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「入れたんだったら入れただけの面倒を見よ」
2013/02/26(Tue)
 2月26日(火)

 2月中旬、ある個人加盟のユニオンの研修会に参加しました。テーマは 「職場でパワハラが起こったとき、あなたは仲間をどう守る?」 です。
 問題提起を要請されました。労働現場の紛争解決事例を紹介しても面白くありません。紛争解決には視野の広さと寛容さが必要条件です。探すと解決策は身近にあります。最近のニュースを題材に話しました。

 1つ目は大津いじめ事件です。
 第三者委員会から報告書が提出されました。そこからの抜粋です。
 「学級規律の乱れといういじめが日常化し、いじめが透明化していた」
 「重篤ないじめが発生しても、荒れたクラスからはいじめを抑制する力が失われていた。担任も同様の状況に陥り生徒を救い出すことができなかった」
 クラスの荒れといじめが同時進行したため、いじめが日常の中に埋没し、男子生徒が絶望感を深めていきました。
 委員が記者会見をしました。その中の1人の発言です。
 「先生方は一生懸命やっていたが、なかまとともにやろうという態勢がなかった。そのことをしっかりと振り返ってもらいたい」
 昨年10月18日の 「活動日記」 で報告した朝日新聞の大津支局の記者の講演です。
 「今回のいじめの本質は何でしょうか。
 学校が学校という密室空間で問題を解決しようとしたことです。学校には事なかれ主義と隠蔽体質があります。
 いじめはどこでも起こるという認識が欠如しています。だから未然に防ぐという対策がありません。あるのは 『いじめはあって欲しくない』 という願望です。だから絶対的力関係があるにもかかわらず喧嘩ではないと片づけました。 問題を大きくしても解決しようという心掛けが欠けていました。だから保護者を巻き込んで解決を探るということがありませんでした。
 外部から閉鎖されているから陰湿ないじめが起きます。」
 職場のパワハラ問題を重ねると状況とその対応が想像できます。

 2つ目は、柔道女子日本代表への暴力事件についての山口香筑波大学準教授のインタビューです。
 「昨年9月、園田隆二前監督が暴力行為をしていたと、私自身、耳にしました。個人的に何人かの選手に話を聞いて事実を確認し、全日本柔道連盟の幹部に伝えました。まずはきちんと調べて、広く選手に聞き取りをして下さいとお願いした。」
 全柔連は園田前監督にだけ話を聞き、厳重注意の処分をしました。しかしそれだけでした。
 「相談してくれた選手たちに 『こういう結果になってしまって申し訳ない。私の力がなかった』 と謝りました。そして 『申し訳ないが、ここから先は私ができることじゃない』 と話しました。」
 「私は選手に言いました。『これからはあなたたち自身でやりなさい』 と。さらに 『あなたたちは何のために柔道をやって来たの。私は強いものに立ち向かう気持ちを持てるように、自立した女性になるために柔道をやってきた』 という話もしました。」
 「悪い言い方をすれば、選手たちはここまで我慢してしまった。声をあげられなかった。『こんなひどいことが行われてきたのに、誰にも相談せず、コーチにも言えず、がっかりしている』 とも話しました」
 「私はもう助けられない。だから自分たちで考えて、と。」
 12月、選手たちはJOCに告発しました。
 「彼女たちは気づいたのです。何のために柔道をやり、何のために五輪を目指すのか。『気づき』 です。監督に言われ、やらされて、ということでいいのか。それは違うと」
 選手たちは自分たちだけで立ち上がりました。
 今、全柔連だけでなくJOCも社会的監視の中で対応を迫られています。

 「人間にはみな 『自己治療力』 がある」
 「トラウマを負った被害者が回復し、自立した生活を取り戻していく際に、『エンパワメント』 が重要であるということはよく知られている。
 『エンパワメント』 とは、その人が本来持っている力を思い出し、よみがえらせ、発揮することであって、だれかが外から力を与えることはできない。けれども忘れていた力を思い出し、自分をもう一度信じてみるためには、周囲の人びとのつながりが欠かせない。」 (宮地尚子著 『傷を愛する』)
 15人の選手が到達した地平です。

 そして 「紛争解決とはなにか」 について触れました。
 「相談活動は、交渉を経て紛争解決に向かいます。
 紛争の本当の解決とはどういうことを言うのでしょうか。
 相談者の 『成長』 を確認し合うことです。そして自立した生活を取り戻すこと、または再スタートに立つことです。つまりは職業生活を培っていける自信をつけるようにすること、自分らしい納得した生活を送ることです。
 トラブルが雇用継続や合意退職の解決に至っても、相談者が貴重な体験をその後の教訓として活かすことがその後のトラブルを防止し、長期的に見た場合の問題解決となります。これが本物のセーフティーネットです。
 そういう意味で、ユニオンの相談活動は、人生の次の段階に確信を持って攻勢的に挑戦するためのサポーターの役割も果たすものでなければなりません。
 労働組合とのかかわりを通して 『社会の見方が変わった』 『自信がついた』 『みんなに励まされて嬉しかった』 という発言を聞いたら相談活動は一役果たしたといえます。
 これが本来の労働組合の役割です。」

