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「過労死は労使合意から生まれる」
2013/08/30(Fri)
 8月30日(金)

 AFPは、8月26日付で 「英ロンドンでメリルリンチの学生インターン死亡、過労死か」 の見出し記事を発信しました。
 米金融大手のバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチのロンドン支店で、サマー・インターンのドイツ人学生が下宿先のシャワールームで死んでいるのが発見されました。死因は明らかにされていませんが、「三日間連続で徹夜した」 のが原因と言われています。7週間のインターン期間中の6週目で直前は3日連続で翌朝6時まで働いていたといいます。
 メリルリンチは社内労働環境の見直しに着手したと発表しました。

 サマー・インターンが長時間労働を強制されるということは、夏休みを取る社員をカバーするため即戦力を強いられていました。インターン個人が独自の判断で長時間労働を行うことではありません。他の労働者も常態化しているということです。イギリスの労働実態を垣間見ました。
 社員の業務をカバーすることをインターンとは言いません。人件費削減の手段に利用されています。

 かつてフランスの企業は社員が長期のバガンスを取得できるように派遣労働者を採用しました。多くが夏休みにアルバイトをすると登録している学生です。常用型派遣を派遣とは言いません。労働者は長時間残業をしません。派遣労働者が社員より長時間働くことはありません。

 すでに長時間労働と過労死は日本の 「専売特許」 ではありません。
 イギリスに進出した日本企業は 「日本的経営」 を推進したといわれます。8月20日の 「活動報告」 に書きましたがアメリカのホワイトカラー・エグゼンプションは労働者に 「24/7」 の労働時間を強制しています。
 これ以上長時間労働が拡大することは止めさせなければなりません。


 長時間労働と過労死は日本、アメリカ、イギリス以外にも韓国や台湾にはびこっています。(かつての日本帝国主義と大英帝国の植民地です。)
 前回、韓国の感情労働問題への取り組みを 『関西労災職業病』 から紹介しました。続けて長時間労働と過労死問題を紹介します。
 4月1日付の 「毎日労働ニュース」 に 「過労認定基準厳しく、労働者に不利 ハン議員、評価討論会開催・・・・ 『疾判委制度、改善しなければ』」 の見出し記事が載りました。

 「雇用労働部が2月26日に立法予告した産業災害補償保険法施行令の一部改正案に、改善を求める声が続いている。
 改正案には慢性過労認定基準に業務時間の概念を導入し、職業性癌を誘発する原因物質を既存の9種類から23種類に拡大する、などの内容が入れられた。労働部は 『業務上疾病の認定基準を拡大した』 と広報している。改正案は8日までの立法予告期間を経た後、今年の下半期に公布される予定。
 しかし、改正案に対する憂慮が労働界と政界を中心に提起されている。国会・環境労働委員会のハン・ジョンエ民主統合党議員と労災保険研究フォーラムは 『産業災害補償保険の業務上疾病認定基準改正案』 に対する評価討論会を共同主催し、憂慮の声を政府に伝える予定だ。
 あらかじめ配布された討論会の提案発表文で、シン・ヒョンジョン公認労務士は 『改正案には週当り60時間労働と、短期過労の場合は64時間を超過した場合に過労と認める、という内容が盛られた』 が、『過労認定基準が余りにも厳しく、労働部は労働者保護を放棄したいようだ』 と憂慮した。
 キム・ホンサン公認労務士は 『業務上疾病判定委員会が設置・運営され始めた2008年以後から不承認率が増加し、この制度に対する不信が拡がっている』 と指摘した。
 これ以外に経総・安全保健チーム長、民主労総・労働安全局長、韓国労総・労災保険局長、労働部・労災補償政策課長が討論者として参加し、労・使・政の立場を陳述する予定だ。
 一方、ハン議員は31日に声明を出し、『改正案には労災保険の最高・最低の補償基準になる事業体の労働力調査対象を、5人以上の事業体から1人以上の事業体に拡大変更する内容も含まれた』 が、『これに伴い、補償基準金額が9%程度低くなると推定されるので、現行制度を維持することが望ましい』 と話した。27日に韓国労総もこのような内容の意見書を労働部に提出した。」

 日本の『労災認定基準』に似ています。「改正案には週当り60時間労働と、短期過労の場合は64時間を超過した場合に過労と認める、という内容が盛られた」ということは、それくらいの長時間労働をしている労働者も、上回る労働者も存在するということです。週当り60時間労働、つまりは月80時間、年960時間以上の残業は絶対的に多すぎます。
 しかし日本、イギリス、アメリカ、韓国の社会と労働者は慣らされてしまっています。


 6月22日付の 『産経新聞』 は、6月12日に大阪過労死問題連絡会主催が開催したシンポジウム 「過労死社会は変革できるか-過労死110番の四半世紀から考える」 で、日韓の過労死問題について調査研究している立命館大大学院の韓国人留学生姜さんの講演内容を紹介しています。韓国と日本の状況が酷似しているのと、教訓を示唆していますので長い引用ですが紹介します。『産経新聞』 は、一貫して長時間労働、過労死、「心のケア」、惨事ストレスの問題に取り組んでいます。

 「日本で社会問題となって久しい過労死・過労自殺が近年、韓国でも続発している。長時間残業しなければ生活費を稼げず、ノルマは達成できない過酷なものばかり-。そんな労働が横行しているというのだ。……韓国の実情は、『karoshi』 を国際語にした日本の状況と酷似していた。」
 
