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「ユニオンに入っていて (があって) 良かった」
2013/10/29(Tue)
 10月29日(火)

 10月19日と20日、山形県上山市で 「第25回コミュニティ・ユニオン全国交流集会 山形みちのく集会」 が全国から400人の参加で開催されました。サブタイトルは 「東日本大震災の悲劇を風化させないため 『学ぼう・つながろう・届けよう』 ユニオンネットワークのちからで」 です。
 受け入れ団体のおきたまユニオンは、2011年の開催準備をしていましたが、東日本大震災の避難者支援で体制が取れなくなり延期になっていました。今年の地元の歓待は3年かけて準備したように盛大でした。

 開会あいさつ、来賓のあいさつに続いて5ユニオン・労働組合から特別報告が行われました。
 札幌地域労組は、ローカルテレビで放映された田井自動車支部の闘いを上映しながらの報告です。
 田井自動車は消防自動車を製造・整備している会社です。従業員50人の平均年齢は29歳。繁忙期は残業が月約200時間のこともありましたが手取りは月20万円ほど。
 今年3月にインターネットで労組を知り、組合結成に至りました。その結果、労使交渉で2年分のタイムカードを開示させて未払い残業代を要求、会社の不誠実な対応に対しては残業拒否、ストライキを含めて闘っています。
 ストライキの画面にアップされた横断幕には 「俺たちは奴隷じゃない!」 と書かれています。組合員にはすべて初めての経験で、鉢巻をどこにどう締めるのかわからない者もいます。

 兵庫・あかし地域ユニオンもビデオを使って東亜外業分会の闘いを紹介しました。
 鋼管メーカーの東亜外業は、2011年1月20日、組合への協議がないまま、業績不振を理由に4月から工場を休止する、突然残務業務に必要な人員20人を除く65人の希望退職の募集を発表しました。人数が達成しないときは整理解雇の実施を匂わせました。
 組合は、団交も拒否したので労働委員会に不当労働行為救済を申し立て。会社は労働委員会の助言を受けて団体交渉には応じましたが、「希望退職募集については交渉する必要はない」 「4月1日工場休止の方針は決定事項」 「余剰人員は整理解雇する」 と回答してきました。3月末で37人がやむなく希望退職に応じましたが、組合は、残る組合員の雇用の継続を求めて、労働委員会闘争や団体交渉、抗議行動などを取り組みました。しかし会社は6月21日の団体交渉で 「28人を6月25日で解雇する」 と通告してきました。
 組合は、解雇撤回を要求して裁判闘争に取り組むとともに広範な社会的運動の取り組みを開始しています。

 この他、おおだてユニオン、スクラムユニオンひろしま、ユニオンみえからも報告を受けました。


 創作・朗読劇 『あたりまえの毎日が』 が上演されました。
 米沢市には、昨年末の時点で福島から3400人が避難していました。原作を書いた方は、福島からの避難者の人たちの悩みや苦しみ、葛藤を1人でも多くの人たちに知ってもらいた、フクシマを風化させてはならないという思いを込めたといいます。被災者の方々から話を聞いて何度も書き直したといいます。
 ストーリーは、福島・相馬市で “あたりまえの毎日” を過ごしていた女子サッカーに打ち込む高校生たちが、原発事故が起きて避難を余儀なくされるところから始まります。
 家族や友人がばらばらにされていきます。しかし避難先でもそれぞれサッカーを続けながら希望を探し続けます。“あたりまえの毎日” を取り戻すことに挑戦しています。
 みんなの共通の夢は、2016年にリオデジャネイロで開催されるオリンピックの代表選手に選ばれて、「フクシマの悲劇を繰り返すな」 と書いた横断幕を掲げて競技場を一周することだと語ります。

 夜のレセプションには、地元のフォークグループ 「影法師」 が登場しました。
 「影法師」 は1975年に長井市の農業後継者で結成した叙事詩フォークグループです。1975年から活動開始ということは、現在は〇〇歳の大台にのった方々で、ますます味が出てきています。全国に山形を紹介する時は欠かせなくなっているグループです。
 福島原発事故をテーマにしたオリジナル曲 「花は咲けども」 などを披露しました。(YOUTUBEで聴くことができます) 原発に対する怒りがあらためて沸き起こってきます。

   原子の灰が 降った町にも
   変わらぬように 春は訪れ
   もぬけの殻の 寂しい町で
   それでも草木は 花を咲かせる

   ※花は咲けども 花は咲けども
    春をよろこぶ 人はなし
    毒を吐き出す 土の上
    うらめし、くやしと 花は散る

   異郷に追われた 人のことなど
   知ったことかと 浮かれる東京
   己の電気が 招いた悲劇に
   痛める胸さえ 持ち合わせぬか

   ※繰り返し

   1年、3年、5年、10年
   消えない毒に 人は戻れず
   ふるさとの花 恋焦がれて
   異国で果てる 日を待つのか

   ※繰り返し

 レセプションの最後は花笠をもって 「花笠音頭」 の踊りです。参加者も混ざって大きな輪が出来上がりました。


 2日目は10の分科会に分かれての討論です。
 第1分科会のテーマは 「どうすればなくなる? 職場のパワーハラスメント」 です。
 例年は、講演、報告をうけてそのあと意見交換に移って交流をしていました。
 今年は進行方法を変えました。最初から5人ずつのグループに分かれて全員参加で発言する形式です。
 グループごとに自己紹介の後、自分または周囲の者がいじめに遭った体験を振り返って約20分討論をします。その後協力者のアドバイスを全体で受けて体験をいまの視点から見つめ直して20分討論を続けます。また協力者のアドバイスを受けてさらにパワハラ防止のヒントを共有するための討論を進めます。
 討論を3段階に分けることにより、体験を自分だけで解釈していたのを分解し、客観的に捉え返すことができるようになります。
 最初は知らない同士で苦痛な体験を遠慮しながら語り始めています。それが時間が経つにつれて思いを共有しながら積極的に意見交換をしています。思いが共有できた時の表情は晴れ晴れしています。
 その後、各グループが討論内容を紹介し、他のグループからの質問に答えます。質問も積極的に出されました。討論の中で出された具体的いじめ事例、解決方法、協力者のアドバイスは割愛します。解決方法に模範解答はないからです。