 この後 「パワハラ概念規定に則して自分の職場を振り返ろう」 といテーマで、具体的には 【職場のパワーハラスメントの行為類型】 に照らし合わせて 「あなたの現在の職場、あるいは過去の職場において、パワーハラスメントの例に該当する出来事がありましたか?」「その時あなたはどうしましたか? 周りの雰囲気はどうでしたか?」 ということについて6~7人ずつのグループに分かれて50分間討論し、各グループの代表者が討論内容を全体に紹介しました。
 そもそも模範解答はないし、必要ありません。パワハラ問題を身近で捉え、解決策を探ることが大事です。
 発表内容をアトランダムに紹介します。
 1つのグループです
 パワハラは個人の問題としては解決しない。
 上司のスキルに問題があった。能力不足がある。1年間に多くの社員が自分から辞めていった。
 上司がいじめを始める時は、気を付けていると変化がある。例えば、言葉使いが違ってくる。会話に方言が出てくる。ではその時そうするか。冷静に捉える。自分の仕事の知識を身に付ける。
 トラブルが発生した時、火の粉が降りかからないようにすることが多い。遠ざかる。でもそれでは解決しない。
 グループの結論は、弱い人間が集まったら強くなるということには疑問がある、個々人が自立する必要がある。そしてみんなで強くなるということでした。

 2つ目のグループです。
 具体例です。
 過重なノルマが課せられた。死ね、血を吐くまでやれと言われた。職務能力が低い人に対する責任者の暴力だ。
 ではどう対応したらいいか。
 職場全体でコミュニケーションをとるようにする。
 組合を作る。
 苦情処理窓口が機能するよう労働者も参加する。
 常日頃から飲み会に参加して情報を集めて討論をする。
 上司の暴言に対しては、「この人もかわいそうな人だ」 と受け流す。
 上司の机の上にいじめ防止のパンフレットをそっと置いておく。

 3つ目のグループです。
 実績の悪い人が社長の前の席に座らせられた。会社の業績が悪いなかでストレスのはけ口にされた。
 1人で抱え込まないで! 職場の仲間、ユニオンに相談する。自立する! 群れない!
 一番つらかったのは、でっち上げをして母親にばらすぞと脅された。会社を辞めたいと言ったら 「母親ともども路頭に迷って死ね」 と言われた。
 入社した時から無視され続けた。でも陰でアドバイスしてくれる人がいて、「ここを気をつけなさい」 と言ってくれていたので助かった。
 問題は職場の荒廃ぶり。
 何ができるか。職場の同僚の愚痴を聞く。

 あるグループからは 「逃げるから弱いと思われる。」 という意見が出されていました。

 3つのグループの討論に、解決のための方向に共通性がありました。会社側に立って群れないスタンス、事態の本質を客観的に探ろうとする姿勢、そして自立する、解決は信頼できる者といっしょにしたほうがいいという認識です。
 これらのことは解決に向かわせる重要なステップです。
 
 この後、発表意見へのコメントを求められました。
 労働者が自立するための一助となることを話しました。
 会社や上司が 「職務能力が低い」 と労働者の人格を否定する行為についてです。
 職務能力や成果と業績を一緒にすることはできません。
 「労働者の 『職能』 における 『成果』 は、日々研讃を積んで発揮されます。
 逆に労働者の 『能力』 は一朝一夕にして落ちることはありません。つまり 『成果』 は短期間で下がることはありません。評価が下がるのは、①業務が変更になった、②職場環境が変化した、③評価制度が変更になった、④評価者が 『成果』 を人為的に 『評価』 した、そして⑤労働者が体調を崩した、またはサボタージュをした場合です。」 (『メンタルヘルスの労働相談』)
 ①から④は労働者の責任ではありません。その前に会社が果たさなければならない責任があります。
 労働者は、自分自身にもっと自信を持つ必要があります。
 ノルマを合意なしで一方的に設定するのは対等な立場で締結する労働契約に違反します。
 などなどです。


 コメントでした話ではありませんがずっと記憶に残っている本を紹介します。
 兵庫解放教育研究所編 『私の部落史 -夜を彫りつつ-』 (解放教育新書) です。
 69年、湊川高校定時制の育英会費は教師の宴会代、キャバレーの支払いへと消えていきました。それを糾弾する生徒に教師は居直りました。
 この件については一応収拾します。
 しかしすぐ後に今度は教師の差別発言があり、糾弾会が再開されます。
 生徒は 「晒しものにするために自分らを入学させたようなものではないか。入れたんだったら入れただけの面倒を見よ」 と迫ります。徹夜の糾弾会で外が明るくなった頃 「今から仕事や」 と生徒は散っていきました。生徒は生活を背負って学校に通っていました。
 教師たちは 「負けた」 と実感したといいます。その日のうちに校長以下が県教委に押しかけ、糾弾の状況を報告し、生徒からの要求を実現したいと訴えました。その結果、教育環境の改善として教師の定員増を勝ち取りました。
 そして地域闘争を発展させ、行政闘争を開始して改良住宅建設に向かいます。
 その数年後、八鹿高校で生徒たちが部落解放研究会を立ち上げたいと要請して学校と教員から拒否されたことに端を発した事件が起きた時、どこよりも早く生徒と部落解放同盟を支持したのは、この時に立ち上がった教師たちでした。教科書の無償配布もこの闘争の成果の延長線上にあります。

