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労働者にとって雇用不安が一番のいじめです
2012/07/31(Tue)
 7月31日(火)

 いじめ メンタルヘルス労働者支援センターは、7月27日に講演会「職場のいじめ・嫌がらせ、パワーハラスメント ~調査から見えてきたことと今後の課題~」を開催しました。講師をお願いした「職場のいじめ・嫌がらせ問題に対する円卓会議 ワーキンググループ」の委員であり、労働政策研究・研修機構研究員の内藤忍さんからは「提案」「報告」について詳細な解説と今後の課題について話をしていただきました。

 センターからはこの間の取り組みについて報告しました。
 以下は、その時のレジュメに加筆、文章化したものです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    報 告 
 
1、「円卓会議」開始まで
 2006年から、全国労働安全衛生センターは厚生労働省との交渉でいじめ・嫌がらせ問題への対策を要求してきました。
 2010年には、要求するだけではなく自分たちで取り組みの対応策案を作ってみようということになり「職場におけるパワー・ハラスメント防止対策ガイドライン(案)」を作成して発表しました。
 その中の「労働者が取り組むべき事項」には「(1)パワー・ハラスメント行為について認識を持ち、自らが行うことのないように注意する」「(2)パワー・ハラスメントを黙認あるいは助長する行為自体もパワー・ハラスメントであることを認識し、これらを行わないよう注意する」を盛り込みました。いじめ防止は使用者に委ねるのではなく全員が取り組むべき課題と位置づけています。
 「ガイドライン(案)」と全国のユニオンが相談を受けて解決に至った28の事例紹介を合わせてパンフレット『あきらめないで! 職場のいじめNO!』を発行しました。「事例から見えてきたこと」の分析と問題提起のなかで「なぜいじめやいやがらせが職場で起きてきているのか。一言でいえば、労務管理能力の欠如ではないか。いわゆる『暇な管理職』がリストラされつくした結果、人間関係を調整したり、合理化をするならするで、トラブルを生じさせないような工夫をする能力が、経営側になくなっている。」と指摘しました。労働組合も機能していません。

 労使関係が壊れ、その考え方が失われています。
 たとえば、団体交渉での使用者側の対応を分析すると業種で特徴が見えてきます。外資系企業は、ヘッドハンティングされた人事担当者は自己保身です。次に転職するまでの3年間は経歴に傷がつくようなことは起きないで欲しい、「問題を持ってくるな」いう思いからトラブルが発生しても労働者個人を責めて居直ります。会社の利害は考えません。IT企業の経営者は、会社は「おれの所有物」、財務は「おれの財布」、職場秩序は「おれの発言が就業規則」です。

 今、学校でのいじめ問題が連日マスコミで取り上げられていますが、学校は社会から隔離されていません。社会を写す鏡であり縮図です。
 大津市の教育委員会の記者会見について、7月10日の「活動日記」に書きました。
 「あの学校と教育委員会の記者会見の様子を見ていると、いじめや体調不良に陥った労働者をめぐる団体交渉での人事担当者の対応ともダブります。
 『事実があったかどうかわからない、会社として掌握していない』『周囲の者もだれも心当たりがないと言っている』『本人は普通に仕事をしていた。変わった様子はなかった』『本人は周囲から嫌われていた』『本人は虚言癖がある』『家庭がごたごたしているということを聞いている』……
 このようにしてかわせば逃げ切れると捉えています。」
 「職場環境の問題は人間関係の問題」ということが忘れられているというより否定されています。

 2011年1月28日の交渉で、厚労省はいじめ問題に取り組むための翌年度の予算化が認められたと回答しました。3月28日の交渉では取り組み方法を検討していると回答しました。参加者からは「禁止項目羅列だけのガイドラインではなく、こうしていじめを減らそうという労使の努力項目を作成してはどうか」と提案しました。
   
2、「円卓会議」開始
 昨年7月から開始された円卓会議とワーキンググループに配布された資料に裁判判例が含まれています。
 他の委員会や検討会でもそうですが、出される「報告」や「提案」が司法からの追及されることをかわすために判例研究を重視します。
 「人間関係の問題」の検討を法律や判例から追うのは愚の骨頂です。職場環境、労働条件、人間関係が法律によるものになると「人間性」が消されます。せっかく斬新なことに取り組もうとしているのにいいものができるはずがありません。
 11月15日付で警告を込めた「意見並びに要請書」を提出しました。
 「裁判に現れた事件は、氷山の一角に過ぎないのです。加えて、判決は、事件を強制的に『終了』させますが、『解決』するわけではありません。『終了』と『解決』は違います。裁判でたとえ被告が勝訴したとしても、多くの場合、被害者の心の傷は癒えず、加害者は納得するのではなく、不承不承判決に従うだけであり、反省するわけではありません。判決によって、荒廃した職場の人間関係を再構築することはほとんど不可能といってよいでしょう。判例は労使紛争解決の失敗例です。」
 
3、円卓会議の「提言」
 「提言」はどう評価できるでしょうか。
 それぞれの立場からの取り組みとして「トップマネージメントへの期待」がトップに掲げられていることの意味をきちんとおさえておく必要があります。
 これまではややもするといじめは個人的問題として捉えられ、使用者や上司は末端を処分して事足れりとしてきました。トカゲのしっぽ切りをして責任回避してきました。

 いじめは個人的問題ではなく、構造的問題から発生しているという捉え方が希薄です。個人的問題と捉えると、予防・防止策も個人的対応に終始します。
 ワーキンググループの「報告」は最後を「全ての社員が家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さんであり、お母さんだ。そんな人たちを職場のハラスメントなんかでうつに至らしめたり苦しめたりしていいわけがないだろう。」という言葉を紹介して締めくくっています。
 誰に対して発せられた言葉かはわかりませんが、職場、同僚の問題を家族を通してしか発見させていません。
 家族の利用は自殺防止キャンペーンでも行われています。「お父さん眠れてますか」
 家族は見えても、会社が見えていません。いずれも職場から問題の本質が発見できていないのです。

 いじめは、実際は会社ぐるみ、会社の指示、暗黙の了解、「社風」から発生している現象がほとんどです。解決にあたっては構造的問題にメスを入れる必要があります。それが「予防」にもつながります。
 競争と排除は労働者を孤立させ、長時間労働とストレスをもたらします。「うつに至らしめたり苦しめたりし」ます。労働者にとって雇用不安が一番のいじめです。雇用不安がトラブルを派生させています。

 パワハラという言葉に初めて概念規定が行われたことは歓迎します。今まで労使間には「ない」とい関係性がありました。概念規定があると交渉も楽になります。概念規定の内容についてはこれからの活用如何です。
 というよりも概念規定の解釈をめぐって「ここまでは大丈夫、許される」というような議論に終始する関係性はいい労使関係とはいえません。つまらない議論です。そのようにして解決しても問題の芽は残ります。根を絶やすという取り組みが必要です。

