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「日比谷派遣村」 人びとの行動力が持つ可能性
2011/12/26(Mon)
12月26日(月)

 12月23日の続きです。

   〈派遣村 4日目〉

   昨年のお正月は、昔の友人たちとドライブをして過ごしました。
   久しぶりはしゃぎ、騒いだ記憶があります。
   立ち寄った食堂のテレビで、マラソンを観ました。
   応援するチームがあるはずもないので、
   追い越すチームに「それいけ!」と声をかけました。
   今思うと、「勝組み」 になるチームを応援していたのでした。

   今年のお正月は日比谷公園です。
   日にちの感覚もなくなったけれど、
   昨日と今日と、側を走るマラソンが、お正月なんだと認識させました。
   今年は、沿道には行かないけれど、
   どのチームも 「勝組み」 にならなくてもいいから、
   一生懸命、一生懸命走れと伝わってくる歓声に応援しました。

   私は今、応援されています。
   応援されるのも嬉しいけど、
   誰彼にでも応援しているとき、なんだかドキドキしました。
   人を思いやるって素敵なことです。

   派遣会社の上司から、
   「〇〇日をもって契約を解約する」 と紙を渡されながら、無表情で言われました。
   解約の意味が解雇ということぐらいはわかっています。
   しかし、私の身の上に、何が起きたのか、
   この後どうなるのかは理解できませんでした。
   頭の整理がつかないまま、今まで流されてきました。
   
   演説をした人が、私たち派遣労働者が悪いのではない、と言いました。
   私も悪いことをした記憶はありません。
   だから頭の中がなおさら整理がつかないのです。
   
   私たちの責任ではないという言葉を聞いて、
   私は自信を持ち直すことができました。
   そしたら怒りが湧いてきました。
   私たちは、もっと早く怒るべきだったのです。

   私は怒ります。
   ボランティアの皆さんと同じように、みんなと一緒に怒ります。
   それが私たちの持っている 「力」 なのですから。


   〈派遣村 5日目〉

   昨夜は温かいところで眠りました。
   足を延ばして眠れました。
   明るいところ、がっちりとした屋根のあるところは天国です。
   贅沢をさせてもらっています。
   
   集会がありました。
   スタッフの皆さんが一生懸命交渉を続けてくれていることがわかりました。
   集まった力が、何かを動かしているんだとひしひし伝わってきます。
   国会議員が発言しました。
   みんな心を寄せてくれています。
   私は、今度の選挙に投票用紙が4枚欲しいです。
   1枚ずつ 「民主党」、「共産党」、「社民党」、「国民新党」 に投票します。
   「ありがとうございました」 と書き添えたら無効です。
   でも書きたい気持ちです。
   
   今日も暖かいところで眠れます。
   しかし今日で終りかと思うと辛い気持ちです。
   次のところに移るのがいやだと言うことではなく、
   ボランティアの皆さんの顔が見られなくなるのが一番辛いのす。
   
   ボランティアの皆さんは、いてくれるだけで心強いです。
   本当は私たちがしなければならないことを、一生懸命してくれます。
   でも、私たちがしたら、ボランティアはいなくなってしまいます。
   甘えたいような、複雑な気持ちです。
   
   バンドの人が 「ふるさと」 を歌っていました。
   今は聞きたくない歌です。
   忘れようとしてきたことを、
   思い出したくないことを、思い出しました。
   聞こえないところまで逃げました。
   
   ついでに公園内を歩きました。
   青い空の下には別世界がありました。
   それぞれ幸せそうです。
   羨ましいとは思いません。
   私は今、多くのみなさんから何よりも大切なものをもらって、
   心の中は幸せです。
   
   明日は、それぞれに分かれます。
   ここは今夜で終りです。
   夜、また歩きました。
   薄い雲がゆっくりと流れていました。
   隙間から星がちょっとだけ輝いていました。
   
   
   〈派遣村 最後の日〉
   
   最後の食事をいただきました。
   これでボランティアの皆さんとはお別れです。
   悲しいようで、怖いようで、複雑な思いに不安は消えません。
   日比谷公園にいたいという思いも片隅にあります。
   でも、いつまでも人に甘えてはいけません。
   6日間に全国の皆さんからいただいた温かい気持ちを、
   自信と勇気にして頑張ります。
   皆さんにお礼を言います。
   何度も、何度も言います。

   挫けても絶対に負けません。死にません。
   どんなことがあっても頑張ります。
   それが私の皆さんへの恩返しです。
   挫けそうになったら、日比谷公園に来ます。
   そして皆さんのことを思い出します。

