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いじめはどこでも起こるという認識が欠如している
2012/10/18(Thu)
 10月18日(木)

 大津市の「いじめ」事件について、朝日新聞社大津総局長の講演を聞く機会がありました。
 今、警察が捜査を行っています。いじめの被害者、加害者双方が訴訟を起こしています。事件は少年事件なので警察は情報を漏らしません。このような事情から講演内容は規制があります。しかし明らかになっていることだけからでも、たくさんの教訓を含んでいました。

 昨年10月11日に被害者の少年が飛び降り自殺をします。
 しかし凄惨ないじめがあったかというとそうではありません。いじめ行為そのものは特殊ではありません。どこででも起きえることが起きていました。
 ではなぜ大きな騒ぎになったのでしょうか。
 1つは、生徒がアンケートに窓から落ちるふりをさせられたと書いていました。「自殺の練習」があったという言葉によるショッキングが一人歩きしました。
 2つ目は、自殺後の学校の対応のお粗末さがあります。
 「自殺の練習」があったと16人の生徒がアンケートに書いています。しかし伝聞がほとんどです。実際に見た生徒は書いていませんでした。この生徒は、どうせ学校は何もしてくれないと諦めて白紙で提出しました。
 市長と教育委員会が対立します。市長は教育委員会に不信感を抱いて裁判での和解を宣言します。
 3つ目は、県警が学校と教育委員会を家宅捜査しました。学校と警察は協力関係にありません。警察が家宅捜査をした理由には、以前被害者の父親が被害届を提出したにも関わらず不受理にし、捜査を見送ったことへの名誉挽回のために主導権を握ろうとしたことがあります。
 この3点で報道は過熱しました。

 大津のいじめの特徴はどのようなことがあるでしょうか。
 1つに、仲良かった4人の生徒の中で短期間に、急速に行為をエスカレートさせていきました。
 2つ目に、集団的暴力です。身体的暴力がほとんどです。つまり外部に見えやすい事件です。しかし見過ごしました。
 3つ目は、保護者がいじめがあったことを認識していませんでした。被害者は1人で耐え忍んでいました。

 なぜいじめが自殺に至ったのでしょうか。
 加害者と被害者は仲良しグループでした。被害者は「いじられキャラ」で加害者の中心は目立ちたがり屋でした。そのなかで被害者はいじめられたままでいました。
 2学期になって急激に暴力的に発展します。
 しかし周囲からスピード感のある対応がありませんでした。予想出来なかったということがあります。半分は嘘、半分は違うという受け止め方をします。

 しかし教師には最悪を予見する義務、未然に防ぐ義務があります。
 チャンスは2回ありました。
 体育大会の翌日、被害者が後ろ手に縛られていたのを一部の教師と生徒が目撃しています。10月5日にトイレで殴る蹴るの暴力を受けた後に担任が聞くと「大丈夫」と答えました。
 被害者は教師に本当のことを言いません。そこに見過ごしてしまう落とし穴があります。その結果保護者を巻き込んで相談することがありませんでした。
 一方、保護者は金使いが荒くなった、生活態度が乱れたと気付いています。しかしいじめがあったことは知りませんでした。
 被害者は最後まで孤独感を深めていました。

  この話を聞きながら、10月5日の「活動報告」に書いた「暴力を受けるより、もっとつらいのが、捨てられ
 孤立することだという。だれひとりわれわれを助けてくれないという絶望感だ。」という光景を思い出してい
 ました。

 では今回のいじめの本質は何でしょうか。
 学校が学校という密室空間で問題を解決しようとしたことです。学校には事なかれ主義と隠蔽体質があります。
 いじめはどこでも起こるという認識が欠如しています。だから未然に防ぐという対策がありません。あるのは「いじめはあって欲しくない」という願望です。だから絶対的力関係があるにもかかわらず喧嘩ではないと片づけました。
 問題を大きくしても解決しようという心掛けが欠けていました。だから保護者を巻き込んで解決を探るということがありませんでした。
 教師の中にもいじめと捉えた者が3人いました。しかし自殺の数日前の職員会議では、「いじめではないのでもう少し様子を見よう」という結論になります。つまりは外部に相談することはしないで身内だけで見守ろうと決定したのです。
 いじめの情報を聞きながら放置したことは、傍観者としていじめに加担したといわれてもしょうがありません
 外部から閉鎖されているから陰湿ないじめが起きます。