「姜さんが紹介したのは、韓国で起きた4件の過労死・過労自殺だ。
 1件目は今年3月、製鉄所のプラント建設現場で、半月以上にわたる深夜残業の末、労働者が胸の痛みを訴えて死亡した事案。韓国の法律で認められた残業の上限は週12時間だが、同僚の証言では「週16時間の残業をしなければならない」との労働契約が交わされていたという。
 2件目は、自動車部品メーカーのケース。一昨年から1年半の間に労働者4人が突然死や自殺に追い込まれた。この会社では、入社9年目の基本給が約123万4千ウォン (約10万3千円)。これを補うために、残業や休日出勤をせざるを得なかったというのだ。
 現場の労働者だけではない。3件目は、今年5月に起きた公務員の自殺。遺族は 『真夜中に帰宅し、夜明けとともに出勤していた。睡眠時間は2~3時間だった』 と話しており、本人は自殺直前に転勤を願い出たが、認められなかったという。
 4件目は、大手デパート販売員の自殺だ。遺族によると、上司からメールで 「1日で500万ウォン (約41万6千円) 近い売り上げをあげろ」 と無謀なノルマを課せられた。達成するために、家族のクレジットカードで商品を買っていたともいうのだ。
 日本では、販売目標を達成するために、自分が売るべき商品を自分で買うことは、ネット社会などで “自爆営業” と呼ばれている。
 日本特有とみられていた現象が、韓国でも起きている-。姜さんはこうした実情を次々と明らかにする一方、『過労死・過労自殺は日本ほど社会問題になっていない』 とも指摘した。」

 「韓国で社会問題にならないのはなぜか。
 まず、姜さんが挙げたのは、労働者や労働組合が労働時間短縮を優先してこなかった点だ。
 2件目の事例にあったように、韓国企業は基本給が低く抑えられる傾向にある上、経済成長に伴う物価上昇に比べ、賃金が上がってこなかった。老後への不安の裏返しで『現役時代に稼がねばならない』と考える労働者も多いという。
 さらに、姜さんは長時間労働で成果を出すことを 『美徳』 とする雰囲気が、社会全体に定着していることも指摘した。
 これについては、立命館大大学院で姜さんの指導を担当している櫻井純理教授 (社会政策論) が、昨年9月に韓国企業の人事担当者らと懇談したときのエピソードを紹介し、補足した。それによれば、韓国企業には長時間の残業を終えても、社員同士が酒席を囲むなど濃密に付き合う文化があるという。家庭生活に悪影響を及ぼすという弊害に気づいた一部の企業が、飲み会の回数削減をうたいはじめたほどだ。
 いずれも昭和の高度成長期に日本企業でみられた風潮と重なるとして、櫻井教授は 『適切な規制がないことや労働文化など、日韓では過労死問題の背景に共通点がある』 と話した。」

 「一方、韓国には日本のような専門家による相談窓口や遺族団体は存在しないが、労働組合がその役割を担う可能性があるという。
 韓国人留学生の姜さんが紹介した事例に話を戻すと、韓国の製鉄所のプラント建設現場で発生した過労死をめぐっては、死亡した労働者が加盟していた労組の組合員約1500人が各地から集まり、遺族とともに大規模なデモを行った。
 姜さんは 『韓国で過労死・過労自殺を防止するには、まず労働者と労働組合が努力しなければならない』 と主張し、櫻井教授も『韓国社会では労組の力が強く、いったん解決に向けて動きだすと、早く進む可能性がある』 と指摘する。
 裏を返せば、日本では大半の労組がいまだに過労死問題に消極的だという現実がある。熊沢誠・甲南大名誉教授 (労使関係論) はこう話す。
 『日本の労組は、昇給と雇用の保障さえあればいいと考え、残業時間や仕事量などをめぐる働き方の問題について、意見を言わなくなってしまった』
 姜さんは 『韓国に帰国したら、専門家による相談窓口や遺族団体を組織したい』 とも語っている。
 日本で学んだ留学生が、いまなお力を持つ労組とともに、本腰を入れて過労死問題に取り組む-。近い将来、そんな活動が始まれば、労組の活動が鈍い日本の方が置き去りにされてしまう可能性もあるだろう。」


 大阪過労死問題連絡会の松丸正弁護士は常々 「過労死は労使合意から生まれる」 と語っています。
 使用者は、「使用者の安全配慮義務違反」 に問われないガイドライン探しにきゅうきゅうとしています。
 「電通過労自殺事件」 の裁判を闘いぬいたのは遺族と弁護士の二人三脚です。
 「過労死防止法」 制定の運動をけん引しているのは過労死家族会です。
 大きな労働組合の姿が見えません。
 労働者・組合員の生命と生活を守らない労働組合は存在意義が問われます。


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『顧客が王様なら、従業員も王様だ』
2013/08/27(Tue)
 8月27日(火)

 関西労働者安全センターの月刊機関紙 『関西労災職業病』 には 「韓国からのニュース」 のコーナがあり、「毎日労働ニュース」 を翻訳した韓国労働安全衛生問題を紹介しています。
 7月号に 「安全保健公団-デパート業界 『感情労働者健康保護』 業務協約を締結」 の記事が紹介されました。全文紹介します。

 「安全保健公団が感情労働に苦しめられるデパート労働者が、健康に働けるように支援に取り組む。
  公団は6月27日午前、ロッテ百貨店、新世界デパート、ハンファガレリア、現代デパート、AKプラザデ
 パートと 『安全なデパート造りの業務協約』 を締結した。協約は最近協力業者に対する大企業の災害予
 防責任が強調されている中で行われたもので、これよって公団は感情労働に伴う職務ストレスを予防す
 るための 『自己保護マニュアル』 を開発・普及させ、各デパートは協力会社と一緒に共同の安全保健プ
 ログラムを運営することに同意した。 公団と各業者は 『安全誓約運動』 共同キャンペーンも展開する。
  公団によれば、流通産業を含む卸・小売業の産業災害が持続的に増加しており、協力業者の労働者
 に被害が集中している。協力業者の労働者が主として配置される建物清掃と施設保守、駐車場管理な
 どの業務に事故が集中しているのが実情だ。
  一方、全部で550万人と推定されるサービス・販売労働者の中で、顧客を直接相手にする労働者は
 350万人程度と把握されている。自分自身の感情とは関係なく顧客と応対する業務の特性上、顧客の
 言葉の暴力などに因る精神疾患の問題は深刻だ。長時間立って働いて筋骨格系疾患を訴える労働者
 も少なくない。
  ペク理事長は 『顧客が王様なら、従業員も王様だ』。『今回の協約締結を契機にデパートの安全保
 健水準が改善されることを期待する』 と話した。」

