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「ストレスチェック法案」 は付帯決議がついて成立
2014/06/27(Fri)
 6月27日 (金)

 「ストレスチェック法案」 と呼ばれる労働安全衛生法改訂案が、6月19日の衆議院本会議で全会一致で可決・成立しました。
 可決に際して、衆議院厚生労働委員会で次のような付帯決議が付きました。
「二 ストレスチェック制度は、精神疾患の発見ではなく、メンタルヘルス不調の未然防止を主たる目的とする位置付けであることを明確にし、事業者及び労働者に誤解を招くことのないようにするとともに、ストレスチェック制度の実施に当たっては、労働者の意向が十分に尊重されるよう、事業者が行う検査を受けないことを選んだ労働者が、それを理由に不利益な取り扱いを受けることのないようにすること。また、検査項目については、その信頼性・妥当性を十分に検討し、検査の実施が職場の不利益を招くことがないようにすること。
 三 ストレスチェック制度については、労働者個人が特定されずに職場ごとのストレスの状況を事業者が把握し、職場環境の改善を図る仕組みを検討すること。また、小規模事業場のメンタルヘルス対象について、産業保健活動総合支援事業による体制整備など必要な支援を行なうこと。」
 この付帯決議は、今後の改訂法運用に際してのチェックポイントにしていく必要があります。


 2013年4月15日、日本産業衛生学会労働衛生関連政策法制度検討委員会は 「労働衛生法令の課題と将来のあり方に関する提言」 を発表しています。その抜粋です。
「第179回国会に提出された労働安全衛生法改正案で規定される予定だったストレスチェックの仕組みは、現行の定期健康診断での自覚症状の問診から精神的健康の状態に関するものを区別していること、労働者に受診義務を課しながらも、原則として、事業者に結果が報告されない形式で、感度や特異度が不明確な労働者の精神的健康に関する検査を行うものとなっており、科学的にも実務的にも解決すべき多くの課題を有しているとの指摘もある
 最近の世界各国のメンタルヘルス対策の動向を見ても、職場におけるメンタルヘルス対策は、人間関係を含めた職場環境の改善などの幅広い活動を通して、労働者の心身の健康を保持増進することに寄与する仕組みを構築すべきである。今後は第一次予防対策を強化して、メンタルヘルス不調の発症予防に取り組むための法令の強化や労働現場での有効な仕組み作りが望まれている。」
 ストレスチェックについては科学的にも実務的にも解決すべき多くの課題を有している、メンタルヘルス対策は第一次予防 (メンタルヘルス不調者を出さないための職場環境作り) 対策の強化が有効だと提言しています。

 しかしこの後に厚労省から労政審に提出された法案は、ストレスチェックの 「労働者への義務付」 の条項が盛り込まれ、第二次予防の体調不良者を早期発見し、重症化しないうちに対応する、実際には体調不良者のあぶり出しに固執していました。
 労政審は原案のままで厚労省に答申しました。

 2月19日の自民党の部会では、ストレスチェックの 「結果がきちんと管理される保証がない。企業に知られると労働者の不利益が大きい」 などの意見が相次ぎました。厚労省は法案から労働者への義務付の条項を削除、さらに対象を 「産業医の選任が必要な従業員50人以上の事業場」 に修正します。
 3月5日の閣議決定前の与党協議のなかで、自民党内から 「検査結果が悪用されるおそれがある」 という意見が出されます。

 3月11日に法案は閣議決定し、最初に参議院に回されました。参議院では4月1日より審議入りし、厚生労働委員会での審議を経て4月9日に、参議院本会議で可決されました。
 厚生労働委員会では附帯決議が付きました。
「二、ストレスチェック制度については、労働者個人が特定されずに職場ごとのストレスの状況を事業者が把握し、職場環境の改善を図る仕組みを検討すること。また、小規模事業場のメンタルヘルス対策について、産業保健活動総合支援事業による体制整備など必要な支援を行うこと。」
 この後衆議院に回され、6月19日、衆議院本会議で可決、成立しました。


 2月10日付で、全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局といじめ メンタルヘルス労働者支援センターは、衆参の厚生労働委員会の議員に 「要請書」 を郵送しました。内容はストレスチェック法案そのものに反対です。自民党部会、与党協議の中で出された修正を求める意見は、「要請書」 に記載した内容とかなり似ていました。
 この問題について他に反対の表明をした団体はないように思われます。

 今年3月28日に全国労働安全衛生センター連絡会議は厚労省に要請行動を行ないました。
 そのなかで、ストレスチェックについては産業衛生学会でも検討されているが議論が分かれている、ストレスチェックそのものにエビデンス、第一次予防につながる医学的な根拠はないという意見があると主張しました。そして一次予防については、むしろ有害物質の管理と同じようにリスクアセスメントをストレスあるいはメンタルヘルスについて行って、それで職場改善の対策を取るのが一番いいだろうという意見があるが厚労省は検討しているのかと質問しました。
 厚労省は、ストレスチェックでよく用いられている57項目の職業性ストレス簡易調査票についてはそれなりの信頼性・妥当性をもったものであると認識している、それを用いた職場改善が行われているということについてのエビデンスは一部報告されていると理解している、と回答しました。
 産業衛生学会がストレスチェックが有効だというエビデンスがないと主張していることにたいして、厚労省は信頼性・妥当性をもったものであると認識しているという回答です。

 また、ストレスチェック票を提出しない労働者に対して不利益な取り扱いを禁止することが必要だと主張しました。
 厚労省は、法案は、面接指導の申し出をもって不利益な取り扱いをしてはいけないとなっているが、それ以外のことについては不利益を生じないようにやっていきたいと思っているとしか回答しませんでした。
 当初の法案から 「労働者への義務付」 は削除されましたが、これでは労働者が拒否したことを “チェック” されて不利益な取り扱いを受ける危険性が残ります。実質的義務付になってしまう危険性があります。


 13年12月29日付の 「産経新聞」 は 「メンタルヘルス対策不十分 企業の担当者3人に2人が 『効果不明』」 の見出し記事を載せました。
 三柴丈典近畿大教授 (労働法) らの研究チームが11月に、企業や団体でメンタルヘルス (心の健康) に取り組む労務担当者や産業医らの実務者を対象にした調査で429人から回答がありました。
 その結果、社内で実際にメンタルヘルス対策を講じているとした213人のうち、139人 (65・3%) が 「効果を認識できていない」 と回答。17人 (8%) は 「効果が表れていない」 と答えています。
 具体的に講じている対策 (複数回答可) としては、相談窓口の設置 (70・4%) や管理職研修 (58・7%) などの “定番” が多かった半面、効果が高いとみられるメンタルヘルスの専任者配置 (11・3%) は最も少なかったといいます。
 回答者の中には、すでにストレスチェックを実施していた会社も含まれていると思われます。
 また、社内の不調者がここ3年間で減っていないと分析する実務者と、今後10年間は増加または横ばいで推移すると予測する実務者が、いずれも9割以上にのぼることも判明しました。
 企業や団体で実際にメンタルヘルス対策を講じているのは半数以下というのが実態です。


