2014/03 ≪  2014/04 123456789101112131415161718192021222324252627282930  ≫ 2014/05
労働者の 「能力」 は一朝一夕に落ちない
2014/04/25(Fri)
 4月25日(金)

 ある労働組合の春闘講座で 「成果主義賃金制度にどう対応するか」 のテーマで話をする機会がありました。賃金制度が複雑になり、労働者の不満が広がっても賃金問題に取り組まない労働組合が増えています。
 賃金問題は額だけでありません。理解と納得が必要です。

           ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 日本の多くの労働者は 「職務」 ではなく 「職能 (職務遂行能力)」 で業務を遂行してきました。周囲の労働者と協力してグループや班、課や部の業務を完成させてきました。1人ひとりの労働者は細かく分解すると200ぐらいの職務をこなしているといわれます。班長で300、部長では600とも800とも言われています。そのトータルが 「職能」 です。日本の労働者は何でも屋、総合職として働いています。
 ですから 「職能」 を分析・評価するのは至難の業です。「職能」 は個人の 「業績」 にストレートに結びつかないし、「業績」 と 「成果」 は違います。業績はアウトプットしたものをいいますが、本当の成果は、インプット・例えば教育や訓練、スループット・例えば研究、調査などすぐに成果が表れないのも含みます。日本の職場に 「評価」 は馴染みません。「成果」 の定義自体がまちまちです。
 アメリカなどではスタッフが対象で、ラインは適用されません。アメリカにも “ごますり” がいます。英語では 「あいつは apple polish だ」 というように言います。
 成果主義賃銀制度は目標設定をしますが、「総合評価」 は、「業績」 (パフォーマンス) がよくても評価者が別の目標、例えば 「行動評価」 (バリュー) が悪かったという理由で下げることができる都合のいい評価方法です。                      

 成果主義賃金制度は、賃金が労働者という 「人」 に労働の対価が支払われるのではなく 「成果」 への対価として支払われます。人材が消費財になりました。賃金が 「属人」 ではなく 「属物」 になりました。賃金から人格が奪われました。生活維持の手段という性格が削ぎ落とされました。
 賃金から人格が奪われたということでは、職種がどれくらいの利益を生み出すかということから賃金表が設定され (バンド)、上限が設けられました。
 95年、富士通が日本で最初に成果主義賃金制度を導入しました。目的は人件費の削減ですが、若い労働者から要求があったということも理由に挙げられ、労働者のモチベーションの向上と言われました。
 03年頃から 「みんなで渡れば怖くない」 方式で多くの企業が導入していきます。
 雇用が無視され、会社は株主のものになっていきます。


 労働者の 「職能」 における 「成果」 は、日々研讃を積んで発揮されます。日々スキルアップします。逆に労働者の 「能力」 は一朝一夕にして落ちることはありません。
 つまり本物の 「成果」 は短期間で下がることはありません。評価が下がるのは、①業務が変更になった、②職場環境が変化した、③評価制度が変更になった、④評価者が 「成果」 を人為的に「評価」した、⑤労働者が体調を崩した、またはサボタージュをした場合です。
 ①から④は労働者の責任ではありません。その前に会社が果たさなければならない責任があります。労働者は、騙されないよう気をつけなければなりません。自分自身の職能にもっと自信を持つ必要があります。

 
 使用者の理不尽な制度運用にどう反論することができるでしょうか。
 労働基準法第2条は、「労働条件は、労働者と使用者が、対等な立場において決定すべきものである」 と労働条件の決定方法を規定しています。
 賃金については 「賃金規定」 などと就業規則から独立していることもありますが、それも就業規則の一部です。
 評価は賃金を決定します。ですから 「評価規定」 は賃金規定の一部です。評価においては公明な 「評価規定」 と公平な運用が必要です。評価規定では「評価基準設定」と「評価基準適用」が開示されなければなりません。
 企業内組合の中には評価は個人の問題だから取り組まないと宣言しているところもあります。しかし具体的評価内容は個人的問題でも、評価規定の運用は労働条件の問題であり労働組合が介入する必要があります。「個人的問題」 は取り組まないための口実です。
 また個人ごとの結果は掌握できなくても、労組として、昇給した組合員が何人いて平均金額はいくらか、降給は何人いて平均金額はいくらかと全体掌握をする必要があります。使用者に不透明な評価をさせないためのチェックです。

 
 成果主義賃金制度をもう少し労働基準法から検討します。
 成果主義賃金制度は、これまでの賃金制度とは違って 「降給」 がおこなわれます。不利益変更を含みます。組合員どうしの会話は 「いくらあがった」 ではなく 「どうだった」 になりました。
 評価による賃金ダウンを「降給」と呼びます。懲戒によるときは 「減給」 です。
 懲戒による減給は 「賞罰規定」 に基づいて処分理由を明らかにしなければなりません。納得いかない時は不服申立ができます。そして減給には賃金の1割を越えてはならない制限があります。
 「降給」 は懲戒によるものではありません。「降給」 以上に丁寧な説明が必要です。そして降給の幅も減給以下であるのは当然です。

 賃金が毎年自動的に昇給していた時は、現実として賃金制度に関心を示す労働者は多くありませんでした。しかし現在運用されている成果主義賃金制度は、人事考課の役割が増大するため、具体的な賃金決定が労働者の短期間での成果や業績の評価に大きく依存して労働者に大きな影響を及ぼします。労働者はエンドレスの挑戦を要請されます。ストレスが蓄積します。労働者は評価規定をきちっと掌握しておく必要があります。
 使用者は人事評価において自由裁量ではなく、労働者の納得がいく公正な評価を行なう必要性がより高くなっています。
 それは以下のような法的根拠によります。
 民法第1条②は、「権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ従ヒ誠実ニ之ヲ為スコトヲ要ス」 と 「信義誠実の原則」 をうたっています。
 労働契約の遵守はこの信義誠実の原則によります。
 民法第90条は、「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル項目ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス」 と 「公序良俗違反」 をうたっています。
 労働基準法第15条は、「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間、その他の労働条件を明示しなければならない」 と労働条件の明示を規定しています。
 また労働基準法第89条は、就業規則に盛り込む項目としての 「賃金」 について、
 「二、賃金の決定、計算及び支払の方法、賃金の締め切り及び支払の時期の決定並びに昇給に関する事項」 と規定しています。(労基法は昇給だけで降給を想定していません)
 成果主義賃金制度における評価は賃金を決定する先行手続なので、評価システムの採用、運用方法は労使で協議、決定し、降格・降給の条件、額を労働条件として就業規則に明示されなければなりません。
 
