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「ARIGATO」
2012/08/31(Fri)
 8月31日(金)

 9月1日は、1923年に関東大震災が発生してから89年目を迎えます。
 精神科医の野田正彰さんは、93年7月に発生した北海道南西沖地震の被災地奥尻島、91年6月に発生した雲仙普賢岳噴火の島原市、奥江町を何度も調査に訪れて実感したことと、95年1月の阪神淡路大震災直後の経験を繋げ、95年7月に『災害救援』(岩波新書)を発刊しました。

 『本』は関東大震災の捉え方から書き始められています。
 「大事故にしろ、災害にしろ、さらに戦争においても、危機への対応のあり方にその社会の本質が表れる。私は、1937年の盧溝橋事件に始まる中国への侵略戦争、南京大虐殺やそれに続く多数の集団虐殺についての記録を読むたびに、1923年9月1日の関東大震災を思い浮かべる。死者10万、行方不明者4万にのぼるあの災害への対応に、その後の日本社会の歪みの雛形を見出すことができる。
 例えば警察は、東京下町の住民を本所被服廠跡の1カ所に誘導したため、集まった4万の群集の衣服に火が移り、3万8000人が焼死した。東京市内の死者は6万といわれているので、その6割をこえる人びとは警察の強権的な誘導によって死んだことになる。
 また、『朝鮮人来襲』の流言を拡げたのも警察であった。震災の翌日、9月2日、政府は米騒動のときでさえとらなかった戒厳令(この場合は行政戒厳)を施行し、5万の軍隊で『朝鮮人来襲』にそなえた。警察の呼びかけによって、青年団、在郷軍人、消防隊などを軸として自警団が組織され、彼らは各地で――ただし火災被害の少ない地域で――朝鮮人を惨殺していった。
  ……
 マグニチュード7.9という大地震は自然がもたらしたものであるが、橋が焼け落ち、家々が類焼していく『地震後火災』に弱い下町を作ったのは人間であった。さらに天災、人災が絡み合う危機的状況において、国家権力の無制限の極大化、住民の思考の停止、わずかな不安で発動する残虐性、罪を問わない無反省社会が露呈したのであった。
 その1つひとつは、そのまま中国侵略戦争から太平洋戦争へ、敗戦後の日本社会へと見事に拡大されているといえないか。まず国家権力の無制限の極大化は、治安維持法公布(1925年)となり、軍国主義下の国家総動員体制となっていった。
  ……
 93年7月12日の地震・津波のすぐ後、ヘリコプターで入った奥尻島。8月の長崎県島原市、奥江町への雲仙普賢岳噴火被災調査。……そのときの私の問いは、関東大震災への対応に日本軍国主義が姿をあらわしたように、今日の大災害対応に経済至上主義がいかに貫かれているか、であった。」

 野田さんは、北海道南西沖地震、雲仙普賢岳噴火そして阪神淡路大震災後の復興対策に関東大震災を重ね、住民は置き去りにされて経済至上主義が貫かれていると警鐘を鳴らしています。
 ではそれから16年過ぎて発生した東日本大震災ではどうでしょうか。
 「経済」という言葉が声高に飛び交っています。低賃金を強制していた大手の下請企業は撤退していきました。復興計画は、被災者を中心に据えた復旧・復活は無視され、都会のプランナーが机上で作成した画一的案が押し付けられています。漁協への資本の参加、農業の株式会社経営が進んでいます。不動産屋を始めとする利権集団が堂々と駆け回っています。
 そして福島原発事故の原因究明が進んでいない段階で、「経済」を持ち出して人類と共存できない原子力の継続利用を宣言しました。
 被災地・被災者そして原発事故による避難者は置き去りにされています。

 関東大震災でも「火事場泥棒」が登場しました。梶山季之著『ルポ戦後縦断 トップ屋は見た』のなかに「彼らが成功する瞬間――関東大震災を生かした人びと――」の記事があります。
 「本田宗一郎(本田技研社長)は、震災のとき、アート商会という本郷の自動車修理工場に小僧として住み込んでいた。わずか17歳である。
 ――問題は震災後である。
 彼はハンドルを握る嬉しさも手伝って、オンボロのサイドカーに板橋方面に避難する人を乗せて料金をとり、その金で近くの農家から米や野菜を買って、都心に運ぶというアルバイトをはじめたのだ…。
 交通機関がマヒしている上に、食糧が不足しているところに着眼したあたり、17歳の小僧だとは思えない。
 そして1カ月後には、芝浦の工場で焼け残った30代の車をスクラップ同様の値段で買い取り、更生車をつくることに乗りだしたのだ。焼けてナマになった車でも、バラバラに分解して、使えそうな部品を選んで組み立てると、立派な乗用車になる。
 なんと更生車のフォードが震災前の2倍の値段で売れたというから、全くもの凄い。」

 五島慶太は、震災当時、創立間もない目蒲電鉄の社長に迎えられたばかりでしたが、洗足、田園都市の土地が売れず、四苦八苦していました。9月1日は、目黒-蒲田間の電車が完成し、試運転したところを大震災が襲いました。
 「『まったく関東大震災さまさまでした。震災後、日本橋や京橋に住むことができないから、みんな郊外に出た。ちゃんとこっちが郊外に住宅を造成して、バラックを建てればすぐ住めるように、住宅地をつくっておいたから、みんな入ってくれたんです。その前は、あんな所に住むものは、退役軍人以外になかった……』
 五島慶太にとっては、大震災は、会社の基礎を築く、有難いチャンスとなったわけである。棚からボタ餅というわけだ。
 このあと彼は、被災した蔵前の高等工業の土地1万2千坪と、所有している大岡山の9万2千坪とを交換し、大岡山に現在の工大を誘致することに成功した。
 学生が通学すれば、電車賃も入るし、また学生めあての商店や、下宿ができて、土地が売れると睨んだのだ。
 その大岡山の土地は、100万円以下だったというが、交換した蔵前の土地を復興局に180万円で売りつけ、五島慶太はその金で、武蔵野電鉄を買い占めるのである。彼のセリフではないが、まさに関東大震災さまさまである。
 堤康次郎(西武電鉄社長)も、いちはやく震災後の住宅地に、目をつけた1人だった。……彼は、帝都復興計画に協力すると称して、市内の富豪、華族のもっていた大邸宅に目をつけたのだった。
 そして1軒ずつ口説いて廻って、その大邸宅の土地を庶民に分譲するという仕事で、チャッカリ儲けると、郊外の大泉に土地を100万坪買収、五島慶太と同じく、大泉学園都市の建設に乗りだしたのである――。」

 大震災を契機に発展した企業はたくさんあります。そしてこれらの企業は、戦時中の空襲を経る中でも「発展」していきます。
 震災直後に復興院(後に復興局と改称)が設立されますが、1年後には贈収賄の疑獄事件が発覚します。鉄道省、芝浦製作所、田園都市株式会社、そして議員、市会議員も巻き込んだものでした。田園都市株式会社は五島慶太が関係しています。
 東日本大震災の復興においては、彼らのような火事場泥棒を登場させてはいけません。