 ワーキンググループ「報告」は、いじめは「どのような関係の下で行われる」かについて注書きはあります。しかし「報告」全体は「職場」にせばめられています。社員以外は対象になっていません。
 使用者側への遠慮があると思われますが、やはり個人的問題としての捉え方から脱皮できていないからです。
 「社内」で実際にあったいじめの例を挙げます。
 1つは有名な事例です。派遣労働者が業務中に体調不良になり、保健室に駆け込みました。すると「あなたは社員ではないからここで診療を受けることはできません」と断られました。派遣労働者には非常時にも立ち入り禁止の領域があるのです。保健室は会社が定め、社員が了解していた禁止の領域です。
 2つ目の事例です。正規労働者と非正規労働者が1つになって構成されている労働組合の定期大会が開催されました。代議員として双方の組合員が出席しています。慶弔費の規定変更の提案がありました。正規労働者が発言しました。「非正規労働者は組合費が安いんだから給付額に差をつけるべきだ。そうしないと不平等だ」
 正規労働者と非正規労働者は身分に加えて冠婚葬祭への対応にも差があって当然という主張です。だれも反対する者はいませんでした。“もちろん” 非正規労働者は反対できません。
 社員のこのような認識は日常的に職場で培われているものです。処遇の格差は当然のことと捉えられています。“いじめられる”側の状況や心情を知ろうとしません。
 雇用形態の違い、格差は労働者個人としては克服できない課題です。しかし「人間扱い」しない処遇・人権感覚の欠如がはびこっています。労働者にとって差別は二番目にきついいじめです
 いじめが起きる原因は、個人のモラルや捉え方、価値観に問題があるからではありません。使用者にとって、同じく労働組合もこれまでの認識からの大きな転換が必要です。

 関連会社、下請会社は親会社からの命令・通告に従うことでしか存続できません。我慢を強いられます。親会社は“いじめられる”側の状況を知ろうとしません。いやいじめることが出来る対象を存続させることによって自分たちだけのアットホームの現状維持を追い求めます。関連会社、下請会社は調整弁です。このような親会社にいじめが起きないはずがありません。同じ構造は社内にも存在します

 顧客への遠慮ない罵声、住民の行政窓口でのストレス解消のための暴言、モンスターペアレントは、労働者が自分の職場環境のなかで蓄積されたストレスを、反論、抵抗されない対象をとらえて発散させる手段になっています
 労働者が労働者をいじめています。悲しいことです。

 いじめは職場、学校、家庭、軍隊などで独自に起きている問題ではありません。根底に人権や尊厳の意識が欠落させられ、慣らされているという実態があります。
 「いじめは連鎖して“起こされる”社会的問題」です。このような視点からの社会運動を盛り上げていかなければなりません。

 EUは、いじめ問題を社会が生み出した「新たなる社会的排除の問題」として対応、解決しています。日本とは大きく違います。

4、「カウンターレポート」
 円卓会議の「提言」が出されることに対抗して「カウンターレポート」を作成して発表しました。(「カウンターレポート」は、「いじめ メンタルヘルス労働者支援センター」のホームページ ―→ 「要請・提案」から読むことができます。)
 期待を込めました。
 「同じ職場で働く者全員が、互いに気持ちよく働き、協力しあう関係を築くことを望んでいる。そのためにはいじめ・嫌がらせ行為が発生しないような、発生しても芽のうちに摘発して摘むことができるような快適な職場、それが“あたりまえ”と考える社会を望む。」
 いじめを起こさせない職場、風通しのいい職場を期待します。雇用不安のない、理不尽な差別がない、お互いの存在を認め合い、理解し合える職場です。いじめに敏感に気づく、気づかせる、そして起きた場合は芽のうちに摘める、つまりは物言える職場です。敏感に気づくためには、チェックリストによる“気づき”ではなく、いじめはつまらないものという感性・価値観の習得による肌感覚での気づきができる職場環境・雰囲気作りが必要です。
 個人が尊重されながら同僚と交流する中で経験を検証して豊富化させ、自己を確立させて行くことができる職場は安心して働くことができ、総合力が発揮できます。会社の利益にもつながっていきます。
 そのためには、自分たちの職場環境を自分たちで作り上げて認識を共有する”仲間”が必要です。対論を提供する労働組合の存在が必要です。その存在が自浄する能力をつけ、最強の予防になります。
 いじめが起きてしまっても、会社や職場、労働組合が自力で解決したという自信は労働者からの信頼を呼びます。自力で解決した経験は会社の財産です

 逆に、問題が発生した時、解決を外部機関や第三者に依存することは使用者に解決能力がないことの暴露です。クレーム処理、事後処理としか捉えないで他人任せで解決しようという姿勢は不信感を増幅させます。そこに共通する姿勢は責任転嫁です。いずれも本当の解決には至らず、問題を再発させます。
 「電通過労自殺事件」は、社会的にメンタルヘルスケアの取り組みの必要性を確認させましたが、電通においてはその後も過労自殺者が出ていると聞きます。
 そもそも外部機関や第三者は職場を知りません。紛争解決はマニュアル通りにはなりません。対象が「人間」だからです。だから個人的解決を迫ります。時には「価値観を変えろ」「性格を直せ」と迫ります。人格否定は暴力行為です。
 そのような職場では、労働者は諦め気分で業務遂行します。成果が上がるはずがありません。

 EUの政府と使用者は、メンタルヘルスケアやいじめ問題にリスク管理の問題から取り組みを開始しました。「休職者や失業者は、生産性はゼロ。納税しない。社会福祉、税金から支援を受ける。もったいない。」という発想です。支出削減、休職者や失業者により早く納税させるという政策をとりました。そのためにリハビリや職業訓練も充実させました。政府と使用者が労働者のことをおもんぱかってのことではありません。しかし労働者にもメリットがあります。
 政府と使用者と、労働者の要望が合致する部分の政策は推進されました。その中で政府と使用者側は積極的に取り組むことのメリットを確信し、現在はポジティブに対応しています。
 日本は社会的リスク管理が放置されたままです。税収減が危機感をもって叫ばれながら失業者、休職者増の問題は放置されています。休職者が増大して健保組合の9割が赤字になっていますが隠されて深刻な状況が表に出されません。
   
5、きちんと取り組んだ成果
 EUではメンタルヘルスケアやいじめ問題に取り組んだ成果を公表しています。
 雑誌『公衆衛生』(医学書院発行)2010年1月~3月にジャーナリスト・山本三春さんが「働く人と健康 フランス在住ジャーナリストの立場から プシコソシオ問題(職場のメンタルヘルス)で闘いを開始したフランス」を連載しました。
 そのなかで2002年1月に施行されたいわゆる「モラルハラスメント」法規制を含む『労使関係現代化法』の制定の成果を紹介しています。少なくても3つの重要な成果をもたらしたと報告しています。
 「1つは、罰せられるようになったことで、犠牲者自身が苦悶を乗り越え、堂々と提訴して救済される事例が増加した。
 2つ目は、判例が蓄積してきたため、何をすると認定されるか具体的に明確になってきて、雇用者、管理職、一般職員に至るまで“してはいけないことの自覚が高まり、抑止効果が生まれている。
 3つ目は、モラルハラスメントが原因で労働災害に認定されるようになると、職場での予防、改善するうえでの巨大な武器となっている。」