   私はいつか必ず、堂々と日比谷公園に来ます。
   日比谷公園は私の第2の故郷です。
   そのとき、『ふるさと』 を逃げないで歌います。


 支援物資の米は30キロ単位の袋でどんと大量に届きました。一方、決して楽な生活をしていない方がたからもたくさん送られました。米櫃から分けた米数百グラムをビニール袋に入れ、文書を添えたものもありました。支援は 「思い」 です。
 イタリアからメールでメッセージが届きました。
  「……御ユニオン、ボランティアの方々のこれ以上のことはできないと思われるほどレベルの高い緊急
 対策 (政府や経済界への要請、派遣村の創設、炊き出し、生活保護申請の援助など) をされている姿に
 感動しました。……
  最近ミラノ市内にあるカトリック慈善団体の無料給食配給所を視察する機会がありました。一日昼食と
 夕食で延べ2000食以上を提供しています。登録さえすれば、家のない人々は10日に一回シャワーを
 浴びることが出来ます。その時、一人ひとりにきれいに洗濯されたバスタオルや髭そり用セットなどが支
 給されます。(バスタオルは返還必要あり。) 一カ月に一回は衣服、靴、バッグなどをサイズごとに分け
 られたコーナー (ブティックのように其々きれいに洗濯されアイロンをかけられている) から選ぶこと
 ができます。
  またボランティアの医者や看護師から診察や治療を無料で受けられ、必要であれば市内の連携した病
 院で適切な処置が行われます。何よりも胸を打たれたのは、慈善団体側から、『施してあげる。』 とい
 う対応ではなく、一人ひとりの人間性を尊重した暖かい対応をされているのを見た時です。
  真面目に誠実に日本の厳しい状況を少しでも改善するために日々努力されておられる皆様に、心から
 頭が下がります。」

 長電話の苦情もあります。
 若者は 「どうしてあのような人たちを支援するんですか。僕は一生懸命頑張っているんですよ。あの人たちは頑張れなかった人たちじゃないですか」。何度も繰り返して叫びます。その中からは、彼が必死に頑張り続けていることが伝わってきます。ちょっと気を抜いた時の自分の姿が 「あの人たち」 に重なるのです。頑張りの突つ支い棒が外れてしまうのです。そのことを拒否するために、「甘やかされる」 「あの人たち」 の存在を見たくない、認めたくないのです。
 他者に期待できないと覚悟し、自己責任で必死に生き抜いている労働者の1つの姿です。
 「私たちはあの人たちの支援を続けます。そしてあなたが大変になったらあなたも支援します。無理をしないで働いてください。何かあったらまたこの電話番号に連絡して下さい」 と答えました。

 「派遣村」 にはたくさんのボランティアや支援が参加しました。
 参加者からさまざまな意見や感想を聞きました。その中の決して少なくない数の感想が 「頑張っているのは小さなユニオン、大きな労働組合が見えない」 でした。
 しかし力が小さい者たちでも一緒に声を上げた時、困難さは突破できたのです。議会や大きな組織に依存しなくても政治や社会を動かせたのです。
 ボランティアが 「村」 で体感したのは、人びとの行動力が持つ可能性でした。
                        
 しばらくして、派遣村 「村民」 だった方から電話がありました。
 「アパートが決まり、明日仕事が決まります。ありがとうございました。今後何かありましたら駆けつけますので連絡をください。」
 
 
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「日比谷派遣村」  『雇用の流動化』 とは運命に愚弄されること
2011/12/23(Fri)
12月23日(金)

 クリスマスが近づくと、08年年末から09年年始の 「日比谷派遣村」 のことを思い出します。
 クリスマスが過ぎた頃から実行委員会の連絡先事務所には支援物資が届き始めます。その量は日ごとに増えていきます。最初は何かが起きていると感じましたが 「派遣村」 が開村される頃には地殻変動が起きていることを実感しました。
 日比谷公園の運営はパニック状況だということで、6日間、連絡先事務所の留守番を買って出ました。
 米、野菜、餅、果物、お屠蘇用の酒、衣類、カンパ金など支援物資がどんどん届きます。ポストに100万円入りの封筒が2通投げ込まれました。
 野菜や果物を腐らせないために暖房は付けられません。コートを着てテレビでマラソンを観ていると、いい場面に 「宅急便でーす」 と声がかかります。