  労働者へのストレスチェックそのものが絶対悪ということではありません。
 しかし実態はすでにたくさんの問題が発生しています。ストレスチェックを受ける・受けないの意思表示と受けた結果が悪用されています。体調不良者の “気づき” “発見”、そしてその対策が個人の問題として取り扱われ、職場環境の改善には結びついていません。
 具体的には、受けなかったものは協調性がないという評価や都合悪いことを隠しているという捉え方をされます。そして体調不良者が “発見” され排除・退職の対象にされます。このような目にあった労働者はたくさんいます。
 使用者は、体調不良者を追放したら健全な職場になると捉えています。

 海外ではどうでしょうか。
 たとえばイギリスにおけるストレス調査は、「職場のストレスの多くの原因は、人事関係の問題である。職場のいじめ、長時間労働の慣習、人員整理とそれによって残された人々にかかる作業負荷、そして、女性差別や民族差別のようなことは、全て人事 (HR) が対処すべき問題である。」 「もし事業者が労働時間、労働量、管理形式のような分野に及ぶ基準を満たそうとするなら、人事部は重要な役割を果たさなければならない。」 ということを目的とされています。
 人事関係・人事部の問題として対応するか、個人の問題化とするかがイギリスと日本の違いです。
 
 職場のストレスチェックの目的が労働者のメンタルヘルスの病状チェック・掌握という日本のメンタルヘルス対策は、国際的には “独特” です。
 労働者へのストレスチェックにエビデンスがあるかどうかの議論については、国際的には、労働者がかかえるストレス調査は職場環境改善のためのデータ作りが目的で、病状発見を目的にしていないのでデータがありません。ストレス発生を労働者個人の問題として捉えていないのです。
 今回のストレスチェックはこのような目的からかけ離れています。そして効果のエビデンスがありません。


 ストレスチェック法案は成立してしまいました。しかし付帯決議はこれまで厚労省が実施を強行しようとした内容について歯止めをかけました。
 しかし、厚労省は制度運用項目を決定するに際して“逆襲”に出ることも予想されます。
 今後の検討会では実際に悪用された実例を挙げ、その危険性が排除されていないことを指摘し続けて、付帯決議を尊重し、活かした実施要項になるよう監視していかなければなりません。
 効果のない現在のメンタルヘルス対策は根本的に捉え返しが必要です。第一次予防を中心にしたものにするために監視していかなければなりません。

    資料:「要請書」 14.2.10

    資料:「要請書」 12.5.18
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「命どぅ宝」 こそが本物の 「積極的平和主義」
2014/06/24(Tue)
 6月24日 (火)

 「朝日新聞」 は5月12日から3回、「わたしと沖縄戦 戦後69年」 を連載し、沖縄出身の芸能人3人にインタビューをしています。
 1回目はモデルの知花くららです。1982年に那覇市で生まれて高校まで過ごしました。祖父は慶良間諸島の慶留間島出身です。1945年3月26日に米軍が上陸すると15歳の祖父と姉は 「自決」 を決め、祖父は姉の首を絞めました。自分の首はヤシの葉を紐代わりにして絞め、木に括りつけて首をつろうとしました。しかし2人とも死に切れませんでした。「自決」 は軍の指示、誘導によるものです。
 2回目は女優の二階堂ふみです。1994年に那覇市生まれです。祖母に沖縄戦の体験を聞きました。防空壕に入ろうとした時、日本兵からここの壕はいっぱいだから来るなと言われて出ました。その3秒後に壕は爆発しました。
 3回目は腹話術師のいっこく堂です。1963年にコザ市 (現在の沖縄市) で生まれました。70年12月20日のコザ騒動の時は小学校1年生でした。夜兄に起こされて街頭に出て、基地のゲートに立つ米兵に住民と一緒に石や空き瓶を投げつけました。両親は嘉手納基地相手にサンドイッチ店を営んでいました。しかし騒動後、米兵は基地の外に出なくなったため客が激減し、負債をかかえて閉店に追い込まれたといいます。


 コザ騒動について、福木栓著 『沖縄のあしおと 1968年-72年』 (岩波書店) から実態を探ってみます。
 当時は、「本土復帰」 は確定していましたが沖縄の人々にとっては身体と命の安全を守ることさえおぼつかない状態に陥れられていました。
 具体的には米兵による強姦、れき殺、強盗、傷害などの凶悪犯罪が続発していました。なかでも9月18日夜に糸満市で、ビールを飲んで車を運転していた軍曹が歩いていた住民を跳ねて死亡させたにもかかわらず軍事裁判では無罪を言い渡されるということがありました。
 また基地からの毒ガス移送計画が発表されました。しかし沿道の住民に対して避難指示や安全対策は採られませんでした。
 状況としては 「うっ積した米軍と本土政府に対する不満、怒りが次第に広がり、かつての沖縄の諸闘争がそうであったように、突発的な爆発現象を見せることも十分考えられる情勢となりつつある」 (『世界』 1970年9月号) でした。

 このような中で、1970年12月20日午前1時半頃、コザ市で日本人の軍雇用員が道路を渡ろうとしたときに米軍兵士が運転する乗用車に跳ねられました。しかし兵士はMP (米軍憲兵) とコザ警察署員の取調べを受けましたが帰されました。それを目撃していた住民は 「また事故調査も処分もでたらめにするのだろう」 とMPを取り囲みます。群衆は次第に増えていきます。
 MPは仲間を集めて横丁に逃げこみましたが、群衆を追い散らそうとピストルを上に向けて数十発乱射しました。この頃には群衆は1000人に達していました。
 群衆はMPカーに火をつけます。そして2手に分かれ、一方は嘉手納基地第二ゲートにいたる 「ゲート通り」 で米軍車12台を焼き払い、ゲート脇の建物の一部を焼きながら投石でMPとガードを追い払ってサクのないゲートから基地内に300メートル進入します。さらに軍用車10台を焼き払い、米人米学校を3棟に放火して全焼させました。やっと体制を立て直したMP隊は、3時前に完全武装兵らが銃で威嚇しながら群衆をゲート外に追い出しました。このとき群衆19人が逮捕されます。
 もう一方は、群衆は2000人から3000人に膨れ上がり、米軍車を道路中央に引き出してまとめて倒して燃やしました。そして軍司令部の方向に進出し、出動した完全武装の米兵と対峙しました。群衆は歩道の石をはがして割って投げたり、ビンを投げました。

