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カナダの労働組合のいじめの解決方法は 「修復的正義」
2013/07/30(Tue)
 7月30日(火)

 2月28日、労働政策研修 研究機構 (JILPT) は労働政策フォーラム 「欧州諸国における職場のいじめ・嫌がらせの現状と取り組み」 を開催しました。パネルディスカッションでは4か国の代表が状況報告をおこないました。(3月15日の 「活動報告」 参照) これに先立った非公開のフォーラムでは4か国以外の代表も報告をしたとのことです。その報告についてはJILPTから 『Workplace Bullying and Harassment』 が発刊されました。
 7月17日、非公開のフォーラムに参加した方から4か国以外の報告をしてもらい、意見交換を行いました。

 カナダの報告です。
 報告したスーザン・コールドウェルさんは研究者ではありません。ノバスコシア州で3万人の公務員を組織している労働組合の女性オルガナイザーです。
 報告のタイトルは 「ノバスコシア州公務員・一般従業員労組 (NSGEU) の取り組み」、サブタイトルは 「いじめのない職場の構築に向けたプログラム」 です。
 NSGEUの概要は、約30.000人の公共部門の労働者ほぼ全員を組織している州最大の労働組合です。
 NSGEUの職場のいじめの定義は、「時が経つにつれて悪化していく、繰り返し継続的に行われる行為」 です。行為とは、具体的には意図的な攻撃や侮辱、脅しなど広いです。
 労組の最大の取り組みはファシリテーターの役割、任務に着く人の育成と派遣です。
 ファシリテーターの任務は、プログラムを使って職場環境の改善に寄与することです。2008年に制度が試験的に開始された時に12名が登用されました。しかし当初、必ずしも組合員のニーズを満たすプログラムを用意できませんでした。必要としている組合員が期待しているニーズを掴んでいませんでした。
 2010年10月に正式な運用が開始されました。それに向けて熟練ファシリテーターを育成するプログラムを作成しました。より専門的な知識やノウハウも身に着けてもらってプログラムの遂行にあたってもらうようにして運営していきました。
 ファシリテーターの声明です。
 「私たちは、連帯と平等を堅持しつついじめのない職場を目指して協働していきます。そのために私たちは誠実性、透明性、他者尊重、説明責任を重視して労働者の権利を尊重する教育プログラムを提供します。」
 具体的教育プログラムの内容です。
 1つは、自身の受けた行為について自覚と振り返りをしてもらいます。行為者の態度も振り返ってもらいます。そのためのワークシートを作成して組合員に書いてもらいます。
 2つ目は、2時間の研修です。いじめに関する意識向上、事案など知識や情報を発信しています。
 3つ目は、6時間の 「職場の理解と改善のためのワークショップ」 の開催です。自分の職場がどのような職場環境かを理解してもらうためのものです。理解するだけでなく環境がよくない場合はどうしたら改善できるかを検討します。
 プラスαとして、インターネットを使ったeラーニングです。

 プログラムの運用開始から1年半で169回開催し、4.500人が参加しました。実施参加者3.000人、eラーニング1.500人です。使用者、非組合員も参加しています。参加者の評価は高く、98%が 「受けてよかった」 と答えています。
 プログラムで重点に置いていることは、関係を修復し改善していくことです。当事者間で、行為者を制裁する、させると思わせるものではなく、仲直りさせることです。「修復的正義」 (restorative justice) と概念化しています。
 どのようにすると修復させることができるでしょうか。
 プログラムはお互いに原因があるという相互責任の立場です。見つめ合ってお互いの原因、よくなかったことを探して修復を探っていこうという立場に立っています。
 関係修復のステークホルダーが求めるニーズを探っていくことが重要になってきます。ニーズは被害者、行為者、第三者で違います。
 被害者は、事の真相の認知、エンパワーメントを回復して主体的に考えられるようになりたい、損害賠償や権利主張の要求です。
 行為者は、弁明、説明責任です。何でこのようなことが起きたのか説明したいと思っています。異動・配転、職場統合の奨励などもあります。節度、我慢も必要です。
 第三者・職場のニースとしては、注意喚起、共同性構築の機会、相互責任の理解、他者理解、職場環境改善、適切な調査過程などです。
 それぞれのニーズをきちんと拾い上げて相互関係を修復していきましょうということです。

 
 報告を聞いて出された感想です。労働組合が研修に主体的にかかわって、理念を持って職場のいじめの予防に努めていくというようなことは日本では示唆深いことです。ただ関係の改善はできることと出来ないことがあります。労使関係が悪化していて対立的状況では難しいです。そのような点も考えていかなければならないということでした。

 この後、質疑・応答、感想に移りました。
 Q どのような経緯で始まったのでしょうか。経過、背景は?
 A 労働安全衛生の問題として関心があったということです。法律で職場のいじめの規定はなかったので
  すが、州の法律では使用者は安全で健康的な仕事を提供する義務があります。職場のいじめは暴力
  の1つだと捉えて、そういうことがある職場は安全で健康的な職場とは言えないということで取り組み
  を開始したようです。もう1つは、組合員からもいじめがあるという報告があったようです。

 Q カナダの職場のいじめについての捉え方はフランスとアメリカのどちらに近いのでしょうか。
 A ノバスコシア州はフランスの法律を取り入れたといっています。骨格はフランスの法律だそうです。

 感想 第三者もきちんと捉えられているということは、予防が第一という視点をみんなで認識して推進して
  いこうということがベースにあります。そのことに労働組合が取り組んだということは凄い。理解させて
  いくためには被害者、加害者ではなくて、誰でも被害者にも加害者にもありうるということを前提にして
  います。その中でのプログラムは有効性があると思われます。

 Q ファシリテーターはどのような人がなっていますか。
 A ファシリテーターになった人は、よく職場を知っている人がなっている。そのような人を訓練して育てて
  います。ファシリテーターを増やしていく。プログラムも増やしていこうとしている。



 続いて、フィンランドからの参加した方の報告です。EUを包括した内容です。
 最初に定義についてです。
 日本では昨年、厚労省が 「職場のパワーハラスメントの概念」 を発表しました。
 「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」

 定義はヨーロッパが先行しています。EUとしては統一された定義はありませんが、定義に含まれているいくつかの要素は共通しているという見解が一般的になっています。
 共通要素は6点あります。
 1つ目は、心理的に傷つくような否定的な行為。
 2つ目は、直接的でなく間接的行為も含む。例えば悪い噂を流すとか本人に直接言わなくても悪意ある
  言動などの行為も含まれます。
 3つ目は、業務に関連したものと個人的なものと2種類ある。
 4点目は、反復的である。
 5点目は、長期間にわたる。
 6点目は、行為者の権力の方が被害者の権力よりも強い。