 その時の体験を後日 『朝日新聞』 の 「視点」 欄に投稿すると修正されて採用されました。
 修正される前の原稿です。
  「昨年末、突然契約解除された派遣労働者を扱ったテレビは、バックミュージックにショパンの 『木枯し』
 を流していました。しかしこの曲は、室内から窓外の光景を描いたものです。
  日比谷公園の 「派遣村」 は、木枯しは吹きませんが、夜は底冷えする日が続きました。
  私は、開村期間中、「派遣村」 ではなく、実行委員会連絡先で電話対応と物資の受け取り、現地への
 伝言伝達や物資搬入をしていました。
  そこでの体験です。
  緊急連絡と手で持てる限りの荷物を持ってタクシーで最寄の駅に向かいました。『今から帰省ですか』
 と運転手が聞きます。『派遣村に荷物を届けるんです』 と答えました。運転手が話し始めました。『私も実
 はこの10月まで派遣労働者だったんです。10月に大手自動車会社の採用試験を受けたら落ちたので、
 ちょうど資格を取れたので今の会社に入社しました。採用されていたら今頃解雇になっていました』
  『落ちてよかったですね』
  『落ちてよかったですね』 とはおかしな会話です。『雇用の流動化』 とは労働者にとってチャンスではな
 く運命に愚弄されることなのです。今回突然解雇された労働者もまさか採用時にはこのようなことになる
 とは考えていなかったでしょう。
  2日夜、厚生労働省の講堂が使用できるというニュースが流れました。電話がきました。『結局あんたら
 の運動は税金を使わせろということじゃないか。俺たち低賃金の労働者が納めた税金を。どう思うってい
 るんだ』
  『契約解除された労働者もそれまでは税金を払っていました。今後は収入はなくても住民税の請求がき
 ます。税金は払っています。払っている者がその使い方について要請して悪いんですか。贅沢させてくれ
 と言っているんではないんです、屋根のあるところで寝かせてくれと言っているんです。そう要請するの
 は間違いですか』 と反論しました。
  『頑張って下さい』 と言って電話は切れました。
  派遣労働者は、派遣先の会社や社員に対して 『引いている』 のだそうです。要求や提案はしません。
 契約解除を言い渡されて受け入れた労働者に対しても、弱い者同士がいがみ合う構造は悲しいことで
 す。それではいけないと今回のボランティア参加者の活動は教えてくれました。
  現金書留でカンパも寄せられています。その一文を紹介します。
  『……今何か自分でできることをしないとと思っていた矢先に記事を見て、寄付をすることにしました。
  息子は、高校を卒業し国家公務員でしたが、2年前に36歳で過労自殺で亡くなりました。この社会は正
 規、非正規にかかわらず働き方が異常です。人間を人間扱いしない社会を終わらせるためにカンパしま
 す。働く人々が当たり前に生きられる社会に向け、皆さんの活動に賛同し感謝します。頑張ってください』
  大量契約解除は労働者を人間と見ない企業が強行した 『人災』 です。それを許したのは行政改革・構
 造改革を進めた政治です。今回の 『派遣村』 に寄せられた支援は、『村民』 はその被害者で、『自己責
 任』 では解決できないと捉えたからです。
  行政改革が叫ばれて始めた頃、石原前行政改革担当大臣は就任会見で、具体的方針として 『例え
 ば、住宅金融公庫とか雇用能力開発機構とか……』 と切り出しました。いずれも労働者の生活に関する
 ことです。実はこれらの部署の一部分の問題点をクローズアップさせることで、労働者の住宅問題、職
 業訓練の問題を切り捨ててきたのです。
   …… 
  『派遣村』 の盛り上がりは、行政改革・構造改革の労働行政に対する大きな異義申立です。」

 駆け付けたボランティアずべてが行政改革・構造改革への反対・批判者ではありません。生存権を脅かされている労働者の姿を見せられた時、その存在を肯定できない人たちでした。「村民」 は、ちょっと前まで自分たちの近くにいた人たちだったのです。


 日比谷公園に行った時にはさまざまな人たちと交流しました。

  〈派遣村 1月1日〉

  2008年を生き抜くことができた。
  2009年も生きています。
  みなさんに生きようと言われました。
  私ももっと生きていたいと思いました。

  発砲スチールの器を 「フーッ」 と吐いたら、
  汁に涙が混じりました。
  寝ていても、テントの屋根に手が届き、
  背中は少し寒くて身を震わすけど、
  握り締める拳は温かいです。

  私は、ただ真面目に働いてきました。
  それが会社への貢献だと捉えていました。
  贅沢など縁遠いことだと、考えたこともありませんでした。
  それでも不満もわきませんでした。

  だから仕事を奪われ、部屋も奪われたとき、
  何がなんだかわかりませんでした。
  私の全てが奪われました。
  路頭に迷いました。

  そのとき 「ビラ」 をもらいました。
  「仲間がいる 『テント村』 へ。」 と書いてありました。
  私に手招きをしてくれる人がいるのです。
  私は、辿りつきました。

  みんなが作ってくれた食事は、
  どんな豪華な料理よりも美味しいです。
  みんなの励ましをあり難く受け取っている自分を発見しました。

  私は、みんなから肩を押されました。
  前向きに、一緒に生きようと言われました。
  私ももっと生きていたいと思えるようになりました。
  私は、みんなと一緒に生きていきます。


  〈派遣村 2日目〉

  ここに来るまで、不安で眠れない日が続いていました。
  昨晩は久しぶり、少し安心して眠れました。

  私が目を覚ました時、人たちはすでに活動していました。
  食事を作る人たちを見て、小さな時の母を思い出しました。
   1年中、皆より早く起き、食事をさせて、
   私たちをせかせて送り出しました。
  見回りと物を片付ける人たちを見て、父を思い出しました。
   父は、いつも素知らぬ振りをしながら、
   本当は心配してくれていました。
  ここの人たちみんなが、家族のように見えてきました。

  食事を貰う時、「どうぞ」 と笑顔で言われました。
  「申し訳ありません」 と心の中では返していました。

  本心から人にお礼を言ったのはいつ以来だろうか。

  仕事をしていた時、しょっちゅう上司から叱られました。
  叱られる意味がわかりませんでした。
  しかし刃向ったら首になると恐れ、
  反射的に「申し訳ありません」と答えていました。
  いつもいつもそうしていました。

  今、忙しく活動している人たちは、
  私にとって、父や母ではなく弟や妹の世代もいます。
  至らぬ息子は、世話を焼かせる兄になっています。
  でも弟や妹は、昔の母や父のように、
  私たちをやさしく見守ってくれています。
  感謝します。
  本心から 「申し訳ありません」 と言いたいです。
  本当は 「ありがとうございます」 と大きな声で言いたいです。
  ここでみなさんに会えて、不安が少しだけ消えました。