 生徒の面倒を見ない教師は、自分の職務を放棄していただけではなく労働を否定し、自己を抹殺していたのです。生徒は、そのような教師から教育を否定されただけでなく、立派な労働者になる期待 (定時制の生徒にとっては現在の労働を)、人格を否定されたのです。
 職場のいじめは人格を否定し、存在を拒否します。窓際に追いやることで間接的退職勧奨をします。しかしこのような行為は使用者として責任放棄です。
 使用者は、労働者に対して 「職業的能力の適正評価義務」 「職業的能力の尊重配慮義務」 「職能開発協力義務」 「適正配置義務」 (「就労請求権」) を負っています。そうしないと使用者のリスクも大きくなるからです。
 労働者が、業績を問題にする前に指導・教育をちゃんとおこなえ、仕事を干さないでちゃんと就かせろと要求するのは当然の権利です。
 「入れたんだったら入れただけの面倒を見よ」
 生徒たちは教師に、まさしくこの当然の権利を要求したのです。


 討論で出されたように 「弱い人間が集まったら強くなるということ」にはなりません。 
 職場で起きる問題に対する予防・解決は、当事者である労働者たちの泣き寝入りをしないという意思表示から始まります。  

  
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「流されまいと 流されまいと   小石のように うずくまる」
2013/02/22(Fri)
 2月22日(金)

 2012年に製作された映画の表彰が行われています。
 映画は新年明けてからですが、音楽関係の表彰は年末です。昨年の有線放送大賞候補のなかにあさみちゆきが歌う 『新橋2丁目7番地』 がありました。
 リクエストが多いようで最近も流れていました。しみじみと聞き入ってしまいました。

  1.うすい座布団 一枚で
    地べたに座って 四十年
    時が流れて 人が流れる
    濁流うねる この都会(まち)で
    流されまいと 流されまいと
    小石のように うずくまる
    靴を磨けば こころも晴れる
    今日も元気に がんばって
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

 JR新橋駅で40年間靴磨きを続けているおばあさんのことを歌っています。
 有線放送から流されるとリクエストが次々と寄せられました。
  「流されまいと 流されまいと
   小石のように うずくまる」
 昨今の哀歌そのものです。だからおばあさんのことだけではなくサラリーマンへの応援歌だといわれています。
 新橋駅を利用するのは労働者というよりはサラリーマン、そして官公庁の職員たちです。おばあさんは客の靴から、そして通り過ぎる人たちの姿を40年間、「虫の目」 で見てきました。

  2.こんな私に 出来たのは
    一生懸命 生きること
    秋の夕暮れ ひとつため息
    赤チン色の 赤ちょうちん
    一杯飲めば 一杯飲めば
    人間なんて 立ち直る
    靴の汚れは 心の汚れ
    夢も磨けば また光る
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

  「秋の夕暮れ ひとつため息
   赤チン色の 赤ちょうちん」
 客が靴を磨いてもらうためには、束の間パイプ椅子に座ります。そしてため息をつきます。ため息をつく心情が靴の汚れにも出ています。人は立ったままでは 「心の汚れ」 =ストレスは取れません。身体が落ち着かないなかで心が落ち着くことはありません。その束の間が 「心の汚れ」 =ストレスを解消します。
 そして同じようにため息をつきたそうな人たちが、寒くてひび割れをした時などに塗る赤チンと同じ色の赤ちょうちんに入っていきます。心の憂さをアルコールに浸します。そして翌日の活力を回復します。
  「靴の汚れは 心の汚れ
   夢も磨けば また光る」
です。


 ため息をつく場所が他にもあります。コーヒーショップです。
 ドトールコーヒーショップに創業のきっかけを紹介したパンフレットが置いてありました。
 日本にセルフスタイルのコーヒー店がオープンしたのは1980年で、きっかけは 「ストレス」 という言葉が使われ始めた頃、労働者が疲れているように映ったので、それまでの喫茶店スタイルを、短時間に安価で安らぎと活力を与えるスタイルに変えたのだとのことです。
 外食産業のコンサルタントの方に聞いたら、コーヒーは淹れてから15分以内ならどんなものでもおいしいのだそうです。原価が安いコーヒーを安価で提供しているのだそうです。このおいしいコーヒーが活力になります。
 営業社員に持たせた携帯から動向をチェックしている会社があります。コーヒーショップに入ることを禁止します。しかしただ動き回ったからといって成果は上がるものではありません。


 靴を磨いてもらう姿は対面です。おばあさんは黙っていても足先から 「エンパワーメント」 するカウンセラーの役割を果たします。「はい、きれいになりましたよ」 と言われて磨かれた靴を見た時、それまでと違う自分になれます。だから 「夢も磨けば また光る」 のです。

 新聞に載っていた御徒町駅前で靴磨きをしている方のエピソードです。
 会社訪問をしている学生が黒ではない靴を履いていました。上手くいっている様子ではありません。「会社の中には格好で判断するところもあるから、安くてもいいから黒い靴を買って訪問した方がいいよ」 とアドバイスしました。
 すると後日、学生が内定をもらったと報告に来たということでした。靴の色を変えたからかどうかはわかりません。しかし靴磨きの方の 「エンパワーメント」 が学生の意識を攻勢的にさせたのは事実です。

  3、明日はきっと 明日はきっと
    いいことあるさ 大丈夫
    つらい気持は 靴みりゃわかる
    今日もあなたは がんばった
    雨の日も 風の日も
    新橋二丁目 七番地