 『災害救援』は、専門である被災者や支援者の「心のケア」の立ち遅れを繰り返し指摘しています。集団として扱われ、個人が否定されています。
 一方、災害救援の文化を見直す必要があるということで、関東大震災におけるボランティア、支援活動も散りばめて紹介しています。
 「実は1923年9月1日に起きた関東大信愛後、当時の学生たちはすばらしい救援活動を行っている。72年前、学生はそんなに多くなかっただけで、活動の質は今回以上のようだ。
 私は関東大震災後に出た『改造』1923年10月号(大震災号)を開いて、末弘厳太郎・東大教授の『帝大学生救護団の活動について』という論文を読んだ。著者は、東大、一高、東洋大学の学生の救護活動についてくわしく報告している。
 まず彼らは、大学構内に避難する2000人のために食料を配給する活動を始めた。秋葉原、芝浦まででかけて米や副食品を求めた。しかも一般に行われていた炊き出しを行なうのではなく、避難民のなかに数個の自治組織を作るよう呼びかけ、それぞれのグループに食料や慰問品を配っている。
 その後、上野の避難民の窮状を知り、9月12日にまず30人の学生が上野公園に向かった。
 当時、上野公園には1万人を超える避難民がいた。ここも食料の配給は区役所の炊出しによって行われていた。そのため1日1回の昼食をとる為に、被災者は疲れ切った体で午前8時ごろから行列を作らねばならなかった。野菜など副食品は全く配給されなかった。
 また、糞便は公園内の至る所に放置されており、衛生状態はきわめて悪かった。広小路公園入り口には警視庁救護班が事務所を開始し、その真向かいには某大新聞社が医学博士の名前を並べて診療所を開いていた。だが、1万人を超える避難民の疫病について心配する者はいなかった。新聞社の診療所については、学生が訪ねたとき、その名を列ねた医学博士は1人もいなかったという。
 そのため学生はまず、避難している人々に向かって、『食料配給のことにつきご相談したいことがあるから、お集まり願いたい』と触れ歩き、集まった人々を中心にして14の地区(後に15地区)に分割し、それぞれに委員長をおいた。そのうえで従来の炊き出しを止めるよう区と交渉し、自治による食物配給へと変えていった。また、各地に副食物を求めた結果、野菜も配給できるようになった。」

 「さらに学生たちは、『東京罹災者情報局』を作った。今でいう、情報ネットワーク作りである。彼らは東京市と協力し、全市にわたる避難者名簿を精力的に作成し、尋ね人探しを容易した。全市および隣接町村に散っているすべての傷病者収容所を訪ね、その氏名、住所リストを作った。区役所と警察を歩き、死亡者名簿を作成した。また、歩いて調べた正確な焼失区域地図を作って、新聞を通して公表したのである。9月2日には戒厳令が布かれ、地方の人が東京に入ることは難しく、親類の安否を尋ねることもできなかった。学生の作ったデータは、人々の不安をやわらげたのだった。……
 学生たちの救援活動から、3カ月後に東京帝大セツルメント(会長は末弘厳太郎)が作られ、2年後の東京本所における活動に発展していく。」

 「アメリカは震災翌日の9月2日、東洋連合艦隊に命じ、食糧、毛布などの救援物資を東京に運ぶ態勢に入っている。3日には、大統領クーリッジは駐米日本大使を招き、10万ドルの救済募金をアメリカ国民に呼びかけると伝えている。後に毛布でも被災者すべてに2枚わたるほどの量を送り届けている。フィリピンからは棺を積んだ船が来るという記事も見える。
 とりわけ注目されるのは、中国の官民あわせての救援活動である。日本は第一次大戦中、袁世凱政府に『対華21か条要求』を認めさせ、中国への侵略の意図を強く打ち出していた。それに対し、1919年には、北京で『5・4運動』が起こり、抗日運動は激しくなっていた。しかし震災の報に接して『支那側官民の同情極めて盛んで、個人として寄付を申出づるもの多く』(大阪朝日、9、7)日本公使に4万元、30万元と義援金が届けられている。5年後に関東軍によって爆殺される張作霖も、9月4日には50万元の物資を送る準備を整えている。上海、奉天(現・瀋陽)の反日新聞も救援活動を呼び掛けている。しかしそのころ東京や横浜では、朝鮮人や中国人が流言蜚語によって何千人と虐殺されていたのである。」

 関東大震災の被災地・被災者への支援・救援運動は、昨年9月6日と11月29日の「活動報告」にも書きました。東日本大震災へのそれに匹敵するくらい広範に展開されました。
 しかし今、関東大震災は、強行された計画都市だけが賞賛され、それに伴って排除された住民、朝鮮人虐殺、支援・救援の横のつながりは“忘れさせられよう”としています。
 そして東日本大震災についても被災地・被災者そして原発事故による避難者は置き去りにされ、隠されようとしています。

 しかし、政府や財界の期待に“逆らって”、心を寄せる人たちの活動は綿々として続いています。
 7月29日、オリンピックが開催されているロンドンで、元サッカー選手の中田英寿や元陸上選手の為末大らが実行委員となって、世界の人たちに東日本大震災の支援に感謝の気持ちを伝えるイベント「ARIGATO in London」が開催されました。日本の文化を紹介するコーナーも設けられました。そして「ありがとう」の文字が83か国の言葉で次々と現れる映像も流されました。
 テレビ、新聞などが連日、これでもかこれでもかとナショナリズムを煽り続ける陰での目立たないイベントでした。
 中田選手、為末選手、本当に「ARIGATO」「ありがとう」ございます。 
 

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学生の就活は自信、人格、社会への信頼を奪う
2012/08/28(Tue)
 8月28日(火)

 2012年7月26日、就職情報や求人・採用活動のコンサルティング事業をしているマイナビが『2012年 マイナビ新入社員意識調査 ~3カ月後の現状~』を発表しました。今年4月入社の新入社員を対象にした新入社員研修フォローアップ講座に参加した各企業の新入社員788名からのアンケート調査結果です。
 調査項目が少なく、質問の意図するところが不鮮明なところもあります。新入社員を社外の研修フォローアップ講座に参加させるということは、自社で独自の研修を実施するほどの大企業ではないがそれなりに“ゆとり”のある会社から参加しています。
 若者の労働者への調査結果を目にすることはあまりありませんので紹介します。

 「社会人になってどう感じたか」を聞いたところ、【想像していたよりも、厳しかった】25.4%、【想像していた通り、厳しかった】42.8%、【想像していたよりも、厳しくなかった】29.4%、【想像していた通り、厳しくなかった】1.3%の結果でした。社会に対して「厳しかった」という回答が68%に上るということはどう受け止められるのでしょうか。
 また、「この会社に入社してよかった」と思ったことがあるかを聞いたところ、9割以上が「よかった」と回答しています。それはどんな時かを11の選択肢を示して複数回答可で聞くと、1位は「先輩・上司に恵まれたと感じた時」の49.2%で、「仕事ならではの経験が出来た時」38.8%、「給料をもらえた時」37.4%、「褒められた時」35.9%の順になっています。
 調査した側は、約5割が仕事内容よりもまずは人間関係や働く環境を重視している傾向にあることが分かったと評価しています。 
 「社会人になってどう感じたか」と「この会社に入社してよかった」の関連については設問が「社会」と「会社」と違いますので結び付けられません。そして「この会社に入社してよかった」とはいっても他社と比較することはできません。

 「会社で目立つ(出る杭になる)」ことについての質問に、【目立ちたい】19.0%、【どちらかといえば目立ちたい】41.8%)、【どちらかといえば目立ちたくない】31.5%、【目立ちたくない】7.0%でした。
 「目立ちたい」の回答が、かつてのように業績を上げて評価され、他よりも早く出世をしたいという意思表示だとしたなら、新入社員としては積極性に欠けているということで会社の期待からはかけ離れていると言えます。新入社員は「一花咲かせる」ことができるような時代ではないという認識を持っているようです。
 「OJTトレーナー(自分の教育担当)はいますか」という質問に「定義通りのOJTトレーナー(日々の仕事を通じて仕事に必要な知識やスキルを新入社員に教える人)がいる」は59.6%、「いない」は39.7%でした。
 この数字からも、新入社員も即戦力とはいかなくても独り立ちを要請されている状況がうかがわれます。会社にゆとりがなくなっているようです。
 これだけ見ても、時代は移り変わっている、会社の期待と社員の期待はマッチングできていないということが言えそうです。


