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被災地派遣自衛隊員のメンタルヘルスケアに危険信号
2012/03/30(Fri)
3月30日(金)

 昨年の4月19日、陸上自衛隊は、3月13日から原発事故に伴い福島県の郡山駐屯地に派遣されていた練馬駐屯地所属の3等陸曹を逮捕し、同日付で懲戒免職にしたと発表しました。除染作業をする部隊の無線通信を担当していたが恐怖心でパニックになり、自衛隊のトラックを盗んで逃走しました。容疑はトラック等の窃盗ということです。
 4月20日、神奈川県警港南署は、海上自衛隊横須賀基地所属の潜水艦救難母艦「ちよだ」乗組員の3等海曹を公然わいせつ容疑で現行犯逮捕したと発表しました。3等海曹は前にも、宮城沖の遺体収容作業に従事したが再出動予定でした。捕まったら出動しなくていいと思ってわざとやったと言います。
 今この2人はどうなっているのでしょうか。気になります。

 10月19日、新潟県上越市の自衛隊宿舎で、陸上自衛隊の連隊長の1等陸佐が自殺しているのが発見されました。理由は不明ですが、3月11日の東日本大震災発生直後からおよそ3カ月にわたり、福島県の被災地に派遣されて人命救助や行方不明者の捜索の指揮を取っていました。前日までは普段どおり出勤していたが、19日の朝連絡が取れず部下が自宅を訪れたところ、首を吊って自殺していたといいます。
 10月18日にも、岩手県などの被災地に派遣されていた青森県青森市の3等陸佐が自殺しています。
 また被災地での公務中に急な病気などでは3人が亡くなっているといいます。(j-cast ニュース 11.10.22)   

 東日本大震災においては最大10万人の自衛隊員が被災地で救助、捜索の任務に赴きました。
 自衛隊員の自殺率の高さはかなり前から指摘されています。隊員数は陸海空合わせおよそ25万人ですが、自殺者は2003年度までは年間40人~70人台で推移していました。2004年のイラク派遣以降は毎年80~100人に及んでいます。イラク派遣に参加した自衛隊員のべ2万人弱のうち16人が在職中に自殺しています。  
 自衛隊は、日本の軍隊が持っている独特の体質からいじめ等が発生し、自殺者が多いと言われています。遺族が提訴して進行中の裁判もあります。
 しかしイラク派遣以降の増加は、明らかに参事ストレスが原因で、適正な対策がとられる必要がありました。

 今年の3月7日の衆議院内閣委員会で、自衛隊員のメンタルヘルスケア問題が取り上げられました。
 議事録です。
 ○玉城委員 民主党の玉城デニーです。
  自衛官には、……発災から一年になります東日本大震災の現場において、発災直後から本当に想像
 を絶するような活動、活躍をしていただきました。……
  気になるのは、派遣された自衛官の方々のいわゆるメンタルヘルスといいますか、心のケアについて
 でございます。
  やはり心のケアについても、大変大事なところだと思いますので、国としてどのような対策をしているの
 か、渡辺副大臣にぜひお伺いしたいと思います。お願いします。
 ○渡辺副大臣 東日本の大震災で派遣をされました隊員のメンタルヘルスについて御質問をいただきま
 した。
  昨日、現地、被災地に派遣をされました自衛官のメンタルヘルスのチェックの大体、概要が報告されま
 したので、申し上げますと、陸上自衛隊で58.050人を帰隊後1か月調査したところ、PTSD等の原因
 となる、高リスク者がおよそ3.3%、うつ病等の高リスク者がおよそ2.2%でございます。まだ実施中の
 調査もございますし、また、ちょうど先生御指摘の1年でございますので、またここで改めてメンタルヘ
 ルスチェックを行うこととしております。
  また、海上自衛隊については、6.112人を対象に調査したところ、PTSDの高リスク者が4.3%でござ
 います。うつ病の高リスク者の調査は未実施でございまして、今、この理由を問いただしているところ
 でございます。もう既に5名の海上自衛隊の隊員がPTSDと確認をされておりまして、現在はケアを
 受けながら職場復帰をしているというところでございます。
  また、航空自衛隊においては、3.319名のうち7.5%がPTSDの高リスク者、ちょっと対象人員が違う
 んですが、うつ病の高リスク者が2.829人中6.5%。ここではPTSDは確認をされておりません。
  防衛省といたしましては、この後もまたずっと継続をして、まさに国家的な危機に直面をして、本当に不
 眠不休で活動した自衛官のメンタルケアについては、24年度の予算でも、部外カウンセラーの招聘で
 すとか臨床心理士等の増員等で対応することとしておりますが、とにかく、長期にわたってしっかりと万
 全の対応、体制を尽くしていきたいというふうに考えております。

 調査は派遣直後から6か月の間に行われました。航空自衛隊は、津波で大きな被害を受けた東松島市の松島基地の隊員らを調査対象にしたため、数値が高く出た可能性があるといいます。

 9月30日の「活動報告」の再録です。
 「震災から3が月後、これとは全く逆のニュースが流れていました。
  宮城県内にある陸上自衛隊基地は、救助活動に参加する隊員のために『心のケア相談室』を設置しま
 した。3 か月間に相談者は1人いたということです。
  その状況を管理職は『うちの隊員は強固な者が集まっていますから』と語っていました。
  未曽有の出来事に対応するのに最初から精神的に強固な者などいません。隊員は相談室に行けない
 雰囲気があったのです。このような対応のままだったら、残念ながらおそらく多数の体調不良者が続出
 していると思われます。隊員がかわいそうです。」