 全体で共有できたのは、同じ思いをしている仲間が大勢いる、話をすると心が軽くなる、理解し合える人がいると解決のための糸口を見つけやすくなるという実感です。残念ながら現在の職場は、問題が起きても見て見ぬふりをする人たちが多くいます。しかし自分たちとユニオンは職場に戻ったら、周囲でいじめられている人がいたら声をかけよう、それが職場改善の第一歩になるという確信です。

 分科会で独自にアンケートをお願いしました。項目ごとに紹介します。
 「参加した気持ちや感想」 です。
 「具体的な事例をもとに議論出来てよかった。」
 「小さいうちに問題を解決するように努め、これはパワハラにあたる行為と認識するよう、事例を出して研修するのが大切と思った。」
 「同じ思いを持ってガンバっていると思った。参加してよかった。」
 「達成感のある内容でした。」
 「色々な方の体験談を聞くことにより、今後の対処、そのために必要なことを聞けて、とてもよかったと思います。」
 「色々なお話を聞け、大変参考になりました。問題を意識することができました。色々な事例があったので、ユニオンとしての予防も考えたいと思います。」

 「分科会の内容は」 です。
 「パワハラの現状を直接聞けて全国で頑張っている仲間に勇気をもらいました。」
 「時間が短く、もの足りなかった。」
 「具体性が図れ、効率的だと思いました。今後の展開まで話が出来てよかったです。短時間で濃い内容でした。」
 「段階的な分割方式について、当初はやり難さを感じたが、最終的にはよかったと思うようになった。」

 「その他、全体をとして」です。
 「仲間になれた気分です。」
 「情報共有化でき、勉強。」
 「ユニオン間の連携が必要と感じた」
 「グループ討論や最後の全体での事例発表のいじめやパワハラの実態を共通認識できたと思う。解決に結びついた事例も話されましたが、『ユニオンに入っていて (があって) 良かった』 という言葉が印象的でした。『1人では闘えない。』 ユニオン活動の原点ですね。改めて思いました。」


 総会終了後は、米沢に移動して河原で芋煮会と米沢牛の焼き肉パーティーでした。
 総会・分科会の討論をすっかり忘れてしまいそうになるくらいフクシマの隣で苦闘を共有している姿が伝わる山形、食べ物がとてもおいしい山形でした。
 

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日本と似ている韓国の職場のいじめの状況
2013/10/25(Fri)
 10月25日(火)

 10月17日、韓国の職場のいじめ問題を研究をしている方が来日するということを聞きましたので、ついでに話を聞く機会を設けてもらいました。

 報告内容を紹介します。
 韓国の職場のいじめの現状です。さまざまな調査結果資料があるなかの1つです。
 「1回もいじめられたことがない」 13.4%、「1回以上いじめにあたる行為を受けたことがある」 82.5%です。
 主な加害者は、「同僚」 58.3%、「直属上司」 26.7%、「部下」、「上司」 がともに10.0%、「顧客」 0.7%です。
 韓国では 「顧客」 からの暴力・「感情労働」 について取り組みが進んでいます。(2013年3月12日、8月27日の 「活動報告」 参照)

 精神的ないじめを受けたことがある者への具体的な行為は、「言語暴力」 51.6%、「半強制的飲み会への参加」 33.0%、「学歴・外見などによる差別」 24.2%、「いじめ」 21.8%、「セクハラ」 15.1%という状況です。
 半強制的飲み会への参加、学歴・外見などによる差別は現在の韓国の状況を物語っています。日本では若者を中心に半強制的飲み会への参加はなくなりつつありますが、韓国ではまだ儒教意識が残っているといいます。加えて軍隊流の文化、「我々という集団意識」 があるといいます。
 いじめを受けた時の対応は、「我慢した」 84.6%です。その内訳は、「組織文化だと思ったから」 61.4%、「耐えられると思ったから」 27.0%です。「方策を探り、対応した」 15.4%です。
いじめを 「組織文化」 と捉えているようです。

 報告者は、1人によって行われる行為を “いじめ”、集団からターゲットに選ばれた行為を “モビング” と区別しています。
 モビングを受けたことによる影響は、「会社に対する自分の忠誠心が薄れた」 56.8%、「自身を失った」 47.7%、「非常に傷つきやすくなった」 45.5%、「仕事の能力が低下した」 41.4%、「眠れなくなったり、うつ状態になった」 33.7%の状況になっています。
 会社にとっては深刻な状況を作り出しています。

 実際に職場にいじめがあると回答した人が 「いじめを受ける人の類型」 をあげています。「目配りがきかなくて、融通が利かない人」 34.4%、「行動でなく言葉だけで仕事をする人」 30.8%、「業務能力が劣っている人」 30.1%、「組織に融和しようと努力しない人」 24.6%、「組織に反する行動をする人」 22.1%などの順になっています。

 職場にいじめがありながら 「いじめの雰囲気を傍観している」 人が70.3%、「いじめ行為を一緒にしている」 人が8%います。
 いじめを傍観する理由は、「自分が止めるとしても、状況が変わることはない」 48.1%、「被害者自身が処理すべき問題だから」 27.3%、「その人が好きでないから」 24.5%、「いじめられる理由があると思われるから」 19.0%、「自分が止めると、自分もいじめの被害を受けるから」 17.1%、「私と関係のないことだから」 15.7%の順です。
 「自分が止めるとしても、状況が変わることはない」 が約半数を占める状況は、日本の自治労10万人実態調査、イギリスのデータにも似たような調査結果があります。「見て見ぬふりをする」 は現在の人間関係になっています。
 いじめがある会社で、いじめ行為を防ぐための規制および予防プログラム、担当機関などの運営が行われているのはわずか6.5%です。