 昨年8月2日の「活動報告」で紹介しましたが、昨年の『経済白書』は「働く人達は、それぞれの時代状況を背負って生きているのであり、現代の労働問題は世代ごとの問題として立ち現われている。」と述べています。バブル経済崩壊後に幼年期、青年期を迎えた世代は、「明るい時代」を経験していないとも述べています。

 今の若者問題をどう捉え、対応したらいいのでしょうか。中高年数人で議論をする機会がありました。
 1つには学校教育の問題があります。
 今の中高年世代の中学・高校・大学時代はいわゆる「詰め込み教育」でした。特に工業系の知識・技術の詰め込みはすさまじいものでした。高度経済成長はそれを必要とし、期待がありました。労働者になると能力を発揮する機会がありました。また詰め込まれた知識・技術は応用・工夫の幅を広げました。
 職場内では職務・職階・職能をめぐる競争も人事政策として導入されていましたが、降給、降格は存在しない賃金体系で安心感がありました。
 学の独立が主張され、「産学共同路線反対」が叫ばれていましたが、実際は「産学共同」でした。
 しかし詰め込み教育の弊害も出てきました。
 1970年頃になると、学力においては優秀な成績を残しますが応用力、適応力のない高学歴の若者が登場しました。不安が生まれ無気力に陥っていきます。「アパシー・シンドローム」と呼ばれました。

 1980年頃から「ゆとり教育」が言われはじめました。産業界も高度の知識・技術を社員全体には要求しなくなっていました。その結果、労働者の「使い捨て」が始まりました。
 業務の打ち合わせなどで「詰め込み世代」が「ゆとり世代」に知識があるだろうと思い込んで話を進めると「知りません」「聞いたことありません」「できません」の回答が返ってきました。その時に「そんなことも知らないのか」などと言うものなら相互不信が生まれます。ゼネレーション・ギャップを自覚したといいます。譲歩するのは「つめこみ世代」です。譲歩しなかったら“いじめ”です。
 社内は部署ごとの細分化が進み専門化されていきました。専門学校が進出し、卒業生は担当部門の即戦力として期待されました。
 さらに部門ごとの細分化とマニュアル化が進んでいきます。同じ職場にいながら相互理解の条件が失われました。しかも「ゆとり教育世代」を受け入れる職場に人的ゆとりがなくなっています。

 2つ目の問題です。
 少子化の波は、学校間格差を拡大しました。「勝ち組」は堂々と「産学共同路線」です。しかしそれ以外は産業界からの期待は大きくありません。 
 「つめこみ世代」には偏差値という言葉はありませんでした。
 高校は進学率、大学は就職率が学校の売り物になり、教職員はそこに集中します。
 就職率を上げるために、身だしなみ、あいさつ、書類の書き方が丁寧に指導されます。バブル経済崩壊後、大学4年生は授業に専念することなく就活を続けることを強いられています。「ゆとり教育」に加えての授業時間の簒奪による「学力低下」は学生の責任ではありません。
 教官が厳しい指導や評価をすると学生は逃げていきます。定めた基準を踏襲すると落第が増えるため譲歩を強いられます。今、学校は生徒・学生を「クライアント」として扱っています。モンスターペアレントは専門学校や大学でも登場しています。
 学生が就活で会社回りを繰り返すことが作り出している最大の弊害は、自信、人格、社会への信頼を奪うことです。入社する段階で無気力に陥っています。
 高校生や専門学校生は、諦めというより挑戦することが恐怖で就職を回避してしまうといいます。
 このような若者が社会に巣立っているのです。
 そして「ゆとり教育世代」がこわごわ「ゆとり教育世代」を指導しています。

 このようなことを踏まえてアンケート結果をもう一度見ると、社会に対して「厳しかった」という回答が68%に上るということはうなずけます。問題は、それを受け止めて耐えて頑張る覚悟があるかどうかです。あります。
 理由は、求職活動が大変なことを身に染みて感じているからです。「この会社に入社してよかった」の質問に9割以上が「よかった」と回答していますが、「この会社」への入社はたまたまです。「就職できてよかった」が本心だと思われます。本当に「この会社に入社してよかった」の思いに到るとしてもまだまだ先です。
 「会社で目立つ(出る杭になる)」ことについての回答内容は、学生時代に自信、人格、社会への信頼を奪い、入社する段階で無気力に陥らせている結果なのではないでしょうか。
 「OJTトレーナー(自分の教育担当)はいますか」の質問に「いない」が39.7%を占めるということは、ゆとりのないことの現れですが、間もなくトラブルが発生することが予測できます。自己主張と相互不信が交差するからです。
 「若者のうつ」はこのような中からも発症しています。

 労働政策研修 研修機構は2001年9月に『メンタルヘルス対策に関する研究 -対策事例・欧米の状況・文献レビュー・調査結果-』を発表しました。
 その中の「若者向け公的相談機関:仕事、職場の悩み、ストレスの相談が増加」の項目に、全国の勤労青少年等を対象として職業相談を中心とした総合的な相談を行っている機関の調査結果が載っています。
 「近年の経済環境悪化のため、能力・スキルがあってもリストラの対象になるケースが増加している。これに伴い、来談者の年齢層も中高年が増加する傾向にある。勤務先からの『戦力外通告』と受け取れることを言われ来所するケースもあり、スキルアップとともに自信や信頼感の回復にも務めている。
 一方で、20代後半の若年層の相談も減少していない。採用時に即戦力として求められることが多い一方、広い意味での能力開発の機会が減少している。このため職場での些細なトラブルでも、対処できないケースが増加している。上司との軋轢に悩む若者の相談も多い。企業の業績悪化にともなうマイナスの連鎖でストレスが生成され、メンタルヘルスを損なっていると考えられる。」

 日常的に労働相談活動からは、「現代の労働問題は世代ごとの問題として立ち現われている。」は実感できます。しかし若者を受け入れる使用者と政府の雇用政策は、10年前の調査結果と同じ状況が続いていて、まったく進んでいない実態があります。  
 
  
   
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裁判官の驕りと世間知らずは本当に危険!
2012/08/24(Fri)
 8月24日(金)

 7月30日、大阪地裁裁判員裁判は、姉を殺害したとして殺人罪に問われたアスペルガー症候群の被告に、懲役16年の求刑を上回る有期刑上限の懲役20年の判決を言い渡しました。
 被告は小学5年生で不登校となり、その後は約30年、自宅に引きこもる生活を送っていました。引きこもりの原因を姉のせいと思い込んで恨みを募らせた末に殺害に及びます。事件直前に行政が病院への受診を勧めていましたが実現する前に事件が起きてしまいました。
 判決は、動機に被告が広汎(こうはん)性発達障害の一種のアスペルガー症候群が影響したと認定しながら「最終的には自分の意思で犯行に踏み切った」と述べています。そして母親らが被告との同居を断っていること、被告の態度には症候群の影響があると認定して「いかに精神障害の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば・・・被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される」と指摘し、「社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもない」ことを理由として、「被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する」と言及しました。

 怒りと同時に恐怖感が湧いてくる判決です。
 アスペルガー症候群の人たちは再犯の恐れがあるのでしょうか。介護や支援は家族がしなければならないのでしょうか。対応は懲役という隔離の手段しかないのでしょうか。

 発達障害者を支援する団体の全国組織、日本発達障害ネットワークの理事長は「発達障害があるから犯罪を起こすわけではない。アスペルガー症候群の人の多くは、社会生活を営めており、独特な考え方や行動様式を周囲が理解し社会のルールを説明していれば、今回のような事件は起きなかった」と指摘します。
 また日本弁護士連合会も判決を批判する会長談話を発表しています。

 アスペルガー症候群の人は、他人の感情や意図を読み取るのが苦手で、自分の興味や関心、思考に固執する傾向があります。その一方、卓越した集中力や記憶力などにより高い能力を発揮します。これは“The undiscovered workforce”(「未発見の労働力」)と呼ばれています。