 東日本大震災から7カ月過ぎた10月20日に、陸上自衛隊衛生学校のコンバットストレス教官である下園壮太著『平常心を鍛える 自衛隊ストレスコントロール教官が明かす「試練を乗り切るための心の準備」』(講談社+α新書)が刊行されました。そこには
 「東日本大震災において、自衛隊員は過酷な環境の中、粘り強い災害派遣任務を遂行した。
  多くの被災者から感謝の声をいただいたが、同時に、隊員のストレスを心配する声も聞かれた。……
  この『人のため』という姿勢は、実は隊員自身のストレス対策においても重要な役割を果たしていた。実
 際、非常に過酷な勤務にもかかわらず、ファーストショックで勤務できなくなる隊員はほとんどいなか
 った。」
とあります。
 著者は、「不眠、悪夢を見る、食欲不振、他社とのコミュニケーションを拒否する、自己を思い出すものを避ける……ような最初の反応」を“ファーストショック”と呼んでいます。
 読んだとき、漏れている情報からも実態と違うなと不信感を持ちましたが、国会討論で明らかにされた事実と違います。著者は実態を知る立場にいました。『本』の中の対応策の説得性をも消してしまいました。
 繰り返しますが「隊員は相談室に行けない雰囲気があったのです。このような対応のままだったら、残念ながらおそらく多数の体調不良者が続出していると思われます。隊員がかわいそうです。」そしてこのことが、ファーストショックが落ち着くころ、そして周囲も少し安心するころ、本人の中で、ひたひたと心を侵食してくる苦しみである“セカンドショック”を引き起こします。心が壊れてうつやPTSDになります。

 日本の自衛隊のメンタルヘルス対策は個人的精神主義を重視で、組織対策・対応とはなっていません。(4月4日、4月7日、4月22日の「活動報告」)
 震災1周年を迎えるにあたってフジテレビは自衛隊の1年間の活動を取り上げたドキュメントを放映しました。その中で、当時の防衛大臣は被災地に赴く隊員たちに「遺体は、生きた人間として遺族に渡すまで扱っていただきたい」と訓示していました。この訓示どおりに任務を遂行したら体調不良者を増大させます。このようなことすら周知されていないのです。
 地元の消防隊員と遺体処理の話をした時、「あの訓示はダメだよ」と一蹴されました。
 自衛隊は消防庁の対策から基本を学ぶ必要があります。

 『本』を読んだ感想は、否定的には捉えませんが、自衛隊は「平和ボケ」しています。そして「平常時ボケ」しています。災害救助支援を任務とするなら「平常時ボケ」はより大きな危険に遭遇させます。
 自衛隊がメンタルヘルスケアにきちんと対応しないということは隊員の人権・人格・生活を大切にしないということです。
 早急な対策の転換が必要です。 

  
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コミュニティ・ユニオンはすばらしい労働組合です
2012/03/27(Tue)
3月27日(火)

 労働問題において有意義かつ優れた論文・著書に送られる第26回(2011年度)冲永賞は、独立行政法人労働政策研究・研修機構の呉学殊主任研究員の著書『労使関係のフロンティア 労働組合の羅針盤』が受賞しました。
 『本』は、円滑な労使コミュニケーションを作り上げるために各労働組合、各地の労働組合が取り組んでいる実践をいろいろな角度から分析して紹介しています。そのなかで「労働組合の紛争解決・予防 -コミュニティ・ユニオンの取り組みを中心に-」と「合同労組の現状と存在意義 -個別労働紛争解決に関連して-」が独立した章立てで紹介されています。

 『本』は、コミュニティ・ユニオンが相談を受け、会社と団体交渉をしながら紛争解決に至るには、自主解決、労働委員会での解決、司法機関での解決の3つのタイプがあるが、大半は自主解決で集結していると分析しています。そして解決した事案はそれぞれ予防や労使の職場改善に繋がったといいます。
 「コミュニティ・ユニオンは、企業内で解決できない労働紛争という社会的な問題を解決している。行政機関でも解決できない労働紛争を処理するケースもある。労働紛争の解決と言う面では、行政機関や司法機関のような働きをしているといっても過言ではなく、大多数の企業別組合とは異なる役割を果たしている。労働紛争の解決という公共的な働きに対して何らかの形で公的支援があってもよいのではないかと思われる。」とも言っています。

 合同労組における自主解決率は他の個別労働紛争解決機関の和解・あっせん成立率に比べても高いレベルといえると言います。
 合同労組が紛争予防のために求めていることの中に、「労働組合の組織率を高めるべきだ」という声が57%あったといいます。おそらく経験から感じているのでしょうが、自らの組織を拡大することが紛争予防につながると考えています。
 「一部の使用者は、合同労組から突然団交申し入れをされて戸惑うという。もちろん、その思いを理解で
 きなくはないが、駆け込みの労働者がものを言える職場環境を構築してきたかを検証するきっかけとして
 前向きに捉えてもよいのではないか。また、一部の企業別労働組合も『合同労組はけしからん』と非難
 する。……
  日本の企業別労働組合・労使関係には長短がある。調書の1つが労使協調であるが、それが行き過ぎ
 ると組合は『御用組合』と揶揄されることもある。それは組合運動をテェックする機能が弱まっているから
 である。そういう状況の中で不利益を被った組合員 や当該企業の従業員が合同労組に加入し問題を解
 決することもまれにある。合同労組から団交申し入れを受けて労使関係を危惧する企業別労働組合にさ
 らなるよい労働運動を促している側面もある。企業別労働組合がメインである日本だからこそ、企業の
 外にある合同労組の存在意義があるのではないか。」
  まさにこのようなことが、紛争を抑え込むのではなく、それをきっかけに新たな労使関係を構築するきっ
 かけになります。

 さて、『CUNNメール通信』N0.346(2012年3月6日)によれば、長野県労働委員会で長野一般労働組合(まつもとユニオン)を申立人、信州大学を被申立人として不当労働行為救済申立事件の審査が行われています。
 この事件に被申立人を代表して証人として出席した信大副学長(現在、長野県労働委員会会長)の渡邉裕理事は、合同労組を誹謗中傷し、労働委員会制度を根幹から否定する内容の「陳述書」を提出しました。
 「陳述書」です。
 「5 団体交渉について(1)地域合同労組との団体交渉の特殊性
  被申立人大学においても、大学内労働組合とは、長期的な健全な労使関係の維持確立、労使間の信
 頼関係の構築を目指して、団体交渉を行っています。このような組織形態での労使関係・団体交渉は、
 長期的な観点から相互譲歩による合意の形成を目指して行われます。従って、団体交渉に際しては、
 明示の交渉内容によって論戦が戦わせられることもあれば、阿吽の呼吸で妥協される(妥協点が得ら
 れる)ことも少なくありません。
  しかしながら、一人きりの、又は少数の労働者(被用者)が駆け込み訴えを行う地域合同労組との団体
 交渉は、長期的な労使関係を構築するのではなく、駆け込み訴えという個別的紛争課題の解決を行う、
 いわば一時的な労使関係上の団体交渉となります。このような事情から、地域合同労組との団体交渉で
 は、信頼関係を構築するというよりは、地域合同労組が個別的紛争課題を一方的に有利に解決しようと
 し、激しい闘争的戦術を多用することが多くなると言われています。
  また、団体交渉を有利に運ぶために、団体交渉外の場において、使用者側が嫌がる闘争戦術をとるこ
 とが多くなるといわれています。すなわち、企業等の門前での街頭宣伝車に大音量宣伝活動、取引先に
 対する宣伝、ビラ配布や企業等への押掛け等の戦術です。
  これらの行為は社会的信用動向に敏感な金融機関や労使関係の知識・テクニックに無知な中小企業
 に対して効果が大きいことが一般的に知られているところです。」

