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秩父の山並みから今日を見ると
2011/10/28(Fri)
10月28日(金)

 かつて真面目な労働者だった頃、毎年この季節に 「お墓参りに行くので」 という理由で連休を取っていました。周囲は忙しくても 「わかりました」 と答えて了解します。
 しかしお墓参りに行くのは事実ですが、「親族の」 とは言っていません。
 明治17年に埼玉県秩父地方で農民が蜂起した、いわゆる 「秩父事件」 で死刑や獄死、いきばて (どこで死んだかわからない人) になった人たちのお墓参りにグループで行きます。初めて訪れる遺族には 「お線香を上げさせてください」 と頼むとたいがい招き入れてくれます。何度も訪れている遺族からは 「来る頃だなと思っていました」 と答えられたり、歓待されたりします。神道の墓標にはお米を持参します。
 事件後、参加した農民は 「暴徒」、遺族は 「暴徒の家」 と呼ばれ続けてきました。地元に留まる遺族の多くは沈黙を守ってきました。
 戦後になっての、事件から65年が経つ頃から研究が進み、少しずつ“名誉”が回復されてきます。
 120周年の時、映画 『草の乱』 が制作されました。映画で事件に対する地域の雰囲気は大きく変化しました。

 明治17年11月1日夜、埼玉県下吉田村の椋神社に6000人とも10000人ともいわれる農民たちが負債の 「債主に迫り10カ年据え置き、40カ年賦に延期を乞う」 などの要求を掲げて蜂起します。蜂起に向けては長期間にわたって緻密な戦術が練られました。ですから蜂起の時の幹部が負傷や離脱、逮捕されても代わりが登場し、新たな指揮者が現れます。
 今の秩父市である大宮郷を占拠し、その後、警官隊や軍隊と対峙しながら転戦し、一隊が11月4日に児玉町金屋で激突、もう一隊は11月11日に長野県佐久の海の口で消滅します。
 蜂起した農民たちは 「秩父困民党」 とも称されますが、「困民党」 というのは、借金の返済ができなくなった負債民たちが、借金の据え置きと延納などを求めた負債農民騒擾の集団に警察や役人、新聞などがつけた名称で全国で60件以上があります。負債党、借金党などとも呼ばれます。
 
 毎年、事件の流れに沿って “追っかけ” をします。
 蜂起の前日の10月31日、寄居町風布の金毘羅神社には、オルグの 「天朝様に敵対するから加勢しろ」 との駆り出しに呼応して、戸長を含めて戸数以上の農民が参集します。 “風布組” はどの場面でも先頭にたって闘いました。
 今、金毘羅神社付近の山一面はみかんが鈴なりです。この辺りが江戸時代以前からみかんの北限地です。
 みかん栽培は、年平均気温が15度以上、最低気温がマイナス5度以上で冷たい北風が当らない条件が必要です。風布の標高230mから270mの日当たりのいい南向き斜面は、夜間の放射冷却で冷えた空気は谷底へ、昼間温められた空気はゆっくり上昇するので年平均気温は14度、最低気温はマイナス3度です。
 江戸末期には温州 (うんしゅう) みかんの苗木も植えられました。
 しかし江戸幕府が開国し、1859年 (安政6年) から、国内産生糸の輸出が開始されると、生糸は自家用から商品になり、従来は山畑や畔に植えていた桑は本畑にも植えられます。みかんは桑に変えられます。主穀生産は破たんをきたします。同じようなことが全国各地で起きました。
 1877年 (明治10年) の西南の役での軍事費の増大によるインフレに歯止めをかけるために、明治政府は緊縮財政、地租据え置き、地方交付金の削減・地方税の増徴、不換紙幣の整理、官営払い下げでなどで財政節約の政策を採ります。いわゆる 「松方財政」 です。その結果、物価の値下がり、利子騰貴で農村は不況となり、米、繭、生糸が半値になります。多くの繭農家が負債を抱えました。
 そのなかで秩父の農民たちは 「負債の40カ年賦」 を要求します。

 1930年、世界恐慌の中で輸出商品の生糸は暴落し繭農家は大打撃をこうむります。村が経済更生団体に陥ります。そのなかで満州への移民が推進されます。
 さらに第二次世界大戦が進むと産業転換が行われ、製糸工場は軍事工場の下請け工場に強制されていきました。秩父においても生糸が商品化されることがなくなりました。
 戦後の1952年頃から、荒れた桑畑はみかん栽培に切り替えられます。
 ですから風布でもミカン農家の旧い家屋の2階部分には養蚕農家の面影を残しています。