 アスペルガー症候群の人は興味や関心、思考に固執する傾向があるということが犯行や犯罪に走るということにはなりません。今回はたまたまお姉さん個人に恨みを抱いてしまい、固執したということです。
 しかし判決は、発達障害についての無理解から、犯行をおかす、再犯の危険性があるという偏見を持っています。
 せっかく2005年4月から発達障害者支援法が施行され、社会的啓蒙と自治体などの支援の取り組みが進められている中にあって、偏見を堂々とかざす判決は流れに水を差すものとなりかねません。
 行政機関が引きこもりの人を“発見”するのが難しいのは確かです。しかしその原因に本人と家族を襲う偏見があります。さらに介助と支援は家族の責任という社会的風潮が強くあります。そのために支援法が施行されても本人と家族は知らなかったり、敬遠して支援を受けられていないという実態があります。

 昨年12月16日の「活動報告」で紹介しましたが、札幌市は漫画によるパンフレット『職場で使える「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』と『暮らしで使える「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』を作成して各行政機関の窓口においています。
 また北海道勤労者安全衛生センターの協力で石狩地協は「メンタルヘルスと労災補償学習会」の連続講座の一環として「職場で困らない『発達障害』との付き合い方」の講演会を開催しています。
 今回の不幸な事態を発生させてしまった一因には、支援の取り組みが周知されていなかったこともあることを踏まえ、先駆的な取り組みを取り入れて改善を急くことが課題とされなければなりません。

 「許される限り長期間、刑務所に収容することが社会秩序の維持に資する」の判決内容について、日本弁護士連合会の会長談話は「保安処分を刑罰に導入することにほかならない。」と述べています。
 「保安処分」は、1970年代に出された刑法改訂案に盛り込まれましたが反対運動が展開されてきました。精神障害と犯罪をめぐる問題を、精神医療と福祉の領域の問題として対応するのではなく刑事政策の領域として捉えようとしました。今回の判決は「保安処分」が法律抜きで実行されたと言えます。
 その底流に存在するのは精神医療による改善不能、更生は不可能という思想と「隔離」政策です。実際は不能、不可能ということではなく、精神医療と福祉による改善、更生は期待しないから社会的資源・財源の無駄使いだという優性思想が存在しています。
 裁判所が率先して人権を蹂躙しています。
 しかし社会的更生が不可能とする思想と優性思想こそが社会的に不安と恐怖を煽ります。

 被害者や家族も望んでいるので厳罰を科すと記載される判決が増えています。では被害者や家族が量刑の軽減を望んだなら叶えられているでしょうか。残念ながらそのような声はあっても裁判所では無視され、マスコミからは消されます。
 厳罰化の方向は、今、少年法においても行われようとしています。少年事件は「保護事件」でなくなりつつあります。
 被害者の家族が量刑の軽減を訴えたが無視された事件を紹介します。
 1958年8月に東京都江戸川区で起きた「小松川事件」です。
 在日朝鮮人の18歳の李珍宇少年は殺人事件を起こし、もう1件を「自白」します。1審、2審とも死刑判決で61年8月に上告棄却になりました。
 支援者たちは事件に至る背景を探るなかから、関東大震災の朝鮮人虐殺や強制連行など隠され、歪曲されてきた歴史的事実の発見にたどり着き、減刑の嘆願運動を繰り広げます。
 李少年が殺人事件を起こしてしまった大きな原因は「無知の涙」です。支援者との交流を経てそのことに気付き、過ちを認めて立ち直ります。
 被害者の父親は「奪われた娘の生命と同様に、ひとの子である珍宇の生命の尊厳という視点から、立派な人間に立ち直って社会で働いてほしい、それが罪の償いになり、娘たちも成仏できよう」と言われました。もう一方の父親は「減刑になって釈放されたとき、自分の会社でひきとりたい」とまで言われました。
 死刑執行の知らせを聞いた被害者の母親は、「減刑を祈り続けてまいりましたのに」と言われました。
 しかし少年が立ち直り、被害者家族、支援者の嘆願が繰り返されても、無視されて死刑は執行されました。そこには明らかに民族的差別と偏見があります。

 裁判官は、利用しやすい事件を利用して厳罰化の世論を形成していきます。そうすることで自分たちが社会を正す任務を果たしているという思い上がりです。人権感覚のない世間知らずのなせる業です。
 しかし抑止力にもなっていません。実際は人間が本来持っている可能性が否定され、社会の暗黒化を進めているだけです。
 
 今回の判決は「十分な反省がないまま社会復帰すれば、同様の犯行に及ぶことが心配される」と述べています。 社会制度による保護、制度の確立・充実が不十分であることは黙認し、救済を必要とする者に対しても自力更生を強制しています。
 そもそも現在の日本の刑務所や鑑別所は“更生”のための施設になっているでしょうか。社会的に隔離された施設で軍隊的規則の強制、服従は社会復帰後の生活でどれくらい役立つのでしょうか。思考方法の停止は社会復帰を困難にするだけです。納得されない矯正は人格を奪います。
 そして現在の社会は出所後に社会復帰できる体制が保障されているでしょうか。
 たとえば、受刑者の労働に対して賃金はいくら支払われているでしょうか。少なくても最低賃金は保障されなければなりません。最低賃金を保障された預金が出所後の生活保障に繋がります。逆に出所しても生活費がないことが再犯に繋がっていきます。
 このことを抜きにして“更生”が難しいという議論をしても無駄です。

 70年代末に公安事件での大量逮捕、起訴、下獄が相次ぎました。支援運動が広範に繰り広げられました。
 支援者は下獄者の出所を、最低5か月分の生活費を準備して迎い入れました。1か月分はゆっくり休養して体調を整えるための生活費、3か月分は住居を確保するための敷金・権利金など、もう1か月分は働き始めてもすぐに賃金が支払われない期間の生活費です。これが最低限必要な出所後の生活保障です。
 このような支援を受けて公安事件の下獄者たちは、国家が強制した“更生”はしませんでしたが社会復帰は成し遂げることが出来ました。

 
 昨年2月7日の「活動報告」に書きましたがアスペルガー症候群の人たちからの労働相談が増えています。相談者が自分から言い出だす場合も、相談を受ける側の素人判断でも明らかに当該も会社も気付いていないことが事態を困難にさせているのではないかと思われる事案もあります。また家族からの相談もたくさんあります。
 自分から言い出だした相談者は、特定の分野では本当に卓越した能力を発揮しています。たとえば鋭い観察力での取材記事がありました。技術開発部門で欠陥部分を的確に指摘し、会社としては不可欠の人材になっています。痒いところに手が届くので指名が多い介護労働者がいました。まさしく「未発見の労働力」です。
 しかし上司や同僚はその能力を生かせていません。コミュニケーションが作れていません。そこにトラブルが発生しています。もったいないことです。

 ではどのようにしたら相互理解ができるでしょうか。
 昨年12月2日の「活動報告」に引きこもりの人たちの声を紹介しました。
 引きこもりの人たちは理解者を希求しています。しかしその思いをうまく伝えらずにいます。だからといって相手を受け入れてやるなどという姿勢は高見の視線です。逆に拒否反応が示されることがあります。
 ゆとりを持ってお互いの思いを話し合い、理解し合って関係性を作り出して行動に移し、信頼関係を確立することが必要です。難しいことではありません。まずはその姿勢で挑戦することが必要なだけです。  
 
  
   
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フランスの労働実態から日本の労働者は何が見えるか
2012/08/21(Tue)
 8月21日(火)