 労働委員会は、労働組合法に則って結成された労働組合の活動と使用者の対応について審査します。そこでは労働組合の大小、組織形態は問題になりません。
 にもかかわらず、しかも長野県労働委員会会長の立場にある者がこのような「陳述書」を提出するとは言語道断です。
 「一人きりの、又は少数の労働者(被用者)が駆け込み訴えを行う地域合同労組との団体交渉は、長期的な労使関係を構築するのではなく、駆け込み訴えという個別的紛争課題の解決を行う、いわば一時的な労使関係上の団体交渉となります。」に反論します。
 労働者にとって、「駆け込み」は泣き寝入りしないで問題解決に向かう第一歩です。社内に相談できる窓口がない場合などにコミュニティユニオンを探して相談に来ます。「一時的な労使関係」も確かに多くあります。しかし労使とも、それを一過性のトラブルと捉えるか、教訓・経験と捉えるかで、労働組合員の有無に関係なくその後の労使関係が違ってきます。
 結局は、使用者にとって相談できる窓口があることがまず迷惑なのです。
 最近は、雇用状況が悪化していることも影響して、紛争解決に至っても退職しない労働者が増えています。労働組合員1人だけでも使用者をチェックしたり、仲間づくりに成功し分会・支部結成に至った例もあります。少数派でありながら職場の従業員代表選挙に立候補し、過半数以上を獲得した例もあります。
 逆に有無を言わせないでユニオンショップ制の労働組合に加入させられている場合は、労働組合脱退の自由もありません。この方が不当です。
 結局、使用者は「阿吽の呼吸で妥協される」信頼関係がある組織だけを労働組合と認め、労働組合はそれに屈伏しているのです。

 しかし長野県労働委員会会長と同じようなことを主張する学者や労働委員会の各委員が存在するのも事実です。その1人が独立行政法人労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎部門統括研究員です。著書『日本の雇用と労働法』(日経新聞出版社)に次のようにあります。
 「以上のようなメンバーシップの企業別組合とは全く異なるタイプの労働組合として個人加盟のコミュニテ
 ィユ ニオンがあります。その源流は1950年代に当時の総評が中小企業の組織化対策として推進した
 合同労組運動にありますが、この運動の大半が個々の中小企業に企業別組合を作ることになったのに
 対し、その流れの一部は既存の企業別組合から排除された(あるいは入っても十分に守ってもらえない)
 中小零細企業労働者、非正規労働者、女性労働者、管理職といった人々のためのサービスを提供する
 という方向に進化していきました。
  もともと日本の労働法制は個別紛争処理のための仕組みを用意しておらず、不当な扱いを受けた労
 働者は費用と時間のかかる民事訴訟をするか、泣き寝入りをするしかありませんでした。それに対して、
 労働組合法は不当労働行為制度を設け、組合員であることを理由に解雇したり不利益な扱いをすること
 や、団体交渉の申し入れを拒否することを禁じ、労働委員会による救済命令という行政措置を用意して
 います。
  コミュニティユニオンは、解雇や労働条件の切り下げ、いじめ・嫌がらせといった事態に遭った労働者が
 駆け込み、その組合員となって企業に団体交渉を申し入れるという形で、集団的労使関係法制を個別紛
 争に活用するのです。これは、一種のNGOとして社会的に存在意義の大きいかつどうであることは確か
 ですが、法制の趣旨とはかけ離れたものになってしまっていることは否定できません。現在、労働委員会
 に持ち込まれる集団的労使紛争の7割は合同労組事件であり、その半分以上が駆け込み訴えです。」

 「もともと日本の労働法制は個別紛争処理のための仕組みを用意しておらず」だから個別紛争に遭遇した労働者には救済手段はないという主張でしょうか。使用者だけでなく企業別組合の提灯持ちの主張です。
 紛争は「現場」で起きているのです。集団であれ個別であれ、紛争は解決されなければなりません。それを労働組合法を駆使して解決に取り組んでいるのがコミュニティユニオンです。
 厚労省の機構の中に個別紛争相談機関があるし、訴訟という手段もあるという意見があります。しかし労使紛争は、第三者の介在に依存すべきではなく、基本的に労使間で解決されるべきものです。その方が労使関係の長期的安定につながります。
 第三者の介在は解決ではなく瞬間的な「終了」です。

 長野県労働委員会会長と同じようなことを主張するのは労働現場を知らない、知ろうとしない、労働者の喜・怒・哀・楽を理解できない人たちです。そのような人たちに労働問題を論じる資格はありません。
 「総評時代に『全国一般』は他の産別から『ごみ組合』と言われました。大単産には加盟できない小さな
 雑多な労働組合・労働者が混じっているということです。しかしこの表現は差別発言で、偏見もあったと思
 われます。
  ユニオンは『全国一般』より小さな混合組織です。だとしたらユニオンは『芥組合』だといって笑ったこと
 があります。
  『ごみ組合』『芥組合』という表現は、他の単産が捨てた、奪われたものを大切にしているということでは
 正しい表現です。名誉です。他の単産は何を捨て、奪われたのか。権利紛争、団体交渉権です。ユニオ
 ンはこれを大切にします。ユニオンの武器です。
  『ごみ組合』『芥組合』は、いろんなものが混在しているから、純粋でないから、逆に視野が広くなり、社
 会が見えます。自己を検証できます。
  『雑多な面』は労働運動の宝です。」(11月15日、11月18日、11月21日の『活動報告』)