 皆野町日野沢は深い山の中にあります。
 鉄道が走る前までは、峠は人が行き交い、情報が交換され、文化が交流する交通の要でした。蜂起を秩父の周囲に呼びかける要所となりました。
 江戸時代後期、日野沢村は、村役人を 「入札(いりふだ)」 という無記名選挙の方法で選出したという記録が残っています。この方法は明治維新後の田中正造の生地・栃木県小中村などでも行われました。
 民衆は、為政者に対抗して自分たちの思いを実現させるのに 「英知」 を働かせたのです。そして 「英知」 による対応だけでは解決できないきない生活苦に陥った時、自らの要求をかかげて直接行動に打って出ました。それが農民一揆、自由民権運動、困民党蜂起です。
 英知には感嘆します。

 吉田町石間の谷を走る道の中腹に困民党副総理加藤織平の屋敷があります。その西南の小高い所に、台座に大きく 「志士」 と彫られた「加藤織平の墓」が建っています。
 明治末期に建立されました。困民党幹部で、憲法恩赦で釈放になった落合寅一が奔走しました。
 「志士」に対して警察は削れと要求します。寅一は拒否します。そうすると後ろ向きにしろ、紙を貼れ、人が集まる時は紙を貼れなどと要求してきましたがすべて拒否します。
 織平は質屋もしていましたが、困民党参加にあたって150円の貸し金をご破産にします。最後は東京・神田で逮捕され死刑となりました。
 石間も戸数以上の参加者がありました。今でも結束が固い集落です。
 墓の入り口には康申塔と日待塔が立っています。村人は通る時、康申塔を拝むのと一緒に織平の墓も拝んだといわれています。
 しかし第二次大戦が激化すると学校教育の影響で小学生が登下校の時 「暴徒」 のお墓に投石します。その傷が残っています。
 事件後村人は沈黙を強いられました。そのため子孫に事実は伝わっていません。何も知らない困民党に参加した 「暴徒」 の子孫が 「暴徒」 のお墓に投石したのです。

 吉田町の貴布祢神社に行きます。
 吉田町や隣の小鹿野町は芝居や歌舞伎が盛んでした。
 事件の翌年の5月11日、まだ警察の捜索活動が続いて地域全体が重苦しい中にあって、神社の境内で芝居が大々的に上演されました。参加して逃亡中の者の無事祈願だったといわれています。8月24日は旧暦お盆の15日でした。24日から4日間、大和座が芝居を上演します。事件に参加して亡くなった者の初盆です。いつもと比べて盛り上がったお盆だったといいます。
 
 9月1日に書いたように、今年の東北の夏祭りはこれまで以上に盛り上がりました。こんな時だからこそ、生きている者たちは 「はれ」 を呼び寄せて “絆” を強め、「け」 のバネにしています。
 123年前の秩父もそうでした。
 “追っかけ” はこれが第1日目の行程です。

 今年の9月19日は全国から明治公園に7万人が集まりました。
 124年前、人口が3000万人台の時に椋神社に6000人とも10000人ともいわれる数が結集しました。今ならどれくらいの数になるでしょうか。
 124年前の事件が、長い年月が流れても語り継がれているように、今年の9.19も時代を転換させた日として語り継がれるよう頑張りましょう。
 

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精神障害の労災認定基準改訂のための『報告書』がでました
2011/10/25(Tue)
10月25日(火)

 現在の精神障害の労災認定は、1999年9月14日付で通達が出された(2009年4月6日に改正)「心的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(「判断指針」)によって審査が行われています。
 その迅速化と効率化をはかるという目的で昨年10月から「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」が開催され、10回に及びました。
 10月21日、「専門検討会」は『報告書』(たたき台)を検討し、この後、語句の修正が行われて厚労省に提出されます。

 現在の「判断指針」は、新たな『報告書』ではどのように改訂されるのでしょうか。
 という前に、現在の制度は理解するのがかなり難しい内容です。そのため説明するのも大変です。
 業務に起因して精神疾患に罹患したからと言って簡単に労災認定にはなりません。
 まず、「判断指針」の「職場における心理的負荷評価表」に記載されている「具体的出来事」に該当しなければなりません。「ノルマが達成できなかった」「勤務・拘束時間が長時間化する出来事が生じた」「ひどい嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」など43項目があります。
 それらに「平均的な心理的負荷の強度」を強度「Ⅲ」「Ⅱ」「Ⅰ」の3段階で示しています。「ノルマが達成できなかった」は「Ⅱ」、「勤務・拘束時間が長時間化する出来事が生じた」は「Ⅱ」、「ひどい嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」は「Ⅲ」です。(心理的負荷の強度については、5月18日の「活動報告」参照)
 次に「平均的心理的負荷の強度」を「心理的負荷の強度を修正する視点」に記載してある「修正する際の着眼事項」にそって修正・評価します。例えば「ノルマが達成できなかった」は「ノルマの内容、困難性、ペナルティーの有無等」、「勤務・拘束時間が長時間化する出来事が生じた」は「勤務・拘束時間の変化の程度、困難性の程度」、「ひどい嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」は、「嫌がらせ、いじめ、暴行等の内容、程度等」とあります。
 さらに「『具体的出来事』の状況が持続する程度を検討する視点」から「出来事に伴う問題、変化の対処等」に沿って評価します。例えば、「仕事の量(労働時間等)の変化の持続する状況」について「所定外労働、休日労働の増加の程度」「仕事密度の増加の程度」を「持続する状況を検討する際の着眼事項例」にそって判断します。「職場の物的・人的環境の変化後の持続する状況」については「対人関係・人間関係の悪化」などについては「対人関係のトラブルが持続している」「職場内で孤立した状況になった」などの「着眼事項」があります。
 この手順で「弱」「中」「強」の総合評価を行います。