 2007年、ILOは『安全で健康な職場 ディーセント・ワークを現実にする』を発表しました。そのなかでイギリスの例を紹介しています。
 「労働安全衛生が良好であれば、企業レベルでも国レベルでも生産性は向上する。イギリスの労働安全衛生機関で三者構成の『安全衛生庁』の調査によると、主な企業20社で生産性の向上が見られた。調査結果を以下にまとめる:
 安全衛生とビジネス上の利益―イギリス安全衛生庁の事例研究

 労働災害や不健康を防止するための積極策を講じることによって、1年もしくは数年にわたってビジネス上いくつかの利益が得られた。例えば、
 ・欠勤率が大幅に下がった
 ・生産性が向上した
 ・工場が良好にメンテナンスされるため、相当額の節約ができた
 ・損害賠償や保険金支払いが大幅に減額した
 ・顧客や請負業者との関係が改善されて、企業イメージや評判が高まった
 ・契約予備審査の点数が高くなった
 ・仕事に対する士気、意欲、集中力が増して、労働者の幸福感が高まった
 ・労働者の定着率が高まった」

 いじめ問題に取り組むことは、労働者が安心して、安全に働ける快適な職場環境をつくりあげることであり、その成果は社会全体で共有することが出来ます。 
 
  
   
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「炭坑節」 は労働歌
2012/07/27(Fri)
 7月27日 (金)

 毎年、学校が夏休みの間に我慢を強いられる日が4日あります。7月20日過ぎと8月20日過ぎの土・日の夜6時半から9時まで、隣の小学校の校庭で盆踊りが開催されます。音楽に太鼓と鐘が合わさった振動が伝わってきて何もできません。
 9時過ぎ帰宅の予定を立てるようにしますが忘れると悲劇です。
 今年は忘れてしまいました。しかし日曜日には8時過ぎから音楽が聞こえなくなりました。雨が降り出していました。それに気付くと、せっかく子供たちは楽しみにしていたのにかわいそうという思いが湧いてきます。人間は本当に天邪鬼です。

 盆踊りの曲には、若者向け、地元の歌にまじって 「炭鉱節」 が使われます。炭鉱、石炭などを知らない世代が増えています。今どれくらいの人がこの歌詞を理解できているでしょうか。

   月が出た出た 月が出た
   三池炭坑の うえに出た
   あんまり煙突が 高いので
   さぞやお月さん けむたかろ
     サノヨイヨイ

 そもそもこの歌のルーツは明治末期の筑豊・田川の三井 「伊田の炭鉱」 だといわれています。新しく発掘された炭坑への希望の歌でした。ですから元歌の歌詞は 「三池炭坑」 ではなくて 「伊田の炭鉱」 で、「三井田川坑」 とも歌われたようです。
 「伊田の炭鉱」 がどうして 「三池炭坑」 になったのでしょうか。 
     
 終戦によって 「勤労報国隊」 が引き揚げ、強制連行された朝鮮人・中国人、そして俘虜などが解放されると炭鉱の労働力は激減しました。また、資材不足や戦時中の乱掘により坑道は荒廃しています。45年秋の枕崎台風は筑豊を直撃して120あまりのヤマを水没させました。
 GHQ (連合軍総司令部) と政府は、エネルギーの供給がなければ、経済再建と活性化はないと電力、鉄道、鉄鋼そしてGHQ用の暖房のため石炭の増産政策を打ち出します。
 46年12月24日の閣議で 「鉄鋼、石炭の超重点的増産の経済危機突破方針」 を決定、いわゆる 「傾斜生産方式」 が採用されました。経済復興のために生産システムを鉄と石炭に傾斜せよという有沢克巳東大教授の提言に基づいたものです。
 48年4月には炭坑国家管理法案が施行されましたが、施行後わずか1年2か月で廃止されました。

 GHQもラジオや新聞などでの石炭増産のキャンペーンを奨励しました。そのテーマソングのひとつが編曲された 『炭鉱節』 です。おそらく戦後最初に広く歌われた労働歌です。
 「長い間に大抵の炭坑作業唄が忘れ去られる中でひとりこの炭坑節だけが、炭坑人はむろんむしろ炭鉱以外の人たちからも好まれ、かつ愛された。敗戦後の絶望に似たあの時代に、この唄は明るく生きよと奮起を呼びかけた。」 (伊藤時雨著 『うたがき炭鉱記』)
 確かに戦後とはいっても、平和・反戦を希求する歌にも軍歌調が多いなかで、明るくてテンポがいいです。だから半世紀以上も経った21世紀にも歌い継がれているのです。
 そのときに 「伊田の炭鉱」 から 「三池炭鉱」 に変えられました。
 キャンペーンの成果はあったようです。(昨年9月27日の 「活動日記」)

 45年10月23日、政府はGHQの指令で 「労働法制審議委員会」 を設置、12月22日には 「労働組合法」 が公布されます。インフレがすすむなかで生活保障の闘争として公務員は職場ごとに、旧軍関係の輸送、通信などを完全掌握していた事業体はそのままの機構に労働組合を結成していきます。自治労、教組、国労、全逓などです。
 民間は財閥や巨大企業を中心に、内部で自然発生的に企業別組合やその連合体を結成していきます。たとえば三井鉱山、三菱重工、東芝、日立などです。
 46年8月からGHQの指示で財閥解体の事務作業が開始されますが、その前に財閥の事業所、工場単位でいわゆる 「企業別労働組合」 が結成されました。46年8月上旬に日本労働組合総同盟 (総同盟)、8月下旬に全日本産業別労働組合会議 (産別) が結成されました。しかし半分以上の組合はいずれにも属しませんでした。
 
 三池労組は、終戦直後に戦時中の産業報告会を基盤にして結成されます。
 「(45年) 10月15日、三井鉱山本店 (全国本社) の労務課長は委員の改選を基礎とする産報の改組、再編成について指示・通達を各鉱業所に発した。12月1日に結成されたこの労働組合準備会は、改選された産報委員がそのまま横すべりしたものであった。……
 しかし、親子二代三代と閉鎖された 『三井王国』 にのみ生活をつづけてきた三池の労働者にとっては、たとえ不満はあっても三井に逆らうことはおろか、『王国』 の外におこっている歴史のうねりを鋭敏にキャッチすることはできなかった。だから会社が音頭をとる産報組織と労組準備委も、なんのためらいもなく、とうぜんのこととしてうけとめられたのである。むしろもっとも関心がはらわれたのはそれが総同盟系であるか、産別系であるかを問わず 「王国」 以外からの指導を排除するということであった」 (三池労組編 『みいけ20年』)
 12月17日、最初の労働組合が三川鉱で結成され、ついで各鉱所で準備会が始まり、46年1月14日の単一組織結成準備会事務局の発足に至ります。職種を越え、末端労働者まで組織した企業別組合 (ハウス・ユニオン) が成立します。5月19日には資本別連合として西日本三井炭鉱労働組合連合会が結成され、中立系の全国的単一組織の結成を目指します。
 三池労組は 「三井王国」 内の中立系組織として模範生でした。炭労の他の労働組合が活発な活動を開始する中にあっても労使協調の活動を展開して行きます。
 なおかつ三池炭鉱は三井系列鉱山のなかにあって採炭量は他を抜いていました。
 三池は炭鉱も労働者も 「模範生」 でした。そのことが 「伊田の炭鉱」 が 「三池炭鉱」 になった由縁だといわれています。
 そして昨年10月7日の 「活動日記」 に書きましたが、地球の反対側でも 「三池闘争」 の思い出のなかで歌い継がれています。