 日本の厚労省の概念規定は、反復的と長期間にわたるは欠けている印象があります。
 いじめは徐々にエスカレートしていくプロセスも共通の見解としてあげられることが多いです。

 各国の被害経験率については国家によってばらつきがあります。
 日本は、昨年度の厚生労働省の実態調査では25.3% (過去三年間) です。
 ヨーロッパで実施された70の調査では11万人を対象にしていますが、平均すると14.6% (半年間) です。

 行為者は、メインが上司で、続くのが同僚です。あるいは顧客・患者などの第三者です。
 イギリスとスウェーデンは行為者が違います。イギリスは日本と同様7割が上司・管理者からです。一方、スウェーデンは上司が4割、同僚4割。同僚が多い傾向があることがいくつかの調査で言われています。理由は不明です。組合の背景、法整備が違っています。

 行為は、業務に関連したものと個人的なものがありますが、業務に関連したものは業務上の付き合いあるいは業務命令した人からで行為者が限定されます。
 無視や個人的ないじめは誰でもできるので、学校のいじめと共通していと位置づけされています。
 厚労省の 【職場のパワーハラスメントの行為類型】 でいうと、「過大な要求・過小な要求」 は業務に関連したいじめを想定しています。

 いじめに対する企業の対応は、「いじめを許さない」 という姿勢を経営方針に含むべきだといわれることは多くあります。しかし就業規則に盛り込めとかまでは各国とも言っていません。
 ポリシーとしては入れても規則に入れろとまでは至っていません。

 EU27加盟国では、企業の30%が企業内に何らかのいじめ処理手続きを持っています。大きい企業ほど整備されています。


 個人的テーマとして、いじめを受けた後、被害者はどのような行為をするのかの調査をしています。
 被害者個人が加害者に直接はむかうこと、報復はよくないことなので止めましょうと言われています。ではどうするか。他者の援助を求めることが重要です。当たり前ではないかと言われますがなかなか難しいです。 昨年の厚労省の実態調査において、いじめを受けた後の行動では46.7%が 「何もしなかった」 です。他者の援助を求めることもなく泣き寝入りをした方が約半数です。
 なぜ何もしなかったのか。2つの調査から考えてみます。
 イギリスの公共部門の組合 (ユニソン) の調査では、「なぜ何もしなかったのか」 の質問に68.5%が 「状況が悪化するから」 と回答しています。次は 「自分の評判が悪くなることを恐れるから」 です。
 日本の自治労での調査では、「なぜ何もしなかったのか」 の質問に50.4%が 「何をしても解決にならない」 と期待の低さを挙げています。25.3%が 「職務上不利益が生じると思った」、「さらにエスカレートすると思ったから」 です。

 この2つの調査を踏まえてどうしたらいいのかを考えてみます。
 ①相談すると解決に近づくというように相談への期待を高める必要がある。
 ②相談しても状況が悪化しないようにシステムを整える必要があります。どのような不利益を労働者が懸
  念しているかを調査する必要があります。
 ③相談者は、企業内と企業外の相談先で外の方への思いが強い傾向があります。しかしハードルが高
  いというジレンマがあります。いまはどっちつかずの実情があります。ハードルとは、いきなりわから
  ない機関に行くことは事を大きくし過ぎているのではないか、自分が過敏になり過ぎているのではない
  かという懸念があります。大したことないよと言われてしまう恐怖があります。


 Q ユニソンの調査で 「何もしなかった」 の回答率はどれくらいだったのですか。
 A 数字はないのですが、同僚に相談したが半数ぐらいなので、多分半数程度は何もしていないことが予
  想されます。

 Q 相談した人の結果はどうだったかという数字はないですか。
 A ないです。

 Q 日本ではパワハラ、いじめを問題にすると上司は指揮命令ができなくなるという意見を聞きますが、
  海外ではそういうことはないんですか。
 A フォーラムで同じような質問が出されましたが、そのようなあいまいな指揮命令はないという回答でし
  た。指揮命令は上司と部下との関係ですが、パワハラはパワハラとはっきり分かるということでした。日
  本は個人的な部分と業務に係ることが一緒になっていてすべての関係性を駆使していじめるというパタ
  ーンですがEUでは基本的な関係は遵守されています。行為の線引きはされています。


 この他にもさまざまな質問や感想が出されて活発な討論が行われました。
 後日テープ起こしをしてパンフレットを作成します。 


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「森は海の恋人」
2013/07/26(Fri)
 7月26日(金)

 観たことはないのですが、「海女」 の連続テレビドラマがヒットし、各地の海女も話題になっています。
 海女の手法は日本と韓国済州島にしかありません。ドラマの舞台となった岩手県久慈市は 「北限の海女」 と脚光を浴びています。東日本大震災の被災地を観光客が訪れることも1つの復興に繋がります。

 被災地では海女など海に生きてきた人たちの共同体が震災から立ち上がるステップになりました。
 2011年5月24日付 『毎日新聞』 に「『海女文化』 を世界遺産に」 (石原義剛 「海の博物館」 館長) の見出し記事が載りました。
 「海女は潜って獲物を取る女性というだけではない。海女が存在してきた最大の理由は、自然がもたらしてくれる豊かな幸に頼って暮らす共同体社会の要としての役割を果たしてきたからだ。……
 アワビ、サザエ、海藻などはいつも乱獲の可能性がある。過去には水中メガネとウェットスーツを海女が使い出した時、乱獲が起こった。そこで資源を枯渇させないために穀長や漁獲期間、潜水時間の制限を厳しくして、持続的な漁獲資源の維持にあたってきたのだ。
 海女は競争心は強いが、相手を傷つけてまで優劣を求めたり、仲間割れしたりはしない。海女が集まると荒っぽい声も飛び交うが、後には大きな笑いの渦に巻き込まれる。陰気なけんかの世界とは無縁である。天真らんまん、人間本性の純粋さを今も失っていない。海女とはいうが、海女 『業』 とは言わない。職業とは違うからだ。彼女たちは四季の海で働きながら、子らを育て、共同体を男とともに築き、現代社会にのみ込まれることなく、海の自然とともに生きるたくましい母の群像だ。」
 潜っている時だけでなく、陸に上がって 「海女小屋」 で火を囲んで冷えた身体を温めながらの語り合いがまた楽しいひとときです。