 群衆は、組織者や指揮者もいないなかで共通の意図で秩序ある実力行動を展開しました。「民家に被害を与えるな」、目標は 「米軍車だけ」 です。また黒人兵には手加減が加えられたといいます。
 7時頃に夜が明け始めると群衆は散り、見物人だけが残りました。しかし群衆と見物人、実行者と野次馬の心の距離はなかったといいます。反対派や阻止派もいませんでした。沿道の商店街からの略奪はゼロでした。
 地元紙は暴動ではなく 「騒動」 と表現しました。
 コザ騒動は沖縄の人たちの意識行動に地殻変動を起こしました。自信めいたものを与えたといいます。積極的に受け止めて抗議行動の意義をさらに発展させようと行動を開始しました。


 6月23日は、69年前に沖縄戦の組織的戦闘が終わった 「沖縄慰霊の日」 です。
 以前、6・23を挟んで沖縄を訪れた時、沖縄市職労の人たちと交流しました。会場はまさにゲート近くのいわく付きの飲食店でした。騒擾前の常連客のほとんどは米軍関係者です。
 その時に聞いた話です。群集は商店街から略奪をしませんでした。その逆で、その飲食店は群集にビール瓶やコーラ瓶を “積極的に提供” したのだそうです。


 沖縄戦は本土防衛のための捨石作戦でした。
 沖縄戦における住民の犠牲は、本土でも沖縄現地でも 「自発的」 な 「協力」 による 「殉国」 の結果とする語り伝えが長らく続いていました。犠牲を強いた国や軍は免責されていました。その典型が映画 「ひめゆりの塔」 です。

 なぜこのような認識になったのでしょうか。
「膨大な住民犠牲を 『自発的』 な 『協力』 の結果ととらえる見方を沖縄現地において制度化したのが国・軍との雇用関係に基づいて補償を行う戦後の援護行政だった。1952年に制定された 『戦傷病者戦没者遺族等援護法』 (以下、援護法。沖縄には53年から適用) は、国との雇用関係がある軍人・軍属のみを補償の対象としていた。これは軍隊と住民が混在した沖縄戦の被害の実情にそぐわないものであったため、同年9月、琉球政府社会局援護課は厚生省にたいし、男女学徒隊の軍人軍属取り扱い、遺族年金を受けられる遺族の範囲拡大、沖縄を 『戦地』 とする期間の拡大の3点を要望した。」 (小野百合子論文 『本土における沖縄戦認識の変遷』 三谷孝編 『戦争と民衆 戦争体験を問い直す』 に収録 旬報社)

 援護法は1952年4月28日、つまり日米講和条約発効、日本が 「主権を取り戻した」 日です。「主権を取り戻した」 最初の法律が戦争被害から一般被害者を排除した、いわゆる 「軍人恩給」 でした。

「その結果、55年にひめゆり部隊の女子師範戦没学徒88人に死亡公報が出され、軍人・軍属以外の戦没者のなかでいち早く援護法が適用されることとなった。
 1957年、厚生省引揚援護局職員が来沖し、一般住民への援護法適用の条件となる 『戦闘参加』 の内容を20ケースに設定した。これを受け、各市町村は該当者の『戦闘参加申立書』を厚生省に推達する事務を開始し、59年4月以降、『戦闘参加者』 と認定された一般住民は準軍属扱いとして、援護法の適用を受けるようになった。」 (小野百合子論文 『本土における沖縄戦認識の変遷』) 

 援護法適用の一般住民への拡大の背景には53年からのアメリカの軍用地拡大政策に反対する 「島ぐるみ闘争」 がありました。住民の生活安定という口実で反対運動の抑制を狙ったものです。

「沖縄現地でも援護法による補償を必要とする経済的な状況があった。沖縄戦による壊滅的な被害を受けた戦後の沖縄社会において、補償金は 『対象者のみならず沖縄経済に対しても大きく寄与し』 ていたのである。援護法の適用を受けるには、沖縄住民が 『戦闘参加』 を証明する申立書を提供し、旧厚生省審査課によって受理される必要があった。……
 旧厚生省に受理されるような 『積極的な協力』 を証明する 『戦闘参加申立書』 の必要性から、たとえば軍に壕を追い出されて被弾死した者が、軍への壕提供という 『戦闘協力』 を申し立てるなど、軍に強いられた死が軍に 『協力』 した死へと書き換えられていった。」 (小野百合子論文 『本土における沖縄戦認識の変遷』) 
 住民の沖縄戦体験記録は援護法適用のための記述ならざるを得ない状況がありました。嶋津与志はこれを 『援護法のワク』 と呼んでいます。(12年6月12日の 「活動報告」 参照)
 そのようななかで沖縄と日本政府とアメリカの関係性が作られていきます。


 60年後半以降、『援護法のワク』 にはめられていた沖縄戦認識を再考する動きが始まります。その背景には沖縄の米軍基地が直結しているベトナム戦争の拡大がありました。アメリカのアジア諸国への加害行為に加担しているという認識が基地撤去運動へとつながります。基地が存在することでの墜落爆発事故なども発生していました。
 コザ騒動はまさにこのような中で発生します。
 「復帰運動」 の中で基地撤去の要求が急速に拡がります。さらに 「復帰」 を目前に控え、自衛隊配備計画が明らかになるなかで沖縄戦における日本軍による住民虐殺の記憶が焦点化してきます。

 自衛隊の配備により 「反戦復帰」 が無実化されていく過程は、「日本」 との関係を改めて考えさせました。
「『復帰』 という 『歴史的転換期に直面して沖縄県民は日本という国を醒めた眼で主体的に見直す姿勢をとった』 のであり、そこで総括すべき問題が 『沖縄戦における軍隊と住民の関係、つまり、国家と沖縄県民との関係であった』。自衛隊配備への反対という文脈で、『援護法のワク』 のもとで抑圧されていた日本軍による住民虐殺の記憶が蘇り、沖縄戦の体験は軍隊は住民を守らないことを示すものとして明確に参照され始めた。」 
「地元紙には住民虐殺についての新たな証言が多数寄せられ始めるが、こうした 『沖縄戦の記憶が新たに語りなおされる』 動きのなかで登場したのが 『命どぅ宝 (ヌチドゥタカラ)』 という言葉である。戦線離脱し家族のもとへ帰るといった防衛隊員に特徴的な行動様式を表すものとして、70年代の体験記録運動のなかで研究者によって使われはじめた 『命どぅ宝』 は、以後、日本軍の『玉砕の思想』 の対極にある思想を指すものとしてさまざまな場面で使用され、沖縄戦を語る際の1つの言説を形成していった」 (小野百合子論文 『本土における沖縄戦認識の変遷』) 