 三池労組は労使協調の企業別組合から出発しましたが、職場に根を張る活動を続け、力をつけると炭労の他の労組を牽引する位置を占めるようになります。53年の 「英雄なき113日の闘い」 に勝利し、保安の問題などを追及するなかで、職場単位で労組との交渉権を認める、いわゆる 「現場協議制」 を勝ち取りました。そして三池闘争に至ります。
 企業別組合イコール非戦闘的ということではありません。三池労組はもっとも戦闘的な企業別組合でした。
 
 三池は、筑豊・田川の 「伊田の炭鉱」 から歌を奪いました。
 しかし、元歌の煙突は、今は田川市石炭記念館の前庭に設置されて本家を主張しています。
 筑豊は文化は豊かです。山本作兵衛さんが描いた600点近くの炭坑画や原稿などのユネスコの世界記憶遺産があります。「青春の門」 を始めとする小説もたくさん書かれています。
 そして 「炭坑節」 のほかにも古いもの、新しいもの合わせてたくさんの歌が作られて歌い継がれています。
 その中の1つに80年代にテレビから流れた 「筑豊の子守唄」 があります。

  1 遠賀河原に 菜の花咲いたよ
    勝盛山から 八木山へ
    桜花見に 行ったよね
    そうくさ そうばい そうやろが
  2 遠賀河原で 魚を採ったね
    石炭 (すみ) で濁った 川ん中
    汚して母ちゃんに 叱られた
    そうくさ そうばい そうやろが
    ボタ山のある町 お前の生れたふるさとよ
  3 遠賀河原で 英彦山 (ひこさん) 見えるよ
    採銅所から 香春町 (かわらまち)
    ホタル追いかけ 遊んだね
    そうくさ そうばい そうやろが
  4 遠賀河原に すすきが揺れるよ
    福智山から 上野峡 (あかのきょう)
    団子飾って 月見した
    そうくさ そうばい そうやろが
    ボタ山のある町 お前の生れたふるさとよ
    ボタ山のある町 お前の生れたふるさとよ
 

 炭鉱は消えても、炭鉱労働とそれに従事した家族やその仲間たちを誇りに思い、忘れまいとする心情が伝わってきます。
 
 三池炭鉱が閉山する日に掘った石炭を三池労組関係者の方からいただきました。接着剤を水で薄めた中に漬けて乾かす作業を何回か繰り返すと本当に 「黒ダイア」 になります。お盆の上に白い石を敷きその上に載せて飾っています。
 そして、IMCの事務所の入り口には、北海道・太平洋炭鉱の石炭を飾っています。 

  
   
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電気の功罪
2012/07/24(Tue)
 7月24日(火)

 7月12日、群馬県・富岡市にある富岡製糸場とそれに関連する絹業文化遺産群が、文化庁文化審議会世界文化遺産特別委員会において世界遺産に推薦することが了承されました。世界遺産登録は間もなくです。
 富岡製糸場は、明治政府が明治5年10月に官営工場として創業開始した後、明治26年10月に三井家、明治35年9月に原合名会社、昭和14年 (1939年) に片倉製糸紡績会社と所有者が移り、1987年に操業停止になりました。しかし建物の取り壊しは免れ続けました。工場設立の計画段階から設置場所の選定、建造物の設計、機械導入、技術指導はすべてフランス人の技術者ポール・ブリューナに任せられました。そのためフランスにとっても富岡製糸場は文化遺産なのだそうです。建物は和洋折衷で、資材は周辺からの調達ですが、当時の日本の職人たちの技には感嘆します。

 上信鉄道の上州富岡駅を降りると富岡製糸場に至る道筋には世界遺産を期待する幟旗が林立しています。地域を挙げての期待していました。富岡製糸場だけでなく商店街も古い街並みを保存していて街全体がレトロの気分を味わえるようになっています。

 話がそれますが、商店街の店は、ベストセラーになったこうの史代の漫画 「夕凪の街」 が2004年に映画化された 「夕凪の街 桜の国」 のロケ地にもなりました。
 「夕凪の街」 は、広島に原爆が投下された後、生き延びて原爆スラムで暮らす女性の主人公の心情を描いたフィクションです。多くの人々を見捨てて生き延びたことに罪悪感を抱き続けます。プロポーズされても、1人だけ幸せになることはできないと断ります。
 体験したことを語り継いで生きていこうと決意して罪悪感を吹っ切ろうとします。しかし時を同じくして被爆した体調は悪化し、床に伏してしまいます。
 登場人物の名前はみな、広島市内の町名からとられています。主人公は平野皆実です。兄弟は霞、翠、旭です。作者の広島へのこだわりです。
 ちなみに、栗原貞子の詩 「生ましめんかな」 のモデルの子 (平和の子) さんは、現在、翠町に住んでいます。

 この漫画を読んで、島根県の引き籠りだった女子高校生が勇気をもらいました。
 彼女は、2004年8月6日、映画のロケにも使われた太田川の上流の土手で、漫画のストーリーを1人芝居に脚本化して演じました。1945年の8月6日を連想しながら炎天下、観客は土手に座って鑑賞しました。
 演じた後の彼女の挨拶によると、40年前の被爆者の決意と命の尊さが伝わり、救い出されたということでした。

 話を富岡製糸場に戻します。
 明治政府は近代化政策として 「富国強兵・殖産興業」 を掲げました。当時、外資獲得のための輸出品の第1位が生糸、第2位がお茶でした。
 富岡製糸場の操業開始にあたっての女工の募集は、大蔵省勧農寮の名で各県に 「諭告書」 が通達され、各府県に人数を割り当てられました。技術を習得し、帰省して地方の指導者とすることを目的にしました。
 ブリューナは明治8年12月まで指導に当たります。住居は、工場の敷地内に、後に学校とし改造されましたが残っています。大きいです。ブリューナの報酬は月600円です。女工は1年から3年の契約で、賃金は一等女工が年収25円の能力給でした。
 世界遺産ということで建物の説明はホームページなどでも詳しく行われています。工場は明かりを多く採り入れる構造になっています。まだ電気がなかった時代に、手作業と品質管理には外からの明かりが便りでした。ランプの煤は生糸を汚すという理由などで使用されませんでした。
 そのため創立当時の就労時間は 「女工は払暁に食し、蒸気鳴管を待て場に登り、朝7時業につき、9時半時間休む、12時に食し、1時間休み、4時半帰宿す。大約日出より日没半時間前を度とす」 です。夏は長く、冬は短くなります。1週間に6日働き、1日休みでした。
 原合名会社になった明治の末ごろからガス灯が使用されて就労時間が延びていきます。
 地方都市では明治20年代終わりころから電灯が普及し、深夜業が進みました。
 富岡地方に電灯がつくのは大正になってからです。