 海女の話ではありません。震災からの復興に立ち上がっている海の女衆の話です。
 石巻市北上町十三浜大室は震災前から養殖ワカメと天然の岩のり、マツモ、フノリなど海藻類の宝庫でした。しかし震災は海岸を1メートル近く沈下させてしまい浜は狭くなってしましました。
 「岩ノリなどに少し遅れて、ヒジキが開口になる。個人ではなく、集落の女 (おなご) 契約に開口され、女性たちが主になって採る共同作業。契約 (あるいは契約講) は、集落でつくられる相互互助の自治組織だ。
 ヒジキは集落で販売まで手掛けている人が買い取り、ゆでてあくを抜き、干して商品化する。女契約の収入は、集落と個人の双方を潤す。
 これまで最も印象に残っている漁業は1965年だという。
 『ヒジキの売り上げが500万円以上になった。私は女契約の会計をしていた。当時、大室女契約の42人にそれぞれの名義で3万7000円だったかな。貯金口座を作った』
 地域の資源を生かし、合意の下で地域の経済を回していく。みんなで生きる女性たちの協同の力は震災を経ても健在だ。
 『何年か時間はかかるだろうが、今まで付いていなかった岩に、新しく海藻が付くと思う』
 持ち前の明るさでカラッと笑う佐藤さん。浜の女衆はしなやかで、粘り強い。」 (『いしのまき浜物語』 三陸河北新報社)

 もう1つ石巻市の話です。2011年7月7日の 『活動報告』 の再録です。
 仙台に在住し、宮城県を舞台にした小説を書き続ける熊谷達也の短編小説集 『稲穂の海』 の第一編は、鯨の町・鮎川港の捕鯨船を取り上げた 『酔いどれ砲手 (てっぽう)』 です。
 ストーリーは、出港を翌朝に控えて砲手が急性盲腸で入院してしまったことから始まります。
 砲手がいなくては出港できない。そこで船長とボースン (甲板長) が考えたのは、引退をしている砲手を乗船させることでした。元砲手がキャバレーで酒を飲んでいるところに押し掛け、酔い潰れさせ、出港する船に乗せてしまいます。元砲手が気を取りもどした時はもう遅い。観念して指示だけは出すことを了承します。
 元砲手の感は鈍っていませんでした。
 眠っている長須鯨を発見します。しかし引き金を引くことを止めさせようとします。「おまんら、寝ている鯨を撃って気持ちええか? そらあ良ないわ。それが鯨に対する礼儀ちゅうもんじゃろ」
 目覚めた鯨を捕獲します。
 お礼を述べた砲手に元砲手が語ります。
 「わしらはやっぱり鯨を捕りすぎちょる。南氷洋が駄目になったら北洋、それも駄目になったら近海ってか。この海ではそろそろ鯨の逃げ場がなくなっちょる。……ここらで一旦鯨はやめておいた方がいいだろう。また増えるまで休んでもいまの時代は食えるようになってきちょるからな」
 「あ、あんのう……もしかして、親父っさんはそれが理由で引退したのだすか」
 「まあな」

 海に生きる者たちは海の生きものをいじめはしません。漁獲量をわきまえます。そして自分の世代だけではない長期の共存を目指しています。


 豊かな海の幸を収穫するために海だけでなく陸・山も大切にします。
 「気仙沼湾はかつて赤潮で真っ茶色の海になったことがあった。森、川、海が別々に考えられ、農、林、水産業が個々に利益追求をし、家庭排水もそれに輪をかけた結果だった。『森は海の恋人運動』 はその時始まった。海を豊かにする為には、森を育て、川の流域に暮らす人々が価値観を共有しなければいけない。平成元年から毎年人々が集い、約3万本の落葉広樹林の植樹が行われてきた。海を守るのは人と人のつながりだった。平成25年には、新たな産業を生み出すNPO法人も立ち上げた。
 今、NPO法人森は海の恋人は行政や他団体とも連携しつつ地域を守り育てていく。その拠点がある気仙沼市唐桑町舞根地区では防波堤を建設しないことが決まっている。この地域は、地形的な事情もあり、防波堤というハードで固めるよりも、教育というソフトの減災を選んだ。」 (宮城Fortune 2013 Vol.4)


 今、被災地の海岸に10メートル以上もの高さの防潮堤が建設されようとしています。海と森の分断です。森と海だけでなく集落・共同体も破壊されます。
 さらに宮城県は県が音頭を取って 「水産復興特区」 の漁協に企業の参入を可能にしました。“経済” が集落・共同体を破壊しようとしています。漁民の意気込みとは違う、「蟹工船」 の再来をもたらします。
 そして陸では、“ブラック議員” が農業の株式会社化を提言しています。「民間」 は 「復興」 利得をあさろうとしています。労働者だけでなく今度は多くの農民を殺そうとしています。
 これらは復興とは呼べません。東北の死滅です。


 今年4月2日から5日まで、「済州島4・3事件65周年慰霊祭」 に出席しました。
 ついでに少し観光もしました。海女たちが潜った海の近くで、採って来たばかりのホヤ、うに、アワビを料理して売っていました。おいしく食べました。
 その後、済州海女抗日記念公園に建っている済州海女博物館を見学しました。
 明治維新後の日本の朝鮮半島への侵略は住民の生活を脅かしました。済州島の海女たちも乱獲などで海を荒らされました。島民は日本などに出稼ぎなどを行わざるを得なくなります。
 海女たちは労働条件の改善を要求して1920年には 「済州島海女漁業組合」 を結成してストライキ闘争を展開します。1932年1月、植民地からの搾取に抗議し、人間の尊厳や生存権を要求して 「済州島海女抗日闘争」 が開始されました。12.000人の海女たち公園前の道路でデモ行進を繰り返し、2月に知事を追い詰めて勝利しました。
 指導したのは、大阪に出稼ぎに行って労働運動を経験して帰ってきた島民です。海女の団結と闘争力に驚かされます。勝利を誇るように、公園には 「済州島海女抗日運動記念塔」 がそびえています。
 博物館には済州島だけでない海女の歴史や生活の様子が紹介されています。海女は働き者ですが男は分業で漁や農業に従事しています。双方が働き者だったという説明でした。