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「あゝ上野駅」
2012/03/23(Fri)
3月23日(金)

 今年1月に映画 「ALWAYS 三丁目の夕日」 三作目が公開されました。1964年の東京タワーを見上げられる下町の一角が舞台です。まだ記憶が残る時代背景は懐かしさを呼び戻します。登場人物に知っている誰かを重ねてしまいます。
 64年は、東京オリンピックが開催され、高度経済成長真っ只中。井沢八郎が歌う 『あゝ上野駅』 がヒットしました。

   どこかに故郷の香りをのせて
   入る列車のなつかしさ
   上野は俺らの心の駅だ
   くじけちゃならない人生が
   あの日ここから始まった 

 一作目は2005年の公開で、時代は58年。東京タワーが建設されました。岩手県から中学校を卒業して集団就職してきた少女が自動車修理店の2階に住み込みで働き始めます。
 今、盛岡―上野間は新幹線で3時間足らずですが、当時は18時間かかりました。
 その少女は三作目で、自動車修理店に支度してもらって嫁いでいきます。
 当時、住み込みで働いた労働者は一人前になると男は暖簾分けをしてもらって独立します。女性は結婚の支度をしてもらいます。
 しかしそこまで漕ぎ着ける者はそう多くありませんでした。住み込み労働、零細企業、中小企業に就職した 「金の卵」 の苦労は言葉では言い尽くせないものがありました。

 戦後、農民は農地改革で自分の田畑を所有し、次男・三男を含めて家族で耕作します。しかし農繁期以外は余剰の労働力が生まれ、農業技術の開発はさらに増大させました。
 工業の発展は、朝鮮戦争による特需でも地方から労働力を供給するまでにはなりませんでした。
 55年の 「岩戸景気」 の頃から、繊維産業の発展、電気製品の需要拡大のなかで地方の労働力は都市部に吸収されていきます。
 都市部は地方と比べると高校進学率は高く、しかも都市部の中学卒業生を求人する大企業は、自宅から通える者を採用します。中小・零細企業は地元の卒業生を期待することができません。求人不足に陥ると地方の中学卒業生に求人先を伸ばします。彼らは 「金の卵」 ともてはやされました。
 55年3月、特別仕立ての集団就職列車第1号が盛岡駅を発車しました。
 「就職列車」 が出発する時、ホームには 「蛍の光」 のメロディーが流れます。寂しさを煽ります。
 
 上野駅18番線ホームに学生服姿の少年・少女が次々と降り立ちます。駅は 『あゝ上野駅』 のメロディーを流して出迎えました。
 上京して苦労したのが言葉。訛りを笑われました。そのような時、故郷を思い出します。

   「故郷の 訛りなつかし停車場の
     人ごみの中に そを聞きに行く」 (石川啄木)

 東北新幹線が走る前頃まで、18番線ホームの構内アナウンスは、東京人が聞くとたしかに訛っていました。
 彼らはお盆やお正月には、お土産をかかえ、親に心配をかけまいと身ぎれいにして帰省します。上野駅近くの靴屋には、新しい靴に履き替えられて捨てられた靴が山になったといいます。
 特別仕立ての列車は75年まで続きました。
 2004年、集団就職列車第1号が到着してから50年目ということで、関係者の思いをこめて上野駅構内にモニュメントと歌碑を建てました。レリーフのデザインは、到着列車の前に出迎えの横断幕が掲げられています。

 岩手県の、夫を戦争で殺された妻からの聞き書き 『あの人は帰ってこなかった』 (菊池敬一・大牟羅良編・岩波新書1964年刊) は、戦後の農村の状況に触れています。
 「昭和37年 (1062年) 3月の中学卒業生の場合を (岩手) 県統計でみますと、卒業生総数は3万1437名、うち進学1万5341名 (48.8%)、就職1万1475名 (36.5%)、その他となっているのですが、これを農家出身者でみると進学よりも就職が多く、しかもその大半は県外就職になっているのです。“集団就職” などといってにぎやかに送り出しはするものの、その将来は?…… 見送り風景の中に母親たちの涙が見られるのもうなずける思いがします。
 こうして青少年たちを送り出し、さらに出稼者までも送り出さねばならぬ農村、後に残された婦人たちは 『何か大東亜戦争が来たようだ』 とよく言いますが、いままた農村婦人から夫や息子を奪っているもの、それは “招集命令” によってと “札ビラ” によっての違いがあるにしても、同じ社会体制の同じ要求から来ているのでしょうか。それはいずれにしても、“もはや戦後ではない!” といわれるほどの経済成長、都市の繁栄の陰に、惜しみなく労働を提供している農村、ことにも生産力の低い農山村においては、正に “銃後” を思わせるものがあります。」

 日本の雇用状況は「終身雇用」といわれてきました。しかし 「金の卵」 は決してそうではありませんでした。
 政府の62年の調査で、「金の卵」の1年以内の離職率は30人から99人規模の企業で、男子29.1%、女子19.6%とかなり高い率になっています。労働条件が契約時と違っていたり、劣悪だったりが原因です。近隣の出身者は簡単に離職して家元に帰ることが出来たが、地方出身者はできない。それを狙ったものです。実際に62年の東京の職安からの求人の道県別構成は男女とも福島県がトップで男子は新潟県、山形県、宮城県、秋田県、青森県、北海道の順となっています。企業主にとって地方出身の 「金の卵」 は都合いいものでした。
 企業も引き留めるために労働条件の引き上げを余儀なくされ、一時は初任給が大企業よりも中小・零細企業の方が高いという状況もありました。
 事業主は同業他社の賃金水準に合わせざるを得ませんでした。これが春闘が成立した要因でもあります。