 電力は 「経済」 を発展させましたが労働者に健康被害をもらしました。昨今の状況と似ています。
 体調を崩して亡くなり、富岡に葬られた女工も多く出ました。
 「ノイローゼになり、取りとめのないことを大声で叫び、ついには寄宿舎内の井戸に投身した、さいわい生命に別条はなかった」 (たかせとよじ著 『官営富岡製糸所工女資料』) というような状況もありました。
 若いというよりはまだ幼い女工が全国各地から集められました。生活習慣も違えば言葉もちがいます。今でいうコミュニケーションをとるのは大変でした。そのためホームシック、ノイローゼに陥った者がたくさんいたと想像されています。
 群馬県下の明治17年から33年までの死因別死亡者数は、トップが消化器病、2位が神経病および五官病、そして呼吸器病の順でした。富岡製糸場でも、全国の製糸工場でも同じ傾向でした。

 全国の製糸工場・綿紡績工場というと呼吸器病、肺結核が問題になりますが、電気の普及によって機械化が進み、労働時間が長期化するにつれて急増しました。
 明治15年、大阪紡績会社 (現・東洋紡) が設立されました。開業時からランプを使って1日2交代で深夜労働も行っていました。翌年電灯が導入されます。それ以降、電気が普及した地域では深夜労働が取り入れられ、全国に波及していきます。
 製糸工場・綿紡績工場は管理職以外はほとんど女性労働者です。当初は都市貧民層や近傍農村から集められましたが、明治26年に富岡製糸場が三井家に121460円で払下げされる頃には、労働力の需要が拡大し、遠隔地からの募集が本格化しました。前貸金により人身拘束されたうえに低賃金でした。労働時間は、平均13時間から14時間、長い時は17時間から18時間にも及んだという記録が残っています。

 製糸工場主は女性労働者が賃金の高い、労働条件のいい工場に移るのを防ぐため、「製糸同盟」 を結成しました。その結果は女子労働者を工場に縛り付け、自由を奪うことになりました。
 一方、明治から大正にかけて女性労働者を送り出す地方の役場、学校関係者、家族らは 「労働保護組合」 や 「女工供給組合」 という名称の組織をつくり、見るに耐えられない労働者の争奪、工場内での非人間的待遇にたいし、工場視察や未払い賃金の代理交渉などさまざまな活動をおこないました。
 「製糸同盟」 は、大正の中ごろから労働組合運動の進展のなかで解散させられていきます。1927年長野県で設立された小作組合連合会は綱領のなかで 「製糸労働者の両親に自覚を促し製糸労働組合を組織すること」 を盛り込み、労働者と農民の協力を提唱しました。そしてまだ残っていた製糸同盟を廃止させました。
 労働者の悲惨な実態を監視し、送り出す地方は、挙げて改善要求をします。そして小作農民は共闘を呼びかけました。社会に共存・協同の関係が存在していました。
 
 女工の労働環境に取り組んだ経営者もいました。
 21年7月、倉識紡績社長大原孫太郎は、万寿工場の敷地内に医学と心理学を主軸とする生物学的研究という内容を示す名称として大原社研労働科学研究室を開設します。日本での労働衛生の最初の研究機関です。さらに倉敷紡績では工場法法制定に先立って深夜業を廃止します。 (2012年4月20日の 「活動報告」)


 富岡製糸場とそれに関連する絹業文化遺産の中には高山社と蚕業学校も含まれます。
 高山社は、明治17年、高山村 (現・藤岡市) の高山長五郎が 「清温育」 と名付けられた養蚕技術改良の普及のために興した民間結社です。そして明治34年に実業学校高山社蚕業学校を開設します。

 最近の 「協同組合」 の講習会で歴史が語られる時、最初に登場する人物が二宮尊徳です。
 「弱者の協同の経済活動という点で見るなら、日本におけるその源流は、江戸時代の末、19世紀前半にさかのぼることができます。
 ……金次郎という名前でも有名な二宮尊徳が、今の神奈川県の小田原につくった小田原仕法組合です。その設立は、ロッチデール組合の設立の前年1843年 (天保14年) のことでした。(小田原報徳社の前身)。これは小田原藩の下級武士の相互扶助組織で、尊徳が出した160両という基金をもとにして貧乏な藩士たちの間に無利子の貸付などをして助け合いを進めました。この組合は、のちに各地につくられた報徳社という組織に発展していきました」
 「販売組合では、幕末の開国以来、重要な輸出品になっていた生糸や茶の産地で続々と協同組合的な組織ができていきました。それは商人に買いたたかれたり、また粗悪品の取り扱いによって信用を失うことを防ぐためのもので、たとえば、生糸販売組合では、各農家が作った繭を協同工場に集めて生糸にひき、そこで輸出に向く商品に仕上げて、組合でまとめて販売したのです。それは 『組合製糸』 とよばれて、協同組合による加工・販売の始まりになりました。また、明治の中頃になりますと、魚肥などの肥料を共同購入する農村購買組合のはしりも現れはじめました。」 (協同組合経営研究所発行 『入門協同組合』)
 高山社もその一つです。

 「民権結社はたいがい学習結社を核としているが、その前に、政治結社でもあった。ただ、生まれながらに選択の余地のないものとして与えられた血縁同族集団や、地縁的、運命的な共同体からはいったん切れたところで、あらためて意識的、自覚的につくられた組織であった。……古いものから脱却して新しく自由でありたいという願望とそれへの強い意志が働いている結社なのである。つまり理想主義的で、未来志向型である。」 (色川大吉著 『自由民権』 岩波新書)
 人びとの英知は、協同活動においては倍して発揮されます。このような農民や自営業者の自立した活動が「民権運動」として各地に登場します。政治的活動だけが自由民権運動と捉えると民衆の生き生きとした活動を見失います。
 
 電力によって人びとの生活は良くも悪くも変えられました。
 「経済」 が電気を活用し始めると同時に人びとは電気に支配され、人びとの共同体、共存・協同の関係は壊されて行きます。
 「経済」 は原発をも受け入れました。人びとも受け入れました。しかし原発事故は社会構造全体に捉えかえしを迫っています。そして新たな人間関係の構築に向けた模索が始まっています。   
 
  
   
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 福島原発と安保、三池の 「対話」
2012/07/20(Fri)
 7月20日(金)

