工場から次々と届きます。
 地域の避難所では食料も不足していました。工場に届けられた支援物資は、市役所に提供しました。

 3月下旬、幹部は社宅の一室に集まって対策会議を開催しました。
 倉田工場長が話を始めます。
 「だんだん不安や疲労で、従業員たちは疲弊し始めている。モチベーションを保つには具体的な目標を設定することが必要だと思うんだ」「まず、復興の期限を切ることが重要だと思う。全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず1台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言でき、従業員たちもはずみがつくだろう」
 課長たちは思わず身を乗り出します。
 「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」
 今度は一同唖然として、驚きのあまり声も出ません。
 関西出身の技術室長は反射的に <アホか、おっさん! できるか!> と心の中で叫んだと言います。
 原動課長は 「勝手に言ってろ、という感じですよ。できるか、と。」
 電気課長は 「無理。絶対無理」
 上司の命令に逆らえないサラリーマンたちはそれぞれ本音のところで思っていました。
 <どうせ絵に描いた餅だ。言わせておけ。そもそもこんな無理な工期で、目標が達成できるはずがない。きっとどこかの課が遅れてくれるだろう。他の課が大幅に遅れてくれさえすれば、工場長もさすがに無謀な目標の設定自体を見直すに違いない。とにかく自分のせいで会社がおかしくなるのだけは避けたい。誰か他の課が勝手に遅れてくれれば、計画が無理だとわかるはずだ。頼む、誰か早めに派手にこけてくれ>
 しかし技術室長は、自分たちの置かれている立場を痛切に理解します。
 <確かにそうだ。早期に立ち上げなければ、この工場はおかしくなる。工場がおかしくなれば、日本製紙もおかしくなってしまう。倉田の言うように、とにかくやらなければならない。この会社の運命は自分たちの肩にかかっている。ほかの選択肢はない。しかし……>
 工場長は後に述べています。
 「もともとかなり無理な計画でしたから、できないのならできないでかまわないと思っていました。しかし、私がこうやって目標を設定してやらないと、工場がどこに向かって走っていっていいか、わからないでしょう?」

 3月26日、本社から芳賀社長が石巻工場に向かいます。
 それまで電話の向こうからは地元の悲鳴が聞こえてきていました。
 「こちらではみんなが、石巻工場を閉鎖すると噂している。やはりそうなのか?」
 「考えてもみてください。私が石巻工場を潰すと思いますか」
 石巻工場抜きにしては遅かれ早かれ日本製紙は倒れるという判断です。

 社長がクラブハウス前に着くと従業員たちが整列して待っていました。
 一番最初に声をかけた相手は組合支部長でした。「工場のことは心配するな」
 支部長はこの時i閉鎖はない、雇用は守られると受け止めました。
 工場内を視察した社長はクラブハウス前に戻ると取り囲む従業員を前に宣言しました。
 「これから日本製紙が全力をあげて石巻工場を立て直す!」


 4月1日から 「半年後にマシンを一台動かす」 という目標に向けた作業が開始されます。
 最初に立ち上げるのは最近630億円かけて投入した全長270メートルの最新鋭の抄紙機N6と決定されます。N6一台の生産高は小さな製紙工場の生産量を凌駕します。石巻工場のシンボルともいうべきマシンで、これを立ち上げたら外にも復興を強烈にアピールできます。
 しかし4月10日、本社営業部から 「最初に立ち上げるのはN6ではなく8号抄紙機にしてほしい」 と打診されます。理由は、「8号の紙を出版社が待っている」 というものです。8号は各出版社の文庫本の本文用紙やコミック用紙を製造していました。高度な専門性を持ったこのマシンで作る紙は他の工場では作れないものが多くありました。
 工場は方向転換を迫られます。現場の従業員たちからはやり切れないという不満があがり始めたが、公然と反対する者はいませんでした。
 「石巻の8号といえば、出版社にはちょっとは知られた存在なんですよ」
 出版社は石巻を待っていました。