 関東では房総半島で海女が活躍しています。南房総市白浜の海女は、多くが農業との兼業で、解禁日にはサザエ、アワビ、伊勢えび、天草などを採ります。
 アワビのエサはカジメやアラメなどの海藻です。戦時中、これらの海藻を焼いてできるヨード灰は火薬の原料になる軍事物資でした。
 1941年8月、千葉県から漁業組合に 「カジメ採取に関スル件」 の命令が出され、房総半島の漁協に供出責任量が割り当てられ、漁民たちは海藻採集に総動員させられました。カジメ採取の期間は、アワビ採りは一切禁止されました。

 また戦時中、房総半島では花作りが禁止され食糧増産が強制されましたが、「花は心の食べ物」 と人里離れた山奥に花を育てている人たちがいました。田宮虎彦の小説 『花』 の故郷です。小説は 『花物語』 のタイトルで映画化されています。


 海では海女がアワビを採り、山に木を植え、陸では花を作る、このような共同体を守り育てることを本物の復興と呼びます。
 

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休職者・復職者・退職者の調査は実態を隠す企業が多い
2013/07/23(Tue)
 7月23日(火)

 6月24日、労働政策研修 研究機構は 「メンタルヘルス、私傷病などの治療と職業生活の両立支援に関する調査」 の結果を発表しました。過去3年間の病気休職者の発生状況と復職、退職状況などの調査です。
 全国の常用労働者50人以上を雇用している企業20,000社 (農林漁業、公務を除く) を対象としました。有効回収数5,904件で有効回収率29.5%です。回答者は企業です。会社が実態を公表したくない調査は回収率が低いです。労働時間調査や精神疾患による休職・復職の調査は低いです。また回答しても無回答が多くあります。ですから実態は今回発表されたものより低い状況だと思われます。

 回答者属性ですが、正規労働者49人以下の企業が1.261社 (21.4%)、50人から99人が2.185社 (37.0)%、100人から299人が1.565社 (21.5%)、1.000人以上が129社 (2.2%)です。
 非正規労働者数については0人が629社 (10.7%)、1人から49人が2.597社 (44.0%)、50人から99人が690社 (11.7%)、100人から299人が688社 (11.7%)、1.000人以上が379社 (6.4%)です。
 非正規労働者数を雇用していない企業が629社と1割を占めています。一方、正規労働者よりも非正規労働者の雇用数がかなり多いことがわかります。これだけでも精神疾患による休職者数が構造的に発生している状況が浮かび上がります。(非正規労働者の罹患者が多くなるということではありません。非正規労働者を監督する末端の正規労働者管理職にしわ寄せが集中します。)
 最近の調査では企業規模別調査結果はわかりにくくなっています。規模が小さい企業は労働条件が低いと言い切れません。企業の分社化、グループ化が進んでいますが、分社化に際しては元の労働条件が踏襲されることが多くあります。逆に合併に際して労働条件の改悪を受け入れている労働組合もあります。


 過去1年間の健康診断の実施状況は、「定期健康診断」 は94.1%の企業で実施されていますが、非正社員への適用状況は、「非正社員がいない」 及び無回答を除いて 「すべての非正社員に適用される」 67.3%、「一部に適用されている者がいる」 23.6%、「非正社員には適用されない」 9.1%です。非正社員規模別にみると、規模が大きくなるほど 「一部に適用されている者がいる」 の割合が高くなっているといいます。

 非正規労働者への適用は増えています。
 企業が非正規労働者を雇用する理由は低賃金、社会保険料負担の軽減、雇用の調整をしやすいなどが挙げられますが、規模が小さい企業は労働力としての期待が大きく、規模が大きい企業は雇用調整の位置づけで期待が小さいということなのでしょうか。

 「メンタルヘルス」 に罹患した社員から治療と仕事の両立に関する相談の受付方法は、複数回答で、「人事・労務担当者が受け付けている」 81.3%、「社外の相談専用窓口で受け付けている」 17.9%、「社内の相談専用窓口で受け付けている」 15.7%です。合計114.9%です。
 産業別の合計では、金融・保険業169.4%、情報通信業135.7%です。状況を認識したうえで体制を作っているということでしょうか。情報通信業は 「社外の相談専用窓口で受け付けている」 が大きくなっています。
 しかし体調不良を相談、・報告しないで我慢して働き続けている労働者が多くいます。またこれら以外のところに相談したりします。


 連続して1ヵ月以上利用できる病気休職制度の運用は、就業規則等で規定77.7%、慣行9.7%です。規定がないが7.9%です。
 病気休職制度の休職期間は 「3ヵ月まで」 9.6%、「3ヵ月超から6ヵ月まで」 13.3%、「6ヵ月超から1年まで」 22.3%、「1年超から1年6ヵ月まで」 17.2%、「1年6ヵ月超計」 26.1%、「上限なし」 4.5%です。
 病気休職制度は、戦後は結核罹患者の療養を支援するために長期になった経緯があり、そのまま続きています。また2000年代になってメンタルヘルスケアの必要性が叫ばれるようになると、労働組合は要求のなかに病休期間の延長を盛り込んで実現させたところもあります。
 しかし最新は発症率が高いIT関連企業でも就業規則に盛り込んでいない、慣例もない企業が増えています。設立が新しい企業に盛り込んでいないことが目立ちます。
 また休職期間は勤続年数によっても差があります。雇用の流動化が言われているなかでは勤続年数が短くて調査の内容が運用がされない労働者も多くいます。傷病給付金受給中でも自動的に解雇になったりします。せめて傷病給付金が受給できる最長の1年6か月間の制度確立は企業としても負担が大きくはないので期待したいものです。
 一方、入社後の未使用の有給休暇は 「貯金」 され、病気の時には使用できる、つまり賃金は100%保障され、消化後に病休に切り替わる企業もあります。
 「上限なし」 は4.5%あります。本田技研は創業者の病気になっても社員を路頭に迷わせないという意向が踏襲されているといいます。


 正規労働者に病気休職制度がある企業での非正規労働者への適用状況は、「非正社員には適用されない」 48.5%、「すべての非正社員に適用される」 31.1%、「一部に適用されている者がいる」 14.5%です。
 「一部に適用されている者がいる」 とする企業の適用基準は、「就業形態 (契約社員、パートタイマー等)」 59.9%、「労働時間」 9.8%、「勤続年数」 9.0%などです。「ケース・バイ・ケースであり基準はない」 17.7%です。

 休職期間が過ぎても復職にこぎつけなかった時にどうしているかです。
 「ケースにより異なり一概にいえない」 27.6%、「休職期間満了をもって退職」 43.4%、「さらにしばらく様子を見る」 5.1%です。企業規模別では大きいほど規則通りのようです。
 しかし 「無回答」 が23.9%と4社に1社が回答していません。慣行を含む 「病気休職制度」 がある企業91.9%でも15%が回答していません。
 復職を巡る調査ではよくあることですが、企業の 「事情」 が隠されています。実際は、精神疾患の休職は自動的に退職に至ることが “慣例” になっていて復職した者がはこれまで存在しないという企業もかなりあります。