 IMCは、9月8日(土)1時半から東京南部労政会館で、講演会 「フランスでの労働におけるストレス、ハラスメント、自殺、過労死問題への取り組み状況」 を開催します。講演は、フランス・ボルドー第4大学のLoic Lerougeさんです。労働における心理・社会的リスクとその対策、立法制度について研究している方で、現在、日本のいじめ、過労死、自殺問題の調査研究のために来日しています。フランスのモラル・ハラスメントの法制定過程の社会的動向、成果と現状、さらにフランステレコム社における33人の従業員が自殺した問題、過労死問題などについて話をしてもらいます。
 フランスというと 「モラル・ハラスメント」 を連想し、職場環境改善対策が進んでいる、労働時間や休暇などの労働条件が日本と比較すると恵まれていると捉えられていますが実態はどうなのでしょうか。一方、フランスからは日本がどう見えているのでしょうか。日本の労働者が気付いていない視点などを探っていきたいと思います。
 お互い、異なった視点からの交流は今後の運動に役立つことが多くあります。

 2003年に発刊されたマリー=フランス・イリゴリエンヌさんの 『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』 は日本のいじめ問題にも触れています。
 「モラル・ハラスメントに似た現象は、日本にも昔からある。それは日本語で 〈いじめ〉 と呼ばれるものである。〈モビング〉 や 〈ブリング〉 と同じように 〈いじめ〉 もまた、おもに学校における子供たちの暴力を指して使われる言葉である。だが、仕事の世界でも、新入社員を教育したり、組織の秩序を乱すものを排除したりするのに、この 〈いじめ〉 が行われることがある。一般に日本の人々は個人主義を好まない。したがって、〈いじめ〉 の目的は個人をグループに同化させ、グループのやり方に従わせることにある。≪出る釘は打たれる≫ という日本のことわざは、まさにそのことを表現しているのである。」 (マリー=フランス・イリゴリエンヌ著 『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』 2003年刊)

 ≪出る釘は打たれる≫ のことわざが引用されているのは、おそらく1994年に発刊されたアンドレ・レノレ著 『出る杭はうたれるフランス人労働司祭の日本人論』 を読んでのことだと思われます。
 『出る杭はうたれるフランス人労働司祭の日本人論』 を紹介します。
 「(工事) 現場監督のひとりが、いまおこなっている安全キャンペーンの説明をする。危険を防止するための指さし確認の奨励である。……わたしたちはひとりずつ前に出て、このやり方をやらせられた。わたしは内心いやでたまらなかった。フランスで受けた教育はこんな鋳型にはめるようなものとは正反対だったし、人を幼児あつかいするとは何だとおもった。……
 しかし、本質を見るならば、これは全体のために自我を滅却させ、グループワークに入り込ませていく印象的な儀式である」
 「多くの日本人のうちには、ほとんど軍隊的ともいうべき従順さと服従の精神がある。それを見るたびに、わたしはおどろいてしまう。この順応主義はあきらかに日本人がうけた教育の成果である。すなわち、個性をのばそうとせず、青少年が自分自身の良心や判断力にしたがうのを許さない教育の力がそこにある」
 この安全キャンペーン行動を、サービス業界での売上向上のために行われている唱和と言い換えるなら今もあちこちで見うけられます。そして工事現場で労災にあったときの責任は労働者本人に押し付けられるのと同様、サービス業の業績未達成も労働者本人の責任としてサービス残業を強いられます。自我が失われ、心身疲労に襲わます。

 このような事態に対してアンドレ・レノレが仲間に訴えました。
 「『毎日遅くまで働いていれば、毎日へとへとになって家に帰ることになります。そのあとは、テレビのまえにすわって必要以上に酒をのみ、スポーツ新聞をながめるだけです。今なにがおこっているのか関心も持てなくなってしまいます。これが責任ある父親の姿だといえますか。それにまた、残業をするということは他の人から労働をうばい、どこかで失業をふやすことになります。世界的にいえば、労働の量はかぎられています。すべての人には満足にいきわたりません。いろんな国で日本人がどんなに批判されているか知っていますか』
 『最後に、もうひとつ。生活のために残業をあてにしていると悪循環になると思います。そんなことをしていると、8時間の労働にたいする正当な賃金の要求ができなくなったり、迫力がよわまったりするだけです。ようするに、残業というのは労働者を不幸にするものなんです』……
 ある日、べつの工事現場に出向いたとき、吹きつけ屋の人たちと議論をした。かれらはわたしに『日本人は働きすぎるというのはほんとうですか』ときく。そこで『ほんとうですよ』とこたえた。そして、日本では年間の労働時間は2.100時間以上だが、ヨーロッパでは1.750時間にすぎないと、公式統計の数字をあげてみせた。すると、かれらのひとりがいった。
 『それなら、オレたちはもう大丈夫だな。経済戦争に勝つぞ』
 わたしはこの反応にあぜんとして、あとはもう言葉もでなかった。」
 「生活のために残業をあてにしていると悪循環になる」は、残業代だけでなく、成果給、インセンティブなどの導入にも当てはまります。そして成果給は上司の恣意的評価が入り込み、差別支配の手段にもなっています。無理しても頑張っている間は“まだ”いいですが、病気で休職したときなどは生活が困難に陥ってしまいます。
 「個人主義を好まない」 労働者は自我を奪われ、「経済戦争に勝つぞ」 の企業間競争の理論に絡め捕られてしまっています。そこには労働安全衛生の視点はまったく存在しません。

 フランスにおいて、労働時間の短縮は労働者の闘いによって勝ち取ったものだけではありません。
 1789年のフランス革命は、自由・平等・博愛を旗印にし、個人の尊厳を全人類のものと説き、「人権」 の概念まで高めました。同時に個人の尊厳と国家の自立性との関係性のなかで、国家と個人のあいだに存在する団体を禁止します。
 それまで労働者は利益防衛、相互扶助、共済を目的とした 「職人組合」 を組織していましたが、1791年6月のル・シャプリエ法は 「自由と人権宣言に対する挑戦」 だと禁止します。賃金の額も 「各労働者の日給の決定は、個人間の自由な契約による」 とされました。
 その結果、「1840年フランスで最も工業力のある10の県で徴兵委員会に出頭した労働者1万人のうち、8.990人が栄養不良で不合格になった。……産業革命は、1850年以降その速度を早め、企業の集中をもたらし、みじめな境遇の労働者の数を著しく増やした」 (ミシェル・デスパックス著 『労働法』)
 国家は労働者の庇護が必要になり、一方労働者は闘いのなかで団結の必要性を確信していきます。1884年3月、フランス労働組合運動の大憲章と評価される職業組合の合法性が承認され、1901年結社の自由一般が最終的に承認されます。
 これについてもフランスと日本を比較すると、「みじめな境遇の労働者の数」 が増えても日本政府は対策を打とうとしません。

 もう一度 『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』 を紹介します。
 「さてこのような日本の教育の現状が 〈仕事の世界〉 とも無縁であるはずがない。と言うのも、〈いじめ〉 はまずなによりも、〈人間社会をコントロールする道具〉 だからである。日本出身のジャーマリスト、ケイコ・ヤマナカは言う。《〈いじめ〉 という現象は、1972年頃、ちょうど日本経済が急成長を始めた時期に表れた。というのも、企業は若い社員の、個人主義を捨て、周りから突出せず、とりわけ社会を批判しない、型にはまった組織人になることを要求したからである》。すなわち、その規範に従わせたり、その規範からはずれた者を罰するために、〈いじめ〉 が行われたというわけだ。……
 ところが、1990年になって日本経済が衰退しはじめると、企業の方針が転換して、〈独創的なアイデアを思いつくことができること〉 という新しい型の人材が求められるようになった。また経営のやり方も変わった。終身雇用制は終わりを告げ、人員整理の時代が始まったのだ。そこで経営者に求められるのは、ただ利益をあげることだけである。そうなると、必然的に、日本的な 〈いじめ〉 もそれまでとは姿を変えるようになった。……すなわち、〈組織に社員を適合させる〉 ために用いられてきた 〈いじめ〉 は、もっと乱暴に、〈組織から社員を追い出す〉 ための 〈モラルハラスメント〉 に姿を変えたのである。これまで、日本には 〈モラル・ハラスメント〉 の現象にぴったりあてはまる言葉は存在しなかった。だが、〈精神的な暴力〉 を表すのに、最近はマスコミなどを通じて、徐々にこの言葉が使われ始めている。」