 協力業者とは、テナントの労働者、運送、清掃労働にたずさわる労働者です。親企業と下請け企業の関係は絶対的です。すべて親企業のいいなりです。権力の違いが暴力を生みやすくしています。売り上げ不振のしわ寄せが行なわれることもあります。
 また販売労働者に対する顧客のわがままは目に余るものがあります。しかし労働者は我慢を強いられてきました。
 この間、韓国では感情労働に従事する労働者の健康問題について対策が進められてきました。
 今年1月11日に開催された 『2013労働者健康権フォーラム』 では感情労働者・消費者・政府・企業のそれぞれの役割を提案しました。「感情労働をするテレマーケッターの場合には電話を先に切る権利を与え、無理な要求をする顧客には一方的に謝らない権利を与えなければならない」 「感情労働の強度が高い職種の場合、定期的に休息を取って精神的な配慮が受けられるように制度的な補完が必要だ」
 今回の締結もそのような活動の成果です。(2013年3月12日、2012年8月10日、2012年1月27日の 『活動報告』 参照)

 ちなみに、数年前の 『関西労災職業病』 には、デパートの販売労働者は客と対応するとき以外は椅子に座ってていいことになったことが紹介されていました。無駄な疲労を蓄積する必要はないということですが、疲労を減少させる対策をとった結果、接客サービスは向上したといいます。


 ILOは2003年11月に 「サービス業における職場暴力及びこの現象を克服する対策についての実施基準案」 を発表しました。
 その中では 「職場暴力」 を以下のように定義しています。
 「妥当な対応を行っている者が業務の遂行及び直接的な結果に伴って攻撃され、嚇かされ、危害を加え
 られ、傷害を受けるすべての行動、出来事、行為 注)直接的な結果とは、業務との明確な関連があっ
 て、かつ、妥当な期間の範囲で発生した行動、出来事、行為と解されるものである。
  ・部内職場暴力とは、管理者、監督者を含めた労働者間で発生したものを言う。
  ・部外職場暴力とは、管理者、監督者を含めた労働者と職場に存在するその他の者との
 間で発生したものを言う。
  ……
  この基準において、サービス業は、商業、教育業、金融関連業、医療業、ホテル業、飲食旅行業、放送
 娯楽業、郵便通信業、公的サービス業、運輸交通業を含み、第1次産業及び第次産業を含まない。」
 具体的には
 「次のような職場における緊張状態の兆候を考慮に入れるべきである。
  ・実際の被害につながるような関係者に対する身体的傷害又は暴行
  ・次のような激しい暴力的嫌がらせ
    悪態を含む言葉による嫌がらせ、侮辱、人を見下すような会話
    脅し、軽蔑、侮蔑を意味する攻撃的な身振り
    詰寄り、いじめ、人種差別、セクシャルハラスメントを含むハラスメント
    脅迫行為、言葉や文書による脅しを含んだ傷害を引き起こそうとする表現」
を挙げています。
 そして対策としては
 「計画及び実施
  使用者、労働者及びそれらの代表は、職場暴力の影響を共同して評価しなければならない。」
として個人的問題にしていません。「職場暴力は職場とサービスの質の効率化にとって有害であり、職場暴力への対処活動は、ディーセントワークの開発促進や組織的発展と切り離せないものである。」 からです。

 このような方針に基づいて各国では具体的取り組みが進められています。
 そして、2011年7月14日の 『活動報告』 で紹介したようにオランダの鉄道では効果を挙げています。

 職場の暴力のサービス業には教育業も含まれています。
 「英仏の学校は顧客主義ではない
  2005年10月5日のフランス国営テレビニュースによると、オワーズ県の軽罪裁判所で、子どもの非行
 のかどで両親が禁固1か月の判決を受け、収監されたとのことである。7歳から15歳までの8人の子供
 が村の秩序を乱し、うち1人に関しては、その学校での行状に憤った保護者たちが学校を封鎖してしまっ
 たほどであったらしい。
  ガッコを封鎖した保護者たちは、学校に抗議していたのではない。教師に対してさえ身体的な暴力や言
 葉の暴力を振るうような子供を放置している親に抗議していたのだ。当然のことながら、親権という権利
 を持つ者こそが、子供の教育に対して第一義的な義務と責任を負うからである。だから、フランスでは、
 暴力的な生徒がいた場合、職場の安全が確保されるまで教師たちが仕事を拒否することさえある。
  なお、フランスでは、禁固刑になるまのは極めて珍しいらしいが、毎年100人ほどの親が自分の子の
 教育怠慢 (carence educative) で有罪宣告を受けているとのことである。イギリスはさらに厳しく、有罪
 の件数も多く、量刑も重いらしい。たとえば、2人の子供が学校を休んで小さな万引き (petits larcins)
 をしたことで、その母親が有罪となったという事例すらあるのだ。いずれにせよ、イギリスやフランスで
 は、生徒や保護者は学校のお客様ではないのである。」 (『日本とフランス 二つの民主主義 不平等か、不自由か』 薬師院仁志著 光文社新書)
 
 フランスでも学校でのいじめ・暴力は存在します。しかし周囲の者たちは自分たちにも影響がおよぶと受け止めて自分たちで解決に向かいます。学校任せではありません。
 日本とは問題の捉え方が違います。人権についての認識が違います。
 「感情労働者に不当要求拒絶、謝らない権利付与せよ」 を遂行することの一番の成果は、労働者の尊厳を守り、心身の安全を守り、労働環境が改善されることです。
 『顧客が王様なら、従業員も王様だ』 です。