 「メンタルヘルス」 の休職者の場合の試し出勤制度 (リハビリ出社) については52.9%の企業しか回答していません。
 回答の中で、復職に当たって 「原則として試し出勤を行っている」 30.0%、「試し出勤を認めることがある」 46.8%、「原則として、試し出勤を認めていない」 23.2%です。
 厚労省が作成した「復職の手引き」に試し出勤制度は盛り込まれていますが、実際の運用は企業に任せられているなかで活用されていません。
 育児休暇、介護休暇制度などで家族のためには労働時間の短縮が行われますが、労働者本人の健康問題においては労働時間の短縮が認められずにフルの即戦力が要求されることが多くあります。このような無理の強要が症状の再発を招いています。
 企業は、試し出勤は出勤扱いではないので事故が発生した時に労働災害にならないことなどを理由にします。しかし、本当に復職を期待する企業は、当該を短期間の保険や共済に加入させたりしています。


 「メンタルヘルス」 の場合、復職後の配置については、「配置転換をすることがよくある」 47.4%、「配置転換をすることはほとんどない」 36.8%、「現職復帰が原則で配置転換はしない」 15.8%です。
 これについては2013年5月31日の 『活動報告』 に書きましたが、体調を崩して休職に至る原因によって違います。
 ① 長時間労働
 ② 過重労働 (責任過多。裁量権がない)
 ③ 人間関係
 ④ 異業種への配置転換 (適性配置違反)
 ⑤ 顧客、住民、モンスターペアレントからの攻撃
などです。復職に際してはまずそれらの問題が消去、回避されないと安心できません。
 企業も周囲の労働者も職場環境改善を何もしなければ、原因は存続することになり、再発の危険性は大きくなります。
 また休職期間によっても違います。
 休職者の状況は
 ① 比較的軽度で仕事に影響がなく早期の回復が見込める場合
 ② 短期間の1~2回の休職を経てその後は安定就労が見込める場合
 ③ 医療的なケアが適切に行われておらず、回復にむけてのプロセスも確立されておらず、休復職を繰
   り返したり、周囲の対応も困難が伴う場合
 ④ 比較的重い疾病により休復職を繰り返したり、回復が困難な場合
に分かれます。休職に至った原因と合わせてそれぞれ復職プログラムは違ってきます。問題は応用力です。

 調査時点の病気休職制度を利用している 「メンタルヘルス」 による休職者人数は、0人75.1% (規定がない企業7.9%を含みます)、1人10.4%、2人3.3%、10人以上0.4%です。
 休職者が10人以上いる企業は 「社員の病は会社の病」 です。
 病気休職制度による調査時点での休職者人数で除した対正社員比は平均0.51%です。つまり平均200人に1人の割合で休職者がいます。
 これを産業別にみると 「運輸業、郵便業」 0.73%、「サービス業」 0.69、「情報通信業」 0.56です。 正社員規模別にみると 「49人以下」 が0.85%で、50人以上の規模ではいずれも0.4%台となっています。規模が小さい企業は 「人間関係」 の問題が発生した場合、配置転換などによる改善が難しいという事情があります。


 病気休職の取得を経て復帰した社員の再発の繰り返しの状況等について回答した企業は41%しかありません。結果から実態が見えにくくなっています。実態はもっと悲惨だと思われます。
 その中でメンタルヘルスにおいて 「ほとんど再発はない」 47.1%、「2~3割が再発を繰り返している」 32.4%、「半分程度が再発を繰り返している」 37.9%、「7~8割が再発を繰り返している」 34.5%、「ほとんど (9割) が再発を繰り返している」 39.8%です。
 最近は 「メンタルヘルス」 問題に積極的に取り組んでいる企業とそうでないところの 「格差」 が大きくなっています。堂々と取り組んでいないと回答する、「取り組み方がわからない」 とごまかす企業もあります。


 過去3年間における病気休職制度の新規利用者人数に占める復職者人数の比率 (=過去3年間の復職者人数/病気休職制度の新規利用人数×100。以下 「復職率」 と略す。) については回答した企業は52%です。「メンタルヘルス」 の復職率平均値は45.9%です。
 過去3年間における病気休職制度の新規利用者人数に占める退職者人数の比率 (=退職者人数/過去3年間の病気休職制度の新規利用人数×100。以下 「退職率」 と略す。) について回答した企業は52%です。「メンタルヘルス」 の退職率平均値は42.3%です。
 産業別にみると、退職率の平均値がもっとも高いのは 「金融業、保険業」 53.9%、「建設業」 46.4%、「卸売業、小売業」 44.7%、「運輸業、郵便業」 44.5%、「サービス業」 44.5%です。
 相談活動のなかでは、企業の制度や“体質”、“実態” のなかで復職できなくて転職する場合が多くあります。しかし転職先で再発し、休職に至るという深刻な事態も多々あります。

 メンタルヘルスや私傷病に罹患した者がいた場合の継続就業の状況のパターンについて回答した企業は49%です。回答数の中の「当該疾病者を把握していないのでわからない」及び無回答 (非正社員の場合、「非正社員がいない」 含む。) を除いた結果は、「メンタルヘルス」 の正社員の場合、「休職を経て通院治療を続けながら働き続けている」 53.0%、「休職をしないで通院治療をしないで働き続けている」 9.7%、「休職期間中 (もしくは復職直後) に退職している」 13.0%、「休職を経て復職後、しばらく勤務した後に退職している」 10.5%、「休職をせずに退職している」 3.5%です。「長期の休職、または休職・復職を繰り返している」 5.1%です。

 過去3年間の 「メンタルヘルス」 の増減状況については、「増えている」 6.4%、「やや増えている」 15.5%、「ほぼ横ばい」 18.3%、「やや減っている」 2.4%、「減っている」 7.3%です。なんと「わからない」 50.1%です。


 実態は見えにくい状況にあります。実態に迫るためには企業調査ではなく、健保組合調査の方が正確な数値が出てきます。
 結果を総合すると、全体として改善は進んでいるとおおわれます。しかしEUと比較したら 「労働者が働けない状況を放置」 していて 「もったいない」 状況が続いています。