 復興のためにまずやらなければならないのはボイラーとタービンへの送電線の設置です。その次が設備です。
 <アホか、おっさん! できるか!> の技術室長が語っています。
 「これは駅伝だと思いました。一端たすきを預けられた課は、どんなにくたくたでも、困難でも、次の走者にたすきを渡さなければならない。リタイアするわけにもいかず、大幅に遅れてブレーキになるわけにもいかない過酷な長距離です」

 ボイラーを担当するのは原動課です。ボイラーが稼働しなければマシンは立ち上がりません。復興作業は瓦礫撤去から始まりました。工期に余裕のある課は休みも取っています。
 原動課長は従業員を集めます。
 「みんな聞いてくれ。毎日瓦礫処理は大変だろうと思う。疲れてもくるだろう。でもこれだけは約束してほしい。決して課員の悪口を言うな。被災している人もたくさんいる。家族が亡くなっている者も、家が流された者もいる。それぞれ人によって事情があるんだから、誰かが出てこられなくても文句を言うなよ。それから、よその課はまだ工期に余裕がある。彼らの悪口も言うな。出てこられない人の分までカバーして、みんなでもう一度タービンを回そう。あの煙突にも一度、白い蒸気を上げよう」
 工場の復興は、自分たちの力で唯一手に入れることができる未来でした。

 4月25日、まだ白い蒸気を上げることができない煙突に白いこいのぼりが泳ぎました。「Power of Nippon」 「今こそ団結、石巻」 と手書きで大きく描かれていました。工場からのメッセージです。

 8月10日、半年復興まであと1か月。6号ボイラーに火が入れられました。煙突から白い水蒸気が力強く上がりました。復興ののろしです。

 工場長は常に 「やっていいことと悪いことを見極めろ。『安全を忘れるな』 「どんなことがあっても絶対にけがをさせるな」 と強く言っていたといいます。
 工場長は自分に誓っていたことがありました。<死亡事故を起こしたら辞任する。人命に比べれば、スピードなどなんの意味もなかった。何よりあの震災を生き延びたのだ。我々は生きなければならない>


 震災から半年後の9月14日、全長111メートルの8号機の再稼働予定日です。
 8号機担当のリーダーが語ります。
 「お祭りにしようと思ったんですよ。これで工場が甦ったぞ、石巻は元気だぞっていうことを、たくさんの人に知ってもらいたかった。だからね、盛り上げるために、そこらヘンをきれいにして、いろんな工場から届いた鶴をいっぱい飾って、みんなに華やかな気持ちを味わってもらおうと思ったんです。地域に元気になってもらうために回すぞと、そんな気持ちがありました」
 操業のボタンが押されます。
 <8号が、俺たちの願いを聞いてくれた。8号はやはりすごい奴だ> リーダーは改めてそう思ったといいます。
 感極まった従業員に言葉はありませんでした。お互いに差し伸べ固くて握手をし、肩を叩きあって、再稼働を祝しました。
 その時、原動課の課員はそこにはいません。建屋の外で調整を続けていました。

 立ち上げの順番を後回しにされたN6は、震災から一周年の3月11日直前の9日に再稼働すると決定されます。
 3月9日、社長が創業のスイッチを押します。うなりをあげて動き出しました。
 
 永遠に終わらないのではないかと思っていた復旧作業が、終わろうとしています。
 <さあ、また忙しい日々が始まる……ここがゴールじゃない。これからだ>


 日本製紙石巻工場の復興は、野球部の活躍と一緒に進行します。
 野球部は11年3月11日、その日の午前に都市対抗戦の前哨戦であるスポニチ杯の準決勝に敗れて宿泊先のホテルに戻っていました。そこで地震に遭遇します。
 事態を知って家族がいる部員はバスに支援物資を詰め込んで出発しました。それ以外はそのまま待機です。