 もう1つ『関西労災職業病』 の6月号から紹介します。

 「業務・強圧的な組織文化による機関士の自殺は業務上災害 機関士の遺族が労災申請」 の見出し記事です。
 「勤務中に発生した事故でうつ病と不安障害に罹り、今年1月に自殺したソウル都市鉄道公社スセク乗
 務管理所所属の機関士、故・ファン・ソンウン氏の遺族が14日、勤労福祉公団に労災申請を提出した。
  遺族はこの日、『故人の自殺は機関士業務と強圧的な組織文化によって発生した産業災害』 として、
 勤労福祉公団に遺族手当などを請求した。
  ファン氏は昨年の9月、地下鉄6号線を運行していてDMC駅で扉に乗客のカバンが挟まるウッカリ事
 故を起こした後、憂うつ障害と詳細不明の不安障害に罹り、その年の12月には病院で睡眠障害の判定
 を受けた。ファン氏は1月19日の午後、家族に出勤すると言って家を出た後、アパート屋上から身を投
 げた。
  今回の事件の代理人のユ・サンチョル公認労務士は、『会社がファン氏の事故事例を教育資料として
 利用し、資質の問題をずっと指摘され、(ファン氏が) 持続的に圧迫とストレスを受けた』 として、『キチ
 ンとした治療を受けられずに運転を続けて自殺するに至ったので、明白な業務上災害』 と話した。
  ソウル都市鉄道労組は、この日永登浦の勤労福祉公団の前で記者会見を行い、『2012年3月に故
 イ・ジェミン機関士が自殺して1年にもならないのに、ファン・ソンウン機関士が憂うつ障害・不安障害の
 苦痛によって死亡した』 とし、『公団は遺族の労災申請を認めよ』 と要求した。
  ソウル都市鉄道労組の委員長は、『明白な因果関係があるのに労災として承認されなければ、第二
 ・第三のファン・ソンウン、イ・ジェミン機関士が出てくるのは間違いない』 と話した。
  労組は公社側にも、機関士の神経精神疾患障害再発防止のための労働条件改善を要求した。」

 2005年4月25日、JR福知山線脱線事故を思い出させます。安全を売り物にする鉄道会社が 「日勤教育」 でストレスを募らせた労働者を働かせていました。運転手も乗客も会社の犠牲者です。

 ソウル都市鉄道労組の活動を期待して見守りたいと思います。 
 

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「ホワイトカラー・エグゼンプション」 は 「人間を止めさせる制度」
2013/08/23(Fri)
 8月23日(金)

 8月14日の各新聞は、経済産業省が 「ホワイトカラー・エグゼンプション (労働時間の規制除外制度)」 を一部の企業で実験的に導入することを認める方向で検討していると報道しました。
 今秋の臨時国会に提出予定の 「産業競争力強化法案」 に、先進的な技術開発などに取り組む企業に対して規制緩和を特例的に認める 「企業実証特例制度」 の創設を盛り込む方針で、この特例制度の一環に労働時間規制の適用除外の実験的な導入も認めるという方向です。法案の成立後、年内にも導入を希望する企業からの申請を正式に受け付け、早ければ2014年度にも実施する計画です。すでにトヨタ自動車や三菱重工業など数社が導入を検討しているといいます。
 安倍政権の肝入りで発足した 「規制改革会議」 に経済団体などから制度導入の働きかけがおこなわれ、2月15日に解雇規制の緩和やホワイトカラー・エグゼンプションにつながる検討項目を打ち出し、5月頃から議論が進んでいたようです。

 しかし8月19日、田村厚労大臣は、この特例制度の実験的導入について 「企業活動の柔軟性を図っていくことと労働者の健康や生活時間等々の確保をしっかりと確保していく点などバランスを考えなきゃいけない話」 とし 「労働者の方々の職場環境に大きく関わる問題なので労働政策審議会の方で議論頂く案件だ」 と慎重な審議が必要との認識を示しました。
 厚労大臣の発言の本音は、労働法制に抵触する問題を経産省が頭ごなしに発言したことへの不満から手続きを盾に反論したということだと思われます。厚労省が本当に慎重審議を期待しているとは思われません。

 ホワイトカラー・エグゼンプションは、一定水準以上の年収がある労働者に週40時間が上限の労働時間の規制を適用しない、時間外労働に残業代は支払わない、休日、深夜労働に割り増しをしないという制度です。仕事の繁閑に応じて自分の判断で働き方を柔軟に調整でき、成果を上げやすくなると説明されています。
 今回の経産省案では、対象は年収800万円を超える社員です。


 日本の労働法制はアメリカの制度を真似しながら都合いいようにこねくりまわして導入します。
 ホワイトカラー・エグゼンプションは2006年に一度登場しました。この時の対象者は、経団連の提言では 「労使委員会の決議で定めた業務で、かつ年収400万円以上」 でした。
 いくら連合幹部が自己保身に走って経営者に迎合したとしても、下部組合員が了承するはずがありません。「残業代ゼロ法案」、「過労死促進法案」 と捉えて反対運動は盛り上がり、翌年の通常国会への法案提出を阻止しました。
 逆に、この法案を契機に残業代をきちんと支払えと要求がだされ 「名ばかり管理職」 が流行語になります。しかし労働時間短縮の要求、仕事の捉えなおしの議論にはなかなか結び付いていきませんでした。

 今回は、また同じような反対運動に遭遇することを想定して回避する手法を採ろうとしています。角度を変えて突破口を切り開こうとしています。労働条件を関係する法案が経済産業省から提出されようとすることがこの制度の本質を物語っています。