  〈派遣村 2日目の夜〉

  夜、コップにお酒を注いでもらいました。
  もったいないから少しづつ飲みました。
  隣の人が、「おいしー」 と言いました。
  その顔を見て私も頷きました。
  身体が温まりました。

  隣の人が、もう一杯もらってきて、
  私に半分わけてくれました。
  恐縮しながら受け取りました。
  「ありがたいな」 彼は言いました。
  私は何度も頷きました。
  私は自分が笑顔を浮かべているのに気付きました。

  やけになって、飲み過ぎたこともしょっちゅうでした。
  味などどうでもいいことでした。
  誰にともなく当たりました。
  止められませんでした。

  「会社ってひどいよな」 彼が言いました。
  私はまた頷きました。
  それだけで話は途切れました。

  「ありがたいね」 今度は私が言いました。
  「ホントにな」 と彼は返してきました。
  たったこれだけの会話だけど、
  ここにきて、初めての会話でした。

  「頑張ろうな」 彼が笑いながら言いました。
  私は深く頷きました。

  テント村は、食事と寝場所と、
  仲間と笑顔を私たちに提供してくれました。
  私は、負けていられません。 
 

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「差別がつくった 落とし穴」
2011/12/21(Wed)
12月21日(水)

 最近、再審決定、再審請求においてこれまで検察側が提出していない証拠に裁判所から提出命令が出されることが相次いでいます。
 そのなかの1件が袴田事件です。検察側が提出しなかった証拠に裁判所から提出命令が出されました。
 1966年6月、静岡県清水市 (当時) の味噌製造会社専務宅で、一家4人が刃物で殺害され、放火されるという事件がありました。警察と検察は、近くにある味噌工場の住み込み従業員で、元プロボクサーの袴田巌さんを犯人に仕立てて逮捕します。袴田さんは一貫して無実を訴え続けましたが静岡地裁は死刑判決を下します。最高裁でも死刑判決は覆りませんでした。
 袴田さんは、再審請求をおこないますが、2008年3月に最高裁で棄却されました。
 同年4月に第2次再審請求を静岡地裁へ提起しています。
 一審判決を言い渡した合議の裁判官の1人はずっと無罪だと主張しています。
 警察は、袴田さんが元プロボクサーだったという偏見によって見込み捜査を行いました。この偏見による冤罪に、日本プロボクシング協会は袴田さんの無罪を勝ちとるために、試合前の訴えや署名集めなどをして共に闘っています。

 狭山事件では、これまで弁護団が開示を要求し、検察官が拒否をしていた証拠品が提出されることになりました。
 1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、自宅に脅迫状が届きます。警察は、身代金を取りにあらわれた犯人を40人で張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見されます。
 捜査にいきづまった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、証拠がないまま石川一雄さん (当時24歳) を別件逮捕し、ウソの自白をさせて、犯人に仕立てあげました。
 事件直後、地域住民のなかに 「あんなことをするのは部落民にちがいない」 という差別意識が湧き上がり、石川さんが逮捕されるとほっとした雰囲気がうまれたと言います。
 一審は死刑判決。石川さんは二審開始から無実を訴えますが1974年10月31日、東京高裁は無期懲役判決を言い渡します。
 当時東京高裁は日比谷公園の向かいにありました (現在の検察庁の位置)。この日、日比谷公園には全国から10万人の部落解放同盟員、労働者、学生、市民などの支援者が無罪判決を確信して結集しました。部落解放同盟は子供たちを同盟休校させました。大阪を中心にたくさんの労働組合、学生自治会は支援のストライキを打ちます。東京の高校では部落問題研究会の生徒が集会に参加するのを公休扱いとしました。
 しかし判決は無期懲役だと聞くと、みなその怒りの抑え方を失いました。
 狭山事件は、誰が見ても石川さんは無実です。かつて、法学部の学生向け月刊誌 『法学セミナー』 の判事補が匿名で書くコラムにも狭山事件の審理はおかしいと書いたのが載りました。
 1977年に最高裁で無期懲役判決が確定します。
 1994年12月21日、石川さんは31年7か月ぶりに 「仮出獄」 します。31年7か月が経過しても、そして今もまだ 「仮出獄」 です。
 石川さんは東京高裁に再審請求申立をしましたが棄却。現在は、2006年5月23日に申し立てた第三次再審請求の審理中です。
 狭山事件は部落差別が生んだ冤罪です。「狭山差別裁判」 です。

 部落解放同盟と支援者は、集会、学習会、現地調査、映画上映、ビラ配布、そして署名活動などを展開して無実を訴え続けています。そのためのポスターも作成されました。
 ポスターの中に、石川さんが手錠をかけられて連行される時の写真が載っているのもあります。
 以前、聞いたことがある 「うっちゃんBAND」 は 『一枚のポスター』 という歌を作って歌っています。
 「うっちゃんBAND」 はホームページに次のように書いています。
  「<歌ができたときの様子>
  1994年の作品。1月の埼玉県同和保育実践交流会にアトラクションのゲストとして招かれたときに合
 わせて作った歌。今までの歌の中でもっとも気に入っている一つ。
  この歌の原風景は、小さな町の小さな集会所にはってあった手錠をかけられた石川一雄さんの写真入
 りのポスターからきている。当時関わっていた解放学級がよく使っていた集会所にポスターが貼ってあっ
 た。暗い廊下に長いこと貼られていたポスターだった。でもこのポスターにみんなの願い、思いが込めら
 れている。集会所にはいるとそのポスターに目がいく。ポスターを見るたび、怒りがこみあげる。狭山の
 集会に行くたびに、あのポスターが貼られた集会所の風景が頭によみがえる。あのとき一緒にがんばっ
 た子どもたちの顔も…。そんな思いを歌にした。」