 日本の労働者の置かれている状態が見事に捉えられています。鏡に映し出されている己の姿を見ている思いです。
 フランスを羨ましがるのではなく、日本の労働者はどのような運動を進めていかなければならない課題があるのか。講演会ではそのことを探っていきたいと思います。 
 

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韓国のメンタルヘルスケア対策
2012/08/10(Fri)
 8月10日(金)

 7月30日付の新聞に 「精神疾患の検診実施 韓国 来年から全国民に」 の記事が載りました。
 「学校や職場などで厳しい競争にさらされ、ストレスから精神疾患にかかるケースが多いためで、検診によって早期の発見、治療を目指す。
 保健福祉省の昨年の実態調査によると、18歳以上の国民の14.4%にあたる519万人が精神疾患にかかったことがあるという。また自殺率は経済協力開発機構 (OECD) の加盟国の中ではワーストだ。
 こうした状況を受け、同省は精神疾患に対する総合対策をまとめた。来年から全国民を対象に、郵送による問診形式で検診することにし、就学前に2回、小学校で2回、中学・高校で各1回、20台で3回、それ以降は30代、40代など年代ごとにそれぞれ2回ずつ実施する。
 また、精神疾患への社会の偏見が強い中で、精神科への相談をしやすくするため、薬の処方が必要ない相談の場合には、健康保険の適用を請求する際に 『一般相談』 として処理できるようにする。」

 韓国のうつ病患者は、昨年の調査時点で270万人と10年間で1.6倍、2011年の年間自殺者数は、10年間に2.4倍になっています。
 保健福祉部は、昨年、全国の成人男女およそ6.000人を対象に精神疾患実態を調査しました。その結果、成人の6人に1人が1年以内に精神疾患罹患を経験しています。さらに成人の4人に1人がこれまでに1回以上、精神疾患罹患を経験していたことが分かりました。性別では男性が16.2%、女性が15.8%です。
 アルコール・ニコチン中毒が伴う 「アルコール・ニコチン使用障害」 を除いた精神疾患の1年有病率は10.2%、生涯有病率は14.4%です。
 しかしそのうち、病院や専門家による治療を受けているのはわずか15.3%にとどまっています。大半が周囲の目を意識して治療を受けていません。
 韓国政府は軽度のうつ病などがカルテに記録されることで就職などに不利な影響を与えないよう、精神健康検診の実施においては精神疾患の細分化など対策づくりに取り組み、「精神疾患」 の範囲を縮小することを決定しました。
 実施に際しては、乳幼児と青少年は注意欠陥多動性障害 (ADHD) やうつ病、インターネット中毒など、青年や壮年はストレスやうつ病、不安障害、自殺の危険性、アルコールによる障害などについて重点的に検査を予定しています。また、60代以上の高齢者はストレス、うつ病、自殺の危険性などの傾向を検査する予定です。

 韓国でも日本同様、精神疾患の問題が深刻です。
 韓国政府は、日本で今衆議院に上程されている 「労働安全衛生法」 改訂案を真似しています。
 しかし、「学校や職場などで厳しい競争にさらされ」 と 「社会の病」 の原因がはっきりしています。だとしたらその対策が不可欠です。採られようとしている対策では本質的解決にはなりません。

 この間の韓国でのメンタルヘルスに関連する新聞記事を拾ってみます。

 「ハンギョレ新聞」 2012年7月4日
  「光州 (クァンジュ) 市民軍出身の医師 “5月の傷” を治癒」
    カン・ヨンジュ氏 光州トラウマセンター長内定
    高3で参加して道庁鎮圧前に脱出
    “生きている者の負債意識” から民主化運動
    欧米留学生事件連累 拷問受け
    「国家暴力被害者の一人として5・18で苦しんでいる人を助けたい」

 彼は今でも “南山 (ナムサン)” に行けば息がぐっと詰まってしまう。脈拍がはやくなって不安になる。ソウルの南山(ナムサン) は過去中央情報部 (現国家情報院) の対共調査局の建物 (現ソウル市庁南山 (ナムサン) 別館) があった所だ。多くの人が引っぱられて行ってぞっとするような拷問にかけられた。1995年当時国家安全企画部が瑞草区 (ソチョグ) 内谷洞 (ネゴクトン) に庁舎を移すまで “南山 (ナムサン)” は 「飛ぶ鳥も落とす」 という情報機関の別称だった。
 収監14年目の1999年に最年少非転向長期囚として出所したカン・ヨンジュ (50・ソウル アナパ医院の院長) 氏にとって、南山 (ナムサン) は依然として威圧的な場所だ。カン院長は2日「何ヶ月か前に故キム・グンテ先生の放送番組製作のため南山 (ナムサン) 別館に同行し私が拷問された場所がここですと言った瞬間、不安感に襲われてその場に立ったまま泣いてしまった」 と語った。

 国家暴力被害者であるカン院長が、早ければ今月末開院する 「光州トラウマセンター」 のセンター長 (非常勤) に内定した。トラウマ (外傷後ストレス障害) は戦争、拷問など国家暴力や事故、犯罪被害のような身体的・精神的衝撃を体験した後現れる精神障害を意味する。 国内初の公立の光州 (クァンジュ) トラウマセンターは、政府と光州市が67億5000万ウォンずつ出して設立する。光州 (クァンジュ) 西区 (ソグ) 治平洞 (チピョンドン) の光州都市公社の建物でスタートし、来年は尚武 (サンム) 地区の5・18教育館のそばに建物を立てて入居する方針だ。カン院長は精神保健分野の看護師や心理相談分野の専門家など10人余りと共に、5・18被害者と家族、国家暴力の被害者たちの傷を治療する。 拷問被害者であり同時に拷問被害者の治癒プログラムを実施してきたので、適格者に挙げられる。

 彼は全南 (チョンナム) 大の医学部生だった1985年、安全企画部が発表したいわゆる 「欧米留学生スパイ集団事件」 に連累され無期懲役を宣告された。ソウル南山 (ナムサン) 安全企画部別館に引っぱられて行き60日間拷問にあったあげく嘘の自白をしてしまい、一枚の転向書を書くことを拒否して14年閉じ込められていた。

 「5・18光州 (クァンジュ) 虐殺や拷問のような国家暴力の被害者は、数十年が過ぎたけれどもいまだに怒り、酒を飲み、事故を起こし、うつ病になります。性格の問題ではないのに個人の責任のようにされてきました。」 国家暴力被害者の精神は傷つけられたその瞬間をほんの一寸も抜け出せないまま、さ迷い徘徊しているという。2009年の統計を見れば、5・18の負傷後遺症死亡者380余名のうち自殺者が41名 (10.8%) だ。経済協力開発機構 (OECD) 会員国の平均自殺率0.02%より300倍も高い。

 彼は光州 (クァンジュ) 望月洞 (マンウォルトン) の5・18墓地に行けば今でも平常心を失う。高校3年の時5・18に市民軍として参加し、鎮圧の前日に旧全南道庁を抜け出したのが傷となって残った。「生き残った者の恥ずかしさのために一層激しく独裁と闘おうとしました。そうするうちに拷問で「ごみ箱に捨てられた私の魂」 を見て傷つきもしたが、内面の傷に対面することで自ら治癒しました。」