 アメリカ軍は53年から 「銃剣とブルドーザー」 で土地収用して基地を拡大していきます。55年から伊江島でも土地収奪が始まりました。住民は反対運動を展開しますがその先頭に立ったのが阿波根昌鴻さんです。
 伊江島に行き、生前の阿波根さんから何度もお話を伺いました。そして資料館 『ヌチドゥタカラの家』 を見学しました。入口すぐのところに原爆の写真が掲げてあり、「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。」 と説明があります。
 訪問者がその意味を質問しました。
「阿波根昌鴻 (故人) が伊江島につくった 『ヌチドゥタカラの家』 を訪れたとき、『原爆を落とした国より、落とされた国の罪は重い』 と書かれたボードがあった。このメッセージは、原爆を開発し最初に使用したアメリカ合衆国政府の責任より、結果として原爆投下を招来するような戦争を開始し遂行した日本政府の責任を重くみるものである。みずから戦争を招き寄せることのないような国造りを追求することは、“戦なき” 世を実現するうえで、今日、より一層重要性を増しつつある。<人間の視点> に立ってもはやその存続を容認できないほど戦争の残虐化が進んでしまった世界をみわたすならば、戦争による犠牲は受忍しないという国民の意思を、思想として社会制度として確立することが求められている。」 (濱谷正晴論文 『<戦争体験>――その全体像をめぐる <人間> の営み』 三谷孝編 『戦争と民衆 戦争体験を問い直す』 に収録)


 沖縄の人びとの闘いは、「日本という国を醒めた眼で主体的に見直す姿勢」 の中で続けられています。基地撤去・建設反対と平和を希求する闘いは、軍は住民を守らないで虐殺したという体験からたぐり寄せた確信です。
 本土における様ざまな闘いも、沖縄の闘いを称賛するだけではなく、「国」 の捉え返しからの主体的取り組みが不可欠となっています。

 集団的自衛権か個別的自衛権か、閣議決定か憲法改正かの議論はいずれも50歩100歩の論争です。相手に取り込まれてしまいます。そうではなく、「みずから戦争を招き寄せることのないような国造りを追求する」 取り組みこそが本物の 「積極的平和主義」 です。
 自衛隊員が 「命どぅ宝」 と主張し、戦線離脱して家族のもとへ帰ることが平和を呼び寄せます。

   関連 :2014年月1日の 『活動報告』
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“いじめ” 問題の最終的解決は                            人権の回復を伴うものでなければならない
2014/06/20(Fri)
 6月20日(金)

 本 『“職場のいじめ” 労働相談』 (緑風出版) を出版しました。今回の本は2011年秋に出版した 『メンタルヘルスの労働相談』 (緑風出版) の続編です。

 『メンタルヘルスの労働相談』 はメンタルヘルス・ケア研究会編です。
 メンタルヘルス・ケア研究会は2004年にスタートし、70数回開催しました。そこでの討論と活用したテキストや資料、講演録などと、毎年開催されるコミュニティーユニオン全国交流集会のメンタルヘルス分科会で使用された資料をもとに2000年春にパンフレット 『労働者のための メンタルヘルス・ケア 相談マニュアル』 (A4で120ページ) を作成しました。新聞で紹介されると問い合わせが相次ぎ最終的に600部を越える作成となりました。その中には企業や全国の行政機関などからも多くあり、貴重な意見も寄せられました。そこで加筆修正をして改めて本にして出版しました。

 内容は、労働組合・ユニオンでの相談の受け方や心構え、長時間労働や休職・復職の問題、自殺問題、さらには労働相談を受ける側が体調を崩した時の対応策などを取りあげました。おそらくメンタルヘルス・ケアの問題について労働者・労働組合の側から出版された最初のものでした。
 しかし出版後に精神障害の労災認定に関する 「心的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」 (「判断指針」) が見直され、2011年12月26日に新たに 「認定基準」 が作成されました。また2012年3月15日に厚労省は 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 を発表しました。
 そのようなことで内容が多少古くなってしまいました。
 今回の 『“職場のいじめ” 労働相談』 は前回の本の中から 「職場のいじめ」 「差別とは」 の項目とそれに関連する問題を中心に取り出して大幅に加筆しました。

 内容です。
 第1章は、厚労省の 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 を紹介しました。この中で 【職場のパワーハラスメントの概念】 が規定されています。「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」 です。
 「提言」 をどう受け止め、活用できるかについて “期待 を込めて” 見解を述べました。職場のいじめは個人的ではなく、構造的に起きています。
 そして 「提言」 は職場のいじめ問題から差別問題と、下請会社や関連会社への “いじめ” や顧客から暴力の問題を排除していることを指摘しました。

 第二章は、全国労働安全衛生センター連絡会議やコミュニティ・ユニオン全国ネットワーク、いじめメンタルヘルス労働者支援センターは以前から厚労省に職場のいじめ問題に取り組むよう要請を続けてきましたので、その経過を振り返りました。「提言」 はその成果と捉えています。
 厚労省の 「提言」 に向けた検討会とワーキンググループでの議論に対しては 「私たちのカウンターレポート」 を提出しました。議論が判例に沿って進められようとしていると思われた時には次のよう意見書を提出しました。
「判決は、案件を強制的に 『終了』 させますが、『解決』 するわけではありません。『終了』 と 『解決』 は違います。判例は労使紛争の解決の失敗例です。
 『人間関係の問題』 の検討を法律や判例から追うのは愚の骨頂です。職場環境、労働条件、人間関係が法律で対処されると 『人間性』 が消されます。せっかく斬新なことに取り組もうとしているのにいいものができるはずがありません。」