 韓国は1990年代末に通貨危機に陥り、IMF管理体制になると、「財政再建」、「金融機関のリストラと構造改革」 が推し進められる中で職場のいじめが問題になりました。
 多くの企業が生き残りをかけて人件費削減のためにリストラを続けました。労働者は雇用調整の対象にならないようにするために同僚を中傷、誹謗しました。その結果、企業は解雇対象者をターゲットにして集団によるいじめを行なったりしました。
 このような事態に対して99年5月、労働部は集団によるいじめを 「事業主、上級者又は労働者が集団を構成して、特定人を、その人が所属する集団から疎外させ、構成員としての役割の遂行を制約したり、人格的に無視または中傷したりする精神的、肉体的な行為」 と定義し、「職場内における集団いじめ防止策」 を施行します。
 しかし政府と事業主がいじめを起こさせる構造を作っていたのです。成果は上がりません。

 1999年4月にソウル地下鉄労働組合は、地下鉄公社のリストラに反対してストライキを呼び掛けます。
 その時に労働組合が作成した 「反組織行為者への処罰指針」 には 「ストライキに参加しなかった人やストライキから離脱した労働組合員」 に対して労働組合はいかなる方法であれ 『処罰』 する」 とありました。「処罰」 が 「集団的いじめ」 ととらえられました。
 かつて韓国では鉄道施設は軍事施設と位置付けて国有でした。しかし冷戦が崩壊していくと民営化案が出てきます。日本の国鉄分割民営化の行方と労働組合の動向を “じっくりと” 観察していました。日本で分割民営化法案が成立すると、韓国政府は鉄道の民営化を決定します。その結果、鉄道における合理化が推し進められました。


 その後、2009年から本格的にいじめ問題の研究が開始されました。外国のさまざまな研究などを参考にしているので統一したいじめの概念を定義することは難しいといいます。
 取り組みが開始された理由としては、企業の構造調整や合併吸収 (M&A) によって雇用の確保が難しくなっていることと、熾烈な競争が高まっていることなどが挙げられています。また国内の多国籍企業は 「個人を尊重する」 といういじめ問題などに対するグローバルポリシーを尊重する企業文化を持っているのでそれに対応していかなければなりません。

 日本が1980年代にアメリカやヨーロッパ諸国と貿易摩擦が生じた時、ヨーロッパ諸国は日本の年間労働時間2000時間を超える長時間労働を問題にしました。人件費コストを切り下げて商品を安価にして貿易拡大を図っているという批判です。その後、日本政府は労働時間の縮小に取り組むことを強いられました。
 それと似ています。

 韓国では今年9月30日に野党議員は 「職場内のいじめは、労働者の精神的・身体的な健康に悪影響を与えるのみならず、組織に対しても莫大な費用がかかることになるので、これに対する対策を講ずる」ために「勤労基準法」 に 「職場内のいじめの禁止など」 の条項を追加する (第10条の2) 一部改正案を発議しました。その①で 「職場のいじめ」 とは 「使用者及び労働者は、職場内外において、職場内の地位や多数の優越性を利用して、特定労働者や特定集団の労働者らを対象に、意識的・持続的・反復的に身体的・精神的な攻撃を加えるか、または疎外させる一切の行為」 と定義しています。

 日本では職場のいじめ問題への対策として、2012年3月15日、厚労省は 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 を発表しました。そのなかで 「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」 と概念規定しました。法制化には至っていません。
 韓国の 「勤労基準法」 の条文と、日本の 「提言」 は似ています。

 条文には、使用者に対して職場のいじめ予防のための教育実施と、使用者と労働者に予防教育を受ける義務などを課しています。そしていじめの発生が確認された場合、行為者に対する懲戒などの措置を取ることを義務づけています
 懲罰規定としては、職場のいじめに該当する行為を行った者に対しては、3年以下の懲役または2000万ウォン以下の罰金が科せられます。使用者が教育実施を怠った場合は500ウォン以下の過料が科せられます。
 しかしこの法案が通過するか、法案通りで通過するかどうかは不透明な状況です。


 では、職場のいじめ問題について労働組合はどのような取り組みを行なっているでしょうか。
 労働組合内では、発言権を行使できる労働者や組織内で強力な影響力を持つ労働者が職場のモビング行為者となりやすい状況があるといいます。そのなかで韓国労組、民主労組ともにあまり関心を持っていない状況にあります。労働組合のおもな役割は現場の組織を管理することであり、現場の労働者も関心を持っていないと言います。
 日本のナショナルセンターや企業内労働組合とそっくりです。

 韓国社会も大きく変化しています。
 職場を一生涯働くところと捉えていません。また社会への帰属意識が徐々になくなってきています。企業もまた経済の落ち込みの中で、経費削減のために従業員の働き方を多様化しようとしています。


 報告を聞いた感想としては、韓国は韓国企業の国外進出、低価格商品の輸出において労働者の実態が摩擦の原因にならないように労働法制をILOレベルまで押し上げ、外国から批判された時の反論材料にしようとしているように思われます。しかし、労働現場は労使ともに法制度に従おうとしません。意識はまったくかけ離れています。このことが最も深刻な問題になっています。

 労使とも、労働者の多様性を受け入れ、個性を尊重する働かせ方への転換が迫られていると言えます。 「勤労基準法」 改正案を共有する取り組みが必要です。
 モビングを受けたことによる影響を捉えなおすと労使ともにメリットはありません。逆に職場からいじめをなくすことはメリットが発生します。先駆的取り組みを真似しながらでも、労使ともに実践を通してその認識を持てるような挑戦が必要です。そうすると新しい 「団結」 が生まれてきます。 