 労働者の同意のない降給は違法です。ただ気をつけなければならないのは、成果主義賃金制度に関係なくても、会社が一方的に降給したことに労働者が異議を申し立てずに放置すると承諾の意思表示があったものとみなされることがあります。
 降格ではない職務内容の変更や配転は、降給を了承しなければならないということではありません。繰り返しますが、労働者の職能は一朝一夕に下がらないからです。降給をおこなうためには、そのような就業規則の規定や本人の同意が必要となります。
 バンドの上限がある時は 「調整給」 などで支給額を保障させる必要があります。

 使用者は裁量権があるからといって労働者にどのような指揮命令、不都合や無理を強いることが出来るということではありません。労働者の心身、生活にどのような影響を及ぼすかなどを考慮しなければなりません。これも 「信義誠実の原則」 「公序良俗違反」 によります。
 懲戒処分による減給においても、生活保障に視点を置いたから、許容範囲が限定されているのです。


 目標設定は 「賃金の決定、計算及び支払の方法」 の基点です。目標設定の面接では、例えば企業目標、部門目標・課目標の枠組みの中で個人目標が設定されます。
 「目標設定」 のためには 「目標設定面接」 の個別的話し合いで合意が必要です。評価基準設定、個人目標設定においては評価基準の客観性、具体性、妥当性、合理性が問題になります。そこでは双方対等な立場で目標項目の適正さ、過度に過重な目標ではないかなどを決定していきます。労働契約なので一方的な設定は認められません。それを許したら降給は目に見えています。しかし黙って受け入れると同意したことになるので気を付けなければなりません。そしては不当労働行為に当らないか、思想・信条や性別による差別に当らないか、「公序良俗違反」 ではないかということでの判断も必要になってきたりします。
 評価期間中でも使用者側からの指導・助言の内容や程度などの支援も考慮される必要があります。使用者には能力の発揮、業績達成のための一定の協力的措置を講ずる 「信義則」 上の協力義務があるからです。使用者に職業的能力の尊重配慮義務などが発生してきます。
 評価面接においては、労働者の自己評価と使用者側の評価を照らし合わせることになります。評価決定を経た評価結果についてはその理由が労働者に開示されなければなりません。これは評価が適正におこなわれていることを示すための必須の手続きです。目標達成状況と合わせて今後の課題、新たな能力開発の必要性等について検討されます。本来評価は1人ひとりの長所・短所の掌握、ステップアップのための機会です。
 フィードバックが整備されていないと納得のいかない状態で仕事を続けていきことになり業績も上がりません。
 そういう意味では成果主義においては会社の裁量権は小さくなってきています。
 「公正」 とは各個人の属性 (年齢、性、学歴、適性、経験、能力、業績) に即した適正な取扱いをすることであり、評価は納得性を得るものでなければなりません。


 終身雇用や年功序列賃金制度下での経済的不利益が生じない配置転換に労働者側は拒否できないという思い込みが横行していました。
 しかし成果主義賃金制度は労働者の賃金が評価によって決定される、不利益を被る危険性があるということは、自分の能力を充分に発揮できる環境、条件で働くことを期待する権利が発生してきます。自分としてはこういう仕事をしたいという職業的能力発現への配慮として就労請求権も尊重されなければなりません。そうすると会社への貢献も大きくなり、双方にメリットをもたらします。
 これは労働基準法第2条1項の 「労働条件対等決定の原則」 によります。
 使用者は人事評価の権利 (裁量権) がありますが、同時に労働契約上の義務でもあります。成果主義には一方的裁量行為はそぐいません。
 そうではない一方的な配置転換は使用者に別の意図があるということです。

 労働者には職業的能力を適正に評価される権利があります。会社は、客観的評価基準に基づき、適正な評価を行い、評価結果とその理由を労働者に開示、説明する義務があります。職業的能力の適正評価義務です。
 会社は職業的能力の形成・維持・発現に関する利益を尊重しなければなりません。職業的能力の尊重配慮義務です。その場合に企業内外における教育訓練機会の付与と参加への配慮を会社は行なわなければなりません。職能開発協力義務です。
 さらに職業的能力を尊重・配慮した職務配置やキャリア形成にあわせて適性配置をしなければなりません。適正配置義務です。


 2011年6月16日の 「活動報告」 の再録です。
 「1977年頃、近畿日本ツーリストの労働組合は、良好な個人成績を挙げた社員を表彰する制度の導入に数年に渡り反対し続けました。旅行契約をどれだけ取ってきたかは、外交販売員だけの成果ではない、表彰するなら、その契約に協力した全員、少なくとも支店単位で行えと主張しました。(『躍進 近畿日本ツーリスト労働組合20年史』)」 (熊沢誠著 『格差社会ニッポンで働くということ』 から孫引)

 もう1つ、使用者側の立場からの経営者に成果主義賃金制度の運用について問題提起した内田研二著 『成果主義と人事制度』 (講談社現代新書) です。
「会社の仕事は高度な依存関係のなかで成り立っている。依存するということは必ずしも甘えとか未熟であることを意味しない。会社ではよりよく依存し合うことが大切であり、その関係の中で価値を生むことが大事なのだ。相手に喜ばれたときに、自分の行為に手応えを感じ、自分の行為が価値あるものだと実感する。このような実感を味わうことなく、他人に依存せず自分の目標完遂のために働いていると自負している人は、自立しているのではなく、孤立している。そして孤立は強い不安を呼ぶことになる」

 組織の中で、個人だけで成果を上げることはできません。
 労働組合と労働者は、このような捉え返しで横の繋がりを作っていく必要があります。
この記事のURL | 賃金制度 | ▲ top
沖縄にとって 「国」 とは
2014/04/22(Tue)
 4月22日 (月)

 沖縄・竹富町教育委員会が採択した中学公民の教科書を巡って、竹富町と町がある八重山地区、さらに町と文科省とで対立しています。
 どの教科書を採用するかの決定権は教育委員会にあります。一方、教科書無償措置法に基づく教科書採択地区は教育委員会を越えて地区にあります。そのため、これまで竹富町が採択して生徒が使用していた教科書は無償になりませんでした。
 文科省は、竹富町は 「違法状態」 にあると主張し、「八重山地区は地理的、自然的、文化的、社会的な条件から一つの採択地区であるべきだ。県教委はその方向で検討してほしい」 と八重山地区が採択した教科書の使用を強制します。
 2つの教科書の内容は大きく異なります。国家、「国歌・国旗」、公民とは、そして沖縄の歴史、沖縄戦、沖縄の現状の記載などなどです。
 この違いは、現在の憲法改正を主張する勢力と守ろうという人たちの主張と重なります。
 沖縄県教育委員会は竹富町の判断を尊重しています。