   ぼくらの ムラの 集会所に
   一枚のポスターが はってあった
   手錠をかけられた 一人の青年
   何を見つめていたのだろう
    
   あれから何年の月日がたった
   取り戻せない 長い日々
    
   仕事に疲れた 父母(ちちはは)が
   胸にゼッケン つけて出かけてく
   どうして教えて 父ちゃん母ちゃん
   この人が何を したというの

   あれから何年の月日がたった
   取り戻せない 長い日々
    
   闘いのなかで ぼくらは知った
   差別がつくった 落とし穴
   罪を着せられた 一人の青年
   嘘に包まれて 嘘にだまされて
    
   差別に砕かれた 彼の青春
   鉄の格子に 閉ざされて
   ぼくらは叫ぶ 彼を返せと
   差別が生んだ 冤罪なんだ

   ぼくらは闘う 力の限り
   この手に真実を つかむまで
    
   闘いのなかで ぼくらは知った
   差別がつくった 落とし穴
   罪を着せられた 一人の青年
   嘘に包まれて 嘘にだまされて

   ぼくらの ムラの 集会所に
   一枚のポスターが はってあった
   手錠をかけられた 一人の青年
   何を見つめていたのだろう

   ぼくらは闘う 力の限り
   この手に真実を つかむまで
   この手に真実を つかむまで


 今、労災申請書作成を手伝っています。
 全国に支店がある誰でも知っている会社の、地方の1支店での出来事です。
 支店長と課長職は本社採用の男性、一般正規社員は地域採用です。このほかに短時間労働者、高齢者雇用安定法の施行によるOBを含めた有期雇用労働者がいます。
 顧客から預かったものの取扱いにミスが発見されました。有期雇用労働者の女性が 「犯人」 にされます。しかし女性ではないことは明らかです。それでも会社は 「犯人」 にし続けます。
 そこにはそのように導く構造があります。
 本社採用の管理職は事なかれ主義です。そこに在任中は問題が起きてほしくない、起きても問題を大きくしないで解決したいの一心です。非正規労働者が業務上の相談をしたり、社員からのいじめを訴えても取りあいません。「伝えておく」 や 「我慢しろ」 で終わってしまいます。
 一般正規社員とかつて正規職員だったOBはいわば 「一族」 です。先輩・後輩、阿吽の呼吸の仲間です。何かあっても庇い合います。何か問題が発生した時、「犯人」 は 「一族」 でないことを期待します。立場上そのための世論を喚起する力も持っています。
 「犯人」 探しはそれ以外から。するとOB以外の非正規労働者がターゲットとなり、人選が始まります。
 そうすることで正規労働者と 「一族」 にとってはこれまで通りに職場秩序は 「安泰」 するのです。
 この構造のなかで 「犯人」 にされた非正規労働者が火の粉を振り払うのは並大抵のことではありません。同じ非正規労働者も自分は疑られなかったという安堵感と巻き込まれたくないという思いから支援しません。
 非正規労働者は、疑いがかかると当然潔白を主張しますが、一方で更新拒否などの雇用不安を覚えます。だから潔白を強く主張し続けます。うやむやは疑られたままだからです。
 正規労働者にとってはうやむやに処理されても了解できることでも、非正規労働者にとっては了解できないのです。
 このような中で、有期雇用労働者の女性は潔白を主張しても聞き入れられないまま、疑られたまま働き続けて体調を崩してしまいました。


 差別は、平時には糊塗されています。しかし事が起きると露呈します。職場にはトラブルが発生した時に、疑る・疑られる暗黙の 「ルール」 があります。「あいつが 『犯人』 だったらみな納得する」 「あいつを 『犯人』 にしたら職場秩序の安泰を維持できる」 という 「ルール」 です。一定の人物に 「犯人」 を期待するのです。人員整理の時に肩たたきに会う順序と同じです。
 職場における 「差別がつくった 落とし穴」 「差別が生んだ 冤罪なんだ」 です。

 袴田さんも、石川さんも、有期雇用労働者の女性も 「差別がつくった 落とし穴」 の犠牲者です。「差別が生んだ 冤罪なんだ」 です。
 だから真犯人探しではなく 「無罪」 と 「差別撤廃」 を一緒に叫んでいるのです。 


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北海道土産
2011/12/16(Fri)
12月16日(金)

 11月26日・27日と、「働く者の健康セミナー・札幌」 全国安全センター第23回総会が開催されました。
 第一日目は2つの分科会がもたれました。メンタルヘルス・ハラスメントの分科会は 「労働組合で取り組んでいること」 のテーマで、北海道勤労者安全衛生センターの松浦俊一さんから報告と資料提供がありました。