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みんな平等に大切な命
2013/10/21(Mon)
10月21日(月)

 10月21日、神宮外苑競技場で 「学徒出陣」 式典が開催されてから70年を迎えます。20日には各地で追悼集会が開催されたという報道があります。

 「学徒出陣」 から50年目の時、靖国神社の改装される前の遊就館で 「学徒出陣展」 が長期間開催されました。「右」 の人びとはさておき 「左」 の人びとからもいい展示だったという噂が伝わり、見学に行く者が多くいました。
 見学に行きました。『きけ わだつみの声』 のようなインテリチックに偏向したものではなく、知覧特攻平和会館のように殉国の士に導く内容でもありません。ただ広い会場に提供された遺品を個人ごとにそのまま展示していました。(2011年8月13日の 「活動日記」 に書きましたが、『きけ わだつみの声』 は編集者の心象がバイパスしているように思われます。たくさんの手記からの選択段階で1つの傾向を作り上げてしまったのではないでしょうか。)

 平日に行きましたので見学者はあまりいませんでした。順に進んでいくと、佇んでいた女性が声をかけてきました。「これ、私の弟です」。写真と一緒にグローブやボールなどの遺品がありました。
 しばらく思い出話を聞きました。
 弟はプロ野球の選手でしたが、徴兵を免れるために大学の夜間部に入学しました。しかし 「学徒出陣」 で出征し、帰らぬ人になってしまいました。
 名古屋軍 (現中日ドラゴンズ) の石丸進一選手に似ています。石丸選手の話などをするうちに、東京ドーム敷地内に戦死した日本プロ野球選手を追悼する 『鎮魂の碑』 が建立されているのを教えてもらいました。後日見学に行きました。碑に刻まれている69人の名前のなかにその方の弟を確認しました。


 大学生は 「志願という名の徴兵」 を免れることができていました。
 しかし1943年9月21日、東条英機内閣は文科系学生の徴兵延期の停止を決定し、10月2日に勅令を公布します。そして10月21日、文部省主催の学徒出陣壮行会が雨の中で開催されます。最初に官立大学の学生、続いて公立大学、そして私立大学が創立順に入場しました。観客席は満杯でした。
 しかし徴兵予定でも参加しない学生もたくさんいたと言います。すでに大学での壮行式が行われたから、田舎に帰っていたから、雨だったので、などの理由が言われていますが、厭戦気分の者もいたと思われます。各大学は行進に不足する人員を理系の学生などを急きょ動員したりして補充したのだそうです。
 壮行会には参加しなくても徴兵はされました。もったいない命が奪われていきました。

 もったいない命は学徒だけではありません。
 「志願兵」 の年齢は16歳以上でした。
 海軍特別年少兵は41年に創設されましたが 「志願」 の年齢は特例として15歳以上16歳未満と定められました。17,000人から18,000人が 「志願」 し、5,000余人のもったいない命が奪われていきました。(映画 『海軍特別年少兵』 については2012年7月13日の 「活動報告」 参照)
 青年が免除され、少年が志願させられていたのです。
 学業が食料生産よりも保護されました。農村では跡取りの長男も徴兵されました。
 どれもこれも大切な命です。
 しかし学生とその他の者に、国家による差別がありました。命の軽重が、家族が富んでいた者とそうでない者とで差を付けられていました。
 

 大正デモクラシーを経て藩閥は後退し、政党が権力の中心を占めていきます。官僚は官立大学出身者が担っていきます。30年・31年の恐慌でカルテルが急増し、その指導権は財閥資本が握っていきます。機械化、合理化が進むと大学、専門学校新卒の管理職が工場を統括し、それまで管理職であり技能の伝播者であった熟練工は位置を失っていきます。軍隊においても藩閥が解消し陸軍・海軍学校出身者が出世を果たして行きます。
 官と軍の対立が激化していきますが、戦時においてはどちらの勢力においても、学卒者は自分らと後継者を安全なところにおくという共通認識が存在していました。もう1つの共通点があります。早期に、家族を個人的に安全なところに疎開させています。
 このような共通認識が学生の徴兵延期になっていました。他よりも徴兵が遅かったということは、相対的には死者は少なかったということです。


 戦争そのものが貧富の格差を拡大しました。さらにこの差別は戦後に歴然としていきます。この大きく違う 「与えられた運命」 が戦後の 「格差社会」 の出発点です。
 以前に紹介しましたが、終戦直後に戦争孤児を主人公にしたラジオドラマ 『鐘のなる丘』 が夕方流されていました。家族が無事だった家庭では 「うちではみな無事でよかったね」 といいながら一緒に聴いたのだそうです。ある新聞が、戦争孤児の追跡取材をしました。その1人にドラマを聴いたことがあるかと尋ねたら 「その時間は食うために仕事をしていた」 と答えられたといいます

 岩手県の、夫を戦争で殺された妻からの聞き書き 『あの人は帰ってこなかった』 (菊池敬一・大牟羅良編・岩波新書1964年刊) のなかで伊藤俊江さんが語っている。
 「死ぬベと、思ったことも何回もあったナス。小さい4人の子供達にまで這うようにして稼がせて、……
 いつだったか、暗くなってから4人のワラシたち並べて、『おまえたち、みんな一緒によ、仲良く死んでしまわねェか。そうすればこんな苦労することも無ェんだし、とうさんのところさ皆して行くにいいんだじェ』 ってだました (なだめすかした) ことあったナス。そうしたら、小さいやつら黙って泣いてばかりいたったけども、一番年とった卯吉 (夫の弟、当時8歳)、『おらあ、なんぼ (いくら) 稼いでもいいから死にたくないモ。田の草取りでも、草刈でももっともっと稼ぐから死にたくないモ。』 って言ったモ。……
 康幸 (長男)、ろくに学校さも行けないでしまったけども、勉強は割合出来よかったもんだから、中学校卒業する時先生に高校さやったらどうだっていわれたったども、どうして高校さやれるべスヤ。……
 可哀想だったンス。夜、寝言にまで友人と高校さはいることの話してるの聞くと、とうさんさえ生きて帰って来ていてくれたら、この子供達――と思ってナス。それでも康幸、オレには一言もその話出さねェでナス。それがまた余計可哀想だったナス。そしてオレには、『大工になる』 とばかりいってくれたったモ。……
 康幸は自分は高校さはいれなかったども、弟にははいったほうがいいんだって、大工して助 (す) けたりして康範バ高校卒業させてくれたノス。昨年卒業して東京さ就職に発つ時、やっとここまで来たな、と思ったら、涙でてナス。」