 ホワイトカラー・エグゼンプションは、残業代が支払われないなどという労働条件の変更ではなく、働き方、働かされ方の根底が変えられるということはアメリカでの実態が示しています。
 ホワイトカラー労働者を取材して編まれたジル・A・フレイザー著 『窒息するオフィス』 は日本で2003年に翻訳されました。『本』 から実態を紹介します。
 「かつては、この国の巨大企業はホワイトカラーから、夢見る価値のある仕事の場と思われていた。経済的安心、快適な労働条件、バランスのとれた職業生活家庭生活の見透し、その他さまざまな経済的恩恵を提供していたのである。第二次世界大戦後の前半の2、30年は、成功した企業とその従業員は、経済的繁栄の成果を共有し、今と比べて、家族主義的な慣行が職場関係を支配し、そうした慣行が企業と従業員の間の長期的な絆を作り出すことに役立っていた。
 こうした戦後初期の雇用戦略は、1970年代にアメリカ経済の世界的優位性を脅かすさまざまな経済的問題が起きたあと、評判の悪いものとなった。企業に迎合的な政府政策と金融業界による強引な介入のために、1980年代は、職場の荒廃をともなう企業改革 (リインベンション) という混乱の時代の先触れとなった。ここにいたるまでにビジネス界のルールと報酬は変化した。仕事の要求度とストレスの量は上昇する一方であったが、繁栄の報酬を分かち合える方法は、給料と諸手当ではなく、株式市場を通ずる道でしかなかった。」
 労働の成果は株式市場を通じた株主が独占していきました。
 リインベンションをリストラクチャーと言いかえて少しタイムラグを加えたらまさに日本の状況です。


 かつてアメリカでは、給料、福利厚生、年金がホワイトカラーを企業につなぎとめる三種の神器と言われました。
 しかしビジネス界の新秩序は80年代、90年代に激しく変化していきます。企業は競争に勝ちぬき、収益を上げることだけが目的になります。そのためには手段を選びません。
 『本』 は、その新秩序を一貫して 「ホワイトカラー 『搾取工場』」 と言い換えています。働き過ぎ、ストレス、不安定さ、低すぎる報酬が新たな企業文化になったことを指しています。「搾取工場」は、労働者にストレスをかける手法を隠すようなことはしません。むしろ「経営哲学」に高めています。「会社にとってみれば、恐怖をなくしたくないのです。事実、恐怖というのは、経営の道具になりうるからです」ということです。
 「より厳格なコスト管理、レイオフ、効率化のための合併、絶え間ない職場合理化によって生まれた。そのうえに、今日のホワイトカラーの過重な仕事は、仕事量の増加とインフレに見合わない昇給や、医療保障給付の削減や、返金の減額や、長期休暇や祝日の消失といったかたちをとった、経済的報酬の現象をともなっている。」

 M&Aが推進されるとレイオフが起きます。ホワイトカラー・エグゼンプションが適用されている社員が対象になりました。失業の 「恐怖」 が隣り合わせに存在します。失業は、多くの家庭にとって二度と経済的打撃から立ち直れない状況に到ります。そのことが我慢を強います。
 1980年代初め、ブルーカラーが失業する機会はホワイトカラーの3倍でした。その後はほぼ同じになりました。しかし金融、保険、不動産の業界ではホワイトカラーの方が3倍以上になりました。
 これまでは失業者の多くを黒人やヒスパニックの労働者が占めていました。その後白人の若年層が職に就くことができない状況になっています。オキュパイ運動を推進したのは白人の失業者だったと言われています。

 レイオフの対象にはならなかったとしても、賃金は下がり続けました。さらにM&Aの時以外にも会社は適用する医療保険や年金制度を一方的に切り下げ方向で変更しました。
 医療保険は日本のような国民皆保険とは違います。企業がコストの低い医療保険を提供すると質が落ちると同時に補償範囲も狭くなります。期待する医療が補償範囲の対象外の場合は自己負担となります。
 
 現在、日本ではTPP参加に賛否の議論が起きていますが、医療も対象分野です。それでなくても社会保障が縮小され、健康維持・医療に自己責任が登場しつつあります。そのような中でのTPP参加は支払い能力にそった医薬品の供給、「儲かる医療」 の自由診療がはびこり、治療に 「格差」 が生じる危険性が出てきます。アメリカのホワイトカラー・エグゼンプションの労働者が遭遇した状況がさらに劣化し、見放される患者が出てきます。
 
 1980年代までは、大企業の正社員のほとんどが 「確定給付」 年金をあてにすることができました。しかし1995年には、大企業で働く労働者の半数しか該当しなくなり、その数は急激に減少しています。企業が用意する 「確定拠出」 年金は1986年には大企業で働く正社員の60%が加入していましたが10年後には10%までに減少しています。
 1980年代以降、企業は社員の賃金の30%相当額を福利厚生費として負担していましたが20%に縮小されました。
 セーフティーネットがどんどん壊されていきます。


 1984年、臨床心理学者のクレイド・ブロックは「テクノストレス」という用語を作り出しました。人びとが職場などで新しいテクノロジーに適用する姿を観察して、「事務職員同様、管理職にとっても、テクノストレスをかたちづくっている主な要素は、時間の感覚の歪みである。時間が圧縮・加速化されるにつれて、何日、何時間、何分といった単位の持つ意味が変わっている。人間の力の限界に対する認識がうすれてくるのである。」と語っています。
 「工業時代は労働者は機械装置のリズムにすっかりからめとられてしまい、『ウォーンアウト(磨耗)した』とか『ブレークダウン(故障)した』とかいうふうに、しばしば機会用語で自らの疲労を訴えてきた」と言います。
 「そして現在では、新しいコンピュータ文化のリズムに組み込まれている労働者が増え、ストレスがたまっていることを 『オーバーロード』 と言ったり、仕事がうまく処理できない状況を 『バーンアウト』 や 『シャットダウン』 と表したりするようになった。こうした用語は、コンピュータ技術によって設定された仕事のペースに労働者がどれほど深くとりこまれているかを婉曲にさし示すものである」
 労働者がコンピュータに管理されてストレスが蓄積した状況が続いています。