  「つらい気持は 靴みりゃわかる
   今日もあなたは がんばった」
 つらい気持ちが伝わるのは汚れだけではありません。減り具合です。
 営業先の顧客の対応、社内での上司の視線などなどが浮かんできます。
 しかし、会話はなくてもその心情をちゃんと受け止めているように、おばあさんはせっせと手を動かし続けて磨きあげます。
 
 流れてくる歌を聴いて、多くの労働者が気付かされ、元気付けられています。


 数日前、JR有楽町駅前から靴磨きの方が消え、交通会館の中に入ったという新聞記事がありました。千代田区が路上での靴磨きを締め出したからだといいます。
 今、都内では路上で靴磨きの許認可を受けて営業している人は10人を切ったといいます。


 靴磨きを生業とする人は、終戦直後はたくさん出現しました。資本があまりかからないからです。そして 「需要」 があったからです。戦争の勝者、戦争で被害を受けなかった人たちです。
 その頃を歌った 『ガード下の靴磨き』 の歌詞です。

  1、赤い夕陽が ガードを染めて
    ビルの向こうに 沈んだら
    街にゃネオンの 花が咲く
    おいら貧しい 靴磨き
    ああ 夜になっても 帰れない

 新橋界隈には夜になっても帰るところがない少年少女たちがたくさんいました。「浮浪児」 と呼ばれました。
 「朝日新聞」 は以前、ラジオドラマ 「鐘の鳴る丘」 のその後を追って連載しました。「鐘の鳴る丘」 には、「♪緑の丘の赤い屋根……」 の 「浮浪児」 を収容する施設が建っています。ドラマでは、彼らはそこでの生活を通して 「更生」 していきます。
 2月4日の 「活動日記」 に、日本国憲法24条の生みの親のベアテ・シロタ・ゴートンさんについて書きました。ラジオドラマ 「鐘の鳴る丘」 は、GHQの指示による日本社会に 「家庭」 を浸透させ、定着させるための宣伝番組でした。
 家族で夕飯を囲む時間帯に放送されました。
 聴いていた子供たちは、「お父さん、私の家はみな元気でよかったね」 と語り合っていたということでした。
 「浮浪児」 だった人にもインタビューをしています。「その時間は仕事していたから聴いたことないよ」


 靴磨きを生業とする人は減っていきました。急激に減ったのは東京オリンピック開催のためです。
 東京オリンピックは、多くのものを排斥し、隠しました。都心から集合住宅を移転させました。どぶ川に蓋をしてコンクリートの歩道にしました。川の上に高速道路を走らせました。
 人々が生活していた街を破壊しました。「鳥の目」 からはコンクリート群が見えます。それが 「立派に立ち直った日本の姿」 なのです。


 今、オリンピックの東京招致が叫ばれています。今度は何を排除し、隠すのでしょうか。
 コンクリートは立派でも労働者が生活しやすい街ではありません。
  「濁流うねる この都会(まち)で
   流されまいと 流されまいと
   小石のように うずくまる」
 東京は、息苦しい街です。みな、ため息をつける場所を探しています。

 日々の労働相談では、『新橋二丁目7番地』のおばあさんと同じような心情に至ることがしばしばです。 

  
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朝日新聞社こそ社員の惨事ストレスに取り組んでいない
2013/02/19(Tue)
 2月19日(火)

 1月11日の 「朝日新聞」 に 「惨事ストレス 軽減支援 総務省 消防隊員に専門家配置」 の記事が載りました。
 対策は、都道府県ごとに精神科医や臨床心理士ら専門家を1人以上配置。惨事ストレスを軽減できるよう隊員向けの研修会を各消防学校で開く。災害発生時は速やかに現場に専門家を派遣し、個別面談などを通じて不安を取り除く。地元の消防団員向けにも訓練カリキュラムに惨事ストレスの講習を組み込む、などです。
 そして1月21日の 「朝日新聞」 に 「消防隊員に残るストレス」 「命救えぬ無力感…通院も」 の記事が載りました。

 記事を読むと、さすが 「朝日新聞」 です。惨事ストレスについてまったくわかっていません。空しさが湧いてきます。ただ、真面目に取り組んでいるところの足を引っ張ってほしくないという思いです
 惨事ストレスは消防隊員だけではありません。
 記事に書かれているような状況は報道記者も目撃しています。
 1月21日の記事のリードには 「総務省消防庁の新たな取り組みには、課題も残る」 とありますが、だとしたら朝日新聞の取り組みを例示してはどうでしょうか。
 実際に阪神淡路大震災、そして東日本大震災において、朝日新聞社の記者も惨事ストレスにかかっています。しかし社として、記者がどのような思いで取材し、どのような心情・感情に陥ったか、体調変化をきたしたかを掌握、検証されていません。(朝日新聞を叩いても惨事ストレス問題は解決しません。しかし精神疾患を含む労災問題の取りあげ方も同じ問題を含んでいます。社員への対応も不充分で、個人加盟のユニオンには多くの記者等が相談に来ています。朝日新聞社は使用者の安全配慮義務を果たしていません)

 体験した具体例を2つ上げます。
 阪神淡路大震災の時、2週間後の避難所を記者が訪れました。しかし被災者がいる屋内に入れません。被災者に声をかけられません。焚火を囲んでいるなかのボランティアにだけ後ろからいろいろ聞いてきます。結局、住民の誰にも取材しないで帰りました。「取材していいんでしょうか。できません。」 ということでした。
 東日本大震災を取材した記者の話です。現地を周っているとたくさんの遺体がありました。取材という目的からは触れることも運びだすことも出来ません。「ごめんなさい」 と見なかったふりをして回り続けました。しかし 「置き去りにした」 という思いにずっと駆られていると言います。
 一番 「課題が残」 っているのは朝日新聞社です。