 『あの人は帰ってこなかった』 の編者は戦後の農村の状況にも触れています。
 「昭和37年3月の中学卒業生の場合を (岩手) 県統計でみますと、卒業生総数は3万1437名、うち進学1万5341名 (48.8%)、就職1万1475名 (36.5%)、その他となっているのですが、これを農家出身者でみると進学よりも就職が多く、しかもその大半は県外就職になっているのです。“集団就職” などといってにぎやかに送り出しはするものの、その将来は?…… 見送り風景の中に母親たちの涙が見られるのもうなずける思いがします。
 こうして青少年たちを送り出し、さらに出稼者までも送り出さねばならぬ農村、後に残された婦人たちは 『何か大東亜戦争が来たようだ』 とよく言いますが、いままた農村婦人から夫や息子を奪っているもの、それは “招集命令” によってと “札ビラ” によっての違いがあるにしても、同じ社会体制の同じ要求から来ているのでしょうか。それはいずれにしても、“もはや戦後ではない!” といわれるほどの経済成長、都市の繁栄の陰に、惜しみなく労働を提供している農村、ことにも生産力の低い農山村においては、正に “銃後” を思わせるものがあります。」


 1955年から10年ごとに、全国の20歳から69歳の人を対象に職業キャリア、学歴、社会的地位、両親の職業や学歴などのデータを集める「社会階層と社会移動の全国調査」 (略称SSM調査) がおこなわれています。
 1995年の調査結果を分析・研究したのが佐藤俊樹著 『不平等社会日本』 (中央公論新社) です。
 地位や経済的な豊かさを得るための 『資源配分』 における実績と努力などに関して 「戦後の日本では『努力すればナントカなる』 部分が拡大し、『努力してもしかたがない』 部分が縮小したとのべた……しかし、実績主義の人々は本当に自分の力だけでやってきたのか。……痛烈な反論が、1つは、女性の側からあがるはずである。――スタート地点が平等だなんてとんでもない。女性が専門職・管理職になるにはさまざま壁がある。逆にいえば、実績主義の三分の二を占める男性の地位は、『性別』 という障壁に守られた、虚構の 『実績』 なのだ、と。」
 「実績主義には高い学歴の人間が多く、W (ホワイトカラー) 雇用など、高い学歴を活かす職業についている。それだけではない。実践主義の人々は、その父親の学歴も高いのである。彼らの高い学歴は父親の高い学歴をひきついだものなのだ。……P・ブルデューという社会学者の言葉を借りれば、実績主義の人々も別の資産の 『相続者』 なのである。」

 しかしそう決めつけられてしまっては人びとはやる気をなくします。
 「選抜システムは、どういうものであれ、必ず重大な問題を一つかかえる。選抜は少数の 『勝者』 と多数の 『敗者』 をつくりだす。『敗者』 とされた人々は、そのままだと、当然やる気をうしなう。その結果、経済的な活力が大きく殺がれ、社会全体も不安定になる。『努力してもしかたがない』 という疑惑にとりつかれていれば、その危険はいっそう高まる。
 選抜社会をうまく運営していくためには、『敗者』 とされた人々が、意欲と希望と社会への信頼をうしなわないようにしなければならない。……そこには敗者を 『再加熱』 するしくみが欠かせない。」
 戦後日本社会は平等を保障しませんでした。学歴を拾得する条件から排除された人たちが大勢いました。しかし 「別の資産の 『相続者』」 を隠し、学歴社会批判をすることで平等を語って 『再加熱』 に挑戦させました。その具体的姿が 「企業戦士」 です。
 「実はこの学歴社会批判、日本の学歴社会、学歴―昇進の選抜システムをささえている重要な装置の一つだからである。その意味では、偏差値批判や学歴批判派ほとんど 『お決まり』 の話になっている」
 「別の資産の 『相続者』」 は戦後よりは戦前のほうがはっきりしていました。
 1968年、東大生の親の収入が、慶応生の親の収入を上回ったことがニュースになりました。


 さて、大学進学率が50%近くになると、学歴も色あせていきます。学卒者も 「負組」 になっています。『再加熱』 も功を奏しません。
 これに対する安倍政権の政策は 「切り捨て」 です。人びとから意欲と希望と社会への信頼をうしなわせて平気でいます。
 安倍首相は、戦中・戦後における 「別の資産の 『相続者』」 の典型であり、「与えられた運命」 を受け継いできました。現在のポストが自己の努力の結果などとはだれも捉えていません。
 苦労知らずの集団である安倍政権は現在の 「勝組」 に競争を煽ります。「負組」 は対象外です。「勝組」 から新たな 「負組」 を生みだされても 「切り捨て」 られて自己責任を通告されます。これが 「アベノミクス」 と呼ばれるものの実態です。

 戦時中の国家体制、徴兵・軍隊は人びとの命を差別しました。その延長戦に位置する現政権の政策は、格差を野放しにすることで命の差別を踏襲しています。

 どれもこれも大切な命です。
 人びとの生活・生存を保障しない国家体制は国家とは言えません。しかしそのような国家は軍事体制だけは拡充させます。ますます人びとの命が粗末に扱われます。