 7月20日は金曜日です。東京は夕方雨が降っています。国会前に集まって来る人たちは傘を準備していただろうかと気になります。
 「脱原発」 を訴えるこの力はどこから生まれて来るのか考えさせられます。
 1つには、7月10日の 「活動報告」 に書きましたが、安全を追求するなら原発を廃止するのが一番手っ取り早い解決策であるという結論に至っているからです。
 福島原発事故に対するそれぞれの事故調査報告書は、結論が調査前から見え見えで自分たちに都合のいいものばかりです。1つの出来事に事実がたくさんあるなら自分で真実を追求するしかありません。
 そしてもう1つは、自己表現・主張の問題です。
 政治思想史を専攻する石田雄東大名誉教授は 『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』 (唯学書房) を出版しました。そこで次のようなことを語っています。
  「どうして現代の状況が戦争中の状況と私は似ていると思うかというと、対話の可能性が非常に低くなっ
 たからだということなんです。つまり、軍隊とは、命令はその是非を論じ、理由を問うてはいけないところ
 です。そうするとそのかぎりでは、軍隊で反抗すれば戦地へ送られてしまうので、私は表向きは、ただた
 だきっちりと命令に服従し、それで生き延びてきたわけです。その代りに思考する能力を失わされまし
 た。……
  対話というのは、共通面があって異質面があるという時にはじめて成立するわけです。それには平等の
 関係と、今の両面を相互に承認するということがなくてはならないわけですが、そのことによって対話によ
 る思考の展開が可能となります。」
 この部分を読んではたと考えさせられてしまいました。

 国会は選挙民から選ばれた代表者が議論をし、政府を監視したり立法活動を行う機関、などと言うだけでこそばしくなってきます。誰も期待していません。それにかまけて政府は勝手なことばかりしています。上位下達への服従と支配です。選挙民は信用できないではなく、不信感が募るだけです。
 選挙民は選挙制度の変更によって政治と社会から遠ざけられました。主張する、反対する意識と手段を奪われてきました。思考する能力を失わされ、孤立させられて誰とも対話ができません。何か事件が起きた時、そこで感じる無力感は大きいものがあります。
 しかし原発問題は 「命」 に関わることです。直接行動による自己表現・主張に立ち上がるしか方法がありません。
 集会の呼びかけはツイッターやメール、口コミです。集まって来るたくさんの人びとと出会うだけで、お互いに自分の主張が間違っていないことを確信できます。

 思考する能力を失わされ、孤立させられて誰とも対話ができない状況は様々なところで発生しています。
 たとえば、会社から社員に一斉メールが流されます。上司からの業務指示がメールで流されます。同じフロアでもメールによる指示・連絡で事足れりという状況です。読んだという返信だけが要求されます。
 会社はこれで社員とコミュニケーションをとっていると主張します。しかし対話でもなければ、会話でもありません。通達・命令です。
 労働者もいつの間にか慣らされていきます。顔を合わせた朝礼は時間がもったいないと労使ともに言います。そのような職場は社員同士の日常的な会話も多くありません。人間関係の存在を否定されているのです。
 同じ職場にいながら同僚と接する機会もなく黙々と業務をこなします。そのことが自立、独立した働き方といわれます。しかし実際は、孤立させられているのです。フォローもないからミスが増えます。上司からの叱責も個人、対応策・改善方法を考え出すのも1人です。ミス・失敗の教訓が共有されません。職場環境は砂漠です。
 朝礼は時間がもったいないというリスク管理は、長期的にとらえるならばリスク助長になっています。社員の孤立化は、労務管理には有効でも生産管理上は桎梏になっているということが言われ始めて久しいです。
 経営者・上司や同僚と対話も会話も保証されない労働者は自己表現・主張ができません。自分だけは助かって生き延びようともがいています。

 しかし震災をきっかけに新たな出会いを作った人たちと、脱原発の共通した思いを抱いて出会った人たちは会話・対話を開始しました。社会に対して、未来に対して思考の展開を始めています。


 原発問題は、たくさんの問題を含んでいます。最近、「フクシマ」 が他のテーマと 「対話」 をしている本が出版されています。原発問題が水平思考で検討されています。
 その1つが 『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』 です。
 「原発を受け入れ、一度補助金という 『アメ』 を受け入れることによって多くの箱モノが作られると、やが
 てその維持管理に費用が必要となる。しかし他方では、時を経るに従って固定資産税という税収が減少
 していくという状況が生まれてくる。そうした時に、アメは麻薬へと変わり、次の原発を誘致しなければな
 らないという依存症の結果を招く。
  実は、同じようなことが安保についても起こっているわけで、『安保のおかげで日本経済は発展した』 と
 いう論調は、安保の犠牲を強いられた基地の町については、その犠牲は日本にとっては必要なものであ
 るとして、経済的に補助金を出すことでその犠牲は無視すればよい、という考えが背景にある。
  ただ、沖縄の場合には、基地の受け入れが軍事占領の結果で、いかなる意味においても自分で選んだ
 ものではないという点で、より深刻な問題を含んでいる。」

 熊谷博子著 『むかし原発 いま炭鉱 炭都 [三池] から日本を掘る』 は、タイトルのように2つが交差します。
 「三池の坑道は、さらに原発ともつながっていた。2011年3月11日以降、それまで裏に隠れて見えなか
 ったのが、明らかにつながるようになった。
  エネルギーというのは本当に、国の産業や経済、そして人々の生活を支える基幹の部分である。だから
 こそ、日本という国の政策と密接に結びついてきた。
  今回の原発事故で見た光景は、私がかつて炭鉱の出来事として知っていたこととあまりに似ていた。
  福島第一原発の水素爆発であがる白煙と三池炭鉱の炭じん爆発の黒煙、さらに、爆発で吹き飛んだ、
 原子炉を囲む建物と坑口前の建物。
  日本を動かすエネルギーを掘り、作り出してきた末端の労働者たちが、国の政策の中で翻弄されてい
 る。その炭鉱は廃坑になり、原発は廃炉となる。
  そう思いながら、日々流される記者会見を見ていた時にはっとした。
  そのままなのだ。
  情報を隠して出さない今の政府を当時の政府に、電力会社を鉱山に、マスコミなどで “安全” を主張、
 解説する原子力工学や医学の専門家たちを、当時の政府調査団の団長ら、御用学者といわれた鉱山
 学者たちに置き換えるだけでいい。
  必死に作業する原発労働者と、炭鉱労働者が重なる。
  炭じん爆発事故の時の原因隠しとまるで同じだ。
  人命や健康や安全性よりも経済を優先し、原因究明も進まず、修復もできないうちから、原子力発電を
 早く再開し、輸出までしようとする人々の姿も。
  産学官共同の悪い構図が、近代国家となった明治以降150年間、何もかわっていないのではないか、
 と思った。」
 三池の炭じん爆発事故における会社の責任は、刑事事件では不起訴になりました。
 「裏で巨大な力が動いていた。
  まさに国と企業と学会と司法ぐるみの隠蔽であった。
  松尾さんたちCO中毒患者家族会は、不起訴が決まった後、その理由を聞くために福岡地方検察庁に
 おしかけた。次席検事が言った。
  『労働者1人が会社に対いて行う貢献度よりも、三井鉱山が社会に対して行う貢献度の方が大きいと判
 断。その貢献度を起訴して潰してしまうことは大きな損失と判断して、不起訴と決定した』」