 1999年復学して2004年卒業したカン院長は家庭医学専門医になった2008年、精神科医師であるチョン・ヘシン博士とともに拷問治癒の会 <真実の力> を設けて現在まで拷問被害者治癒の会の活動に精を尽くしている。

 カン氏は 「5・18被害者らと家族が体験している苦しみの原因が国家暴力であるということを分からせ、治癒の道を助けたい」 として 「5・18が他の国の民主主義の手本となったように、光州がアジアのトラウマ治癒のハブの役割をしなければならない」 と話した。


 「ハンギョレ新聞」 2012年1月10
  「果てしなく続く下請け ‘IT土方’ 量産…‘韓国版ジョブズ’は永遠の夢」
    元請け業者の要求合わせるために毎日徹夜勤務も茶飯事
    延長勤労手当ては受け取れず慢性的ストレスに露出

 政府が先端知識産業を育成するとして作ったソウルデジタル産業団地 (旧、九老工団)。 ここから ‘韓国版スティーブ・ジョブス’ が出てくることがありうるだろうか? 情報技術 (IT) 労働者は ‘甲-乙-丙-丁’ まで続く下請け構造、これにともなう長時間労働慣行がなくならない限りは不可能なことだと口をそろえた。
 ITベンチャーブームが真っ盛りだった1998年に業界に飛び込んで14年目、職場9か所を転々として通ったパク・ヨンオン (仮名・41) 氏は自身を‘IT土方’だと言った。パク氏はソウルデジタル産業団地のあるソフトウェア開発業者で仕事をしている。昨年には ‘甲’ である大企業との契約の関係上 ‘乙と丙’ の間くらいのちょっとはマシな所で最新型スマートフォンにソフトウェアを植える仕事をした。元請け業者が要求したソフトウェア開発完了期間は3か月. この期間にパク氏はほとんど毎日夜明かしをしたようなものだ。

 彼は 「一日の開発成果を送れば翌日には他の下請け業者からバグ (エラー) 目録を送ってくるが、あたかもコンベヤーベルトでねじを締めるような感じだった」 として 「このような環境でスティーブ・ジョブズのような人が出てくるということは有り得ない」 と話した。

 金融圏システム統合 (SI) ソフトウェア開発のフリーランサーとして仕事をするチェ・某 (29・女) 氏も 「一旦プロジェクトが始まれば正常な暮らしは不可能だ」 として 「10か月間サウナ定期券を買って1日に3~4時間だけ寝て働いたが、賃金と労働時間を計算してみると最低賃金にも至らなかった」 と話した。主に契約の関係上 ‘丙’ または ‘丁’ の役割を担うソフトウェア開発業者で仕事をする経歴3年目のキム・某 (28) 氏も 「元請けが提供する小さな会議室で一日中PM (プロジェクト マネジャー) の顔色を見ながら仕事をするが、夜勤をしなければ能力がないという評価を受ける」 として 「経歴が短い労働者は多段階下請け構造で被害者にならざるを得ない」 と話した。

 昨年ソウル南部地域労働者権利探索事業団 ‘労働者の未来’ がこの地域のIT労働者213人を調査した結果によれば、回答者の68%が週当り45時間以上働いたことが分かった。また、1日10時間を超えて勤務した日が1か月に20日を超えるIT労働者も23.5%にもなった。一般事務職労働者ではこの比率が9.4%に過ぎない。長時間労働は精神的・肉体的ストレスにつながる。回答者の10%は業務上脱尽を訴え、61%は腰・肩などに疾患があると答えた。

 民主労総情報通信産業労働組合はこのように劣悪な労働条件で仕事をするIT労働者が全国的に少なくとも15万人、多くて30万人に達すると推算している。

 ナ・ギョンフン情報通信産業労組事務局長は 「大企業の単価切りと多段階下請け慣行が消えない限り、IT労働者の暮らしは変わらないだろう」 とし 「政府がIT労働者に対する深層的な勤労点検・監督を通じて不当労働行為を根絶しようとする意志を示すべきだ」 と話した。


 「ハンギョレ新聞」 2011年10月10日
  「事故目撃後にうつ病自殺も業務上災害」
    「裁判所 『サムスン火災、保険金支給せよ』」

 列車事故を目撃してうつ病にかかった乗務員が自ら命を絶った場合、これを業務上災害と見なすべきだとする裁判所の判決が下された。
 ソウル中央地方法院民事合議16部 (裁判長 チェ・ポクキュ) は、自殺した列車乗務員イ・某氏の遺族チョン・某氏らが、サムスン (三星) 火災海上保険を相手に訴えた保険金請求訴訟で、「遺族に計1億ウォンの保険金を支給せよ」 との判決を下したことが9日、明らかになった。

 韓国鉄道公社に所属の機関士であったイ氏は2004年6月、列車を運行中、線路に横たわっていた泥酔者を轢く事故を体験した。泥酔者がその場で亡くなると、すぐにイ氏は直接、遺体を収拾して警察に引き渡し、それ以後、毎晩、発作症状を体験することになった。イ氏は2005年、「詳細不明の精神・身体性障害」 と 「うつ病」 の診断を受け、休職中に自ら命を絶った。その後、勤労福祉公団は約1億ウォンの遺族給与を支給したが、サムスン火災が「被保険者の自殺・自害は補償しない」という約款を理由に、団体障害保険の保険金支給を拒否すると、直ちに遺族は訴訟を起こした。

 裁判所は判決文で、「事故によって不安障害とうつ病など精神疾患が発生し、イ氏はこの疾患の症状である自殺願望により命を絶った」 として 「精神科疾患と業務上災害は、相当な因果関係がある」 と遺族側の主張を認めた。


 「ハンギョレ新聞」 2011年9月16日
  「[低い声] 灰皿投げられても喉首捉えられても… "愛しています、お客様"」
    「感情労働者の涙」

 あなたのご両親が亡くなっても笑わなければならないとしたら?
 一般人としては想像だに難しいことだ。だが、こういう状況に置かれている人々がいる。
 ほかならぬ ‘感情労働者’ だ。‘感情労働’ (emotional labor) という単語は米国の社会学者ラッセル ホックシールドが著書 <管理される心:人間感情の商品> で書き初めて世間に知られた。感情労働は本来の感情は隠し職業上他の表情と身振りをしなければならない状況を称する。美容業、コールセンター、販売職、カジノディーラー、スチュワーデスなどがこれに該当する。韓国ではまだ統計上 ‘感情労働者’ の項目が別になく、販売・サービス職従事者統計を根拠に630万人余りの感情労働者がいると推定している。
 ちょっと見には感情労働者は華麗に見える。労働をする場所がホテル、デパート、カジノのような消費の上層を占める空間であるためだ。だが、こういう華麗さの裏面に ‘蝕まれた心’ が存在するということが専門家たちの指摘だ。

 今回の ‘低い声’ ではカジノ ディーラー、デパート販売職に従事する女性感情労働者の声を聞いてみた。彼らは “中が腐る一歩手前” とし鬱憤を晴らした。以下の記事はインタビューを土台に独白再構成されたものだ。名前は全て仮名だ。

 特級ホテル カジノディーラー キム・ジョンミン氏

 こんにちは。 私はソウルにある特級ホテルのカジノでディーラーとして仕事をしているキム・ジョンミンといいます。 年齢は28才で経歴5年目です。初めて入社した時は私の特技である中国語を思う存分活用できるという夢を膨らませていました。しかし、教育を受けた時から何か変でした。基礎的なディーラー技術を習ってからは継続的に ‘忍耐’ 教育を受けました。 会社では "無条件に我慢しろ" とばかり言いました。"カジノという所はお金を得る人より失う人々が多いので、顧客が怒るのは当然だ" と言いながらです。教育を終えて現場に投入されると、なぜこらえなければならないのか実感できました。悪口くらいは基本ですよ。お金を失った顧客がテーブルを叩き、ののしり、乱暴を働いてもじっとしているほかはありませんでした。そのように教育を受けたからです。 韓国のお金で最大8千万ウォンまでベッティングが可能ないわゆる ‘大口’ 顧客たちにはより一層気を遣わざるを得ません。実際ディーラーに何の罪がありますか。自分たちが失敗してお金を失ったのに、なぜ私たちが災いをみな受けなければならないのですか。