 消防隊員も、警察官、自衛隊員、報道記者そして医療関係者も業務上惨事ストレスに遭遇することを回避することはできません。ではどのように受け止めて解消していくかが課題となります。
 そのようななかで、医療関係者はさておくとして、消防庁の取り組みは進んでいます。というより、その他は取り組んでいません。外国では、軍隊での切実な問題として取り組みが始まり、他も成果を共有します。しかし日本の自衛隊は相変わらず精神主義とストレス解消手段は階級が下の者へのいじめです。


 消防庁内の取り組みはばらつきがあります。東日本大震災を体験した神戸市消防局や歌舞伎町ビル火災事故を体験した東京消防庁は進んでいます。また大規模災害が発生した時、応援先で指揮をとることになっている大都市では進んでいます。しかし対策に完全がないのはいうまでもありません。
 具体例です。
 神戸市消防局は教訓をしっかりと活かしています。昨年9月19日の 「活動報告」 で、『津波と瓦礫のなかで 東日本大震災 消防隊員使等の記』南三陸消防署・亘理消防署・神戸市消防局+川井龍介=編 (旬報社) を紹介しましたが、個々人の隊員がストレス解消策を身に着けています。
 東京消防庁の取り組みについては11年9月30日の 「活動報告」 で紹介しました。
 惨事ストレスの症状はかなり時間を経てから発症しますが、6か月後の状況です。
 「体験談を語ってくれた消防士にストレスを感じませんでしたかと質問しました。『ああ、惨事ストレスのことですね』 と即座に受け止められ 『東京消防庁はきちっと対応しています』 と回答が返ってきました。
 被災地から帰った隊員にはちゃんと専門家が体験したことを語らせ、体験交流をしてストレスを解消させているということでした。隊員1人ひとりに 『ちゃんと吐かせます』 と語っていました。
 派遣された3000人以上の隊員から体調不良者は出ていないということです。」

 1月21日の記事には 「隊員たちの中には家族の安否がつかめない人も多く、いら立って救助方法などを巡って言い争うこともあったという」 とあります。
 12年12月7日の 「活動報告」 で引用した 『東日本大震災にける消防活動記録』 仙台市消防局発行です。
 「連絡が取れない家族等の安否確認や家財などの損壊程度が計り知れない不安感などで、これまで経験したことのない閉塞感を職員のだれもが感じ、行き詰るストレスのやり場がない状態で、職員間の意見の摩擦など表れ出したところもあった。そうした頃、地震発生からから6日目のことである。『一時帰宅』 という措置がとられた。我々職員は自分の耳を疑った。
 それは、本来、職場で取るべき休憩や仮眠を、環境を移して自宅で取る‥。という解釈の措置であり、不眠不休の業務継続の末、職員の心と身体の健康管理を考慮した結果の策であった。
 『家に帰れない‥』、『家族に会えない‥』 という日常生活において当たり前のことができない日々が続く中で、消防の活動を期待して止まない市民に対しては、消防職員がその業務を離れ自宅に戻ることなど許されないと思っていた。まして、夫や妻、父や母、そして息子や娘の側面を持った消防職員の家庭では、その職員の帰りをいち早く待ち望んでいる家族など誰もいなかった。
 それは誰もが理解し、『当然のこと』 と自らを納得させていたからこそ、それぞれの心の中にじっと閉じ込めていた 『耐える‥』 という封印感情の中で職員も葛藤していた。
 しかし、その耐える力にも限界があって、個人差もあった。消防職員とて人間である。睡眠も必要であれば、心配ごとで仕事が手につかないこともある。そんな思いを組織は理解してくれ、思い切った措置を取ってくれたのである。
 我々職員は涙がでる思いであった。素晴らしい組織である。職員を大切にしてくれていることを実感した。
 ……職責を離れ、私人として自宅に戻り家族と再会することへの後ろめたさ、罪悪感のような感覚をもった職員は、1人、2人だけではないはずである。
 こうしてとられた一時帰宅の措置によって、消防職員として使命を達成させることの誇りと、家族への感謝の気持ちをあらためて心に刻み込み、心にビタミン剤を補給して職場に戻ってきた職員たちの顔は、みな穏やかで、我々職員は働く活力を取り戻した。」

 しかし全国的に取り組みのばらつきがあるという問題があることは確かです。
 経験を共有化していく必要があります。
 そのための対策を含めて総務庁は、昨年6月7日から 「大規模災害時等に係る惨事ストレス対策研究会」 を発足させました。
 そこでは、これまでの消防庁での惨事ストレス対策を具体的データーから再検討し、現在は 「報告書」 (案) の作成まで終了しています。(案) はホームページで読むことができます。3月に正式に発表されます。

 消防庁の取り組みは、日本でもやっとここまで組織的に取り組むところが出てきたということをまず評価する必要があります。
 繰り返しますが、他は遅れているどころかまったく対策に着手されていない、朝日新聞社のように問題が理解されていない状況です。