 原発問題に別個にアプローチが行われた2冊の本に共通したテーマが取り上げられています。チッソ・水俣病です。
 『安保と原発――命を脅かす2つの聖域を問う』 には次のように書かれています。
 「戦前、植民地朝鮮で 『労働者を牛馬と思って使え』 という方針をとっていたといわれる朝鮮チッソの社
 員が、戦後日本に引き揚げてきて水俣のチッソで働くようになり、中には工場長になった人もいた。そうし
 た背景もあり、水俣のチッソにおいては、地域を公害によって犠牲にしても、それを意に介さない企業体
 質が生み出されたのだと思われる。……
  『チッソという企業が地域の繁栄を支えているのだ』 という神話を基礎にして、チッソは下請け労働者を
 酷使した。たとえば、工場の生産設備を修理する時にも、生産を止めずに行うので、多くの事故と負傷者
 を生み出したのはその一例だ。
  そして何よりもチッソは、『汚染された海で漁民が水俣病になっても、それは企業の繁栄のためだからし
 かたがない』 と、水銀汚染の事実に対して意に介することはなかった。」

 『むかし原発 いま炭鉱 炭都 [三池] から日本を掘る』 には、新日窒労組の委員長だった山下善寛さんの発言が紹介されています。
 「公害は、まず発生源の工場内で労働者が病気になる兆候があり、次に外の地域住民の間にさらに大き
 く被害が広がる。だから、『工場内の労働災害、職業病に対する十分に闘っていたならば、水俣病を起こ
 さないですんだし、また被害を最小限に止めることができたかもしれない。しかし私たちは、初期の段
 階でそれを闘わずに、被害者である患者に敵対していた。自分たちだけよければいいと、労働者の賃上
 げや労働条件向上の闘いに終始し、むしろ会社側に味方するという恥ずべき行為を行ってきた。そのた
 めに、悲惨で世界に例を見ない水俣病事件を起こしてしまったのではないだろうか』 (熊本学園大学
 ・水俣学講義から)」
 このような考えの中でチッソ水俣工場の第一組合は1968年、「恥宣言」 を出しました。
 「闘いとは何かを身体で知った私たちが、今まで水俣病と闘いえなかったことは、正に人間として、労働
 者として恥ずかしいことであり、心から反省しなければならない。会社の労働者に対する仕打ちは、水俣
 病に対する仕打ちであり、水俣病に対する闘いは同時に私たちの闘いなのである」

 チッソに責任追及をしていく中で、患者や支援者、医師たちは学習会を続けます。そのなかで核爆発実験の放射能をめぐる武谷三男著 『安全性の考え方』 と出会います。
 原田正純著 『水俣病』 は、孫引きして紹介しています。
 「死の灰が地球上にふりまかれているときに、一部の学者は、科学的に降灰放射能の害を証明すること
 はできないから、核爆発実験は許されると主張した。アメリカ原子力委員のノーベル賞学者リビー博士
 は、許容量をたてにとり、原水爆の降灰放射能は天然の放射能に比べると少ないから、その影響は無視
 できると主張した。微量の放射能の害はすぐには病気にならない、すなわち急性症状を示さないところ
 に、非常に困難な問題があったのだ。武谷三男氏らは、『許容量というのは、無害な量ではなく、どんな
 に少ない量でもそれなりに有害なのだが、どこまで有害さを我慢するかの量、すなわち有害か無害か、
 危険か安全かの境界として、科学的に決定される量ではなく、社会的な概念であること。害が証明されな
 いというが、現実にそういうことをやってみて、そうなるかどうかはじめて証明されるというのでは、科学の
 無能を意味し、降灰放射能の害が証明されるのは人類が滅びるときであり、人体実験の思想に他ならな
 いこと。放射能が無害であることが証明できない限り、核実験は行うべきではないというのが正しい考え
 である』 ことを明らかにした。
  この武谷氏らの考え方は、原水爆実験のみならず、工場廃棄物の放出にもあてはまり、安全について
 の根本的な考え方を示している」
 そして、過労死や労働者の精神障害への罹患における長時間労働の問題にもあてはまるはずです。

 『むかし原発 いま炭鉱 炭都 [三池] から日本を掘る』 は、福島原発事故と三井・三池の1963年に発生した炭塵爆発事故は似ているといいます。さらに三池鉱山と水俣病の原因を認めなかったチッソの姿勢はそっくりだといいます。
 そこには 「産 (使)」・「官 (政)」・「学 (者)」の構造に加えて 「労」 の 「産」 防衛という強固な協力があると指摘します。「産」・「官」・「学」・「労」 の4者共闘です。

 「脱原発」 を叫ぶ集会とデモは、生存権の主張のなかで確信したこの構造に対する抗議であり対話の要求です。     


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「組合が変える・組合も変わる」
2012/07/17(Tue)
 7月17日(火)

 6月25日、連合主催の「2012 連合 全国セイフティネットワーク集会」が開催されました。感想を一言でいうなら「これでは……。連合には何も期待できない」です。
 理由は、休憩を除いて4時間強の集会で、開会あいさつ、閉会あいさつを含めて連合と労働組合の出番は1時間半しかありませんでした。残りは厚労省や外部団体等の報告と講演です。連合の「主体」、力量が見えません。なれ合っている結果として厚労省の力を借りなければ集会も持てないのです。
 厚労省は、「連合はちょろい」と実感したはずです。そして「貸し」を作りました。とても期待できるパートナーです。
 いやすでにちょろいです。この間の労働安全衛生をめぐる検討会や審議会などで、連合から選出された委員はほとんど発言しません。現在の労働安全行政が労働者にとってまともであるはずがないのに連合としての意見がないのです。何が問題でどうしたらいいかの検討が出来ていないからです。まず、現場の状況がわかっていません。
 労働問題の政策検討は政・労・使で協議されます。しかし日本では、「政」は「政」が推す学者や弁護士などが就きます。「労」はちょろい・「政」に借りがあります。つまりは「政」・「政」・「使」で協議が進められているのが実態です。
 具体例を挙げます。1昨年かその前の頃の労働政策審議会安全衛生分科会での出来事です。労働者側委員は審議会中ほとんど発言しませんでした。その中の3人がこの回で退任します。最後のあいさつで3人とも「難しい話が多くてわからないこともありました。いろいろ勉強になりました」というようなことを言いました。無責任です。
 このような委員が形式的に参加して法案や通達が作成されるのです。傍聴していて、難しいなら最初から委員になるなよと思いながらむなしさを感じました。
 現場の労働者にとっては深刻な問題です。

 集会での連合と労働組合の1時間半はどのようなものだったでしょうか。
 「労働安全衛生に関する取組」と題した報告が行われました。直近1年間の取り組みと今後1年間の取り組みに分かれています。
 直近1年間の取り組みには、労政審議会建議に沿った職場における安全衛生対策の充実とあります。その中には労働安全衛生法の一部改正で事業者が労働者の健康状態を掌握するためにスクリーニングを実施することを義務づける、いわゆる「新たな枠組み」が含まれています。体調不良の労働者が排除されていく危険性が増します。(12年5月18日付の『要請書』参照)しかし現場の実態を知らないから積極的賛成の姿勢です。