 安倍政権は教育委員会の改革を進めようとしています。
 教育委員会制度の在り方について、これまで教育の中立を守るために行政から独立していましたが行政の 「直轄」 での統制、自治体の一部局に変える方向性です。政府―文科省―学校が上位下達の構造です。そこでは指導が強制になります。まさに 「『国民』 育成教育」 です。(戦後、民主勢力を標ぼうする人たちは、戦前・戦中の反省から 「国」 ではなく 「国民教育」 のスローガンを掲げていました。しかし 「国民」 は 「国」 に取り込まれてしまいました。)
 これまで教育の中立が守られていたわけではありません。しかし地域に開かれた教育委員会を運営しているところもあります。


 戦前の教育体制は戦争に取り込まれていきました。戦後、憲法も諸法規も、戦前の反省の上に立って制定され、受け入れてきました。国家からの統制ではなく、地方の特性を活かした自治を尊重しました。その具体的なものが教育基本法であり、土地収用法、農業委員会法です。その地域の事情を踏まえて地域の代表者を加えて議論して政策を進めていくことを奨励しました。ですから、そこでの議論や結論は法律だけに縛られるわけではありません。
 教育基本法は、学校運営を学校や教師だけではなく生徒や地域住民も含めて議論をして決定して行くことをうたっています。
 PTA (Parent (保護者)‐Teacher (教職員) Association (会)) がありました。(今もあることはあります) 目的は 「この世に生を受けた全ての子どもたちを幸せにそして健やかに育てよう」 ということです。社会的責任が含まれています。「P」 と 「T」 の協同作業です。しかし今、「P」 は 「T」 ではなく学校への一方的支援団体になっています。学校への支援の中には 「T」 の監視と教育委員会への “ちくり” による “正常化” もあります。
 教育が上からも横からも管理されるものになってしまっています。

 戦後民主主義を題材にした石坂洋二郎の小説 『青い山脈』 は、旧制弘前高校がモデルです。学園民主化運動の中で学校のあり方についての討論に生徒の保護者ではない 「芸者」 も地域住民として参加して意見を述べています。
その雰囲気はまさに

   古い上衣よ さようなら
   さみしい夢よ さようなら
   青い山脈 バラ色雲へ
   あこがれの
   旅の乙女に 鳥も啼く

の様相で期待がありました。
 しかし、教育委員会制度だけでなく教科書検定への干渉、「日の丸・君が代」 強制などを経て統制が進みます。「P」 が排除され、学校教育そのものが変質してしまいました。


 フランスやイギリスの学校と日本はなぜここまで違うのでしょうか。
 フランスやイギリスの学校教育は 「シチズンシップ教育」 です。市民社会の構成員を育成しています。そこでは教師と保護者は子どもの教育に 「横」 に連携して責任を負います。教育環境の整備は双方にとっての義務です。(2013年8月27日の 「活動報告」)
 日本は 「国民教育」 です。教師は、国家―文部省―教育委員会―学校―教師という 「縦」 の管理体制の末端で児童・生徒を国家の国民に育成します。維持するためには教師1人ひとりの管理と “思想管理” が必要です。そして媒体である教科書の管理が必要となります。
 「P」 を排除した学校は逆に地域から放置されて孤立します。保護者や地域住民と学校とでトラブルが発生するのはいわば必然です。保護者が学校教育に関心を示さないことも批判できません。だから無責任なモンスターペアレントがはびこります。

 竹富町の教育委員会は、住民自治を守り、文科省の妨害を跳ね返して信念を貫いてほしいと思います。


 今、もう1つ、八重瀬諸島で住民が戦前の反省の上に立って政府と対峙している問題があります。
 防衛省は与那国町に陸上自衛隊沿岸監視部隊の駐屯基地や監視所、宿舎 (約26.3ヘクタール) を設置しようとしています。駐屯基地予定地は町有地でこれまで農業生産法人に貸与していましたが、町は3月末契約解除しました。条件として農業生産法人には損失補償額を支払います。昨年11月下旬の最初の提示は1億1千万円でしたが2月21日に合意に達した時は2億4千万円でした。
 4月以降、国から町への賃貸借料は、1平方メートル当たり70円です。

 沖縄への自衛隊基地の設置は1972年の 「復帰」 以降初めてです。
 戦前の反省の上に立って制定された土地収用法は、軍事施設は適用になりません。憲法9条を遵守している法律です。(13年11月26日の 「活動報告」) ですからこれまでも自衛隊のために土地収用法が適用されたことはありません。
しかし米軍基地では日米安保条約に基づく特措法による 「強制使用」 が行われています。
 80年代に、嘉手納基地などの使用期限が切れる時、反戦地主は契約を拒否しました。当時の防衛庁は日米安保条約に基づく特措法による 「強制使用」 を県土地収用委員会に申請し、収用委員会での審理が行われました。公開審理で、反戦地主は沖縄戦の体験を踏まえて意見を述べました。「軍隊は住民を守らない」 のです。この審理を傍聴しました。
 審理の合間や報告集会などでは、1960年代の米軍施設のための新規土地接収阻止闘争のなかで作られて歌 「一坪たりとも渡すまい」 を何度も合唱しました。

  東シナ海前にして わしらが生きた土地がある
  この土地こそわしらが命 祖先譲りの宝物

  われらはもはや騙されぬ 老いた固き手の平は
  野良の仕事の傷の跡 一坪たりとも渡すまい

  黒い殺人機が今日も ベトナムの友を撃ちに行く 
  世界を結ぶこの空を 再び戦(いくさ)でけがすまい

 しかし収用委員会は法的手続きがきちんと進められているという理由で強制使用を認める決定を出しました。地域の事情を踏まえ地域の代表者を加えて議論する場である収用委員会が手続きを確認する場になってしまいました。収用委員会は国に屈服したのです。


 沖縄戦で 「軍隊は住民を守らない」 ことを体験した沖縄の人たちは軍事基地に反対です。現在も金に惑わされなければ多くは反対です。
 沖縄に自衛隊は73年から移駐を始めます。現在はたくさんの基地があります。どこに移駐したのでしょうか。米軍が自衛隊のために基地を 「返還」 したのです。米軍の肩代わりを自衛隊が担ったのです。このようにして既成事実を積み重ねてきました。
 沖縄に 「本土」 の政治が強引に押し付けられてきました。