 間もなく東日本大震災から2年を迎えます。
 災害での被害を完全に防ぐことはできませんが、小さくすることはできます。
 惨事ストレスはまさにそのような課題です。



   2010年1月31日開催
   阪神・淡路大震災15周年「消防士シンポジウム in KOBE」
      【宣言】

   15年前の1月17日未明
   私たちの住むまちは突然の大震災に襲われた
   愛する家族や職場の同僚 親しい友達など
   大切な人々が犠牲となり まちの多くはがれきと化した
   あの はかりしれない衝撃と悲しみを
   私たちは永遠に忘れない

   震災は多くのものを奪い
   決して癒されることのない傷を残したが
   同時に人々の胸の奥にある温かい善意や
   同じ大地に暮らす共生の思いをも揺り動かした
   災害ボランティアの文化が花開いた
   教訓は 以後の大規模災害に活かされ
   官民を超えた防災・減災への取り組みが行われ
   自助・共助・公助の連携が進められてきた

   共生共助のボランティア精神を揺り動かして誕生した
   先人から受け継いだ 愛するまちを 愛する郷土を
   そしてかけがえのない大切な人を この手で守るために
   私たち消防士は 地域に根差した行動をしていこう

   平穏に見える日々のなかで
   次の大規模災害が私たちに襲いかかろうとしている。
   だからこそ

   伝えよう もっと伝えよう 阪神・淡路大震災の教訓を
   備えよう もっと備えよう この教訓を活かしながら
   震災の教訓は すべての災害に通じる知恵だから
   いま私たち消防士は この震災の教訓を胸に
   命にやさしい社会をつくるため 地域防災力の向上をめざして
   手を取り合い 励まし合いながら
   共に進んで行くことを誓う

              平成22年1月31日

              阪神・淡路大震災15周年記念
              消防士シンポジウムin KOBE 実行委員会  
  
  
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教育労働者は孤立して長時間労働を強いられている
2013/02/13(Wed)
 2月13日(水)

 1月27日の 『河北新報』 に 「宮城県教職員時間外勤務 18%が月80時間超 昨年10月」 の見出し記事が載りました。
 宮城県教委は県教委の健康管理対策実施要領に基づき昨年9月から毎月、時間外勤務調査を実施しています。その結果、昨年10月は正規の勤務時間外に月80時間以上在校した教職員は、県立の中学校、高校、特別支援学校計92校の教職員5.708人の調査対象者のうち、高校 (教職員数4.131人) が24.6%で4人に1人の割合。200時間を超えた教職員も3人いました。中学校 (同32人) は46.9%。特別支援学校 (同1.545人) は0.7%でした。全体平均は18.2%です。
 時間外の業務内容は高校の場合、部活動や課外活動が45.5%で最も多く、次いで教材研究・教科指導が19.3%です。文化祭や新人戦で部活動の時間が増えたことが主な要因とみられるといいます。

 前月比は約1.6倍、11月の該当者は高校12.4%、中学校31.3%、特別支援学校0.1%にそれぞれ減ったといいます。前月比で約1.6倍とは、前月でも11.2%、つまりは9人に1人が80時間以上の時間外労働をしています。11月は8人に1人です。
 時間外業務が45時間を超えた月が3カ月連続した教職員の割合は、高校が31.3%、中学校が65.6%、特別支援学校が3.8%でした。
 この数字は、10月だけが多かったということではなく恒常的だということを物語っています。
 さらに学校の教職員は昼休みをきちんと確保できません。そして教材研究などは自宅で行われることがありますが、これらは含まれていません。
 しかも教員には残業代は支払われていないという問題があります。
 このような状況は宮城県だけではありません。

 教職員は、教材研究・教科指導、部活動や課外活動のほかにも校務分担などたくさんの職務をかかえています。保護者からの電話など飛び込みの業務もあり、まとまった時間を確保することはむずかしいのが実態です。それらを授業や部活動の合間に小刻みにこなします。忙しい中で教職員同士のカバーもむずかしくなります。


 しかし最大の問題は、このような実態が当たり前のこととして放置され続けているということです。残業代が支払われていないことが放置の原因にもなっています。
 文部省・教育委員化や保護者は、教職員は24時間児童・生徒の近くで世話をやくのが当たり前と捉える傾向があります。さらにすべてに完璧を要求します。しかしそうしたら教材研究がおろそかになったり、マンネリ化せざるをえなくなります。児童・生徒指導が充分にできません。
 教職員は保護者から意識を回避するようになります。疎ましく捉えます。そうするとさらに保護者との間に問題を発生させてしまいます。
 それらの影響を児童・生徒が蒙ります。


 1月31日、大津いじめ事件についての第三者委報告書が市長に提出されました。
 そこには次のようなことが書かれています。
 「学級規律の乱れといういじめが日常化し、いじめが透明化していた」
 「重篤ないじめが発生しても、荒れたクラスからはいじめを抑制する力が失われていた。担任も同様の状況に陥り生徒を救い出すことができなかった」
 「先生方は一生懸命やっていたが、なかまとともにやろうという態勢がなかった。そのことをしっかりと振り返ってもらいたい」
 昨年10月18日の 「活動日記」 で、朝日新聞大津支局の記者の講演を紹介しました。
 「学校が学校という密室空間で問題を解決しようとしたことです。学校には事なかれ主義と隠蔽体質があります。
 いじめはどこでも起こるという認識が欠如しています。だから未然に防ぐという対策がありません。あるのは 『いじめはあって欲しくない』 という願望です。だから絶対的力関係があるにもかかわらず喧嘩ではないと片づけました。
 問題を大きくしても解決しようという心掛けが欠けていました。だから保護者を巻き込んで解決を探るということがありませんでした。
 外部から閉鎖されているから陰湿ないじめが起きます。」