 「提言」 が発表された後、いじめ メンタルヘルス労働者支援センターは講演会を開催さいました。その時の講師と参加者の質疑・応答です。
 「使用者の方が質問しました。
 Q 業務の適正な範囲内での指導教育を行っているが、パワハラと反論される。適正ということをどう考えればいいでしょうか。パワハラと指導の違いは。受け手の受け取り方でパワハラになってしまうと考えると厳しいことが言えなくなってしまいます。
 A 逆に質問しますが、事案が起きて対応する時、これがパワハラかどうかという判断が必ずしも必要なのでしょうか。
何か相談が寄せられたということは困っている状況であるということです。そのことにパワハラか否か、重大であるかどうかを問わずに会社や労組が対処することが紛争予防につながります。」
 発生したトラブルをパワハラか否かと議論することは本当につまらないことです。

 第三章では、バブル経済後に発生した職場のいじめ問題についての労働者の受け止め方の変化と取り組みの経過をたどりました。例えば、20年前は労働者はいじめられていると公言することはしませんでした。しかし最近は 「パワハラを受けた」 という訴えが頻繁にあります。
 職場のいじめ問題が社会的に大きく登場したのは国鉄の分割民営化からです。
 例えば、政府と当局は国労組合員から仕事を奪い、「人材活用センター」 に封じ込めました。昨今の 「リストラ部屋」 「隔離部屋」 です。国労組合員は人権無視だと反撃して撤廃させました。しかし不当だとという世論はあまり起きませんでした。昨今の 「リストラ部屋」 はマスコミが取り上げてやっと問題になりました。当事者である労働者の行動が大きく違います。
 国鉄の分割民営化は鉄道労働者と利用者とにおかしな関係性を作り出しました。「安全の分割民営化」 の波及は、社会全体の不安を増加させ、ストレスを増大させました。このような中で他の労働組合も機能を停止し、労働者が “弱者” に転落していきます。
 それとは逆に、フランスでは “モラルハラスメント” の法制定が行われ、その後に積極的に活用されている状況を紹介しました。今、モラルハラスメント規制は予防措置として効果を発揮しています。

 第4章は、具体的相談事例と解決に至る経過を紹介しました。
 雇用不安が一番のいじめです。労働者の働き方、働かされ方が変化しているなかで会社がいじめを利用しています。
 この他、理不尽ないじめの問題、そして誰もが “いじめ” の対象になるということなどを具体例で紹介しました。本全体で20の相談事例を紹介しました。
 精神科医の中井久夫氏は著書 『いじめの政治学』 (『アリアドネからの糸』 に収録 みすず書房) のなかで、いじめは3段階あると書いています。
「第一段階は 『孤立化』 です。加害者はターゲットになる加害者を選び、周りの人間が被害者を助けない状況を作り出します。周りは自分は大丈夫と安心します。いかにその子がいじめられるに値するか、といったPR作戦も行われます。次に『無力化』が起きます。殴る蹴るから始まって、どんなに抵抗しても無駄であるという状況を被害者に示します。物理的暴力はこの段階が一番ひどく、ここまではまだ、外からいじめとして認識されやすいかもしれません。最後に 『透明化』 がおきます。ここまでくるといじめられている状況が見えなくなってしまいます。加害者の存在があまりに大きく、被害者は加害者が喜ぶことであれば何でもします。言われるまま、家族から金を盗み、裏切り、自己像を破壊させられてしまいます。けれども、外からは加害者の仲間のようにしか見えなくなっていくのです。」
 誰でも加害者になり得ます。また被害者だと声を挙げた者が加害者だったりします。

 第5章は、「差別という “いじめ”」 について問題提起をしました。
 差別とは『心の踏み台』と言われ、自分の <存在証明> を追いもとめる行為です。
 そして2008年年末から開始された 「年越し派遣村」 の中から雇用問題の中に秘められている差別構造について問題提起しました。
 なぜ彼らは解雇に素直に応じたのでしょうか。
「『村民』 から聞いた話です。派遣労働者の職場は 『よその会社』。そのため遠慮しながら、不満を言わずに働きます。派遣先との関係は 『引いている』 のだそうです。だから解雇を言われても 『引き』 ました。派遣労働者である自分の責任で、やむをえないと受けとめました。」

 第6章は、「職場の暴力」 について問題提起をしました。
 「職場の暴力」 とは、顧客や得意先からの暴言や暴力行為です。下請会社や関連会社への無理の強制なども含みます。日本では鉄道職員への暴行、行政窓口職員への罵倒、学校でのモンスターペアレントなども含みます。しかし取り組みは進んでいません。
 韓国では 「職場の暴力」 を 「感情労働」 と捉えて対策が進んでいます。
 感情労働に従事する労働者は、最初は 「感情手当」 を要求しました。しかしそれでは解決しないと 「感情休暇」 を要求しました。それでも解決しないとわかると “社会的認識変化の努力” の要求を掲げました。「無理な要求をする顧客に一方的に謝らない権利を与えなければならない」 「顧客が王様なら、従業員も王様だ」 という問題提起をしています。
 日本における行政窓口における暴力は生活に直結する部局の窓口で発生しています。援助を求めてきた住民は最初から暴言を吐いたり暴行を働くことはしません。自治体窓口は、担当者が意識しているかどうかに関係なく 「小さな政府」 の末端機関です。そこでのやり取りの中でトラブルに発展していきます。しかも最近窓口職員は非正規労働者がかなりを占めています。悲しい現実です。

 第7章は、職場のいじめ問題の解決に向けた取り組みについてです。
 EUの取り組み 「職業性ストレスとその原因に取り組む労働者のための実践的アドバイス」 を紹介しました。最初はリスク管理から始まりましたが積極的取り組むなかで労使双方にメリットがあることに気付き、解決の経験を労使双方の財産にしていきました。

 結論です。
 本の中には 「労働基準法」 などの言葉はほとんど出てきません。労使関係は法律ではありません。法律に頼ると 「法律関係」 にしか到達しません。
 “人間関係が一番の労働条件” です。

 最後に 「はじめに」 を紹介します。
「相談活動は、交渉を経て紛争解決に向かいます。
 紛争の本当の解決とはどういうことを言うのでしょうか。
 相談者の 『成長』 を確認し合うことです。そして自立した生活を取り戻すこと、または再スタートに立つことです。つまりは職業生活を培っていける自信をつけるようにすること、自分らしい納得した生活を送ることです。」
 そして “いじめ” 問題の最終的解決は人権の回復を伴うものでなければなりません。
 まずは、1人ひとりが声をあげることが大切です。」
  

 今トラブルに遭遇していないことはいいことですが、予防のために、そして職場での人間関係作りを豊富化させるための一助になればと思います。

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コミュニティ・ユニオンの団交 (自主解決) での紛争解決率は       どの機関よりも高く件数も多い
2014/06/17(Tue)
 6月17日 (火)