 2010年12月12日の 『朝日歌壇』 です。

   休職後 復帰プログラムをこなされた先生
      復職し そして自死する

 当該からの体験談・要望を生かした 「復職の手引き」 の再検討が必要になっています。

  
  当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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阪神大震災の時、感情を素直に出し 『泣き虫先生』 と呼ばれた  教員のクラスではストレスの回復が早かった
2013/07/18(Thu)
 7月18日(木)

 7月9日の 『岩手日報』 に 「県内教職員88人休職 昨年度、6割超が精神疾患」 の見出し記事が載りました。
 県教委の発表です。昨年度の県内の教職員の休職者は88人で、うち精神疾患を原因とする人が6割超の54人に上ります。異動が精神疾患につながるケースが多いのが特徴で、被災地では依然、疲れや不眠を訴える声が多いといいます。
 昨年度の休職者は前年度比19人減。うち精神疾患が原因の人は同16人減。精神疾患による休職者54人のうち、半数以上は2年以内に異動経験があったといいます。
 昨年度末までの震災に起因したトラウマ (心的外傷) やフラッシュバックなどによる療養者 (病休者、休職者) は計14人。現在、療養者はいないが、職場復帰した人の一方、退職者もいます。震災から2年が経過しましたが、被災地の教職員からは肩こりや疲れ、不眠、意欲低下などの声が出ているといいます。

 雑誌 『女も男も』(労働教育センター発行) 2013年春・夏号は 「被災地教職員・自治体職員の震災後ストレスと心のケア」 を特集しています。そのなかで日教組執行委員の向明戸静子さんは 「被災3県の病気休職者数の推移」 を図表で報告しています。
 岩手県に限れば2009年度が病気休職者数108人、うち精神疾患による休職者数78人、2010年度が106人と80人、2011年度が96人と62人です。この流れを見る限りは減少と言えます。
 しかし問題は別に存在しています。「被災3件の定年前退職者数」 (2011年度末) の図表は、岩手43人、宮城26人、福島60人となっています。自治体職員もそうですが、精神疾患で体調不良になった人の多くが復職を望まないで退職しています。


 昨年10月26日の 「活動報告」 で宮城県女川1中の生徒たちが震災後に作った俳句を紹介しました。その中の1句です。

   ただいまと  聞きたい声が 聞こえない

 自分の家族は無事だったけど友だちの心中に思いをはせて詠んだといいます。
 指導している先生も小学生の次女を津波で亡くしていました。提出する時、先生を苦しめるのではないかと思いを巡らしましたが、悲しみをたくさんの人たちに伝えたいという思いの方が大きかったといいます。

 被災地の教職員は被災者であると同時に救援者の任務を負い、そして労働者です。
 救援活動はそれぞれ立場によって任務は違います。
 消防士や警察官、自衛隊員は発生直後から現場で活動します。集団行動で、短時間・短期間です。自治体職員、教職員、医療関係者、ボランティアは現場の周辺で活動します。個人で判断しなければならない事態も多く、期間は長期に及ぶこともあります。報道関係者は現場も周辺も目撃し、記録しながら行動します。
 震災直後でも自治体職員、医療関係者はそれぞれの職場を拠点に指示をうけながら活動します。

 2011年12月9日の 「活動報告」 で宮城県教職員組合のアンケート結果を紹介しましたが、教職員は激務をこなしていました。
 教職員の職場は避難所となって被災者に “占領” されています。そこでは施設の管理者であり、救援活動の責任者にまつりあげられたり、泊まり込むこともあります。被災者からの要望やクレーム、相談対応も任務となります。その一方で児童生徒と家族の安否確認、相談や激励などに24時間対応します。それらははじめて体験することばかりです。しかし期待されるなかで気を休めることができず、感情も表に出せません。
 支援者は被災者や児童・生徒に心を寄せる人たちは大勢いますが、被災者でもある教職員に対しては多くありません。
 授業再開は、施設が使用できないなど教育環境が大きく変わった中で行われます。亡くなった児童・生徒がいる場合もあります。家庭や家族の状況も大きく変化しています。教職員はそれらをすべて受け止めなければなりません。
 緊張状態のなかでの業務遂行の後、異動など環境の大きな変化を経ると始めて現実を捉えかえすことができたりします。そうすると一気に疲労とストレスが発生し、拒絶反応が出てきたりします。

 精神科医の中井久夫さんが阪神淡路大震災の時の経験を書いた 『災害がほんとうに襲った時』 (みすず書房) から抜粋します。
 「突然、避難民をあずかる羽目になった校長先生と教員たちの精神衛生はわれわれの盲点であった。校長先生たちはある意味ではもっとも孤立無援である。避難民には突き上げられ、市にはいっさいの人員援助を断られ、そして授業再開への圧力がある。災害精神医学というものを曲りなりにも知っていた精神科医とちがって、校長先生たちは災害においてこのような役割を担おうとは夢にも思っておられなかったはずである。……
 やはり人間は燃え尽きないために、どこかで正当に認知acknowledgeされ評価appreciateされる必要があるのだ。……
 弱音を吐けない立場の人間は後で障害が出るという。」


 2011年4月30日の 『毎日新聞』 に 「東日本大震災 岩手県教委 『こころのサポートチーム』 が始動」 の見出し記事が載りました。県教委は県内の臨床心理士6人らと兵庫教育大大学院の冨永良喜教授をスーパーバイザーに迎えて構成される 「こころのサポートチーム」 を作って支援を開始、4月13日から教職員を対象に研修を実施しました。
 そこでは児童生徒の受け止め方や接し方についての講義と質疑応答が行われましたが教職員自身の健康管理についても話が及びました。
 「先生も肩の力抜いて
 研修では講義だけでなく、心身をリラックスさせる 『実技』 にも時間を割いた。『子供を元気づけるには先生が元気でいることが大切』 (県教委) だからだ。県教委によると、同県沿岸部の公立小中高校の教職員約2500人のうち約2割が、家屋に被害を受けた被災者でもある。
 (臨床心理士の) 佐々木さんの指導で、両腕を上に伸ばしたり、肩を上下させたり、座った状態で足を伸ばしたりするたびに 『あー』 『はー』 と気持ちの良さそうな声がもれ、それまで緊張感や疲労感が漂っていた教員の顔に初めて笑みが浮かんだ。
 『笑っちゃいけないと思っている人がいるかもしれないが、それは間違い。力を抜く時に抜かないと力を入れる時に入れられない』。佐々木さんはリラクセーションの大切さを説く。阪神大震災の時、感情を素直に出し 『泣き虫先生』 と呼ばれた教員のクラスではストレスの回復が早かったという。」