 教職員を批判するのは簡単です。
 報告書を作成するのも 「簡単」 です。報告書作成は解決ではありません。
 浮かび上がった問題点をどこからどのように改善していくのか、これからです。教師の決意と精神力だけでは無力です。
 報告書の 「先生方は一生懸命やっていたが、なかまとともにやろうという態勢がなかった。」 の中で事件を発生させたというのなら、まずは教職員の思考する時間的 「ゆとり」 と、「ゆとり」 があって保障される相互関係の構築が不可欠です。
 これを保障する体制を作るのは教育委員会の責務です。
 「ゆとり」がない状況が 『いじめはあって欲しくない』 という願望を生じさせます。
 そして 「ゆとり」 は、押し付けのない精神的な安定状態状況です。
 「こころのノート」 や 「日の丸」 「君が代」 の強制は精神的アンバランスを生じさせます。
 学校に事なかれ主義と隠蔽体質が生じるのは、一方で文部省・教育委員会、一方で保護者からの過大な要求が出てくることに対応できないための自己防衛手段です。

 地方公務員の早期退職が問題になりました。「退職の自由」 にクレームが付きました。さまざまな意見が様々な立場から言われています。
 ただはっきりしているのは、退職者にとっては、早期退職と定年まで働くという2つの判断・選択の中で早期退職を決断したということは、職務・職場にたいする愛着の方が小さかったということです。そのような意識にさせたのは職務・職場の問題です。
 教職員についてこの問題を捉えた時、早期退職者はこれで卒業式での 「日の丸」 「君が代」 強制から解放されたという思いにも駆られました。


 だからといって学校の教職員は大変だというだけの思いには至りません。
 かつて 「教師聖職論」 が風靡しました。教育労働者は他の労働者とは違うという主張です。そのようにして自分らのプライドを守ろうとしました。ここには差別意識がありました。その体質に浸っていました。外部から閉鎖された社会を自分らで作りあげたのです。孤立を選び、保護者との共同活動を拒否したのです。
 しかし差別すると、差別される、批判されることに鈍感になり、その中から脱出できなくなります。「重篤ないじめが発生しても、荒れたクラスからはいじめを抑制する力が失われていた。」 です。
 長時間労働の強制、押し付け教育に対応する共感者を失ったのです。

 教職員は、自分の立ち位置を確認し、自分らの生活権、人格権保障の要求を保護者の状況と照らし合わせながら共同で進め、社会の中で存在感を示した時、保護者や他の労働者からの信頼を取り戻して、学校問題・教育問題について共同行動を進めることができるようになります。
 学校問題・教育問題は地域の問題、労働問題そして社会全体で議論を進めなければならない問題です。

  
   当センター「いじめメンタルヘルス労働者支援センター」ホームページ・ご相談はこちらから
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憲法24条は、国家と直結する条文
2013/02/08(Fri)
 2月8日(金)

    改憲がじわりと迫る年の瀬に
      ベアテ・シロタ・ゴートンさん逝く  (『朝日歌壇』 2013.1.28)

 ベアテ・シロタ・ゴートンさんが昨年12月30日ニューヨークで亡くなりました。日本国憲法24条の生みの親です。

 第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互
     の協力により、維持されなければならない。
      2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事
     項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならな
     い。

 この条文は、旧憲法と比較したら画期的です。
 終戦直後の10月13日、日本政府は憲法問題調査委員会を設置、翌年2月8日に憲法草案をGHQ (連合総司令部) に提出します。(松本案) 旧憲法を少し変えただけでした。旧体制を維持することに必死でした。戦争遂行と悲惨な結果に対してまったく反省がありません。GHQは拒否します。民間などからも様々な憲法草案が発表されました。
 松本案は提出される前に新聞スクープがありました。
 2月4日、GHQは日本政府に任せられないと判断、極秘に民生局内に憲法制定会議を発足させ、部門別の小委員会に区分けして草案作成に取り掛かり、2月13日に完成させます。(マッカーサー草案) 3人の女性が委員として参加します。

 ベアテさんは子どもの頃は日本で過ごしていましたが、15歳の39年にアメリカに渡ります。終戦後、GHQの民間女性文官に応募して来日し、民生局で働きはじめます。
 「人権に関する委員会」 はベテラさんを含めて3人です。そして女性の人権パートを任せられます。
 ベアテさんの原文です。
 (人権に関する章の)
 18条 家庭は、人間社会の基礎であり、その伝統は、よきにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。それ
    ゆえ、婚姻及び家庭は、法律の保護を受ける。
     婚姻及び家庭は両性が法的にも社会的にも平等であることは争う余地のないこと、親の強制にで
    はなく、相互の合意に基づくものであること、並びに男性の支配にではなく両性の協力に基づくもの
    であることをここに定める。
     これらの原理に反する法律は破棄され、それに代えて、配偶者の選択、財産権、相続、住居の選
    択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地
    から定める法律が制定されなければならない。
 19条 妊婦及び乳児の保育に当っている母親は既婚であると否とを問わず、国の保護及び彼女たちが
    必要とする公の扶助を受けるものとする。
     摘出でない子は、法律上不利益に取り扱われてはならず、その身体的、知的及び社会的成長
    について、摘出の子と同一の権利と機会を与えられるものとする。