 「『川崎市統計書』 (43年版) によると、500人以上の事業所は68社、その労働者は13万7000人 (全労働者数20万人口94万人)。このうち電気機械器具製造業の総労働人口は9万4000人、女子が3万7000人、それに加えて18歳未満の年少労働者が9000人強となっている (「川崎市労働概観」)。つまり、これによって川崎の大企業の労働者の6割強が電気工事で働き、そのうちの半分が女子および年少労働者であることがわかる。」 (鎌田慧著 『ドキュメント労働者』 収録 「川崎・鬱屈の女工たち」)
 「(東芝) 小向工場は戦前、軍の無線機関係の生産の主力工場だったが、いまは、白黒、カラーTVの受像機、カメラなどの放送機器、防衛庁関係の無線機からホークまで生産していて、労働者数は4300人、うち女子が60パーセント。平均年齢は女20.1歳、男26.5歳、勤続年数は女2.9、男6.6」 (『ドキュメント労働者』)
 「労働省の 『新規学校卒業者の離職状況』 によれば、66年3月中卒者の男子は3年間で58.6パーセント、女子で49.6パーセント、高卒男子51.9パーセント、同女子54.1パーセントと、それぞれ半数以上離職している」 (『ドキュメント労働者』)
 これが、東京オリンピック直後の、集団就職を受け入れた工場地帯の実態でした。

 その後、高校進学者が増大すると集団就職にも高校卒業の労働力である 「銀の卵」 も多く占めるようになります。しかし高度経済成長は都市部に限ったことではありません。地方都市でも労働力を必要としました。「金の卵」 と 「銀の卵」 は都市部と地方で引っ張り合いになります。
 
 福島原発地域は中央からの産業の招聘に期待をかけます。そこに 「大企業」 東京電力が現れます。
 64年12月1日に東京電力は大熊町に福島調査所を設置します。そして67年9月29日に1号機を着工するに至ります。
 都市部に流れない「銀の卵」は地元に就職します。成績が良かったエリートは地元の大きな会社に就職するという構造ができ上がって行きます。東京電力は、地元では選ばれた者しか入社できない憧れの会社です。危険だなどという風評は地域にとっては迷惑で、エリートが働いている会社が危険なはずがありません。このようななかで 「原子力」 に支配されていきました。

 50年代の経済成長は、生産性向上と技術革新をテコとしました。50年代から鉄鋼の職場を中心に、いわゆるQC (Quality Control 品質管理) 活動、ZD ( Zero Defect 無欠陥) 運動が導入されます。「銀の卵」 はそのなかで技術者・技能者、中間管理職候補となって行きます。
 そしてそれに呼応する賃金体系として職務職能給制度が導入されていきます。職務給制度は仕事の範囲、責任、遂行などの知識、技能などの職務遂行能力を評価基準として労働者の身分を分割する制度で、各職務ごとに本給額を決定します。
 戦後のベビーブームに生まれた同期の競争者が多い若年労働者は、自分だけはより早くいまの職位から飛び出そうと必死になります。労働組合はベースアップ要求ぐらいしか機能しなくなっていきます。
 「銀の卵」 は技術革新と職務給制度の導入のなかで、熟練工を追い出していきます。

 「銀の卵」 世代が中高年に入った1995年、使用者は、若い世代の労働者から年功序列賃金制度は働く意欲を失わせるという要求があったなどという口実で成果主義賃金制度を導入します。「銀の卵」 世代は追い出される側になっていました。

 3月下旬は、東北の各駅で 「蛍の光」、上野駅で 「あゝ上野駅」 が流れた季節でした。
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職場から “いじめ” をなくすために 「カウンターレポート」
2012/03/21(Wed)
3月21日(水)

 3月15日、厚生労働省は 「職場のパワーハラスメントの予防・解決に向けた提言」 を発表しました。「提言」 は、「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」 と 「円卓会議参集者からのメッセージ」 とセットです。
 職場のいじめ・嫌がらせ問題について、予防・防止の取り組みと問題が発生してからの対応の双方への取り組みを提唱しています。予防・防止に取り組むことは使用者の責務で、取り組むことは労使ともにメリットがあり、逆に放置することはディメリットが大きいと解説しています。
 「ワーキング・グループ報告」 は、「職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。」 と定義しています

 この間、全国労働安全衛生センター連絡会議とコミュニティーユニオン全国ネットワークは、厚労省に対して職場のいじめ問題への取り組みと予防・防止対策ガイドラインの制定を要求し続けてきました。やっと取り組みのスタートラインに立ちます。
 これまでは、団体交渉で労働組合がトラブルの事実関係を確認しながら 「いじめがあった」 と主張しても 「いじめとはなんだ。定義してみろ」 と居直る使用者もいました。交渉は入り口論議が続き、なかなか進行しないこともありました。
 今回定義されたことで、不充分ではあってもこの難関は突破されます。そして問題解決に向けて、労働組合の主張としてではなく社会的取り組みの必要性が確認されていると説得することができます。
 「提言」 の有効性は今後の労働者・労働組合の活用如何です。

 これまでも職場のいじめについて定義がまったくなかったわけではありません。
 東京都は2000年3月に発行したパンフレット 『職場のいじめ -発見と予防のために-』 で 「職場 (職務を遂行する場所全て) において、仕事や人間関係で弱い立場に立たされた成員に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害したり、職場環境を悪化させたりする行為」と定義しています。当時として 「精神的苦痛」 を盛り込んでいることは画期的でした。 (2012年12月6日の 「活動報告」 参照)
 人事院は、平成22年1月8日付で各府省人事担当課長あてにパワハラを定義した通達を出しています。 (職 職―1)
 「『パワー・ハラスメント』 については、法令上の定義はありませんが、一般的に 『職権などのパワーを背景にして、本来の業務の範疇を超えて、継続的に人格と尊厳を侵害する言動を行い、それを受けた就業者の働く環境を悪化させ、あるいは雇用についての不安を与えること』 を指すといわれています。」
 団体交渉などではこれらの定義を活用していました。