 松浦さんの話を聞きながら記憶を喚起すると、2005年に鈴木安名労働科学研究所主任研究員の分厚いパンフレット 『労働組合におけるメンタルヘルス』 を発行したのが北海道勤労者安全衛生センターでした。東京でも20冊ほど分けてもらい、勉強会をしました。
 当時、メンタルヘルスの問題を労働者個人の問題ではなく組織の問題だと労働組合に説明するめずらしいものでした。
 例えば、「メンタルヘルス氷山の三角」 の見出しがあります。三角とは①休職・欠勤の増加、②ミスや事故の増加、③犯罪とモラールの低下のことですが、これはメンタルヘルスの悪化した職場という見えない氷山から突き出たものです。問題解決は 「角」 から始めるのではなく氷山そのものである事業所から進める必要があります。
 メンタルヘルス対策は使用者の責任です。悪化は、生産性や企業収益に悪影響が及びます。1つは、労働日数の喪失です。日本には公式のデータがありません。アメリカでは毎年2億労働日 (ILO調査) と言われています。2つは、判断力や決断力が鈍ったり、カンや集中力が失われての仕事の能率低下です。3つめは、傷病手当・医療費の増加です。4つめは、自殺などへの訴訟対応です。
 これらが改善されたならば、労働者の処遇改善もより可能になります。
 パンフレットは、他にも職場の仲間同士のあり方や労働組合としての取り組むべき課題などが盛りだくさんです。

 昨年12月には 『職場改善マニュアル 労働組合主導による参加型思考の安全改善プログラムPOSITIVE』 を発行しています。POSITIVEとは、「労働組合主導による参加型思考の安全改善」 プログラムの名称です。
 『プログラム』 には具体的推進方法の解説と実践報告が載っています。
 推進のためのトレーナーを育成するセミナーでは働きやすい職場づくりの実践的な進め方や労使で進める労働安全衛生活動を学びます。
 実際に札幌中央郵便局を見学しました。そこでは 「職場のチェックリスト」 にそって①保管と移動、②ワークステーション (作業場) の環境と安全、③休養衛生施設、④環境保護を評価し、良い点=参考になる点を3点、改善すべき点3点を挙げるためのグループ討論をします。
 労働環境を改善するためには、すでに実践されている職場の良好事例 (Good Practice) から学び、その際すぐに改善を進めることのできる 「低コスト改善」 に特に注目します。
 そしてチェックリスト結果を職場の仲間と話し合うことによって、組合員として進めるべき労働安全衛生活動を学びます。
 4つの職場環境の改善領域には、過重労働・ストレス対策としてできる職場環境改善ポイントも幅広く取り入れています。そのなかで、「実効性のある過重労働対策やメンタルヘルス対策を進めている企業では、事業場としての安全衛生の取り組みとして、法令や規則のみに従った対応では不十分で、むしろ、労働者が自主的に職場のリスクを検討して、対策をすぐに行う枠組みやトレー人具を実施することで大きな成果をあげています。」

 石狩地協の 「メンタルヘルスと労災補償学習会」 の連続講座で 「職場で困らない 『発達障害』 との付き合い方」 のテーマの講演がありました。
 いわゆる発達障害とは、「脳の発達度合いがアンバランスであること」 と定義されています。
 特徴としては、①他人の気持ちに気付かず、「空気が読めない」 行動をとりやすい、②特定の感覚が過敏すぎて他人と共同行動がとれないこと (感覚過敏) がある、③朝起きられない・夜眠られない (睡眠障害) の結果、夜遅くまでインターネットやゲームをしてしまう、④やらなければならない課題を仕上げられない、仕事や勉強でうっかりミスが多い、失敗で怒られた経験ばかりが多く、何をやってもダメな自分だと思い込んでいるなど、それまでの人生で 「成功経験」 が少ないため、否定的思考に陥りやすい、ということがあります。
 特にアスペルガー症候群の場合は、①ルールへのこだわりが強く、職場の決まりを守らない人を上司に抗議してクビになる、②場の雰囲気が読めないので、雑談ができないため、会社や学校の休憩時間で何をしたらいいのかわからない、③予定変更が苦手で、突然にスケジュールが変更されるとパニックになり、その結果として自傷に走ることもある、ということがあります。
 では周囲の者はどのような “付き合い方” をするといいのでしょうか。 
 ①あいまいなルールをきちんと整理する。マニュアル化する。暗黙の了解は苦手で理解できないから。②スケジュールを明確に。③忘れっぽいので、メモ化して見えるところに、④業務指示はなるべく文書やメールで。耳からの情報処理が弱いから。⑤業務は細かい単位に分けるなど多少細かい対応をする。
 そうするとうまく仕事をこなせることが多いと言います。