 昨年8月、連合は、東電労組福島第一・第二原子力総支部とJヴィレッジで意見交換しました。その報告資料があります。
 当時としては毎日3.000人が作業に従事していました。4勤2休、6勤3休の体制でした。労働者の被ばく線量管理は、基本的には元請責任、線量計の受け渡しは東電で行っているが、作業管理も元請責任管理だといいます。
 連合は、構成組織の意見、現場実態を踏まえた政府への要望を行ったといいます。うがった見方で資料を読むと(実は本当の話ですが)、「構成組織」の意見、現場実態を踏まえた要望は、そこで働く「全労働者」の要望ではないようです。第9次下請けまで存在していると言われていますが、労働安全衛生の要求の前提に「排除」があるようです。
 命の重さに違いがあるのです。そのことが「気にならない」ことこそ大問題です。
 
 堀江邦夫著の『原発ジプシー』は、昨年、加筆されてタイトルを『原発労働記』とかえて再版されました。
 そのなかに、1970年から2008年までの「放射線業務従事者被ばく線量と原子炉基数の推移」の図があります。
 「電力会社社員の被ばく量と、それ以外のいわゆる『協力会社』と称される外部企業の従業員やそこの下請け労働者たちの被ばく量の格差のほどです。……電力会社社員と非社員の被ばく量の違いは、図をご覧いただければ一目瞭然。ちなみに2008年度における電力会社社員の被ばく量は、全体のわずか3パーセント程度に過ぎません。つまり、原発内の放射線下の作業のそのほとんどは、『協力会社』という名の関連会社、およびそこの下請け会社の労働者たちに委ねられているという事実、そしてさらには、私が働いていた当時にくらべ、電力会社社員の被ばく量だけは着実に減少しているという事実、といったことなどもこの図から読み取れます。」
 爆発事故が発生した時、その伝達と避難命令に大きな時間差があったことも明らかになっています。
 事故後、この構造が少しは改善されているのでしょうか。

 今後1年間の取り組みについて説明がありました。今年は、2008年に策定した「連合労働安全衛生取り組み指針」の「5か年計画」の最終年です。
 いくつかの項目について08年度と11年度の比較があります。
 安全衛生委員会の設置比率は、88.5%から88.5%に。しかし昨今労働者が参加して安全衛生委員会が機能しているという話を残念ながら聞いたことがありません。
 時間外労働月100時間超の組合員のいる事業場は、30.3%から25.7%に。5%も減少と受け取るのでしょうか。わずか5%、逆に25.7%も残っている、しかも100時間もの長時間労働が、の捉え方が必要ではないでしょうか。ここにやる気のなさが象徴的に表れています。
 職場復帰プログラム「現在策定予定なし」の事業場は、55.7%から49.3%に。裏を返せば、半分の事業場は、体調不良回で休職した労働者に対して復職を期待していないのです。
 これらが「5か年計画」仕上げ1年前の実態です。しかも数字を改善したのは連合の努力の成果とは言えません。

 現在の「連合労働安全衛生取り組み指針」は、政府の第11次労働災害防止計画に対応しているのだそうです。そして今年の秋ごろから本格化する政府の第12次労働災害防止計画の策定に連動して連合も労働安全衛生5か年計画改定へ着手する予定なのだそうです。
 つまりは、常に「計画中」なのです。計画「中」は達成しなくてもよく、目標は次期の計画に組み込まれるのです。そしてその繰り返しです。


 2月3日(金)の「活動報告」、資生堂労組(連合に加盟していない)の闘い「ベースアップゼロを2年続けて要求」を再録します。

 以前は国内シェアの50%以上を占めて店頭に商品を並べて置けば売れたのが90年に入り下降を始めます。会社上層部は「まだ大丈夫」と繰り返します。
 会社は3年計画を立てます。1年目は花火を上げます。2年目はどうもうまくいかないことを実感します。3年目は次の3年計画と重ねます。計画は空回りでした。それを繰り返します。
 会社の売り上げは、末端店舗の販売高ではなく店舗の仕入高で計算するので減少していません。

 1998年の中央執行委員会で賃金交渉の討論をしている時、営業担当者が発言します。「あなた方は現場で起きていることを知っていますか。『押し込み』が行われています。店舗は在庫の山です。そのなかで『奥さん仕入れてください』と言わなければならない。これで会社に将来があるのか。この問題を会社にぶつけるなら賃金は上がらなくていい」
 他の委員が発言します。組合員(現場)の悲痛な叫びが続きます。工場支部の委員は「工場では売れていると思っていた」
 全体で会社の中で起きている大きな課題として捉えます。
 その結論として、ベースアップの要求をしないのではなく「ベースアップゼロ」の要求を出します。同時に起きている問題に対して「しっかり会社は向き合ってくれ」と要求します。ベアゼロの要求は2年続けます。
 しかし会社は簡単に要求を受け入れません。現状認識に対する労使のかい離があります。

 中央委員会は大変でした。ベアゼロに対しては「御用組合、役員辞めろ」「責任をとれるのか」と軒並み言われたといいます。このようななかで2年が過ぎていきます。
 3年目を迎えて団交が開催されます。組合は不退転です。結果いかんでは存亡にかかわります。
 会社はまだ頑なです。
 出席者は組合員の思いを背負って交渉を続けます。
 1人の支部長が挙手をし、職場の組合員1人ひとりの要望書を集めて持ってきているので読み上げると立ち上がります。しかし声が詰まって一言も発せられません。しばらくすると後ろから「よくわかった、よくやった」と声がかかります。
 組合員はみな自分の会社をよくしたいという思いで訴え続けます。
 常に紳士的な姿勢の委員長が16回も「まだわからないのか」と机を叩いたといいます。
 このような組合員の思いに、出席していた会社役員が態度を変えます。「個人的だがみんなの思いはわかった。会社に力を貸してくれ」

 この「涙の労使交渉」を経て「押し込み販売」問題は改善されていきます。
 経営改革運動が始まります。
 経営改革達成に向けた組合の取り組みを始めます。これまで労使で毎月1回開催されていた経営協議会は業績報告と役員会の決定事項の垂れ流しだったのを実質的な協議の場に切り替えました。組合として経営チェックをします。
 会社の状況を支部を超えて理解しあうためにも労働組合は中央本部と各支部の関係を縦割り組織にはしていないといいます。

 現場の労働者の問題提起を労働組合はきちんと受け止め、その後2年間の交渉を経て、頑なだった会社の姿勢を変えさせます。「組合が変える・組合も変わる」のスローガンを掲げて闘いました。

 現在の連合の「5年計画」は、資生堂の以前の「3年計画」と同じです。「やらない宣言」です。そして、厚労省への対応は以前の経営協議会です。資生堂労組のように実質的な協議の場に切り替え、チェックをしなければなりません。時には拒否権の発動も必要です。

 メンタルヘルス・ケアも、長時間労働問題も、数字の大きさはさることながら、1人ひとり、1件1件、待ったなしの切実な、深刻な問題が続いています。 
 
  
   
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