  "お金を失い、なぜ八つ当たりするの
  灰皿投げるのは止めてください
  各種疾病にうつ病まで…
  あと5年やったら辞めます"

 私たちはタバコの煙にも無防備に露出しています。勤務が終われば喉に痰がいっぱいです。賭博する人々はなぜタバコをあんなにたくさん吸うんでしょうか。自然にテーブル上の灰皿も多くならざるをえません。ところで灰皿が最近、陶磁器からプラスチック製に変わりました。お客さんが腹が立てば投げるからです。よく知っている後輩はお客さんの投げた灰皿に当たって病院で治療を受けたこともあります。本当に生命の脅威を感じる程度まで達して初めてプラスチック灰皿に変えたんですよ。
 顧客たちの暴力はそれでも耐えることができます。あまりにひどければ保安要員が制止したりするからです。でも、外国人が自分たちの言語でするセクハラは本当に我慢できません。私たちが聞き取れないだろうと思って、あらゆるわい談をならべます。私たちはみな分かっていますね。 ほとんど全員が外国語を特技として選ばれた人々なのに、それが分からないと思いますか? ア、考えただけで怒りがこみあげてきます。

 勤務環境も劣悪です。朝6時~午後2時、午後2時~夜10時、夜10時~朝6時、このように3交代で回ります。一回時間が指定されれば2か月連続で勤めます。深夜班になれば2か月間 何をして暮らすのか、ぼんやりしています。一日8時間勤務で良いですって? 中間に昼休みもありません。ご飯を10分で食べなければなりません。そのためかディーラーたちの大部分が神経性胃腸病を持っています。ここに一日中立っていると首・腰・膝が全て良くありません。太陽の光を見られずに屋内生活だけする結果、うつ病症状も出てきます。精神科診療を受けている同僚も多いのです。私も3年目になって、からだが壊れていくのが感じられましたよ。風邪を引くとなかなか治りません。名節ですって? 外国人対象カジノなので国内の名節とは関係ありません。ストレス解消はどのようにするかですか? 大部分は ‘お酒’ です。不規則な勤務時間のせいで友人たちと会うことも難しく、仕事を終えて同僚たちとお酒を飲むのがストレス解消の全てです。からだはもっと壊れることですね。本当に、私はぴったり5年だけ働いて辞めます。ぴったり5年だけ。


 私はイ・ミョンジンといいます。今年35才です。ある外国有名化粧品ブランドの販売社員としてデパートを巡りながら通って17年間勤めました。元々は陸軍士官学校に行きたいと思っていた気の強い女子高生でした。高等学校を卒業する頃に父が倒れました。やむを得ず生計のために飛び込みました。先生の紹介で国内化粧品ブランドのデパート販売員として就職しました。私が熱心に働いたようです。およそ2年ほど仕事をしたところ、外国ブランドからスカウト提案がきました。その時から今までこちらで仕事をしています。17年間どうだったかって? 私の中がみな腐っちゃいましたよ。こちらの平均勤務期間が3~5年にしかならないのです。みな出て行きます。私のように10年を越す長期勤務者と新入社員だけがいる計算です。中間がいないのです。

  “パンフレットを引き裂いて顔に投げ付け
  トラブルが起きたと言って喉首つかまえ
  土下座して謝れとまで…
  家族だと考えてみて下さい”

 そのはずです。私もこれまで何度も泣き喚いて辞めようとしましたよ。でも生きていくことがそんなにたやすいものではありません。そうするうちに17年が流れましたね。私たちは1日に12時間程度勤めます。デパートのドアが開く前から閉じて整理する時間まで合わせればその程度になります。日曜祝日? エイ、そんなものがあるわけないでしょう。日曜祝日がデパートの稼ぎどきでしょう。週5日制? それはどこの国の制度でしょうか? 有名ブランド化粧品だから給与も高いかですって? 私たちは給与の30~40%がインセンティブです。化粧品をたくさん売ったか、売れないかによって給与が決まります。販売が低調な月は給与が少ないだけでなく、デパートから担当職員の交替要求までしてきます。毎月実績が出てくる度にビクビクですね。

 私は他の感情労働者たちも尊重します。でも、デパート化粧品売場の職員たちほど哀歓がある感情労働者もないようです。他のショッピングとは違って、化粧品を買いに来られる顧客はとても鋭敏になっています。大部分が皮膚トラブルのために苦労されたり、老化現象によるシワのために機嫌を損ねた女性の方が多いのです。こうした方々を対象に化粧品を売らなければならないため、どんなに苦労するでしょうか。

 デパート売り場はサンプル贈呈行事をたくさんします。パンフレットが発送されて当日になれば大騷ぎになります。限定数量なのですぐ品切れになるのは当然ですね。顧客はそのことに抗議します。パンフレットをビリビリに破って顔に投げつけます。紙で頬を打たれる気持ち、わかりますか? それに対して私たちは “申し訳ありません、お客様” と言うほかはありません。本社では ‘ミステリーショッパー’ (職員親切度を検査するための偽装顧客) をいつも入れてきます。 顧客が入ってきて出て行くまで、マニュアルどおりにしなければ、徹底的にチェックして人事考課に反映させます。だから‘無限服従’するほかはありません。

 私は全ての災難に遇いました。暴力団員が恋人にあげる化粧品を買っていってトラブルが出たとして、私の喉首をつかんで引っ張っていったこともあります。あるお客さんは土下座して謝れば許してやると大騒ぎをするなかで、実際にひざまずいたこともありますよ。ア、本当にその時のことを考えただけで涙が出ますね。3年前ぐらいには流産しました。ストレスのためでした。お腹の中で死んだ子供を産婦人科でかき出しました。そして3日後には出勤しました。職員がいないというからどうしようもありません。血を流しながらずっと勤務しました。それに耐えて今はマネジャーになりましたが、マネジャーになると一層顔色を伺うしかなくなりました。‘甲’であるデパートの言いなりになるほかはありません。デパートの化粧品チーム長が突然会食でも招集すれば、すべての化粧品コーナーのマネジャーが一ヶ所に集まります。そこで俗称‘妓生役’をするほかはありません。お酌をして、2次会に行って歌を一緒に歌ってですね。なぜそうすると思いますか? 本社人事評価項目に ‘デパートとの関係’ という項目があります。簡単に言えば、うまくやれということでしょう。それでも化粧品チーム会食くらいは理解できます。なぜ私たちと関連もない経理部会食に呼ぶんでしょう? 「今、経理部長がいるので来てください」 と電話で言って切るのです。行かないで済むと思いますか? 私が以前に仕事をしたデパートでは、あるチーム長がそのような会食の席でセクハラをして辞表を出したこともあります。

 最後に言いたいことがあります。お客さんの皆さん、皆さんが真に尊重されたいならば、デパート職員たちのことも尊重して下さい。自分の家族がそこで仕事をすると考えてみて下さい。心からお願い申し上げます。


 韓国の感情労働問題については、今年1月27日の 「活動報告」 でも11月28日付と30日付の 「ハンギョレ新聞」 を引用しました。
 PTSD、惨事ストレス、過重労働、感情労働など日本と同じ状況が起きています。
 日本でも同じですが、精神疾患に罹患することへの対応が個人の主体の問題、克服されるべき課題とされています。
 「社会の病」 は社会で解決しなければ治りません。そうしないと 「犠牲者」 は増え続けます。 
  
  
   
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