 与那国町への自衛隊基地建設は金の力で共同体を崩壊させ、住民を2分してしまいました。この手法は各地で行われています。辺野古基地建設はまさしくそうです。

 基地は近隣諸国との紛争が発生した時の盾です。真っ先に攻撃されます。
 沖縄がふたたび 「捨て石」 にされようとしています。
 沖縄にとって 「復帰」 とは何だったのでしょうか。
 間もなく 「復帰」 42年目、そして憲法記念日を迎えます。
この記事のURL | 沖縄 | ▲ top
勤務間インターバル制度を労働法規で義務付けを
2014/04/18(Fri)
 4月18日(金)

 IT労働者からの相談です。
 顧客先での出張工事で35時間連続の作業がありました。顧客の社員は勤務も交替で時々休息をとりますが外部からの作業員は休息時間も場所もありません。しかも会社での職位が管理職ということで残業代が支払われませんでした。
 残業代の問題ではありません。健康の問題が先です。聞くと10時間を過ぎた頃から身体がおかしくなり、判断も鈍くなりました。

 またホワイトカラーエグゼンプションが言われ始めました。以前、法制化されようとした時「残業代ゼロ法案」と呼ばれて反対運動が展開されました。しか労働時間の短縮・「残業ゼロ」の視点からの要求にはなかなかなりませんでした。ホワイトカラーエグゼンプションは 「過労死促進」 です。


 安倍政権肝いりの産業競争力会議では、雇用特区が提案される一方で、労働時間の短縮も提案されています。労働時間短縮の方法としてインターバル制度も盛り込まれています。しかし会議では、労働時間の規制が競争力を弱めていると意見が出されています。産業や業種で労働時間の短縮が決定しても、特区に指定されたら労働法制は無視されます。本心は特区を見据えた提案です。

 今年2月25日に開催された労働政策審議会労働条件分科会で、労働時間法制の抜本見直しの議論が開始されました。法定時間外労働の割増賃金率や年次有給休暇の取得促進と合わせて、ここでも長時間労働の抑制を狙いとして 「労働時間の量的上限規制、勤務間インターバル (休息)」 が提案されています。政府の規制改革会議や産業競争力会議の指摘を受けたものです。

 「勤務間インターバル規制」 とはどのような制度でしょうか。
 一言でいうなら、時間外労働などを含む1日の最終的な勤務終了時間から次の勤務開始までに一定時間以上の休息を義務づけ、短期間内に心身の疲れをリセットできるようにする制度です。

 欧州連合 (EU) では、労働者の健康と安全の保護 (EC条約第137号) の観点から、1993年に 「労働時間指令」 を制定します。(2000年改正) そこでは24時間につき最低連続11時間の休息を付与する、7日ごとに最低連続24時間の休息日を付与するなどが規定されています。これに基づいて加盟国が法制化しています。
 具体的には、前夜の勤務終了が遅くなっても終業時刻から最低11時間の休息が補償され、翌日の始業時間に間に合わなくともその時間は勤務したものとしてみなされます。会社は、効率的なシフト体制の構築や複数のタスクをこなせる人材育成などに取り組むことが必要になります。


 日本では情報労連や基幹労連の加盟組合が、先駆的に取り組んできています。
 情報労連は2009年、労働安全衛生面から労働時間規制も講じる必要があると判断し、春闘で 「労働者の健康確保とワーク・ライフ・バランスの実現」 に向けた取り組みの一環として 「可能な組合においてはインターバル規制について労使間論議を行なう」 方針を掲げました。
 その結果、9単組が導入を妥結しました。10時間が2単組、8時間が7単組です。情報インフラの建設を担う全国情報・通信・設備建設労働組合連合会 (通建連合) 加入組合では12社とKDDIで導入が実現しました。
 具体的内容は、通建連合は 「1日における時間外労働の最長時間を7時間以内とする」 「時間外労働終了時から翌勤務開始時まで最低でも8時間の休息時間を付与する」 「休息時間が勤務時間に食い込んだ場合は勤務したものとみなす」 の3条件を満たすものを 「インターバル規制」 と定義しています。
 情報労連は 「2009春季生活闘争の中間総括」 の中で「勤務間インターバル規制は、1日における労働時間の絶対的な上限に関する要求であり、働く人の健康を保持する根源的な意味での労働安全衛生を確保するための要求でもある。通建連合を中心として、この勤務間インターバル規制の導入を実現したことは、今後の労働時間に対する論議に対し一石を投じたともいえ、当該労使の先進的な取り組みに敬意を表したい」と述べています。

 13年4月までに、通建連合の傘下を中心に計16組合で協定化に漕ぎ着けています。
 職場の実態に即しながら、最低限確保すべき休息時間については、最低でも 「睡眠時間6時間」 を確保できる休息時間として協議するとしています。
 具体的には、8時間や10時間、あるいは8時間+通勤時間などさまざまで、KDDIは7時間です。

 勤務間インターバル規制導入後の効果として、職場からは 「深夜時間帯の回線切り替え等作業が、連続勤務からローテーション勤務に変更された」 「企業側が交代要員の確保や複数業務をこなせる多能工化を進めるようになった」 「始業時間に間に合わなくても勤務したものとみなされるので、休息時間が確保しやすくなった」 「インターバル規制が浸透し、休息時間が翌日の勤務に食い込んでも気兼ねなく出勤できるようになった」 などの評価が出ています。


 2011年に製造業としては初めて三菱重工労組が春闘で最低7時間の要求をしました。
 突発事態などで7時間の間隔を空けられない場合、翌日を休日となります。ただし、労組も決算期の財務部門や納期間近の製造部門など「多忙な部署での画一的な導入は困難」とみており、休息の義務化や違反した場合の罰則は求めず、会社側の 「努力目標」 にとどまりました。
 労組は 「従業員がきちんと休息を取って健康が確保されれば、必ず生産活動にプラスになる」 と主張し、会社側も 「長時間労働抑制、健康管理に寄与する制度としての要求として受け止めている」 としています。

 今年2月5日付の 「日経新聞」 は、「終業から始業、11時間休息を、電機連合、要求へ」 の見出し記事を載せました。
「電機連合は2014年の春季労使交渉で、組合員の休息時間の確保を要求方針に盛り込む。会社を離れた終業時間から、翌日に始業するまでの間に11時間のインターバルを設ける。深夜まで残業した場合、翌日は本来の始業時間に出社しなくても済むようにして、組合員の心身の負担を減らす狙いがある。
 電機業界で働く開発・設計の技術者らは、新製品の完成間際などに残業時間が膨らむ傾向にある。深夜まで会社に残るケースも珍しくない。」