 阪神淡路大震災の時は、その一方で2~3年後にPTSDに罹患した教員もいました。

 2011年5月1日の 『朝日新聞』 に 「心のケア まず先生から」 の見出し記事が載りました。
 「宮城県石巻市には4月7日から、秋田県教委から養護教諭らのチームが派遣されている。1チーム3泊4日で、5月末まで計11チームが現地入りする。
 子どもを直接ケアすることよりも、地元の養護教諭を精神的に支え、子供と向き合う時間を増やしてもらうことに重きを置く。
 3月下旬に先遣隊が現地入りしたときのこと。宿舎に夜、地元の養護教諭が訪れて胸中を打ち明けた。学校に泊まり込んでいて、避難所に暮らすわが子を抱きしめてあげられないこと。安否不明の児童を捜したくても学校を離れられないもどかしさ。ひとしきり話すと 『少し楽になりました』 と帰って行ったという。
 聞き役になった秋田県の小野敬子教諭は 『先生はいつ倒れてもおかしくない状態だった。子どもたちのためにも先生を支えることが最優先とわかった』 と振り返る。」 
 続けて、4月初めに石巻市で講演をした国立国際医療研究センター国府台病院児童精神科の岩垂喜貴医師の発言を紹介しています。
 「多くの先生たちは、避難所の運営や学校再建に忙殺され、自宅や学校も被災して、児童生徒のケアに全力をつぎ込めない無力感に駆られている。
 『こういう時こそ 「できないことはできない」 と自分の心に言い聞かせることが大事。完璧じゃなくていい。「中途半端にやる力」 が、長い目で見たらとても大切』……『イライラや落ち込みを隠して子供たちに接しようとするのは難しい。無理に前向きになる必要もない。子どもにとっては先生がいてくれるだけで治療的な意味があるのです』」


 『女も男も』 に寄稿している日教組執行委員の向明戸さんは、東日本大震災が発生した時は岩手県で勤務していました。
 「心配なのは、つらさやかなしみを内に閉じ込めてしまうことで、きもちがパンクしてしまわないだろうかということ。バーンアウトが心配されます。……
 では、今の被災地教職員に必要なケアはどういうものでしょうか。話して楽になる、という体験はだれしもあると思います。まずは、自分1人で抱え込んでいたものを、同じ被災体験をした者同士で、つらさや悲しさを一緒に分かち合うことです。このような同じ体験、同じ境遇の人同士で、お互いの話を聞き合うことを 『ピアカウンセリング』 と言いますが、自分の気持ちを理解してくれる相手だからこそ、話せることがあります。ピアカウンセリングであれば、自分自身の気持ち、今の精神状態と向き合うことができるのではないかと思います。
 子どもの心のケアと同様に、この人なら話しても安心という相手が、大人のケアにも必要です。」

 兵庫教育大大学院の冨永良喜教授も寄稿しています。
 冨永教授は、子供たちへの心のサポート授業の内容は教師支援にもつながるといいます。
 「心の中には、過去のさまざまな記憶の箱があります。トラウマの記憶は、凍りついた記憶の箱にたとえられます。思い出そうと思っても記憶の箱のふたが凍りついていて開かない。でもちょっとしたきっかけで、氷が解けて、箱の中のことがわーとよみがえってきて苦しくなります。
 そんなときは、2つのステップで乗り越えましょう。
 ステップ1はコントロールです。自分の心とからだにどんな変化が起こっているかチェックして、有効なコントロール方法を知ることです。ふっとつらいことが浮かんで眠れないとき、『考えないようにしよう』 ではなく、額に一度力を入れて、そしてふわーっと力を抜いてみましょう。……
 少しコントロールできるようになったら、ステップ2です。何があったのか、じぶんはその時何を考え感じたのか、スクリーンを浮かべて、自分から思いだすのです。それはとてもつらいことですが、むしろ記憶の箱を整理でき、もう、わーっと思い出してつらくなるということがなくなるのです。
 そして、じぶんが体験したことを、文章にしたり絵に表現して、他の地域の人たちや次の世代の人たちに語り継いでことです。語り継ぐ防災教育に繋がっていきます。
 トラウマケアで最も難しいのが、『回避』 への対応です。『あのことは話したくない』 『あのことを思いださせるような場所には行かない』 『追悼の行事はつらいことを思いだすので参加したくない』 『陸に打ち上げられた巨大船を見ると思いだすので早く撤去してほしい』 ――人は、避けることで思い出さない対処をしています。
 しかし一方、避け続けることが、結果としてつらい記憶をコントロールできない要因のひとつにもなるのです。そこで 『回避』 を尊重しつつ、それぞれのペースで、少しずつ記憶に向き合うチャレンジをどのように進めていくかがトラウマケアのポイントになります。」

 もう1つ、惨事ストレスについての注意点です。
 「東日本大震災が惨事ストレス対策を見直すきっかけとなってはいるが、惨事ストレスを引き起こすのは、震災のような大きな事案ばかりではない。負傷者への対応や事件や事故に巻き込まれた子どもとの遭遇など、日常業務の中で頻繁に出くわす比較的小規棋な事案も、その例外ではないことが指摘されている。……交通死亡事故や強盗死傷罪の方が殺人罪性犯罪、傷害罪よりもIES-R得点が有意に高く、毎日の業務で頻繁に出遭う事案の方が惨事ストレスとして強い影響を及ぼすことを示唆している。」 (『警察職員の業務に関連するストレスとその健康への影響』 大沢智子、加藤寛)

 これらのことを理解し、手法を行使するためには相互理解と日常的な心身のゆとりが必要です。忙しい中ではお互いへの機会保障です。


 阪神淡路大震災での対応と東日本大震災とで大きな違いがあります。
 阪神大震災の時、兵庫県は震災3カ月後から、心のケアに専門に当たる教育復興担当教員 (その後、心のケア担当教員と名称変更) を最大163校で207人配置しました。しかし東日本大震災ではスクールカウンセラーです。2011年12月9日の 「活動報告」 で精神科医の野田正彰さんの見解を紹介しましたが、教師とカウンセラーの分業は子供たちに戸惑いをもたらします。そして教師の業務負担を本質的に軽減することにはなりません。
 「実践心理学」 を体得している退職教員などの活用による教育復興担当教員の配置の方が教師と協働でき、ゆとり保障とストレス解消に繋がります。
 児童・生徒に寄り添って教職員の震災対応はまだまだ続きます。 
 