 厚生労働省の労働部局の労働者で組織する全労働省労働組合(全労働)の機関紙『季刊 労働行政研究』2008年夏号は、「精神障害等の認定をめぐる課題と改善方法」のテーマで労災補償業務担当者の座談会を載せています。
 1人の担当者は「心理的負荷の評価にあたっては、形式的に評価表に当てはまるのではなく実態に即して総合的に行う必要があります。『仕事上の責任』『仕事量の増加』『長時間労働』などが複合して負荷となることが、『判断指針』では必ずしも一般的と想定していないのではないでしょうか。複数の負荷要員が認められる場合、負荷強度の総合評価が3となる蓋然性が高くなることを考慮する必要があると考えます。」と語っています。
 『判断指針』の認定基準は、いい例えではありませんが次のようなものです。労働者が業務上のストレスで胃痛と肩こりと耳鳴りの症状が出たとします。かなりの重症です。しかし内科医、整形外科医、耳鼻科医からそれぞれ「大丈夫です。まだ働けます」と診断されたら「大丈夫」なのです。総合的に診断しないから重傷ではないのです。
 今回の報告書でも、「しかしそれでは手法が複雑であるのと、精神医学に関する高度な知識に基づく判断が必須でした。また「出来事」及び「出来事後の状況が持続する程度」を個々に評価する方法では、総合評価に齟齬が生じやすい状況がありました。」と認めています。

 『報告書』は、現在の「判断指針」では総合評価で判断されている「特別な出来事」が、「職場における心理的負荷評価表」から代わる「業務による心理的負荷評価表」(「新評価表」)の冒頭に掲げられました。(特別な出来事)はその事実が認められればその事実のみで業務による心理的負荷を「強」と判断します。
 セクハラは、現在は出来事の類型「対人関係のトラブル」に分類されていますが、強姦などのセクハラは(特別な出来事)となりました。
 現在、長時間労働については極度の長時間労働とだけ記載されていましたが、「発症直前の1か月におおむね160時間を超えるような、またはこれに満たない期間にこれと同程度の(例えば3週間におおむね120時間以上の)時間外労働を行った」時は(特別な出来事)となります。

 それ以外の「具体的出来事」については、「『出来事』及び『出来事後の状況が持続する程度』を別々に評価する方式を一括して評価する方法に改めることとし、新評価表はそれに対応するものとした」ということです。
 さらに(総合評価における共通事項)が具体的に整理されました。
 出来事後の状況の評価に共通の視点として、①仕事の裁量性の欠如、②職場環境の悪化、③?職場の支援・協力の欠如などがあげられました。
 また、心理的負荷が「中」「弱」でも出来事の前後に恒常的な100時間程度長時間労働が認められる場合、総合評価は「強」になります。

 長時間労働について整理すると、3つの捉え方が行われています。
 1、発症直前の1か月におおむね160時間を超えるような、またはこれに満たない機関にこれと同程度
  の(例えば3週間におおむね120時間以上の)時間外労働を行った」時は、(特別な出来事)となりま
  す。
 2、「具体的出来事」が「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」は、「心理的負荷の強度」を
  「中」と評価されます。
 3、(総合評価における共通事項)で、心理的負荷が「中」「弱」でも出来事の前後に恒常的な100時
  間程度長時間労働が認められる場合、総合評価は「強」になります。
 しかし他の「具体的出来事」がない場合の160時間未満の長時間労働についての評価ははっきりしていません。3、の恒常的な100時間程度長時間の根拠もはっきりしません。
 「脳・心臓疾患の労災認定基準」においては、発症直前に1ヶ月100時間の時間外労働があれば業務上となるという基準を確立しています。「精神障害の労災認定」と「脳・心臓疾患の労災認定基準」の「基準」が異なる根拠はありません。(長時間労働については、9月9日の「活動報告」参照)

 総合評価においては、出来事の類型の「事故や災害の体験」以外の出来事については、「出来事」と「出来事後の状況」の両者を軽重の別なく評価します。いじめやセクハラのように出来事が繰り返される者については、繰り返される出来事を一体のものとして評価します。