 労働政策研究 研修機構の主任研究員呉学殊さんの講演会を聞きました。テーマは 「調査から見えるコミュニティ・ユニオンの可能性――非正規雇用労働運動の現状と課題」 です。
 呉さんは、コミュニティ・ユニオン全国ネットワークの運営委員会や全国交流会には欠かさず出席し、また傘下の労働組合・ユニオンに直接足を運んで聴き取り調査を続けています。2011年にはその成果を著書 『労使関係のフロンティア』 (
JILPT刊) に発表しました。現在4版を重ねています。
 そこからの引用です。
「日本では、労働組合と会社との間で発生する集団的労働紛争件数は、1997年を境にほぼ一貫して減少している。2007年の636件は、ピークだった1974年の1万462件に比べると6.1%に過ぎず、相対的に集団的労働紛争はないに等しいといえる。……
 一方、会社と労働者個人との間で発生する個別労働紛争の件数は、1990年代以降増加傾向にある。」

 講演は、「本」 を含めたさまざまなデータを紹介しながら進められました。
 講演内容です。

 1991年のバブル経済崩壊以降、深刻な経済・社会問題が発生しています。それは非正規労働者の増加と深くかかわっています。その関係性をデータから見てみます。
 1つは、20年間の低い経済成長です。日本の経済構造は、貿易依存度は高くなく内需中心です。
 2つ目は、少子高齢化問題です。出生率は1991年が1.53でしたが2013年は1.43です。最低は2006年で1.26でした。高齢化 (65歳以上) は、1991年が14.2%でしたが2012年は24.1%です。
 過去3年間の結婚率 (男性) は、正規労働者が15.2%、非正規労働者は6.3です。出生率 (女性) は、正規労働者33.1%、非正規労働者16.3%です。

 3つ目は、財政赤字の膨張の問題です。日本全体の債務残高 (借入金、政府短期証券を含む) は、2012年10月が1,218兆円でしたが2013年12月5日現在で1,265兆円です。国民1人当たりは992万円です。約1分15秒で1億円上昇しています。
 4つ目は、社会保険システムの危機の問題です。年金積立額は、2002年度末は147.6兆円でしたが、2012年度末112.3兆円です。あと15年で底をつきます。
 しかし2012年の年金保険料完納率は38.4%です。その他は、一部納付者10.1%、未納者26.2%、申請全額免除者13.2%、学生特別9.9%、若年者猶予2.2%です。未納者の分布は、自営12.5%、家事従事4.9%、常用労働者10.3%、臨時・パート労働者31.1%、無職37.9%です。

 5つ目は、雇用・労働条件の下降平準化の問題です。全労働者のなかで非正規労働者の占める割合は、1990年は約20%でしたが2013年は36%、2014年1月から3月期は37.9%です。
 2012年に、転職前が正規労働者だった者の再就職は正規労働者が59.7%、非正規労働者が40.3%です。転職前が非正規労働者だった者の再就職は正規労働者が24.2%、非正規労働者が75.8%です。2009年は、正規労働者が63.4%と36.6%、非正規労働者が26.5%と73.8%でした。
 具体的な143単組本部への調査結果です。人員増の祭に正社員を採用しないでパート労働者を採用するが全体で82.1%、製造業では53.3%です。異動などで正社員転出後その仕事をパート労働者に割り振るが81.3%、製造業では53.4%です。正社員を減らす一方パート労働者採用は67.5%、製造業では60.0%です。
 賃金についてです。労働者1人当たりの月平均賃金総額は、1997年が37万1,70円でしたが、2011年は31万6,792円です。従業員5人以上の一般労働者ではそれぞれ42万2,678円と40万3,563円です。従業員500人以上では55万7,010円と53万1,423円です。
 労働者全体の労働条件が悪化する中で非正規労働者は増えています。


 コミュニティ・ユニオンの現状についてです。
 コミュニティ・ユニオンは2014年6月現在で全国に73ユニオンあり、組合員は約2万人です。他にも多様な個人加盟ユニオンがあります。代表的なものに、連合の地域ユニオン、全労連のローカルユニオン、全労協の全国一般です。2010年では、組合員数の平均は221.2人で、男性比率63%、正社員比率は57.2%、個人加盟組合員数は61.1人で占める割合は27.6%です。
 1組合当りの組合員数は、多い順に地域ユニオン、コミュニティ・ユニオン、全国一般、ローカルユニオンの順です。
 組合員の中で個人加盟組合員の割合が高いのは、全国一般、ローカルユニオン、コミュニティ・ユニオン、地域ユニオンの順です。
 2006年からの全体の組合員数の推移では2008年がピークで、その後減少傾向にあります。コミュニティ・ユニオンとローカルユニオンのピークは2009年、地域ユニオンは2008年、全国一般は2007年です。
 最近3年間の組合員変動状況は、組合の加入者が脱退者を上回り増加が平均41.1%でコミュニティ・ユニオンの平均は48.8%です。組合の加入者も脱退者も少なくて横ばいが25.2%と17.1%。組合の加入者も脱退者も多くて横ばいが11.2%と7.3%。組合の加入者より脱退者が多くて減少が9.3%と14.6%です。


 労働相談件数の推移は2008年がピークです。コミュニティ・ユニオンの平均は138.0件です。
 新規団交申し入れ件数は2009年がピークです。コミュニティ・ユニオンの平均は23.9件です。
 2008年の紛争解決方法の割合です。
 使用者との団交で紛争を解決したが全体平均67.9%でコミュニティ・ユニオンの平均は74.5%です。労働委員会を介して紛争が解決したが6.9%と6.2%。労働審判を介して紛争が解決したが6.4%と5.0%。通常裁判を介して紛争が解決したが4.1%と3.9%。労働局・労働基準監督署を介して紛争が解決したが3.7%と3.1%。地方自治体を介して紛争が解決したが0.9%と0.4%。解決できずに終わったが10.1%と7.0%です。
 コミュニティ・ユニオンの解決能力の高さがあらわれています。
 労働紛争の発生背景・理由についてです。
 複数回答で、多い順に 「会社側の労働法違反」 65.4%、「経営者の労働法への無知」 45.8%、「経営者の酷いワンマン経営」 43%、「企業業績の低下」 40.2%、「労使のコミュニケーション欠如」 23.4%、「職場の人間関係の希薄化」 19.6%などです。