 資料のなかに、札幌市が作成した漫画によるパンフレット 『職場で使える 「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』 と 『暮らしで使える 「虎の巻」 発達障がいのある人たちへの8つの支援ポイント』 がありました。
 『職場で使える 「虎の巻」』 の8つのポイントを紹介します。
 1、「一目瞭然 見本を観れば完成度アップ」。「適当に」 というあいまいな言葉に戸惑います。「ちゃんと」 「しっかり」 なども同様に苦手で、見本 (視覚情報や実体験) で確認するとみるみる完成度が上がります。
 2、「向き不向き 得意なことからことなら達人に」。いろいろな仕事をすると変化に対応できずにミスが増えました。1つの仕事を継続して担当すると、集中し正確で素晴らしい仕事ができるようになりました。
 3、「順序付け 手順が決まれば効率アップ」。作業中に別の指示を受けましたが、どちらの仕事を優先すべきかわかりませんでした。段取りは苦手ですが、優先順位の明確な指示で的確な作業ができました。
 4、「指示系統 聞く人決まれば迷わない」。「聞く人」 や 「聞くタイミング」 に迷い自ら指示を仰げず怒られました。あらかじめ指示する人が決まることで、忙しい環境や手が空いた時でも積極的になれました。
 5、「いつまでに 期限がわかれば集中力倍増」。あいまいな 「早めに」 という言葉のニュアンスが想像できません。期限が明確になることで仕事への集中力が倍増しました。
 6、「休憩時間 休みのとり方は千差万別」。心配性で疲れやすく常に緊張しています。休憩時に1人で過ごすし、緊張感から解放されることで、効果的にリフレッシュすることができました。
 7、「皆の手本に ルールがわかれば模範社員」。状況を読み取るのが苦手で皮肉や暗黙のルールに気付けませんでした。事前にルールを説明することで、誰よりも遵守することができました。
 8、「困ったときは 相談できれば、心はいつも雨のち晴れ!」。周りを気にしすぎて仕事が手につかなくなりました。あらかじめ困ったときの相談相手が決まることで、安心して仕事ができました。
 支援ポイントを実行して 「多彩な能力が発揮される職場へ」 と呼びかけています。
 「その特性が理解され適切にサポートされることで、本来持っている多彩な能力が引き出されます。分野によっては、群を抜く力を現し、社会にとってなくてはならない人材になりえます。」

 北海道勤労者安全衛生センターの取り組みは、あまり津軽海峡を渡っていませんでした。これを機会に全国に広まることを期待します。

 せっかく北海道に行ったのだから……。
 お土産に、「白い恋人」 でも 「面白い恋人」 でもなく 「北海道炭鉱遺跡 Calendar2012」 を買ってきました。毎月、季節の移り変わりに合わせた北海道の炭鉱遺跡を訪れた気分になれます。炭鉱遺跡は、写真に写っている光景だけでなく、町の雰囲気、人びとの息吹を醸し出します。
 今、炭鉱遺跡は訪れるファンが増え、ツアーが企画されたりしています。学会も立ち上がっています。 


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なぜ「労災認定基準」の長時間労働にこだわるのか
2011/12/13(Tue)
12月13日(火)

 昨年10月15日から開始されていた「精神障害の労災認定の基準に関する専門委員会」は11月8日に「報告書」を提出しました。12月6日に開催された「第46回労政審労働条件分科会労災保険部会」の審議に盛り込まれ、論議を経て了承されました。パブリックコメントの受付も終了しましたので近々通達として出されます。

 今度出される「認定基準」は、これまでの「判断指針」と比べると改善されている点もあると受け止められます。
 例えば、「判断指針」は体調不良に至った原因を「出来事」の表にあてはめ、「出来事」が複数あった場合には、メインの「出来事」を他の「出来事」が補強する方法で「総合判断」をします。しかし職場で発生する問題は複合的であり、連続性があります。体調はその中で加速して影響をうけます。決して単調なものではありません。「判断指針」ではそのところが認められにくい状況がありました。実態からかい離しています。
 今回は「出来事」と「総合判断」が一緒になっています。職場の複合的な状況が少しは受け止められやすくなるのでしょうか。
 以前、全国労働安全衛生センターは、厚労省への「要請書」に、「2つ以上の『出来事』が重なった場合、強度は足算ではなく掛算になる、そのような基準が必要」という趣旨のことを記載しました。
 今回の検討会の分科会である「第4回 セクシャルハラスメント事案に係る分科会」の論議の中で、山口浩一郎座長は「2つ以上の『出来事』が重なった場合、強度は足算ではなく掛算になるのではないか。そのような考え方が求められている」と発言しました。

 2つ目は、長時間労働について時間数が明記されたことです。これまでのようにないよりはいいです。しかし設定された時間数には問題があります。長すぎるのと、その根拠があいまいです。
 12月6日に開催された「第46回労政審労働条件分科会労災保険部会」においても労働側委員2人から意見が出されました。
 労働側委員の1人は、「長時間労働の定義は? 厚労省の通達では80時間とある。脳・心臓疾患の労災認定基準では100時間。今回は160時間と整合性がとれていない。」と発言しました。的を得た、言ってほしかった内容です。
 厚労省は、脳・心臓疾患の認定基準は医学的知見があるが、精神疾患の労災認定に際しては時間に関して医学的知見がない、臨床経験に基づいた意見から時間数を設定したと回答しました。
 もう1人は、「脳・心臓疾患の認定基準は100時間、精神疾患の認定基準は160時間となっているが、数字が1人歩きをして労務管理をされる危険性があるので勘違いをされないように指導してほしい」と発言しました。
 このことが議事録に残るだけでも、今後何かの時に役立つのかなと思いました。