 2月25日の労働政策審議会労働条件分科会に配布された資料 「労働時間法制に関する各側委員からの主な意見」 です。

「1.長時間労働抑制・過重労働対策について
  ……
 (4) 労働時間の量的上限規制、勤務間インターバル (休息)
 (労働者側)
 ○ 36 協定の特別条項については、「臨時的に限度時間を超えて時間外労働を行わなければならない
  特別な事情が予想される場合」という原則を徹底させるべき。また、時間外労働の限度基準は法律で
  なく、長時間労働是正の強制力が欠けている。労働時間の上限規制を行うことにより、時間外労働に
  歯止めをかけるべき。
 ○ 実態調査での36協定の締結状況等を踏まえれば、36協定を締結しない、あるいは協定で定める限
  度時間を超える時間外労働をさせた場合の罰則を強化すべき。
 ○ 保険的性格という側面もあろうが、実態調査では、協定の延長時間が長いほど時間外労働の実績も
  長いという結果が出ている。協定の延長時間を長く設定すると、長時間労働を許容する意識へとつな
  がり、時間外労働も長くなることがある。
 ○ 十分な休息時間を確保するため、睡眠時間や生活時間を考慮しEU諸国と同様に、24時間につき原
  則として連続11 時間の 「勤務間インターバル」 を導入すべき。原則11 時間の取扱いについて
  は、事業実態や業務特性等に配慮する観点から、例えば労使協定によって11 時間より短い時間数を
  定めることも、当分の間、認められるべき。適用対象は労働基準法上の労働者とし、管理監督者や裁
  量労働等のみなし労働時間制の対象者も対象とすべき。
 (使用者側)
 ○ 我が国の企業の多くにチームワークで業務を進め、顧客の要望に最大限応えるという商慣行がある
  中、労働者に時間外労働に協力していただく実態がある。上限規制やインターバル規制といった一律
  の規制は、現場に馴染まず、事業活動の停滞や雇用機会の喪失を招きかねない。
 ○ 実態調査を見ると、特別条項付36協定の延長時間は、時間外労働の実績と比べて相当長めに設定
  されている。生産や物流等の分野で予測困難さが増大している中で、保険的性格を実務上担保する
  必要。
 ○ 多くの企業では一定期間の中で労働時間を調整しており、勤務間インターバルのような1日単位での
  一律規制は現在の職場の実態に合っていない。まだまだ導入している企業も少ない。現状でも法的規
  制があるわけではなく、個別企業のニーズに応じて労使交渉に委ねられるべき。
 (労働者側・使用者側)
 ○ 実態調査では、36協定を締結していない事業場の4割が 「36協定を知らない」 と回答。36
  協定のさらなる周知徹底や取組が必要。


 使用者側が主張する 「実態調査を見ると、特別条項付36協定の延長時間は、時間外労働の実績と比べて相当長めに設定されている。」 はまったくのウソです。特別条項は制限があってもないのと同じ状況です。(2013年12月20日、2013年12月3日の 「活動報告」 参照)
 勤務間インターバル制度は、長時間労働の制限がない状況に上限規制を設けることになります。

 EUは1日ごとの生活にゆとりをもたらすことを目的にし、制限いっぱい労働することはありません。
 日本の企業は、制限を設けると逆算してその最高を要求し、「違法でない」 と主張します。勤務間インターバル11時間ということでは1日の拘束時間を13時間となり、週休1日とすると週労働時間の上限が78時間になります。これでもかなりの長時間労働です。
 2011年4月25日の 「活動報告」 で紹介しましたが、NHKが5年毎に実施している世論調査では、労働者の1日の生活スタイルの平均時間は、睡眠時間が7.4時間、生活必要時間 (通勤時間を含む) が5時間となっています。日本はEUと比べると通勤時間が長いです。勤務間インターバル11時間でも短いです。


 日本において労働安全衛生に関する労働法制は実効性がありません。
 厚労省は、睡眠時間については、うつ・精神疾患と労働時間、睡眠時間との関係性については世界的にエビデンスがないと主張します。エビデンスがないのは、労働者はモルモットではないからです。EUにはそもそも長時間労働がありません。
 体調不良者の増加については、人間関係や職場環境の問題もあると反論します。しかしどれも改善しなければならない深刻な問題です。
 体調不良者や過労死をこれ以上増やさないために、勤務間インターバル制度を労使協定の捉え方ではなく労働法規として義務付けることが必要です。
この記事のURL | 長時間労働問題 | ▲ top
成果主義はモチベーションを低下させた                     そのつけが回ってきている
2014/04/15(Tue)
 4月15日(火)

 非正規雇用問題について原稿を依頼されました。
 送付したものをそのまま紹介します。

   ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

 4月4日付の 『日経新聞』 に、三菱東京UFJ銀行の契約社員が今春から正社員と同じ労働組合に加入することになったという記事が載りました。契約社員は、全従業員約4万8千人の2割超にあたる約1万2千人を占めています。
 労組は職場全体の待遇改善のため、契約社員と一体となって経営側と交渉する必要があると判断し、昨年3月に規約改正、今年3月から加盟を進めてすでに約5千人が加入したといいます。労組はユニオンショップ協定を締結しているので、今後入行する契約社員は全員が組合に加入することになります。


 戦後はそれぞれの銀行に労働組合・従業員組合が存在しました。しかし大蔵省の 「指導」 によって1960年前後に切り崩しが進められます。そして64年、大蔵省は金融再編成を推進する方針を打ち出します。
 行員は社会のエリートというプライドの上に顧客の財産を管理しているという意識が植えつけられ、横の繋がりは社内・外において遮断されます。評価は非公表、人事異動・転勤はつきもの、それを繰り返すなかで将来のコースが指定されていきます。
 職場は長時間労働の権化で就職先として女性からは忌避された時期もありました。機械化が進むと、窓口業務は “もっぱら派遣” が横行していきます。
 バブルが崩壊すると倒産する銀行もあらわれ、統合・合併が進みます。かなりの “余剰人員” が生まれ、必要以上のリストラも行われました。しかし労働争議が発生したということは聞きません。行員の 「自覚」 がそうさせました。一方、非正規行員は正規労働者との処遇格差などを巡って社外の労働組合・ユニオンなどに相談して争議に至ることも増えています。
 このような構造の中で、正規行員と非正規行員を1つの労働組合に組織する本当の目的は何でしょうか。非正規行員の処遇改善が進むなどと簡単に捉えることはできません。現に正規行員のベアは19年ぶりに行われたが、非正規行員については不明です。