 「新評価表」は、現在と同じく平均的な心理的負荷の強度を示し、それぞれに「心理的負荷の総合評価の視点」と「心理的負荷の強度」を「弱」「中」「強」と判断する具体例」を示しています。これらの全体を検討して、出来事と出来事後の状況を包含したものである心理的負荷の総体を「強」「中」「弱」の三段階で評価します。
 例えば、「ノルマが達成できなかった」「Ⅱ」は、「心理的負荷の総合評価の視点」として「・ノルマの内容、困難性、強制の程度、達成できなかった場合の影響、ペナルティの有無等 ・その後の業務内容・業務量の程度、職場の人間関係等」があげられ、「心理的負荷の強度を「弱」「中」「強」と判断する具体例」としては「【「強」になる例】・客観的に、相当な努力があっても達成困難なノルマが課せられ、達成できない場合には重いペナルティがあると予告された」とあります。
 「ひどい嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」「Ⅲ」は、「視点」として「嫌がらせ、いじめ、暴行の内容、程度 ・その継続する状況」があげられ、「具体例」は「【「強」になる例】・部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた」等とあります。

 「新評価表」は、出来事が複数ある場合は、一律に評価方法を示すことは困難であるとしたうえで、ある出来事の直後に別の出来事が生じた場合や、ある出来事に関連する次の出来事が生じた場合には精神障害を発症しやすい臨床経験上の意見を参考にして、関連して生じていると判断した場合にはその全体を1つの出来事として評価します。
 またいい例えではありませんが、労働者が業務上のストレスで胃痛と肩こりと耳鳴りの症状が出た場合には、最初のストレスの程度から副次的に他の症状が出たとして全身の状態を評価します。

 現在は、請求事案すべてについて、精神科医師3名によって構成する専門部会での協議が行われています。
 『報告書』では(1)専門医の合議制(専門部会)を継続する事案、(2)主治医の意見に基づき判断する事案、(3)専門医の意見にもとづき判断する事案に分かれます。
 (2)は、行政庁が認定した事実と主治医の診断の前提となっている事実が、発病時期やその他の原因
  に関して矛盾なく合致しており、その事実を新評価表に当てはめた場合に「強に」該当することが明ら
  かな事案です。ただし、対象となる精神障害は、「気分(感情)障害」(うつ病、躁うつ病、うつ病エピソ
  ード)と「神経症性障害、ストレス関連生涯および身体表現性障害」(恐怖症性不安障害、パニック障
  害、外傷後ストレス障害、など)です。
 (3)は、主治医の医学的判断の補足が必要な事案、行政庁が認定した事実関係を新評価表にあてはめ
  た場合に「強」に該当するが何らかの業務以外の心理的負荷または固体側要因が認められる事案、事
  実関係を新評価表に当てはめた場合に明確に「強」には該当しない事案です。
 (1)はそれ以外です。

 新評価表によって、現在の約8.6か月の審査機関を6ヶ月に短縮されることを期待しているのだそうです。
 IMCと全国労働安全衛生センター連絡会議メンタルヘルス・ハラスメント対策局は「専門検討会」に3回「要望書」を提出してきました。
 『報告書』は職場の状況やそこでの労働者の実態掌握が不充分です。
 認定基準の問題点、の運用の問題点などについて今後も提案・要求を行っていきます。


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 惨事ストレスに強いパーソナリティは存在しない
2011/10/21(Fri)
10月21日(金)

 10月16日の 『朝日新聞』 に 「消防士9割 『惨事ストレス』 被災地派遣の800人調査」 の記事が載りました。
 調査は、名城大学が岩手、宮城、福島の3県を除く全国各地から緊急消防援助隊として5月下旬まで派遣された約28.000人のうちの800人を対象に実施され、有効回答率は66.9%だといいます。
 具体的には、活動時の精神状態として 「被災者や遺族に強く同情した」 (42%)、「もっと役にたてないのかと自責の念にかられた」 (40%)、津波や余震への不安や不眠、絶望を感じたり、涙が止まらなかったりするなどの症状も1割から3割いたという結果がでました。
 日常生活にも影響がある心的外傷後ストレス障害 (PTSD) の可能性が高い隊員も5%いたといいます。しかし記事は結果報告だけで評価がありません。

 消防士への惨事ストレス対策の取り組みは、阪神淡路大震災の経験から少しずつ開始されました。しかし地域的にばらつきが大きくありました。
 消防庁は2003年5月に 「消防職員の惨事ストレス対策に関わる緊急時メンタルサポートチームの創設等について」(通知) と 「緊急時メンタルサポートチーム派遣要綱」 を通知します。
 2005年6月には 「消防職員の現場活動に関わるストレス対策フォローアップ研究会」 が設置され、各消防本部や都道府県における惨事ストレス対策の取組状況、これまで対応した事例の調査及び分析、今後の対策の在り方等の検討が行われ、『報告書』 にまとめられました。
 そこには2005年段階で、惨事ストレス教育を行っている本部は平均23.8%でした。惨事ストレスを受けた職員を何らかの方法で把握しているは30.3%、職員へのケアを行っているは9.8%とあります。深刻な状況です。