 命を大切にする、安倍政権に対抗する潮流の構築を急がなければなりません。 
  

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被災地自治体職員の 「心のケア」 は急務
2013/10/16(Wed)
 10月16日(水)

 9月30日付の読売新聞は、東日本大震災で被害をうけた岩手県12市町村、宮城県15市町、福島県の沿岸と東京電力福島第一原発事故で避難指示区域となった地域の15市町村の計42市町村を対象に、うつ病など心の問題で1か月以上の長期休職をしている職員数の調査結果を載せました。今年度もすでに8月までの5か月間で147人が1か月以上の長期休職をしています。2010年度は177人でしたが、11年度は286人、12年度は254人でした。
 震災後2年半での県別の休職者数 (延べ人数) は、宮城県が461人、福島県が180人、岩手県が46人。市町村別 (同) では、仙台市が207人で最も多く、次いで福島県いわき市が101人、宮城県石巻市が90人でした。いわき市は、今年度の5か月間で20人が休職、10年度の23人に近い人数となっています。

 読売新聞は定点観察をしているようです。
 昨年の6月12日に 「被災自治体、早期退職相次ぐ…復興業務山積み」 の記事が載りました。
 震災から1年3か月経過した時点での42市区町村の調査では、少なくとも計384人の職員 (病院職や臨時職員を除く) が早期退職しています。各自治体では早期退職の増加で、さらに人手が足りなくなる悪循環に陥っているとあります。
 具体的には、福島県南相馬市 (職員数約580人) では震災後から12年3月までに前年度の7倍の49人が早期退職。福島県双葉町では職員全体の1割以上に上ったといいます。子どもの健康不安で引っ越したり、震災で家族の介護が必要になったりしたことなどが理由といいます。
 石巻市 (約1.400人) も2009年度の12人に対し、震災後は倍近い21人に上っています。
 同僚の死を間近で体験したということもあると思われます。


 被災地自治体は深刻な問題が続いています。
 職員不足が深刻です。復興が進むにつれて新たな業務も生まれてきます。全国から1000人にのぼる支援を受けていますが土木工事関連担当者を中心にまだまだ不足しています。しかし全国の自治体にもゆとりがありません。
 その一方で体調不良による休職者が急増しています。
 また、7月18日の 「活動報告」 で被災地の教職員の早期退職問題について触れましたが、自治体職員においても体調不良に陥ったり、休職したが復職の意思を失った職員の早期退職も続いています。退職は誰にとっても本意ではありません。
 各自治体は、体調不良者に陥る、休職に至る職員を極力減らす対策を取る必要があります。
 さらに阪神淡路大震災において惨事ストレスは2年、3年後に発症しています。認識して注意しておく必要があります。「(心の) 災害は忘れた頃にやってくる」です。

 体調不良に陥る原因に長期にわたる過重労働、長時間労働が挙げられています。しかし現実的問題として解消は簡単ではありません。直ちにこの問題を解消することは復興を遅らすことになりかねません。被災者と自治体・職員が対立することにもなります。被災者でもある職員は自己矛盾に陥ります。それは真の復興とは言えません。
 過重労働、長時間労働だけを主張することは傍から愚痴を言っているだけです。
 自治体職員を抜きにして復興はありません。しかし被災者を抜きにしたら復興とは言えません。


 いじめ メンタルヘルス労働者支援センターは、「消防士・警察官の惨事ストレス」、「自治体労働者の惨事ストレス」、「教職員の惨事ストレス」、「報道人の惨事ストレス」を取りあげたパンフレット 『惨事ストレス対策 心身不調は災害という「異常な事態への正常な反応」』 を作成しました。その全文が全国労働安全衛生センター連絡会議の機関誌 『安全センター情報』 2013年11号に収録されました。
 その中の 「自治体労働者の惨事ストレス」 から長くなりますが引用します。

 「予期しない事態が発生したことに対応する救援者のプロはいません。これまで誰も経験をしたことがない業務が発生し、指揮者がいないなかで 『先が見えない仕事が多くつらい』、『いくら働いても仕事が終わらない』 ことばかりです。完成期日は指定されても手順の予測がつかないこともあります。
 自治体労働者は縦型の指揮命令になれ過ぎています。また自分に与えられた任務の完成だけを目指し、それ以外のことには目を向けません。横型の思考、連携に慣れていません。思考の転換が必要です。
 救援者が従事する業務の管理者やリーダーは、救援者と定期的に口頭で報告と評価を行う機会を設定する必要があります。部署ごとの定期的会合で全体計画と進捗状況の公開と説明、困難性を含めた問題点・疑問点と課題を出し合って調整・修正し、全体が理解・納得する必要があります。目標や方向性がはっきりすると 『自分は役に立っているのだろうか』 等の無力感や自信喪失、孤立感のストレスを防止でき、任務を再確認することができます。
それぞれの役割分担を認識することができるとお互いに協力し合うことも可能になり、相互慰労による “ゆとり” を作り出すこともできます。任務達成時にはみんなで喜びを分かち合うことができます。
 会議に費やす時間を惜んだ結果、かえって時間がかかる事態が生じたという話はしばしば聞きます。」

 「直接同じ業務に従事していない同士でも、救援者がグループの中で自分の感情、恐怖、フラストレーションそして手柄話まで 『トーキングスルー』 ・当人の心的抵抗を熟知させて反復脅迫の支配から脱却させる機会を持つことが必要です。各地からの救援者は、派遣元ごとの気心の知れた同士がより有効です。
 機会は管理者、ケアする者が設定、赴いて開催する 『アウトリーチ』 の方法を取ります。救援者は自分の方から接触するのを嫌がったり、自分から要請するのは自分に欠陥があるような恥辱感に駆られたり、ストレスを押し殺して我慢したり遠慮しながら任務を遂行しているからです。アウトリーチは誰でもが同じ状況にあると認識させることができます。
 『カタルシス』 ・心の中に溜まっていた感情を話すことで解放して気持ちを浄化する機会は、各人が自分の経験したことへの認識を他者のそれと対比し、積極的に回顧・検証することができます。そして自己統御をすることができ、自然治癒を期待できます。」