 「プラザ合意」 が行われた85年は大きな転換点となりました。
 円高が進み、名目賃金水準は上昇したが購買力は上昇しませんでした。理由は、消費者物価が低下しない、住居費や教育費が異常に高い、生活不安や老後不安から家計貯蓄を増やしたなどです。
 雇用問題ではアメリカからの構造改革要求を受けて労働法制の改訂が進められます。正規労働者は規制緩和の口実で長時間労働・過重労働を強いられ、耐えられない労働者は排除されました。女性労働者が働きにくい労働環境が作られていきました。非正規労働者が増大していきます。

 バブル経済が崩壊すると雇用問題は深刻になります。
 95年、日本経団連は報告書 「新時代の 『日本的経営』」 を発表しました。
 労働者を① 「長期蓄積能力活用型グループ」 (総合職正規社員) ② 「高度専門能力活用型グループ」 (一般正規職員) ③ 「雇用柔軟型グループ」 (パート、臨時、派遣) に分けた雇用の方向付けをしました。
 この報告書作成に至る論議が2007年5月11日付の 『朝日新聞』 に掲載されています。94年2月25日に日本経済同友会は研究会を開催したが、そこでは激論が交わされました。
 「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」 「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちでやってきたんじゃない」。前者はオリックス社長の宮内義彦で後者は新日鉄社長の今井敬。
 「終身雇用を改めるなら経営者が責任をとって辞めた後だ」 と今井に同調する日産自動車副社長塙儀一。「人口構成が逆ピラミッド型の高齢社会で終身雇用・年功序列は持たない」 と宮内を援護するウシオ電機会長の牛尾治朗。
 そして 「終身雇用が会社人間を作ってきた面もある。行き過ぎた会社中心社会を改める機会だ」 と主張する日本IBM会長の椎名武雄。さらに宮内は 「これまで企業が社会に責任を負いすぎた。我々は効率よく富を作ることに徹すればいい」 と発言。今井は 「苦労していない経営者に何がわかるか」 といら立つ。
 その後、日経連でも同じ論議が始まり、決着がつかないまま95年に 「報告書」 は発表されました。
 
 報告書を書いた日経連賃金部長小柳勝次郎は 「雇用の柔軟化、流動化は人中心の経営を守る手段として出てきた。」 と振り返っています。「これが派遣社員などを増やす低コスト経営の口実としてつまみ食いされた気がする」 とも。雇用は、企業が責任を持たない方向に進行した。経営者は 「必要なときに、必要な人を、できるだけ安い賃金で働かせ、いつでも首が切れる」 戦略を取り始めました。
 雇用の柔軟化、流動化は、上記の①から②や③に、②から③になることはあっても、②から①に、③から②や①になることはありません。そして大幅な処遇の劣化が伴います。
 グローバリゼーションとは世界のアメリカナイズで、同友会や日経連での論議の予想をはるかに超えるスピードで進みました。雇用が集団的労働者保護から個人的契約関係に移行されました。

 同友会の研究会に参加した富士ゼロックス会長の小林陽太郎は後に 「効率や株主配当は重要。場合によっては雇用にも手をつけなければいけないのは分かる。だが1にも2にも株主という意見にはちょっとついていけなかった」 と話しています。
 その富士ゼロックスは、95年 「成果主義賃金制度」 を日本で最初に導入します。目的は人件費削減と労働者のモチベーション向上と言われました。雇用を維持するためには、経営者は人権費予算増減の裁量権を持つ必要があるという論です。しかしモチベーション向上には逆効果があらわれてまもなく中止になりました。
 その後他社では、正規労働者の人件費削減の目的だけを1人歩きさせて導入します。03年頃からは 「みんなで渡れば怖くない」 方式で多くの企業が導入していきます。

 成果主義賃金制度は、目標を設定し、達成度・「成果」 が評価されます。賃金が労働の対価として 「人」 に支払われるのではなく、「成果」 への対価として支払われます。「属人」 ではなくなりました。賃金から人格が奪われ、生活維持の手段という性格が削ぎ落とされました。

 全体の 「パイ」 は小さくなりました。労働者同士で分配の争いとなります。周囲はみな 「敵」。先輩でも後輩に仕事を教えない、指導しない、見てみぬ振りをします。「礼儀とか社会通念、常識、モラルなんて評価の対象にならないし、そんなキレイごとを口にしている暇などなく、オレ自身が生き残ることで精一杯」 の状況で仕事を進めることになります。常に 「評価」 が下げられる不安の中で挑戦はエンドレスです。弱音を吐けない、ため息をつけない、愚痴をいえない、仕事上で知らないことや不明なことがあっても質問できない雰囲気が蔓延しました。
 職場秩序、団結を破壊され、職場で「仲間」との人間関係が破壊されました。体調不良者が続出しました。そして賃金決定は労働組合の集団交渉から、評価をめぐる個人交渉に移行しました。労働組合の弱体化が進みます。

 04年からパート労働者にも成果主義賃金制度が導入されます。最初の導入は西友。
 西友は04年春までに早期希望退職を募り、4人に1人に当る約1.600人の正規社員を削減しました。その代替がパート労働者。そして正社員と週30時間以上勤務する上級職パート2万7千人の給与・賞与を業績連動で決める制度に変更しました。
 制度上は、係マネージャーのパートは評価が高ければ年収が正社員を上回るケースも出てくるし、ごく少数だが正社員への道もあります。身分差は処遇などでかなりの違いがあります。パート労働者同士で 「勝ち組」 になるために競争します。会社はそれを煽ります。スーパー業界は女性労働者の割合が大きいです。家事労働を担いながらの労働者は競争から排除されていきました。
 制度スタート当初はモチベーションが向上したがそれ以降は疲弊が蔓延します。加熱させ過ぎると燃え尽きも早いです。残されたのは殺伐とした職場と人間関係だけでした。

 結局、成果主義賃金制度を導入した会社は、部、課として総合力が発揮されなくなり、成果・業績は個人の足し算が実態となってしまっています。

 現在、非正規労働者は全労働者の40%近くを占めるに至っています。
 「新時代の 『日本的経営』」 と成果主義賃金制度は、「日本的経営」・日本的労使関係を根底から破壊しました。職場にまとまりや締りがなくなりました。成果主義賃金制度が本格的に導入されて10年過ぎた現在、多くの企業の悩みとなり、どう突破するかが課題となっています。
 一面、やっと日本にも人事・労務政策においてリスク管理の意識が登場してきたといえます。