 いじめ メンタルヘルス労働者支援センターとコミュニティーユニオン全国ネットワーク、全国労働安全衛生センター連絡会議は、昨年初めに 「職場におけるパワー・ハラスメント防止対策ガイドライン (案)」 を発表しました。そこでは 「パワー・ハラスメントとは、職務上の権限や上下関係、職場における人間関係等に伴う権力を利用し、業務や指導などの適正な範囲を超えて行われる強制や嫌がらせなどの迷惑行為をいう。」 と定義しました。
 この 「防止対策ガイドライン」 を行動指針としてイントラネットに載せている企業もあります。
 今回の円卓会議の提言に合わせて、メンタルヘルス労働者支援センターと全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局は、「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議 カウンターレポート」 を作成しました。(ホームページ → 「要請・提案」に掲載) 厚労省にすべてを任せ、後から批判するのではなく、日常的相談活動での経験を踏まえて自分たちならこのような内容にするという 「対案」 です。
 「職場のいじめ」 ではなく 「パワー・ハラスメント」 という表現を使用しました。既に 「パワー・ハラスメント」 という言葉が、厳密性を欠くとはいえ広く世間で労働者が職場で被る迷惑行為全般を指している現状があるという理由からです。

 「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」 が 「職場のパワーハラスメント」 という言葉を使用することについてはワーキンググループで議論が続いたと報告がありました。
 「いじめ・嫌がらせ」 と 「パワーハラスメント」 は持つ意味が違います。

 バブル崩壊後の1996年6月に5日間、管理職ユニオンと多くの労働組合などが協力してホットライン 「職場いじめ110番」 (第1回) が開催されました。その経緯と結果が報告されています。 (『「職場いじめ」 問題と日本の企業社会』)
 開催にあたって名称を決めるときに議論が起きました。
 「『いじめ』 だなんてそんな敗北主義の言葉はいやだ、恥さらしだ、というものだ。それに管理職ユニオン内で取り扱っているのは主に不当な処遇があったもの、つまりリストラのためにクビになったとか、やめさせるためにわざと酷い環境におかれたりとかいうもので、それを『いじめ』と一言で括ってしまうのは問題があるのではないかなどという意見がありました。
 しかし名称を巡る論議に時間を費やすのは非能率であり、言葉として無理があっても、語感が嫌いであっても、職場で起こっている一切合財の問題を、『職場いじめ』 という名称のもとに取り扱うことに決めた。」 「どんないじめが横行しているのかは分からないが、とにかくそのパンドラの箱を開けて、会社の問題というものを全て受け止めよう、というのがこ の『職場いじめ110番』 の趣旨であった。」

 森田洋司著 『いじめとは何か 教室の問題、社会の問題』 (中央公論新社刊) によると、80年半ば頃から 「いじめ」 の用語は 「嫌がらせ」 「迷惑行為」 「差別」 「侮蔑」 「いびり」 「八つ当たり」 「からかい」 「殴る・蹴る」 「いたぶる」 「無視」 「仲間はずし」 などの現象を総称して使用されはじめ、人々の認識や反応の仕方まで変更されてパターン化されていったといいます。同時に差別と関連して発生する 「いじめ」 は、「差別問題」 として括られ、「いじめ問題」 から抜け落ちてしまう傾向になったと言います。(1月11日の 「活動報告」 参照)
 ですから 「リストラのためにクビになったとか、やめさせるためにわざと酷い環境におかれたりとかいうもので、それを 『いじめ』 と一言で括ってしまうのは問題がある」という主張が出されるのも当然です。
 「リストラのためにクビになった」 に反撃するには、「嫌がらせ」 か 「いたぶる」 などかの 「権利侵害」 の分析が必要です。
 「やめさせるためにわざと酷い環境におかれた」 は 「嫌がらせ」 か 「侮蔑」、「いびり」、「仲間はずし」 などかの 「人権侵害 」です。
 それらは社会の風土・職場の風土、人権意識など根が深い構造の中から発生している社会問題てす。
 簡単に 「いじめ」 で括り、事実の有無だけを確認し、あってはならないことと確認して解決に至るだけでは根幹が見えなくなってしまいます。
 しかし時代とともに捉え方に変化も生じました。労働者が守勢的になっている状況があります。かつては 「いじめられている」 と言うこと自体プライドが許さなかった雰囲気がありました。今は違ってきています。
 社会でも職場でも労働者は「個」で管理されています。人間関係上のトラブルがすべて「いじめ」で括られて対処されてきました。

 そのかなで「パワーハラスメント」という和製英語が登場しました。職場の状況やそのなかで労働者が置かれる精神状態などについて理解のない、関心を示さない、労務管理を生業とするところから使用され始めました。問題の本質を益々曖昧にして一括りにしてしまいました。
 しかし 「パワーハラスメント」 の言葉が社会的に登場すると、「個」 で管理されている労働者が “いじめ” 問題について自己主張しやすくなったことも確かです。現在は職場で発生している人間関係のトラブル全般を指す言葉として曖昧なままで定着しました。

 最後の円卓会議では 「コミュニケーション」 が議論になりました。
 使用者側の委員は、業務指示に対する労働者の 「ほうれんそう」 を 「コミュニケーション」 と捉えて労働者の問題と捉えているきらいがあります。きちんとわかりやすく業務指示を出すのも、指導・アドバイスするのも 「コミュニケーション」 です。使用者と管理職は 「頭が高い」 です。報告を待つのが権威・威厳だと思い込んでいます。
 このような中からトラフルは発生します。リスクが発生しています。
 コミュニケーションはお互いに理解し合うための手段です。

 学校で起きている問題は今も 「いじめ」 と称されます。
 よく 「子どもたちは大人社会でのいじめを見て真似している」 と言われます。大人が希望を持てない社会は子供が希望を持てるはずがありません。大人社会のいじめは子どもたちから希望を失わせています。
 いじめをなくすことは、人との繋がりを大切にし、希望を持てる社会づくりに向かう第一歩です。