 今後は、どの時点でいじめが黙殺されたのかを検証する必要があります。
 大津のいじめ事件では被害者以外にも新たに被害者が生まれました。一般の生徒です。学校や教育委員会、教師に対して不信感が生まれました。
 この事件の後でも、兵庫県川西市の自殺事件で学校は「不慮の事故」にしてほしいと事実を隠そうとします。
 真実を隠しては教訓を引き出せません。しかし同じことが繰り返されています。
 滋賀県では最近、学校が些細なことでも警察に相談するとい傾向になっているといいます。今度は事なかれ主義です。事件の本質がまったく検証されていません
 きちんと取り組まないとやる気がある教師の意欲を潰してしまいます


 この後、他のパネラーや会場からの発言がありました。
 その中で繰り返されたのが学校の閉鎖性です。教育内容も活動も社会から隔離されています。
 パネラーが指摘しました。同じ思いを抱いていました。
 昨年10月11日に自殺したということは、東日本大震災から7か月目です。当時は死者・行方不明者の数が3万人に近づきつつありました。(その後減少します)。仮設住宅で我慢している被災者の姿が連日報道されていました。“命の大切さ”や“絆”が叫ばれている時、「自殺の練習」のいじめが行われていたのです。社会の出来事を自分らに引き付けて捉える思考が育まれていないのです。同じく学校で、他者の痛みを感じとるという交流が行われていないのです
 教師にとって、生徒にとって、東日本大震災はどのような出来事だったのでしょうか。
 「人権は会社の門前で立ち止まる」と言われ続けていますが学校の門前でも立ち止まっています。そこから社会に、会社に巣立っていくのです。

 いじめと遊びのじゃれ合いは紙一重です。遊びが人を苦しめていることもあります。最初は遊びでも、相手が我慢したり、周囲が放置したりして容認されるといじめにエスカレートしていきます。人を苦しめていることに気が付く感受性を身に着ける必要があります。感受性は、集団の中での人間関係から育まれます。

 現場の教師から経験が語られました。
 閉鎖社会のなかで、教師は学校にはいじめがあってはならないと思っているから問題にしない。いじめがあることを前提にした共通認識がないから予防ができない。結局何の対応策もとろうとしません。大津の中学校の状況そのものです。
 教師は忙しいと言い訳けしながら、問題が発覚したら拡大し、自分たちで忙しくする方法を選択しているのです。

 被害者側の生徒はいじめられていると認めません。「こんなはずがない、相手はいじめているのではない」と理解できないでいます。またいじめを認めると「弱い自分」にプライドが傷つくのです。チクッたということの報復も予想します。加害者からも仲間外れにはされたくないのです。
このような場合どうしたらいいか。
 いじめの存在に気付いたら加害者に、他者が傷つくこと、傷ついていることを認識させて、してはいけないことと自覚させることです。そして被害者に行った行為はいじめであると認めさせることです。
 加害者はいじめではないと主張します。いじめだ、いじめでないという議論ではなく、いじめという言葉を使用しないで、1つひとつの具体的行為が他者にどのような結果をもたらしたかを認識させる、またはもたらすかを想像させることから行為の是非を自覚させます。
 加害者にはいじめにはしる理由があります。その問題を探り、加害者が抱えている問題に教師や仲間が一緒に向き合おうという姿勢を示すことが必要です。

 大津の問題を、それぞれが自分に引き寄せて捉えかえしをし、教訓としないと悲劇は何度も繰り返されます。  

  
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