 今は、工夫を凝らした教育・宣伝も行われています。(東京消防庁の取組については9月30日の 「活動報告」 参照)
 全国消防協会はカラー漫画によるパンフレット 『もうひとつの闘い ~語ることができない消防士~』 と 『消防士たちの惨事ストレス 家族用手引き』 を作成しています。
 消防署の隊長は、幼い時、消防士だった父親を火災出動で亡くします。
 署内でPTSDの資料が配布され、研修が行われようとします。しかし隊長は 「消防職員が悲惨な現場に行くのは当然」 「いちいちストレス抱える奴は消防になんか向いていない。とっとと辞表出せ」 「消防職員は強くて初めて家族を守れるってもんだ」 といって反対します。
 その隊長が、炎上火災で逃げ遅れた親子3人の救助活動で、重傷を負った子供を抱えたとき身体が動かなくなります。
 ストレスは気づかないうちに蓄積します。そして思いもよらないきっかけで溢れ出します。
 隊長は、それ以降、両腕にずっしりと、ぬくもりのない重さを感じていると 「告白」 します。上司がそう 「吐き出させ」 ました。それ以降、気が楽になり、チームを信用するようになりました。
 そして惨事ストレス研修にも前向きになっていきます。

 悲惨な状況を体験や目撃したら誰でもストレスを感じます。消防士、警察官、自衛官、医療関係者など職業的に遭遇する機会が多い者たちもそうです。問題はその時のストレスをどのようにして小さくするか、そのためにどのような予防をするか、業務遂行後はケアをするかです。
 そのなかで今回の調査の 「PTSDの可能性が高い隊員の5%」 は高いかどうかの捉え方が問題になります。
 アメリカでは、死亡事故を目撃した消防官に対し、3日以内に神経精神科のカウンセリングを受けることを定めた 「ストレス管理プログラム」 を適用しています。

 今年6月、韓国の新聞に韓国の消防士の惨事ストレス問題が載りました。
 中央消防学校によると、火災を鎮圧するハイリスクグループの消防官のうち、13.3%が 「精神疾患レベルのうつ病の症状」 を抱えているということです。
 問題は、多くの消防士が、こうした苦痛や悩みを訴える場所がない、同僚に対してさえ悩みを訴えられないことだといいます。カウンセリングやメンタルヘルスケアを希望する場合、市・道の災難 (災害) 心理治療センターをできることになっているが、他者の目を気にして通えないという雰囲気があるといいます。
 「消防官ではない友人たちは、“ひどい” と言ってこうした話を聞きたがらない。 だからといって神経精神科での治療は、組織内で“おかしい人”と見られないか気になって嫌だ」 という状況があります。
 このような中で、今年になって5月末までに8名の消防士が自殺しました。この4年間で自殺した消防士は25人。2009年は、自殺した消防士 (10名) が火災現場で殉職した消防士 (3名) より多いという事態になっています。
 この事態は、もしかしたら日本では警察や自衛隊と似ているのではないでしょうか。
 これらで惨事ストレス対策が取られているとは言えません。

 韓国だけでなく日本では、まだまだ精神的体調不良は 「主体の問題」 と捉えられていて、偏見の原因にもなっています。
 「今日でも使われているいくつかの心理テストがあるが、今もそれらをいくつか組み合わせて、心理的特性とか性格的な特徴とかいうものを評価する道具として心理学者は使っている。その組み合わせのことをテスト・バッテリーという。……
 (米軍は) 徴兵検査の時に心理テストを行って、戦闘要員としての適性を評価するという方法が、本当に功を奏したものかどうかはよく知らなかった。しかしこの方法が自衛隊の隊員を募集する時に、そっくりそのまま日本に輸入されて、アメリカ陸軍式のテスト・バッテリーを実施していたことを私は知っている。……
 しかし、これが本当に有効であったかどうなのかということになると……私はこの本を書くためにアメリカの陸軍軍医総監部出版の軍医の教科書 “Text Book of Military Medicine" シリーズの “Military Psychiatry" などというものを手に入れて、読んで調べて見た。そうしたら、精神科医ならば腹をかかえて笑うであろうことが出てきた。……
 (米軍は) 徴兵時にスクリーニング用心理テスト・バッテリーで精神医学的潜在カジュアルティーを排除できる、いわば予防できるんだということを真に受けて使用した。
 精神医学的な既往歴のあるものを徴兵せず、とくに不安障害と言われているようなものはだめであるということをやってしまった。……徴兵不適とされた者が160万人、第1次大戦の7.6倍に達した。
 このスクリーニングをやったにもかかわらず、戦場におけるブレーク・ダウンその他の精神医学的理由による除隊は、第二次大戦では第一次大戦の2.4倍。つまり、7.6倍の人が戦闘に不適だといってスクリーニングされたのに、2.4倍の精神医学的なブレークダウン現象が起きてしまった。……
 スクリーニング不可能と言う事実は何を語るか? 戦闘状況でのストレスに強いパーソナリティなんて存在しない。だれでも限界を超えればブレーク・ダウンするという真実が1つ。
 不安反応は、古兵と言えでも戦闘機関の長期化とともに、高い頻度でかならず出現する、つまり戦闘機械のような兵隊はつくれないという事実。」 (計見一雄著『戦争する脳』 (平凡社新書)
 自衛隊は、第二次大戦の米軍の教訓を生かしていません。隊員を人間とみなしていません。悲惨が悲劇を生み続ける危険があります。