 「現在の被災地自治体職員の労働安全衛生対策は緊急を要します。
 労働者はだれも過重労働や支援がないなかで孤立して業務を遂行していると自分が疲労蓄積して体調不良に陥っていることに気付きません。他者の異常にも気付きません。過重労働が抑うつ状態を作り出していきます。職場全体で雰囲気、環境を悪化させていきます。
 自治体職員を抜きにして復興はありません。これまで経験したことがない業務が発生し、人員不足の中で1人で何役もこなさなければならないこともあります。しかし無制限の過重労働が続き、今後も続くことが予想されるならばなおさら、各自が長期に関われる心身を確保するために定期的休養が必要です。自分を不可欠の人材であると捉え、責任もって任務を達成しようという熱意を持つならば、逆にいま無理をしてリタイアすることは全体に対する無責任になることを自覚する必要があります。救援者は、1人で復興活動に従事しているわけではありません。
お互いが業務を理解し合い、忙しい中でも労わり合い、“精神的ゆとり” と休息を保障し合うことが必要です。そうすると異常の予防・早期発見に繋がります。
 上司は職員を積極的に休ませる配慮と決断が必要です。ストレスが生み出される状況が続くからこそ、定期的に被災地から隔離された “日常を取り戻し” て自己を確認できる状況を保障する必要があります。そうすると救援者は自己の任務の重要性を再確認することができます。
 これらのことはカウンセラーや医師にできることではありません。カウンセラーや医師まかせは問題解決の先送りでしかありません。」

    頑張れの 声が重荷に なるときは
     休んでいいよ だれも責めない (2011.5.9 『朝日歌壇』)

です。

 「被災地の自治体職員にとっては、大きなプロジェクトが終了した時、または一定期間の経過での節目の時、救援者にとっては被災地の活動から帰還した時、『回顧・検証』 は自分の役割を充分に果たし、できるだけのことはやったという意識を持たせ、ストレス体験を克服し、自己統制をするためにも役立ちます。救援者は自分の成果が組織的に共有化される、無駄にされないと受け止めることができます。組織にとっても体験の 『回顧・検証』 は財産です。
 東日本大震災ではすでにたくさんの文献が作成されています。」

 「長時間労働と過重労働がのしかかる救援者は “小さな政府” の被害者でもあります。しかし被災者からの被害者ではありません。復興は被災者と救援者が共同で仕上げるものです。
 心身不調は、災害という異常な事態への正常な反応です。
 体調不良者をなくすことはできませんが減らすことはできます。
 大きな災害体験を乗り越えようとして頑張っている被災者の復興支援に関与しながら、減らす努力を怠った結果、新たな被災者・二次被害が生み出されるとしたら真の復興と呼べません。
 “震災に負けない” ということは、復興にたずさわったすべての関係者が大切にされ、被災者も救援者も支援者も遠くから思いを寄せた人たちも、お互いに尊重され、希望を共有し合える社会を創り上げていくことです。」


 東松島市の被害状況は、おそらく東日本大震災の市町村なかで最大でした。復興作業もかなり遅れていました。1年経過した時に市内に掲げられていた看板は 「復興に踏み出そう」 でいた。移転をめぐって住民の対立も起きました。
 しかし今、一番復興が進んでいるのではないかと言われています。
 市民の方から話を聞きました。
 市役所職員は市民との話し合いを続けて信頼関係を築き上げてきました。市民からの申請、問い合わせについては、なるべく早くということで20時頃や朝は8時頃に電話連絡があったりするといいます。(20時過ぎの電話は控えるようです)
 それに対して市民は、「市役所職員は本当に頑張っているぞ」 「いつ休んでいるんだろう、がんばり過ぎると身体が持たないぞ」 と感心しながら話し合っています。
 市民は用事があって窓口に行っても 「ご苦労さん。急がなくてもいいから」 と声をかけるのだそうです。そうすると職員にも心にゆとりが生まれます。
 市民からの感謝の気持ちが、思いやりにおよんでいます。そして職員の心のゆとりを作り出しています。
 市民と自治体の気持ちが1つになって復興作業を進めています。
 本当の復興ができそうです。


 いじめ メンタルヘルス労働者支援センターは、12月21日 (土) 13時半から、東京都労働相談情報センター大崎事務所で 「災害と労働者の心のケア」 のテーマで集会を開催します。  
 
  
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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「領土」 を広い視野で見わたそう
2013/10/11(Fri)
 10月11日(金)

 鹿児島市で開催された全国安全センターの総会に参加したついでに霧島市の 「隼人塚」 と隼人塚史跡館に行ったのか、その逆かはさておくとして、「隼人塚」 と隼人塚史跡館に行ってきました。他に隼人に関係する資料が展示されているところにも行きました。
 隼人がこの地域に居住していたことを証明する隼人塚は修復されて国指定史跡です。長方形に石を積み上げた大きな墓地で、四方に守りの像が建っています。隼人塚史跡館は修復作業の時に発掘された像などを展示、隼人や塚の説明文などが掲示されています。
 大和政権の古墳は近くにもありますが円形です。

 隼人 (はやと) って? と言われる方に簡単な説明をすると、古代日本の薩摩・大隅地方に居住していた大和民族とは異なる文化を持っていた民族です。「はやと」 という呼び方自体は大和からのもののようです。
 それでも知らないという人への説明は、古事記や日本書紀に登場する 「海幸彦・山幸彦」 の兄弟の一方の民族です。兄弟で民族が違うのです。
 隼人塚史跡館には2人の系譜が解説してありましたが、説明文は苦しいです。理解できません。ともかく兄弟で民族が違うというのです。
 古事記や日本書紀は大和政権に都合のいいフィクションです。
 隼人は、7世紀末から8世紀の間の抗争の末、大和の政権に征服されます。東北地方の 「蝦夷征伐」 と同じ頃です。隼人も蝦夷も 「降伏」 後、指導者は畿内に連行されています。そのことを物語る史跡が畿内に残っています。
 隼人の遺品のなかに、渦巻き模様が逆S字状に2つ連結して描かれ、上下に三角模様で縁どられている盾があります。この盾は大和の政権との抗争にも使用されました。鹿児島県歴史資料センター黎明館に複製が展示されています。

