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自衛隊は何を守る?
2012/07/13(Fri)
 7月13日(火)

 6月29日、俳優の地井武男が亡くなりました。渋い役者でした。
 最初に地井武男を観たのは40年近く前、今井正監督の映画 『海軍特別年少兵』 でした。

 1943年6月、横須賀第二海兵団に14才になったばかりの少年たちが2等水兵として入団します。
 そこには、少年兵たちは子供なのだからと 「愛」 で導こうとする中尉の教官と、子供とはいえ兵隊なのだから 「力」 で持って鍛えようとする班長の教官がいます。2人は常にぶつかります。「愛」 は捕虜にしてでも何としても助けたいと思い、「力」 は兵隊として一緒に死んでやろうと決めています。
 「力」 が 「愛」 に叫びます。「助けようとするなら何故彼らを軍人にしたのです!」。
 年少兵たちが硫黄島に守備隊として赴きました。「彼らは望んで死を選ぶでしょう。そう育てたのはわたしであり中尉です・・・」
 この 「力」 の役が地井武男でした。かっこよかった。正しいか、間違っていたかの議論はさておき 「愛」 があった。

 学徒出陣は1943年10月です。その前に14歳の少年たちが入団していきました。
 少年たちは、特権階級の学徒にはない事情をそれぞれ抱えていました。(学徒出陣については、2011年8月13日の 「活動報告」・「『きけ わだつみの声』 を繰り返さないために」 参照)
 上官から志願の動機を聞かれます。
 1人は 「父のようになりたくないからです」 と答えます。「父親がどうした」 と聞かれた後、回想シーンになります。
 父親は、貧乏人は国からの恩義はないのだから国の為に戦う必要はないという持論を持っています。そのため 「アカ」 と言われて特高から拷問を受け、足が不自由にされました。そのように息子にも説き、息子と対立していました。
 「父親がどうした」 もう一度上官が聞きます。
 「父はびっこ (ママ) なのです」
 「そうか、お国の為に頑張れない父親の分もおまえが頑張るのか」
 父親の役は三國連太郎でした。三國はセリフではなく自論を説いていました。

 親を亡くした姉と弟。姉は弟を養うために娼妓になります。弟は姉に楽をさせようと志願しました。
 面会が許された日、姉はたくさんの手作りおはぎ入れた重箱を持って訪ねます。弟は事前に恥ずかしから来るなと伝え、来ると隠れて現れません。姉は仲間の年少兵たちに 「弟をよろしくね」 と頼みながらおはぎを分けていきます。
 育てあげた弟と会えないまま姉が帰っていく時の後ろ姿。苦労を背負っています。何ともさみしい、悲しい姿でした。姉を小川真由美が演じました。


 今の自衛隊には 「愛」 も 「力」 もありません。(自衛隊そのものが存在しなければ 「愛」 も 「力」 も必要ないのですが)
 昨年1月28日、横浜地裁は2004年に海上自衛隊の護衛艦 「たちかぜ」 の乗務員が “いじめ” が原因で自殺したいわゆる 「自衛隊のいじめ自殺裁判」 で、いじめがあったことは認めたが自衛隊の安全配慮義務違反はないと判断した判決を言い渡しました。「自殺の兆候を見せておらず、自殺は予見できなかった」 という理由です。遺族は控訴しました。

 自殺事件発生後に、海上自衛隊横須賀地方総監部は、乗員190人に艦内でのいじめについて尋ねた「艦内生活実態アンケート」を実施しました。しかし裁判でその存在を聞かれると 「破棄した」 と説明していました。
 今年1、2月頃、訴訟を担当する総監部法務係員の2尉が関連資料を見つけ、係長の事務官に報告しました。事務官は上司に相談しないまま3月5日、東京高裁に 「アンケートは存在しない」 との準備書面を提出しました。
 元指定代理人の3等海佐が、アンケートが存在すると原告弁護団に連絡をとりました。
 4月、原告側は 「海自はいじめの実態を示す文書を隠している」 という告発文を証拠として裁判所に提出しました。
 6月18日に開催された口頭弁論で、海上自衛隊は初めて関係文書7点の存在を認めました。
 同日、3等海佐は取材に応じ、「上官から 『組織を批判するなら、組織を出たからにしろ』 と言われた」 と語りました。
 6月21日、海上自衛隊は記者会見を行い、アンケートの結果が総監部内を調べたところ、監察官室のキャビネット内の個人ファイルに保管されていたことを明らかにしました。
 事務官は監察班の調べに 「事の大きさにどうすればいいのか分からなかった」 と話しているといいます。 
 残念ながら、自衛隊にはたくさんのいじめ事件が日常茶飯事発生しています。極めて陰湿で、悪質な事案もあります。その実態を自衛隊は容認しています。組織的、構造的問題です。
 これでは隊員同士に信頼関係が生まれません。日常的隊員の安全を守れなくて隊としての総合力を維持できるでしょうか。隊内に安全がなくて何の安全を保障できるのでしょうか。
 自衛隊は隊内のいじめ問題を隠ぺいして何を守ろうとしているのでしょうか。組織の存続、上層部の自己保身でしかありません。そして防衛産業との共存共栄です。

 自衛隊は1985年から自殺者数を発表しています。
 年間60~70人前後で推移していたのが2004年度に94人と初めて90人を突破、05、06年度も93人と高止まりしたままです。(制服組のみ)
 しかし動機についてのちゃんとした分析は行われていません。
 2003年7月26日に成立した「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法 (イラク特措法)」 により、12月26日の航空自衛隊員48人から現地への派遣が始まります。海外派兵はかなりのストレスを発症させました。自衛隊関係者も「イラクへの海外派遣やテロ関連警備の強化もストレス増になっている」 ことを認めています。
 自衛隊のような縦型ヒエラルヒーの社会では、恐怖からくるストレスを身近にいる下の者、文句を言わない者への理由のない暴力で解消します。それで個人的に強くなった気分になるのです。しかし個人として強くなれることには限度があります。恐怖感を払拭できません。暴力が繰り返されます。他の者も暴力を行使する者、受ける者双方に共感します。事件が連鎖していきます。
 集団社会において恐怖を払拭する手段は、まずお互いの信頼関係を強めることです。そして訓練を積んで自信をつけることです。消防庁ではこれを鉄則にしています。
 現在の自衛隊と消防庁のあり方の違いは東日本阪神大震災での救援活動でもはっきりしました。
 しかしそれ以前にあり方が根本的に違います。自衛隊は人を殺すための組織であり、消防庁は人を救助する組織です。人を殺すための組織に人権は根付きません。

 6月15日。1992年に 「国際連合の国連平和維持活動(Peace Keeping Operation、PKO)」 が成立してから20年目を迎えました。
 PKO法案阻止に向けて、社会党などは採決の投票に際して 「牛歩戦術」 を行使し、会期期限切れ廃案を目指しました。連日国会周辺にデモ隊が押し寄せ、国会内と外がひとつになって頑張りました。
 20年前の6月15日夜、日比谷野外音楽堂でPKO法案を認めない集会が開催されました。当時、社民連代表だった江田五月議員 (前参議院議長) は壇上で 『忘れまじ6.15』 の歌を涙ながらに歌い決意を語りました。 『忘れまじ6.15』 は60年安保闘争で亡くなった樺美智子さんを弔う歌です。
 PKO法は憲法9条をないがしろにしました。
 法案が成立すると政治再編が加速しました。

 今年の 「6.15」 は金曜日。国会の周囲には脱原発を叫ぶ市民が集まりました。そして回を重ねるごとに数が増えています。
 何かが確実に動いているように感じられます。 


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