 15歳まで日本で生活している時に垣間見て理不尽だと思っていたことを取り入れました。
 しかし運営委員会のチェックで、憲法としては詳しく触れすぎている、憲法は基本的権利だけを明記すればいい、細かいことは民法に記載すればいいと言われます。
 ベアテさんは反論します。
 後に回想しています。
 「きっと民法を書くのは日本の官僚的な男性になるだろうから、女性に有利な法律などとても取り上げてもらえないだろうと思っていた。」
 結局、原案はシンプルにまとめられて現在の憲法24条になりました。


 2月22日、日本政府はマッカ-サー草案を基礎に政府案を作成することを閣議決定します。日本政府とGHQによる憲法制定会議の運営委員会が開催されました。
 人権に関する章の議論に移ると、日本政府は婚姻における男女の平等の条文の全面削除を要求してきました。理由は、家庭生活において女性の権利を認めることは、それまでの家長(男性)を頂点とした家族制度を根本から切り崩すことになるということでした。「このようなことは日本の土壌には合わないのではないかと思われます。わが国には家族制度の長い歴史があり、それによって国家の状態もまた維持されてきたのです。」
 ベアテさんは通訳として参加していました。最終的にはベアテさんの案がパスしました。

 出来上がった草案を日本語に翻訳している時、ベアテさんらが目を離していると日本の翻訳団は自分たちが持ってきた英文の松本案を日本語に訳していたといいます。

 4月17日政府は憲法改正草案を発表、新たな選挙制度で当選した議員による 「帝国憲法改正案委員小委員会」 (通称、「芦田小委員会」) で審議が始まります。
 ここでも家族制度、男女は本質的に平等と言えるか、が問題になります。
 国会の小委員会での議論です。
  北委員 「(カント派の倫理学者の名前をあげて) 性的ニ堕落スル女ハ全人格ガ堕落シ易イ、男ハ性的生活ハ末梢的生活デアル、性的ニ少々汚レテ居ッテモ人格ハ堕落シテオラヌ、例ヘバ伊藤 (博文) 公ノ如キハ女道楽ヲシタガ人格ハ立派デアツタ」
  森戸委員 「性生活ガ中心デ男ト非常ニ違ウト云フコトハ其ノ通リ」
 「本質的平等」 について議論になりました。
 結論は 「『本質的平等ト云ウノハ、差別アル平等ト云フ意味デス、ダカラ最モ良イ言葉ナンデスヨ』 (鈴木委員) ということになります。

 「女道楽」 をした伊藤博文の人格が讃えられました。
 巷の噂です。明治の 「偉人」 は死後立派な神社が建られ祀られています。しかし伊藤博文を祀る神社はありません。「女道楽」 が当時の皇后にまで及んだからだといわれています。神社の総本山としては認められないことでした。
 「女道楽」 と人格は今も 「区別」 される傾向が残っています。しかし一方で他者の人格を否定する行為が、立派な人格のもとで行われるということはあり得ません。

 戦前から、「婦選獲得同盟」 などで婦人参政権を求める運動を続けてきた市川房江さんは、24年に国際労働機関 (ILO) の職員となり女性の労働問題取り組みます。しかしILOを辞めて女性の地位向上を目指す運動に専念します。
 自伝によると、友愛会の鈴木文治らの 「女道楽」 の状況を見て、労働者の地位向上の前に女性の地位向上が必要だと確信したからだといいます。
 そのような状態がずっと続いていました。ベアテさんはそれを見ていたのです。

 今でも 「女性にも選挙権が与えられた」 という言い方がされます。誰が与えたのでしょうか、誰が与えられたのでしょうか。選挙権は天賦ではありません。


 ベアテさんの 「きっと民法を書くのは日本の官僚的な男性になるだろうから、女性に有利な法律などとても取り上げてもらえないだろうと思っていた。」 の反論は当りました。
 憲法制定から60年以上も経た現在においても結婚は親の同意、家同士、「家」 対 「家」 の結納と言い換えられた人身売買がまかり通っています。人間とみなさない取り扱いです。

 家族制度は福利厚生制度の中で変遷していきます。
 男に長時間労働を強制するために、扶養家族制度が設けられ、税制が優遇され、専業主婦が増えました。一方で女性のパート労働は家計を補助する目的と位置づけられて低賃金を強いられました。
 その中で働く女性労働者は処遇を差別され、賃金差別を受け続けました。「本質的平等ト云ウノハ、差別アル平等ト云フ意味デス」 がまかり通りました。
 パート労働者の賃金は、シングルマザーの賃金を強制し続けています。
 その状況の延長戦に現在の貧困問題があります。


 そして今、 「わが国には家族制度の長い歴史があり、それによって国家の状態もまた維持されてきたのです。」 の発想がむし返えされようとしています。
 家族は、福祉の切り捨てにかわる自己責任の最小防衛単位と位置づけられようとしています。その家族の防衛単位を拡大する中から国家像が描かれます。また逆に国家と国防が一体となる中から、その一団としての家族像が描きだされます。いずれにしても国家の無責任な姿があります。

 憲法24条は、国家と直結する条文です。 

  
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