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お盆が過ぎて
2011/08/23(Tue)
8月23日(火)

 夏休みは、被災地を開通した電車と自転車と徒歩で回りました。

 政府は当初、お盆までには避難所に入った被災者全員を仮設住宅に入居させると言っていましたが間に合いませんでした。政府の怠慢ということだけでなく、用地が確保できませんでした。
 1つには、各地方自治体に用地確保に優先して専念できるような体制・人的余裕がありません。1人が何役もこなす中での用地確保業務です。繰り返しますが「小さな政府」の犠牲です。8月8日の『産経新聞』によると、被災地に派遣されたある自治体職員の男性は、多忙な業務に追われ、鬱病を発症した末に自殺しました。
 2つ目には、土地があっても長い間過疎化が進んでいて、親族でも疎遠になっているなかで土地所有者の確認と承諾は困難を極めます。なおかつ電気、上下水道を設置できる条件のところは限られます。
 3つ目は、民間の空地は、地元以外の建設業者等がすでに賃貸契約を結んで使用しています。
 何とか建設した仮設住宅の中には、田圃の中にあって買い物ができる最短の店が1キロ離れていたりしているところもあります。お年寄りが生活をしていくには不便としか言いようがありません。だから空室も目立ちます。
 しかし洗濯物が干してある光景が見えると、生活に少しは落ち着きができたかとほっとします。
 一方、被災者が避難所から仮設住宅に移ると、被災地域から本当に人影がなくなります。ここをどう復興させるのだろうかと考えると正直気が遠くなります。

 行政は、仮設住宅の建設をスピードが求められているという理由で、合理的に作業が行えるからと大手メーカーに委託しました。8月上旬までに地元業者が建設したのは岩手県が約1万4千戸のうち2500戸、福島県が約1万5千戸のうち5千戸、宮城県は2万3千戸のうちわずか300戸です。仮設住宅建設の権限は県です。ここに宮城県が描く復興の姿があります。復興は大手資本の在庫処理のためのものです。だからこれまでの被災体験者の意見などを無視して、窓が一か所にしかない、段差などがあってハンディーを負っている人たちにとっては不自由なものが、数合わせで建てられています。
 被災地は西側に大きな山を背負っています。木材に不自由はしません。岩手県は地元の杉で仮設住宅を建てました。地域産業振興だけでなく、夏の暑さ対策、冬の寒さ対策にも適しています。宮城県でも南三陸町の西側は全国的に有名な「津山杉」の産地です。しかし使用しません。この辺りは、「気仙大工」と呼ばれる腕のいい大工さんも大勢います。
 大手メーカーが在庫資材を吐き出し、実際に建設するのは大手が集めた下請、孫請です。その下請等の建設業者が民間の空地を賃貸契約しているのです。地元では、ある大手の住宅メーカーが建設した仮設は手抜きが多いと噂になっています。
 仮設住宅は1戸あたり、建設、備品搬入、取り壊しまで含めると500万円かかります。地元の業者は2年後に取り壊しても、それを一戸建て建設の時にリサイクルできるようにしよう、そのためには一過性の業者ではなく地元の業者でなければならないと訴えましたが受け入れられませんでした。
 地元業者は、割り当ても受けられず、大手メーカーの下請けに入り込むだけだったといいます。地元でできることも地元にさせないのが宮城県の復興策です。2年後は、現在頭を痛めている瓦礫処理に、取り壊した仮設住宅資材が追加されます。
 宮城県は仮設住宅建設から地元業者を排除したのです。この姿勢は漁協に特区を設けて民間企業を参入させようとする構想と同じです。
 そうすると次は。具体的な案は出されていませんが、津波が押し寄せた広大な農地を、農民がヘドロや塩分を排除したら大手資本による「農業株式会社」が襲ってくることが予想されます。ワタミは介護が必要なお年寄りへの食事の配達事業を東北に手を伸ばそうとしています。

 仮設住宅問題からは現在の政府の住宅政策も見えてきます。
 住宅建設のスピードは、阪神淡路大震災の時よりも原爆にあった広島、長崎の方が早かったです。現在と比べて資材の調達など困難さは比べものにならない状況でしたがそうでした。
 住宅を生活必需ととらえるか商品・ビジネスと捉えるかの違いです。住宅・建設業界にとって、被災者に「自己責任」で商品獲得に向かわせるには政府の過保護は迷惑なのです。

 かつて自民党政権時代に「小さな政府」を目指して行政改革が叫ばれて担当大臣に就任した石原伸晃は、記者からの具体的に何から始めるのかとの質問に「たとえば住宅金融公庫や雇用能力開発機構とか」と答えました。いずれも労働者の生活に影響を及ぼす部署。これらの部署の一部分が抱えていた問題点をクローズアップさせる裏で、労働者の住宅問題や職業訓練の問題が切り捨てられていきました。同時期に論議を開始されたのが、かつて炭鉱閉山で大量に失業者が出た時に住居の保証のために建てられた雇用促進住宅の廃止問題でした。住宅問題を厚生労働省管轄から完全に切り離し、経済問題と位置付けて国土交通省の管轄に一本化しようとしました。
 しかし雇用促進住宅は“派遣村”がその必要性をあらためて問題にしました。
 労働者の衣食住の確保は「自己責任」でなければならないのでしょうか。だとしたら政府はいりません。
 住宅金融公庫は労働者が住宅を入手しようとする時、便宜を図るものでした。廃止後は、労働者が住宅を入手するには建設・不動産業界と金融業界に相当の金額を支払うことを強制されます。

 お盆は、被災者にとって一つの区切りになりました。
 地元新聞には、犠牲者の葬儀の案内がたくさん載っていましたが、どれも通夜や火葬の日時がありません。そして複数合同の葬儀も結構あります。
 石巻市で津波の後に火災に遭った地域はお寺と墓地がたくさんあります。瓦礫は撤去されましたが墓石は倒れたままだったり、骨壺が野ざらしになったりしています。犠牲者の納骨をどうするかの前に現在の墓地をどうするかの問題があります。
 建立される墓石には、みな同じ命日が刻まれます。このような光景は広島、長崎で見ることができますが、一家で同じ命日が並んでいる墓石をみると本当に悲しくなります。

 少しでも早く、被災者が心身ともにゆったりできる空間を確保することができ、犠牲者を心から弔うことができるようになることを願わざるを得ませんでした。


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