 いじめ メンタルヘス労働者支援センターと全国労働安衛生センター連絡会議メンタルヘス・ハラト対策局は、厚生労働省にパブリックコメントを送付すると同時に12月12日、要請を行いました。
 そのなかで、なぜ長時間労働を問題にするのかを主張しました。
 現在の労働者が置かれている状況を、厚労省も専門委員会委員も知らなさすぎると思われるからです。

 精神的体調不良を訴えて相談に来た労働者が労災申請をしたい、裁判を起こしたいと要請しても相談を受ける側はすぐに了承はしません。まず、認定のハードルが高いことを説明します。そして結論が出されるまでの予想期間を説明し、それまでは身体は回復する方向には向かわない、逆に嫌なこと、忘れかけていたことを思い出さなければならないので悪化する場合が多いと経験を語ります。すでにどうしようもないほど体調を崩している相談者もいますが、この場合は、まずは体調回復に専念するようアドバイスします。
 それでも申請をしたいという相談者に対応しています。
 ですから申請数は体調不良者のほんのわずかです。泣き寝入りをしている労働者もたくさんいます。

 労働者はなぜ体調不良になるまで、そしてなってまで長時間労働をするのでしょうか。
 労働法制において規制がないからです。36協定はザルです。厚労省の通達は一方ではいいことを言いながら、もう一方では緩和されています。その結果、会社と交渉すると「違法ではない」と反論されます。
 そもそも現在の労働安全衛生行政の運用が法律ではなく「通達」を氾濫させて行われているということ自体が問題です。
 そのような中で、使用者は就業規則、労使協定の時間外労働時間の上限を「これ以上だと労災認定になる危険性がある」という数字から設定します。
 これまではあいまいでしたが、「時間外労働が100時間では認定にならない、120時間では認定になる」と流布されている情報です。
 そして労働者が体調を崩して交渉に至ると、きちんと管理されていない労働時間の少ない数字を主張してきます。
 労災認定における長時間労働時間の「基準」が、他の労働法規・通達にまさる「基準」なのです。使用者が一番気にしている「基準」です。 労災認定は行政が判断しますので独自の基準があるのは当然です。
 しかしその基準が、本来の趣旨から外れて、職場の長時間労働を容認しているのです
 その結果、労災認定「基準」が労災を発生させているのです。それを認定、却下と判断しているのが現状です。悪循環をどこかで断ち切らなければなりません。
 この実態を捉えたならば、厚労省はもう一回厳密に基準を捉え返して見直す必要があります。

 厚労省は、今回の「認定基準」を作成するにあたって、夏目誠大阪樟蔭女子大学大学院教授らからの「ストレス評価に関する調査研究結果と『心理的負荷評価票』における平均的強度」の報告をベースにして作成しました。
 夏目教授らは、これまでの「職場における具体的出来事」43項目に新たに「職場における具体的出来事」15項目と「職場以外の出来事」5項目の合計63項目について、0~11段階でのストレス調査を全国10.462人(男8.485人、女1.977人)から行いました。
 その結果から、平均6.0以上の「出来事」を心的負荷「Ⅲ」とし、「強」になると位置づけました。
 「1か月に120時間以上、140時間未満の時間外労働(休日労働を含む)を行った」は「6.1」でした。

 それほどまでに労働者は長時間労働にストレスを感じていないのでしょうか。
 そうではありません。
 労働者は、長時間労働に対する労働法制・通達による規制が「ザル」であるため、やむを得ないものとして不満も抱かないで諦めている実態があります。この場合、表面的ストレスは低くなります。
 労働者は、会社からの指示命令は拒否できないものと受け止めて達成します。ノルマなどを達成するのを「自己責任」と捉えます。逆に達成しないと「会社に迷惑をかけることになる」という意識にとらわれ、自己を責めます。自分以外のことにはストレスを感じないようになっていきます。このような中から長時間労働に対する不満はなかなか生まれてきません。
 相談者の中には、長時間労働などが原因で、本人は健康だと主張しても明らかに体調不良な者がいます。体調不良を「通常」としか自覚できていない者や、自分自身に健康だと言い聞かせて無理をしている者もいます。我慢する、そうしないと排除され、負け組になり雇用不安に追いやられるからです。
 彼らにアンケートを取ったら、客観的事実ではなく主観的事実を記載します。「気力」が彼らにとっての「事実」なのです。
 このような実態を抜きにしてアンケート結果の数値を「本音」と受け止めることは危険です。実際のストレス度とは大きな差があります。

 厚労省に今切実に問われているのは、残念ながら体調を崩した時の判断基準ではなく、体調を崩させないための政策です。厚労省は、労働時間と健康問題を結びつけるエビデンスがないと言います。だからと言って長時間労働を放置していいということにはなりません。
 エビデンスがあるということは、多数の犠牲者がいたということです。ないことはいいことです。労働者はモルモットではありません。
 なくても防止策を取るのが労働行政です。

 縦割り行政の他の部署が怠慢ななかで、現在長時間労働規制をカバーできるのは、残念ながら労災認定制度の時間外労働時間基準でもあるということはおかしなことです。しかしそこには実現可能な方法が存在しているのです。だから私たちはこだわっているのです。
 このようなことを要請行動で主張してきました。


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