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「坂の上の雲」はどんな色
2011/10/17(Mon)
10月17日(月)

 おじいちゃん、おばあちゃんの原宿と呼ばれている巣鴨・とげぬき地蔵通りを歩いていると 「大正100年」 と染めぬかれた幟が林立しています。来年は元号が大正に移ってから100年になります。通り抜けようとすると都電を花電車が走るというので鉄道ファンがカメラをかまえています。民営会社だった市内電車を都電の前身の市電が買収してから100年を祝っています。

 100年前はどのような時代だったのでしょうか。司馬遼太郎が登った明治という坂の上から見えた雲はどのような色をしていたのでしょうか。
 忘れてならないのは、明治という坂の頂の手前の1910年に、日韓併合を強行して朝鮮半島を植民地化し、大逆事件という冤罪事件をでっち上げて大衆を委縮させ、7月22日に書いたように、柳田国男が 「遠野物語」 を刊行して 「大和民族」 が 「東北人」 を征服することを正当化していったということです。

 司馬遼太郎は日露戦争の軍人たちをかっこよく描いています。しかし戦前、日露戦争は日本が 「勝利」 したと評価できるか危ういということで、歴史学者は研究することを禁止されました。
 「1905年9月5日から6日にかけて、いわゆる日比谷焼討事件という、空前の都市市民暴動となって爆
 発したのである。……直接の原因は、日露講和条約をもって屈辱的としてこれに反対する立場からの蜂
 起であった。……
  むしろ事件の本質は、戦争によって強いられた人物・物的犠牲のあまりの大きさと流し込まれた戦勝の
 誇大な情報とに比べて、民衆が期待した見返りとしての戦争の結果がもたらした成果があまりにも過少
 であったことに対し、民衆の怒りが爆発したという点にあった。」 (大江志乃夫著 『日露戦争と日本軍隊』)

 06年3月18日には、民営会社だった市内電車が運賃値上げを決定すると襲撃され、焼き打ちに遭います。
 日露戦争は朝鮮半島の利権をめぐる戦争でした。04年8月22日、日本は朝鮮と第一次日韓協約を結び、「顧問政治」 を始めます。これを契機に日本は朝鮮の支配を推し進め、翌年11月には日本憲兵隊の包囲の中で第二次日韓協約 (乙巳保護条約) を結ばせ、朝鮮政府の外交権を奪い、統監政治を開始しました。06年にはソウルに総督府を置き、初代統監に伊藤博文が着任。植民地支配を強め、10年8月22日には、日韓併合条約を調印させます。

 明治政府は民衆の怒りが昂揚すると社会主義運動を恐怖します。
 そのため10年5月25日、社会主義者の幸徳秋水らを逮捕します。いわゆる大逆事件です。事件の被告にされた者は26人に及び、予審を経て特別公判に付されましたが、40日後の11年1月18日、24人に死刑判決が下されました。翌日「特典」で12人は死刑をまぬがれたが、1週間後に11人、8日後に1人の死刑が執行されます。
 民衆は政府に対する恐怖と不信が入り乱れ、社会を閉塞感が襲います。

 大正に変わり、第一次世界大戦を経た1918年、富山県で主婦たちがシベリア出兵用の米の搬出を阻止したのをきっかけに、米騒動が全国に広がります。
 京都に波及した米騒動はその後の全国的な高揚の口火を切ります。 
 「京都の米騒動は部落にはじまり、部落を中心に拡大したのが特徴である。そして、その主体となったの
 は、部落の貧困層であり、彼らをひっぱったのは、おもに 『入り人』 つまり流入部落民であった。……それ
 までの共同体秩序にしばられない流入者がひっぱり、貧困層がその秩序を乗りこえたのだ。差別を重層
 的に組み込んだ分散共同体の秩序は、こうして風穴が空けられた。米騒動が部落解放の曙になったと
 いわれる由縁である。」 (宮崎学著 『現代の奈落』)
 米騒動での起訴者は7.776名に及びます。そのうち予審を経由せずに公判もしくは略式命令の請求手続きが取られた者が1.536名。5.985名が公判に付されます。
 起訴者のうち878人が被差別部落出身者で、大審院で死刑が確定し、執行された2人もそうです。政府は扇動者がいたと事件の本質から矛先をそらすことに懸命でした。