 2002年8月6日、ヒロシマ原爆被害者慰霊祈念式典で 『子供平和宣言』 が読み上げられました。
  「平和とはだれもが協力しあい、安心して暮らせることだと思います。そのために私たちができることは
 身の回りのいじめを決して見逃さないようになることです。友達のことを理解しようとする心をもつようにな
 ることです。悪いことは悪いとはっきりいえる勇気をもつようになることです。こうした私たち1人ひとりの
 小さな変化がやがて本当の平和な世の中を作り上げていくことにつながると思います。
  あの廃墟のなかから立ち上がり、広島のまちの命を消すことなく灯しつづけてくれたおじいさん、おばあ
 さん。今度は私たちが平和のリレーランナーとして受け取った命のバトンをしっかり握り締め戦争や原爆
 の恐ろしさと、平和の尊さを語り継いでいききます。
  そして1人ひとりが平和を作り上げる主人公となり、身近でできる小さな平和の輪をたくさん作り、その
 輪を世界中に、そして次の世代へとつないでいき、世界平和という大きな輪を作り上げていくことを誓い
 ます」
 ヒロシマの子どもたちの 「カウンターレポート」 です。 


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「瓦礫」 から見えてくるもの
2012/03/16(Fri)
3月16日(金)

 3月11日、石巻市の日和山公園で午後2時46分を迎えるまでの間、海を眺めていました。
 空き地の先に海岸が見えません。空き地と水平線の間に高く積まれた 「瓦礫」 が平行線を描いています。海水にまみれた車両が集められて3段に重ねられています。まるで堤防代わりのようです。
 北上川をはさんだ漁港近くには4段重ねで高さ20メートルの巨大な 「瓦礫」 が他の建物を圧倒しています。「瓦礫」 には煙突が立っています。ガスが充満して発火する危険性があるので 「ガス抜き」 のためです。

 今、各地の復興プランの議論のなかで住宅をどこに建てるかがテーマになっています。よく安全な高台への集団移転が話題になりますが、住民の意見は決してそれだけではなく様々です。高い建物などの避難施設を作れば海の近くでも安全だという主張もかなりあります。海で育って生きてきた者たちは海から離れるのを嫌がります。
 高い堤防を幾重かに張り巡らせば大丈夫という意見もあります。ではどれくらいの高さにするか。今回の津波は38メートルの高さに及んだところもあります。海が見えてこそ港町だ、高い堤防を張り巡らせては港町とは言わないと反論が出されました。高い堤防を築いたら、海にさらわれていった仲間が帰って来られなくなるという意見もあります。
 高台でなければ絶対嫌だという意見と海の近くに戻りたいという意見は、それぞれ尊重されなければなりません。

 石巻市の堤防代わりのような 「瓦礫」 は、海にさらわれていった仲間の帰りを拒否するだけでなく、助かって避難している仲間が町に戻って来るのを妨げています。
 日和山公園の近くに避難している被災者の方が「海で栄えた町に残って海を眺めると、その手前に 『瓦礫』 があるんだよ。散歩していると朝日が 『瓦礫』 の上に登るんだよ。そこから1日が始まる。減らない。頑張ろうと言われたって……」 と訴えていました。
 各地の空き地が集積場になっています。そのため仮設住宅は遠くに建設せざるを得ませんでした。そうすると震災復興住宅はさらに遠くに建設せざるを得ません。(8月23日の 「活動報告」 参照)

 震災後に収穫した近海ワカメは従来よりいい品質、ホタテの発育もいいといいます。海水がきれいになったのと、津波が引いた時に陸から流れ出たプランクトンや栄養素が原因ではないかと言われています。
 近海での豊漁には自然の河岸と海辺が必要だと言われて久しいです。陸と海が共存しないと豊漁にならないのです。すると頑強な河岸と堤防は収穫量と品質を低下させることになります。

 日和山公園から海を眺めると、西の方向に石巻市で一番大きい企業である日本製紙石巻工場が見えます。震災から半年が過ぎた昨年9月に生産を再開し、震災前の生産高の半分ぐらいまで漕ぎ着けていました。9日に主要生産施設が稼働して4分の3まで回復したと報道されていました。
 太い煙突から白い煙が立ち昇っています。稼働燃料に木片の 「瓦礫」 をチップにして利用しています。
 まだ公害問題が社会問題として大きく取り上げられていなかった頃は黒い煙が立ち込め、地域住民にぜんそくの症状が出たりしていました。その後規制が厳しくなりました。
 震災からちょうど1年、新しい石巻を作る希望として煙は勢いよく吹きあげています。
 石巻市全体の「瓦礫」の量は610万トンで、岩手県全体を合わせた量を上回ります。しかも集められた 「瓦礫」 はまだ半分に至っていません。
 処分量は日本製紙の協力もあり他の自治体と比べたら進んでいます。しかし絶対量が多すぎます。1年間でやっと5%近くが処分されました。この調子では後20年かかります。
 
 公園で、初対面同士の60代と70代の被災者の方としばらく話をしました。
 やはり 「瓦礫」 と原発の話題になります。
 「陸前高田の松の木が京都の大文字焼で焚かれるのを拒否された時は悔しかったね」 もう1人が頷きます。「危険でなくてもああだから、被災地全部が危険だと拒否されたように受けとれた。『日本は1つ』 なんていうのは大嘘だったんだよね」
 「松の木が危険だというのなら、陸前高田に住んでいる人や、そのもっと手前にいる俺たちも危険に曝されていることになる。だけどそのことには関心ないんだよね。自分たちだけは危険にさらされるのが嫌だという」 「あれは一部の人で支援してくれる人のほうが圧倒的に多いけど」「あのおかげで人に頼らないで自分たちでちゃんとしなければという意識を持つきっかけになった」
 多くの人たちが心を寄せて支援を続けてくれていることへの感謝の気持ちは会話の中で何度も繰り返されます。しかし言わなくては晴れない気持ちもあります。

 「福島の子供たちが船橋市でいじめられた時は驚いたね。福島の人たちは福島原発の電力を使ってないよ。自分たちが福島原発の電力を使っていたくせに、使ってなくて被害を受けた人たちをいじめるんだからね。親の意識がそうなんだよね」 「福島の子供たちは船橋や東京の人たちの被害者だよ。その認識がない。みんなが被害者だというがその前は原発を受け入れていたんだから」 「東京で使う電力は東京で作っていればいい。東京に原発を作っていたら福島は今回の様な被害に遭わなかった」
 東京に原発を作って事故に遭えばよかったと言っているわけではありません。放射能被害を 「自分の周辺からだけは何が何でも排除」 と主張する人たちの思考とは相いれないということです。
 「福島の人たちは気の毒だよ。家があるけど帰れないんだから。俺らは家がなくなって帰れなくなったから諦められたけど」
 「石巻の復興にはどれくらいかかると思いますか」 と質問しました。「20年かな、30年かな」 「何とかなるさと思わないとやっていけない」 「明日のことは考えるけど明後日のことは考えられない」