 このような労働条件が一方的に強制され、人員削減が続く中で仕事量は増えていきます。社員の多くが組織内で昇進するにつれて、会社が就業時間のガイドラインを社員に押し付けたり、デスクワークの時間を記録したりする必要がなくなります。仕事に長時間を割くしか方法がないからです。「仕事の洪水」 です。
 オフィスでの仕事量が減ったわけではないのに仕事が通勤電車や車、さらに家庭、旅行に侵入しました。夜や週末がありません。家庭でも、まず社員であり、夫・妻であり、父・母親を兼ねます。パソコン、携帯等の機器がそのような仕事方法に拍車をかけました。
 ある調査結果では、ホワイトカラーの全労働者の12%にあたる約1.500万人が集に49時間から59時間をオフィスで過ごしています。全労働者の8.8%にあたる1.100万人が週60時間以上です。あくまでオフィスでということです。
 労働者の労働時間についての話をする時、8時間労働を要求したメーデーにおよびます。その後休日も増やしました。しかしホワイトカラー・エグゼンプションはそれをUターンさせたと言われています。

 その結果企業は 「成長」 し、株価が上昇しています。それが企業に対する評価です。一部の富者がますます肥えていきます。

 これが 「ホワイトカラー・エグゼンプション」 = 「労働時間が労働契約規制から除外される制度」 が導入されることをきっかけに労働にたいする規制をすべて奪われた労働者の実態です。
 経済産業省が進めようとする特例制度は労働時間だけでない労働のあり方の変更を強制します。労働が生活を支配します。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」 は、労働法制の変更などではなく、労働者から人格・人権を奪い去り、「人間を止めさせる制度」 です。
 

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『はだしのゲン』 でフィールドワーク
2013/08/20(Tue)
 8月20日(火)

 故中沢啓治さんが自らの被爆体験を描いた漫画 『はだしのゲン』 が、昨年12月から松江市内の全小中学校では教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置になっていたといいます。
 経過は、昨年8月に市民の一部から 「間違った歴史認識を植え付ける」 として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出されましたが12月に不採択となりました。すると市教育委員会が内容を確認し、「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」 と判断して12月の校長会で閉架措置としたといいます。
 教育委員会は縷々言い訳をしていますが、とにかく見せたくないのです。

 この 「事件」 を勘ぐると、『はだしのゲン』 を全国の学校図書館から撤去させることを目的とした運動が開始され、地方から浸透させていこうという戦略だったのではないでしょうか。教組が弱体化しているところが選ばれたのではないでしょうか。そうとも捉えないと他では行われていないこと、発覚したら大きな社会問題になることが明らかなことを独自の判断で実行する松江市教委の “英断” は理解不能です。発覚後の姿勢が軟弱です。運動が浸透する前に阻まれたということではないでしょうか。
 それとも、松江市教委は、これまでも購買する図書1冊ごとに戦争の悲惨さを取りあげていないかどうかをチェックして設置していたのでしょうか。
 島根県にはたくさんの被爆者がいます。
 8月6日に広島に大きな爆弾が落とされ、多くのけが人が出ていることが伝わると、島根県からもおにぎりや梅干し、漬物を背負って歩いて山を越えて届けに来た人たちが大勢いました。帰ったら目の当たりにした惨状を語り伝えました。その人たちは入市被爆者です。被爆者の心情を逆なですることは許されません。


 『はだしのゲン』 を読んだ当の小中学生はどのように受け止めているのでしょうか。
 少し古くなりましたが、作者の中沢さんに送られてきた感想文で編集した 『「はだしのゲン」 への手紙』 (教育資料出版会 1991年刊) から探ってみます。映画の感想文も合わせて低学年から順に並んでいまので、漫画に関する感想文だけを、選択しないで並んでいる順に紹介します。

 小学校1年生です。
 「おじさん、はだしのゲンはどこにいるんですか。
 そして、はだしのげんのほんありがとう。もっとはだしのげんのほんかいてください。
 げんがおじいさんになるまでかいてください。」

 小学校2年生です。
 「きのうまで、1かげつのあいだ、べんきょうを、していて、とうとう、きのう、はだしの (ゲンの) べんきょう
 は、おわりました。
  この1かげつゲンさんに、いろいろなことを、おしえて、もらいました。だから、その、かんしゃとして、てが
 みを、かきます。
  ゲンさんには、めそめそしていないことと、おとうさんが、しんでも、おとうさんの、いったことばの 『ゲン
 よ、むぎのように、いきるんじゃ』、といいました。
  それを、ゲンさんは、おぼえていますか、ほんには、そう、いって、いました。そして、とっても、ただしく、
 いきていって、ゲンさんが、せんそうが、おわっても、よく、49さいまで、いきて、これましたね。
  ゲンさんの、いもうとの、うまれた日は、わたしと、いっしょの、たんじょうびです。わたしの、たんじょうび
 のとき、ともこちゃんの、ぶんも、いわって、あげます。」


 3年生です。
 「ぼくは、あなたの物語について感じたことを書きたいと思います。ぼくは、あなたの物語が大好きです。
  さて、すこしぼく自身について紹介します。ぼくは9歳で、7月22日に10歳になります。ぼくは、ニューヨ
 ークのマンハッタンに住んでいます。ぼくは、いつか中沢さんと文通したいです。
  あなたのご家族の方が、たくさんなくなられてとてもかわいそうだと思います。特に、赤ちゃんがかわい
 そうです。また、あなたの国に原爆が落とされて、お気の毒に思います。
  ぼくは、中沢さんからお手紙がもらえたらいいなと思います。ぼくは広島の原爆の生存者に手紙を書い
 たので、とてもドキドキしました。
  追伸 恥ずべきことについて、よいおはなしを書いてくださったことを感謝します。そして、どうか、早くぼ
 くに返事を書いてください。」

 「ぼくははだしのゲンを見て戦争の恐ろしさがよくわかりました。
  そしてげんばくのひがいにあった中沢さん一家をかわいそうに思いました。なぜかというと家の下じきに
 されて、おかあさんと中沢さんだけで家をもちあげようとしてももちあがらず、たすけをよんでもだれもたす
 けにきてくれないからです。
  ぼくがそのころいきて広島にいたら、きっとしんでいたと思います。
  そう思うとしんじゅわんをこうげきして、戦争をしかけた日本人がにくたらしくなりました。もうぜったいに
 せんそうはしちゃいけないと思いました。」