 3月26日に社長が石巻工場を視察して復興宣言をした時、囲んでいた従業員や地元ファン、マスコミから聞こえてきた質問は 「ところで社長、野球部も存続させますよね」 でした。
 社長は驚きます。<みんな腹も減っているだろうし、毎日の瓦礫処理で体も疲れているだろう。毎日のように訃報も聞いているはずだ。しかし、彼らはそんなこともかまわず、野球部は、野球部は、と我が子のように心配している。石巻野球部は地元に愛されていた。>
 「もちろん野球部も存続させます」

 部員たちはこんな時に野球をやっていていいのだろうかという思いに駆られます。
 しかし誰もがかまわないと言って応援します。
 そして13年の都市対抗戦に出場します。

 ここからは本にはない話です。
 震災後、石巻市だけではなく、公的敷地や校庭、運動場、空地という空地には仮設住宅が建設されていきます。まだまだ足りません。石巻工場の近くに、野球部が夜間練習に使用していた市民球場があります。しかしどこからもこの球場に仮設住宅を建てろという声は上がりませんでした。県内で、震災後、試合ができる球場は楽天イーグルスの本拠地の宮城球場とここだけでした。ここで選手たちは練習を続けることができました。


 本にも少し出てくるもう1つの話です。
 2006年夏の甲子園大会の優勝校は早稲田実業です。
 投手・斉藤祐樹、捕手・白川、一塁手・桧垣、二塁手・内藤、三塁手・小柳、遊撃手・後藤……です。今も空で言えます。主将は後藤です。テレビで水色のハンカチを握って応援しました。
 
 今年春、朝日新聞はスポーツ面に 「あの夏 1982年準決勝 池田×早稲田実」 を連載しました。そのなかで早実の投手だった荒木大輔がインタビューに答えています。「野球が好きでやっていただけでしたが周囲から注目されて人生を変えさせられた」 というような内容でした。
 
 後藤率いる早実の選手もそうでした。
 早実の選手は早稲田大学に進学します。野球部に入部しても途中で退部する者もいました。
 4年後の2010年東京六大学野球秋のリーグで早大は優勝しました。この時、甲子園で優勝したチームの同期では斎藤、白川、後藤が野球を続けていました。しかし白川と後藤はレギュラーではありません。
 最後の試合で優勝を決めました。その最後の回です。監督は投手・斎藤、捕手・白川、遊撃手・後藤に守備を交代します。後藤は誰よりも早く守備位置に散りました。いつものことです。この布陣で優勝の瞬間を迎えました。バックネット裏で応援していました。
 さらに全日本選手権でも優勝しました。
 卒業後、斉藤はプロ野球、白川は商社に就職、後藤は石巻工場野球部に入部します。
 
 3、11は後藤にとっては入社前のことでした。しかしすでに野球部と行動を共にしていたようです。
 後藤が石巻工場野球部に入部するのは知っていました。活躍して3年後にプロ野球からスカウトされるのを期待していました。
 しかし震災のニュースを聞いた時、野球どころではない、後藤の入社が取り消しになると勝手に思っていました。
 野球部は存続しました。
 後藤の入社後の初仕事は構内の泥撤去作業でした。

 本に戻ります。
 13年7月19日の都市対抗戦。ベンチを温めていた後藤が7回から守備に着きます。この時もおそらく全力疾走だったと思われます。そして勝利します。しかしこれが後藤にとって最初で最後の実業団での試合出場でした。

 今、後藤は本社で新聞営業部に所属していると言います。被災地で震災復興作業に携わり、仲間と一緒に工場復活にむかって奮闘し、そして工場現場を経験したという貴重な体験は今後の活躍の貴重な財産です。

 できることなら近いうちに、後藤が営業した新聞紙に、石巻工場の復興した姿だけでなく斉藤の復活が刷り込まれる日が来ることを期待しています。

 7月11日で、東日本大震災から3年4か月を迎えます。

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