 松山巌著 『群衆』 (中公文庫) に面白いデータが紹介されています。
 米騒動後、司法省は全国の控訴院検事長と各地方裁判所検事正に、被告たちの年齢、職業、教育程度、生活程度に関する調査を命じ、報告させました。
 生活調査は、7.013名を対象に5段階に分けました。
  1、安全なるもの          150名
  2、稍(やや)裕(ゆたか)なるもの 559名
  3、余裕なきもの         2.482名
  4、窮迫なるもの         3.243名
  5、極端なるもの          579名
 それなりの収入があった階層が急激に生活のゆとりを失って参加したと分析されました。
 8月11日から16日まで大阪府下で検挙、検束された1.795名を職業別にみると、職工397名、無職348名、仲仕117名、日雇83名、農業80名、土方77名、鍛冶職69名などの順になっています。
 賃金が下がったり失業した労働者、日雇労働者、利益の薄い職業が大半を占めています。

 職を失った民衆は都市に押し寄せました。18年の東京の人口は14.5%急増し、その後も増加を続けます。急増の理由は第一次大戦による成金景気です。その後も増加が続きますが生活困窮者の都市流入です。
 20年、米騒動後の民心の動向を把握するため国勢調査が実施されました。その結果、東京市人口217万余人のうち、市内で生まれた者は92万余人、外から移入してきた者125万余人という実態が明らかになりました。労働力の流動が加速し、地域や組織の共同体の解体が進んでいました。

 25年、国勢調査と一緒に失業統計調査が実施されます。その後は毎年失業統計調査が実施されます。調査は労働者を、給料生活者 (雇用関係が形成されている事務職労働者)、日雇労働者、その他の労働者と3区分します。
 29年から36年までの失業率をみると日雇労働者は他の2倍から3倍になっています。特に東京府では2倍から5倍近くになっています。33年は30.2%に及んでいます。
 では失業対策はどうだったか。日雇労働者を対象に簡易な土木作業が設計されたが、治安対策が目的でした。積極的に進めると朝鮮人の渡航を増加させるという理由の反対意見も出されます。給料生活者の失業者への対策は「思想問題」の危険性から弾圧の強化が行われました。
 失業保険構想には財界を中心に反対意見が強くありました。理由にはやはり朝鮮人の渡航増加が挙げられています。

 「日韓併合」 の後、朝鮮半島では「土地調査事業」が開始され、それにより大多数の農民が小作農にされたり離農を強制されました。
 「日韓併合」 と同時に日本への渡航制限が撤廃されました。玄界灘を渡った朝鮮人の数は、10年以前は100人単位でしたが10年頃には1000人単位に増大します。16年には5.600人に増え、17年には14.000人に急増します。
 「日韓併合」 で土地を奪い、資源を奪い、抵抗する民衆を虐殺しながら、日本に渡航した者の生活保証も全くしません。
 だから23年9月の関東大震災が起きると、朝鮮人が暴動をおこすだろうと勝手に連想してデマを飛ばして虐殺行為を繰り返したのです。

 司馬遼太郎が民衆を踏みつけて登った明治という坂の上には、その結果、血の色が滲む雲が浮かんでいました。
 しかし民衆は新しい組織を作り、生活保障と人権の獲得のための運動を開始します。


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“いじめ”は構造的に起きている
2011/10/12(Wed)
10月12日(水)

 コミュニティ・ユニオン全国交流集会は、1日目に関西労働安全センターの西野方庸さんが「震災の労働補償―被ばく問題のこれから」のテーマで記念講演しました。
 災害における労災補償の問題について、これまでの経緯が語られました。
 74年に「伊豆半島沖地震における業務上外」(昭49.10.25 基収第2950号)の通達が出ました。
 「労災保険における業務災害とは、労働者が事業主の支配下にあることに伴う危険が現実化したものと経験法則上認められる場合をいい、いわゆる天災地変による災害の場合にはたとえ業務遂行中に発生したものであっても、一般的に業務起因性は認められない。
 けだし、天災地変にあっては不可抗力的に発生するものであって、その危険性については事業主の支配、管理下にあるか否かに関係なく等しくその危険あるといえ、個々の事業主に災害発生の責任を帰することは困難だからである」
 なんと災害に遭遇した場合は業務起因性(業務に起因すること)ではないので労災とは認めらませんでした。
 95年の阪神淡路大震災の時、「兵庫県南部地震における業務上外等の考え方について」(平成7年1月30日付)の通達に、トラック運転手が走行中に高速道路の崩壊により被災した災害については「高速道路の構造上の脆弱性が現実化したものと認められ、危険環境下において被災したものとして、業務災害と認められる。」とありました。ここから業務遂行性(労働者が使用者の支配下にある状態)が認められるようになっていきます。