 中学1年生の最初に飛びます。
 「原爆と、一口でいうけれど、その一言の中に、はかり知れない被爆者の苦しみが込められている。『はだ
 しのゲン』 を読んでから口にしてみると、なんと重いひびきを持った言葉なんだろう。そう思わずにいられ
 ない。
  ……
  これは何だ。いったいどうしたんだ。わたしはゆめを見ているのか。ここはいったいどこだろう。
  ……
  火がまわる。四方八方とりかこまれて、平野にさけび声がこだまする。
  うそだ! こんなのはうそだ。わたしはなにもしらない30年後の世界の人間。そしてわたしの感じたこと
 は。
  中岡元は、当時の世間がいう、非国民の子どもだ。負けたことのない大日本帝国に、おくびょうにも敗
 北を心配しているバカいるじゃないか。そうよばれていた‥‥。いや、その時はもう、何もわからぬことだ
 らけの市民にも、負けるかも知れない、という不安が心の底にうまれていたのかもしれない。
  本当に、中岡元は非国民の子どもだろうか。そしてその父親が非国民なのだろうか。そうだとしたら、非
 国民っていったい何だ。戦争反対主義者か。ではなぜ、戦争反対主義者が非国民なのだ。そうらだれも
 答えることはできないではないか。
  ちがう、中岡元は、非国民なんかじゃない。立派な愛国者だ。お国のためにと、ただひたすらに、戦争に
 協力して大きな顔して歩いている市民と、それを操っているおえら方、それこそが非国民だ。はっきりいえ
 ば、東条内閣と天皇だ。
  ……
  日本は、わかっていない。30年前とちっとも‥‥。そう被爆者の苦しみはすこしもわかっていないの
 だ。……みんな、目をつぶって、この現実からにげているんだ。こんなことでどうするんだ。被爆者はどう
 すればいいんだ。
  ……
  そうしたら、この手で伝えよう、忘れられかけた被爆者たちの苦しみを‥‥。
  いつかはきっと、ただ平和を願っているだけでなく、わたしたち自身で、その平和をつくりあげなければい
 けない。それが、わたしたちの義務なのではないだろうか。」


 閉架措置の理由がますますわからなくなりました。
 「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」
 しかし否定できない事実です。
 事実を描かせたり、書かせたくなければ、事実そのものを起こさなければいいだけです。起きてしまったのなら “反省” が先です。

 歴史は、人びとが体験を記録したものと、為政者が自らを正当化するために作らせたものがあります。真実は人びとの中にあります。例えば、江戸時代の歴史は、これまで後者を中心にとり扱われてきましたが、最近の民衆史研究では前者がかなりの力を持っていたことが明らかにされています。その方が事象の転換をスムースに理解でき、遠かった江戸時代を現代に引き寄せることができます。
 『はだしのゲン』 は市民が語りかけ続ける民衆史です。
 感想文を寄せた子供たちは民衆史を学びました。低学年の子供たちは社会の中の “個” を発見しました。
 知りたい、もっと知りたいという欲望への挑戦から歴史認識は深まり真実を発見していきます。
 松江市教委とその背後は、民衆史を学校で公開されることを止めようとしました。政府・文部省の掲げる歴史以外は認めないのです。歴史から事実を隠すこと事態が歴史の歪曲です。歪曲された歴史は探求を許されず、関心を薄めさせます。そして歴史への関心を薄めさせる行為は “愛国心” も弱めます。

 戦争体験者・被爆者が少なくなる中で、民衆史も消し去ることが策動されています。
 しかし広島の被爆者は、自分たちの悲惨な体験を忘れさせないように、被爆体験のない世代に体験を詳細に伝えて代わりに体験を語りつぐ語り部の育成活動を開始しています。長崎の被爆者も語り部の育成の検討を開始しています。

 被爆体験者が高齢化する中で、被爆地広島を巡って案内できる人も少なくなっています。
 今年4月広島の高校生と大学生は、『はだしのゲン』 の舞台となった場所をフィールドワークしました。
 スタート地点は 「原爆ドーム」 に設定。中沢さんが実際に被爆した広島市立神崎小 (中区) や舟入幸町の生家、舟入川口町電停を順に訪ねました。辺りに当時の惨状をうかがわせるものは何もないが、「現場を訪ね、道路の幅や距離感を実際に感じたら、ゲンの中で描かれたシーンが鮮明によみがえった」 と語っています。そして現在の写真と漫画のシーンを並べ、見たことや感じたことを盛り込んで場所ごとに 「ゲンマップ」 を制作しました。
この企画は今後もつづけられると思われます。

 政府や文部省・教育委員会がどのようなことをしても真実の歴史は消すことができません。
 
  
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「平和」 は力仕事
2013/08/09(Fri)
 8月9日(金)

 長崎の平和祈念式典では歌が3曲うたわれます。
 そのなかの 『千羽鶴』 は高校生が歌います。千葉県の高校生の作詞に大島ミチルが曲を付けました。

   平和への誓い新たに
   緋の色の鶴を折る
   清らかな心のままに
   白い鶴折りたたみ
   わきあがる熱き思いを
   赤色の鶴に折る

   平和への祈りは深く
   紫の鶴を折る
   野の果てに埋もれし人に
   黄色い鶴を折りたたみ
   水底に沈みし人に
   青色の鶴を折る

   平和への願いを込めて
   緑なる鶴を折る
   地球より重い生命よ
   藍の鶴折りたたみ
   未来への希望と夢を
   桃色の鶴に折る

 『原爆を許すまじ』 などのメロディーは作られた時代を物語り、軍歌の余韻があります。しかし最近つくられる歌は、明るさがあり、希望が込められています。
 毎年、長崎の式典はテレビで観て、この歌を聴くと8月9日を実感します。
 ましてや首相の 「日本人は、唯一の、戦争被爆国民です」 などの挨拶を聞いた後に聴くと怒りと希望が交差します。
 長崎市内では、毎月9日の午前11時2分にオルゴールのメロディーが流されます。