  
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震災から2年4か月
2013/07/16(Tue)
 7月11日(木)

 ファンキーモンキーベイビーズが6月2日に解散しました。1つの活動を終えてそれぞれが新しいスタートを切りました。このニュースを聞きながら、東日本大震災復興は新たな段階に入ったと実感しました。
 東日本大震災後、たくさんのミュージシャンが被災地に向かいました。その中でもファンキーモンキーベイビーズ、ゆず、いきものがたりは各地の被災地・避難所を訪れてコンサートを開催し、交流を続けました。ライブを中心に活動している彼らは聴衆の心をつかむのがうまく、会場をひとつにします。一生懸命歌う姿に老若男女の被災者が感動し、勇気をもらって涙しました。

    「あとひとつ」

   あと一粒の涙で ひと言の勇気で 願いがかなう その時が来るって
   僕は信じてるから 君もあきらめないでいて
   何度でも この両手を あの空へ

   あの日もこんな夏だった 砂まじりの風が吹いてた
   グランドの真上の空 夕日がまぶしくて
   どこまで頑張ればいいんだ ぎゅっと唇を噛みしめた
   そんな時 同じ目をした 君に出会ったんだ

   そう 簡単じゃないからこそ 夢はこんなに輝くんだと
   そう あの日の君の言葉 今でも胸に抱きしめてるよ


 ゆずが岩手県の被災地を訪れ、学校の校庭でコンサートを開催した時は声が割れていました。無理をしたら歌手生命に支障が出てきます。しかし何かに憑かれたように歌い続けました。

    「栄光の架橋」

   誰にも見せない泪 (ナミダ) があった
   人知れず流した泪があった
   決して平らな道ではなかった
   けれど確かに歩んで来た道だ
   あの時想い描いた夢の途中に今も
   何度も何度もあきらめかけた夢の途中

   いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
   だからもう迷わずに進めばいい
   栄光の架橋へと…

   悔しくて眠れなかった夜があった
   恐くて震えていた夜があった
   もう駄目だと全てが嫌になって
   逃げ出そうとした時も
   想い出せばこうしてたくさんの
   支えの中で歩いて来た

   悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
   さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
   希望に満ちた空へ…

 「栄光の架橋」 は被災者だけでなく被災地で活動した消防士、警察官、自衛隊員などの救援者や支援者も励ましました。福島県警の救援活動を撮った写真展会場にはエンドレスで流されていて、リアルな光景をアップさせる効果がありました。(2012年9月7日、2012年12月7日の 「活動報告」 参照)


 被災地だけでなく、各地でたくさんの支援のイベントが開催されました。
 NHK交響楽団は震災直後の4月に東京でチャリティコンサートを開催しました。最後はベートーベンの 「交響曲第9番」 『歓喜の歌』 です。
 テレビで聴きましたが、被災地と被災者に思いを寄せて “Brüder”(兄弟) と呼びかけるバイオリンがうなり、合唱はこぶしがきいているようでした。感情をストレートに表出させ、クラシックではなく演歌でした。心が打たれました。

 しかし大晦日の 「紅白歌合戦」 は東日本大震災復興支援ということで港と海をテーマにした曲がたくさん歌われましたが、大漁旗1本振られることがありませんでした。大漁旗がたなびかない港の復興などありません。心が入っていません。支援は物量ではありません。


 7月11日で震災から2年4か月を迎えました。忘れられない毎日を過ごす人たちと、たまに思いだす人たちが交差するくらい時間が過ぎていきました。
 やはり新たな段階に入ったと実感しました。

 全国高校野球の宮城県大会の開会式が復興を遂げた石巻市民球場でおこなれるというニュースがありました。
 震災後、宮城県内で野球の公式試合ができる球場は2つしかありませんでした。楽天イーグルスの本拠地・日本製紙クリネックススタジアム宮城と日本製紙石巻硬式野球部の練習場です。それ以外は被害にあったり、復興工事の資材置場、仮設住宅、ガレキ処理場になっています。

 石巻工業高校野球部は震災直後の県大会開会式に 「あきらめない街・石巻 その先頭に俺たちは立つ!」 の横断幕を掲げて入場行進しました。(残念ながら横断幕のフレーズは顧問の発想、揮毫は書道教師でした)
 そして2012年春の選抜甲子園大会に21世紀枠で出場しました。出場が決定しても財政は厳しいものでした。しかし全国から支援をもらいました。その中には目立たないようにしてスマップの中居正広もいました。中居正広は被災地の各地の野球チームにグラブやボールを贈っています。
 初戦で負けましたが、震災になんかに絶対に負けないという気持ちで全力プレーして全国からの復興支援に感謝を表明しました。

 日本製紙石巻硬式野球部の練習場は市営球場です。仮設住宅の建設が予定されましたが、野球部が懇願して球場として残すことができました。
 日本製紙石巻工場は震災で大きな被害を受けました。地元では撤退するのではないかとささやかれていました。しかし地元復興のために工場は再開されました。(2012年3月16日の 「活動報告」)
 その日本製紙石巻軟式野球部が12日からの都市対抗野球に出場します。全国の人たちに感謝をこめて精いっぱい頑張ってほしいと思います。

 日本製紙石巻軟式野球部には、早稲田実業高校が斉藤祐樹投手を擁して甲子園大会で優勝した時のキャプテン後藤貴司内野手が在籍しています。
 パソコンで 「あとひとつ」 の正確な歌詞を検索していると、決勝戦をバックに歌が流れているのがあり、斉藤投手と後藤選手のクローズアップのシーンもありました。

   あの日もこんな夏だった 砂まじりの風が吹いてた
   グランドの真上の空 夕日がまぶしくて
   どこまで頑張ればいいんだ ぎゅっと唇を噛みしめた
   そんな時 同じ目をした 君に出会ったんだ

 あの時のような感動をみたび期待したいものです。(二度目の感動は、2010年11月3日の東京6大学優勝決定戦。早稲田の最終回の守備は、ピッチャーが斉藤、セカンドは後藤でした)(2010年11月3日の 「活動報告」)


 震災は野球どころではない状況をもたらしました。しかし野球をやれと励ます人たちがいました。それが高校野球であれ社会人野球であれ選手たちに一歩を踏み出す勇気をもたらしました。
 それでも周囲に遠慮しながら練習をこなし、試合を行っていました。
 
 やっと堂々と野球ができるところまで辿り着きました。
 高校野球大会でも都市対抗野球でも、全国の人たちの支援に感謝しながら全力でプレーしてほしいと思います。 
 
 
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