 今回の東日本大震災に際しては、その日のうちに通達が出ました。阪神淡路大震災の時の通達に基づいて判断を行って差し支えないとしたうえで、わざわざ「したがって、個々の労災保険給付請求事件についての業務上外等の判断に当たっては、天災地変による災害については業務起因性等がないとの予断をもって処理することがないよう特に留意すること。」(平成23.3.11基労補0311第9号)とあります。
 「伊豆半島沖地震における業務上外」からは大きな転換です。
 労災保険料は使用者だけが支払っていることを理由に、使用者と厚労省は労災制度は使用者のためのものという捉え方が一貫してありました。
 労働者にとっての「あたりまえ」を実現するまでにかなりの期間を要します。
 この後、原発被ばく問題のこれからについて、わかりやすい解説と問題点の指摘がおこなわれました。

 2日目は、11の分科会が持たれました。
 第1分科会のタイトルは「メンタルヘルスⅠ (いじめ・いやがらせ)」です。呼びかけ文には「……被害者をユニオンや職場の仲間が支え、働きやすい職場を作ることが、最大の問題解決のはずです。実態や脾経を知ることと併せて、具体的な対策について議論を深めましょう。」とあります。
 全体で24団体28人の参加で開催されました。
 女性のユニオンから、1年間の取り組みのまとめをもとに報告が行われました。ユニオンと関係団体は女性からのすべての相談を受けています。相談者にとっては敷居が低いので早期に相談に訪れやすく、相談を受ける側は問題点を引き出しやすいと言います。相談の中で労働問題についてはユニオンが会社と交渉します。早期に相談に訪れるということは早期の解決にも結び付きます。
 相談を受ける側としてぶつかっている問題が話されました。パワハラにあって体調を崩した相談者は目もうつろで事実関係の聞き取りもはかどりません。“寄り添い”関係を作っていくと夜中に電話がかかってくることがしばしばあり、関係性を維持するのが難しいという経験が語られました。
 現在は相談を受ける活動をしているが、体調不良を体験した経験を持つ参加者からは、自分も夜の12時から5時頃の相談があるが、体調不良者は夜になるとネガティブになるという体験が語られました。
 相談者に寄り添うと言いながら、相談を受ける側が体調不良になっては元も子もありません。関係性を作るということは、お互いの立場をわきまえることで、相談者にもわからせる必要があります。

 介護施設の職場で少人数の分会として頑張っているが、上司は好き嫌いで業務を進めるという報告がありました。さらに分会書記長は異業種への配置転換の業務命令が出されています。
 介護職場での紛争に対応した経験者から、介護職場で発生する問題は労働組合として対応するのは難しい、職場の問題として問題の全体化をはかったほうがいいというアドバイスがありました。また、専門職として、しかも介護の仕事が好きで、低賃金を承知で働いている特有の問題がある。そのようなところではトラブルは職場の人間関係で起きるというアドバイスがありました。

 いじめが行われたということを証明するのが難しいという意見が出されました。周囲の同僚は証言してくれません。そのような時はメモや録音の手段があります。メモは連続性があれば立派な証拠です。また上司(だめなっばいはその上の上司)に事実を伝えて改善を要求し、そのことを記録しておくことも証拠になります。会社には使用者として、社員が安心して働き続けるように職場環境を整える義務があります。

 いじめの体験談が語られました。
 職場で上司から殴られ、言葉の暴力を受け続けて体調を崩し、休職しました。復職後も同じようなことが繰り返され、車で体当たりされた時は「自分の身を守れない方が悪い」と居直られました。
 話を聞いていた人が「暴力はいじめではない。刑事事件だ」と言いました。
 当該は、当初は自分が悪いからそうされると受け止め、会社に訴えたら辞めざるを得なくなる、今のような就職難の時に仕事がなくなると我慢を続けたと説明しました。同僚に相談すると「俺もヤバくなる」と言われたといいます。
 その後ユニオンに相談し、退職条件で解決しました。今は元気を取り戻しつつあるようです。
 
 行政機関で労働相談を受けている方から報告を受けました。だんだん解決が難しくなってきているとのことです。そのようななかで、労働組合に対する見方も変わり、必要性が増えているという感想を持っているとのことです。

 全国の各ユニオンもいじめ相談への取り組みを開始しています。ですから具体的な問題提起、解決報告などが行われました。交流が蓄積されていると実感できます。
 今後は、いじめを起こさない予防・防止にも取り組みながら、紛争数を減少させつつ解決件数を増やすよう頑張りましょう。
 そのためにも「いじめ円卓会議」を監視しましょう。


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