 2003年8月9日の式典の被爆者代表あいさつは聴覚障害者の山崎栄子さんでした。
 しかし中継するNHKは山崎さんではなく別の光景に切り替えました。たまに山崎さんが映るときは遠方からだったり、アップされると手話より先にテロップと音声が流されました。
 手話は、表情が大切で、動作の大きさ、速度で状態を説明します。動作から山崎さんの訴えを受け止めることができませんでした。
 NHKにはたくさんの苦情と要請があったようで、後日 「子供手話ニュース」 で全編アップされた姿が流されるという情報が届きました。手話サークルの仲間がビデオにとり、ダビングをしたのをもらいました。8月になると観ています。


 この8月、山崎さんの被爆体験が2つの演劇で取り上げられました。観に行きました。
 1つは、毎年俳優座が開催している 『戦争とは』 シリーズの朗読劇2013です。
 12編が朗読されたなかで、一番若い女優が朝日新聞長崎総局編 『祈り ナガサキノート2』 からの抜粋した山崎さんの体験を取りあげました。長崎に行って山崎さんからあらためて話をうかがい、思いを込めたと語っていました。
 もう1つはサインアートプロジェクト.アジアンの原爆手話朗読劇 『目で聴いた、あの夏』 です。ヒロシマとナガサキでの4人の被爆体験が演じられましたが、その中の1人が山崎さんです。

 山崎さんは18歳で、爆心地に近い山里町に家族と住んでいました。しかし家族は長崎が空襲の危険性があると判断、疎開を決めて郊外に自分たちで小屋を建て始めました。
 その疎開先にいた時に原爆が投下されます。突然、パーッと目の前が明るくなり、太陽を見た時と同じようなオレンジ色の光が目の前に広がって光を放ちました。その時、爆風みたいなもので床下から突き上げられてびっくりして飛び起きました。爆弾が落ちたのだろうと話し合いました。
 夕方、家に戻ろうと疎開先を出発します。途中で原爆の惨状を目撃します。内臓が破裂したり、真っ黒に焼けたり、身体が腫れあがったりしていました。
 家にたどり着くと消えてなくなっていました。
 お姉さんは家に残っていましたが行方不明です。10日に両親が探しに出かけ、骨と歯の形が似ているという判断でそれを持ち帰りました。
 親戚の家でお世話になった後、父親の実家の島原に引っ越します。10月頃に 「長崎にも家が建ち始めている」 という話を聞いて長崎に戻ります。元の場所に小屋を建てて生活をはじめます。
 11月に、兄が戦地から帰ります。狭すぎるので知人の土地を借りて家を建て、兄夫婦と5人で生活をはじめました。

 1年後くらい経つと聾学校時代の友人が訪ねてきて無事を確認し合います。その後他の友人も来るようになりました。
 その友人と町にでたとき、写真の展示会で原爆の写真を見ました。その写真を見るまで、あの爆弾が原爆だということを知りませんでした。「きのこ雲」 の写真を見て身体が震えました。

 今、山崎さんは夫妻でろうあ者団体の役員などを歴任し、原水禁大会などでも被爆体験を証言しました。夫が亡くなったあとも学校などを回って証言活動を続けています。


 長崎で被爆した聴覚障害者は100人いたと推定されています。そのうち30人が犠牲になったといわれています。
 障碍者は、健常者と比べて情報量が少なく、なおかつ届くのが遅いという状況は今もあります。
 聴覚障害者は戦時中、学校で手話の使用を禁止されました。禁止したのは鳩山兄弟の祖父の鳩山文相です。各地方で手話表現が違っていて統一していないということが理由にされましたが、国家的思想統一に方言や手話はなじまないと捉えられたようです。他にはスパイ暗号の危険性などが言われています。聴覚障害者にとって手話は母語です。しかし他の言語を強制されたのです。
 また障碍者は戦後においてもさまざまな差別を受け、それによる生活の苦難のなかで自らを省みるゆとりがありませんでした。充分な社会生活を送ることが保障されませんでした。
 そのため被爆者手帳取得など行政からの情報入手も遅く、取得のための証人探しなどで手遅れになった人たちもいます。

 被爆者の体験は40年たった85年頃から、それまで沈黙を続けてきた人たちからも語られ出したと言われます。生活が落ち着いてきたのと、定年を迎えて時間的ゆとりが持てるようになったことなどが理由として上げられます。しかし多くの障碍者はまだそこまで至りませんでした。そして機会がありませんでした。


 その後、聴覚障害者は証言を開始します。若い世代に自分たちと同じ体験をさせたくないという思いからです。証言集 『原爆を見た聞こえない人々 ―長崎からの手話証言』、写真集 『ドンが聞こえなかった人々』、さらに映像としてビデオ 『手よ語れ―ろうあ被爆者の証言、CD 『手話で語る戦争体験』 などに集められています。
 障碍者の被爆証言は、戦争の持参さだけでなく、戦時でも戦後でも差別がより大きな被害をもたらすということを教えてくれます。

 戦後68年。貴重な証言をする被爆者は高齢になっています。取り残されていた時間が長すぎます。
 また、世の中の動きが “過ちを繰り返” そうとしています。山崎さんたちの活動が忙しくなります。

 長崎出身のさだまさしの歌『ちからをください』の解説文を紹介します。
 「『平和』 は力仕事だと常々思う。決して平和は願うだけで手に入るような単純で易しいことではないからだ。だから 『ちから』 が要る。
 しかしそれは人を傷つけるために必要な物ではないし、ましてや人を恫喝するために必要な物であってはならない。大切な人の 『こころ』 を護るためには、時折毅然と 『敵を傷つけずに戦う』 勇気と必要があると感じるのだ。」

 長崎の高校生が始めた核兵器廃絶にむけた100万人署名のスローガンは 「微力だけれど無力じゃない」 です。
 

   当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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