 ユニオン運動の成果と可能性・課題についてです。
 渡邊岳氏 (2008年) によると、和解・斡旋成立率は、裁判所の通常訴訟49.6%、仮処分手続41.5%、労働審判68.8%、労働局の紛争調整委員会38.4%、機会均等調停会議43.5%、労働委員会67.6%、東京都労働相談情報センター73.5%です。
 コミュニティ・ユニオンの使用者との団交での紛争解決は平均は74.5% (2008年) です。どこよりも高い、しかも自主解決をしています
 取り扱い件数においても、裁判所の労働関係通常訴訟1114件、労働審判1028件 (2007年、その後増加、08年2052件、09年3468件、10年3375件)、労働局の紛争調整委員会3234件 (あっせん成立2647件+取り下げ587件)、労働委員会271件 (解決212件+取り下げ59件) です。
 コミュニティ・ユニオンの使用者との団交での紛争解決件数は2387件(2008年)と推定できます。かなりの件数です。

 コミュニティ・ユニオンの解決の特徴は、
 1つとして、行政の解決できない紛争も解決しています。
 2つ目として、紛争解決労働者本人の満足度が高いです。
 3つ目として、使用者に紛争解決過程 (団体交渉) で労働法の学習会の提供をしています。再発防止の役割を果たし、労務管理を改善させています。
 4つ目として、協定書の中に再発防止策につながる内容を明記することも少なくない。
 5つ目として、雇用、労働条件の下降平準化阻止の一定の役割を果たしています。

 ユニオン運動は、企業別労働組合の非正規労働者組織化促進と企業内労使関係の健全化を促進しました。例えば、パートタイマーの組織化などです。パートタイマーを組織している割合はコミュニティ・ユニオンが圧倒的に高いです。
 そして労働問題を可視化しました。企業内組合の活動の停滞の中で社外のユニオンがある影響は小さくないです。

 ユニオン運動の可能性と今後の課題についてです。
 1つは、組織拡大です。ユニオンメンバーの定着度向上と支部・分会の結成です。
 2つ目は、人材と財政の確保です。公的支援を含めてどう確保するか。
 3つ目は、他組合との連携・交流や学習効果を活かす、“技” の交流です。
 ユニオン運動の強化とともに集団的労働運動を作っていく必要性があります。そのことを含めて従業員代表制の法制化が必要だと思います。

 呉さんは、「今、労働運動で砦を守っているのがコミュニティ・ユニオンです。」と講演を締めくくりました。
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「死に損ない」 をどう聞くか
2014/06/13(Fri)
 6月13日(金)

 6月に入ってしばらく経って、横浜から修学旅行で長崎を訪れていた中学3年生が、爆心地近くを案内していた 「長崎の証言の会」 の77歳の事務局長に 「死に損ない」 などと暴言を浴びせたという報道がありました。

 証言の会は、5月27日に横浜市立の中学3年生119人に爆心地近くを案内して欲しいと依頼されたので、事前に平和公園で説明会を開きました。その時に事務局長は、騒いで話を聞かない1人の男子生徒を何度も注意し、「聞く気がないなら出て行け」 と叱り、生徒を退席させました。
 約10人ずつの班に分かれ原爆遺跡の見学に移り、事務局長は1班を案内していました。その時、班外の男子生徒数人が 「死に損ないのくそじじい」 と暴言を浴びせ、別の生徒たちにも 「手をたたけ」 とはやし立て、説明を邪魔したと言います。引率の教師が注意したが止めませんでした。
 後に事務局長は、「私は死に損ないではない。一生懸命生きてきた。大変悲しい」 と中学校に手紙で抗議しました。

 現在の政治状況を改めて深く考えさせられてしまいます。
 戦後69年を迎え、戦争体験者も少なくなっていますが、戦争体験をどう伝え、後の世代はどう受けとめていくのか難しい時代になりつつあります。
 「死に損ない」 と罵声を浴びせたということは、原爆が投下されてたくさんの人たちが亡くなった、事務局長を含めて生き残ることができた人たちはその後苦労が続いたという体験談を聞いていたのです。聞いたうえでの思いが 「死に損ない」 なのです。
 暴言を吐いた生徒の意識には、生きていい者と死んでもいい者がいるのです。人の “生” “命” が否定されています。
 現在の世相がそのような意識を生み出しています。
 現在の生きていい者と死んでもいい者の違いは、富むものと貧しい者の差です。自己責任で生きられるものと生きられない者の違いです。

 戦時には、国家を隠れ蓑にして生き延びる者と国家の命令で殺される者がいました。国家総動員は、「国民」 に死を覚悟させました。
 戦後、国家が起こした戦争に参加したり、協力したと認められた者は恩給の対象にされました。靖国神社には兵士以外にも軍事工場などに動員された学徒、さらに対馬丸の遭難者 (5月16日の 「活動報告」 参照)、“集団自決” の時の乳飲み子なども祀られています。


 1970年代はじめから、国家に支援を要請する被爆者団体を中心に、「被爆者援護法」 制定の運動が開始されました。世論喚起や政府への要請行動が展開されました。
 当時の厚生省は今の厚生労働省の場所に、玄関を現在の弁護士会館の側に構えていました。要請行動だけでは生温いとい、東京の被爆者団体を中心に玄関前にテントを張り長期座り込みを決定しました。テントの設置に取りかかると守衛ともめます。その時、その間に東京被団協の会員はスクラムを組んで 「原爆を許すまじ」 を合唱しながら割って入り、テントを完成させました。被爆者援護法制定の要求は 「あゝ許すまじ原爆を 三たび許すまじ原爆を」 でした。
 各地で原爆の被害を訴える 「国民法廷」 が開催され、たくさんの被爆者が証言しました。証言は 「あゝ許すまじ原爆を 三たび許すまじ原爆を」 の内容で締めくくられました。
 被爆者が記憶を絵にして証言する運動も始まりました。

 1980年12月11日、原爆被爆者対策基本問題懇談会は 「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」 を発表しました。その中には 「およそ戦争という国の存亡をかけた非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による 『一般の犠牲』 として、すべての国民が等しく受忍しなければならない」 とあります。
 この姿勢は、今も国家が開始した戦争の犠牲者に国家は援助しろという要求を掲げた東京大空襲訴訟などの判決などで踏襲されています。

 原爆や空襲の被災者は国家から相手にされず、援助の対象になりません。むしろ今後自分たちと同じような犠牲者を出さないためにという思いをこめて平和運動を続ける戦争体験者は、政府が進める政策に逆行を迫り、政府にとっては疎ましい存在です。
 そのような犠牲者も高齢になっています。政府はうるさい証人がいなくなったら過去を清算できます。そのような雰囲気が作られています。軍隊慰安婦は存在そのものが否定されようとしています。その中から 「死に損ない」 の発言が平然と出てくるのです。
 しかし彼らは、自分らが国家の命令で殺される側に存在していることについては無自覚です。騙されています。