 企業の正規労働者から非正規労働者への転換は人件費削減においては功を奏しました。株主への配当割合も増え満足させました。
 正規労働者と非正規労働者の差は賃金だけではありません。業務上の情報は正規労働者で止まり、一方的指示に従うことを強制される。業務上の教育・訓練の保障も充分でありません。利用できる福利厚生・共済制度や施設も大きな差があります。そのようなことを日常的に目撃しています。身分そのものが労働意欲を減退させ、会社からの遠心力を強めています。会社としては少ない投資でどうしたら求心力に転換させることができるか。

 話を三菱UFJ銀行にもどします。非正規行員の組合加入を承認する本当の目的は何でしょうか。
 会社は、大口顧客対応は正規行員、小口顧客には非正規行員担当への移行を目指しています。そのために人件費増加を抑えつつ、正規行員以外の優秀な人材の確保を狙っています。今後は非正規行員の業務が多様化し、評価制度が導入されて格差が拡大され、営業活動と窓口業務とで2極化、分断も予想されます。
 その前に会社への求心力を強める方法の1つが、存在を認め、社内組合への組織化を認めることでモチベーションを向上させ、定着化をはかることです。あわせて壊された職場環境、秩序の修復です。組合を通して意見、要求を受け入れる、努力すれば救済するという手法です。これが会社のいう 「財源なき還元」。多くの非正規行員の処遇は結局 「自己責任」 となります。

 労組として局面は設定されています。どう対応するか。正規行員の盾や圧力勢力として非正規行員が利用されるとしたら反発は必至です。その時に有効活用できるのがユニオンショップ協定を利用した雇用不安の脅しです。
 非正規行員にとっては、組合員化を期待に終わらせるのではなく処遇改善、評価の透明化、正規行員との均等待遇、希望者の正規行員化を要求するチャンスです。そのためにはそれぞれが要求の声をあげて議論することから始めることが必要です。その議論に正規行員を巻き込み、取り組みを実行させなければなりません。そしてこれを契機に横の繋がりを作って情報交換をし、権利を自覚し合いながら自分たちのための労組を強化しなければなりません。


 他の企業でも非正規社員の労組加入が進んでいます。
 西友労組は11年秋から約1万5千人のパートを組合員にしました。パート労働者の正規社員化も加速しているといいます。
 かつて、西友に就職活動した学生は面接で 「当社を希望する動機は何ですか。組合活動ですか」 と露骨に質問され不採用になったといいます。その企業がいつから労組に寛大になったのでしょうか。また04年に早期希望退職者募集をした時の会社の退職強要 「マニュアル」 が手元にあります。いつから社員に優しい企業になったのでしょうか。
 パートを上から組織化することで不満を封じ込める、少数を職員化することで他の者に自己責任を 「自覚」 させる手段であることは明らかです。
 ユニクロはパート労働者も店長になれるというふれこみが行われたが、店長の責務は過酷であることが暴露されました。それでもパート、アルバイト約3万人のうち約1万6千人を2~3年かけて 「地域限定正社員」 にするといいます。過酷な労働条件で社員が定着しないことへの対策です。
 スターバックスコーヒージャパンは4月1日から、店舗で働く約800人の契約社員をすべて正社員化しました。それぞれ会社は求心力を働かせることで長期定着を図ることが目的のようです。

 今、非正規労働者は、権利を与えられた。この権利を、本物の労働者の権利を発見しながら処遇改善を勝ち取るチャンスに変えていくことが必要であります。そうすると新たな要求が発見でき、成果を獲得することができます。
この記事のURL | 賃金制度 | ▲ top
「水平社宣言」 をユネスコ世界記憶遺産に
2014/04/11(Fri)
 4月11日(金)

 3月25日、「『全国水平社創立宣言と関係資料』 のユネスコ世界記憶遺産登録をめざす会」 が設立されたという報道がありました。登録をめざすのは、全国水平社創立大会で採択された 「全国水平社創立大会 綱領 宣言 則 決議」 の実物など15点です。2015年の登録に向け、すでに申請書類を郵送済みです。
 世界記憶遺産は、これまでにフランス人権宣言や 「アンネの日記」 など301点が登録されています。日本からも、山本作兵衛さんの炭坑画などが登録されています。(2011年6月28日、13年5月17日の 「活動報告」)
 ユネスコ本部での審議は2年に1回ですが、申請には1国2件の枠があります。今回、日本からは4件の申請が出ているため、今後、日本ユネスコ国内委員会で2件以内に絞り込まれます。


 水平社創立に向けた活動は1920年頃から開始されます。
 22年2月21日、大阪中央公会堂で部落解放運動を融和主義で推進しようとする 「大日本同胞差別撤廃大会」 が開催されます。その講演会の最中に2階から全国水平社創立大会の宣伝ビラ 「全国水平社創立大会へ!」 が撒かれました。
 「水平社設立趣意書」 は、1919年6月のベルサイユ講和会議に日本政府が人種差別撤廃を提案したことに対して、「人種平等案は何所に押て出しか、己に顧みずして他に主張するの資格ありや」 と政策の矛盾から水平社創設の必然性を説明しています。

 全国水平社は3月3日に京都市岡崎公会堂で創立大会を開催します。(今、その跡に記念碑が建っています)
 「水平社宣言」が読み上げられました。
「……
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 水平社は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。

 綱領
 一、特殊部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す
 一、吾々特殊部落民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以て獲得を期す
 一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って突進す」


 全国水平社創立宣言は、日本初の 「人権宣言」 として人権史上高く評価されてきました。 創立の翌年には、アメリカの雑誌 『NATION』 に全国水平社創立宣言の英訳が掲載され、当時の朝鮮、ソ連、イギリスの新聞でも紹介されました。