 逆S字の渦巻きは、各地の海女が手の甲に彫る刺青模様と同じです。渦巻き模様は難を逃れるためのお守りといわれています。鮫などに襲われても、鮫は渦巻きのなかに呑み込まれてしまうのだそうです。
 渦巻き模様は東南アジアの文化のなかにも見られます。
 隼人も東南アジアの人びとも海女も共通する文化を持っていました。というより交流を続けていました。


 岩手県久慈市を舞台にしたNHKの連続ドラマ「海女ちゃん」は終了しました。ドラマでは驚嘆を表す時 「じぇじぇじぇ」 という方言が使われていました。同じ表現は長崎や対馬でもするといいます。長崎と津島は古くから交流がありましたが、三陸地方ともあったことがうかがえます。

 広島では、海岸の方を 「場所」 「沖」 といい、海岸から遠い方を 「奥」 と呼んでいたといいます。「場所」 「沖」 は 「奥」 よりも他の地域の 「場所」 「沖」 との交流を続けていたようです。
 対馬も広島も 「朝鮮通信使」 の航路でしたが交流も続いていました。広島の海人はブリやタイ、クジラ、イカ漁で対馬に渡り、移住した人たちもいました。今も広島出身者の多い地区が十数か所あり、そこでは広島弁が話されているといいます。

 9月13日の 「活動報告」 に書きましたが、海人は 「海を渡って他の地域に行くことに抵抗感のない暮らし、閉鎖的だと思われがちだが、遠隔地の情報が意外に早く伝わってくる島の特性」 がありました。そしてお互いに決して乱獲などしないで長期に海と共存していました。世界を見渡す視野が広かったのです。

 現在の朝鮮半島から日本列島、沖縄、中国大陸沿岸の海人は大昔から海と共存し、海人同士は交流を続けてきました。そこには竹島も尖閣列島も含まれます。
 その逆に、陸地で生活する者たちは海人たちの生活基盤を無視して領土などという主張を続け、常に拡張を思考しています。そして武力で略奪、侵略を行ないます。自分の周囲しか見えない視野の狭い人びとです。
 竹島や尖閣列島を領土と主張する根拠は、略奪、侵略、占領した近世までしか遡れません。いずれの勢力であっても海人の生活を破壊した者は侵略者です。
 今、無人島になってしまった島や海域は誰のものでもありません。


 鹿児島は薩摩藩でした。
 薩摩藩は徳川幕府の意を受けて琉球王国を侵略した歴史を持っています。
 1609年、薩摩藩の3.000人の兵は、奄美大島に上陸、さらに沖縄本島に進軍して首里城を開城させました。琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩への貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣します。その一方、清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながら独立国家の体裁を保ちます。
 明治5年、明治政府は清朝との両属関係を清算するため、軍を派遣して首里城を接収し、琉球王国を廃止して沖縄県を設置します。「琉球処分」 と呼ばれます。
 その後大和への同化政策がすすめられます。

 第二次世界大戦では激戦地となりました。戦後、アメリカは琉球政府を創設して軍政下に置きます。そして島の各地に米軍基地・施設を建設して行きます。1953奄美諸島は日本帰属になりますが、沖縄が日本に 「返還」 されたのは1972年です。しかしその後にも米軍基地・施設は強化・拡大されました。

   金網の向こうに 小さな春を つくってるタンポポ
   金網の外にも 小さな春を つくってるタンポポ
   光色のタンポポは
   金網があっても 金網がなくても
   沖縄中に春を ふりまいたでしょう

   デモ隊の足元に 光の花を 咲かそうとタンポポ
   米兵に踏まれても それでも花を 咲かそうとタンポポ
   強く生き抜くタンポポを
   金網のない平和な 緑の沖縄に
   みんなの思いを込めて 咲かせてあげたい

 小学生が作った詩に曲をつけて歌い継がれています。
 金網の向こうとは米軍基地です。高く取り巻いている金網の先端は外に向いています。つまり侵入禁止です。沖縄の人たちが反対し続けているにもかかわらず、沖縄の25%が立ち入り禁止区域、治外法権です。そのエリアは海にも空にも及びます。
 さらに辺野古地区には新たな基地建設が行われようとしています。

 沖縄から歴史を見ると、大和の政権は沖縄をもてあそんでいます。ある時は領土の内側において同化を強制、その後は「捨て石」として多大な犠牲を強い、さらにアメリカへの委譲、「復帰」 後もずっと立ち入り禁止区域と治外法権の存続容認、そして今、辺野古において新たな治外法権区域の建設が計画されています。
 大和支配の沖縄にいいことはありませんでした。日本軍は沖縄戦で沖縄の人びとを盾にしました。米軍は沖縄の人びとを殺害し、さまざまな被害をもたらしています。
 軍は人びとを守りません。これは歴史の共通認識です。
 沖縄をいつまでももてあそぶことを続けることは許されません。沖縄の為政は沖縄に任せるべきです。そもそも沖縄と大和は文化が違います。


 結局、国境、領土とはそこで生活している者や生活環境を無視し、強者が弱者に屈服させて獲得した領域です。
 今、大和の政権は、一方では強硬な姿勢を貫きながら、一方では屈服しています。

 竹島や尖閣列島問題について語る時、いっしょに沖縄の問題を考えるといびつな日本国家の姿が見えてきます。そうすると別の思考と解決策が浮かんできます。 
 
  
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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