 「被爆者の苦しみは 『被爆者であること』 それ自体です」。これは日本被団協の主張です。
「原爆被害とは、『あの日』 の惨状だけではない。被爆後も続く健康上の苦しみや貧困と病気の悪循環、原爆症や遺伝にたいする不安などとともに、生き残った人たちが胸のうちに抱えてきた痛みをとらえなければならない。そのためには、被爆者が語る言葉、そしてその傍らにある沈黙が何を証言しているのかを聴きとる必要がある。」 (直野章子論文 『原爆被害者と 「こころの傷」』 三谷孝編 『戦争と民衆 戦争体験を問い直す』 収録 旬報社)
 被爆者の中には過去・現在・未来が同居しています。決して過去の出来事にはなりません。
「かつて石田忠 (元日本原水爆被害者団体協議会専門委員) は、被爆者に向かってこう語りかけたことがある。『<原爆> を忘れていても、<原爆> の方はあなたをおぼえているということではないでしょうか』 と。<心の傷> だけではない。原爆被爆による <体の傷> が、そして原爆症の <不安> が、核の報道を聞いてよみがえる <死の恐怖> や、周囲の無理解・差別が、人生の節目節目で、頭をもたげてくる。<原爆> は、それを 『忘れる』 ように努力すれば、そのくびきから人々を抜け出させてくれることはなかったのである。」 (濱谷正晴の論文 『<戦争体験>――その全体像をめぐる <人間> の営み』  『戦争と民衆 戦争体験を問い直す』 収録)

 被爆者の運動は、このような体験を次世代にさせないためのものでもあります。
 高齢者になった被爆者たちは、同じ過ちを繰り返させないためには生きている限り体験を語りついでいかなければという思いを抱いています。そして今、直接体験した被爆者に代って被爆体験を話せる次の世代の 「語り部」 の育成活動も始めています。

 しかし体験を伝えにくくなっています。伝えにくくされています。

 1990年代の、トマホークを積載した米軍の潜水艦の日本寄港が問題になった頃、広島・長崎を訪れる修学旅行生たちは語り部に、体験した証言の内容についてではなく、「トマホークをどう思いますか」 「核兵器をどう思いますか」 というような質問して回答を求めることを繰り返したといいます。語り部たちは、それは自分たちの任務ではないと辟易し、語り部を辞める人が続いたということがありました。
 当時、語り部は事実を語るだけで評価を加えてはいけないと言われていました。しかし生徒たちは2つの問題を直接的に結び付けて真面目 “過ぎた” のです。

 2003年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、ろうあ者の山崎栄子さんは手話で体験を語りました。しかしその場面のテレビ放映は、山崎さんの手話に先んじて通訳者はあらかじめ用意された原稿を読んでいきます。そして途中から場面は山崎さんではなく別の場面に切り替えられ、手話が見えなくなりました。山崎さんが身体全体を使って体験を伝えようとしたとした姿は映りません。
 NHKにはかなりの苦情が寄せられたようです。後日改めて山崎さんの手話が放映されました。
 被爆体験を聞くことが、儀式の中での形式になりつつあることを痛感しました。

 そして今回の出来事です。
 3、11からまだ3年半しか経過していなくて、連日のように福島の原発事故のニュースが流されていている中にあっても核や原子力の問題が身近に捉えられていません。横浜市は、安倍首相がオリンピックを開催しても安全だと豪語した東京よりも離れているのでより安全という認識を持っているのでしょうか。
 生徒が騒いだ時、先生たちがどのような対応をしたのでしょうか。
 長崎に修学旅行に行くことが平和学習をしているという口実のようにも思われます。
 
 広島・長崎での被爆者の体験を、人の “生” “命” の重さ、人権問題として受け止めることすらもはやできなくなっているのでしょうか。
 平和のためには、人の話を聞いて受け止め、自分の意見・意志を持って行動することが基本です。


 実際にあった、聞いた話です。
 ある高校の2年生のクラスは、授業が始まっても生徒たちはすぐに騒ぎ出して集中しません。注意してもあまり効き目はありません。いつもです。出席簿の表紙が硬いのは、生徒から物が投げられたとき盾代わりにするためだと実感して常に持っていたと言います。

 3学期末の国語の授業の教科書は授業時間を2時間残して終わってしまいました。
 教師は、広島県立第二高等女学校の教師と生徒の原爆体験をもとにした朗読劇のシナリオを生徒に配りました。いつもと違って静かです。
 しばらくすると、いつも最初に騒ぐ生徒が声をあげました。
 「先生かわいそうじゃん」
 「どこがかわいそうなの」 と教師が聞きました。
 「全部かわいそうじゃん。悲しいじゃん。先生はかわいそうじゃないのかよ」
 「かわいそうだけど本当にあった話です。みんなと同じくらいの年齢で」
 「こんな目に合わせちゃだめだよ。先生は戦争に反対しなかったのかよ」
 この一言を聞いて、この授業をして良かったと思ったと言います。
 「生まれていません。
  みんなにはこのようなことを繰り返さないようにしてほしいと思っています」
 「俺こんなの嫌だから絶対反対するよ」

 時代背景を説明した後、グループ編成をし、役割を決めて練習して次回に発表してもらうと告げました。

 次回の授業です。
 いつも最初に騒ぐ生徒のグループの番になりました。
 彼は真剣な顔ですが棒読みです。
 「もう少し感情をこめて」 と教師は注意しました。
 すると感情を込めて読み続けました。
 1年間で、はじめて教師の注意に素直に従いました。

 授業が終わりました。
 いつも最初に騒ぐ生徒が口を開きました。
 「先生、3年になっても俺たち先生と付き合ってもいいぜ」
 「私は臨時非常勤なので3月一杯で契約満了です」
 「俺、校長に掛け合ってやろうか」
 「4月以降についてはもう決まっています」

 最後の瞬間です。教師は元気で頑張って来年は全員そろって卒業してほしいと告げました。
 いつも最初に騒ぐ生徒からの “送辞” です。
 「みんな頑張るから。先生、1年間ありがとな。先生も頑張れよ」


 過去は、断絶が生じた時に過去になります。時代・世代を越えた現在の課題として共鳴・共有された時に、断絶が埋められ、引き戻されて活かされます。 
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