 山を下りて市街地を歩きました。
 市の中心部や繁華街は11日の夜になってから浸水してきたといいます。1メートル近くの地盤沈下が起きました。そのためしばらくの間、海水は引きません。鉄道の駅前付近ではボートで救援活動が行われました。
 店を開いているのはぽつりぽつりです。お客さんがいません。それ以外は、ベニヤ板や鉄板で塞がれています。
 夜になると飲食店は震災前以上に賑わうと聞きます。客は復興工事関係者、長期出張の行政機関への支援者、中央官庁の出張者などです。
 鉄道の駅前あたりはそれでも人の交差がありました。重いリュックを背負った集団が出発時間を待っています。ボランティアの人たちです。
 市役所が駅前に移転してきました。5階に献花台が設けられていました。

 石巻市主催の追悼集会は市の中心部からは遠い、合併前の河北町内の施設で催されました。
 旧河北町に大川小学校があります。児童108人中70名が亡くなり、4名が行方不明です。しかし忘れていけないのは一緒に教職員13名中9名が亡くなり、1名が行方不明だということです。教職員の遺族や親族は児童を助けられなかったことに申し訳ないという思いを抱き、悲しみを表に出せないで、じっと耐えています。

 震災に遭って悲しんでいるだけでは悔しいです。
 震災の“おかげで”いいこともありました。
 街で会う子どもたちや高校生、大人たちもが見知らぬ人にも 「こんにちは」 と声をかけてきます。
 漁師町で、船主の鼻っ柱が強かった町ではこれまでなかったことです。
 失ったものはたくさんあっても、人の繋がりの大切さを習得しました。


 10日に東京から石巻に向かいました。
 鉄道で東京から石巻に行くには仙台駅で仙石線に乗り換えます。しかし仙石線は全線が復旧していません。松島海岸駅で代行バスに乗り換えて矢本駅まで行きます。接続はうまく設定されていません。
 松島海岸駅前の食堂に入りました。他に客はいません。「震災後観光客はほとんど来ない。小中学校の遠足でにぎわうくらい」と言います。
 この食堂付近も胸のあたりまで海水に浸ったといいます。しかし松島湾の島々が堤防代わりになって、直接津波に襲われるとことはありませんでした。
 「私たちは海水に浸っただけだけど、東松島や石巻の人たちは気の毒だよね。だから一度も見に行っていない」
 それぞれ大きな被害をうけながらも、石巻の人たちは福島の人たちを 「気の毒」 と言い、松島海岸の人たちは東松島や石巻の人たちをそう語ります。

 代行バスは元の線路に沿って走ります。鉄道が再開していないのは被害が大きすぎて復興計画は全く立っていないからです。鉄道が走らないから住民は戻りません。
 東松島市に入ると電光掲示板に 「まず一歩を踏み出そう」 と流れていました。まだ一歩も踏み出せていないのです。
 外を眺めると、すさまじい状況が続きます。田圃はヘドロが盛り上がったままで土は黒く、水はけが悪いためところどころに池ができています。夏でも雑草が生えませんでした。
 田圃の被害は、海水が入っただけなら雑草が高く生えました。ヘドロが流れ込んだところは、それを取り除くと草が生えます。ヘドロが運ばれてきたところは雑草も生えません。

 それでも線路とホームはきれいになっていました。
 宮城全労協ニュース/第218号によると、3月10日にプラットホームしか残っていない駅やその周辺で震災一周年の住民イベント 「みんなの夢をのせて~走れ!仙石線!」 が開催されました。(写真には駅前に積まれた 「瓦礫」 が映っています)
 野蒜駅でのオープニング・セレモニーは大曲浜獅子舞保存会による獅子舞でした。
 子どもたちは駅間を歩きました。

 大曲浜は石巻市に隣接しています。
 大曲浜に住んでいた高校生の伊藤健人さんはお母さん、お祖父さん、お祖母さん、そして弟の律君 (5歳) を奪われました。
 「瓦礫」 の中でお母さんたちを探していると泥だらけの 「青い鯉のぼり」 が出て来ました。
 伊藤健人さんがホームページに書いています。
 「その時確かに聴こえたんだ。
  『健ちゃん!今年もお空に律の鯉のぼり高くあげてね』 って…。
  僕は家の仕事もそっちのけで鯉のぼりを近くの川で洗い、母や祖父母達への思いも乗せ次々と出て来
 た四匹の鯉のぼりを家の在ったあたりに空高く揚げた。
  『律!見えるか!』
  天高く揚げた鯉のぼりが喜んでるかのように風にのって体をくねらせ泳ぎ始めた。

  鯉のぼりは天に昇って竜になりやがて伝説となる。
  青い鯉のぼりは子鯉で 『家族』 のシンボル。
  青い鯉のぼりを弟の律や同じ東日本大震災で亡くなったこども達の為に、地震や津波の心配の無い大
 空高くに揚げてください。
  そしてもし不用になった 『青い鯉のぼり』 がありましたら私達に送ってください。私達の街や人々の復興
 のシンボルとして、そして亡くなったこども達が寂しくない様に沢山の青い鯉のぼりを空高く揚げたいと思
 います。」
 昨年5月5日には 「律君の青い鯉のぼり」 224匹が泳ぎました。

 今年は3月11日から5月5日まで揚げる予定ということなので大曲浜に行きました。
 しかし変更されたようで、橋の欄干に10匹ほどが繋いでありました。
 あたりは、ヘドロの田んぼと津波に襲われたたくさんの家屋がそのまま残っています。人影はまったくありません。宮城県内で一番ひどい被害を受けたところだと言われています。

 青い鯉のぼりは地震に遭っても大空を元気に泳ぎます。
 津波に遭ってものみ込まれないで青空を泳ぎます。
 いつか天に昇って何ものにも負けない竜になって大地と海を見守り続けてほしい。
 そのような願いも込められているのだそうです。 
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