 「宣言」 を書いたのは奈良県柏原の、現在の水平社博物館の川を挟んで向いに建つ浄土真宗西光寺の西光万吉だといわれています。
 しかし 「『水平社宣言』 の研究の過程で出会ったのが、西光の 『「水平社宣言」 について』 (『部落』 第216号、1967年5月、『荊冠の友』 第11号、1967年5月) であった。ここで西光は 『水平社宣言』 に関して、『当時平野さんに大添削をしていただいても、それ程に思わず忘れてしまったのでしょう』 『平野様がそれほど添削してくださったことも忘れて、自分だけで書いたように思い込んでいました』 と告白した。」 (朝治武著 『差別と反逆 平野小剣の生涯』)という事実があったようです。
 水平社創立大会の3日前に創立発起者8人は京都の旅館に集まって準備をしています。その時の西光の様子は 「『全国水平社同人中、否、全日本の人間中にもまたと得がたき宗教家にして芸術家、ロマンローランと推称されている痩身鶴の如き』 また 『実に水平運動の提唱者であり神の如き透徹せる達識を有する人格者』 の西光は菜葉服を着て、平野と共に筆を動かしていた。」 (『差別と反逆』) と言います。
 そして8人で最終的な協議をして創立大会に提案されます。


 水平社創立当時の状況を描いた小説が住井すゑの大作 『橋のない川』 です。
 永六輔は、阪神淡路大震災が発生する前日の1995年1月16日、住井すゑと西光寺で交流します。(その日のうちに神戸に行く予定だったが西光寺に泊ったために助かりました) その時の住井すゑの話では、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」 の 「人間」 は 「じんかん」 と読むのが正しいのだそうです。仏教社会で 「じんかん」 は1人ひとりが平等という意味なのだそうです。永六輔がラジオで話していました。どんな意味で 「人」 と 「人間」 を使い分けたのかがずっと疑問でしたがわかりました。「人の世」 は横の繋がり、「人間」 は縦の関係ということでもあるのでしょうか。


 ついでですが 「解放歌」 についてです。
 1番の歌詞は
   ああ解放の旗高く 水平線にひるがえり
   光と使命をにない立つ 三百万の兄弟は
   今や奴隷の鉄鎖断ち 自由のために闘かわん

 7番は
   ああ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の
   力はやがて憂いなき 全人類の祝福を
   飾る未来の建設に 殉義の星と輝かん

です。
 7番の「友愛」 と 「団結」 をどう分けたのだろうかとずっとひっかかっていました。
 平野小剣は、「団結力の強大」 の必要性について 「差別に対する部落民の 『自衛心と反抗心との結晶』」 と主張しています。部落差別に曝されている人びと繋がりが 「結ぶわれらが団結」 です。そして社会主義者、労働者階級等との横の連帯が 「友愛の熱き血」 のようです。実際は 「友愛」 と共闘・統一行動がどこまで可能かについて大議論になっています。無政府主義者の平野は否定的です。


 残念ながら、1960年代からの部落解放同盟への批判と一緒に水平社運動の歴史や 「水平社宣言」 の精神が葬られていったように思われます。部落解放同盟に “行き過ぎ” があったとしても、それを口実にしたもう1つの “行き過ぎ” は 「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」 と 「ああ友愛の熱き血を 結ぶわれらが団結の」 の精神を葬る攻撃でした。その後、さまざまな差別問題への取り組みを困難にさせました。
 「差別」 は民主主義の深化で解消されるものではありません。


 「差別」 はなかなか減りません。(2012年11月20日の 「活動報告」)
 「差別」 とは何でしょうか。
 東京都部落解放研究所の浦本誉至史さんは、機関紙に 「東京の部落の歴史」 を連載しました。その後に起きた状況が臼井敏男著 『部落差別をこえて』 (朝日新聞出版) に載っています。
 浦本さんだけでなく自宅の周りにも知らない人から1年半にわたって差別を助長する葉書が届きました。犯人は逮捕され裁判に付されました。出所したあと浦本さんと犯人は手紙のやり取りをします。
「男に部落との接点はなかった。解放同盟を批判する本を読み、『攻撃してもいいのだ』 と思ったという。被差別部落の出身だと名指しして、ののしり、ストレスを解消した。被害者はだれでもよかった。相手がどんな気持ちになるかなど考えもしなかった。そうした言葉を裁判で聞かされた。手紙の回答も同じようなものだった。
 そんな軽い動機とは、浦本は信じられなかった。偏見にどっぷりつかるほどの強烈な体験があるはずだと思っていた。完全に肩すかしだった。……
 『東京では人間関係の希薄さが差別の温床になっています。世の中に流れている偏見にもとづいて、簡単に行動を起こす。差別される痛みやつらさを知らないから、容赦ない差別になる。そもそも東京では部落の存在が想定外です。その相定しないものが目の前に現れると、気味が悪いといって排除する。その場合、排除することを悪いとも思わないし、差別しているという意識もない。そこでは、いくら説明しても、差別のつらさや苦しさをわかってもらえない。部落出身者にとって東京は怖くて生きにくい街です。部落出身を隠さないと、どんな目にあうかわかりません』」

 かつては 「300万部落民」 と言われてきました。この数が多いか少ないかはさておき、現在被差別部落の数は減っています。では300万人はどこに行ったのでしょうか。
 宮崎学は著書 『近代の奈落』 (解放出版社) の中で長谷川三郎解放同盟東京都連書記長の話を紹介しています。
「全国から東京に流れ込んできている部落出身者がきわめて膨大にいる、その中には出自を隠して、というより出自を隠すために東京に流れてきた部落出身者が多数にのぼる、むしろ彼らが圧倒的多数派であるという。
……長谷川は、そうした東京の 『漂流部落民』 は100万人を超えているのではないか、と推定している。」

 続けて宮崎は提案しています。
「だとしたら、(属地としての) 部落共同体に依拠した部落解放運動だけでなく、『個人としての差別の闘い』 が前面に出なければならないのではないかと、私は思う。
 そして、個人として差別との闘いに打って出たとき、彼らは 『人生問題としての部落問題』 に個人として直面することになるだろう。そこから現代管理社会における部落問題という大きな白紙の上に平野小剱や高橋貞樹とはまた違った、どんな一字一字、一行一行が書き出されていくことになるだろうか。
 差別はなくなっていない。
 近代の奈落とは姿態転換しながら、現代日本社会の襞々に差別が浸みついている。そうである限り、部落問題は個人の前に大きな白紙であり続けるであろう。差別との闘いは永続的な運動である。」
 「白紙」 とは、かつて部落解放運動家平野小剱や高橋貞樹のように、部落共同体とは切れて、個人として差別社会と直面するところから人生問題として部落問題を考え、部落民として自己形成することの課題の設定を言うようです。


 「水平社宣言」 にある 「心から人生の熱と光を願求禮讃する」 にはまだまだ道遠しです。
 しかしユネスコ世界記憶遺産登録は、あらためて歴史を捉え返し、新たな挑戦に向かう時の指針となります。
この記事のURL | いじめ・差別 | ▲ top
| メイン | 次ページ